春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭の「いろいろあらーな」2005年3月目次

2005-03-31 | インポート
2005年3月目次

03/01~03/02 ことばのイメージも変わる①②
03/03~03/05 老化防止に思い出す語覚える語①~③
03/08 自由で豊かな言語文化
03/09 紅梅色 山里の梅東京の梅
03/10 見えぬけれどもあるんだよ①
03/11 肉体改造(美女とほりえもん)
03/12 見えぬけれどもあるんだよ②
03/15 まっピンク①女が映画を作るとき
03/16 まっピンク②サラダとアイスクリーム
03/17 まっピンク③サラダとアイスクリーム
03/18~19 風傷①②
03/22 春のうた「沈丁花、白木蓮」
03/23 春のうた「春疾風、春嵐」
03/24 春のうた「春の雨と薔薇の蕾」
03/25 やちまた日記「彼岸会はしりくち」
03/29 春のうた「富士を見る旅」
03/30~31 アビエイター①②

ぽかぽか春庭「アビエイター②隔離」

2005-03-31 | インポート
2005/03/31
アビエイター(ネタばれ注意)②>隔離quarantine

 どんな興味でアビエイターを見るか。
1,監督スコセッシファンとして見る
2,レオ様、デカプリオファンとして見る 
3,共演者のファンとして見る。アカデミー助演女優賞ケイト・ブランシェットファン、(キャサリン・ヘプバーンファン)『シカゴ』でロキシーの旦那役だったジョン・C・ライリーはヒューズの会社経営右腕役、『指輪物語』のビルボ役だったイアン・ホルムは、気象学者の役、エロール・フリンを演じるジュード・ロウのファン 
4, 飛行機や航空会社に興味を持っている人 
5, 空をびゅんびゅん飛ぶものが画面に映ることを楽しみを見いだす人(一部ジブリファンと重なる)
6, ハリウッド映画制作の裏側やハリウッド伝説メイキングが好き 
7, 脚本賞撮影賞編集賞美術賞衣裳デザイン賞など、興行成績には関係ないアカデミー賞に興味がある 
8, 強迫性障害(かって強迫神経症と呼ばれていた)に関心がある人

 レビューチェックでは、1の人は、この映画を高く評価(例:mackychan)
 2の人もおおむね満足している。私は『マイ・ルーム』のメリル・ストリープの息子役、『太陽と月に背いて』のアルチュール・ランボー役でのレオ様はいいと思ったが、『タイタニック』では、大根に見えてしまってかわいそうと思った。
 今回のハワード役は、今までで一番いい。額の皺が横に走るのではなく、眉間に四角くよるのが難点だが。

 3の人も、ケイトのアカデミー助演女優賞受賞を当然と思う。私はキャサリン・ヘプバーンが好きだったので、『指輪物語』のガラドリエルや『エリザベス』の印象が強烈なケイトがどう演じるのか興味があった。知的な雰囲気は共通しているが、顔立ちが似ているわけではない。しかし、ケイト演じるキャサリンはぴったりだった。
 ロウ様ファンは大憤慨。ジュード・ロウがちょびっとしか画面にでなかった。

 「21世紀の『市民ケーン』」という評もあったので、母と息子の関係とか成功者の孤独などが、どのように描かれているのかと興味をもった。
 『ケーン』のキーワードは「薔薇のつぼみ」だが、この映画で母と子のキーグッズ&キーワードは、小さな石鹸箱と「隔離quarantine」という言葉。
 私が一番共感できたのは、この「隔離」というキーワード。そして「強迫性障害」の部分だった。

 ハワード・ヒューズに共感を見いだせない人の意見。
 「金持ちの坊ちゃんが金を湯水のように使いたい放題で夢を実現したからって、どうだっていうのさ。所詮は金持ちの遊びにすぎないじゃないの。人を信じられない変人にでもなるしかないね」
 強迫性障害へのシンパシーがない人から見て、ハワードの行動は異常に見えるだろう。

 洗っても洗っても汚れが消えていかないような気がして、手を洗い続けたり、他人が口をつけたコップで水を飲むことができない、という性癖から逃れることができない者は、ハワードが他人がふれたドアノブにさわれなかったり、血がにじむまで手を洗い続けたりする画面に「現代を生きるひとつの姿」を見る。
 
 ハワード・ヒューズの母は息子を溺愛し、学校生活になじめないハワードのために、つきっきりで教育したという。
 映画では冒頭シーンで、美しい母が回想される。幼いハワードを風呂で洗ってやる母は黴菌に満ちた外の世界の恐怖を語り、黴菌からの隔離Quarantineのスペルをハワードに教える。

 ハワードの母が「隔離Q U A R A N T I N E」と、スペリングしながら息子の体を洗っていくシーン、妖しいエロスに満ちている。
 母と息子の間の秘密の儀礼のごとく、静かに水は少年の体を流れ落ち、母は息子をこの世のすべての穢れから隔離しておきたいと願う。
 少年の多くは「もうひとりのオイディプス王」であるという。

ハワードが16歳のとき、母が亡くなった。18歳で父の遺産を引き継ぎ、映画製作に乗り出すまでの2年間は、ハワードにとって何も心を埋めるものがない時間だったのではないだろうか。
 もう、美しい母は息子に「隔離」とつぶやかない。

 息子の欠落を埋めるものは、映画と飛行機だった。18歳で手にした莫大な遺産をハワードは惜しみなく注ぎ込む
 『アビエイター』は、20歳のハワードが映画制作に乗り出したところから始まる。
<アビエイターつづく>

04/01 アビエイター③強迫性障害
04/02 アビエイター④イカロスの翼

ぽかぽか春庭「アビエイター①飛行家」

2005-03-30 | インポート
2005/03/30
アビエイター(ネタばれ注意)①>飛行家

 英語に弱い私でも、飛行機の操縦士を英語でいうと、水先案内人やボールペンメーカー社名と同じPilotであることは知っていた。しかし、Aviator(航空家、飛行家)なんていう単語は、ハワード・ヒューズを主人公にしたこの映画が制作されるまでまったく知らず、留学生との会話の中で使ったこともなかった。
 自ら設立した映画製作会社第一作として「Aviator」を企画したレオ様、私の乏しい英語語彙を増やしてくれてありがとう。

