春庭パンセソバージュ

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ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究「青い紅玉②」

2004-01-21 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「へぇへぇ平成(へぇなる)好色一代女・青い紅玉②」
(2004/01/21)

 01/20に、「青い紅玉」というのが形容矛盾であるか、可能な範囲の形容であるかを考えはじめた。

 「赤い白墨」「緑色の黒板」などは、被修飾語の白墨・黒板などの、指し示す物(指示対象)が、「もともとの意味から意味の拡大」をしたゆえに、このような「形容矛盾」が矛盾でなく、可能になった。

 もともとは黒く塗られていて黒板という名が付けられた名詞。黒以外に「濃緑」などの色を塗られるようになっても「濃緑板」とは呼ばれずに「黒板」という名称のまま呼ばれた。それゆえ「緑色の黒板」という表現ができる。この場合、黒板は、「黒い板」を指し示す名詞ではなく、「学校などで使用される、文字を書くための板」を意味するので、「黒」という語は、直接色を示す意味を持たなくなっている。
 
 「みどりの黒髪」については、04年01月03日の、日本の伝統色名「白黒赤青」のところを参照。このばあいの「みどり」は「緑色」ではなくて、「つやつやとして生まれ出たばかりのように輝いている」という意味。
 
 と、ここまで考えてきたが、やはり私の気分としては「青い紅玉」は、ひっかかるタイトルだ。ブルー・ガーネットの翻訳、今ならそのまま「青いガーネット」か「ブルー・ガーネット」としてタイトルにされるだろう。阿部知二が最初に翻訳したころは、ガーネットという宝石は一般には知られていないことばだったのかもしれない。なぜ「青いざくろ石」ではなく「青い紅玉」にしたのかをたずねてみたいところだ。

 言葉は送り出す側と受け取る側のコード(規約、基準、ルール)が同じ土俵にのっていないと、さらりと同じ意味を共有できない。誤解も生まれる。
 同じひとつの言葉を、異なる意味で二人の人が話していて、双方誤解に気づかないということも起こる。
 言葉には多義語もあれば、譬喩や含意という使い方もある。また、言葉の意味は常に変化する。

 動詞の内容も変化するし、形容詞も変化。変化の方向は、意味がずらされたり、拡大したり、縮小したり。
 現代「あの方、あわれよね」と表現したとき、普通は誉め言葉ではない。「あの人は哀れだ」といえば、「かわいそうな同情すべきみじめな存在」と受け取られ「あの人はものごとの情趣を深く感じる人だ」とか「かわいらしく恋しい人」と受け取る人はいない。

 名詞の「指し示す物」の内容も、時代につれて変化する。
 白墨、黒板は、元の意味から指示範囲が広がった例。黒ではなく、緑色に塗られていても、「黒板」と言う。「黒板」という語が指し示す範囲が拡大したのだ。
 拡大する語のほうが数が多いが、意味が縮小する語もあるし、元の意味からずらした意味の方が一般的になる場合もある。

 「房」は、家の中の一つの部屋。部屋を賜って仕事をする宮中の女官や貴族の屋敷で働く女性を意味した「女房」が「部屋を与えられている女」を意味するようになり、やがて家庭の部屋で生活する「妻」を意味するようになった。

 現代では「うちの女房がさぁ」と、話し出したら、それはその人の結婚相手の女性をさししめすのであって、その人のために働いていて個室を与えられた女性を意味するのではない。
 あなたが、妻以外の女性に個室を与えていて、彼女があなたのために働くとしても(主として夜間営業)、一般的にはその人をあなたの「女房」とは呼ばない。「うちの女房がさぁ」と話し出したら、個室の女性ではなく、妻の方を指していると、「世間コード」では受け取るのである。
 一方春庭は、団地2DKに住み個室もなく、台所一室でご飯を食べテレビを見てパソコンして食事テーブルで試験の採点までやっている。それでも世間からみると「女房」の部類。「女」はもうどっちでもいいけど「房」は欲しいよ。できれば書斎と書庫と寝室と化粧室とお納戸の「房」が。ハァ、無理でしょうねぇ。

