春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「街の歌声-水織ゆみコンサート秋、東京楽竹団ほか」

2013-10-05 | インポート

2013/10/01
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声2013(3)T子さんのオペラアリア

 9月29日、ジャズダンス仲間のT子さんのオペラアリア発表会に行きました。去年きいて、T子さんの歌声に感激し、今年も楽しみにしていました。
 T子さんは、仕事リタイアのあと、週一回の仕事のほかは図書館での読み聞かせなどのボランティアを続けてきました。趣味の「オペラアリア」や合唱を無理なく続けようと「歌うための筋肉をおとろえさせないために」と、私の所属するジャズダンスサークルに加入しました。

 第一部が合唱。シューベルトのセレナーデやトスティのラ・セレナータ。
 第二部は重唱。T子さんは、指導者であるバリトン歌手水野先生とのデュエットでモーツォアルト「ドン・ジョバンニ」から「お手をどうぞ」を歌いました。

 ドンジョバンニは、フランスドイツスペインと女を口説きまわり、彼の手に落ちない女はいないと言われる稀代の放蕩者。マゼットと結婚したばかりの新婦ツェルリーナにも言い寄ります。最初は夫に向かって「私は大丈夫」と気丈にふるまっていたツェルリーナですが、ドンジョバンニとふたりだけになると、しだいに彼の甘いことばに惹かれていきます。さて、ツェルリーナは?(日本語歌詞は、イタリア語わからない私が、こんな内容かしらと適当につけたものです。)

(ドン)
Là ci darem la mano, お手をどうぞ、
Là mi dirai di sì 言っておくれ 「ええいいわ」と
Vedi, non è lontano, 見てごらん、遠くではない
Partiam, ben mio, da qui.  ともに行こう、ここを離れて
(ツェルリーナ)
Vorrei, e non vorrei,  行こうかしら、いいえダメよ
Mi trema un poco il cor; 心が揺れる、震えてくる
Felice, è ver, sarei, ほんきかしら
Ma può burlarmi ancor. からかわれているのかも

(ドン)Vieni mio bel diletto; 大切な美しい最愛の人
(ツxルリーナ)Mi fa pietà Masetto かわいそうなマゼット
(ドン)Io cangierò tua sorte; これは運命なんだ
(ツェルリーナ)Presto non son più forte; いそいで、より強く
(ドン)Andiam,Andiam 行こう、行こう
(ツェルリーナ)Andiam  行きましょう
(ふたり)Andiam,Andiam,mio bene, 行きましょう愛しい人
A ristorar le pene  恋の苦しみ
D'un innocente amor. この愛は穢れ無き愛

 複雑な女心を見せるツェルリーナの歌、T子さんは小柄小顔のかわいらしい印象の人ですが、ご主人と相思相愛、連れ添って40年以上というのを知っているので、大学でセラミック研究をしているというご主人も安心して聞いていたと思います。

 第三部の独唱、T子さんの歌は、プッチーニ「ラ・ボエーム」から、「私が街を歩くとQuando men vo'」
 自分の美しさが人々の賞賛を集め、男たちの瞳を釘付けにしてしまうことを知っているムゼッタが誇らしげに「みんなが振り返って私に見とれてしまう」と歌います。

 いつも優しくしとやかなT子さんが、オペラアリアになると変身して、先生との重唱では紺のブラウスに白いロングスカート、独唱ではかわいらしいピンクのドレスで歌いました。声もよく出ていて、筋肉鍛えて声帯強化をはかった成果が出ていました。

 出演者たちは、それぞれがお孫さんを持つ年配の方々。「今年の発表が終わると、次は来年の衣裳、何着ようかと考える」と、先生の挨拶にもありました。歌うアリアを決めて衣裳をどうするか考える、それが心の若さの秘訣なのかもしれません。

 もちろん素人のおばさん(おばあさん?)の歌なのですから、音程も外すし、声が出切らないところもありました。二部と三部の間30分の休憩時間にお客が帰ってしまわないように、お茶とサンドイッチでのおもてなし付き。
 私は、サンドイッチもいただいた上、プロのバリトンの歌声で4曲もきけたので、楽しかった。

 水野洋助さんの歌、「カルメン」の闘牛士の歌も聴き応えあったし、せひもう一曲とせがまれたという、武満徹「小さな空」を、アカペラで歌ったのがとてもよかったです。

 T子さん、素敵な歌声をありがとう。

<つづく> 

2013/10/02
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声2013(2)女声合唱&「音楽ひろばに 夢と願いを」

 9月14日土曜日、ジャズダンスサークルの仲間が出演するステージに出かけました。
 初めにホクトピアでT子さんとCozさんが出演する「北女声合唱」を聞き、急いでバスに乗って池袋へ。15時から、同じサークルのみきさんが出席する「音楽ひろばに 夢と願いを-としま区民芸術祭/区民参加によるアートステージ」

 「北女声」は、20人の女声合唱。指導している宇野徹哉さんは、バリトン歌手として舞台にたつほか、洗足学園などで声楽、合唱の指導を続けている方。北女声合唱団の指導も、すでに四半世紀になるそうです。
 今回の合唱のうち、私は「たんぽぽ」という曲が印象に残りました。ポ、ポ、ポ、ポ、、、という歌詞の響きがとても楽しくて、心の野原一面にぽぽぽと、たんぽぽが咲きました。

 豊島区は、区長が「お金がない豊島区ですが、文化の力で区民を盛り上げたい」という方針で、「としま未来文化財団」という専門の財団を設立し、音楽プロデューサー坂本和彦さんを中心にいろいろな事業を行っています。区民参加のイベントも数多い。
 豊島区民合唱団には、金曜日夜のジャズダンスサークルのうち、3人が参加しています。今回は、みきさんが 「音楽ひろばに 夢と願いを」に出演しました。



 舞台下手に「としま ユングフェスタ オーケストラ」真ん中があいていて、上手にカフェを模してテーブルと椅子。「パエリア、オムレツ、お好み焼き」と書かれたメニュー看板も立てられています。
 みきさんは素敵なワンピースに身を包んで、カフェのお客さん役。坂本先生の軽妙洒脱なトークでミュージカルナンバーが紹介される中、オペラ歌手大貫裕子さんが「サウンドオブミュージック」子供たちと「ドレミの歌」を歌い、合唱団は「オペラ女子」「オペラ男組」といっしょに、「オムレツ」「大阪風お好み焼き」を歌いました。

 坂本先生は合唱団の女性に「大阪風お好み焼きを歌うときは、こてこての大阪のおばちゃん風の衣装を着るように」という指示を出したそうで、女性陣はみな張り切ってド派手なこてこて衣装でした。ほんとうに大阪のおばちゃんたちがこんな派手な服ばかり好むとは思いませんが、思い浮かぶイメージです。みきさんは、黄色いブラウスに白いパンツ姿に着替えて、楽しそうに「大阪風お好み焼き」を歌っていました。

<つづく>

| エッセイ、コラム 



2013/10/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(3)水織ゆみシャンソンコンサート秋

 9月26日「水織ゆみシャンソンコンサート秋」がありました。ミサイルママはじめ、Aダンスの仲間たち、いっしょにゆみさんの歌を聞きにでかけました。
 四谷区民ホールで開催されたコンサート、今回もとても楽しかったです。

 このコンサートの前、いっしょにジャズダンスの発表会に出演したときは、ゆみさんの体調が万全でなく、のどは最悪の状態だったので、コンサートまでに回復できるか、心配しました。でも、さすがプロ。本番では声量もたっぷりと歌い上げて、すばらしい歌声でした。

 前回の「シャンソンコンサート春」は、ピンクやパステルカラーの春らしい色合いの衣装でしたが、今回は、秋の歌「枯葉」や「ぶどうの季節」という歌に合わせたシックな色合いのドレスや小粋なパンツ姿などを披露し、ピアノとギターの伴奏で、歌ってくれました。

 歌の合間のトークもいつものようにお客を笑わせたりしんみりさせたり。
 世界の恵まれない子供やホームレスの人を思いながら歌う「愛しかないときQuand on n'a que l'amour」のときは、涙を流しながらほんとうに心に響く表現力でした。
 歌の表現でも、「ビッグスペンダー」という1967年のヒット曲で、今年車のCMやエストのCMに使われた曲を水織ゆみさんの訳詩で歌ったときは、思いっきり色っぽくそしてかわいい女に。「いつまでこんなスタイルで歌えるかしら」と言っていましたが、ジャズダンスやフラメンコで鍛えている水織さんなら、いつまでも色っぽくかわいい女を演じられるんじゃないかしら。

 第二部の曲のあいまにお客さんたちに話しかけながら客席を回って歌ったとき、「先輩の○○さん、よく来てくださいました。稚内から聞きにきてくれた○○さん、ありがとう」「シャンソン教室の第一期生の○○さん、おひさしぶり」など、ひとりひとりに声をかけてとおりすぎました。
 通路側の席だった私の前では「ジャズダンス仲間のE-Naちゃん、ようこそ」と、名前を呼んでくれて、嬉しかったです。

 私は、この秋のジャズダンス発表で水織さんにとても親切にしていただきました。いつまでたっても振り付けを覚えられない私にていねいに指導してくれたり、本番前にテキトーメイクの私の顔をしっかりダンサー風に作ってくれたり。
 素顔の水織さんは、とても気さくであけっぴろげな方なので、私も気軽にゆみさんゆみさんと呼んでお付き合いしていただいていますが、ステージではキラキラ光っている別世界の人という印象です。でも、今回、ステージの最中でも気さくに私の名もよんでくださって、いっそうファンになりました。

 第二部の最初は「パリアルカルト」と題してパリを歌った曲のメドレー。その中の「アイラブパリ」がyoutubeにUPされています。
http://www.youtube.com/watch?v=ZeJHgT_jMMg

 第二部で歌われた曲の中で、私の好きな曲「闘牛士」 
 youtubeにUPされているのは、20年くらい前のNHKパリ祭のときの録画です。
http://www.youtube.com/watch?v=YKQ-uF-omSM 

 「闘牛士」を歌う水織さん、赤い帽子に黒いタイツも凛々しいハンサムウーマンです。

 新島襄は「アメリカの母」と慕うハーディー夫人当てた結婚報告に、妻・新島八重について次のように書き残しました。
.........Of course she is not handsome at all. But I know of her is that she is a person who does handsome.(.........私の知る彼女は、とても美しく正しい(ハンサムな)行動をする人です)。

 she is a person who does handsomeという新島襄のことばをNHKの歴史秘話ヒストリアは「彼女の生き方はハンサムです」と訳し、大河ドラマ以後の新島八重は「ハンサムウーマン」と呼ばれるようになりました。
 「ハンサムウーマン」という呼び名、シャンソン歌手水織ゆみさんにも当てはまると思います。 Of course she is handsome。And I know of her is that she is a person who does handsome.もちろん彼女はとてもかっこよく、そしてとてもハンサムな生き方をしている人です。

 専業主婦からシャンソンコンクールに応募。優勝後プロのシャンソン歌手になったときは40歳。それから四半世紀、全国のホールやシャンソンバーで歌い続け、シャンソンのお弟子さんたちに歌を指導してきました。
 2011年以後、被災地でのボランティアコンサートなどの支援を続けており、とても生き方がハンサムです。

 アンコールでは、私の好きなエディット・ピアフ「水に流して(私は後悔しない)」も聞くことができました。
 ちまたで歌われているのは岩谷時子訳詩ですが、水織さんはほとんどのフランス語歌詞をご自身の訳詩で歌います。
 でも、水織さんの歌う「水に流して」は、youtubeにもないので、歌詞がわかりません。春庭の意訳超訳で紹介します。いつも、自分の織り上げてきた日々のよいことも悪いことも」すっきりできなくて、いつまでもうじうじしている私には、聞いているだけで、「そう、そう、ここから今からはじめるのよ」という気になる歌です。

