2014/01/09
ぽかぽか春庭日常飯事典>十四事日記1月(1)年の初めのためしとて
♪年の初めのためしとて~、という歌を元日に歌うこともなくなって、「ためしとて」を「試しとて」と受け取る人も増えてきました。年初に今年したい新しいことを「お試し」でやってみること、と考えてのことです。 旧文部省小学唱歌の「年の初めの例として」の「例(ためし)は、「先例」の意味であって、「年のはじめに先例のとおりに」の意味です。
「あんた、毎年、元日には今年こそダイエット、と誓うけれど、成功したタメシがないじゃないの」というときの例(ためし)
と、言うと、私の年代の人でも「え~、ためしって、先例だったの?お試しだとばっかり思っていた」と言う人もいます。続く「終わり無き世のめでたさを」は、「尾張泣き代の」だろうとか、
生前の父がお正月になるとひとつ話で語っていた思い出。父の子供時代、戦前の悪童は「♪まつたけ立てて門ごとに」を「松竹つっころがして角たてて」と替え歌にして、元日の学校から帰ったもんだ、と話していました。
唱歌は替え歌のほうが生き生きとしていておもしろいから、♪あおげばとーとしい和菓子の餡~、もいいんですけれど。
さて、春庭は、大みそかの朝、起きてみたら何やら腰が痛い。
腰痛が年のはじめの先例になっては困るので、正月うちずっと腰痛悪化させない努力ですごしました。いつも通っている整形外科のマッサージは年末年始休みなので。
おおみそかに紅白歌合戦みたあと、1日は寝正月のはずが、寝てばかりいたら腰痛悪くなるんじゃないかと心配で、寝正月もできず。2日、午前中箱根駅伝テレビ応援、午後は痛い腰さすりながら写真美術館観覧。3日午前中箱根駅伝復路応援。午後江戸東京博物館。5日は、姑宅で家族の新年会、というスケジュールでした。どうして2日が写真美術館、3日が江戸東京博物館の観覧かというと、入館料無料の日にあわせて行くから。今年も無料趣味生活のタメシとて、です。
写真美術館は、年始恒例の「写美雅楽」の演奏をしていました。
3人の楽師のうち、真ん中の笛の人は、写真美術館の学芸員さんなのだそうです。最初はいつもの越天楽。最後の曲は、唱歌の「ふるさと」でした。雅楽演奏では、なにやら、いにしえよりの由緒正しきふるさとにきこえました。
「ふるさと」、我が夫、大人になるまで♪ウサギ美味しい可能山~、と思って歌っていた。
5日の姑との新年会は。
去年、「はじめてのおつかい」をして、姑に褒めてもらったタカ氏、今年もすきやき材料をおつかいしてきました。去年、娘に「正月なんだから、普段よりいい肉買ってよ」と文句言われたので、今年はまあまあのお肉を注文してきました。たぶん、一般の家庭では普段でもすき焼きのときはこれくらいおごるのだろうけれど、何せ我が家は貧困家庭。我が家にしては「ちょっといい肉」の「霜降り肉」の食べ比べをして、どちらも美味い、という結論に達しました。我が家、娘以外は舌音痴(?)で、アンチグルメ。夫のように豚肉食べても牛肉食べても「どちらもカレー」としか思わないのは論外ですが、私も息子もあまり味の差に敏感でない。貧乏なのに味に敏感な娘は、かえってかわいそう。
毎年変わらぬ年始めの我が家。代わり映えもなくありきたりの光景ですが、こうしてありきたりの変わらぬ日々をめぐることができることこそありがたいことだと思い知りながら、今年もめでたくはじまりました。
姑は、あと1か月で89歳。来年は卒寿になります。土曜日のデイケアセンター体操教室を楽しみにして1週間をすごしています。姑は百歳くらいは行けるでしょうが、嫁は最近少々バテ気味です。腰痛もなんとかして、体重管理もしっかりして、姑に負けないようにがんばります。
第一にかんばらねばならぬのは、もちろんダイエット。年のはじめのタメシとて、今日もおもちは1個におさえて、、、、おせんべひと袋とピーナッツひと袋食べました。だいじょうぶ、ダイエットできる今年の日々はまだ355日ある。
