老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」

2020-07-16 08:55:39 | 介護の深淵

1596 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」

資料を整理していたら『銀の輝き』第13号 1993年10月27日発行 
老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告 ~いま、在宅介護は!~」
老人保健施設に勤務していたときに発行していた機関紙を手にした。

1年6か月余りホームヘルパーとして訪問介護に従事されていた
社協ホームヘルパー 湯川文子さんの実践報告 3事例が掲載されていた。

27年前の訪問介護の実践ではあるけれども
いま読み直しても、考えさせられるところが多く、
掲載することにしました。

【事例1 夫 ねたきり、 妻 認知症】
 現在、担当しているのは3ケースであります。
最初のケースは、介護、家事の両方を援助を行っております。

老夫婦ぐらし、夫は脳梗塞、左半身麻痺、歩行困難。
妻は脳梗塞、パーキンソン、認知症の病気を抱えています。

最近、両親を支えておられた息子さんが脳梗塞になりました。
大事に至らなかったが、今後通院と療養が必要で退職となり、
息子の嫁は、働きながら、夫と義父母の介護を頑張っておりました。

しかし、彼の身内から介護のやり方について批判があり、
長男嫁は精神的に大分疲れ切っておりました。

ねたきりの夫は、食べることも水を飲むことも排せつすることも
すべて人手を必要とします。
妻を頼むしかありません。

しかし、妻は痴呆(当時は「認知症」とは呼ばず,痴呆と表現されていた)があるために夫の状況がのみこめません。
「ずるいから、自分でせいな!」、とつかみあいの喧嘩になることもあります。
そのために、息子夫婦のところへ、夜中呼び出しの電話が入ります。
息子夫婦は二人の話を聞いて調整します。
翌日、息子夫婦はお互いに仕事があるのでかなり負担になります。

この間、夫は骨粗鬆症で腰を痛め、40日間ほどまったく右も左も向けない状態でありました。
半月ほどは見るに見かねてかかわりました。
排便するときは動けないので、結局パンツのなかに大便をするしかありません。
おむつをあてると尿瓶でオシッコがとれない。
左半身麻痺があり動きが困難であります。

臭いがして「おじいちゃん、どうしました」、と聞くと
「便にまみれているんです」。
それで家事援助で入ったホームヘルパーでありますが、
お湯を沸かし、彼の身体を拭きました。

それから半月ほど様子を見てから、息子夫婦に相談をし介護援助のホームヘルパーも申請しました。

妻もその便を一生懸命処理してあげようという気持ちから
(便が付着した)畳をこすったりチリ紙で包んで庭へ捨てたりなど、40日間パニック状態でした。

幸いなことに現在は、なんとかひとりでトイレに行けるようになった老夫。

夫はこのときから「もう、死にたい。死にたい。私は何のために生きているんだ。生きていることはつらいよ。
だけど、死ぬことも自由にできない」、とわたしによく話をしていました。
ホームヘルプに行っても、二人だけで寝ていたり、テレビを観ていたりなど
二人の様子を見ていると穏やかそうに映りますが、
本当は死についてじっと考えているときもあるおじいさん。

少しでも元気をだして、前向きに暮らしてもらおうと季節の花を花瓶にいれて
「いい匂いだね」」、と枕元に置いてみたり、
彼に「昔、機関車に乗っていたんでしょう。
運転手のお話を聞かせて」、と聞いたり、
世の中の出来事を話してみたり
なるべく元気がでるように援助を行ってきました。

在宅福祉にかかわるものは、老人の心理を知らないでは
すまないことを本当にここでおもい知りました。
(以上)


ホームヘルパー 湯川文子さんは
路端に咲いている花をつむぎ
花瓶に飾ることで
老人の気持ちをやわらげよう、と
プラスαの支援をなさっていた。
介護保険による訪問介護では
ゆっくりと老人の話を聴く余裕もなく
時間に追われている。