♪Non, rien de rien いいえ、ほんとに
 Non, je ne regrette rien 後悔なんて、これっぽっちもしてないわ
 Ni le bien qu'on m'a fait, ni le mal 私が自分で織り上げた日々、
  Tout ca m'est bien egal みんな等しく私自身のもの
  Non, rien de rien    後悔なんて
  Non, je ne regrette rien ひとつもないわ
  C'est paye, balaye, oublie すべて忘れて
  Je me fous du passe       過去はすべて流してしまった

  Avec mes souvenirs  思い出といっしょに
  J'ai allume le feu       焼き尽くしてしまった
  Mes chagrins, mes plaisirs 私の悲しみも楽しみも
  Je n'ai plus besoin d'eux もうそんなものもいらないの
  Balances mes amours  すべての恋を
  Avec leurs tremolos   振り捨ててしまった
  Balances pour toujours  全部精算して
  Je repars a zero          ゼロからはじめる

  Non, rien de rien   ええ、なにも
  Non, je ne regrette rien 後悔なんかしていない
  Ni le bien qu'on m'a fait, ni le mal 私がしてきたこと
  Tout ca m'est bien egal よいこともわるいことも等しく
  Non, rien de rien        いいえ 少しも
  Non, je ne regrette rien 後悔なんかない
  Car ma vie   私のいのち
  Car mes joies  私の喜び
  Aujourd'hui       今日から
  Ca commence avec toi... あなたとともに始まるのよ

 アンコール曲のしめになっている「友よ目覚めよ」を、白いドレスとケープで歌いました。
 youtubeにUPされている水織ゆみさんの歌声(京都コンサートの録画なので、私が9月26日に聞いたときとドレスは違いますが)
・友よ目覚めよ
http://www.youtube.com/watch?v=c9G3hZC7QdM&feature=endscreen&NR=1

水織ゆみ訳詩の一部を紹介します。youtubeにUPされている「友よ目覚めよ」の後半です。

♪人は誰でも 人生の花を咲かせる 
例えそれが 野辺に咲く 名前もない花であっても
今更遅いとあきめているんじゃないか 
過ぎ去るというより 積み重ねれば 小さな林も いつしか森になる 
気付いた時から 何かが変わっていくものさ 
ひとつの出会いを大切に 
そこから新しい人生 今こそ その時


 2013年3月の「水織ゆみコンサート春」から「夏」「秋」と歌い続け、2014年2月には「冬の章」コンサート。
 渋谷の伝承ホールでのひとり語りと歌「鰊御殿物語」「吉岡弥生伝」を上演するそうです。
 ぜひ一度水織ゆみさんの歌を聴いてみてください。

日時:2014年2月6日(木) 場所:渋谷 伝承ホール
昼の部 2:00~「鰊御殿物語」
夜の部 6:30~「吉岡弥生伝」
主催:サンケイリビング新聞社

<つづく>
2013/10/05
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(4)東京ヘブンアーティスト

2013/10/09
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(4)東京ヘブンアーティスト

 大道芸人、ストリートアーティストとは、世界中のどの国でも、どこからかふらりとやってきて、いっとき街や村の人々に音楽を聴かせたり芝居を見せたりして投げ銭を乞い、またふらりととなりの町へと過ぎ去っていく。そういう放浪のイメージを持っていました。フェデリコ・フェリーニ「道」のアンソニー・クインとジュリエット・マシーナのイメージです。

 しかし、なんでもエラソーに権威付けることが好きだった東京都の前知事は、大道芸人に審査を施して選別することにしました。東京都が「これなら東京都にとってふさわしい」と認めた芸人に「東京ヘブンアーティスト」というお墨付きを与えて、街なかでの上演を許可しました。

 私は、この許可制度には反対です。大道芸とは、本来「芝居小屋などでは表現できない異端も時の権力者への反逆も、すべて飲み込んで上演される」のが本当の姿だと思うからです。

 お上に審査してもらって、許可されて演じるというのでは、本来の大道芸ではないだろうという気がするのですが、なんでも官許が好きなお国柄です。たとえば、大道芸オーディションの場で「東京五輪開催反対」をネタにした芸を披露して、その芸が標準以上のできのとき、合格するものかどうか知りたいです。

 フランスでの、大道芸人のオーディションを見習ってのことだろうと思います。フランスではロマ(ジプシー)の大道芸人とその他の芸人の間に軋轢が生じたりするのを防いだり、執拗に投げ銭をせがむ行為が観光客に不安を感じさせフランスの評判をおとすことを防ぐなどの意味合いもある措置だったと思います。
 東京の大道芸官許は、「質の高い娯楽を都民に提供できるようにするため」だそうです。

 でもまあ、上野や代々木、井の頭などの公園などにいくと、「お墨付き大道芸」が見られるので、楽しませてもらっています。「お墨付き」で、どのグループも「質の高い娯楽」です。

 ある日の上野公園。「東京楽竹団(とうきょうらくたけだん)」というグループのパフォーマンスを見ました。
 楽竹団ホームページ  http://www.tokyo-bamboo.com/

 楽竹団は、楽団名のとおり、「竹」をつかった楽器を手作りして演奏しています。楽器用途に合う音色の竹を探し、山に入って竹を切り出すところからの手作りだ、とMCが言っていました。

 インドネシアの民族楽器「アンクルン」は、留学生の演奏を聞いたこともあるし、知っていました。
東京楽竹団のアンクルン

 日本では、もともと竹製の楽器は馴染みのものです。尺八は、竹をつかった日本の代表的な管楽器ですし、雅楽の篳篥(ひちりき)は、漆を塗った竹。鳳笙(ほうしょう=しょうの笛)は、いろいろな長さの17本の細い竹管を組み合わせています。
 竹の鳴子をお土産にもらって、風鈴がわりに窓辺に吊るしていたこともありましたし、竹にさまざまな音色があることはわかっていました。しかし、竹の楽器だけの演奏グループをはじめて聞きました。楽竹団の演奏で初めて見た楽器もありました。
http://www.tokyo-bamboo.com/inst.html

 この日は、「八木節」「「童神~天の子守唄」「花」などの曲が演奏されました。


 たいていのヘブンアーティストが最後の曲の前「私たちは大道芸人です。みなさまのおこころざしで演奏活動を続けています。演奏がお気に召しましたら、お気持ちを丸い形にしていただけますと幸いです。まるいのもいいですが、長方形の形はもっとうれしいです」なんて挨拶します。

 私の方針は、10年前から「10分間立ち止まって演奏を聞いたら100円。30分で500円のワンコイン主義。
 ヘブンアーティストは、「四角いほうが、、、、」と言いますが、東京には、無料または千円500円の料金で屋内ホールでの演奏会がたくさんあります。2時間のホールコンサートで千円なら、ホール賃貸料がなしの演奏で30分500円はそう悪くはないかなと。
 楽竹団の演奏もとてもよかったですが、すみません、投げ銭はワンコイン。

 「じょんがら」がとてもよかったです。(youtube での楽竹団の演奏は、上野公園ではなく、舞台での公演です)。
http://www.youtube.com/watch?v=8rBJTl7ZGGU

 上野公園での演奏「島唄」(youtube映像は、昨年の演奏です)
http://www.youtube.com/watch?v=-gJZT0df3AI

 私は公園を散歩することが好きなので、ヘブンアーティストに出会うことが多いですし、そのほかの場所でも「無料公演」というのがあると、時間がある限り聞くことにしています。「無料」というのが大好きなので。
 夏休み中、「今日は、火曜日。泉屋博古館は月曜休館だから、開館しているだろう」と六本木駅に降りたら、改札口前のコンコースから三味線の音が聞こえてきました。「HIDEHIDE」という和楽器デュオの駅構内演奏会でした。美術館は逃げていかないから、演奏を聴いてから行こうと思って、いすに腰をおろす。

 若くてイケメンのデュオ、とてもかっこいい。尾上秀樹(中棹三味線)と石垣秀基(尺八)のおふたり。ふたりのヒデキなので、HIDEHIDE。


 六本木では、「はげ山の一夜」や子供向けサービスで「崖の上のポニョ」などが演奏されました。

舞台公演の映像youtubeです。 
・ノスタルジア  http://www.youtube.com/watch?v=xx4xEj9PkdU
・(たぶん)ロシアでの演奏 http://www.youtube.com/watch?v=WqH74-oXqQI
・http://www.youtube.com/watch?v=WPbYJRtIkXo

 この日火曜日でしたが、泉屋博古館は展示入れ替え中で休館。確認しないででかけたおかげで、HIDEHIDEの演奏を偶然聞くことができました。

 ほかにも、東京芸大の学生がワンコイン500円で月一回のコンサートを続けていますし、アマチュアオーケストラのコンサートも多数開催されます。無料で音楽を楽しめるという点で、東京は世界で有数の音楽都市です。

 オリンピックでたくさんの外国の方が来日するチャンス。スポーツとともに、アート(音楽も美術もダンスも)をもっともっと街角で楽しめるようにしてほしいです。
 ヘブンアーティストもいいと思いますが、たまには「自由な天国」でだれでも自分の芸を披露できる場所を設けておくとか。もちろん投げ銭OKで。
 私も街角で踊りたくはあるのですが、投げ銭おひねりのかわりに、石礫とんできそうです、、、、、

<おわり>

ぽかぽか春庭2013年9月目次

2013-10-05 | インポート

| エッセイ、コラム



ぽかぽか春庭>2013年9月目次

09/01 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(1)2003年の介護
09/03 2003年9月(2)歴史リテラシー&ジュラシックパーク
09/04 2003年9月(3)2003年のフリーリレー
09/05 2003年9月(4)2003年の親子喧嘩
09/07 2003年9月(5)2003年のダンス発表会
09/08 2003年9月(6)2003年のファミリーコンサート
09/10 2003年9月(7)2003年のピンポン
09/12 2003年9月(8)2003年のアフリカの日々

09/12 ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(1)スーパーよさこい原宿表参道元気祭
09/14 踊る阿呆に見る阿呆(2)ダンス甲子園
09/15 踊る阿呆に見る阿呆(3)マイヨーのLac
09/17 踊る阿呆に見る阿呆(4)土方巽疱瘡譚inベーコン展

09/18 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記2013年9月(1)ジャズダンス発表会
09/19 十三里半日記9月(2)青春18切符2013夏
09/21 十三里半日記9月(3)鶴岡-日本海旅行1
09/22 十三里半日記9月(4)松本-日本海旅行2
09/24 十三里半日記9月(5)新潟-日本海旅行3
09/25 十三里半日記9月(6)酒田-日本海旅行4

09/26 ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽんご教師日誌>留学生の日本文化体験教室(1)日本家庭細見
09/27 留学生の日本文化体験教室(2)畳の部屋で日本体験
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ぽかぽか春庭「留学生の日本体験in春庭家」

2013-10-05 | インポート

2013/09/26
ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽんご教師日誌>留学生の日本文化体験教室(1)日本家庭細見

 21日土曜日、前期に教えた留学生を招いて「日本の一般家庭を見る」という文化体験コースを企画しました。
 前期のクラスの女子学生、台湾の学生は夏休み中は実家に帰省。ミクロネシアの女性はハワイに滞在中。
 西アフリカ・モーリタニアと北アフリカチュニジアの女性は、イスラム教徒なので、食習慣の違いなどから、なかなか日本旅館に泊まったりできません。ホームステイで自分だけ別仕立ての食事になるのも気兼ねです。長野で行われたサマーキャンプに参加したと言っていました。キャンプの自炊ならムスリム(イスラム教徒)の食事が自分たちで作れます。

 これから7年後に向けて、きっとムスリム向けの食事サービスもずいぶん進展するのではないかと思います。厳しい宗派では、ハラルミート(イスラムコーランの教えを唱えてから決まった作法により肉になったもの)を食べる、というほかにいろいろな制限があります。スープが豚骨だしなのを知らずにベジタリアン向けかと思って「野菜ラーメン」を頼んで、豚のスープなので食べられなかった、というようなこともあります。