<つづく>
2014/01/11
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記1月(2)踊る寒冷前線
今年も、いろいろな楽しみごとをささやかに続けていきたいと願っています。
私の趣味、なんと言っても「お金がかからない」ことが第一の条件です。
「本を読む」ことは趣味というより、呼吸のようなものなのですが、これはほとんどお金がかからない。図書館で借りるか、古本屋で100円、3冊250円の文庫本で十分楽しめる。音楽も無料コンサートが都内にいろいろある。建築散歩は街歩きのついで。花散歩も都内の公園や植物園で。唯一お金が少々かかるのが、ジャズダンスの練習。
10日金曜日夜は、ジャズダンスサークルの新年総会。今年の活動方針や会費などについて2時間協議してから和食屋さんで食事。今年の文化センター発表会に出るかでないか、などわいわいと話し合いました。
昨年、会員が2名骨折や靭帯の故障で休会になり、ひとりはそのまま退会。2人は仕事や家庭の都合で退会。最年長のT子さんも「今日、お医者さんに行ったのだけれど、去年からどうも足の具合が悪かったのは、半月板の故障だという診断が出たので、当分休会します」ということで、実質活動できる会員は4名のみという事態になってしまいました。4人だとサークルを維持する会費にも足りず、このまま会を休止せざるを得なくなるかも。残念ですが、怪我などはなりたくてなるものじゃなし、しかたがありません。
なんとか会を維持してダンス練習の場を維持したいと思うのですが、さて、どうなりますか。私たちのような自主サークル、妹が携わってきたNPO活動など、行政とは別の市民組織を維持していくというのは並大抵のことではない、ということが身にしみます。
先細りになりがちなこれらの組織を維持運営するためには、どのようにしていったらいいのか、悩み多いところです。
会員が少なくなると、会費値上げしないと、活動が維持できない。会費を上げると、ますます会員がやめてしまう、という悪循環に陥ってしまいます。私たちのサークルは、ストレッチやジャズダンスの練習を通じて体力維持筋肉維持をはかることを大きな目的にしていますが、なかなか新入会員もこないし、やっと新加入した人も定着しないし。レディガガやマイケルジャクソンの曲で踊る、というのも若い人には「ふる~い」と思われてしまうし、落ち込む一方です。
なんとか今年も踊り続けたいのですが、冷え込む一方。。
会員募集中で~す。いっしょに踊ってください。
<つづく>
2014/01/08
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記1月(3)冬ごもり
新年の抱負というようなものを考えたかったのに、どうしたことでしょう何も思い浮かばない。仕事も、趣味も中途半端なまま。ダンスサークルの新年会では、ミサイルままは「ことしも登山、がんばります」と抱負を語るし、S子さんは「娘が結婚します。10月にハワイで挙式なので、10月は休会します」とか「孫のお守りがあるので」とか、みなそれぞれに今年の目標をうれしそうに語っていました。私はといえば、人様に語れるような目標が何もありませんでした。
一病息災、家族元気に、という程度の目標だけで、百名山登ろう、ということもないし、全国廃線めぐりとか、全国郵便局消印集めとか、何かを達成するというめあてもない。元気に踊りたいというのぞみにも赤信号がともり、何か目標をさがさなければと思うばかり。
もうちょっと暖かかくなったら少しは元気出てくるだろうから、もうちょっと冬眠しています。
新しい年に新しい気持ちで飛び出していきたいけれど、今日も一日冬ごもり。ベランダに洗濯物干すのも、寒い寒いと震えながら。
この3連休は、新成人にはうれしい休日。大人になって、何かいいことあるといいね、と祈るばかりで何をしてやれることもない。みんな頑張って!
