ポカポカ春庭の人生いろいろ
2004/06/30 今日の色いろ=赤貧(10)
今回、澤地久枝の『石川節子』と、与謝野晶子の作品などを読み返してみて、晶子に対して以前から気になっていたことを思い出した。
私のこれまでの理解では、晶子は「女性は自立すべし」「女性が子どもを育てるのは自己責任で行うべし」という「女性自立論者」であった。
晶子は大地母のような存在であり、子育てと文学を両立させた母としてその名を見てきた。強い女の代名詞だった。
戦前の女性解放運動において、平塚雷鳥と与謝野晶子の「母性保護論争」は、女性と子育てと社会との関わりについて論議され、大きな意義を含むものであった。
しかし、私には晶子の主張する「女性の自立」が、晶子ひとりにとどまるのみであって、一般の女性たちに広がっていかない論であったのではないか、という感じがしてきた。
今までは、「晶子は女学校卒業という学歴もあり、文筆で立つことのできた特殊な存在であるので一般の女性たちの立場には、遠すぎたのかも知れない」と、解釈していた。
しかし、今回「バイオリンの糸を妻に買ってやった」という願望を語る啄木に対して、「ねたましい」という気持ちをもったと回想する晶子の短歌に、ふっと晶子の本音があらわれていたように感じたのだ。
「そのひとつビオロンの糸妻のため君が買ひしをねたく思ひし 」
晶子が「妻にバイオリンの糸を買ってやる啄木」を「ねたく」思ったというのも、それほど妻のことを気にかけてやれる愛情豊かな夫を持つ節子へのねたましさと共に、「夫が経済的に妻を支える生活」を語る啄木への、「ねたましさ」も残されているようにも感じるのだ。
啄木の生活を知っている晶子からみれば、啄木が晶子の前では何かと「嘘をつく」ことがわかっている。それでも「妻への思い」をとくとくと語る啄木の姿に「春かぜに吹かれるような思い」がする晶子だった。
明星廃刊後の晶子は、経済上では夫にかわって家計を維持する妻となった。夫寛から「春かぜにふかれるような思い」がすることばを聞くことがあったのだろうか。
夫を「若いつばめ」と表現し、最初から夫と対等な立場で結婚生活に入った雷鳥に対して、晶子の夫は、最初は圧倒的に大きな力をしめす文学の師であり、「前妻と離婚して、自分との結婚を選んだ夫」となり、次は「妻の文筆の稼ぎで洋行もさせてもらえる夫」となった人だ。
「女性の自立」を自ら証明するように、晶子は夫の顔をたてつつも、経済的には女手で11人の子の養育費を稼ぎ出した。
平塚雷鳥が「子を産み育てる母親は、他者からの支援をうけてしかるべき」という「母性保護」を主張したのに対し、晶子は「自立した女」としての論陣を張った。
雷鳥は「若いつばめ」と呼ぶ年下の男を恋人とした。その若いツバメを「売れない画家」のまま夫とし、「夫の稼ぎをあてにし、夫に養われる妻」として生きることを最初から放棄していた。
執筆で稼ぐに追いつかない分は、裕福な実家から援助を受けつつ家計を維持した。
しかし、雷鳥平塚明子は、実家に経済的に依存したからといって、自分自身を「自立していない女」とは思っていなかった。
食うための金はどこから出てもよい。ときには国などの共同体が子を育てる母を援助することも必要、家族のだれかが支援することも必要と思うことが「母性保護」思想を支えた。
明治高級官僚の娘である平塚雷鳥に対して、堺の商人の娘与謝野晶子。
夫とともに店に出て立ち働く女の生き方を見て育ち、自分自身も女学校を卒業するとすぐ店番をして「女が一人前の働きをする」ことに違和感を持たないで育った晶子だった。
晶子は、まず自分自身で稼ぎ出すことを生活の基盤とした。
妻が原稿料印税を稼ぎ出す。夫は選挙や学校経営に関わるようになって「社会上の体面」を保とうとする。
その晶子にして「家父長制度のもと、夫が働き妻がささえる」という国家がすすめている「家の形」に属していない生活にふっと疲れる自分を意識することがあったのではないか。
「女性はあくまで自己責任で子育てを行うべし」と、論ずることが必要であった。「妻のほうが稼ぐ」という一家を、「女性が自立する家」として世間に示さなければならなかった。
「夫がかせぎ、妻が支える家のありかた」と異なる夫婦の形を主張し続け認証させることによって、晶子のプライドは保たれたのかもしれない。
しかし、ふとした拍子に「夫が妻にものを買ってやる」という姿に羨望も感じる。そんな晶子の気持ちがあらわれたのが「バイオリンの糸を、夫が妻のために買ってやる、という言葉へのねたましさ」であったのではないだろうか。<赤貧つづく>