 同じイスラム教と言っても、アフリカモーリタニアの女性は、教室にも必ずスカーフをかぶってきましたが、チュニジア女性にはそのようなしばりはなし。宗派によっていろいろです。

 これまで、中国で教えた学生な何度か招いたことがありましたが、国立大学の国費留学生を招くのは初めてのことです。国費留学生のためには、ホームビジットやホームステイなど、大学側のプログラムが充実していて、日本人の家庭を見る機会も多いからです。でも、今期の学生、イスラム教ということと、病気がちで病院通いが忙しかったということもあって、ホームステイにでかけたのはタジキスタンのひとりだけというので、「日本の年金暮らしの老人が住む普通の暮らしを見る」という機会を作ることにしたのです。

 レッスン1からレッスン5までの日本文化体験教程を事前に知らせておきましたので、玄関チャイムを鳴らすところから「How to enter a Japanese house 」の学習です。玄関で靴を脱ぎ、内側に向けて揃えるところから。玄関でスリッパに履き替える家が多いけれど、足が冷たくなければ、履かなくてもいいと教えたのですが、これって正しいマナーかしら。

 居間で、姑にご挨拶。4月に日本に着いて、あいうえおの「あ」を読み書きするところから学習をはじめた西アフリカの女性。漢字の読み書きもこなして、修了式には、他のクラスの先生方も「ゼロスタートの初級クラス学生でよくぞこんな立派なスピーチをしたものだ」と、感心されるほど上達しました。「今日は、お招きありがとうございます」という口上もそつなくこなし、お花、キャンプに出かけた先の土地のゆべし菓子折りなどを姑にプレゼント。

 しばしお茶を飲みながら、姑と日本語で歓談。姑は、東京に出てきてから60年になるけれど、ずっと舅と米沢弁で話して暮らしてきたから、留学生にはちょっと伝わりにくく、ときどき私が通訳。留学生には、「彼女をユキ子さんと呼んでください」と伝えてあります。私は姑を呼ぶとき、「家族内の一番小さい人から見た親族名称で呼びかける」という日本家庭の習慣に従って「おばあちゃん」と呼びますが、この日本家庭の親族呼称ルールをよく知らない外国人が聞いたら、私の祖母かと誤解します。

 おばあちゃんがいただいた花を仏壇に備えたので、祖先を祀る日本の習慣などについてレクチャー。お彼岸の話などをしながら、おみやげにもらったお菓子の箱をあけ、舅が好きだったゆべしを仏壇に供えました。学生のお茶にも供し、日本の習慣では、おみやげにもらったお菓子を客に出すとき、「お持たせですみません」と断ること、目上の客の場合、おもたせのお茶菓子を出したら失礼に当たることを説明しました。すると、モーリタニアの習慣でも、客の持ってきたおみやげは、その場では出さない、同じ習慣だというので、私のほうも勉強になりました。欧米ではおみやげをその場で開けなかったら失礼になるというところが多いので、やはり世界にはいろいろな文化習慣があるなあと思いました。

 次に緑茶を急須で入れる方法について実演し、学生におかわりを注いでもらうことに。以前に日本の家庭に行ったことのある学生が、「ホームステイ先でお茶を入れたとき、最初の茶碗には濃すぎるお茶を注ぎ、順に注いでいって、最後の茶碗は薄くなってしまって、困った。でも、ホストマザーは何も言わなかったので、そのまま飲んでもらったけれど、今日、急須からひとつの茶碗に一度に入れるのでなくて、お茶碗を並べて少しずつ均等に注ぐのだとわかりました」と、喜んでいました。

 ホストファミリーは、「お茶が薄い」とか文句を言ったら悪いと思って言わなかったのでしょう。留学生を歓迎してくれる心遣いですが、お茶の入れ方も、学生にとっては勉強です。近頃は日本人学生でもペットボトルのお茶かティーバックの紅茶くらいしか飲まないので、お茶の入れ方ひとつでも習う必要があります。年寄りの集会などがあっても最近はもっぱらペットボトルを配るだけです。

 お茶のあと、姑はおにぎりを食べて、デイケアセンターの体操教室に出かけていきました。お昼ご飯を留学生と作るという文化体験、姑がいると何かと気を使わせてしまうので、姑が体操教室に出かける日を選んだのです。

 ゆべしは問題なかったのですが、あっとあせったのが、こちらで用意したフルーツケーキ。一口食べてみて、あ、失敗した。このフルーツケーキのレーズン、ラム酒か何かにつけてあるかも、と心配になりました。ストップ、と言って、菓子箱に書かれている材料記載をもう一度点検。材料に洋酒とか酒精とかあったら大問題。お菓子の中にアルコール分が含まれているだけでもNo!の宗派があるからです。材料一覧にはアルコール類が書いてなかったので、一応OKにしましたが、あぶないところでした。

 娘は「もし、日本人が海外でおせんべみたいな唐揚げを食べて、おいしいと思っても、あとでそれがゴキブリのから揚げだったと知ったら、すごく嫌な気分になるでしょう。母はなんでも食べる人だから平気でも、弟なら吐き出してしまう。だから、母も、ちょっとでもお酒とか豚肉系のものが含まれていないか、表示にようく注意して買い物するように」と、言われてきて、目をこらしてちらし寿司のモトなんぞにお酒がつかわれていないかどうか、見て買ったのです。
 お酒を飲まなくても、豚肉を食べなくても、材料に含まれている場合があるので、要注意です。

 ランチをいっしょに手作りすることにして、ちらし寿司を選んだのも、魚と卵などのちらしなら、心配ないから。
 さて、お料理がはじまりました。

<つづく>

2013/09/27
ぽかぽか春庭ニッポニアにっぽんご教師日誌>留学生の日本文化体験教室(2)畳の部屋で日本体験

 留学生の日本文化体験教室、レッスン2は、「How to cook Japanese chirashi-sushi」。
 ちらし寿司は、お彼岸によく家庭で作られる「日本のソウルフード」というような話をしながら、3人それぞれに、鮪、鮭、鯛、厚焼き卵を切ってもらいました。
 上に散らす材料はなんでもよく、最近はアボガド散らしなどもあるし、各家庭それぞれに家庭の味がある、などを話しながら、炊き上がったご飯半分にすし酢を混ぜて、うちわでパタパタ仰いでもらい、まず、てまり寿司を作りました。丸やら楕円やら好きな形にご飯をまるめて、上に刺身をのせる。あとの半分には「イージー、インスタントクッキング」と言いながら、「ちらし寿司のもと」を混ぜ合わせ、切った刺身やきゅうり、しそなどを散らし、きれいなちらし寿司ができました。

 あとは、それぞれが自由にレタスやきゅうり、ゆで卵などを組み合わせて「わたしサラダ」を作ってもらいました。既製品の茶碗蒸し、いわしマリネの和物などを並べて、ランチの出来上がり。既製品を利用することで、難しいのかと思っていた和食も案外簡単にできることがわかって、自分が作った手鞠寿司も「おいしい」と嬉しそう。
 食べ終わると大満足で「すし酢」の瓶や「ちらし寿司のもと」パッケージの写真を撮り、寮のキッチンで作ってみる、と張り切っていました。


 レッスン3は、「How to wear  Japanese Yukata」。
  3階の和室で、着物を来てみる体験です。家にあった娘の浴衣2枚と卒業式の着物と袴を用意しておきました。
 私は着付けなど習ったことはありませんので、結べるのは文庫帯とお太鼓だけ。暑い中、四苦八苦しながら、ゆる~い着付けで浴衣に文庫を結んだり三尺帯でちょうちょ結びにしたりしました。ひもがゆるいと着崩れするのですが、今は、着てみて写真を撮るだけなので、昼ごはんを食べたばかりの留学生に苦しくないようにゆるく結んだのですが、すぐに気崩れました。

 正しい着付けの方法ではなかったですが、「私は日本に来てすぐに浴衣を買ったのだけれど、どのように着るかわからなかったので、夏のあいだも着られなかった。これで着方がわかった」と、喜んでいたので、まあ、良しとしましょう。
 皆で大騒ぎして写真を撮りあっていました。



 畳のへりを踏まない歩き方、正座して三つ指ついておじぎをする挨拶など、所作をひととおり教えましたが、なに、私だって日頃は両手に物もってドアをしめるとき足で閉めたり、畳のへりなんぞ当然踏んづけて歩き、作法も所作もない生活をしています。まあ、気はこころ。

 おみやげに西アフリカの民族衣装の布をもらったので、着付けを教わりました。一枚の長い布を肩のところで二ヶ所小さく結び、頭と肩にかぶせます。昔、ケニアで着た着付け方とはやはり異なる方法で、私にも、よい文化体験になりました。

 ここで姑が帰宅したので、いっしょに写真撮影。姑は、体操教室のあとお昼寝するので、留学生が作ったちらし寿司は、夕食に食べてもらうことにしました。

 最後に「着物のたたみ方」
 私自身は「たたみ方」を母が着物しまうときに見ていただけで、見よう見まねで覚えたのですが、自転車と同じように、一度覚えると忘れないので、来年の夏は浴衣を着たいという留学生にも、きっと覚えていてもらえると思います。

 最後のレッスンは「How to cook Japanese sweets」
 白玉粉をお湯でこねて、各自好きな形に丸めてもらいました。これを茹で、既製品の小豆ぜんざいに入れて、出来上がり。超かんたんおやつ。
 これで、今日の日本文化体験レッスンは全部終了です。
 盛り沢山なプログラムで留学生は疲れたと思いますが、とても喜んでくれたので私も嬉しかったです。
 
 学生のfacebookには、さっそくちらし寿司がのった食卓と、浴衣姿のポートレートがUPされました。

 袴の着付け、どうしてもモスレムベールを脱ぐのはできないというので、襟元などぐずぐずになってしまいましたが、気にせず撮影。「楽しかった」の一言で、すべてOKです。

 夏休みの最後、留学生との再会が続きました。
 25日には、2009年に来日した中国の学生たちと、帰国前のさよならの会。
 この年月博士号取得のために大学院で研究を続け、晴れて9月27日に安田講堂で博士号を授与されました。大学ロゴ入りブックカバーをプレゼントしてもらいました。うれしいです。

 25日午後、後楽園の日本庭園をひとめぐりして、池の前のベンチでしばし歓談。中国の大学で教師として採用された報告などを聞きました。
 教え子が立派に博士号を取得し故国の有能な人材として育ってくれたこと、うれしくおもいます。

 もうひとり、15年前に教えた女性との会食。彼女には私立大学で日本事情と文章表現を教えました。私の出身校に転学し、10年の研鑽を経て博士号を取得しました。そのままオーバードクターで残って就職先をさがしています。
 彼女は、故国ではなく日本で大学教師になりたいのだけれど、日本にはポストが少なく、オーバードクターがごろごろいる状態なので、新任教師の募集を見て応募してもなかなか採用にいたらない、という悩みを話してくれました。

 うん、うん、そうなのね。若い博士号取得者が増えているのに、専任大学教師のポストはごく少なくて奪い合い。有力コネクションのある人から決まっていきます。ほとんどのオーバードクターは非常勤講師や予備校講師などの職で食いつなぐ毎日。
 悩みは聞いてあげられたけれど、彼女の就職に役立ちそうな情報は私にはまったくないので、有効な手立ては講じられませんでした。

 青雲の志を抱いて日本にやってくる若者たち。みなが将来の希望に向かってすすんでいけますように。
 私は10月に新しい留学生を迎えます。この秋に来日する新しい学生たちにとっても、日本が住みよい学びがいのある環境でありますように。

<おわり>


ぽかぽか春庭「日本海旅行」

2013-10-05 | インポート

2013/09/19
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(2)青春18切符2013夏

 私、乗り鉄歴55年です。一日中、電車に乗って、移動していくことそのものが楽しいのです。ですから、観光に切符を使うというより、電車を乗り継いていくことそのものが目的。降りなくてもいいのです。

