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ヘナチョコ革命 2020年版

世界を変える・・・

川崎中1殺害事件から6年…泥酔し刺殺した加害少年へ父親の怒り

2021-05-15 06:36:46 | いじめ
川崎中1殺害事件から6年…泥酔し刺殺した加害少年へ父親の怒り
2/19(金) 13:02配信https://news.yahoo.co.jp/articles/3f4148bb2fdc9ade6170c6c0673a7120e87de6c0
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事件直後の現場の様子。遼太君が好きだったバスケットのボールや大量の花がたむけられた。15年2月撮影
今からちょうど6年前、神奈川県川崎区にある多摩川の河川敷で中学1年生の男子が惨殺された。 【画像】47ヵ所切られ殺害された遼太君 事件直前の顔面のキズ&夢をつづった「文集写真」 名前は上村遼太君。バスケットボールが大好きな、笑顔のかわいい少年だった。 遼太君は5人きょうだいの次男。小学校時代の大半を島根県の隠岐諸島にある西ノ島で過ごした。だが、島での生活は小学6年生の時の幕を閉じる。離婚、困窮……。そんなことが重なり、実家のある川崎へ引っ越したのだ。 母親は生活保護を受けるなどして暮らしていたが、狭い集合住宅には5人きょうだいがひしめき合うだけでなく、母親が連れ込んだ新しい恋人までいた。 思春期の遼太君にとって、そんな生活が心地良いものではなかったのは想像に難くない。彼は中学1年の夏休み頃から夜遊びをくり返すようになった。地元の先輩グループとつるみ、神社で賽銭泥棒をしたり、スーパーやコンビニで万引きをしたりした。3学期からは不登校になった。 そんなグループの中にいたのが、主犯の少年A(事件当時18歳)だった。少年Aは遼太君とゲームやアニメといった共通の趣味でつながり、数日に一度は会って遊ぶ仲だった。 だが、少年Aは些細な勘違いから、遼太君が自分を裏切ったと思い込む。そして2015年2月20日未明、仲間の少年B(同17歳)と少年C(同18歳)とともに多摩川の河川敷に遼太君を連れて行く。そしてカッターナイフで代わる代わる43回も切りつけ、命を奪ったのである。 ******************** 事件から約1週間後、加害少年3人は警察に逮捕された。 メディアが大々的に報じたこともあって、人々の関心は川崎という地域性と、少年Aらの残酷性に集まった。 工業地帯の中心地である川崎には、大きな競輪場や風俗街があり、外国人労働者も多数暮らしていた。そんな街で少年たちが夜遊びや非行をくり返した末に、殺人事件を起こしたこともあって、メディアは当時世界を震撼させていたイスラム国(IS)を真似て「カワサキ国」などと呼んだ。 また、少年Aと少年Bがフィリピン人の母親を持つハーフだったことから、ネット上では人種差別的な発言がくり返された。外国人の血がこのような事件を起こしたのだというように。 私は『43回の殺意~川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(新潮文庫)の取材で、遺族や加害少年の友達を含む多くの関係者にインタビューした。その経験から言えば、あまりに多くの感情論が、事件の本質を覆って見えなくしたと考えている。 ◆父親が考える二つの事件要因 私は遼太君の父親にもインタビューを行った。父親が考える事件の要因は、大きく二つある。一つが家庭裁判所や保護観察所の無責任さであり、もう一つがアルコールだ。順に見ていきたい。 加害少年3人のうち、少年Aと少年Bは事件当時「保護観察処分」の身だった。 事件の数ヵ月前に少年Aは酔った勢いで通行中の一般人を鉄パイプで殴ってケガをさせ、少年Bはバイクの窃盗などで捕まり、それぞれ家庭裁判所に送致されていた。 家裁は2人を少年院へは入れず、保護観察の処分にした。保護観察所の指導を受けながら、社会の中で更生を目指す決定のことだ。 しかし、彼らは保護観察処分中にもかかわらず、毎日のように夜遊びをくり返していた。酒を飲み、賽銭泥棒や万引きをし、暴力をふるった。 保護観察所は月に数回面会をするだけで彼らの粗暴な行動を野放しにしていた。保護司もそれを把握していなかった。 そんな中で彼らが起こしたのが、今回の事件だったのだ。 遼太君の父親は、家裁や保護観察所の責任を厳しく問う。以下は『43回の殺意』に掲載したインタビューである(カッコ内は同書から一部引用した父親の発言)。 〈家庭裁判所が下した保護観察処分がまちがいだったことは明白です。本来は少年院送りにするべきだった。家庭裁判所には誤った決定をし、事件を招いてしまった責任があるんじゃないでしょうか。 保護観察所も同様です。保護観察官や保護司には、2人を観察する義務があったのに、彼らは明らかにそれを怠り、事件を起こしてしまっているのです。 これらのことについては、家裁での少年審判から裁判員裁判にいたるまで、何一つ言及されてきませんでした。そこを問題視することは、国の過ちを認めることになるので都合が悪いのでしょう。