既報のごとく、先日10日には、刈谷市において「『刈谷城築城480年記念会』講演会&シンポジウム」が開催され、会場は大いに賑わい大盛況で、多くの方々が「水野氏」に関心を示されたことは、水野氏史を研究する一員として、たいへん喜ばしい出来事でした。既投稿の「レポート」をお読み下さった方達からいただいたメッセージには、「水野氏研究の一大快挙であった」等々、大きな反響がありました。
さて、講演会&パネルディスカッションでは、水野忠重・勝成父子についても言及されましたが、父子はあの有名な「小牧長久手の戦い」(天正十二年間の戦い)にも、参戦し手柄を立てています。(この時の様子が、「寛政重修諸家譜」巻328「水野-勝成」の項にも記されていますので、参考史料として添付します)
本年は、「刈谷城築城480年記念」の年であると同時に、「小牧長久手の戦い」から約430年に当たり、また「長久手の戦い」を永年研究してこられた「長久手市郷土史研究会」さんが、「設立30周年記念」となり、その記念事業の一環として講演会が開催されます。
日頃お世話になっております、長久手市郷土史研究会の会長中野鉄也様から、広報活動を依頼されましたので、こちらの講演会にもぜひご参加下さいますよう、ご案内致します。
尚 「長久手市郷土史研究会」ホームページには、「聴講希望の方:観客席数の制限もありますので、事前申込みをお願いします。下記メールアドレスにご連絡ください。」とありますが、事前申し込みは無くても、当日直接会場で受け付けて下さるそうです。
「長久手市郷土史研究会」ホームページ
記
講演テーマ:小牧長久手の戦いはなぜおきたか
講 師:谷口 央(首都大学東京大学院准教授)
日 時:平成25年10月5日(土)
14時~15時30分 (開場13時30分)
場 所:長久手市文化の家「風のホール」
〒480-1166 愛知県長久手市野田農201番地
受 講 料:無料
概 要:小牧長久手の戦いの詳細については、『長久手町史』『愛知県史』の発刊などにより、多くの事実が明らかにされ、その実態の見直し作業が進んでいます。これについては、例えば、長久手での敗北は、小牧山から動かない徳川家康にしびれを切らした羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の神経戦での敗北とする通説はもはや通用しないことが明らかにされたことなどに確認できます。
それに対し、この戦いがなぜ始まったかについては、いまだ詳細については知られていないのが実情ではないでしょうか? 本講演では天正10年(1582)6月にあった本能寺の変から、小牧長久手の戦いが始まった天正12年(1584)にいたるまでの、織田家中及び徳川家康の動向を資料に基づき追究し、戦いが起った理由について考察されています。
さて、講演会&パネルディスカッションでは、水野忠重・勝成父子についても言及されましたが、父子はあの有名な「小牧長久手の戦い」(天正十二年間の戦い)にも、参戦し手柄を立てています。(この時の様子が、「寛政重修諸家譜」巻328「水野-勝成」の項にも記されていますので、参考史料として添付します)
本年は、「刈谷城築城480年記念」の年であると同時に、「小牧長久手の戦い」から約430年に当たり、また「長久手の戦い」を永年研究してこられた「長久手市郷土史研究会」さんが、「設立30周年記念」となり、その記念事業の一環として講演会が開催されます。
日頃お世話になっております、長久手市郷土史研究会の会長中野鉄也様から、広報活動を依頼されましたので、こちらの講演会にもぜひご参加下さいますよう、ご案内致します。
尚 「長久手市郷土史研究会」ホームページには、「聴講希望の方:観客席数の制限もありますので、事前申込みをお願いします。下記メールアドレスにご連絡ください。」とありますが、事前申し込みは無くても、当日直接会場で受け付けて下さるそうです。
「長久手市郷土史研究会」ホームページ
記
講演テーマ:小牧長久手の戦いはなぜおきたか
講 師:谷口 央(首都大学東京大学院准教授)
日 時:平成25年10月5日(土)
14時~15時30分 (開場13時30分)
場 所:長久手市文化の家「風のホール」
〒480-1166 愛知県長久手市野田農201番地
受 講 料:無料
概 要:小牧長久手の戦いの詳細については、『長久手町史』『愛知県史』の発刊などにより、多くの事実が明らかにされ、その実態の見直し作業が進んでいます。これについては、例えば、長久手での敗北は、小牧山から動かない徳川家康にしびれを切らした羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の神経戦での敗北とする通説はもはや通用しないことが明らかにされたことなどに確認できます。
それに対し、この戦いがなぜ始まったかについては、いまだ詳細については知られていないのが実情ではないでしょうか? 本講演では天正10年(1582)6月にあった本能寺の変から、小牧長久手の戦いが始まった天正12年(1584)にいたるまでの、織田家中及び徳川家康の動向を資料に基づき追究し、戦いが起った理由について考察されています。