 意味範囲拡大の例。もともとは武家屋敷の奥の間に居住していた正夫人を「奥方」と呼んだ。公的部門を扱う「表=おもて」に対して、私的部分を取り仕切る「奥」の代表者として存在していた人が「奥方」「奥様」。
 「奥様」と呼ばれる方は、大きなお屋敷の奥の方に住んでいなければならなかったのだ。安普請の家に住んでいて家事雑事をやらせる使用人も使っていない人を「奥様」などとは呼べなかった。

 現在では、私のような、奥も表もない2DKに住まいしていようと、八百屋さんから「奥さん、大根安いよ」と声かけられるようになっている。
 「奥様」「奥さん」の意味する範囲が広がり、「夫を持つ女性」さらに「若くない女性で、既婚者と思われる年代の女性に対する呼びかけの語」へと拡大した。

 自分を指し示す語の意味変化の例。貴人のしもべ、下僕として存在し、自分が心身を捧げて働く人の前で、へりくだった意味で使っていた一人称「僕」。
 現在では「一般的に男子が自分を指し示して使う一人称」になっている。成年男子でも「ぼく」を使う人は多い。別段まちがいではない。自分はあなたの「下僕」である、という気持ちで使っているのかどうかは知らねども。

  私は、教師の前で一人称を「僕」という男子学生に対して、心の中で「お前は女王様のしもべよ、オーホッホッホ」と思うことにしている。

 春庭、教室で心ひそかに女王様気分を味わったのちは、近所の八百屋で「奥さん、奥さん」と、住まいの奥深いことを讃えられつつ、「ちょっとぉ、その大根一本200円は高いよぅ。二本買うから、二本350円にしなさいよ」なんぞと、「奥」の仕事を仕切るのである。

 そして帰宅すれば、大根を千切りにしながら、息子へ大声を上げる。ゲーム三昧を続けていて、宿題を提出しようとしない息子に、母はついに切れたのだ。もう、千切り乱切りである。

 「翻訳本さがしてきてやったのに、なんで宿題やらないのよぉ」「はぁ、翻訳を読むことは読んだよ。ストーリーは日本語で理解した。でも、英語の質問に英語で答えるなんてトリビアなことがらに時間を費やすより、ボクは日本史のある時代のみ深く追求することに決めた」
 息子は「信長の野望」「太閤立志伝」の時代に関しては、トリビア博士である。

 結局のところ、「青い紅玉」はこれでいいのか悪いのか。「鋼玉」のうち、青いものがサファイア、赤いものがルビー。ルビーを「紅玉」と呼ぶのが一般的。しかし、ざくろ石=ガーネットを「紅玉」と呼ぶことも可。ガーネット属宝石類の中には緑色もあるから、「青い紅玉」も不可とはいえない。というところなのですが、どっちにせよ英語の宿題を投げた息子、私がホームズを読んだ意味もまったくなし、という結末となりました。
 中3息子、中高一貫男子校だから高校進学が決定していて、だらけきっています。4月に高校生になったあと、「独立行政法人化の影響で授業料が値上げされるかも知れない」という噂もあるのだから、なんとか留年せずにいてほしいという母の願いもむなしゅうなりそう。
 
 「おっきくなったら、お母さんにダイヤモンド買ってあげるね。お母さん宝石ひとつも持っていないから、ボク買ってあげる」なんて、かわいい約束をしてくれたころが花でしたね。今じゃ、ちょっとこずかい貯まるとゲームソフトを買いに走り、ダイヤのダの字もありゃしない。青いダイヤでも青い紅玉でもいいから、買って!!
 あ、先日常磐炭田のボタ山見学をしたとき、「黒いダイヤ」と呼ばれていた大きな石を拾ったんだった。首にでもぶら下げておくことにします。