 鉄道で一回りするために、時々「青春18切符」を買います。全部使い切ることもあるし、なんだかんだと忙しくて、結局使い切らないことが多い。買って大切にしまっておいたら、どこにしまったのか忘れて、一枚も使わないで無駄にした年もありました。

 青春18切符は在来線普通にのみ利用できるので、ご用とお忙し方には向きません。のんびり旅したい人向きですが、時刻表の組み合わせ方によって一日中乗り放題で、乗り鉄にはうれしい切符です。深夜に東京を出発して、一日中電車に乗って、夜8時前には博多までいくことができます。飛行機なら3時間弱、新幹線でも5時間ちょっとのところに、17時間かけて延々電車に乗り続けるのが楽しい、という人が乗り鉄なのです。

 今年は、8月に清里へ行く時1枚つかいました。新宿小淵沢経由の中央線と小海線。4時間半の乗車で、一日分の移動距離としてはちょっと物足りない。この時は移動が目的ではなくて野外バレエ鑑賞が目的だったのでしかたなかったですが、このあと、蕁麻疹で体調を崩し、一人旅に自信が持てなかったので、8月中には出かけられませんでした。
 残りは9月10日までに使わないと無効になります。そこで、8月末の土日と9月最初の土日に、「青春18切符消化旅行」を企画しました。

 8月31日(土)9月1日(日)の旅行は、夜行のムーンライトえちご往復の座席指定券を購入したほかは、何も予定を立てずに、「行き当たりばっ旅」でした。8月30日の朝、「みどりの窓口」で座席指定券の残席を調べてもらい、女性専用車の隣の席があいているシートを選びました。

 8月30日夜、7時から9時までジャズダンス練習。終わって9時半までミーティング。急いで家に帰って、シャワーを浴びてリュックサックかついでJR駅へ。京浜東北線で大宮へ。大宮駅ナカのショップで缶ビールやおつまみを買い込み、いざ出発。大宮駅からムーライトえちごに乗車しました。

ムーンライトえちご 

 夜行列車ですが、寝台車ではありません。リクライニングシート2席分つかって、どこでもいつでもすぐ寝られるという私の早寝付き本領発揮し、缶ビール一本ですぐに寝ました。しかし、改札がまわってきて12時前に起こされた。日付変更ラインの高崎までの料金を払い、8月31日付のはんこを青春18切符に押してもらいます。これで、31日の夜24時まで、JR在来線は乗り放題です。

 朝4時56分に新潟駅に着いたら、ムーンライトえちごを降りた他の客がホームを走っている。なんで走るのかなと思ったら、となりのホームに新潟発村上行きの電車が待っていました。つられて私も乗り込みました。村上からまた皆が走る方へ行ったら、羽越線酒田行きでした。青春18切符利用者たちは、ガイド本やネット情報で、どうやったら在来線を乗り継いでより遠くまでいけるかよく研究しているので、彼らはおそら、青森あたりに着く夜6時ころまで電車に乗り続けることでしょう。

羽越線村上発酒田行き


 羽越線の車内中吊り広告を見ていると、すてきな建物の写真がポスターにありました。車掌さんに「あの建物の最寄駅はどこですか」と質問。車掌さんは、「鶴岡だと思いますが、もう一度問い合わせをして確認します」と、調べてくれました。そこで今回の旅のテーマ決定。
 「東北近代建築巡り~擬洋風建築を中心に」。サブテーマは「日本海、海の幸満喫旅行」

<つづく>

2013/09/21
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(3)鶴岡-日本海旅行1

<8月30日(金)>
 大宮駅構内で缶ビールつまみなど買い物 23:48ムーライトえちご乗車。女性専用車は最後尾の6号車です。

<8月31日(土)>
 4:51新潟着 04:56~05:52白新線快速村上着  羽越線05:56~07:35 鶴岡着



 8月31日朝、鶴岡駅から出発。鶴岡公園を中心に擬洋風建築を探索しました。擬洋風建築というのは、明治初期に作られた「地元の大工さんの手によることが多い、西洋建築を模した建物」です。建築の報告はのちほどまとめて。
 サブテーマの「日本海、海の幸満喫旅行」。どんな旅も「おいしいものを味わう旅」になってしまうのですが、まずは、こちらのご報告。

 早朝でバスもレンタル自転車もなかったので、歩いて鶴岡市内を探索。駅に置いてあった観光マップを片手に、駅前の通りをまっすぐ歩いて日吉町商店街へ。シャッター下りている店が多いので、「これが噂の地方都市シャッター商店街か」と、一瞬思ったのですが、よく考えたら私の近所の店だって、土曜日の7時半にはまだシャッター開いてません。むしろ、鶴岡では開いている店もあったということが驚きなのでした。土曜日の朝7時半には営業開始。早起きさんの街です。

 山王神社脇を通って、市内を流れる川の橋に出ました。芭蕉が鶴岡に来たとき乗船した場所というのを見物してから、三雪橋を渡り、鶴岡カトリック教会へ。他の観光地はまだオープンしていないとしても、教会なら朝早くてもオープンしているだろうと思って。
 信者さん世話係のような人がいて、黒い顔のマリアさまのことなどの説明テープのスイッチをいれてくれました。司祭さんもお顔が黒い方でした。フランシスクス・スリ・ワルヨという神父さん。お名前から見て、インドネシア出身の方かなあと思います。



 教会から旧風間家へ。明治年間に建てられた豪商の家で、ひわだ葺きの屋根に石を並べた石屋根造りが特徴です。


石を並べた屋根

 藤沢周平原作の映画『蝉しぐれ』。主人公文四郎と幼馴染おふくとの再会シーンにこの家の座敷が使われたそうです。


 文四郎がおふくへのせつない思いを隠しながら対面するシーン、私もしばし佇んでみました。文四郎みたいなイケメンと対面している気分なんですが、傍から見れば蝉しぐれというより、セミの抜け殻がたたずんでいるみたいな。


 藩校の致道館を見学したおり、土曜日のイベントなのか、論語の講読が行われていました。まず師匠が音読し、広間に集まった人々はそれに唱和していきます。「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」などの音読の声を聞いていると、高校時代の漢文授業を思いだしなつかしかったです。高校時代は、音読なんぞしなくても、黙読して意味を理解すればそれでいいじゃないの、なんで先生の発声どおりに真似しなけりゃならぬのかと思いましたが、人々の唱和音読を聞いているのはいい気分です。「学んでる!」っていう気分。

 致道館の門

 羽越線車内ポスターにあった建物を見学するため、鶴岡公園へ。明治初期~大正期の建物が移築復元されています。至道博物館、大宝館などを見学。
 市内博物館共通券を買ったので、観る予定のなかった藤沢周平記念館にも入館。藤沢周平好きなのに、館内でUVカットの帽子がなくなっていることに気づき、さっと一巡しただけであわててもとの道を戻ることにしました。公園内を散歩中落としたと見えます。ゆっくり歩いて戻ると、公園内のベンチの脇に落ちていました。だいたい、一回旅をすると、本やら傘やら、何かしら忘れ物落し物をしてくるのが常ですが、今回は落としたものを拾うことができて、よかった!
 博物館脇の茶店で「山形桃アイス」を食べました。

 羽越線からの庄内平野のながめ


 羽越線は、海を眺めるには最高の路線です。線路が海ぎりぎりのところを通り、打ち寄せる波、岩場で釣りをする人などが眺められます。

 新潟へ戻る途中、桑川駅近くに「道の駅笹川流れ夕日会館」を目にしました。下車して日本海の海の幸を食べたかったのですが、時刻表を持ってこなかったので、後続の電車予定がわかりません。電車すれ違い待ちの間に、駅舎の時刻表を眺めに出て、在来線の後続は50分後に1本あるだけとわかりました。はたして50分で食事を注文して食べて帰る時間があるかどうかわからなかったので、残念ながら桑川での食事をあきらめました。

 目についたのは、「ちどり」という食堂です。「ちょっと寂れた海の家、民宿」という雰囲気がして、海水浴シーズンが終わると寂しそうな印象ですが、あとでネットで調べると、岩牡蠣ほか海鮮料理で地元では有名な店らしかった。
 岩牡蠣やうにを食べたかったのに、岩牡蠣の旬は夏みたいで、次に食べるチャンスは来年になってしまいます。

 夕食は安全策で新潟についてからにしました。駅の周辺をうろうろ歩いて、女性客がひとりで入れそうな店をさがしましたが、居酒屋が多い。ひとりで入るにはちょっと気がひける店構えのところが多くて、どうしよかと躊躇していたら、急にどしゃぶり。まさしくゲリラ豪雨。
 あわてて目の前の店に飛び込みました。この店の屋号も覚えていないのです。
 生ビール、烏賊の一夜干し、煮魚、栃尾の油揚げを焼いたのをいただきました。栃尾の油揚げは、関東でいう厚揚げです。

 ともかく、私にとっては「一人居酒屋デビュー」でした。友人といっしょだったり宴会では居酒屋に入ったことがありますが、一人では東京でも地方でも入ったことなかった。
 お寿司屋などではたまにひとりでカウンター席ににすわることもありました。しかし、ひとりで飲食店に入るのは、牛丼チェーンやラーメン屋なら平気なのに、居酒屋は今まで入るチャンスがありませんでした。ひとりでお酒を飲みたい、ということがなく、ひたすら食べるのが趣味なので、食べる店にはひとりで入ってきたのですが。

 雨も小ぶりになったので、新潟駅へ。
 日本海のおいしいものをもっと食べたかったなあ、リベンジしなくちゃ、と思い、9月最初の土日も新潟に来ることにしました。

<つづく>

2013/09/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(4)松本-日本海旅行2

 擬洋風建築探索というテーマが決まったので、9月最初の週末は、きちんと計画を立てました。ビジネスホテルをインターネット予約し、9日夜のムーンライトえちごの座席指定券も予約。いざ、「おいしい日本海リベンジ」&「擬洋風建築探索」&「青春18切符でできるだけ長い時間電車に乗っている」という欲張りな旅行に出発です。
 計画は以下の通り。

<9月7日(土)>
1)05:30四谷発06:26八王子着06:36八王子発10:17松本着 青春18切符利用(225km、4080円)
2)松本市内散歩 市内路線バス利用                                       
 旧開智学校、旧松本高校などを見学。
3)17:34松本発 長野直江津乗り換え22:08柏崎着   青春18切符利用(180km2940円)
4)柏崎駅前 ホテルサンシャイン シングル宿泊4500円

<9月8日(日)>
5)07:46柏崎発09:18新潟着 80km1620円(現金で切符購入)
6)新潟市内散歩
  新潟市郷土資料館みなとぴあ(新潟税関庁舎 第四銀行住吉町支店)、新津記念館(新津恒吉邸洋館&和館)、新潟県政記念館などを見学
7)新潟駅前東急イン宿泊4200円

<9月9日(月)>
8)6:08新潟発06:46新発田06:49~09:30酒田着 青春18切符利用(390km2940円)
9)酒田市内散歩  自転車レンタルまたは市内循環バス
  六角灯台、本間家本宅、本間美術館など見学
10)酒田発17:22~新発田乗り換え19:30新潟着 青春18切符利用(390km2940円)  
11)新潟発23:38ムーライトえちご  
   新潟-新津青春18切符(15km530円)新津で日付変更。青春18切符の利用終わり。新津-新宿 5,250円
(青春18切符2枚(4200円)利用の移動距離合計1200km。

<9月10日(火)>
12)新宿着05:10 

 以上の青春18切符旅行計画をたてて、9月7日朝、出かけました。
 10:30に松本駅に着いて、駅の観光案内所へ。無料の貸自転車があるというので喜んで借りて街へ出たら、怪しげな空模様。ま、いいかと、一番の目的地である旧開智学校へ向かいました。途中松本城は、前に中を観光したことがあるし、今回は明治初期擬洋風建築というテーマなので、外から見ただけで終わり。