お金では買えない大切なものは何か・・・・

2020-07-15 19:44:02 | 阿呆者
1595 お金では買えない大切なものは何か・・・・

お金は「ない」よりは「あった」ほうがいい
お金は有っても「邪魔な物」でもないから「あった」ほうがいい
お金は生活に「困らない程度有れば」いい

では、どの位有ればよいのか
人それぞれ違う

雨風しのぐ屋根つきの家と
米と味噌があれば生きていける

人間の欲望は「キリがない」
お金が有れば
贅沢ができ「幸福」な気持ちにさせてくれる

お金では買えない大切なものは何か、と尋ねられたら
・・・・・・・
お金より大切なものは何か

人をおもいやる気持ち(心)
人を慈しむ気持ち(心)

その気持ちがあればお金がなくても幸せを感じることができる

お金に惑わされ、お金の多少で幸福感が変わる、と錯覚しがちだが
老いて必要なものはお金ではなく元気に生きられること哉



脚本・大石静『大恋愛 ~僕を忘れる君と~』(扶桑社文庫)

2020-07-15 06:19:24 | 読む 聞く 見る


1594 脚本・大石静『大恋愛 ~僕を忘れる君と~』(扶桑社文庫)

TBSで放映された『大恋愛』
若年性アルツハイマー病で、自分さえも忘れてしまう恋人(妻)
『頭の中の消しゴム』の物語を想い出す。

とても読みやすかったが、内容は重い

91頁から92頁にかけての言葉がいまも余韻として残っている
「人は誰しも、残りの持ち時間に追われている。そして死に向かって走っている」

「だからと言って、そのことは普段は意識しないものだ。
でも彼女は違った。生まれた時から、残り少ない持ち時間を知っているかのごとく、
全力で走っていた」


「病気が進行するより前に、心が壊れてしまう」(177頁)
「これまで生きてきたあこと、学んできたことが、指からどんどんこぼれていく感じ・・・・」(177頁)

記憶や時間が指のすきまからこぼれ落ちてゆく
残りの時間は少なり、死が背後から近づいてくる

それだけに、いま生きている時間が
二度と繰り返すことのできない時間だけに
いま、という瞬間、瞬間を生きる



コロナ感染をわかりやすく考えさせてくれる『カエルの楽園2020』

2020-07-14 21:02:08 | 読む 聞く 見る
1593 コロナ感染をわかりやすく考えさせてくれる『カエルの楽園2020』

カエルの世界に蔓延した「新しい病気」は、コロナウイルスと同じ原因不明の感染症
ウシガエルの国は中国
ツチガエルの国は日本
そんな印象を受けた

ツチガエルの元老院(国会議員)は、
新しい病気を甘く見ていて、新しい病気の感染対策防止を怠った。

「危機的な状況の時こそ指導者の本当の能力がわかる、と」(『カエルの楽園2020』128頁 

指導者や国会議員が、感染症防止のためにどれだけ行動を起こしているのか
マスコミのあり方も問いている

終章Ⅱ(リアルエンディング)の頁では、
中国との外交関係は、日本の将来に暗い影を落とし、日本の運命を大きく変えることになる、と
それだけに日本の外交は、アメリカ追随でもあったり、中国や朝鮮に気兼ねをしている。
そのようなことも『カエルの楽園2020』を読み、考えさせられた。

「今、なにをするべきか、なにをどうすれば、最善の道が開けるか。
そのために私たち、何を考えるべきか。ツチガエル一匹一匹が真摯に、誠実に、
問題と向き合うことが大切です。今まさに、それを真剣に考える時がきています」
(前掲書 144頁)

元老員(国会議員)のカエルは、痩せているカエルは一匹もいない
ツチガエルは痩せ細り、いまにも倒れそうなカエルたちばかりであった

読みやすい『カエルの楽園2020』であったけれど
提起している問題は多岐にわたっていた


話は個人的なことになるけれど
左膝関節が壊れかかり
骨と骨がうまく噛みあわないときは
痛みが走り、膝が曲がらず、脚が棒のようになってしまう
歩けなくなると大変になる
右膝は、また水が溜まり「ヒトコブラクダ」のような足。

