気になること

視点を変えて、近頃気になること

傾聴ボランティア(4)認知症の方の傾聴

2015-01-22 12:59:15 | 傾聴
 認知症が進んだ方の傾聴は、「ことば」によることが難しくなる。
しかるに、「聴」の旧字は「聽」で、偏の『「耳」は「王」様』、旁は『プラス「目」、そして「心」で受け止める』という文字から成り立っており「暖かさを交換すること」を表しているという。すなわち、「聴く」とは、耳だけでなく目や心でも受け止めることを意味していて、ことば以外のコミュニケーションによって、認知症の方にも「傾聴」が出来る可能性がある。極端な場合は、側に寄り添うことでもよいと言われているが、沈黙が続くと恐怖に襲われることもある。タッピングタッチもよいとされるが、これは研究中。
 ことばが少しでも交わせる方に対しては、長期記憶の扉を開くような開かれた質問をしたり、季節・日時を時々伝える、ここはどこか、安全な場所であることの確認や、今何をしようとしているのか、などの繰り返しの「言葉がけ」で安心してもらうようにするが、何かしら受け答えをしていただくと、うれしく感じる。
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傾聴ボランティア(3)「いま、ここ」

2015-01-19 20:21:00 | 傾聴
  傾聴ボランティアの会(ピアーグループ)には大勢が登録しているが、多くの老人介護施設があるので一ヶ所に行ける人数には限りがある。その施設にも多数の方がおられるし、あるインターバルでしか行けないので、いつも同じ方の話を聞けるとは限らず、また高齢のためもありボランティアの顔を覚えていてくれる方は少ない。したがって、いつも初対面と同じ状態で会話を始めるので話が積み上がらないことが多く、傾聴ボランティアをやってどのような効果なり意味があるのか、という疑問にぶつかるボランティアも多い。
 「Here and Now いまここ」ということばを初めて聞いたのは、「傾聴ボランティア講座」を受講した時であった。いまここで楽しい事を思い出させてやるのが、傾聴者の役割であるという。そのときは、「いまここ」でたまの楽しい時間を持っても、かなり刹那的ではないか、楽しいことが持続しないでお互いに寂しくないかと懐疑的であった。それ以来ずっと、「いまここ」が気になっていた。
 TVで見たが、おそらく認知症の方の様に、記憶を失いながら「いまこの瞬間」のみを生きていると思われる方々には、傾聴活動をする我々にも、「いまここ」の対応が必要かもしれない。
 A・スマナサーラ著『自分を変える気づきの瞑想法』には、瞑想の効果についてではあるが、「誰もが過去(悩みなど)と将来(心配など)に思考をめぐらせ、今を生きようとしない」、「今を生きれば、人生は成功し幸福になれる」とある。
 むろん企業などでは、将来に思考をめぐらせる必要があり、「いまここ」も場面により異なるニュアンスで使われている。しかし両者の共通点を謎掛けのように考えると、奥深い意味も感じられる。
 先日、ある施設に傾聴ボランティアにお邪魔したとき、90歳を超えた女性から次のように言われて驚いてしまった。すなわち「長生きすると、あなたのような人と話ができて本当によかった」と。これも「いま、ここ」だと実感した。このようなことを言われる方に初めてお目にかかった。この方は多分ショートステイなので、次にお邪魔した時にまた会えるかどうかは分からない。
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傾聴ボランティア(2)共感と受容

2015-01-04 15:49:29 | 傾聴
 傾聴には、相手の話を相手の身になって気持ちを感じ取るように聴く「共感的理解」や、相手の言うことを無条件に受け止め相手の考えや意思を大切にする「受容的態度」が必要である。
 受け売りであるが、木下映画では、映画の中で愚痴を言う場面があり、話者は愚痴を聴いてもらうことで、よく分かってくれていると感じる(共感)という。
 ボランティアも「HELPする人から、SUPPORTする人へ」変わるべきと言われる。HELPする人は、支配・従属的なタテの関係であり、SUPPORTする人は支援的・協力的なヨコの人間関係であるという。施設に傾聴に行って、利用者さんから「先生」と呼ばれてしまうようでは、SUPPORTする人とは言えないと感じる。
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