横から見た松本城

 旧開智学校は、1873(明治6)年に建てられた小学校です。この夏、軽井沢静養中の天皇皇后両陛下が視察されたということなので、ニュースで建物を目にした方もいると思います。自転車で向かうと、旧開智学校の手前に現在の開智小学校があり、生徒が元気にサッカーをしていました。


旧開智小学校




 旧開智学校の見学を終えて入口にもどると、雨が強くなってしまい、いったん駅に戻ろうとしました。ところが生来の方向音痴、自転車を借りた松本駅前ではなく、北松本駅に行ってしまいました。雨は強くなる一方で、途中車に追い立てられてころぶし、さんざんな思いで、もとの道に戻るのが鉄則と思って開智学校に戻って、やっとこさ松本駅前に自転車をかえしました。濡れたシャツ、夏向き冷却シャツになったと思うことにしました。

 市内循環バスを利用(300円)。あがたの森公園旧松本高校へ。旧制高校の校舎、今でもいろいろな教育関係のイベントに利用されています。
 山辺学校歴史民俗資料館も見たかったのですが、バスの本数が少ないのであきらめ、かわりに松本美術館に入館。草間彌生の展示室があったので。鏡を使った展示など、草間らしい「増殖していく」イメージの作品が展示してありました。

草間彌生のオブジェ作品 美術館入り口脇の野外展示


 信州に来たら蕎麦食べないと、と思って夕食は松本駅舎のなかにある「榑木野」という蕎麦店へ。駅ナカの蕎麦屋というと立ち食いそばのようなところでしか食べたことのない私ですが、この「榑木野」は、地元の人も通うという店らしかったです。
 私はエビ天ぷらとかけ蕎麦。雨に濡れたシャツがまだ湿っていて温かい蕎麦が食べたくなったので。

 特別快速妙高5号などを乗り継いで柏崎へ。夜の移動だったので景色は楽しめませんでしたが、柏崎手前の鯨波でしばし郷愁に浸りました。子供の頃の私にとって、海といえば鯨波だったので。

 駅前のビジネスホテル。特にすることもないので、格別見たいわけでもなかったけれど、テレビをつけて「達人達 佐渡裕×羽生善治」を缶ビール飲みながらぼうっと見ていました。つけっぱなしにしていたら、次にETV「ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ~」の再放送がありました。評判がよくて何度も再放送されてきた番組とのことですが、ほんとうに心打たれるドキュメンタリーでした。

 30年間広島市内の団地商店街で清掃員として働きながら、ゴミの中からクレヨンや絵具を拾い集め、ぞうきんやモップを画材にして絵を描き続けてきたガタロさん。被爆2世として広島の街を見つめ、清掃道具を見つめてきました。ガタロさんの描いた雑巾やモップは、ゴッホが描いた古びた靴の絵を思い出させました。古びた雑巾が、すごい存在感でした。ガタロさんに言わせると、雑巾が古く黒くなるのは、他のものをきれいにしてやった結果だと。働き続けた雑巾を「愛おしい存在」という目で見つめていることが、絵からにじみ出ていました。

 家にいると夜のドキュメンタリーなど見ることもなかったでしょうから、こんなテレビ番組との出会いも、旅先だからこそと言えるでしょう。

<つづく>

2013/09/24
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(5)新潟-日本海旅行3

 建築紀行新潟編。新潟駅前から「ドカベン号」という市内循環バスに乗りました。
 最初は、新津記念館。新潟で石油王として成功した実業家の立てた洋館(迎賓館)の見学。昭和の洋風建築で、国の登録有形文化財ですが、室内撮影禁止とのことで、外観だけ撮影。500円。

新津記念館南側


 ドカベン号の順路に従って、1895(明治28)年の建築で、大地主伊藤家の別邸(北方文化博物館)の外観を見てから、斎藤家へ。
 斎藤家は、1918(大正7)年建築、豪商の和館です。現在は新潟市の所有になり庭と屋敷が公開されています。

斎藤家庭園側から

二階から庭を見る

 斎藤家の次に旧小澤家住宅(北前船の時代館)へ。


 入口で、斎藤家で私の前になったり後ろになったりしながら歩いていた一人旅のおばさんが、「ここ、見ますか」と声をかけてきました。「ええ」と答えると「じゃ、ごいっしょに」と言う。あれ?「ごいっしょ」はちょっとしんどいかも。ま、いいか。

 おばさんは、川崎に住んでいると自己紹介し、佐渡の薪能を見に来たのに雨がふって会場が室内に変更になり、その変更地がわかりにくい場所で往生した、というような話をひとりで語り続けます。私は相槌をうつだけでよかったので、それほどしんどくもありませんでした。彼女は一人旅をよくするのだけれど、行く先々でお連れを探して、薪能もどこかのおばさんと偶然いっしょになって見たのですと。こういう誰とでもすぐ友達になれる人もいるし、話しかけられるだけで疲れてしまう、私のような非社交人もいる。

 小澤家の内部をボランティアガイドさんが説明してくれました。
 博物館や美術館のボランティアガイドさんはみな勉強熱心な方が多いのですが、困るのは、ときとして、こちらのほうが美術や歴史にくわしいとき、ガイドさんの間違っていることを指摘するような場合です。
 この日のガイドさんは、ボランティアガイドを定年退職後の生きがいにしているとおぼしき年配の男性でした。このときあとから地元の奥様二人連れがガイドさんに追いつき、前後しながらガイドさんの説明を聞いていました。奥様のひとりのほうが、時折ガイドさんの説明に付け加えをしたり、訂正をしたりしていました。とてもさりげない付け加えなので、美術館のガイドさんに訂正を言うとき、私はいつも「言うべきか言わざるべきか」とさんざん悩んだり緊張したりするのに、こういうふうにさりげなくいうのがスマートだなあと参考になりました。

 ガイドさんより詳しいのも道理で、この日お藏の展示「船箪笥」の所有者で、小澤家の展示に貸出をしている方でした。小澤家の学芸員さんの知り合いとのことで、展示物についても学芸員さんから毎度説明を受けているので、ガイドさんより詳しいのでした。ガイドさんが、陶器製の灯篭の作者を「シミズ何がし」と名前を言うと、「キヨミズですね。きよみずの舞台とか、きよみず焼きとかの」と訂正を入れていました。ガイドさんは「はあ、勉強になりました」と言っていました。

窪田家所蔵の船箪笥


 ドカベン号で向かった次の見学地は、みなとぴあ。新潟市歴史博物館です。
 歴史博物館本館(旧新潟税関庁舎を模して新築)、旧新潟税関石庫、旧第四銀行住吉町支店などが公開されています。

 同行の川崎おばさんは、博物館に入ると「ミュージアムシアター、何分から」と係員に聞いて、「じゃ、その時間まで館内ひと回りしてから見ましょう」と予定を立てる。私は「建物を見に来たのであって、シアターに入るつもりはなかった」とは言い出せず、気弱くおばさんのあとについてシアターへ。「黒鳥伝説」というタイトルなので、オデット白鳥に対するオディール黒鳥の伝説でもこの地にあるのかと思いました。なにせ、イエスキリストの墓までちゃんと存在する日本なので、オディールの墓なんかもあるのかと。

 「黒鳥伝説」は、平安末期に新潟を支配していた「黒鳥兵衛(くろとりひょうえ)」が、源家の誰か(義経、義綱、義家など諸説)に討ち取られるまでの軍記もの。朝廷側が成敗する話なので、黒鳥は思いっきり極悪非道の悪役に仕立てられています。安倍貞任の残党ということなので、地方豪族のうち、朝廷にまつろわぬ者のひとりであったのでしょう。あくまで伝説であって、史実とは異なるらしいですが、私の知らない地方史の一幕を見ることができました。

 川崎おばさんに声かけられたときは、一瞬「ごいっしょに、が面倒だから一人旅してんのに」と思ってしまったのですが、おばさんといっしょでなければがシアターに入らなかったところでした。おかげで、これまで知らなかった黒鳥兵衛について知ることができました。ひとりで行動することは気楽ですが、いつも自分の興味だけで行動してしまうから、思いがけない出会いが少なくなるのかもしれません。「旅は道連れ」も、やってみれば、自分の狭い見識をほぐしてくれて、ありがたいことなのです。

 川崎おばさんは、これから次のバスに乗るというので、私は「まだ建物の写真をとっていきますから」と、今度は自己主張できました。おばさんは、バス停で次のお友達を探して、連れ立って行きました。

 旧新潟税関の建物や旧第四銀行住吉町支店などの撮影をしてから、しばし海を眺めて、駅へ戻りました。

 白山公園にある憲政会館(旧新潟県議会旧議事堂)へ。
 5時を数分過ぎてしまっていたので、閉館したあと。中は見ることができませんでした。
 循環バスも次のはまだこないので、歩くことにしました。
 ドカベン通り、古町商店街の中を歩きました。ドカベンやあぶさんの銅像が通りに置かれています。
   

 宿泊はまた駅前のビジネスホテル。もう歩き疲れたので夕食はホテルの2階にあるシャングリラというレストランで、魚沼産こしひかりの釜だき定食というのを食べました。てんぷら、さしみ、ノドグロ塩焼き、山形牛と野菜のデミグラス煮込み。私にしてみれば、一回の食事に3500円というのは、大盤振る舞いのうちなんですが、味と値段の兼ね合いは、う~ん、釜だき御飯はおいしかったですが、海の幸を味わうには、ちょっと物足りないラインナップでした。



<つづく>

2013/09/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(6)酒田-日本海旅行4

 9月9日朝、新潟から酒田へ向かいました。
 朝の電車は乗り鉄撮り鉄がいっぱいです。撮り鉄さんたち、私がやりたい「かぶりつき」をやっています。「乗り鉄かぶりつき」とは、電車の一番前に立って、運転士さんの見る風景を見ることです。
 撮り鉄さんがいなくなったとき、すかさず、かぶりつきました。


 羽越線の中、ちょっとうれしい出会い。羽越線のなかにいた若い車掌さん、顔に見覚えがありました。8月31に羽越線に乗ったとき「あの建物の最寄駅は?」という質問に答えてくれた人。ネームプレートは村井さん。「先週の土曜日に、ポスター見て質問した私に、最寄駅は鶴岡と教えてくれた車掌さんですよね」と確認すると、そういう回答をしたことを覚えていてくれました。
 酒田終点で下車するとき、この親切な車掌さんと記念撮影。運転手さんもいっしょに写真に入ってくれました。若いコンビ、JRの星です。

 酒田市に着いて駅で無料の自転車を借りました。お天気も晴れ時々曇りで、暑いことは暑いけれど、自転車をとばす風が気持ち良い。
 まず、郵便局へよって、この地方ならではの切手を売っていないかチェック。東京で買いそびれた何種類かの切手を2500円分買ったら、キッチンペーパーの箱をくれました。
 それから海鮮センターへ行きました。ランチは 11時からというので、どうしようかと思いましたが、センターの魚市場をぶらついて、わかめせんべいとかおみやげに買って、魚屋で鮪のサクを切ってもらいました。居酒屋なら3人前になるくらいの分量でした。

海鮮センター魚市場

 海鮮センターの食堂「とびしま」で、とびしま定食を注文。天ぷらや刺身がつくとびしま定食は人気とみえて、12時前に完売でした。
 私は、オプションで「うまづら刺身」をつけて 1470円。魚屋で買った鮪を加えて2550円。うまづら刺身と鮪で豪華ランチになりました。豪華といっても、日頃ワンコインランチで済ませている身にとっては、ということですけれど。


 酒田市は、庄内藩酒井家がお殿様ですが、庶民の戯れ歌に「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われたほど、大商人本間家が財力においても権勢においても殿様を圧倒するほどだったと言われています。
 本間家本邸は、苗字帯刀を許され武家に取り立てられた格式を示して半分は武家造り。藩の重役などを迎えるための部屋。半分は商家造りで、家族が生活する部屋。
 ここでも、案内のボランティアガイドさんが説明してくれました。