 雨の渋谷。500席の映画館に50人くらいしか座っていないので、作品賞も主演男優賞も逃して興行的にどうなるのやら、とか、レオナルド・デカプリオが30歳すぎても童顔のままで、演技はどうなのだろうかとか、心配のタネはいろいろあったけれど、2時間49分の長編が、少しも長いとは感じず、私にはとても面白かった。

 ヒューズが主人公ではあるけれど、伝記を忠実になぞった物語ではない。(ヒューズの伝記は本屋へ行けば数種類並んでいる)また、晩年の孤独な生活に至る手前で映画はラストとなる。

 私がヒューズの名を知ったのは、70年代、演劇史映画史に興味を持っていた頃。
 18歳で父の遺産を相続したヒューズ。ハリウッド映画の制作に乗り出し、ギャング映画の古典となった『暗黒街の顔役』飛行機を画面に炸裂させた『地獄の天使』ほかの傑作を残した。
 映画製作と飛行機に情熱を燃やし、何人ものハリウッド女優と浮き名を流したが、生涯独身を通して孤独に死去。

 1976年にヒューズの死が伝えられたとき、彼は奇人変人として報道された。極度に人と黴菌をおそれた晩年、20年間もホテルに引きこもって誰とも面会しなかった。自分の飛行機会社TWAのパンナムへの売却など、連絡は電話でこなし、自室のテレビを好きな時間に見るためにテレビ会社を買いとる。

 映画製作時代、ハリウッド美男男優よりハンサムといわれ、190cmの長身を誇っていたヒューズだった。が、ホテルから病院へ移動する途中で死んだ彼は、やせこけ身長も縮み、容貌も変わり果てていた。だれもヒューズ本人とは識別できないので、指紋鑑定によって死亡確認がなされたという。

 莫大な遺産の直接の相続人がいなかったため、現在の日本円価値に換算すれば数兆円にのぼる遺産をめぐって相続争いが起った。とんでもない巡り合わせで、実は私はヒューズの隠し子だったなんていうことにならないものかと、みんな思ったが、ならなかった。

 遺産はハワードヒューズ医学研究所の基金となったほか、ハワードのいとこにあたる人々が分割相続。
 さまざまなエピソードは「アメリカンドリームの体現とその末路の伝説」となり、ハワード・ヒューズが登場する映画も何作か作られた。

 今回レオナルド・デカプリオが企画したハワードの物語は、彼が映画製作に乗り出してから、ホテルの一室に閉じこもるまでの前半生を描いている。
 後半の隠遁生活については、いくつかの伝記によって描かれているが、彼の本当の姿や彼の考えていたことが全部明らかになっているわけではない。だれも彼を見たことがなかったのだから。

 ヒューズの隠し子でもいとこでもない人がこの「アビエイター」を見るとき、遺産の行方以外に、さまざまな興味の行方がある。
 私の興味の中心は「生と死(eros & thanatos)」「擬死と再生」の画面への現れ方。そして「きれいな男が画面にいること」この場合、実際にハンサムだったハワードをレオ様が演じるのだから、課題クリア。
 <アビエイターつづく>

ぽかぽか春庭「富士を見る旅」

2005-03-29 | インポート
2005/03/29
春のうた>富士を見る旅

 妹にさそわれて、「富士を見るバスハイキング」に行ってきた。本当は「富士と桜を見るバスハイク」というのが旅行会社の惹句だったが、桜には早すぎた。去年の満開時期に合わせてのバス旅行募集だったので、しかたがない。晴れわたった春の一日、富士は一日中よく見えた。

 妹の連れ合いに集合地まで送ってもらい、朝7時にバス乗車。 河口湖の脇を通り抜け、須走御殿場経由して日本平まで、5時間。途中パークエリアでのトイレ休憩のほか、じっと乗り続け、車窓の富士を楽しむ。
 陽に輝く雪をいただいた富士が間近く見える。山腹にときおり薄い雲が這うが、曇ることも霞むこともなくほんとうに富士日和の一日だった。

 遠く小さな富士でも見えるとうれしいのに、目の前に迫る雄大な富士を見るのは、久しぶり。
 日本平や三保の松原で下車。駿河の海と富士、砂浜の松原。これで桜もあったら、まったくもって留学生が大喜びしそうな「絵はがきのようなけしき」になる。富士と白波、富士と松原、富士と沖ゆく船。「日本を代表する風景」を、絵はがきでなく実際に目にすることができた。

 万葉以来、富士はさまざまに詠まれ描かれてきた。富士を実際に目にすることがなかった人々にとっても、絶えることなく燃える火の山、たなびく煙の山として、消えることのない胸の炎=恋の象徴の歌枕になり、富士といえば「恋」でもあった。
 万葉の東歌の中でも、富士は恋の歌になる。駿河国相聞往来歌より

天の原富士の柴山木の暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ(万葉3355)
霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ(万葉3357)
さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと(万葉3358)
富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ(万葉3356)
(広大な富士の嶺の山道、恋しいあなたのもとへと行く道であるから、遠いとも思わず日数もおかず通っていくよ 現代語訳春庭)

 各地に旅をし、写生によって富士を詠んだと思われる山部赤人の歌も、新古今に載り百人一首として親しまれるようになると、現実の富士ではなく、歌枕の流麗な富士の姿に変身する。

田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留(万葉3-318)
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)
→ 田子の浦にうちいでて見れば白たへの富士の高嶺に雪はふりつつ(新古今)

 鎌倉と往来が多くなり富士を目にする機会もあったと思われる義経頼朝と同時代の人の歌でも、本当に富士を見た写生ではなく、歌枕富士を想像しての作品が多い。

花や雪かすみや煙時しらぬふじのたかねにさゆる春風(藤原忠良)

 次の顕昭の一首も実際に旅したというより、歌枕富士への思いが詠ましめた一首と思われるのだが。

富士の山いくかすぎぬとかぞふれば同じ麓に有明の月(顕昭 三百六十番歌合)
(富士の山裾が広がる中を旅ゆく。広大な裾野を旅した日数を数えると、幾日幾夜も富士の麓にすごし、今、明け方の空に残っている月と富士と私が共にある(現代語訳春庭)

