「誤った説だ」 科学者が突きつけた怒りの質問状に感染研の答えは
林奈緒美
毎日新聞2022/3/12 17:00(最終更新 7/29 10:26)有料記事2119文字
https://mainichi.jp/articles/20220311/k00/00m/040/375000c新型コロナウイルスの感染経路について科学者が提出した公開質問状に対し、国立感染症研究所から届いた回答を巡り、インターネット上の勉強会では「ゼロ回答」などと批判の声が上がった=林奈緒美撮影
https://mainichi.jp/articles/20220311/k00/00m/040/375000c
国内の新型コロナウイルス対策の基となる国立感染症研究所(感染研)の報告書が世界保健機関(WHO)などの世界の科学的知見と異なるとして、感染症や物理学などを専門とする科学者10人が感染研に公開質問状を提出した。「新型コロナは主にエアロゾル感染(空気感染)によって生じる」という科学界の最新知見について、感染研の報告書が否定しているからだ。「めちゃくちゃな報告書だ。誤った説が幅をきかせたことで、防げるはずの感染が起きている」。こうした科学者たちの怒りの声に、感染研はどう答えたのだろうか。【林奈緒美】
感染研 感染経路は「飛沫と接触」
先月1日に提出した公開質問状で科学者が問題視するのは、感染研が1月13日に公表した新型コロナの新たな変異株「オミクロン株」に関する第6報だ。これによると、感染経路について「現段階でエアロゾル感染を疑う事例の頻度の明らかな増加は確認されず、従来通り感染経路は主に飛沫(ひまつ)感染と、接触感染と考えられた」などと記載。多くの感染事例についても「これまでの新型コロナと同様に換気が不十分な屋内や飲食の機会で起こっている」として、マスク着用や手指衛生、換気の徹底が有効と主張している。
一方、WHOや米疾病対策センター(CDC)のほか、米科学誌サイエンスなどは感染力の強いオミクロン株が登場するよりも前から、新型コロナの主要な感染経路はエアロゾル感染と説明していた。公開質問状が提出された翌2日の記者会見で、感染研の脇田隆字所長は「(世界の知見との)見解はそんなに違わない」と釈明したが、WHOなどの見解と感染研の第6報はまるで違う。公開質問状では、こうした理由について感染研に説明を求めていた。
質問状をまとめた物理学者の本堂毅・東北大准教授(科学技術社会論)は「接触感染が起きるのはまれだと世界で考えられているのに、いまだに主な感染経路が飛沫感染と接触感染と言うのは、日本のウイルスだけが特別と言っているようなものだ。また、その二つで感染するなら換気の有無は関係ないはずで、論理的にもおかしい」と指摘する。
WHO「感染経路はエアロゾル」
エアロゾルに見立てた煙で空気感染の状況を再現した実験=愛知県立大提供
エアロゾルは空中を漂う微粒子を指す。感染者に近い場所ほど濃く漂っているため、感染リスクが高くなる。換気の悪い場所などでは2メートル以上遠くまで漂い、長く空中にとどまる可能性があるという。WHOはこれらを「近距離・長距離エアロゾル感染」と呼んでいる。一方、飛沫は比較的重いため瞬時に地面に落ちるとされている。感染研の言うように換気の悪い屋内で感染が多発しているならば、それこそ感染者から吐き出されたウイルスを含んだ微粒子(エアロゾル)がすぐに落下せず空気中に漂い続けた結果、感染が頻発することを意味する。
では、質問状を提出した科学者への感染研の回答はどのようなものだったのか。提出から1週間後に専門家に届いたという回答には「ご質問の内容につきましては、研究者の間で議論の途上にあるところと認識しており、学術界において科学的な知見を基に合意形成がなされていくべきものと考えております」などと記されていたという。わずか188文字。報告書の論理的な矛盾や世界の知見と見解が異なっている点についての説明はほとんどなかった。
「ほぼ意味のない対策ばかりが広がった」
17日に本堂准教授が世話人となって開いた公開勉強会では、質問状の提出者として名を連ねた科学者から感染研の見解について「めちゃくちゃだ」「国民をばかにしている」など厳しい批判の声が相次いだ。感染研で勤務経験があり、質問状の提出者に名を連ねた国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長は「ゼロ回答。ひとごとのような内容だった」と失望を隠さない。「空気感染を認めず、全て接触・飛沫感染で起きているという誤った説が幅をきかせたことで、病院や介護施設などで多くの感染が起きた。消毒やアクリル板を設置するばかりといったほとんど意味のない対策が広がった」と語る。本堂准教授も「世界的なコンセンサス(合意形成)を『感染研は認めていない』と言っているようにしか読めなかった。議論を放棄しており、科学者としての健全性を疑う」と嘆いた。
感染研は1月26日にオミクロン株に関する「第7報」を公表した。感染経路については「国内の流行初期の多くの事例が従来株やデルタ株と同様の機会(例えば、換気が不十分な屋内や飲食の機会等)で起こっていると考えられた」と表現。2月16日に公表された最新の「第8報」には感染経路の記述はなく、「変異株であっても、従来と同様に、3密の回避、適切なマスクの着用、手洗い、換気などの徹底が推奨される」とだけ記されていた。
本堂准教授は「感染経路を正しく理解することはコロナ対策の肝だ。旅館や居酒屋の人たち、国民はみな真面目に感染対策に取り組んでいるのに、大元となる国や感染研の見解がおかしければ、感染対策の優先順位を間違えてしまう。無駄な対策をやめて、有効な対策に集中すれば、多くの人たちが救われるはずだ」と訴えている。
公開質問状や感染研からの回答の全文はこちらから読むことができる。
国立感染症研究所への質問状(2022年2月1日)
国立感染症研究所からの返答(2022年2月8日)New!
