∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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A-4 >水野代官所跡

2005-10-19 18:38:32 | A-4>影俊系水野氏




水野代官所(陣屋)跡
  愛知県瀬戸市上水野町鳥林   Visit :2005-09-26 13:00

 尾張九代藩主 徳川宗睦の時代に、藩政の大改革があり、藩内に大代官を置き、その出先機関として各地方に
所附代官所十箇所を設け、各地の庶政を司った。
 所附代官所は、天明元年(1781)五月、まず最初に中水野村鳥林に水野代官所が設置された。所轄は、愛知、
春日井の一部と美濃の一部に跨り、百九か村 六万一千三百五十七石余を管理し、徴税事務、申請事務、司法
事務などの全般処理を行った。つまり今日における市役所・税務署・警察署の仕事を一手に扱う強い権力を握っ
ていたことになる。
他の所附代官所は、鳴海、北方、佐屋、上有知、横須賀、鵜多須、太田、小牧、清洲の九箇所に設置された。

  代官所は別称「陣屋」ともいい、役所の組織は、代官一名の下に、補佐役の手代が四名、その属官の同心八人
が主となり、管下の各所に配置する番人若干名によって、村々の動勢連絡、治安状況報告、犯人検挙に当たらせた。
 初代代官には、第六代御林方奉行水野権平正恭が、奉行を兼摂し就任した。このことから、水野氏が当地で権勢
を振るっており、藩としても無視できず、当地に代官所を設置し代官に起用したことで、当時の強大な支配力が伺える。
 しかしながら、代官は世襲制の御林方奉行とは異なり、その後、水野一族からは第三代に水野平右ヱ門、第十三
代に水野竹太郎が就任するに留まったが、別表のように代官職は維新まで十九代続いた。

 陣屋構内には、司所、吟味所、道場、管宅、倉庫、火薬庫、牢屋などの建物および藩士の子弟を教育する尾張藩の
学府明倫堂の分校「興譲館」という学校も設けられ、配下の武士が日を定めて出仕し、道場に集まって訓練を受けたり、
少青年が論語や孟子を素読する声が聞こえたり、付近には、遠来者のための合宿所もあって、商人達の出入りで賑
わったとある。

 山の中でも水野は城下
         地方山方両役所

と謳われ、水野はこの代官所と御林方奉行の両所が設置されたことで、尾張藩の地方に在っても、さながら文化の中
心的存在であったことが伺われる。これらの存在は水野村民の気風に大きな影響を与え、優雅穏健で茶事・築庭を好
み、和歌俳諧に親しむ風流人も現れ、どことなく上品な感じのみえる「水野ことば」が話されていたと伝わる。


☆旅硯青鷺日記
 代官所跡の碑は、現在水野小学校正門前にあり、正門を入ったところに、天保十二年(1841)時点の水野村図が、
“ せともの ”の町に相応しく陶板六枚を繋いで再現されており、当小学校の三年生が社会科の授業に利用していると
聞かれた。また代官所跡の碑が在る場所は、『水野代官所之図』に書かれている「官舎」辺りに建てられており、現代
地図の赤い矢印の箇所に相当する。


水野代官所代官名:http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/efb1b15689a494a7eefe5cbc09ec95d8

水野代官所(陣屋)発給文書:http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/f671cf8003e4b89bdbddebe5e9a5a485

桓武平氏水野系図:http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/777ff67bab506fc94b32ecf3b04681f4






赤い矢印の先が「水野代官所跡」碑設置場所であり、『水野代官所之図』の官舎付近に当たる。






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22 コメント

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初めまして。 ()
2005-10-23 20:52:04
自分のルーツを探るべく、ネットで資料を集めている者です。

祖父も同じように探していたようで、「水野忠邦に仕えていた」と幼い時に聞いた記憶だけが残っています。

久々に家系図を借り足跡を辿ると、肥前唐津~江府西ノ久保~山形にお墓がある事が判りました。

水野家にずっと仕えていたような足取りでした。



そんな中でこちらのblogに行き着きました。

沢山の資料があり、とても楽しく嬉しくなりました。

これからもまたお邪魔します。



ちなみに私の苗字は"牧野"です。

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歓迎>蓮さん(^^) (∞ヘロン)
2005-10-23 23:07:49
 蓮さん、ようこそお越し下さいました。