 一気に時代を下って、明治以後の富士。

あかねさす夕日のかげは入りはてゝ空にのこれる富士のとほ山(明治天皇御集 明治35)
ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間《このま》に淡き富士見ゆ(山川登美子)
しろ銀の魚鱗の上に富士ありぬ相模の春の月のぼる時(与謝野晶子 常夏 明治41)
伊豆の山すべて愁ひて潤むなり富士より早く春は知れども(晶子 草の夢 大正12)
凧ぎし日や虚の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひて行く(若山牧水 海の声 明治41)
雲らみな東の海に吹きよせて富士に風冴ゆ夕映のそら(若山牧水 海の声 明治41)
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ(牧水 独り歌へる 明治43)
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく(牧水 山桜の歌 大正12)

 陽に照る冠雪。真っ白な山頂からなだらかに広がる裾野。青い空。いよよ輝く春の富士を一日楽しみ、夕方シルエットとなっていく様を見ながら帰途につく。

 妹の家についたのは、夜10時半。日帰り強行バスハイクであったが、ほんのちょっぴり三嶋大社では枝垂れ桜が五分咲きの枝もあったし、おみやげに沼津の海産物をたくさん買ったし、楽しい春の旅だった。

 子どもを連れずに妹と二人だけで旅したのは、初めてのこと。妹は、帰り際に添乗員が配ったパンフをながめて、もう次を計画し始めた。

ぽかぽか春庭「彼岸会はしりくち」

2005-03-25 | インポート
2005/03/25
2005年やちまた日記>彼岸会はしりくち

 彼岸の入りは18日。7日間の彼岸会の真ん中が中日で春分の日。最終日が24日。彼岸の入りは知っていたが、終わる日のことを「はしりくち」という地方もあるという。私の田舎では終わる日のことは何とも呼んでいなかった。

 舅の命日は3月25日であるけれど、彼岸のお参りもかねて24日にお墓まいりするという姑におつきあい。
 姑は結婚までは親兄姉と暮し、結婚後は金婚を過ぎるまで連れ合いと暮したので、舅が亡くなったあと「生まれて初めての一人暮らし」になった。

 80歳の今「はじめての自由で気ままな生活」を満喫しているようだ。姑の毎日は、童謡の会手芸サークル健康体操グループなど曜日ごとの予定がびっしり埋まっているので、お墓参りにでもつきあうほか、なかなかいっしょにお出かけの機会もない。
 元気でいることを頼みにして、年齢を心配しながらも一人暮らしをまかせている。

 姑が「前に食べた中華屋さんがおいしかったのでもう一度食べてみたい」と、言うので、おまいりをすませてから早めの夕食。夫は、「のんびり夕ご飯食べているヒマなんかないんだ。30分で食べ終わって仕事に戻るから」と、いつものセリフで、食べ終わるとさっさと行ってしまった。

 「私もすぐに帰るから」と姑が言うので、地下鉄の駅改札までおくっていった。何か話がありそうなので、「上に喫茶店あるから、お茶飲んでから帰りましょうか」とたずねると、「あら、主婦は夕方たいへんなんでしょう。忙しいのに喫茶店なんて、入らなくていいわよ。でも、5分だけちょっとお話ししておきたいから」というので、改札脇で立ち話。
 はい、はい、と傾聴する。5分のはずが、10分たっても話は終わらない。20分、30分。足が痛くなってきた。

 強引にでも喫茶店に入ればよかった、と思いながら話を聞き続ける。結局、姑の話は60分続いた。駅の改札で60分の立ち話は、私にとって初めての経験。膝がなんだかぎくしゃくする。

 隣町にある女学校に通うのに、駅まで小1時間も歩く田舎で育ち、足腰丈夫なのはこのころ毎日往復歩いたからだ、という昔話は何度か聞いたが、私の立ち続ける足は80歳の姑にかなわなかった。ああ、疲れた。
  「じゃ、また電話するから」と、姑は改札からようやく中へ。歩くのも立ち話もへいちゃらの姑に比べて、気力体力ヘトヘトの嫁の一日。

 「はしりくち」は「走り口」であるらしい。彼岸会を終え、春の農作業へと走りはじめる「走り口」なのだろうか。
 老人会の旅行だ、食事会だと走り回っている姑より若いはずなのに、私にはもう勢いよく走り出す元気もない。でも、とぼとぼながらも歩きださなければならない時期なのだろう。

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もんじゃ(文蛇)の足跡
OCNサーバ、朝から夜まで丸一日不通。ログインもできなかった。
で、私も、春休み進行。更新、やすみ休みになります。26(土)春休み休載。27(日)28(月)定期休載。

ぽかぽか春庭「春の雨と薔薇の蕾」

2005-03-25 | インポート
2005/03/24
春のうた>春の雨と薔薇の蕾

 3/23水曜日は雨の一日だった。
 春の雨にも、春驟雨(はるしゅうう)春時雨(はるしぐれ)春霖雨(はるりんう=春の長雨,
春霖)菜種梅雨など、いろいろな雨がある。

 木の芽を育て、蕾をふっくらさせてくれる恵みの雨とわかっていても、ずんと頭も重くなり日頃の憂鬱がさらに深くなる。どんよりとした空の下、気が重く頭が重く、体重はさらに重たい。(甘いものドカ食いでストレス解消するから)

 本を読むにも気が重い。「布コサージュの作り方」を見ながら、端切れで「かんたん薔薇のコサージュ」なるものを作ってみた。赤い布きれを折り畳み、ぐしぐしと縫い縮めて糸を引く。ぐるぐると布を巻いていくと、花の形に見えてくる。

 昔は手芸が好きで、ぬいぐるみや端切れ利用の小物などいろいろ作った。娘の人形の服、ドレスも浴衣も手作りしたのだけれど、息子の保育園グッズなどを手作りしたのを最後に手芸から遠ざかってしまった。

 布の手仕事を見るのも好き。パッチワークの展覧会、染めや織の展示会によく出かける。
 今は見る専門になっているけれど、またいつか、時間がゆったり流れるなか、針と糸を動かすひとときを持ちたいなあ。

 できあがった布の花を息子に見せて「ねぇ、これ薔薇に見える?」ときいてみた。
 「薔薇っていわれるとビミョ-だね。けど、スミレとかチューリップにはぜったい見えないので、本人がこれは薔薇であると主張するならあえて否定はしません」という答えだった。う~ん、ま、いいか。

 花はできたが、裏面のピンをとめるところがよく分からない。娘が裏側の始末の仕方を教えてくれた。丸い止め布の作り方、ピンの止め方。
 娘は私より布の手仕事が上手。ソーイングの本を定期購読し、スカートやシャツは手作りのものを着て出かけることが多い。
 教わった通りにピンをつけ、「薔薇と思えばバラ」のコサージュができあがった。