 自転車で行きつ戻りつしながら、山居倉庫、六角灯台、山王クラブ、相馬楼などを見物。
 酒田市の本間家本館や美術館は月曜日でも開館していることを確かめて自転車で回ることができたのですが、光丘文庫は、月曜閉館で、外観だけ撮影。

山居倉庫

六角灯台


山王クラブ

 本間家三代目の本間光丘が書物庫寺院建設を念願したのに幕府に許可されなかったのを、八代目の本間光弥が1925(大正14)年に建設し、先祖伝来の蔵書2万冊を収めました。現在でも現役の図書館として市民に利用されています。
  鉄筋コンクリートの社殿造りで、破風の玄関意匠は、内務省神社局建築課長 角南隆(すみなみたかし)によります。本間家から酒田市に寄贈され、さまざまな文化財を所有する光丘文庫ですが、月曜休館、残念。


 帰り、日本海の夕日を見るのを楽しみにしていたのですが、8月31日には夕日が落ちる前に村上についてしまい、今度は海辺に出る前に陽が落ちてしまいました。うまい具合にはいかないものです。

 電車相席になった男子高校生に「あれは鳥海山ですか」とたずねたのをきっかけに、高校生が下車する駅まで2駅間、おしゃべりできました。日頃大学生大学院生と接していますが、それは教師と学生という関係の中でのこと。フツーのおばはんとして高校生と話すのは、楽しかったです。高校生にとっては、東京からきたというへんなおばさんに話しかけられて、本音ではうざかったのかもしれませんが、工業高校で学んでいるという3年生、とても気持ちのよい、素敵な青年でした。おばさんと話してくれてありがとうね。

夕暮れの車窓から鳥海山を見る


 JRの車掌さんと運転士さん、工業高校の男子生徒、うん、日本の未来も捨てたもんじゃないかも、という気持ちになりました。
 美しい落陽を見るのと、笹川流れ夕日会館での食事はまたのお楽しみということで、新潟からムーライトえちごにのって、9月10日朝に東京につきました。

 青春18切符2枚(4200円)利用の移動距離合計1200km。楽しい旅になりました。擬洋風建築紹介はのちほどゆっくり。

<おわり>  


ぽかぽか春庭「2013ジャスダンス発表会」

2013-10-05 | インポート

2013/09/18
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記2013年9月(1)ジャズダンス発表会

 台風18号、被害を受けた地域の方々、お見舞い申し上げます。
 東京は、15日の日中は、東の空に虹が出て、ときおり陽も射すという程度で、16日未明が一番台風の風が大きくなりました。16日には台風一過となり、あまり被害を感じませんでした。
 台風のためにお客さんがほとんどこないのではないかと思っていたジャズダンス発表会も、無事実施できました。

 9月15日、あすかホールで行われた文化センター祭上演の部。30分のジャズダンス発表のうち、マイケルジャクソンのThe way of you make me feel と、美空ひばりのIt's only paper moon に出演しました。
 
 今回は、前に所属していたAダンスィングにゲスト参加として踊りました。
 ミサイルママは、水曜日午前中と金曜日夜のふたつのダンスサークルに所属していて、発表会も両方に出演します。私は金曜夜のサークルが今年は9月の文化センター祭には参加しないという方針だったので、水曜日のサークルに混ぜてもらったのです。みそっかすです。

 Aダンスィングは、1982年のサークル発足以来、ほぼ同じメンバーで31年間踊り続けているというジャズダンスの会です。発足時30代だったメンバーが全員60代になり、最高齢の人は、69歳70歳になっているけれど、今でもはつらつとフラメンコやジャズダンスを踊っています。

 普通なら、60代のおばはんのダンスなんぞショーモナイもんだろうと思うでしょうけれど、このサークルのダンスはほんとうにみな上手ですし、なにより素人のジャズダンスサークルが31年続いているということ自体がすごいと思います。

 私はへたっぴぃなので、いつもは発表会に誘われたりしないのですが、今回は、仕事や親介護のため「今年の発表会には参加しない」と決めた人が2人いて、参加すると言っていた人がひとり怪我をするという事態で出演者が不足し、急遽、元メンバーの私にゲスト参加のお声がかかりました。7月中旬から9月13日までの練習でなんとか曲を覚えました。

 私が所属している金曜日のサークルは「今年の発表会は不参加」と決めたのですが、メンバーは、この秋にそれぞれ「オペラアリア発表会」「区民合唱祭」などでの発表があって忙しく、何も発表の機会がないのは私だけでした。
 「メンバー足りないから、E-Naちゃん、出てくれない?」と誘われて、ふたつ返事で出ることにしました。下手なのに。

 1年に1度くらい、人前に出て自分の姿をさらす緊張感があることは、肉体にも精神にも大きな影響を及ぼします。
 みなが上手なのに、私が加わると踊り全体のレベルが下がってしまうことを、先生は承知の上で指導してくれました。私のおなかをポンポンたたいて、「E-Naちゃん、このおなかを発表会まえになんとかしないとね」と、先生はおっしゃったのですが、発表会前に「海の幸満喫日本海旅行」をしたので、おなかのポンポン太鼓の音はますます響きがよくなりました。
 それでもめげずに舞台にたちました。 

 13日の午後、あすかホールでリハーサルが行われた段階で、私はまだ振り付けを覚えきれておらず、メタメタに間違えておどりました。
 これじゃあんまりだ、と思ったので、リハーサルのあと、2時間ひとりで振り付け順番を特訓して、すっかりくたびれましたが、なんとか覚えました。
 14日土曜日は、金曜日のサークルメンバーが豊島区と北区で合唱団の一員として出演するというので、王子と池袋をかけめぐっての鑑賞。歌を聴きながらも、足でステップをとりながらで必死で振り付けを確認しました。

 そして9月15日当日。
 シャンソン歌手のゆみさんは、練習中はみそっかす参加の私に振り付けを教えてくださり、発表当日は、「E-Naちゃん、そんなメイクじゃダメッ」と、メイクを全部やりなおしてくれました。踊る私、つけまつげして気分だけはダンサー「E-Na(イーナ」です。

 ゆみさん、ありがとう。お世話になりました。
左がゆみさん右がダンサーのE-Na


 マイケルジャクソンのThe way you make me feelの方はひとつも間違えずに踊れてやれよかった、と思ったら、美空ひばり歌唱のIt's only paper moonは、めためたに間違えてしまいました。
 見に来てくれた娘は、「間違えても平気な顔して踊っていれば、そういう振付かと思ってわからないのに、母は、あれ、間違えちゃったテヘッっていう顔して笑ってごまかそうとするから、間違えたことが振付知らない私にもよくわかったよ」と評されてしまいました。
 カメラ係をしてくれた息子には、細く見えるように写してね、と頼んだのですが、隠しようもない太さ。

 ペーパームーン、左の太いのが私、真ん中はミサイルママ。本当は、私が真ん中で左がミサイルママの立ち位置でした。本番になったら位置が逆転してしまったのです。


 金曜日夜のダンスサークルの仲間も見にきてくれて、「E-Naちゃん、かわいかったよ」と、髪につけたかわいいリボン飾りを褒めてくれました。トホホ。


 ラストのごあいさつ。向かって一番右が私。



 毎年9月のジャズダンス発表会出演の話を書いていて、毎年「今年じょうずに踊れなかったのは、この体重のせい。来年こそはダイエットに成功してもっとじょうずに踊れることを証明しよう」という決意を書いて終わっていました。
 毎年代わり映えないことを、今回も深く反省。もうちょっとやせたら、きっともっとじょうずにおどれるはず、、、、

<つづく>


ぽかぽか春庭「踊る阿呆に見る阿呆-2013年夏のダンス」

2013-10-05 | インポート

2013/09/12
ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(1)スーパーよさこい原宿表参道元気祭

 8月の最終土日、原宿と表参道でよさこいフェスティバルがあります。今年は8月24日25日。雨が降っていたり用事があったりで毎年というほどではないですが、用事がなければ、見に行きます。たいてい、明治神宮文化会館ステージでの演舞を、椅子に座って見ることにしています。

 今回は、8月末に帰国するという留学生とランチするという約束が25日にあったので、午前中に明治神宮文化会館ステージ1時間ほど見て、吉祥寺でランチ、また原宿に戻ってどのチームが大賞を得たか原宿ステージの踊りを見届けるという変則観覧でしたが、例年にも増して力をつけたチームの演舞を楽しみました。



 「よさこい」は本来は土佐地方の民謡とその踊りであり、振りも盆踊りや祭り踊りとして誰でも踊れる素朴なものだったと思うのですが、各地で「よさこいソーラン」とか「よさこい八木節」とか、地域おこしも含めてさまざまに踊られるようになり、振り付けも年々複雑に派手になっています。

 小さい子供からお年寄りまで「家族みんなで踊っています」的な「心あったか、踊りはゆる~く」という雰囲気のチームも楽しくていいのですが、若いパワーにあふれた躍動感ある振り付けを見ると、わくわくしてきます。
 「よさこい」の振り付けは、あでやかな衣装や傘ちょうちん扇子などの小道具の扱い方も大事ですし、それほど高い舞踊技術がなくても振り付けの善し悪しや構成力によって華麗な演出が可能です。



 原宿元氣祭りでのよさこいも、12,13年前の見始めのころからみると、各チームの踊りの技術が格段に上がっていると感じます。踊りの基礎的な訓練を全員が着実に身につけていると感じるチームが増えました。クラシックバレエでもジャズダンスでも基礎訓練はほぼ同じです。

 踊りの基礎的な訓練、いろいろな基礎がありますが、たとえば、普通の人がくるくると体を回転させると目が回ってしまいます。ダンサーは何度回転しても目を回したりしない訓練を積んでいます。よさこい踊りでも回転を取り入れる振り付けをするチームもありますが、回転のあと目を回していたら、次の踊りができない。それが、全員でくるくるりと勢いよく回転する振り付けなどを見ると、ああ、ちゃんと訓練できているなあと思うのです。

 観客たち、青山通りやNHK前の流し踊りのパレードを見るのが好きな人もいるし、私のようにステージで踊るのを見るのが好きな人もいます。審査員はNHK前のパレードを見て採点しているとのことなので、移動しながらの流し踊りのほうがステージ用の振り付けより重視される、ということなのでしょう。
 受賞しなかったチームも、日頃の成果を観客に喜んでもらえることが何よりのごほうびと思うので、私もいっしょうけんめい拍手しました。

 受賞作品の採点の基準も、踊りの技術が上かどうかよりも、全体の調和や構成を見ているように思いました。今年は参加90チームのうち、ほんの一部しか見られなかったのですが、ビデオカメラを回しているファンが大勢いて、翌日26日には早くもyoutubeにアップされていたので、いくつかのチームの踊りをパソコンで見ることができました。

 大賞は東京の「しん」というチームが受賞しましたが、入賞15チームのうち、8チームは高知県のチーム。関東以北のチーム、10月には池袋でよさこいコンクールがあるから、次がんばってね。

「しん」のウィニングダンス


<つづく>

2013/09/14
ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(2)ダンス甲子園

 踊る阿呆の私は、クラシックバレエもジャズダンスも、ベリーダンスもフラダンスも習ってきて、どのジャンルのダンスも好きなのですが、若い人に人気のストリート系のダンスは無理。そして日本が世界に発信したユニークなジャンルである舞踏Butohも踊ったことがありません。ほんとうは、私の脚短く重心低い体型から思うに、ブトーが一番適したダンスであろうと感じます。

 しかるに、見る阿呆の面からいうと、一番好きなジャンルは創作舞踊、モダンダンスです。中学校のときテレビでポール・テーラー振り付け作品を見て、大感激。こういう作品を作りたいと思いつつ中学校や女子高校のダンス授業を受けました。