加害者の親に保護者としての責任は問うのに、国の責任に目を向けないというのは矛盾しています〉 ◆保護観察所の怠慢 この主張には、私も全面的に同意する。 家裁は少年Aと少年Bの問題行動を理解していながら保護観察処分にしたばかりでなく、保護観察所も彼らの行動を管理できていなかった。だとしたら家裁が下した処分は間違いであり、保護観察所は監督責任を果たさなかったと言えるはずだ。 私は本書を執筆する際、この問題を保護観察所に問いかけるべく取材依頼を行った。だが、返ってきたのは取材の全面拒否だった。 まず、少年が保護観察を受けていたという前提での話は一切できないと言われた。そこで私は譲歩する形で、事件とは別に保護観察所のあり方について意見を聞きたいと頼んだ。すると、彼らは、保護観察制度として大切にしているのが相手(少年)との信頼関係なので、取材を受けることで「保護観察所はこういうことを話すのか」という思いを抱かれることを危惧するとして断った。 保護観察所のこの主張ははたして正しいものだろうか。 裁判所は加害者2人が保護観察を受けていたことを明らかにしているので、その前提で話ができないというのは理屈が通らない。また、そもそも保護観察所と加害少年らの信頼関係が成り立っていなかったから、今回の事件が起きたのではないか。 そういう意味では、彼らの理屈は到底納得できるものではなかった。 もう一つ事件の要因となったのがアルコールだ。これは少年Aの特性が関係している。 少年Aは決して粗暴な不良というわけではなかった。むしろ、小学校時代からいじめられ、事件を起こした時も地元の元暴走族グループに追い立てられ、恐喝をされているような存在だった。 彼が属していた夜遊びのグループのメンバーも、みな元いじめられっ子や元不登校児だ。少年Aは弱い立場の人間たちとつるみ、その中で年下を相手にしていきがっていたにすぎなかったのだ。 だが、彼には大きな欠点があった。酒を飲むと、人格が変わって暴力的になるのだ。最初に保護観察処分になった暴行事件も、酒を飲んだ挙句に起こしたものだった。仲間内でも彼の酒癖の悪さは評判で、飲みはじめた途端に逃げる者までいたほどだった。 ◆酒を飲むと豹変…… 実は、今回の殺人事件を起こした時も、少年Aは酒を飲んで酔っていた。酒屋で少年Bや少年Cとともに焼酎を飲んでいるうちに怒りがふつふつと沸きだして抑えきれなくなり、遼太君を呼び出して、酔った勢いで殺害したのである。そうしたことから遼太の父親は次のように語る。 〈少年Aが殺人事件を起こしたのは、彼の酒癖の悪さが大きな原因です。彼は酒を飲むと別人になる。人間じゃなくなるんです。つまり、酒が人殺しの導火線なんです。 でも、酒癖の悪さは生まれ持っての体質です。少年刑務所へ行って、それが完治すると思いますか? せいぜい少年刑務所にいる間は強制的に飲酒を禁じられ、矯正プログラムの中では「出所後はお酒を控えましょう」と習うくらいでしょう。何の抑止力にもなりませんよ。 少年Aの酒癖の悪さが治らないのだとしたら、刑務所でどんなに言葉で反省を促すより、酒が絶対に飲めないような環境をつくる方が、再犯を防ぐという意味でははるかに効果的なのではないでしょうか。僕が「更生ありき」に疑問を感じているのはそこなんです。今回の裁判の有効性については、僕は疑いしか持っていません〉 アルコールと暴力の関係性は、これまでも再三指摘されてきた。 精神科医の松本俊彦によれば、「傷害および殺人事件の40~60%、強姦事件の30~70%、DV(ドメスティックバイオレンス)事件の40~80%にアルコールが関与しているとの報告がある」(毎日新聞2015年7月9日)とのことだ。 少年Aの詳しい特性については、拙著『43回の殺意』を読んでいただきたいと思うが、彼の暴力とアルコールの関係性は明らかだ。 だが、裁判は少年Aが未成年ということもあって、アルコールのことはほとんど議論にならなかった。少年刑務所での矯正プログラムにおいても、根本的な解決がなされるとは思えない。 少年Aは「懲役9年以上、13年以下」の刑を受けた。だが、遼太の父親が言うように、少年刑務所から出たところで、酒癖の悪さが治るわけがなく、再び酔って暴行事件を起こす可能性はある。 川崎で起きた事件は、大々的に報じられて大勢の人の注目を浴びた。 多くの人は報道やネットの書き込みを見て事件の全容をわかったつもりになっているだろう。しかし、事件が抱えていた本質的な問題は何一つ解決していないどころか、ほとんど議論さえされていないのだ。 事件から6年。そろそろ、少年たちは刑期を終えて順々に野に放たれることになるだろう。 悲しい事件が再び起こらないように、私たちは何をするべきなのか。そのことを今一度考える時期にきていると思う。 取材・文:石井光太 77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。
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いじめの被害者──小栗旬・安達祐実・水嶋ヒロ・芦田愛菜・岡田将生・松坂桃季・戸田恵梨香・秋元才加・加護亜依・