金曜日にでもまた整形外科に通うとするか


親父(ちち)の命日

2020-07-10 19:55:41 | 阿呆者


1592 親父(ちち)の命日

今日 7月10日は
親父(ちち)の命日
50年前に大腸癌で亡くなった。

50年前の医療技術では
命を救えず余命を宣告された。
親父は風邪ひとつ引かない健康そのものであった。
それが、最初の病気が大腸癌と診断された。

親父が生きていたら
自分の人生は変わっていただろう、と思う。

寂しいのは親父と酒を酌み交わすことができなかった。

親父が亡くなる7月10日の朝は晴れていた。
息を引き取る寸前 親父は物凄い力で手を握りかえした。
その感触を想い出すことがある。


こぼれ落ちる砂

2020-07-08 06:20:50 | 空蝉
1591 こぼれ落ちる砂

農村で生まれた自分は
海は遠い存在にあった
ニセコの山々の向うを越えると
日本海だった

知らない海の砂浜で
両手ですくった砂は
指のすきまからこぼれ落ちてゆく

自分の記憶もすきまこぼれ落ちてゆく
あなたの名前も顔も誰だかわからなくなり
こころも自分も壊れていく
いっそう記憶が失せないうちに死にたい

こぼれ落ちゆく砂は時間のようでもある
両手ですくった砂は
指のすきまから時間がこぼれ落ちてゆく

松本清張の小説を想い出した
砂の器は脆く壊れやすい

砂浜に押し寄せた波で
「砂の器」は脆くも壊れてしまった

知らない海辺で
時間を忘れ 
老いであることを忘れ
皴くれた両手で砂をすくい
指のすきまから落ちる砂を
眺めてみたい


観てから読むか、読んでから観るか

2020-07-07 04:33:27 | 阿呆者
1590 観てから読むか、読んでから観るか



いま、NHK土曜ドラマで『雲霧仁左衛門』が放映されている。
テレビドラマの雲霧仁左衛門は面白い
誰一人殺さずに豪商から多額の小判を箱ごと盗み去る。

テレビドラマの面白さに刺激されて
文庫本『雲霧仁左衛門』前編・後編(新潮文庫)は700頁に及ぶ物語。
テレビの映像(役者)が頭に浮かんでしまう。
文庫本の後編は、雲霧仁左衛門の盗みは失敗し
ちょっと肩透しの印象だった。

かなり昔になるが、森村誠一さんの『人間の証明』が
映画でも小説でも話題になり
「あなたは、観てから読むか、読んでから観るか」、と言われたものだが
自分の場合は、「読んでから観る」派である。

何故なら、先にも書いたように
映画やテレビで先に観てから
本を読むとどうしても
主人公や脇役など役者の顔や仕草が浮かんでしまう。

本を先に読むと
小説に登場してくる人物像は
自分のイメージで想像したり
言葉や文章ひとつひとつにも
じっくりと考えることができる。
映像はその場面がいい、と思っても
次から次へと場面が変わり、考える暇もない。

読んだうえで
映画やテレビを観ると
それはそれで楽しい
主人公役の役者の演技は
その役にはまっているかどうか
主人公を演じている役者のシーンを観て
「いい映画だった」、と感想を抱き映画館を出ることもある。

今日は、とりとめもないことを書いたような感がする(苦笑)




介護とは ⑳{申し訳ない}

2020-07-05 10:31:55 | 介護の深淵
1588 介護とは ⑳{申し訳ない}

あと少しで透析を終えようとしたとき
血圧が急激に下がり90/40の数値になり
胸がしめつけられ、嘔吐しそうで、便意をもよおしてきた

看護師を呼んだが間に合わず「便失禁をしてしまった」。
我慢をしたのだが、我慢しきれず肛門括約筋は、私の言うことを聞かずに緩め解放してしまった。
大人になってから初めての便失禁
あともう少しで透析を終えるところだったのに・・・、と思っても
あとの祭りであった。

