2010/08/31
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(8)大涌谷と芦ノ湖
26日は、10時に区民保養所をチェックアウトして、ロープウエイで大涌谷へ。硫黄の匂うなか、黒いゆで卵を作っているところを見たり、地面から煙が吹き出しているのを見たり。もとは地獄谷という地名だったのに、明治天皇を迎えるのに「地獄」では恐れ多いと「大涌谷」に改名したのだという説明が書いてありました。へぇ!そうだったんだ。
芦ノ湖では黒い海賊船で遊覧。娘は「私は青いのに乗りたかった」と言っていましたが、特別船室にゆったり座れて湖の眺めもよかったので満足。息子は、おばあちゃんのおしゃべり相手をしながらまったりすごしていました。残念ながら、山沿いに雲が多くて芦ノ湖から富士山は見えず。九頭龍神社の鳥居が水の中に建っているのが、湖畔の緑に映えてきれいでした。
船を下りて、復元された箱根関所の建物と関所資料館を見物。歴史大好きの息子はとても興味深そうにゆっくり回って、古地図複製をおみやげに買っていました。私は建築に興味があるので、復元建築のビデオを見ていました。チョウナで削った柱とか、数本の木材を組み合わせて柱を立てて行くようすとか、復元作業が記録されていました。これまでも唐招提寺解体再建の模様や、奈良大極殿復元の記録などをテレビで見て、建築技術の継承に興味がわきました。箱根関所の復元にも石工、板葺き屋根、渋墨塗という塗装の方法まで、さまざまな古来の技術伝承が生かされていました。屋根は栩葺(とちぶき)で、竹釘で打ち付けていきます。渋墨塗というのは、柿渋と煤を混ぜたもので板壁を塗装すること。
箱根関所復元工事の記録
http://www.hakonesekisyo.jp/db/data_inc/inc_frame/fr_data_04.html
姑が疲れてしまったようなので、お世話係に息子と娘を残して休憩タイムをとってもらい、私は一人で旧街道の箱根杉並木へ行きました。杉並木の一部分が保存されているのです。夏の日盛りでも、うっそうとした並木道はそれほど暑さを感じません。前後に誰もいないのを見計らって、♪箱根の山は天下の険♪を唄いました。
♪昼なお暗き杉野並木 ヨーチョーのショーケイわ、こーけーなめらか。いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪これで今回の旅の目標達成です。
若い男性外国人観光客二人連れがかわりばんこに写真をとっているのを見つけて、「二人をいっしょに写してあげるから、次に私を撮って」と頼みました。なかなかイケメンの二人連れなので、いろいろ話して見たかったのですが、姑を待たせているので、すぐにバイバイしました。
歌詞を調べてみて、「箱根八里」作詞者が鳥居忱(とりいまこと1855~1917)という人だと初めて知りました。この歌を習ったころの音楽のテストに「箱根八里、荒城の月などの作曲者は誰か」なんぞの出題があって滝廉太郎の名は覚えましたが、作詞者についてはテストにも出ず気にも止めていなかった。音楽の時間、歌詞の意味がわからないまま歌っていたのだし。皆さん、♪ヨーチョーノショーケイワーとかって、意味わかってました?
