米国はキューバでばらまいたとされる熱病を媒介する蚊の研究をウクライナでも行っていた。
<記事原文 寺島先生推薦>
US Biowarfare: Fever-Carrying Mosquitoes Studied in Ukrainian Labs May Have Been Used Against Cuba
(米国の生物兵器:ウクライナで研究されていた熱病を媒介する蚊は、かつてキューバに対して使われた可能性のある蚊と同じだった)
原典:INTERNATIONALIST 360°
2022年6月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-963.html
ロシアの国防省は、ロシア軍が占拠したウクライナ国内の生物研究所で、文書を発見したことを以前発表していたが、その文書は、その研究所の科学者たちが、危険な病原体の実験を、生物兵器として使用する意図のもとで行っていたことが示唆される内容であった。ロシアの国防省によると、これらの研究所は10年間以上米国から資金提供を受けていたとのことだ。
ウクライナの幾つかの生物研究所では、熱病を媒介するネッタイシマカの研究を行っていた。そのネッタイシマカは、米国がかつて使用したと推測されている蚊と同じ属種だった。その蚊は、1970年代と1980年代に、キューバで第2種デング熱の大流行を引き起こすために、米国によって使用されたと推測されているものだ、とロシア軍放射能・科学・生物防衛部隊イーゴリ・キリロフ長官は述べている。
「生物兵器として使用されていたネッタイシマカと同じ属種のヤブ蚊を、米国防総省がウクライナ国内で研究していたとのことです。この属種の蚊については、かつてキューバ市民が米国政府に対して集団訴訟を起こした記録が残っています。さらにその記録は、生物兵器禁止協定の署名の見直しのために提出されました」とキリロフ長官は語った。
軍部の長であるキリロフ長官は当時のキューバの惨状を振り返り、その病気により34万5千人が感染し158名が亡くなったと述べた。さらにキリノフ長官が強調したのは、 第2種デング熱はカリブ海沿岸地域で記録されたことがなく、キューバ島内で唯一感染者が発生しなかったのはグアンタナモ米海軍基地だけだったという事実だった。
米国当局はキューバ政府からの非難に対して、この病気の大流行についての関係を否定している。キリロフ長官によると、ウクライナの科学者たちは米国防総省のP-268計画に加わっていたとのことだ。この計画の目的は、 繁殖性の強いネッタイシマカが媒介する新種のウイルスを作り出すことだった。そのウイルスの準備作業が行われたのは、キエフのタラフ・シエブチェンコ国立大学で、そのウイルスは実地試験を行うため米国に輸送された、と中尉であるキリロフ長官は語った。
キリロフ長官は、ウクライナ科学と技術センターのアンドリュー・フード(Andrew Hood)代表と米国の国務省の間で交わされたその研究の立ち上げに関する書簡を読み上げた。「この研究に参加する研究者の3割以上は大量破壊兵器の開発の経験がある研究者だ」とフード代表が記述した文書をキリロフ長官は読み上げた。
ロシア政府はロシアの特殊作戦中にウクライナのいくつかの生物研究所で入手した文書の内容に対して大きな懸念を抱いている。これらの文書が示唆しているのは、ここ10年以上、ウクライナと米国防総省が共同で危険な病原体の研究を行っていたという事実で、その病原体は生物兵器として使われる可能性があったからだ。
ロシア政府は、米国政府とウクライナ政府が共謀して、ロシア国境のすぐ近くで、ロシアに対してばらまこうとする意図を持って生物兵器の構成物を作ろうとしていたことを非難している。米国政府はウクライナの研究施設と協力体制を取っていたことは否定していないが、その研究施設で生物兵器の研究を行っていたとの明言は避けている。
■ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』益岡賢訳
作品社、2003年4月20日第1刷
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第14章 化学兵器・生物兵器の利用――米国外編
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中国と朝鮮/韓国
朝鮮戦争(1950~53年)中の1952年前半、中国当局は、朝鮮と中国北東部に、米国が大量のバクテリアや虫、羽毛、腐った動物や魚の一部、そのほか多くの奇妙なものを投下していると主張した。中国政府は、ペストや炭疽病、脳炎などにより犠牲者が出たと述べた。中国政府は、これらの物質を運んでいた飛行機に乗っていたという米兵36名から証言を集め、そのうち25名の証言を発表した。爆弾や投下された物質の詳細、虫の種類、媒体が運ぶ病気の種類など、作戦全体にわたる詳細な証言だった。細菌爆弾と虫の写真も公表された。8月に、スウェーデン、フランス、英国、イタリア、ブラジル、ソ連の科学者からなる「国際科学委員会」が指名された。委員会は2ヶ月以上にわたり中国で調査を行い、多くの写真を含む600ページの報告書を作成した。この報告書は、「朝鮮と中国の人々は、実際に、バクテリア兵器の標的とされた。これらの生物兵器はアメリカ合衆国軍の部隊が用いたもので、このために非常に多岐にわたる方法が採用された」と結論した。