ナースコールを押し「便失禁した」ことを看護師に伝えた。
肛門から臀部にかけ便がまとわりつき気持ちが悪かった。
透析をしながらの状態で、男性看護師は便を拭き取り紙おむつをつけた。
もう生きた心地がしなく、「申し訳ない」「すいません」の言葉を繰り返し話していた。




幸せを感じる

2020-07-04 09:55:35 | 阿呆者

beagle genki;寝ているときが幸せな僕


1587 幸せを感じる

幸せは与えるものでもなく
幸せは与えられるものでもない
幸せは感じるもの

雨上がりの晴れ間に
虹を見たとき
何故か心が躍る

虹を見ると
何かいいことがありそうな気がする
虹は幸せを感じさせてくれる

幸せはそこにあり
幸せは感じるもの


7月の雨降りで歓んでいるのは

蝸牛
紫陽花



ポンコツ躰

2020-07-03 15:16:31 | 阿呆者

今日は歩きたくない、と舗装に這いつくばっているgenki


1586 ポンコツ躰

ネガティブな気持ちになってしまうけど
実年齢より拾歳は躰は老けてしまった

今日早朝から順番をとり 札は「6」番目だったが
会計を終えたのは13時半近かった。

整形外科を受診した
MAIの結果、頸椎椎間板ヘルニアであると診断
画像をみたら頸椎5番、6番のところであった。
PC操作のときは首が痛く怠い感じがするのと
ときどき首の動かし方により左上肢に痺れが襲う

左膝関節に痛みがあり、半月板のところがスムーズに動かないので
ヒアルロン酸注射をした
右膝は、ヒトコブラクダの如くコブ(瘤)がゴムボールほど膨らみ
水抜きをした。60ccほど黄色い水がでた。

血栓によるものかわからないが
両腕は、皮下出血の如く、皮下は赤く斑点のように
腕全体に模様ができている。

慢性腎不全症が多疾患を作り出している元凶であり
1つの臓器が悪い、心臓に悪さをもたらし
血流の流れも悪くなる
脳梗塞になるのでは、と気がかりになる。

ポンコツ車は上手に運転すれば走る
ポンコツ躰も「健康管理」を行い、老いを生きるしかない。

慢性腎不全の薬(免疫抑制剤)との兼ね合いがあり
整形外科で処方したい薬が腎臓に負担をかけないかどうかは
腎臓外科医に聞かないとわからないところもある

ワファリン(血液サラサラの薬)を服用していることもあり
左眼が充血しやすく、気になるが、眼科医は「大丈夫だ」と話される
長時間のPC、TV鑑賞は避けたほうがいいのかも

左膝と頸椎(首)を労り、いつまでも直立歩行ができるよう願っていきたい

若いときから運動をしてこなかったツケが
老いたいまになって、そのツケが回ってきたのかな

心疾患から「走る」ことは許されず
歩くことも左膝の痛みでままならぬ

ポンコツ躰を嘆いても
自分の躰
躰をいたわり死ぬまで上手に動かすしかない

beagle genkiもヘルニアで一時余り散歩ができなかったけれど
グルコサミン180ccを毎日服用し いまは元気に歩いている


最後の物語

2020-07-02 06:44:04 | 阿呆者
1585 last story

昨日深夜2時前 変な夢で覚めた
自分が自問自答しているのか、わからなかったけれど

”自分が自分であり続けるには
残りの人生
誰かのために役立つことをする”