---------------- 国立感染症研究所への質問状(2022年2月1日)----------------
2022年2月1日
国立感染症研究所
所長 脇田隆字様
「SARS-CoV-2の変異株B.1.1.529系統(オミクロン株)について(第6報)」の空気感染(エアロゾル感染)に関わる記述への公開質問状
http://web.tohoku.ac.jp/hondou/letter/
前略
貴研究所が発表した「SARS-CoV-2の変異株B.1.1.529系統(オミクロン株)について(第6報,1月25日一部修正版)」(以下,第6報)に,科学的に
1.論理展開上問題ありと思われる記述,また
2.世界的コンセンサスが得られている考え方との一致しない記述
が見受けられますので,貴研究所の公式見解について質問させていただきたく存じます.
貴研究所の報告は政府や自治体の新型コロナウイルス感染対策の基礎資料となります.報告書に不正確な点があれば,これに基づいて日本国中でなされている飲食店や旅館業,会社,学校,運送業,家庭等での対策の有効性が大きく損なわれることになります.問題の重要性,緊急性に鑑み,速やか回答をくださるようお願いいたします.尚,本件は高い公益性があり,知見は社会全体にただちに共有されるべきものですので,公開を前提にご回答くださるようお願い申し上げます.
本質問状で取り上げる「第6報」の記述箇所は,「ウイルスの性状・臨床像・疫学に関する評価についての知見」・「感染・伝播性」の第2段落であり,以下の部分です(以下引用).
『実地疫学調査から得られた暫定的な結果からは,従来株やデルタ株によるこれまでの事例と比較し,感染・伝播性はやや高い可能性はあるが,現段階でエアロゾル感染を疑う事例の頻度の明らかな増加は確認されず,従来通り感染経路は主に飛沫感染と,接触感染と考えられた.また,多くの事例が従来株やデルタ株と同様の機会(例えば,換気が不十分な屋内や飲食の機会等)で起こっていた.基本的な感染対策(マスク着用,手指衛生,換気の徹底等)は有効であることが観察されており,感染対策が守られている場では大規模な感染者発生はみていない.』
https://www.niid.go.jp/niid/ja/2019-ncov/2551-cepr/10900-sars-cov-2-b-1-1-530.html?fbclid=IwAR11nXT1hf7EFQfbhKJIfNRM_od_0rCjsnTUMaQyCYUUJ1o_kLNGopVtAyU
質問事項
1.不可解な論理展開について
第6報では,多くの感染事例が換気の不十分な屋内等で生じているとの観測事実が記され,「感染経路は主に飛沫感染と,接触感染」であるとの主張がなされています.しかるに,私たちが考えるに,感染経路が主に飛沫感染と接触感染であるならば,その発生頻度は換気とは関係しないはずです.
そこで質問です.
Q1.飛沫(droplet)は,感染者の口腔から放出された後,速やかに落下するものを指すという理解でよろしいでしょうか.
Q2.そうであれば,屋内での換気の良し悪しとは関係ないはずです.いかがでしょうか.
換気の悪い屋内で感染が多発しているのであれば,それは,感染者の口腔から放出されたウイルスを含む粒子が速やかに地面に落下することなく,屋内空間の空気中に「滞留」した状態,すなわちエアロゾルによって感染が多発していることを意味すると考えます.