しかしながら、米航空兵の証言の中には、生物学に関する専門的知識が非常に多く含まれるものもあり、また、「帝国主義者・資本主義者のウォールストリート戦争狂」といった共産主義のレトリックに満ちあふれているものもあったため、証言が本物かどうかについては疑問が残っている。また、のちに、航空兵の多くが、精神的・身体的にひどく脅迫されて告白したことがわかった。少なくとも1人は殴打されていた。また、なかには、自分が投下している兵器の中身について知らない者もいたと思われる。戦争が終わって帰国したパイロットたちは、自分の告白を撤回したが、この撤回もまた、軍法会議にかけるとか、米国司法長官が言うところの「国家反逆罪」その他の処罰が加えられるという脅しのもとで、つまり精神的脅迫んももとでなされたのである。
米軍が、生物戦争の一環として七面鳥の羽毛を使う実験を米国内で行っていたことが、1979年に明らかになったことも付け加えておこう。
さらに、1951年12月には米国国防長官が、生物兵器の攻撃使用について、「できるだけ早期に実践利用の準備を完了しておく」よう命令を出していた。その数週間後、空軍参謀は「すぐに実現可能」と答えている。
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ラオス
1970年9月、ラオスで「追い風作戦」を遂行していた米軍は、ある村のキャンプを攻撃する際、村への侵入を容易にするために噴射式サリン神経ガス(「CBUー15」あるいは「GB」と言われているもの)を 使用した。この侵攻の目的は、そこにいると思われた脱走アメリカ兵たちを殺害するというものだった。作戦は100名の兵士と文民を殺すことに成功した。そのうち少なくとも2名がアメリカ兵だった。攻撃開始前のサリン・ガスで殺された人がどのくらいで、攻撃自体で殺された人がどのくらいかはわかっていない。
サリンは1930年代にドイツで開発された毒ガスで、その蒸気を吸うとまもなく死亡する。皮膚にサリン一滴たらしても同じである。通常の服を通過してしまう。サリンは筋肉の動きを制御する酵素を破壊する。その酵素を破壊されると体は筋肉を止めようがなくなり、恐ろしい状態になる。
村を侵略したアメリカ兵たちは、撤退時に、優勢な北ベトナムとパテト・ラオ〔ラオスの左翼勢力で、「ラオスの国」の意。「ラオス愛国戦線」ともいう。1945年に結成されたラオス自由戦線を中心に56年に結成された。75年にラオスの政権を完全に掌握〕の兵士に出くわした。アメリカ兵たちは空からの支援を求め、まもなく米軍機がやってきて敵の頭上にサリン・ガスの弾筒が投下された。弾筒が爆発し、湿った霧に取り囲まれた敵の兵士たちは地面に転がり、嘔吐し痙攣した。ガスの一部はアメリカ兵の方にも広がった。アメリカ兵も全員が充分な防御装備を身に着けていたわけではなく、ひどく嘔吐しはじめた者もいた。その一人は、現在、進行性麻痺にかかっており、医者は神経ガスによるものと診断している。
以上の事件は、1998年6月7日、「ニューススタンド CNN&タイムス」というTV番組で報道された。1970年に倒幕議長だった海軍大将トマス・ムーラーをはじめ、軍関係者が人によっては顔を隠して登場し、この事件について認めた。
この放送は、大騒動を引き起こした。・・・
頁191──
⑷やはりプロジェクトに参加した人々によると、1971年、CIAはアフリカ豚コレラ[ダニを本来の宿主とするウイルスによって豚と猪が感染発症する病気で、2日から6日の潜伏期間の後、発熱や食欲不振等の症状で死亡する]のウイルスをキューバ人亡命者たちに手渡した。6週間後、キューバで50万頭の豚を殺さなくてはならなくなった。この大発生は西半球で初めてのもので、国連食糧農業機関(FAO)は、これを年で「最も警戒すべき事態」と呼んだ。
頁192――
(5)それから10年後(引用者注:CIAが亡命キューバ人にアフリカ豚コレラウィルスを手渡し1971年にキューバで豚コレラが大流行、キューバは50万頭の豚を殺処分)、「デング出血熱」(DHF)がキューバで大流行した。このときの標的は人間だったのかもしれない。血を吸う虫、通常は蚊によって伝染するこの病気は、インフルエンザのような症状と何もできなくなるほどの骨痛をともなう。1981年5月から10月までに、キューバで30万件のデング出血熱が発生し、158人が死亡した。そのうち101人は15歳未満の子供であった。
のちにアメリカ国立疫病防疫センターは、このデング熱は東南アジア発の特定タイプ「DEN-2」であり、キューバにおける発生が、アメリカ大陸地域におけるデング出血熱の最初の大規模な伝染であると報告している。カストロは、米国に媒体となっている蚊を駆除するための殺虫剤を依頼したが、提供してもらえなかったと述べている。
機密解除された政府文書が示すところによると、米国陸軍は、1956年と1958年に、ジョージア州とフロリダ州で特別に育てた蚊の群を放ち、伝染病を媒介する虫が生物戦争の武器になるかどうか実験したという。実験に使われたのは「ネッタイシマカ」であり、まさにデング熱をはじめとするさまざまな病気を媒介する蚊であった。
『サイエンス』誌は、1967年、デング熱はメリーランド州フォート・デトリックの米国政府研究所で「かなり研究された病気であり、生物戦争のエージェントと見なされるものの一つであった」と報告している。1984年、ニューヨークで別件の裁判を受けていたあるキューバ人亡命者は次のように証言した。「〔1960年代後半、フロリダからキューバに向かったある船は〕キューバに細菌を運び込む使命を帯びていた。ソビエト経済とキューバ経済に打撃を与えるため、生物攻撃を開始するためだった。その結果は、われわれが期待していたものとは違っていた。というのも、われわれは、それはソ連軍に対して使われるものだと思っていたのであるが、実際にはわれわれキューバ人に対して使われたからだ。それには賛成できなかった」。
このキューバ人が、細菌兵器の効果をソ連に限定することができると考えていたのか、作戦の背後にいた者たちに騙されたのかははっきりしていない。