その言葉が頭の中を反復された。

老いに入り
老いの先は「終わり」となる。
自分の人生にとり
「最後の物語」となる
いまから、どう過ごすか

夢の中で囁かれた
「誰かのために役立つことをすること」
自分がこうして、いま生きていることに”感謝”せねばならない

介護とは ⑲{日常生活行為に勝るリハビリなし}

2020-07-01 04:37:11 | 介護の深淵


1584 介護とは ⑲{日常生活行為に勝るリハビリなし}

介護保険サービスがスタートしたことで、
介護施設やデイサービスなどの介護サービスの質はアップした。

自分は、平成元年の年に老人介護の世界に足を踏み入れた。
当時、おむつをしている老人は、誰もがベッドの上で交換をしていた。
歩けない老人をベッドから起こし、車いすに乗せ、トイレまで移動介助し洋式便器に移乗させ、排せつケアを行うことを提案したら
介護員から猛烈な反対(ブーイング)が起きた。

介護保険サービスが始まり
良心的な介護施設やデイサービスやショートステイの事業所では、トイレで排せつケアを行うようになってきた。

老人の基本動作
❶仰向け、寝返り 👉 ❷起き上がり 👉 ❸座位保持 👉 ❹立ち上がり 
👉 ❺立つ(つかまり立ち) 👉 ➏歩行


ベッドからトイレまで、杖や歩行器を使って歩ける人は、歩いてトイレに行く。
ふらつき転びやすい人は、車いすではなく歩行介助により、歩いてトイレに行く。

歩けず、車いすにより洋式便器まで移動する人(車いすを操作できる人は自分でトイレまで行く)。

車いすの人が洋式便器の前に着いた、としましょう。
①車いすから、「立ち上がる」👉②手すりにつかまり「立つ」{(何秒=どの位)つかまり立ちができるか}
👉③軸足を回転させ「屈み」、洋式便器に「座る」 👉④「座位保持」(座位保持が不安定な人は、介護者はからだを支える)
👉 ➄ 排せつし、お尻を拭く 👉⑥ 「立ち上がる」 👉 ⑦手すりにつかまり「立つ」 👉⑧ 軸足を回転させ車いすに「座る」

一連の排せつ行為は①から⑧まで行われる
この①から⑧までの各動作①②③④➄⑥⑦⑧において
老人によって、自分で「できる」、介護者の「手助けによりできる」、「できない」の段階がある

自分「できる」「手助けによりできる」のに
介護者の時間的都合や過剰介護により、介護者が全介助によりやってしまっては
「できた」動作も、「できなくなり」老人も依存的になってしまう。


身体が不自由になり、筋力や体力も低下してくると
老人の動作は鈍く時間がかかってしまう。

そんな老人の遅い動作を「待つ」ことができない介護者は
介護者がやってあげた方が「早い」(効率的な介護)からやってしまう

老人介護も子育ても 本人の行動を見守り(時には手を添えるような介助)しながら「待つ」。
「待つ」ことが肝心

日中、トイレに行く回数を4回とすると
一月で120回
一年で1,440回にもなる。

介護者からすべてやってもらった排せつ行為は、手足の筋力維持どころか、筋力の低下を招く。
一方、手助けを得ながらも「自分でできる」よう一部介助されている老人は、
一月の「立ち上がり」は、1回の排せつにつき2回(①、⑥)あり、月に240回(120回×2回)にもなる。

全介助の老人の立ち上がりは、0回
一部介助の老人の立ち上がりは240回
日々の介護の積み重ねは大きい。
介護は手間がかかるけれども、得る果実がある。

病院の機能訓練室で歩行訓練や手すりにつかまり、立ち上がりの訓練はなされ
脳卒中患者の機能回復には欠かせない。

機能訓練室で為されたリハビリを日常生活行為に結びつけることが大切になってくる
機能訓練室で行った「立ち上がり」を
トイレでの「立ち上がり」につなげていくことである。


手助けによりできた立ち上がりは
一月に240回の立ち上がり動作を続けていくと
手助けなしで立ち上がりが「できる」ようになる
排せつは毎日必ずある
排せつ行為(日常生活行為)に勝るリハビリなし

くどい説明になったような感じがしますが
元気な人は、考えることも悩むこともなく、当たり前のように排せつ行為ができる。
手足や体が思うように動かない老人にとって、排せつのときほど
「人様の世話を受けるくらいなら死んだ方がいい」、と思ってしまう。