 窓の外はまだ雨。木の芽を濡らし、花のつぼみもふくらんでいくのだろう。
 静かに雨が降り続く。
 なんとはなしにつぶやいてみる「Rose bud」
 ぬいぐるみや人形で遊んだかわいいこどもたちは時間のソリに乗って走り去り、おいてきぼりの母親に残された薔薇の蕾。

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り<芭蕉>
母の忌やその日のごとく春時雨<富安風生>
くれなゐの二尺のびたるばらの芽の針やはらかに春雨の降る<正岡子規>
わが背子に恋ひて術(すべ)なみ春雨の降るわき知らず出でて来(こ)しかも(詠み人知らず万葉集巻10・1915)
あの人に恋こがれ、どうしようもない思いがわいてくるにまかせて外へ出た。あの人の面影を追ってたたずみ、ふと気づけばしっとりと春の雨がふっている。雨がふるのを感じないまま外に出ていたのだなあ。(現代語訳春庭)

うらはらな言のひびきや菜種梅雨<静栄>
菜種梅雨句帳にたどる己が過去<静栄>
とまりてはただよう煙菜種梅雨<静栄>

春驟雨 しゅうしゅうと落つ 窓を打つ うつウツ欝撃つ 啾々(しゅうしゅう)と落つ<春庭>

ぽかぽか春庭「春嵐、春疾風」

2005-03-23 | インポート
2005/03/23
春のうた>春嵐、春疾風

 春分の日の日をすぎて一気に春めくと思うとさにあらず。昨夜は強い風が吹き抜けた。春疾風(はるはやて)春嵐もまた、春のあらわれ。

母の視野のなかの起き伏し春嵐 <桂信子>
玻璃しばしばかがやき震ふ春疾風 <桂信子>
あらあらしき春の疾風(はやち)や夜白く辛夷(こぶし)のつぼみふくらみぬべし<尾崎左永子>
思春期の子の親なれば吹き荒れる春嵐にも萌える芽を待つ<春庭>


ぽかぽか春庭「沈丁花・白木蓮」

2005-03-22 | インポート
2005/03/22
春のうた>沈丁花、白木蓮
 
 「午後から雨」の予報を見て、めずらしくお昼まえに買物へ行きました。いちご、大根、牛乳など自転車の買物籠に入れ、団地の花を見ながら帰る。児童公園の中、白木蓮がもう花を開いていました。
 団地の樹木のなかで、梅、沈丁花に続いて咲く白木蓮(はくもくれん、はくれん)。私にとっては「春告げ花」です。

沈丁花いまだは咲かぬ葉がくれのくれなゐ蕾(つぼみ)匂ひこぼるる<若山牧水>
暁の病室白木蓮の舞出むとす<石田波郷>
白木蓮に純白という翳りあり<能村登志郎>
白木蓮のひと木こぞりて花咲くは去年(こぞ)のごとくにて去年よりもかなし(上田三四二・涌井)
両岸をつなぎとめいる橋渡りそのどちらにも白木蓮(はくれん)が散る<永田紅>

(白いボンネを髪に載せ白いロングドレスを装う人を見て)
白木蓮の白き翳りは秘めしまま三十路乙女も花嫁となる<春庭>
姉妹(あねいもと)たわいなきことメールにてかわしつ春のひと日を過ごす<春庭>

ぽかぽか春庭のことばの知恵の輪「風傷②」

2005-03-19 | インポート
2005/03/19
ことばの知恵の輪>風傷②

 2年前、道浦はまったく短歌が作れないスランプに陥ったという。ことばが声にならず、字も書けない。連載も断り、ことばの仕事から離れて過ごした。
 ことばを求めながら、ことばにはじき出されてしまうような、焦燥の日々。

 asahi com 大阪のウェブコラムから、インタビューに答える道浦のことば

 「ある時代の象徴のように語られ、歌人・物書きになりたいと思ったことがないまま、いつの間にか生業(なりわい)になっていた。そのことがどこか重荷になっていたんですね。新聞や雑誌を見るのもいやで、半年ぐらいぼんやり過ごしました。
 そうするうちに、ある日突然、歌を詠みたいという衝動が自然に起きてきたんです。
 言葉から一度離れたことで、その怖さと大切さを教わったんです。

 今は言葉の混乱期。子どもたちは「ぶっ殺す」とか「キレた」とかすぐ言うけど、言葉にしてしまうことで言霊となって現実になってしまう。道端の草花も、雑草としか思わなければ踏んでしまう。でもスミレとかハコベとかちゃんと名前を知っている草花は踏まないでしょう。地名ひとつにも、歴史や街の空気、生活している人の息遣いが染み込んでいる。
 言葉を粗末に扱うことは、その人の心も粗末にし、人間関係も粗末にすることだと思うんです。」(2005/03/11)

 歌を詠むことについての道浦のことば、もう一度繰り返す。
 「歌を詠むというのは、二度とないその瞬間に選び抜いた一語を、自分の中に引き込んで体温を与え、もう一度外に手放すこと。言葉に体重をかけたり、光やにおいを与えたりして、血の通った言葉にすることが大切なんです。そうすれば31文字というピンホールから世界を見ることができる。(略)詩は志(し)をうたうもの。人間のあるべき姿を、一生賭けて問うことです。」

 道浦母都子。同時代を生き、私が最も心寄せてその歌を読み続けてきた人。
 道浦は68年国際反戦デーのデモ参加で逮捕され不起訴。その後病身となり1年休学した。
 道浦の3年あとに上京した私は、2年間すれ違う可能性があったことになるのだけれど、私が入学してからの2年間は、学生スト、キャンパスロックアウトなどでずっと閉鎖状態。授業はほとんどなかったので、たぶん学内で姿を見ることはなかったろう。
 しかし、上京してから下宿していた杉並下井草に、道浦もいたことを最近知った。西武線下井草駅ですれ違っていたのかも。

 『無援の抒情』以来の歌集やエッセイを読んできて、今月は『食の彩事記』のほか、道浦がNHKの講座で語ったことをもとにした『女歌の百年』を読んだ。篠弘『疾走する女性歌人』と前後して読んだので、同じ歌や歌人への視線のちがいなど、とても面白かった。