Q3.その点はお認めいただけるでしょうか.
そのような感染様式は,エアロゾル感染です.一方でエアロゾルの構成要素である空気に注目した感染様式,あるいは感染伝播様式のクライテリアでいえば,英語では“airborne infection”あるいは“airborne transmission”と呼ばれます.
Q4.それはお認めになられるでしょうか.
airborne は英和辞典では「空気で運ばれる」あるいは「空中を浮遊する」と訳されるものですから,airborne infectionの日本語訳は空気感染,あるいは空気媒介感染です.
貴研究所が得ている観測事実は,その記述から分かるように今回のオミクロン株やデルタ株以前の従来株から一貫してairborne transmission(空気媒介の感染伝播)が多発していること意味しています.しかるに,第6報では,「従来通り感染経路は主に飛沫感染と,接触感染」であると主張なされています.
Q5.貴研究所のこのような主張は,私たちにはロジカルに全く理解ができません.どのように解釈すれば理解できるのでしょうか.明確にお答えいただきたく存じます.
なお,基礎科学を踏まえたエアロゾルの理解に立ち返れば,粒子の粒径などを元に,特定の粒径以下をエアロゾルや飛沫核と呼び,特定の粒径以上を飛沫と呼ぶこと,さらには定義もあいまいな「マイクロ飛沫」なる造語を持ち出してくることについては,科学的意味や妥当性がないことも明らかです.
エアロゾルの粒子は,粒径によって静止空間における物理的沈降速度が違い,粒径の増大とともに床面に落下するまでの時間が連続的に短くなります.しかし,特定の粒径を境に,その沈降速度に意味を持った境界が生ずることもありません.マイクロ飛沫なる概念も,今述べた意味において不必要な概念だと考えます.このようなエアロゾルに関する科学的理解は,最新のものとしては2021年夏に公開されたScience誌のレビュー論文 (Wang et al. Airborne transmission of respiratory viruses) からも明らかでしょう.
2.世界的にコンセンサスを得られている科学的知見との不一致について
新型コロナウイルスの主たる感染の運び手はエアロゾルであって,Fomite infection(接触感染)は稀であることが,世界の科学界のコンセンサスとなっていると考えます.
このことは,WHOやCDCも認めており,だからこそCDCは最近医療従事者だけでなく国民へのN95マスク着用の推奨までしているわけです.Nature, Science,BMJ などの学術誌・医学誌でも既にレビュー論文を載せたりeditorialで認めたりしており,日本の科学者も標準的知見として日常的に触れている知見です.しかるに,貴研究所では未だにこれに反する形で,「感染経路は主に飛沫感染と,接触感染」と主張しています.
Q6.この齟齬について,どのように理解すれば良いのか,ご説明願います.
以上の質問に対し,できるだけ早くご回答いただければ幸甚です.ご回答は以下の事務局までメールでお送り頂けますと幸いです.
草々
質問者: 本堂 毅 東北大学大学院理学研究科
西村 秀一 国立病院機構仙台医療センター臨床研究部
清水 宜明 愛知県立大学看護学部
米村 滋人 東京大学法学部(医師,医事法)
御手洗聡結核予防会結核研究所抗酸菌部
向野賢治福岡記念病院・感染制御部
森内浩幸長崎大学大学病院小児科
平久美子 東京女子医科大学附属足立医療センター麻酔科
角田和彦かくたこども&アレルギークリニック (*)
平田 光司高エネルギー加速器研究機構 (*)
(*) 質問状送付後に参加のお返事が事務局に届いた方
事務局
〒980-8578
宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉6−3
東北大学大学院理学研究科
本堂 毅
------------- 国立感染症研究所からの返答・全文(2022年2月8日到着) ------------------
2022年2月7日
東北大学大学院理学研究科
本堂毅様
国立感染症研究所
所長脇田 隆字
この度はお問い合わせをいただき有難うございます。ご質問の内容につきましては、研究者の間で議論の途上にあるところと認識しており、学術界において科学的な知見を基に合意形成がなされていくべきものと考えております。
国立感染症研究所といたしましては、今回お問い合わせのあったご意見も参考にしながら、今後とも最新の科学的な知見に基づき感染症対策に資する情報発信を適切に行っていく所存です。
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関連リンク
国立感染症研究所の感染経路分類についての公開質問状(2022年7月14日)
https://web.tohoku.ac.jp/hondou/letter2/
最新の知見に基づいたコロナ感染症対策を求める科学者の緊急声明 (2021年8月)
https://web.tohoku.ac.jp/hondou/stat/