2020-11-21 03:29:30 | いじめ
■壮絶ないじめを受けていた芸能人12選
 https://matomake.com/I0004846


■2018年及び2019年の長野県の小中高校のいじめの状況

 以下の表で、「1000人当たりの認知件数(件)」が出てくるが、これはいじめ件数の総数を学校在学者数の総計で割って、1000を掛けたもの。私は何度計算──2019年の場合、10198(いじめ認知件数)÷243921(在学者数)×1000=41.8──しても表にある「45.1」という数字にならなかったが、長野県教育委員会に問い合わせると文科省が数字を調整していているようで、詳細は分からないという。近い数字が出たら、納得すればいいようである。


 見ても分かるように、長野県分のいじめ認知件数の総数はわかるが、各市町村教育委員会が把握しているいじめ認知件数は分からない。どうやら個人で問い合わせて聞いてみるよりないようだ。教育委員会によっては回答拒否の場合もあるようだ。小中学校の在学者数の極端に少ない町村などでは、例えばいじめが1件あったと公表されると、あらゆる憶測が入り乱れ、人権問題を引き起こす可能性は確かにある。ただし、考えてもらいたいのは、もし人口の少ない町村に"先進的ないじめ防止条例"があった場合には、どうなるかということだ。多分、そこの教育委員会は公表するであろう。事実と向き合わなければいじめ対策が改善されていかないからだ。どんな立派ないじめ防止条例があっても、いじめを完全に防ぐことは不可能だからだ。例えば小野市(兵庫県)の場合はどうだろう?小野市には先進的ないじめ防止条例があるが、COVID-19の流行で何が起きたのだろうか。恐怖や不安にかられると、人は正体を現すのである。大人でも起こることは子どもでも起こるから、いじめはいくら駄目と教育し続けても、何かのきっかけでいじめは起こるのである。私たちはいじめ根絶運動を地道に永遠に続けていくしかないのである。
 
 
  
■医師ら感染の病院「職員にタクシー乗車拒否など差別」抗議声明
2020年3月23日 21時37分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200323/k10012345941000.html

医師や看護師が新型コロナウイルスに感染していることが確認された兵庫県小野市にある病院が、タクシーへの乗車を拒否されるなど職員が不当な差別を受けているとしてホームページ上で抗議する声明を出しました。


兵庫県小野市にある総合病院「北播磨総合医療センター」では医師と看護師合わせて4人の感染が確認された今月10日以降、病院の職員がタクシーへの乗車を拒否されたり、引っ越し業者から急に契約をキャンセルされたりするようになったということです。