 道浦が、言葉を失ってすごした2年の歳月を経て、ふたたびことばの世界に帰ってきたこと。風に傷ついても、台風に落っこちても、「落っこちたって、不揃いだって、りんごは林檎。私は私」と言っているようにも思う。

 私も「風傷果」のひとつとして、傷ついたままの心をもてあましながら、それでも言葉を探して歩こうとおもう。ことばのひとつひとつを大切に拾い集めて歩きたい。

 子どものころ当時の流行にのって、切手もコインもコレクションとは言えない程度に集めたことがあるが、大人になってから熱中して集めたものはない。だから、「ことば」を集めるのが私の趣味、と思うことにしている。
 昨日は知らなかった言葉を、今日知ることがとても嬉しい。見たはず読んだはずなのに忘れていたことばを思い出すことで、今日一日の心満たしてすごせる。

 「風傷」けっして穏やかでなだらかな響きのあることばではない。厳しく痛ましい思いもこもる。
 でもね。まったく無傷のつるつるまるまるで桐箱におさまっている高級果物じゃなくても、味わい深い風傷果もあると思うよ。<終わり>

ぽかぽか春庭「ことばの知恵の輪 風傷①」

2005-03-18 | インポート
2005/03/18
ことばの知恵の輪>風傷①

 受験シーズンもそろそろ終盤。「入試終わりました」「合格です」などのコメントが残されているのを見ると、他人事ながら、終わってよかったね、とほっとする。

 受験のお守りとして「きっと勝つ」ために、おやつは「キットカットチョコ」。お弁当は「敵に勝つ」ためにステーキとカツ。心強く試験を乗り切るためには、語呂合わせでも駄洒落でもすがりつきたい。言霊が今も生きていることは、キットカットチョコの売れ行きでも納得できる。

 台風のあと、木から落ちないでがんばっていた林檎を「落ちない林檎」と名付けて、合格祈願のお守りに売り出したら高値で売れたという。
 りんごが風のために傷ついていようと、「風にも傷も負けないで落ちないでいた」と思えば、価値があるのだ。

 台風その他の大風のため、収穫まえの果樹が痛めつけられ、果物に傷がついてしまう、それを「風傷」という。風のため傷んだ果物は「風傷果」。一般の市場では風傷果は商品価値が下がってしまう。

 「風傷」一般の辞書にはないが、みかん柿りんごなどの栽培をしている果樹農家では、よく使われるだろうし、果物の流通販売に関わる人々にも身近な言葉なのかも知れない。

風傷の林檎一顆(りんごいっか)をもてあまし独りの夜を存う(ながらう)われか<道浦母都子>

 今月読んだ、道浦母都子の短歌エッセイ『食のうた彩事記(1995年発行)』の「りんご」の章に、上の一首と、作歌の経緯が書かれている。
 道浦は、「せっかく身を育みながら、風で傷み、商品価値を失ってしまうりんご。そんなりんごが何とも哀れで今の私の心境にピッタリだったからだ」と、この短歌を作った頃を述懐する。
 
 この部分を読んで思い出した。1997年に買った道浦の歌集『夕駅』の最初の章のタイトルが「風傷」であった。久しぶりに『夕駅』をひもとく。
 自らを「風で傷み商品価値を失ったりんご」のように感じた、という道浦の述懐。この『食のうた彩事記』が書かれた1994年ころ、道浦は2度目の離婚を経て一人暮しをしていた。

 水の婚 草婚 木婚 風の婚 婚とは女を昏(くら)くするもの<道浦母都子>

からタイトルがとられた歌集『風の婚』から7年を経て『夕駅』が編まれた。『夕駅』の中で、「風傷の林檎一顆をもてあまし独りの夜を存うわれか」の次に並んでいる一首は
「アルバムにいまだ残れる元夫の写真は不治の火傷のごとし」

 そして2頁あとには
「夫子無く生きる自在さ 卓上をまろび転がる鶏卵のよう」<道浦母都子>

 風によって傷つき商品価値を失ったりんごのように我が身を感じる。そして、夫も子もなく自由に生きているように見えていて、それはテーブルの上をころがる卵が、いまにもテーブルから転がり落ちそうなあやうさをはらむ、ギリギリスレスレの存在であることを、道浦は凝視する。
 一人生きていく自分をみつめ、うめきのように唇のはしからことばがこぼれるとき、歌が生まれる。

 たとえ子があっても、台所で毎日の食事を作りながら茶碗をあらいながら、自分の存在はキッチンテーブルの上をころがる卵のようだと思う。くるくるとまわりながら日々をおくり、明日はテーブルの端から墜落していくのかもしれない。

 一房の卵(ラン)とし生きた日も遠く 黙(もだ)して食す朝のオムレツ<春庭>

<風傷 つづく>

ぽかぽか春庭の今日の色いろ「まっピンク③サラダとアイスクリーム」

2005-03-17 | インポート
2005/03/17
今日の色いろ>まっピンク③サラダとアイスクリーム

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる <サラダ記念日>

 俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになったのが1987年。「こういうのは、商業広告コピーのことばであって、短歌ではない」「いや、口語こそこれからの短歌を未来につなげていくもの」と丁々発止の論が起きて、20年近くになる。

 キャッチコピー風も口語も定着し、ウェブ歌会ウェブ句会ウェブ歌仙、ネット内だけの結社もどんどんできているし、インターネット上で発表されたものをまとめて活字本にすることも、もう珍しくない。
 パソコン歌人ケータイ俳人も続々登場。

 俵万智は、口語短歌のトップランナーとしてこの20年、歌を作り続けてきた。
 『チョコレート革命』を読んだときは、どこに向かおうとしているのか、わからなかったけれど、2003年には万智さんもめでたくシングルマザーとなって、

未婚の母をシングルマザーと訳すときほおずき吹いてさよなら「未」の字<俵万智>
と、歌う。

 一般のシングルマザー平均年収200万円という厳しいご時世に、ほおずきなんぞ吹いてる余裕はないのが現実ではある。
 しかし、「さよなら『未』の字」の文言に、未婚未熟未開未遂未練など、「未」の字に込められたニュアンスをふっとばそうとする心の張りを、一首の中に感じる。