ちょっとは明るく輝くように、恵比寿ガーデンプレイスのバカラのシャンデリア写真です。
輝く未来が新成人の前途にひろがりますように。
2014年1月2日恵比寿ガーデンプレイス
<つづく>
2014/01/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記1月(4)89歳の三婆
人間、一生ごきげんで元気でいられたらこんないいことないけれど、どうしたって、浮き沈みはあるし体調の好不調、波があるのは仕方がありません。ましてや我が家のような貧困家庭では、好調でいられる日のほうが数少ない。
体調よかったり気分上々の日が少なくて当然なのですが、1年のうちせめて正月小正月のうちくらいはにこにこしていたいと思って毎年過ごしてきました。それが、今年は正月そうそう気温と同じように気分が落ち込み、まあ、こんな年もあるさと思ったり、ここまで年をとってくれば、機嫌よく正月をすごせなくても当たり前とも思います。
例年、冬休みが終わって、仕事が始まる。朝寝坊ができなくなり、ああ、つらいつらい、冬の朝も早よから仕事に行かにゃならず、安い日雇い賃でこき使われる、と嘆き、暖かくなるまでぼやいてはきたのですが、今年は例年以上に我が身の卑小さケチ臭さ、しみったれたいじましさ、なんてものがしみじみと情けなく、嘆きつつひとりぬる夜の明くるまは、、、、あれれ、毎晩夜はバタンキューと3分で落ちる。そうか、朝寝坊できなくなるのでこんなにぐずっていたのね。
成人の日までの3連休、真ん中の12日は山種美術館に行って目の保養。招待券があったので。11日と13日は冬ごもり。一日家にいて、何をするでもなくボウ~とテレビを見てすごしました。
我が家、テレビを放映時間に直接ライブで見ることはほとんどなくなりました。ドラマとバラエティは録画してみます。ライブで見るのはスポーツ中継くらい。13日は、大相撲のラスト6番を観戦。
録画して見たドキュメンタリーのうち、1月12日放映の再放送『京の“いろ”ごよみ~染織家・志村ふくみの日々~』は、元日放映を録画できずに残念に思っていたので、再放送があってよかった。もうひとつの作品『天のしずく 辰巳芳子 “いのちのスープ』は、2012年11月12月に写真美術館に行ったとき上映していて、そのときは時間がなくて見ることができなかったので、1月13日の放映を録画しました。
志村さんは1924(大正13)年9月生まれの染織家。89歳。人間国宝(1990年)文化功労者(1993年)。2013年から染と織りを学ぶ「アルスシムラ」を設立し、後進の指導にあたっています。番組の中で「木苺の葉で染めてみよう。初めてよ」と、新しい草木染めに挑戦する姿がみずみずしく映されていました。89歳で、新しいことへの挑戦。草木染めの学校を設立したことも大きな挑戦でしょう。
辰巳芳子さんは1924(大正13)年12月生まれ。89歳。料理研究家としてテレビの料理番組でおなじみですが、お父さん病床に届け続けた「いのちのスープ」を全国の病院などに広め、自然たっぷりの滋養あるスープの普及を行っています。また、「大豆100粒運動」の活動によって、自分の食べるものを自分で育てることの大切さを子供たちに教えています。
治癒した今も長島愛生園で暮らしている元ハンセン氏病患者の方と話し合っているなか、「80歳すぎてから眺めると、世界はとてもちがう」と辰巳さんが語っていたのが印象深かったです。
そうよね、80歳すぎで見える景色は80歳過ぎなければわからない。
うちの姑、1925年2月の早生まれなので、志村さん辰巳さんと同学年です。お二人の偉大な女性とは異なり、銀行員の妻としてささやかな家庭で娘息子を育ててきた平凡な主婦でした。舅の死後、「お父さんといっしょに建てた家を守りたい」と、建て直しをひとりで手配しました。私は中国赴任中。夫は改築反対でまったくタッチせずというなか、改築を仕上げました。水回りが古くなったことや耐震の問題が解決できて、姑が安心して暮らせるようになりました。
新しくなった家で、2月に89歳を迎える今も一人で暮らしています。夫と娘が交代で「見守り」は続けていますが、週1回、ヘルパーさんに階段とおふろの掃除をしてもらう以外は、身の回りのことは自分でやっています。たいしたもんだと思います。
姑には姑の「80歳をすぎて見える」景色があるのでしょう。
衣の志村ふくみ、食の辰巳芳子、住の姑、3人の89歳を見ていて、まだまだひよっこの私、修行が足りぬと反省しました。
さて、明日からまた仕事です。とりあえず89歳まで生きてみよう。
<おわり>
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