さらに、職員の家族が近所の人から遠ざけられるような扱いをされたり、勤務先から一方的に出勤停止を言い渡されたりするなど、不当な差別を受けているとしています。


病院では抗議する声明文をホームページに掲載し、名誉を傷つけられたとして行政の窓口に相談することを検討しているということです。


北播磨総合医療センターは「多くの職員は感染者に接触しておらず、地域医療のために身を削って努力しているので理解してほしい」と話しています。



■2020/7/28 05:30神戸新聞NEXT

犯罪者扱いされた前院長 遺族「事実知ってもらえた」





新型コロナウイルスの風評被害や横野浩一さんの闘病生活について語る長女伏谷由佳さん(左)と妻の横野典子さん=神戸市須磨区(撮影・中西大二)




横野浩一さん(遺族提供)




孫を抱く横野浩一さん(遺族提供)




横野さんがラインで家族に伝えた最後の言葉(白の部分)




横野浩一さんの病室で流されたCD(遺族提供)



https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202007/0013549466.shtml

 新型コロナウイルス感染症によって4月に亡くなり、公務災害に認定された北播磨総合医療センター前病院長の横野浩一さん=当時(72)、神戸市須磨区。遺族は、横野さんが同感染症を持ち込んで病院を休診させた-とする風評被害や罪悪感に苦しんだという。妻典子さん(65)と長女の伏谷由佳さん(36)=大阪府=に現在の思いを聞いた。

-風評被害を受けた。 
 長女「70代医師と匿名で報道されたが、父だと推測できたので、知らない人からや無言の電話が鳴り続けた。電車(実際は車)で病院へ行ったとされ、インターネット上では、ウイルスをばらまく殺人鬼などと書き込まれた。風俗やパチンコでもらったと言う人も。院長が病院にウイルスを持ち込んで業務を停止させるなんてお粗末とも言われた」
 妻「ネット上に実名をさらされ、当時は感染するだけで犯罪者のように扱われた。近所の人もみな知っており、(濃厚接触者として)自宅待機の2週間が過ぎた後も外を歩くのが怖く、買い物は車で遠くに出掛けた」
-公務災害が認められた。
 長女「当初は父が感染症を病院に持ち込んだとされ風評被害も受けた。仕事中に感染したことが認められて安堵(あんど)している」
 妻「北播磨地域で頑張ってきた夫のことを、院長で医者のくせにウイルスを持ち込んでとんでもないと思われているのがつらく、夫も残念だと思うので、事実は違うと知ってもらいたかった」
-入院中のやりとりは?
 長女「3月9日に入院し、翌日、急に容体が悪化して人工呼吸器をつけた。鎮静剤を入れるので意識がなくなる。万一を考えてLINE(ライン)で『大好きだよ、ありがとう』と伝えた。父も『心から愛しています。ほんとうに幸せだよ』と書いてくれた。家族はほとんど話していないし、まさか亡くなるとは思っていなかった」
 妻「私も、しばらく入院して帰ってくるとのんきに考えていた。主治医から話しますかと言われ、夫が『念のためありがとうな』と言ったので、私も『念のためありがとうね』と。それが最後の言葉になった」
 長女「当時、コロナが一気に悪化するとは知らなかった。陽性の判明も父は知らない。多分そうだとは思っていただろうが、新型コロナとは知らずに逝った」
-闘病中の様子は。  
 長女「医師からは『人工呼吸器でサポートし、自分の力で治るのを待つ』と言われたが、呼吸状態が悪くなり、わらをもつかむ思いで頼み、入院10日後にアビガンを使ってもらった。人工心肺装置エクモは人工呼吸器を装着して1週間たつと救命率が低くなるので使えないと言われた。もやもやした気持ちが残った。4月に入って回復の見込みが低くなった。たくさんのチューブにつながれ、父ならきっと楽にしてほしいと思うと考え、血圧を上げる薬をやめた。30分ほどで亡くなったが、父を囲み家族でゆっくり過ごす時間が取れた」
-お別れは。     
 長女「納体袋に入れられて親族6人で通夜と葬儀をした。お骨拾いも、長男がのど仏だけを拾った。最後はジャケットにシャツ、ネクタイ姿で格好よくなった。ただ、人工呼吸器を入れていたので口は開いたまま。普段は葬儀社が整えてくれるが今回は袋に入っていて触れることすらできなかった」
-家族を亡くした立場から伝えたいことは。
 長女「特に高齢の方は亡くなるリスクを考えて行動してほしい。若い方も緩まず感染対策を。自分の親や祖父母にうつして、いつこういう立場になるか分からない。私たちのような思いをしてほしくない」(聞き手・小西博美)