 なにはともあれ口語短歌旗手のひとりとして「ライトバースの落日」なんぞの評は蹴飛ばして進んでいってほしい。

 歌人道浦母都子は、「asahi com 大阪」のウェブコラム(2005/03/11)インタビューの中で、若い人のウェブ短歌にふれて、次のように述べている。

「私のところにも、素人の方から作品が送られてきます。でも、肉筆じゃないパソコンで書いた歌は、私には体温が伝わってこない。その人の姿が見えない。歌を詠むというのは、二度とないその瞬間に選び抜いた一語を、自分の中に引き込んで体温を与え、もう一度外に手放すこと。言葉に体重をかけたり、光やにおいを与えたりして、血の通った言葉にすることが大切なんです。そうすれば31文字というピンホールから世界を見ることができる。でもパソコン作品は、その過程を踏んでいないように感じます。」

 道浦が「パソコンで書いた歌は、体温が伝わってこない」と述べているのは、どのような作品を見てのことだかわからないが、たしかに、ウェブ上の玉石混淆の短歌サイトには、まだ十分に磨かれていない原石もあるし、ブリリアントカットの煌めきもあるけれど、ゴロタ石ゴロゴロでもある。

 「割れ瓦や瀬戸欠けガーラガーラガッラガラ」をどさっと送りつけられたのでは、うんざりしてしまうに違いない。ことばを知らない世代の、舌足らずの表現も多いだろう。

 道浦のもとに送られてくるパソコン書きの短歌には「就職に失敗したので歌人になりたいと思います。年収いくらくらい稼げるでしょうか」というような手紙が同封されていることもあるというから、まあ、そういう程度の短歌なのかも知れない。

 でも私は、パソコン短歌ケータイ俳句が「肉筆じゃないので体温が伝わってこない」ものばかりじゃないとも思っている。
 パソコンからとび出てくる短歌や俳句の中に、筆やペンとはちがう手触りで輝き出すことばが生まれてくることもあろうと期待する。

 2005/03/10に、「金子みすずの手書き文字による詩のパネル」について述べた。みすずの文字のあたたかさ、なつかしさに触れて、活字の詩とはまた違うすばらしさを感じた、と。
 文字が肉声を伝えるような味わいを持つことは確かだ。
 筆記メディアの差。墨と筆で擬古文を書いた樋口一葉は、もしペンと原稿用紙を用いていたら、あの文体を残せなかっただろうという論もある。

 しかし、筆にもペンにも、えんぴつにも、キーボードにも、それぞれの筆記メディアにそれぞれの言葉がある。
 パソコンキーボードを筆記具として生み出されることばたちの中から、世界を貫く31文字が誕生し、光やにおいをもつ血の通った表現がひろがっていくだろう。

 若い世代、高中生、小学生まで、ケータイメールならどこでもいつでも言葉を発信する。目にしたこと感じたこと、どんどん17文字、31文字にしてみたらいい。その中から日本語言語文化の歴史につながる言語表現が生まれる可能性も大きいと思う。

 2005年は、1205年に『新古今和歌集』が編纂されてから800年目という。万葉集や古事記、風土記の歌謡など文字にされてからだけでも1200年の、口承歌謡まで考えるなら、2千年3千年の歴史をもつであろうことばのリズムやしらべ。
 そのリズムやしらべを、自分の指先からどんどん文字にし声にしていくうち、自分の表現、自分の声が生まれでる。
 現実の中から生(あ)れいでて、虚実皮膜を超えたところに歌は成立する。
 キーボードのキーからどんな言葉たちが飛び出してくるだろうか。

まっピンクのノートパソコンかたかたと指にあふRuRu♪ミソヒト文字たち<春庭からパソコン歌人へのオマージュ>

ぽかぽか春庭の今日の色いろ「まっピンク②サラダとアイスクリーム

2005-03-16 | インポート
2005/03/16
今日の色いろ>まっピンク②サラダとアイスクリーム

まっピンクのカバンを持って走ってる 楽しい方があたしの道だ<加藤千恵>

 現在は東京で学生生活をおくる加藤千恵が、北海道の女子高校生だったころに作った短歌をあつめた歌集『ハッピーアイスクリーム』(中公文庫)
 単行本(2001年)も文庫本(2003年)もまっピンクの装丁なので、所収の「まっピンクのカバン~」、この一首を集中「代表歌」と思っていいのだろう。

 千恵さんは、私の娘と同じ年。
 口語による「かんたん短歌」を提唱している枡野浩一サイトbbsへ投稿する中から歌集が生まれた。

 青春まっさかりの道を、「まっピンク」のカバンをもって走り抜けていく女の子のはずむ気持ち、「楽しい方があたしの道だ」と言い切る口跡の、スパッとした切れ味のよさ。私は好きだな、こういう短歌も。

 「楽しい方があたしの道だ」と、走っていくその先、崖っぷちかも知れない、荒涼とした岩と砂の世界なのかも知れない。それとも袋小路?
 その先が「楽しい方」になることが少ない世の中であることがわかっている母親としては飛び出していく娘にむかって、「あんた、ちゃんと前後左右見なさいよ。カバンにハンカチ財布はいってんの?」などとごちゃごちゃ言いかけて、ますます「母」の枕詞が「垂乳根の」ではなく「ウザイ垂れパイ」になるんだけどね。

 加藤千恵の短歌。
合格を祈願している場合じゃない だってあたしは恋をしたのだ
重要と書かれた文字を写していく なぜ重要かわからないまま
珍しく雨の降る日に図書館で江國香織を検索してる
言葉しか残っていないけれど まだ言葉だけなら残ってはいる
真実やそうじゃないことなんだっていいから君と話がしたい 
理科室のひんやりとした空気の中標本になっちゃえばよかった
こなごなに砕くキャンディー 退屈も不幸も似てて見間違えそう
最終のバスに揺られる 酔っている 窓の外には夜が広がる
せいしゅんとかそういうのよくわかんないけどそれなりにいまはたのしい
ついてないびっくりするほどついてないほんとにあるの? あたしにあした
気持ちいい風 気持ちいい音 気持ちいい温度 いつも現実がいい<加藤千恵> 

 口語短歌はネット上で増殖拡大していき、「散文の一部としても成り立つからいいのだ」という主張もある。
 私は、短歌は散文の一部じゃなくて独立したことばの宇宙だと思っているけれど。古風に。
 
 「合格を祈願している場合じゃない だってあたしは恋をしたのだ」五七五七七になっていて、散文の一部にとけ込ませようとすればそうなってしまい、文語定型の短歌からみたら、短歌とは思えないものなのかもしれないけれど、まっピンクの表紙の高校生歌集が本屋に並ぶなんて、いい時代なんだ、きっと。<サラダとアイスクリーム続く>

