昨日、汎用機のキーボードに¬の記号が存在するのを発見し背理法を思い出した。数学的思考法として背理法という考え方があるのだが、背理法の考え方は古代ギリシャのころには出来ていて、古代の体系的な論理を追及する思考というものには大抵背理法が用いられている。
背理法というのはPの否定¬Pを仮定すると矛盾であり明らかに偽が導かれる考え方に基づく方法である。人間が普通に生活していると勝手に身に付きそうな考え方で納得しやすい。昨日、ITmediaに『「源義経の母親はナポレオン」Twitterで話題の激ムズ論理学の問題を数学科の大学院生が説明するよ』という記事が載っていたが、これはA∧¬Aが成立するとき「~ならば~である」という構文は任意のものに対して成立するということをかなり説明を省いて短く難しめに解説してくれている。
以前、般若理趣経という問題となりやすいお経の話題を出した時に背理法の話題も少し出したのだが、大乗仏教の祖であるナーガールジュナーは背理法を多用する人物であるらしく、そのお経も背理法の視点で見るべきものらしい。理趣経の理の成分の大部分は背理法だと読み下していて感じた。古代の文章は論理破綻も著しいと今となっては言わざるを得ないわけだが数学・哲学の歴史の匂いを少しだけ感じ取るのも考えが広がることかもしれない。