 


■令 和 2 年 度 学 校 基 本 調 査 調査結果(速報) 長野県分
file:///C:/Users/HIROKI202004/Downloads/0604-R2sokuhougaiyou%20(1).pdf

表1 学校種別学校(園)数、学級数、在学者数及び教員数(本務者) 学 校 (園) 数 学 級 数 在 学 者 数 教員数(本務者) 学 校 種 別 対前年度 対前年度 対前年度 対前年度 増 減 数 増 減 数 増 減 数 増 減 数 校 校 学級 学級 人 人 人 人 総 数 906 △ 5 … … 243,921 △ 4,337 20,634 35 小 学 校 365 △ 6 4,937 △ 84 103,666 △2,205 7,209 △ 51 中 学 校 195 △ 1 2,303 - 55,507 △506 4,715 25 義 務 教 育 学 校 4 2 52 14 752 170 99 35 高等学校(全・定) 100 - … … 54,281 △1,789 4,343 △ 89 公 立 83 - 1,253 △ 29 43,909 △1,674 3,615 △ 103 私 立 17 - … … 10,372 △115 728 14



■令和元年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査 [調査結果の概要] 令和2年 10 月 長野県教育委員会事務局心の支援課

https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kokoro/shido/ijime/documents/2_houkokujikou.pdf

○ いじめの認知件数は 10,198 件(992 件増) ・学校種別では、全国と同様に小学校の認知件数が大幅に増加した。 ・いじめの解消済みの割合は、全国より高くなっている。 ○ 暴力行為の発生件数は 1,067 件(257 件増) ・小学校における暴力行為が大幅に増加、また、内容別では生徒間暴力が最も 多く、いずれも全国と同様の傾向となっている。 ・増加の背景に、いじめの積極的な認知による暴力行為の把握や暴力行為を繰 り返す児童生徒がいることが考えられる。 ○ 小・中学校における不登校児童生徒数は 3,551 人(322 人増)、高等学校では 726 人(66 人増) ・不登校児童生徒数は、7年連続で増加しており、全国と同様に過去最多と なっている。 ・増加の背景として、休養の必要性等を明示した「義務教育の段階における普 通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の趣旨の浸透の側面が 考えられる。 ○ 高等学校中途退学者数は 611 人(5人減) ・中途退学者数は減少し、中途退学者の割合は、前年度と同じとなった。 ・事由別では、「進路変更」「学校生活・学業不適応」が主な理由となっている。





■令和元年度 いじめの状況について  心の支援課
https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kyoiku/shido/documents/r1ijime.pdf



■平成30年度 いじめの状況について

https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/kokoro/shido/ijime/documents/2_houkokujikou.pdf



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上村愛子は、小学1年生のとき、白馬村(長野県)に引越してきていじめにあう。 

2020-11-16 04:31:58 | いじめ
上村愛子は、小学1年生のとき、白馬村(長野県)に引越してきていじめにあう。 

 私の場合には、小学校3年生のときに分校から本校に移るという経験をしたが、M君が休み時間の運動場で遊び(ドッジボール?)の輪に入ってこいという発言をしてくれたので、すんなり新しい環境にもなじんでいった。彼は運動能力が抜群で走り幅跳びでは私より50cm以上遠くに跳ぶほどの抜群の1位だった。2位の私は負けず嫌いでもあったのだから、彼がもっと長く生きていれば私の運動能力も多少はあがったのだろうが、彼はその後あっさり死んだ。そり遊びで国道に飛び出しトラックにひかれた。小学校4年生では死というものをちゃんとは理解できないものだが、彼がいないから運動では1番が取れるという感覚が私にはつきまとった。


 上村愛子に声をかける子どもはいなかったようだ。・・・


■2016-08-09
心臓病、いじめ、そしてモーグルとの出会い-明日、笑顔でいるために(上村 愛子さんコラム-第1回)
https://www.hokende.com/news/blog/entry/uemura/001