歌詞、♪前に聳えしりえにさそう♪は「後えに誘う」だと思い込んでいましたが、「後えに支う」だったってのも、ようやくわかりました。♪いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪は、「ひとりの武士が関所を守れば、万人といえど、この関を開いて通れはしない」という意味なんだって。知らなかった。
杉並木近くの恩賜箱根公園の駐車場に箱根八里の歌碑があります。
=========
箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう)
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は 苔(こけ)滑らか
一夫関(いっぷかん)に当るや 万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩ね踏み鳴す(ならす)
斯く(かく)こそありしか 往時(おうじ)の武士(もののふ)
========
芦ノ湖からも強羅からも見えなかった富士山。小田原も過ぎたあたりで、帰りのロマンスカーの中から、夕日を背負うシルエットの富士をようやく見ることができました。
箱根旅行、楽しかったです。娘息子も「また行こう」と言ってくれるので、次はどこにしようかと思案中、、、、ええ、家族ダンラン、(without亭主、姑つき)です。
<おわり>
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(8)大涌谷と芦ノ湖
26日は、10時に区民保養所をチェックアウトして、ロープウエイで大涌谷へ。硫黄の匂うなか、黒いゆで卵を作っているところを見たり、地面から煙が吹き出しているのを見たり。もとは地獄谷という地名だったのに、明治天皇を迎えるのに「地獄」では恐れ多いと「大涌谷」に改名したのだという説明が書いてありました。へぇ!そうだったんだ。
芦ノ湖では黒い海賊船で遊覧。娘は「私は青いのに乗りたかった」と言っていましたが、特別船室にゆったり座れて湖の眺めもよかったので満足。息子は、おばあちゃんのおしゃべり相手をしながらまったりすごしていました。残念ながら、山沿いに雲が多くて芦ノ湖から富士山は見えず。九頭龍神社の鳥居が水の中に建っているのが、湖畔の緑に映えてきれいでした。
船を下りて、復元された箱根関所の建物と関所資料館を見物。歴史大好きの息子はとても興味深そうにゆっくり回って、古地図複製をおみやげに買っていました。私は建築に興味があるので、復元建築のビデオを見ていました。チョウナで削った柱とか、数本の木材を組み合わせて柱を立てて行くようすとか、復元作業が記録されていました。これまでも唐招提寺解体再建の模様や、奈良大極殿復元の記録などをテレビで見て、建築技術の継承に興味がわきました。箱根関所の復元にも石工、板葺き屋根、渋墨塗という塗装の方法まで、さまざまな古来の技術伝承が生かされていました。屋根は栩葺(とちぶき)で、竹釘で打ち付けていきます。渋墨塗というのは、柿渋と煤を混ぜたもので板壁を塗装すること。
箱根関所復元工事の記録
http://www.hakonesekisyo.jp/db/data_inc/inc_frame/fr_data_04.html
姑が疲れてしまったようなので、お世話係に息子と娘を残して休憩タイムをとってもらい、私は一人で旧街道の箱根杉並木へ行きました。杉並木の一部分が保存されているのです。夏の日盛りでも、うっそうとした並木道はそれほど暑さを感じません。前後に誰もいないのを見計らって、♪箱根の山は天下の険♪を唄いました。
♪昼なお暗き杉野並木 ヨーチョーのショーケイわ、こーけーなめらか。いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪これで今回の旅の目標達成です。
若い男性外国人観光客二人連れがかわりばんこに写真をとっているのを見つけて、「二人をいっしょに写してあげるから、次に私を撮って」と頼みました。なかなかイケメンの二人連れなので、いろいろ話して見たかったのですが、姑を待たせているので、すぐにバイバイしました。
歌詞を調べてみて、「箱根八里」作詞者が鳥居忱(とりいまこと1855~1917)という人だと初めて知りました。この歌を習ったころの音楽のテストに「箱根八里、荒城の月などの作曲者は誰か」なんぞの出題があって滝廉太郎の名は覚えましたが、作詞者についてはテストにも出ず気にも止めていなかった。音楽の時間、歌詞の意味がわからないまま歌っていたのだし。皆さん、♪ヨーチョーノショーケイワーとかって、意味わかってました?
歌詞、♪前に聳えしりえにさそう♪は「後えに誘う」だと思い込んでいましたが、「後えに支う」だったってのも、ようやくわかりました。♪いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪は、「ひとりの武士が関所を守れば、万人といえど、この関を開いて通れはしない」という意味なんだって。知らなかった。
杉並木近くの恩賜箱根公園の駐車場に箱根八里の歌碑があります。
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箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう)
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は 苔(こけ)滑らか
一夫関(いっぷかん)に当るや 万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩ね踏み鳴す(ならす)
斯く(かく)こそありしか 往時(おうじ)の武士(もののふ)
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芦ノ湖からも強羅からも見えなかった富士山。小田原も過ぎたあたりで、帰りのロマンスカーの中から、夕日を背負うシルエットの富士をようやく見ることができました。
箱根旅行、楽しかったです。娘息子も「また行こう」と言ってくれるので、次はどこにしようかと思案中、、、、ええ、家族ダンラン、(without亭主、姑つき)です。
<おわり>