 学校の科目に音楽と美術や書道があるから、両親は妹をオルガン教室や絵画教室に通わせ、姉はお琴や書道を習いに行きました。私はピアノを習いに行きましたが、お稽古事で一番習いたかったのは、バレエでした。しかし、学校の教科に舞踊というのはないという理由でバレエを習いたいという希望は却下されました。
 2012年4月から、ダンスが中学校体育授業の必修科目になりました。あ~あ、60年前から学校授業必修科目であったなら、よかったのに。

 私が学校でダンスを習ったのは、中学校と女子高で女子体育授業選択科目のひとつとしてでした。私の育った地域では、女子体育教育において創作ダンスが盛んで、「校内創作ダンスコンクール」も行われていました。
 私は、ダンスの振り付けをするのが好きでした。自分の足の短さ胴の太さは子供のときから自覚していて、ダンサーになりたいとは思わなかったのですが、身体によって表現することに無限の広がりを感じました。

 2013年第26回高校大学創作舞踊フェスティバルは、神戸市文化ホールで行われました。全国の高校40校大学20校が選抜され、練習の成果を披露しました。高校野球にも伝統の強豪校や初出場校があるように、ダンス甲子園も毎年出場する常勝校あり初出場の初々しいダンスあり。

 8月25日にNHK放映された録画を見ました。受賞チームのダンスのみの放映でしたが、できれば参加校全部見てみたい。BS深夜帯でもいいから、全校のダンスを放送してほしい。


 受賞校の作品は、それぞれにすばらしい振り付け構成、舞踊でした。表現したいひとつのテーマに沿って、先生が振り付けるチームもあるし、学生がアイディアを出し合って動きを決めるチームもある。

 ローザンヌバレエコンクールなどと違い、個人の舞踊技術が審査されるのではなく、チームの動き全体を評価されるので、8人で踊ったところも30人の大所帯で美しい群舞を見せたところも、チームみなが心を合わせて踊っていることがよくわかりました。

 会田誠の「灰色の山」、草間彌生の作品など、現代アートを主題にしているところもあり、歴史的な「踏み絵」をテーマにしたところ、親に愛されず育つアダルトチルドレンを表現したところあり、見ごたえがありました。

 今年もダンス甲子園、見ることができてよかったです。ダンス甲子園が終わった翌日から、来年の出場めざして、高校生も大学生も練習が始まります。
 来年はどんな表現に出会えるでしょうか。

<つづく>

2013/09/15
ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(3)マイヨーのLac

 『ジゼル』は『白鳥の湖』と並ぶ古典中の古典バレエで、ロシアのマリウス・プティパによる振り付け構成校生演出が、継承されて上演されています。8月に清里のフィールドバレエで見たバレエシャンブルによる『ジゼル』もプティパ版でした。こうした古典は確固としたイメージを作り上げているので、新しい振り付けをするのは振付家にとって意欲もわくでしょうが、失敗の可能性も大きく、挑戦のしがいがあることだろうと思います。マシューボーンの『白鳥の湖』は、白鳥が姫ではなく男という大胆な変更で大成功を収めました。

 3月に録画したのに、春休み中に見る時間がとれず、夏休みになってようやく見ることができたバレエの録画(NHK2013/3/18)。ロンドンロイヤルバレエ団が上演したアシュトン作品集と、モンテカルロ・バレエ公演 ジャン・クリストフ・マイヨーの 「LAC(白鳥の湖)」
 どちらもたいへん印象的なバレエでした。

 フランス語のLacとは、英語のLakeすなわち「湖」のこと。バレエ『LAC』は、モナコ公国モンテカルロバレエ団を率いるジャン・クリストフ・マイヨーがチャイコフスキー作曲『白鳥の湖』の新演出新振り付けに挑戦した作品です。斬新で見事な現代の作品に仕上がっていました。

 Lacの主役は白鳥オデットではなく、黒鳥オディールでもありません。古典の『白鳥の湖』だとロッドバルトと呼ばれている悪魔。可憐なオデットに呪いをかけ、白鳥の姿にしてしまう魔法使いなのです。
 Lacの主役、夜の女王をバレエ団のトッププリマであるベルニス・コピエテルスが演じます。白鳥=アニヤ・ベーレント、黒鳥=エープリル・バール、王子=ステファン・ボルゴン、王子の腹心=イェルン・フェアブルッヘン、国王=アルバト・プリエト、王妃=小池ミモザ

一番左が小池ミモザ


 マシューボーンの白鳥の湖と異なり、登場人物の設定は古典のとおりなのですが、主役が夜の女王であること、王と女王が重要なダンサーであること(古典版では王と女王はパントマイムをするだけで普通は踊らない)、古典版ではオデットとともに白鳥の姿に変えられた侍女たちがコールドバレエ(群舞)をつとめますが、マイヨー版では鳥たちは白鳥ではなく、灰色の羽の衣装です。夜の女王に完全に支配されていてオデットをいじめたりします。四羽の小さな白鳥の踊りも三羽の白鳥の踊りもなし。

 古典版では王と女王は王子の花嫁探しに一生懸命なだけで、キャラがたつ役ではないのですが、マイヨー版では、王は宮廷の侍女や王子の花嫁候補にちょっかいを出したり、夜の女王の色香によろめいたりする際立ったキャラ。スキンヘッドのアルバト・プリエトが権威もありながら人間的な王を演じていてとてもよかったです。女王は王子を愛していますが、王子の花嫁はことごとく気に入らず、夜の女王が花嫁候補に押し付けてくるオディールに王子が心動かされたりすると、激しく嫉妬する複雑な役どころ。日本人ダンサーの小池ミモザが見事に演じていました。

 王子は、第1幕では遊び好きであまり深刻に物事を考えない軽いキャラです。夜の女王にオディールを紹介されるとたちまちウキウキしてしまう。しかし、夜の湖でオデットに出会い、少しはものを考える大人になっていきます。しかし、第3幕の仮面舞踏会で夜の女王に騙され、オデットに化けたオディールに愛を誓ってしまいます。オディールは途中で白鳥の羽が黒い羽混じりに変わる演出。黒鳥の見せ場である32回転のグランフェッテもなし。

王子と灰色の鳥のコールド


 第4幕にも王と女王が出てきて踊ります。最後、王子はオデットとの愛を貫き、死をもって夜の女王に対抗します。
 クラシックとモダンバレエ、コンテンポラリーダンスの技法で振りつけられていますが、ダンサーたちの見事な演舞で振り付けが生きていました。

 クラシックでは気にならなかったことが、マイヨー版で気になりました。なぜ夜の女王はこれほどまでに王室に娘を押し込もうとし、王と女王をコケにしたかったのか。前に王室によって何かひどいことでもされたことの復讐なのか、ということ。

 舞台中継ではなく、最初から映像作品として撮影されているビデオで、バレエの前に昔の白黒映画風の映像がありました。幼い王子がオデットと仲良くなると、夜の女王が自分の娘を王子と仲良しにさせようとしてオデットを排除しようとする、という映画なのです。この映画部分を含めても、夜の女王が娘を王室にいれて王室を乗っ取ろうとするのはなぜなのかわかりませんでした。

 古典バレエでは、なぜロットバルトがオデットや侍女たちを白鳥に変えたのか、なんてことはまったく気にならなかったのに。主役が夜の女王だから気になってしまいました。

 ロンドンロイヤルバレエ団のアシュトン振り付け作品の上演。「アシュトンセレブレーション」
 「ラ・ヴァルス」「モノトーンズⅠ&Ⅱ」などに日本人ダンサーが起用されていて、小林ひかる、平野亮一、高田茜、それぞれ美しいプロポーションで表現力もあり、活躍しているようす、うれしかったです。

 1949年木下惠介作品『お嬢さんに乾杯』で、主人公がお嬢さんといっしょにバレエを見るシーンがあるのですが、出演している貝谷八百子バレー団のダンサーたち、揃いもそろっておでんにもふろふきにもよさそうな大根足なのです。これが1949年の日本人女性の体型なのだと感慨深く映画を見ました。
 それから60年。よいバレエダンサーの条件とは足の長さだけではありませんけれど、モンテカルロの小池ミモザもロンドンロイヤルの日本人ダンサーたちも、「足、長っ」と思いましたもん。

<つづく>

2013/09/17
ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(4)土方巽疱瘡譚inベーコン展

 5月、近代美術館でベーコン展を見ました。招待券で入館したのでを図録も買いました。



 好きになれそうな画家とは思っていなかったのですが、「値段で絵を見る」というシロート鑑賞法の私。調べてみると、2011年6月のロンドン・クリスティーオークションで、ベーコンの「肖像習作Study for a Portrait」(1953年)は落札価格約1800万ポンド(1ポンド150円で計算すると27億円)。ありゃりゃ、そんなに高い絵だったのね、それじゃ、招待券無駄にしちゃもったいない。

 フランシス・ベーコン(1909-1992)。
 フランシス・ベーコンは、20世紀芸術のもっとも重要なひとりとして挙げられる芸術家です。でも、日本で展示されている作品が5点のみで、私は見たことがありませんでした。1984年に近代美術館で没後10年の回顧展というのが行われたときは、娘がまだ1歳で子育て中心の生活、回顧展開催のニュースすら知りませんでした。

 フランシス・ベイコンの生涯を描いた映画『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』が1999年に公開されたときも、坂本龍一が音楽担当しているというので、ニュースになったのかもしれませんが、まったく知りませんでした。知っていたとしても、ベイコンと、彼のモデルであり恋人でもあったジョージ・ダイアーとの仲を描いた「ゲイの愛憎」を描いた映画と思って、少なくともお金を出しては見なかったでしょう。
 ダイアーは、上掲のポスターに描かれている顔の人。映画では、「もとコソ泥」で、ベイコンの部屋に盗みに入ったところを見つかってベイコンの恋人になった、と描かれています。ダイアーは、天才破壊型のベイコンのモデルとして恋人として生きるのに疲れたのか、自殺してしまいました。

 「スフィンクス-ミュリエル・ペルチャーの肖像」は近代美術館の所蔵作品なので、展示してあった時期もあったのでしょうが、私が常設展を見た中では記憶にありません。
唯一の近代美術館所蔵作品「スフィンクスーミュリエル・ペルチャーの肖像」

 描かれているベイコンの友人ベルチャーは「スフィンクス」という名前のゲイ・クラブを経営し、ゲイであることを公表していたベイコンを「私の娘」と読んでいた女性経営者だそうです。

 ゆがんだ顔が印刷されいる招待券を見ても、そんなに見たくてたまらない、という絵でもありませんでした。でも、30点余りの展示作品を見たあとでは、27億円払っても所有したいという人がいるのが納得できる現代美術でした。
 「人間がここに存在する」ということをとことん突きつめ、ねじれゆがんだ姿で映し出す。抽象画全盛の時代に具象を貫いて、描き出された肖像の数々。法王の姿あり、元コソ泥の恋人あり、ゲイバーのマダムあり。どれもがひりひりするような存在感をつきつけてきます。

 ベーコン展のもうひとつの収穫。暗黒舞踏の土方巽(1928 - 1986)の舞踏譜が展示されていたこと。
 振り付け師はダンサーに体の動きを見せながら振り付けを覚えさせていきますが、譜面にも振り付けを残します。自分の頭にある踊り方の手足の動かし方移動の方法などを細かく描写し、ときに絵をそえて、ダンサーが振り付け師がいなくても踊れるようにするのです。舞踊譜Choreography Note)は、映画撮影もビデオカメラもない時代からあり、古くはエジプトピラミッドの時代から舞踊の記録が残されています。

 クラシックバレエや雅楽など、古くからのある踊りの振り付け譜には、形式が整っているものもありますが、土方らが創始した舞踏(暗黒舞踏butoh)の記譜法とはどんなのだろうと興味津々でした。

 土方の舞踏譜は、イメージを得た絵画をスクラップして貼り付けていたり、自分のことばでイメージを書き付けていたりしています。

 土方の舞踏フィルムや舞踏譜は、慶應義塾大学アート・センターの「土方巽アーカイヴ」で収集研究が行われており、今回はベイコン展に合わせて、土方の舞踏譜の中からベイコンの絵画作品からインスピレーションを得て作譜された舞踏譜が展示されていました。