ぽかぽか春庭の今日の色いろ「まっピンク①女が映画を作るとき」

2005-03-15 | インポート
2005/03/15
今日の色いろ>まっピンク①「女が映画を作るとき」

 今年新年はじめに読んだ一冊、浜野佐知『女が映画を作るとき』。
 とても面白かった。

 私が浜野佐知の名を知ったのは、『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』という映画の監督として。しかし、1999年に岩波ホールで『尾崎翠を探して』が上映されたとき都合がつかず、ついに見るチャンスがないままになって、映画をみる前に浜野監督の本を読むことになった。

 2003年11月に姑と童謡コンサートに出かけたおり、尾崎翠の出身地鳥取県岩美町の「いわみ合唱団」が東京との交流で出演していた。岩美町関係者が鳥取の観光パンフレットといっしょに『尾崎翠を探して』のチラシを配っていた。

 エキストラなどで浜野監督に協力した町の人々は、監督と共に映画を完成させたことを誇りに思い、上映活動を続けていたのだ。
 映画を通して人の輪がひろがっているのだなあと、浜野の本を読んで思った。

 浜野佐知は、10代から映画を撮りたいと志し、「ピンク映画」の助監督から足場をかためた。撮影現場であらゆるセクハラいやがらせにも耐え、同性である女優からもイジメにあうなどしてきたが、1970年に『17才好き好き族』で監督デビュー。独り立ちしてから300本のピンク映画を監督してきた。

 『女が映画を作るとき』は、300本のピンク映画を撮った時代を経て、『尾崎翠を探して』『百合祭』の制作に関わるエピソード、岩波ホール支配人高野悦子さんへのインタビューなどから構成されている。

 「セクハラ」という言葉さえまだ通用していなかった時代に、男社会の映画界で奮闘し、芯の通った生き方をしている女性の姿にほれぼれした。

 「女は家庭にもどれ」「社会に大切なのは子を生む女」「子を産み終えた女は社会に不要のもてあましもの」などの言説がゾンビのごとく蘇り、徘徊しはじめている。「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」と公言する首長もいた。
 「ジェンダーフリーという言い方を教育の場でするのはふさわしくない」という主張も強くなって、フェミニズムへのバックラッシュが続いている。
こんな後ろ向きの状況のなかで読む、浜野の行動、言説ひとつひとつ小気味よく響く。

 男性中心の制作現場の中で仕事がおもうにまかせないことも多かったという。自分自身で映画製作会社を設立し、女性が観賞しても決して否定的な気持ちにはならない官能の世界を描き続けてきた。第一章の『ピンク映画まっしぐら』は、「きちんと女の性を描こう」と決意した監督が真っ直ぐに駆けてきた映画の道を、快いスピードでパンフォーカスする。

 『第七官界彷徨 尾崎翠をさがして』と『百合祭』は、浜野が映画を志して以来30年間の思いを結集して作り上げた作品。海外でも高い評価を得た。

 両作品とも、多くの人々の資金面制作面への協力によってできあがった。金にあかせて作った映画の対極にある。ワンシーンワンシ-ンに、監督以下関わった人すべての思いが刻み込まれている。(予告編でしか作品を見ていない私が言うのも何だけど)

 一般映画の監督として評価が高まってからも、浜野は300本のピンク映画にも誇りと愛着をもち、彼女が撮ったピンク映画なら、見てみたいと思わせる。

 「ピンク映画」とは、男性観客の目を意識して作られることがほとんどなのだろうと思う。私は日活ロマンポルノが話題になったときも、「人がやってんの見てるヒマがあったら、恋人探す時間作って実践!」と思いつつ、結局恋人も見つからないというショーモない人生をすごしてきてしまったので、残念ながら浜野以外の男性監督の映画もみていないから、比較をすることもできない。

 けれど、浜野のピンク映画は、女性を決して「男性に隷属するだけの性」として描かず、「女性もまた性の一方の主体である」という視点を貫いているという評価がされているという論を見て、うん、いつかはその300本のピンク映画の中の傑作選上映会などあったら、見にいきたいなあとおもう。

 「ピンク映画」の中で、浜野の作品は「まっピンク!」を貫き、『百合祭』の優れた官能表現もなしえた。

「まっピンク!カラミからまれ水蜜の果肉の中に染まる指はも」<春庭から浜野監督へのオマージュ>

ぽかぽか春庭の2005やちまた日記「見えぬけれどもあるんだよ後半」

2005-03-12 | インポート
2005/03/12
2005年やちまた日記>金子みすず「土」(見えぬけれどもあるんだよ後半)

 2005/02/26、日本のH2Aロケットは、ようよう打ち上げに成功した。打ち上げ時のロケットが描く飛行雲を見た人の投稿を読み、感動が伝わってきた。
 「停滞していた日本の宇宙開発が再び動き出す」という解説記事に、白い飛行雲を青空に描きながら宇宙へと向かうロケットの姿を思い浮かべる。

 スプートニクやガガーリンのニュースを聞いて以後、この世には宇宙というものがあるのだと知り、宇宙は私たちの世代には果てしないあこがれの地になってきた。
 子どもの頃は、「宇宙開発」という言葉からも、人類に無限の世界を与えてくれるイメージを抱くことができた。

 宇宙開発のための実験の中で、私にとって、とても印象的だったアメリカの試みがある。
 1991年、アメリカアリゾナ州に、外界から隔離された巨大ドームの人口閉鎖生態系「バイオスフィアⅡ」が建設された。バイオスフィアとは生物球=地球生態モデルという意味。

 将来の宇宙ステーション(コロニー)建設計画に役立てるため、このドーム内には、生活に必要な水や植物だけでなく、海や川といった自然を再現し、大気などのバランスを保てるように綿密な計算がなされた。
 この閉鎖空間で、研究員が自給自足の生活を2年間行うという壮大な実験がはじまった。

 コンピュータで計算されつくして地球環境を再現したドーム。研究者たちはドーム内で農業を行い魚をとり、将来宇宙で同じようなコロニーを作れば地球と同じ生活ができるようになる、という予測をもって実験に取り組んだ。

