jurgen's Heurige Blog (ゆるげんのブログ)

I will, I will いっぱい足りないの切なくて
I feel, I feel いっぱい会いたいのボクだって

本の雑誌風雲録/目黒考二 角川書店

2006年10月31日 | 読書
椎名誠から見た「本の雑誌」のエピソードはこれまで幾度も読んできたけれど、
実務面で屋台骨を支えてきた目黒考二からの視点も興味があった。
椎名は編集の仕事を中心に「本の雑誌」を語ってきたのに対し、
目黒は助っ人の変遷や配本部隊の活躍を展開する。
「石の家」のクーデターについては椎名の著作で知っていたが、
その後も目黒と椎名が大喧嘩を3度もやってお互いもういいやという気分に陥っていたことを初めて知った。
椎名の一言で本の雑誌存亡の危機を脱するのだが、
決して仲良しこよしでこの雑誌をやっていたわけではなかったのだ。
発作的に行き当たりバッタリでアイデアを出したり路線を変更を強行する椎名に対して、
沈着冷静に理路整然と待ったをかける目黒。
このふたりがいたからこそ本の雑誌は大きくなっていった。
どちらかが欠けてもダメなのだった。

会議室で編集者が雁首をそろえて編集会議を行っても、いいアイデアが出てくることはない。
居酒屋で飲みながらあーでもない・こーでもないとやっているうちに本の雑誌の企画が徐々に形になっていく。
どこかで「編集会議で作られた雑誌は面白くない」という断言を見た。
まったく賛成である。
ターザン山本が辞めた後の「週刊プロレス」が急速につまらなくなっていったのを思い出した。
面白いものをクリエイトするには、長いものには巻かれろ的・寄らば大樹の陰的・事なかれ主義的サラリーマン方式ではダメなのだ。
作る側の個性と毒が余すところなく反映されなければ面白くならない。
つくづくそんなことを思い知らされた。