 展覧会には、土方の「ベーコン初稿」のほか、「材質篇」「なだれ飴」が展示されていました。また、慶応アーカイブ所蔵の「疱瘡譚」の一部がエンドレスで映写されていました。

 ベーコン展図録に掲載されている土方巽『疱瘡譚』
スチール撮影by小野塚誠

 慶応アーカイヴの森下隆さんによる土方舞踊譜の解説。

 土方の「舞踏譜の舞踏」ではすべての動きに名前が付けられています。つまり記号化されているのです。その動きを繋げていけば作品になっていくというのが土方の「舞踏譜の舞踏」の創作方法でした。だから、いわゆる台本の類はなくて、「舞踏譜」と呼ばれるものが残されています。
 「舞踏譜」として、土方が画集や美術雑誌などのからの絵画作品の切り抜きを貼り付けたスクラップブックがあり、これらに新しい動きの原理についてのメモがあり、絵画を動きのリソースにしたり、動きの名前や切り抜きのどこをどう使うとか、どういう衣裳にするかといった書き付けを見ることができます。また、大きな模造紙に記したもの、ちょっとした紙切れに書き付けたものなどいろいろあります。「舞踏譜」の中でその内容が一番はっきりわかるのは、稽古のときに土方が喋ったことをお弟子さんが筆記したノートの類です。ここに、動きの名称と動きの注釈というか、暗喩的な詩的な表現ですが、イメージをインスパイヤーする言葉が残されています。


 
「疱瘡譚」1972/10/25 inアートシアター新宿
 http://www.youtube.com/watch?v=ks8bCtAyRUY

 youtubeにUPされているのは慶応所蔵映像ではなく、海外で上映されたものらしくアナウンスは英語。
 外国の方がupした映像で「上演場所はkyoto」となっているのですが、フィルムの最初に「東京・アートシアター新宿」というタイトルが最初にあるので、外国のbutohファンが東京と京都をまちがえたものらしい。留学生もよく間違えます。でも、「東京」という字が読めない外国人にもbutohのすごさは伝わるんだ、ということだろうと思います。

 土方没後27年。若い人には土方がどれほどの衝撃をもって世界のダンスシーンに登場したのかを知らない人のほうが多くなっているでしょう。ベーコン展に入場した人の何人かでも舞踏に興味を持ってくれればいいなと思います。
 我が家の娘息子も、麿赤兒といえば、「大森南朋のお父さん」としか知らないのです。「昔、浮世絵、今アニメ」が、日本から発信されたアートの一番有名なものでしょうが、ブトーも世界に誇る日本の身体文化。ダンスアートです。

 モダンバレエ、ジャズダンス、ベリーダンス、フラダンス、フラメンコと、ジャンルを問わずなんでも習ってきた私ですが、舞踏だけは見る専門で自分で踊りたいと思ったことはありません。ほんとうは、白塗りで顔見えなくしたほうが私には合っていたのでしょうに。

 田中泯、ギリヤーク尼崎などの舞踏を見てきたのに、元祖土方巽のダンスは生で見たことがなかった。
 40年前。舞踏全盛期、私の舞踊論の師匠であった市川雅先生が「僕、スケジュールがいそがしくてこの公演行けないから、これあげるよ」と、券をくれたもののみ見ました。舞踏を自分でお金を出して見たことがなかった。土方巽の公演は、雅先生がどんなスケジュール忙しくても必ず見たので、私にはチケットが回ってこなかったのです。

 そうそう、書きたいことのひとつが舞踊評論だった時期もあったんでしたっけ。(遠い目)。自腹切ってbutohみようという心がけもなかった者に舞踊評論ができるはずもなし。若い頃に、ただで見ようなんて根性で、映画見てもダンス見ても身につかないってことでしょう。

 井上ひさしの若い頃の映画鑑賞法。朝一番に映画館に入る。昔の映画は入れ替え制ではなかったので、握り飯かじりながら、そのまま夜まで5回くらい同じ映画を見る。一度目は普通に面白がって楽しむ。二度目はどこで客が笑い、涙するか客の反応をうかがう。三度目は画面の作り方に注目する。画面はアップなのか、引きなのか、どこでパンしているのか、などの作画術。三度見るとだいたいセリフを暗記してくる。四度目はセリフをノートに速記しながら見る。五度目は、写し取ったセリフに過不足ないか校正しながら、画面説明ト書きを加えながら見る。これが映画鑑賞スタイルであったと。

 ダンスも同じ。本当に舞踊について書きたいなら、ひとつの公演を続けて5度や6度は見て、自分で舞踊譜を書いてしまうくらいでなければ、舞踊評論なんて書けなかったでしょうに。見る阿呆の私はほんとうに阿呆なだけでした。

 阿呆でもなんでも、よさこいソーランもクラシックバレエも、楽しむことができて、人生楽しみが多いほうがいいなあと思うのですが、なんと言っても一番の楽しみは、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊ること。
 9月15日、日曜日。駅前「あすかホール」で、春庭のダンス、披露してきました。楽しかったです。次回は、踊る阿呆の報告です。

<おわり> 


ぽかぽか春庭「読書メモ2013年5月~8月」

2013-10-05 | インポート
ゴッホ

2013/08/29
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年5月~8月の読書メモ

@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。

<日本語・日本言語文化論>
+岡田幸彦『語の意味と文法形式』

<小説 戯曲 ノンフィクション>
・荻原規子『西の善き魔女Ⅰ~Ⅵ』2005中公文庫
・井上ひさし『花石物語』1984
@内澤旬子『世界屠畜紀行』2012角川文庫

<評論 エッセイ>
・吉村昭『街のはなし』1996文藝春秋
・青木玉『小石川の家』1995講談社
・松本健一『真贋ー中居屋重兵衛のまぼろし 』1999幻冬舎アウトロー文庫
・佐野洋子『役に立たない日々』2011朝日文庫
・佐野洋子『私はそうは思わない』1997ちくま文庫
・佐野洋子『友だちは無駄である』2009ちくま文庫
・司馬遼太郎『歴史と視点』1994新潮文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2006PHP文庫
・司馬遼太郎『微光の中の宇宙』1991中公文庫」
・出口保夫『イギリス四季暦秋冬篇』1997中公文庫
・須賀敦子『地図のない旅』1999新潮社
・近藤富枝森まゆみ『一葉のきもの』2005河出書房新社

・草間彌生『無限の網』2012新潮文庫
¥Chim↑Pom『芸術実行犯』2012朝日出版社
@岡本太郎『疾走する自画像』2001みすず書房
@岡本敏子『岡本太郎』2006アートン
@赤坂憲雄『岡本太郎の見た日本』2007岩波書店

* 山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫
* 宮沢章夫『牛乳の作法』2005ちくま文庫
* 李進煕篇『韓国と日本の交流史古代中世篇』1994明石書店
* 本田透『喪男の哲学史』2006講談社
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 百円本のいいところは、100円だからついでに買っておいた本のなかに、自分の関心外のジャンルに広がる思いがけない出会いがあるところ。松本健一という著者名だけで買った『真贋』、面白かった。近代史のなかに忽然と現れた資料の真贋をめぐって、緻密な論考と足で確認する作業を積み重ね、近代史大家までが一級資料として扱い始めた文書を「一個人が捏造した偽書」と結論づけるまでが推理小説のように展開する。

 絵画の真贋を扱う話も面白いものが多いが、『真贋』も、もっともらしい資料を鵜呑みにしてしまうアカデミズム歴史学に対して、歴史評論家である松本が渾身の力を振り絞って明らかにした痛快な話。菅内閣の参与となって以来あるいはその前の大学教授におさまって以後、「在野の」という冠は消えて久しいのに、やはり歴史学アカデミズム側とは一線画しているなあという気がする。同じ郷里なので贔屓目もあろうが。

 『世界屠畜紀行』は、解放出版社から単行本が出たときから読みたいと思い、百円本コーナーに並ぶ日を待っていたのだけれど、なかなか並ばないので図書館で借りてやっと読めた。日本における屠畜に関わる人々への差別を考えつつ世界の屠畜をリポートしています。

 私も生きている牛や豚の姿と薄切り肉とを結び付けないようにして食べるほうで、クリスマスなんぞに七面鳥でも鶏でも鳥の丸焼きなんぞを食べるのはまっぴらごめん、という「元の姿見ないよう考えないようにして肉を食べている肉食人種」のひとりであるので、とても興味深く読みました。生きている命をいただいて食べるのは魚でもきゅうりでも同じと思うのだけれど、やはり四足を目の前でつぶして食べるのはできそうにない。魚やエビは生きてピチピチはねているのに包丁をいれることさえするのに。

 百円本、前に読んだ本でも好きな作家の本だと何度でも100円だからと思って買ってしまいます。10年くらい前、2002年に新潮文庫で読んだ『地図のない旅』、単行本が100円だったので、家に文庫があるのを承知でジョルジオ・モランディの静物画のカバーがすてきだったので買って、再読。夫の死はどの作品にも影をおとしているけれど、『地図のない旅』のヴェネチアは須賀自身の間近い死を予感しているかのような色に染められていて何度読んでも深い味わいがあります。

 『小石川の家』。初代のは勉強のために読み、二代目のは好きで読んだけれど、三代目まで読まなくてもいいんじゃないかと思って今まで読まなかったけれど、三代目もまた近代文章語の達人なのであって、DNA持たぬ家系のひがみ増すばかり。露伴、幸田文、青木玉につづく四代目も書いている。四代目のはまだ読む気がしないが。
 直系親子の関係ではないけれど、伯母(母の姉)と姪という間柄であったことをはじめて知ったのが、近藤富枝と森まゆみの共著『一葉のきもの』一葉の著作を中心に明治時代の着物について考証しています。

 じんましんで何もする気になれない間、横たわって『西の善き魔女』シリーズ6巻を再読。細かいところは忘れているから楽しめた。『花石物語』も何回目読むのかわからないけれど、ちゃんと笑える。古典落語の同じ話を何度聞いても笑えると同じなのでしょう。

 今期も通勤電車本は、文庫エッセイがほとんど。佐野洋子と司馬遼太郎が電車のお友達。
 眠り薬代わりの入眠剤本はさっぱり面白くない厚みのある本が望ましいけれど、『喪男の哲学史』はほんとうに面白くなかった。非モテ男の愚痴哲学は小谷野敦でもうあきている。数行読んで寝てしまうのには役立った。一応読了した私はエライ。

 今期読んだ本、並べてみると気づくことに、「日本語のナンタラ」というのが一冊もなかった。消費するためのお楽しみ読書であっても、3ヶ月に一冊くらいは一応「お仕事カンレン」として、日本語文法論やら意味論やらという本を読んできたのに、ついにお楽しみ本としても言語学日本語学関連がなかったことに感慨ひとしお。
 専門を問われれば「日本語学、日本語言語文化」と答えてきて、言語文化に関わるといえば、日本語で書かれた何を読んでも専門に関わると言えるのですが、日本語学、日本語文法学からはほんとうに遠くはなれてきたのだなあと感じます。

 と、感慨にひたっているとき、出版社から「著者謹呈」の本が送られてきました。友人が博論をまとめた本を送ってくれたのです。1985年に同じ学科に入学して以来、彼の文法オタクぶりを見てきました。修士課程を終了後、私は子育てと食い扶持稼ぎ、彼は相変わらず文法オタク。
 08年同じ年に博士課程に入学して、彼は国立大で私は私立大でしたが、2011年私は3月友人は9月に博士号を得ました。
 そのあと着々と本にまとめて、この度の出版。ひとつひとつの論述は、博論執筆の過程で「読んで批評せよ」とメール添付で送信されてきているので、読んではきたのですが、まとまった本になったのを見ると、「最後まであきらめずにがんばろうね」と励ましあったことなど思い出して感慨深いです。『語の意味と文法形式』出版おめでとうございます。

<おわり>