 しかし、計画は2年を満了せずに頓挫した。
 きちんと計算され、ドーム内では酸素も植物動物がうまく循環して保たれるようになっていたはずなのに、予測に反して酸素が急激に減少したのだ。研究員が倒れる事態にまでなり、酸素を外部から補給せざるをえなくなった。
 なぜだ?ドームに持ち込まれた植物と動物すべての酸素消費量を計算してあったのに。

 原因は、植物栽培のためにドームに運ばれた「土」だった。植物を栽培するための土壌中で、有機物を分解するバクテリアが異常繁殖し、それが一時的に大量の酸素を消費した。想定外のことだった。

 通常、自然界では特定のバクテリアが異常繁殖することはあり得ず、たくさんの生物が存在することによって、自然の微妙なバランスが保たれるような仕組みになっている。
 しかし、ドーム内に持ち込んだ生物群は、地球上のすべての生き物ではない。うまく酸素供給と消費のバランスがとれるよう計算した上で、植物動物を選んで持ち込んだはずなのに、計算通りにはいかなかった。

 自然界とは、コンピュータの計算を超えた存在だった。地球上の生態系すべては、人間の想像を絶する圧倒的多数の生物群の存在によって正常に作用するシステムになっているということが、この実験によって明らかになった。

 この実験以後、地球は、地球上のすべての存在、微生物もウィルスもすべてを含んだひとつの大きな有機体であることが、認識されるようになった。
 自然界の生態系が、どんなに多種多様で複雑かということを、このアメリカの実験がはっきりさせてくれたのだ。
 
 人類が自らの都合のいいように自然を選びコントロールすることは、決してできない。目にはみえないようなバクテリア、深海の奥の奥に隠れ住み、人間とはまったく関わらないようにみえる生き物も含め、生物種の多様性がいかに重要かが、認識されることになった。
 アリゾナの失敗は、「バイオスフィア=地球」の姿を人々が再認識するための貴重な実験となった。失敗したことがよかったのかもしれない。

 目に見える存在も、目に見えない存在も、心に感じるのみの「なにか」も、すべてが関わり合い、影響し合って私たちの世界が成り立っている。いらないものなど何ひとつない。
 そこらにころがっている石っころも、砂のひとつぶも、蟻の死骸も大根の切れ端も、すべてがあらゆるものの存在のためにそこにある。

 自分には必要ないように見えるものを排除したり、都合良く選別したりすれば、たちまちしっぺ返しをくう。
 多様であること、あらゆる存在を認めてすべてを大切にすることが、自分の存在を支えているのだ。

 バクテリアを含んだ土壌によって、目に見えるものも見えないものも関わり合って生きている地球の存在を明らかにしたアリゾナの実験。
 そんな壮大な実験が行われるずっと前に、ただそこにあるひとすくいの「土」も大切なたいせつな存在であることを、小さなことばで教えてくれていた金子みすずの詩をひとつ。

<土 金子みすず>
こっつん こっつん/打(ぶ)たれる土は/よい畠になって/よい麦を生むよ。
朝から晩まで/踏まれる土は/よい路になって/車を通すよ。
打たれぬ土は/踏まれぬ土は/要らない土か。
いえいえそれは/名のない草の/お宿をするよ。

 足下の土くれのひとつでも、みんなみんな大事な大切な存在。人の役には立たないようにみえている土も、小さな草のやさしいお宿。みすずの童謡詩は、大きな宇宙の命を感じさせてくれる。<見えぬけれどもあるんだよ 終わり>

ぽかぽか春庭の2005やちまた日記「天然美女&ほりえもん」

2005-03-11 | インポート
2005/03/11
2005年やちまた日記>天然美女&ほりえもん

 映画小僧まっき~さんの本日のカフェ日記の話題。中国・人造美女コンテストについてと「金はあっても時間的余裕のなさそうな、ライブドア社長・堀江ちゃん。Tシャツにこだわるのならば、お願いですから、脂肪吸引で、引き締まった身体に変身してくだされ。(同年代として、その勢いには脱帽しているのだから~!!)」by mackychan「チタンとの融合を夢見ています(意味不明」

 という日記に返信bbsを書いていたら、長くなったので、自分の日記に転用することにした。以下、bbs「女神を追いかけて」に載せた文のコピー。
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 小林恭二の『ゼウスガーデン衰亡史』には、「肉体改造ドーピングなんでもあり、筋肉増強剤だろうと何だろうとどんと来いオリンピック」が登場して、奇妙きてれつな肉体改造及び脳を改造した連中がワンサカ出場するはちゃめちゃストーリーがあります。

 近年の筋肉増強剤はドーピングなどにひっかかるような安物は使われず(つかまっちゃうのは、お金がない地域の選手。アテネのハンマー投げとか)金のあるところではちゃんとドーピング検査クリアの肉体改造がおこなわれているそうです。
 「清廉潔白純粋な身体の競技」というのも、はたしてどこで線引きをして、これは「真の肉体」「これは改造した肉体」とわけることができるのかも疑問がわいてきます。

 美女コンテストも、化粧がいいなら、アイライン入れ墨はOKだろう、マスカラがいいならマツ毛増毛がいけないという根拠は何?などと、線引きが微妙。
 人工がいけないなら、化粧結髪いっさいなし衣裳でかくすのはダメ。寄せてあげて豊胸なんぞと胸その他いじってないかの検査も含め、スッポンポン出場のみで天然美女コンテストをやるしかないよね。天然スッポンポン美女コンテスト、いいかも。(美男のほうもぜひ)

 ほりえもんの肉体改造。あの首のないドラエモン体型こそ、彼の野望ぎらぎらを「なんか、ぽっちゃりとしてイイ人みたい」と思わせる有力な武器なんだから、筋肉ムキムキ、スレンダー体型になったら、株が下がるかも。

 ゴールデンアロー賞授賞式でフジTOB成功について質問され「想定内です。(作戦は)練りに練っています」と強気で答えながらも、今までのインタビューや記者会見では見せたことのない表情をとってもわかりやす~く出してしまう正直なホリエモン、崖っぷちでガムバレ!

 日本の経済界政界が百年遅れていること、ここでホリエモンつぶしが挙国一致で行われるなら、日本経済は中国韓国にも遅れをとるだろうことが、目に見えて分かって、この斜陽の国でさらにさらに沈没せざるを得ない「沈みっぱなし庶民」としては、いっそすがすがしいかも。それにつけても金のほしさよ。