∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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R-4>西澤梵鐘鋳造所

2005-12-20 17:19:44 | R-4>水野氏諸他参考資料



㈱西澤梵鐘鋳造所 
  滋賀県東近江市五個荘三俣町274 Visit :2005-11-21 10:20


 これまでに、水野太郎左衛門家、水野平蔵家等の梵鐘・喚鐘などの採訪をしてきたが、現在では両家共に鋳物師職を行っておらず、したがって鋳造も為されていないことから、今般、その製法を知るために、滋賀県の由緒ある鋳物師をお訪ねし、ようやく念願の鋳造所を見学させていただくことができた。

 西澤梵鐘鋳造所は、九代三百年にわたり、代々鋳造を家業とし、伝来の技法を受け継ぎ、厳選された資材と堅牢で緻密な型とを用いて、美麗なる仕上がりと荘重なる音響を第一義とし、精魂込めて各種梵鐘・喚鐘・鰐口・双盤などを鋳造してこられた。
創業がおよそ三百年前というと、宝永年間(1704--1710)ぐらいとなるのであろうか。
水野太郎左衛門家では、七代 水野太郎左衛門政貞が、延宝七年(1679)に生まれ、宝永三年(1706) に相続しているから、同時代ではなかろうかと推察される。
  当社は、愛知川西約11Kmの旧中山道沿いに在り、民家風の門の脇には大きな鐘が置かれており、この鐘が鋳造所であることを示しており、邸内には出荷間際の完成した梵鐘が梱包されていた。事前に電話予約しておいたことで、社長(鋳匠)自らが先に立ち懇切に鋳型の説明などをしてくださった。先ず鋳型の原料となる野洲の粘土と琵琶湖の砂で、これらは繰り返し使われているそうである。鋳型に細かく丁寧に型押しされた模様が朝日を受けて鮮明に陰影を作っている。定規や木型は代々受け継いできた物であり、その歴史の重みが素人目にも感じられる。次に、青銅(銅に錫を加えた合金)などの金属を溶解するための「こしき炉(吹屋)=木炭溶鉱炉」の幾つかを見せていただく。これらは鋳造する物の大きさにより選択するそうである。土中に掘られた縦穴に中型と幾つかに分かれた外型をセットし、こしき炉でコークスにより千二百度程度の高温火力で溶解された青銅の湯が、外型と内型の隙間に鋳込まれ、そして長い時間をかけ冷まされる。冷えた梵鐘は型ばらしされ、写真のようにタガネやハンドグラインダなどで修正し、表面を綺麗に磨き上げてできあがる。
 また工場の裏庭には鰐口が吊されており、特殊な薬品を使い永い月日をかけて徐々に表面に美しい緑青を作り出すという、歴代の伝統工法を頑な迄に守っておられる鋳匠の心意気に感銘を受けた。
 こうしてできあがった鋳造品は、日本全国はもちろん海外までにも出荷されているとのことであった。筆者の住む愛知県にも瀬戸市城屋敷町の慶昌院に当社の梵鐘が吊されていると事前に知ったので、写真撮影をしてきたものを併載した。


☆旅硯青鷺日記
 採訪日は、当社に向かう前に名神彦根インターで下り、予てより一度観たいと思っていた彦根城を見学した。なかなかに趣があり威厳に満ちたお城と素晴らしい庭園に心躍った。
 その後、当社に向け一路国道8号線を西に走り、愛知川(えちがわ)から五百メートル西で、国道が分岐しているところを左の旧中山道に入る。三百メートル程行くと、旧五箇荘町役場を右に観てさらに三百メートル行くと、閑静な佇まいの当社が左手に見えた。
ちょうど朝の休憩時間で二人の鋳物師さんが休んでおられたが、快く迎入れたくださった。撮影後、母屋に案内され、数々の賞状を拝見する。まさに旧家といった趣で黒い格子戸が年季を感じさせる。帰りには車が出て行くまで丁寧に見送っていただいた。ここに改めて御礼申し上げます。


Update 2011.01.08
[解散公告]
当社は、平成二十二年十一月三十日開催の株主総会の決議により解散いたしましたので、当社に債権を有する方は、本公告掲載の翌日から二箇月以内にお申し出下さい。
なお、右期間内にお申し出がないときは清算から除斥します。
平成二十三年一月七日
滋賀県東近江市五個荘三俣町二七四番地
株式会社西澤梵鐘鋳造所
代表清算人 西澤吉太郎

















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