上村 愛子 (うえむら あいこ)
3歳からスキーを始め、小学生の頃はアルペンスキー、中2でモーグルに出会い、高3で長野オリンピックに出場。以来オリンピック5大会に出場し、2014年に現役を引退しました。


大好きなスキーと共に歩んできた私の経験を、幼少期から振り返ってお話しさせていただきます。


上村 愛子 (うえむら あいこ)


生まれ持った心臓病。心配症の母は、私を見守ってくれた
私は生まれつき心臓に小さな穴があいていました。『心室中隔欠損症』という子どもに多い病気で、ほとんどは3~4歳までに自然に塞がるそうです。しかし私の場合は、それが塞がらなかったんですね。でもとても小さな穴なので、特に治療や手術をする必要はなかったし、病気を自覚することもありませんでした。3歳のときにはスキーを始め、シーズン中は両親が経営するペンションにアルバイトに来る大学生たちと毎日のように滑っていたほど、健康な毎日を送っていました。


そんな小さな頃は、母は私の病気をとても心配していたようです。でも私に、「運動をしちゃダメ、走っちゃダメ」とは絶対に言わず、時折、「胸が痛かったり、苦しかったりしないよね?」と確認するだけで、見守ってくれていました。私はスキーが大好きだったし、それ以外の場所でもいつも走り回っていて、“カカトが床につかない”ほどの活発な子どもだったので、母はさぞ心配だったろうと思います。しかしその心配を私に感じさせることなく、私がやりたいことを制限せずに育ててくれました。そのことは今でもとても感謝しています。


病気の自覚症状はほとんど無かったのですが、振り返ってみると一度だけ、病気を“自分の言い訳”にしてしまったことがありました。


モーグルを始めて、自分を追い込むようなキツいトレーニングをしているとき、ふと「こんなに激しいトレーニングをしたら、もしかしたら心臓に負担がかかるかも」という考えが頭をよぎり、何度かトレーニングを休んでしまったのです。実際に、胸が痛かったり苦しかったりした訳ではありません。ただ、厳しいトレーニングを続けるのがキツくなって精神的に弱い部分が出てしまい、病気を“逃げ道”に使ってしまったのです。


でも、病気に甘えてトレーニングをやらなかったら、実際にスタート台に立つときに後悔するのは自分自身です。それに気づいてからは、弱い自分を克服し、病気に逃げることはなくなりました。


アルペンスキーチームでの“いじめ”
小学1年生のとき、長野県の白馬村に引越しました。学期の途中の転校生だったので、すぐには友達ができず、一人で校内を歩き回っていたところ、掲示板でアルペンスキーのジュニアチームのポスターを見かけました。「このチームに入ったら、冬になったら毎日大好きなスキーができるのかな」と軽い気持ちで入部。


しかしそのチーム内で、話しかけてもらえなかったり、道具を隠されたりといった、“いじめ”にあいました。


もっとも当時は、「私がやられていることは、“いじめ”だ」という認識はあまりなかったんです。ただ「嫌だな、寂しいな」という気持ちでいっぱい。でも、「スキーをやめよう」とは全く思いませんでしたね。大好きなスキーが上手になりたいし、練習を見てくれるコーチもいる。それに、一人ぼっちで寂しくても、スキーを滑るときはみんな一人です。私にとっては、仲間はずれにされるよりスキーができないことのほうが辛かったのですね。「スキーが大好き!」という気持ちに支えられたから、卒業まで続けられたのだと思います。


それに、私には家族がいました。一歩家に入ると、みんなニコニコ笑って私を迎えてくれる。学校やチームでの辛いことを一切思い出さないくらい、家族が大好き。母は当時のことを振り返って、「いじめられていることに、気づいてあげられなかった」と悲しむけれど、家では悲しい顔をする必要がないくらい楽しかったし、「家に帰ってきたら、私の味方がいる」と思えることが、私を辛い気持ちから救ってくれていたのだと思います。


ジュニアチームは小学生までのため、中学校ではスキー部へ入部し、部活動が始まりました。しかしここでも、いじめはありました。


私は自分から家族にいじめのことを打ち明けなかったけれど、もし、お子さんがいじめに悩んでずっと悲しい顔をしていたら、「家族は味方だよ」と伝えて、私がしてもらって嬉しかったように、頑張っているお子さんを笑顔で迎えてあげて欲しいな、と思います。

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