このブログを立ち上げてから、久しく

蓮さんのような同好の志を心待ちにしていました。

ようやく、仲間が見つかったので、こちらこそとっても嬉しく思っています。



 水野忠邦は、水野氏の代名詞とも云うべく最も有名な人物ですよね。

ところで、「江府西ノ久保」という所はどこにあるのでしょうか。これからの参考になりますので、どうか教えてください。



 牧野氏はどこかの資料にあったように思いますが、今は思い出せません。探してみます。



 ということで、先ずは歓迎のご挨拶まで。
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ありがとうございます ()
2005-10-24 19:36:03
私もこのblogを見つけた時、思わず親近感が沸きました
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Unknown ()
2005-10-24 19:52:29
すいません、何故か1行で投稿されてしまいました



"江府西ノ久保"、私も探しているのですが全くつかめません。

"江府"は鳥取にあり、"西ノ久保"だと東京の阿佐ヶ谷南でした。

お寺名で探すと広島・宮崎・金沢・世田谷にはあるのですが。。。



初めてこの"江府"という字を見た時に"江戸幕府"を省略したのかと思った位で、てっきり江戸にあるものだと思ったのですが。。。





ちなみに弘化2年に没しているようなので、ちょうど忠精が出羽山形に行った時期だと思います。

その途中で亡くなったのかとも思ったのですが、検討がつきません。



亡くなった日(?)は、"弘化二乙巳 正月 八三年 卒行"と書かれていました。

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西久保 (∞ヘロン)
2005-10-24 23:31:15
蓮さん、早速のレスポンス、ありがとうございました。(^^)

牧野氏は、やはり由緒あるお家柄で、水野家同様、徳川家に仕えていたようですね。元々は愛知県の三河南部の城主でいらしたようです。

 "江府西ノ久保"の江府は、遠江(浜松)か、江戸でしょうね。この場合は、江戸で、旧地名:東京都港区西久保または芝西久保あたりで、現在の虎ノ門の辺りだと推測できます。わたしもこれから調べていきますが、老中水野忠邦の上屋敷の近くの菩提寺ではないかと思われますが、今のところ特定できません。

こんな頼りないことで、申し訳ありません。

マイ・ブログに書きましたように、忠邦の墓所は結城市の萬松寺にあります。

 牧野家のお墓が、肥前唐津~江府西ノ久保~山形にあるとすると、藩主忠邦の赴任先に墓を設けたと考えられますよね。これから、ゆっくりと調べていきましょうね。

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ありがとうございます ()
2005-10-26 08:06:04
早速、昨日住所で地図を検索したら、虎ノ門に当てはまるお寺がありました。

近いうちに一度そのお寺へ行って、過去帳があったら調べさせていただこうと思います。



もしそのお寺でしたらまたご報告させていただきます
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牧野氏築城の吉田城展 (∞ヘロン)
2005-10-26 08:20:02
蓮さん、 虎ノ門にお寺がありましたか。もしそこだと良いですね。(^^)



 牧野さんのお住まいは東京周辺のようですけど、

今月30日(日)まで、下記の通り展覧会が催されています。



豊橋市制100周年記念

吉田城築城500年展

吉田城と城下町



10/1〈土〉-10/30〈日〉



愛知県豊橋市美術博物館

〒440-0801 愛知県豊橋市今橋町3-1

TEL (0532)51-2882 FAX (0532)56-2123



この城は、1050年、三河国宝飯郡周辺を支配していた“牧野氏一族である牧野古白”によって築城されたといわれています。つまり牧野さんのルーツですよね。

もし、お近くでしたらご覧に成られたらいかがでしょうか。







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牧野氏のはじまり (∞ヘロン)
2005-10-26 09:25:07
蓮さん、牧野氏がなぜ 三河国宝飯郡周辺を支配していたかを疑問に思ったので調べましたら、現在の愛知県豊川市牧野町がその起こりの地のようですね。

蓮さんの、豊川、∞ヘロンの瀬戸と両方ともに愛知県にありました。



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虎ノ門→六本木 (∞ヘロン)
2005-10-26 10:32:52
蓮さん、

先のコメントでは、西久保は虎ノ門付近と書きましたが、水野忠邦は、老中を勤めた間の弘化元年(1844)2月22日から翌2年6月6日までの間、大名小路に上屋敷を拝領し、以後は麻布市兵衛町内(現在の東京都港区六本木1 泉ガーデンあたり)にに移ったもようですので、かなり近い距離にあったようです。
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Unknown ()
2005-10-26 20:46:19
沢山の資料、有難う御座います。

本当に感謝してもし尽くせません。



ちゃんと確認してからとも思いましたが、(家系図で)二代目のお墓が虎ノ門のそのお寺にあり、オランダ大使館の近く、、、とだけお伝えします。



資料を読むと、二代目のみが眠っているお墓のようですので、今すぐにでも手を合わせに行きたい気持ちです。





"牧野古白"という名前は初めて聞きました。

また新しい世界が広がってきましたが、まずは一つずつ確かめないとですね
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