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地方自治の危機(追記12)… 弁護士とは(その1)

2016-05-06 16:30:10 | 地方自治
 住民訴訟の被告側の自治体は、当然のように市民の税金で顧問弁護士を立て、市民の疑義申し立てをつぶそうとする。弁護士は自分の意見とは異なることでも、それが正しいと主張する職業であることを示す顕著な例がTV放映にあった。
 <BS1:世界のドキュメンタリー『民族浄化を弁護した男』(2015.10.7放送)>
 1991年のユーゴ解体に伴う、ボスニア・ヘルツェゴビナ民族紛争で、異民族に対する虐殺・強姦・強制収容などの民族浄化が行われた。セルビア系勢力の首謀者と目されて、後に逮捕されたスロボタン・ミロシェビッチとラドバン・カラジッチの弁護を、若いセルビア人弁護士マルコ・スラドイェビッチ氏が引き受けた。彼は、ボスニアよりは虐殺が少なかったベオグラードにいたので、当初は虐殺の首謀者と言われていたミロシェビッチに抗議していた。しかしハーグでの裁判では、「二人の罪業についてはプロパガンダなどで知った程度であり、セルビア側の加害というよりむしろ被害者ではなかったか」と、民族浄化を弁護する側に立った。
 記者が、「(首謀者といわれる)被告の無実を信じることは弁護をする上で重要か?」と当弁護士に尋ねた答えは、「弁護士としての立場と、個人の考えは別物」、「相手が誰でも、その権利を守ることに心を砕きたい」、「真実を突き止めたい」など。弁護士は、人としての倫理観より、弁護士としての倫理観を優先しやすい、という。この弁護士は、「事実はどうか」、「セルビア人も虐殺されているのだから、セルビア系の犯罪のみ責められるか」など自分が弁護側に回った理由を逡巡して納得しようとするが、友人は、「事実」より「弁護士の信念」に従うべきだと言う。
 セルビアで指導的立場にあった被告の二人だが、「虐殺はしていない」とか、「虐殺されたという異民族の自作自演ではないか」、「戦争回避に努力し市民の苦痛を減らしたのだから、裁かれる代わりに善行の褒美を与えられるべきだ」など、民族的紛争で直接的な証拠が無い事件だけに、「ことばにしての言い方」というものは、第三者の気持ちをも変えてしまいそうだ。
 村が襲われ、家族を失った遺族の嘆きは気も狂わんばかりである。戦争犯罪および人道に反する罪を犯したとして国際手配されていた容疑者である。その弁護をする人を、世間は理解できないと伝える。
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