1602 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❹(最終回)
草むらのなかに咲いた百合の花
自ら命を絶ったひとり暮らし老人
自ら死を選んだ老人について述べていきたい、と思います。
昨年からかかわり6か月間、家事援助(生活援助)をさせて頂きました。
最初の出会いは、病後の身体でひとり暮らし(82歳)で、妻は亡くなっていました。
彼は体力が低下しないようにと少しづづ散歩をしたり、
できることは自分でやるというように、前向きに生きていた方でした。
師走を迎えホームヘルパーの援助機嫌が切れた後のことです。
1月3日、私の家に「腰を痛めた。動けないよ」、と電話が入りました。
翌日、早速訪問しました。
家の中は荒れ果てており、彼は「起き上がるのに1時間かかるよ。入院したい」、と訴え
ベッドに伏せておられました。
その姿を見てただごとではないと思い、
息子夫婦と市の社会福祉協議会に電話をしました。
5日民生委員に付き添われ受診、その結果骨折ということで入院になりました。
そして、1か月が過ぎ「今日退院したよ。いろいろありがとう」、と受話器から彼の喜びが伝わってきました。
「春が来る頃までには腰もすっかり良くなるわね」、と応えました。
しかし、その後、彼の気持ちは暗くなり何度か電話がかかってきました。
「何時までもかかわってあげたいけど、ヘルパーとしての規則もあり頻繁に訪問できないの。
新しいヘルパーが来るまで頑張って・・・・。ごめんなさい。息子さんや民生委員さんにすぐに相談して、
ヘルパーの派遣をしていただくように」、と話をしました。
社協にもこのことは報告をしておきました。
電話の2,3日後、社協から「驚かないでください」、と自殺の連絡を受けました。
私は驚き混乱しました。
彼は、どんな思いで、自らの命を終わりにしたのか。
不安な心で必死に助けを求めていたのに、
規則を重んじ訪問しなかったことに非常に後悔しました。
「湯川さんの親切は仕事のうちだったんだな」、とそう彼に言われているような気がしました。
これだけが原因とは思いませんが、
心を抜きにしてヘルパーの仕事に対処したことはないだけにショックでした。
老人が特定のヘルパーに電話をしなくてもいいような在宅サービスの体制づくりが求められています。
在宅福祉は、福祉サイド、医療サイド、保健サイドが一つになって組織をつくり、
縦も横もつながりを持っていくことです。
そして、地域ぐるみで在宅福祉をとりこなかったら、”3時間ホームヘルパーが活動したから、この家は安心だ”
”訪問看護師が来ているから安心だ”、とは言えないと思います。
4つの事例を通し、27年前のホームヘルパーの活動を紹介してきました。
介護保険制度のスタートにより、在宅福祉は、福祉、医療、保健の連携調整は
介護支援専門員(ケアマネジャー)が担うようになりました。
地域とのつながりはいまも模索していますが
27年経っても地域とのつながりは悩ましく
地域力そのものが痩せ細ってきているような感がします。
どこまでかかわるべきなのか、いつも自問自答しています。
地域包括支援センターから、「かかわりすぎ」「距離を置いたほうがいい」
「自分の身体がもたないよ」などと、苦言を頂くこともあります。
老人の呟きや聲なき聲を
どこまで拾い切れているのか
湯川さんは「在宅福祉にかかわるものは、老人の心理(気持ち)を知らないではすまない」、と述べておられます。
本当にそう思いました。