2004/06/30 今日の色いろ=赤貧(10)
今回、澤地久枝の『石川節子』と、与謝野晶子の作品などを読み返してみて、晶子に対して以前から気になっていたことを思い出した。
私のこれまでの理解では、晶子は「女性は自立すべし」「女性が子どもを育てるのは自己責任で行うべし」という「女性自立論者」であった。
晶子は大地母のような存在であり、子育てと文学を両立させた母としてその名を見てきた。強い女の代名詞だった。
戦前の女性解放運動において、平塚雷鳥と与謝野晶子の「母性保護論争」は、女性と子育てと社会との関わりについて論議され、大きな意義を含むものであった。
しかし、私には晶子の主張する「女性の自立」が、晶子ひとりにとどまるのみであって、一般の女性たちに広がっていかない論であったのではないか、という感じがしてきた。
今までは、「晶子は女学校卒業という学歴もあり、文筆で立つことのできた特殊な存在であるので一般の女性たちの立場には、遠すぎたのかも知れない」と、解釈していた。
しかし、今回「バイオリンの糸を妻に買ってやった」という願望を語る啄木に対して、「ねたましい」という気持ちをもったと回想する晶子の短歌に、ふっと晶子の本音があらわれていたように感じたのだ。
「そのひとつビオロンの糸妻のため君が買ひしをねたく思ひし 」
晶子が「妻にバイオリンの糸を買ってやる啄木」を「ねたく」思ったというのも、それほど妻のことを気にかけてやれる愛情豊かな夫を持つ節子へのねたましさと共に、「夫が経済的に妻を支える生活」を語る啄木への、「ねたましさ」も残されているようにも感じるのだ。
啄木の生活を知っている晶子からみれば、啄木が晶子の前では何かと「嘘をつく」ことがわかっている。それでも「妻への思い」をとくとくと語る啄木の姿に「春かぜに吹かれるような思い」がする晶子だった。
明星廃刊後の晶子は、経済上では夫にかわって家計を維持する妻となった。夫寛から「春かぜにふかれるような思い」がすることばを聞くことがあったのだろうか。
夫を「若いつばめ」と表現し、最初から夫と対等な立場で結婚生活に入った雷鳥に対して、晶子の夫は、最初は圧倒的に大きな力をしめす文学の師であり、「前妻と離婚して、自分との結婚を選んだ夫」となり、次は「妻の文筆の稼ぎで洋行もさせてもらえる夫」となった人だ。
「女性の自立」を自ら証明するように、晶子は夫の顔をたてつつも、経済的には女手で11人の子の養育費を稼ぎ出した。
平塚雷鳥が「子を産み育てる母親は、他者からの支援をうけてしかるべき」という「母性保護」を主張したのに対し、晶子は「自立した女」としての論陣を張った。
雷鳥は「若いつばめ」と呼ぶ年下の男を恋人とした。その若いツバメを「売れない画家」のまま夫とし、「夫の稼ぎをあてにし、夫に養われる妻」として生きることを最初から放棄していた。
執筆で稼ぐに追いつかない分は、裕福な実家から援助を受けつつ家計を維持した。
しかし、雷鳥平塚明子は、実家に経済的に依存したからといって、自分自身を「自立していない女」とは思っていなかった。
食うための金はどこから出てもよい。ときには国などの共同体が子を育てる母を援助することも必要、家族のだれかが支援することも必要と思うことが「母性保護」思想を支えた。
明治高級官僚の娘である平塚雷鳥に対して、堺の商人の娘与謝野晶子。
夫とともに店に出て立ち働く女の生き方を見て育ち、自分自身も女学校を卒業するとすぐ店番をして「女が一人前の働きをする」ことに違和感を持たないで育った晶子だった。
晶子は、まず自分自身で稼ぎ出すことを生活の基盤とした。
妻が原稿料印税を稼ぎ出す。夫は選挙や学校経営に関わるようになって「社会上の体面」を保とうとする。
その晶子にして「家父長制度のもと、夫が働き妻がささえる」という国家がすすめている「家の形」に属していない生活にふっと疲れる自分を意識することがあったのではないか。
「女性はあくまで自己責任で子育てを行うべし」と、論ずることが必要であった。「妻のほうが稼ぐ」という一家を、「女性が自立する家」として世間に示さなければならなかった。
「夫がかせぎ、妻が支える家のありかた」と異なる夫婦の形を主張し続け認証させることによって、晶子のプライドは保たれたのかもしれない。
しかし、ふとした拍子に「夫が妻にものを買ってやる」という姿に羨望も感じる。そんな晶子の気持ちがあらわれたのが「バイオリンの糸を、夫が妻のために買ってやる、という言葉へのねたましさ」であったのではないだろうか。<赤貧つづく>