春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

合掌

2004-01-31 | インポート
私たちが応援しようとしていた「まちゃさんの息子さん」が亡くなったという。
ただ、ただ、驚愕と悲しみと、やり場のない怒り。

まちゃさんのカフェサイトが閉鎖されたことは01/03に書いた。その後01/07には、カフェ仲間の応援を得て息子さんのサイトが再開されたことを書いた。
1/23にむすこさんの「まけないよ」のサイトが閉鎖されたあと、私は「何らかのトラブルで一時的に閉鎖されても、また復帰してくれると信じていた。

日記やbbsで、彼は卓越した感性をみせ、美しい詩や、なくなったお母さんや、ふたりで力をあわせていこうとしているお兄さんについて書いていた。自分たちから離れていった実父や、お母さんのちがう妹へのことばも、本当に私たちの心を揺り動かす、すばらしいものだった。

それから、いやがらせをした人への「あなたのおかげで、カフェのたくさんの人たちと知り合えた。感謝している」という文章も、心うつものであった。いやがらせをこのように、前向きにとらえられる文章に感激した。

 しかし、彼への「死ね」などのいやがらせは執拗に続いていたのだった。彼はひとりで耐え、しかし耐えきれずに、ひとりでまちゃさんのもとへ行ってしまった。

 お兄ちゃん、ことばがありません。2003年12月、愛するお母さんを亡くし、1ヶ月後には弟が母の元へ自ら行ってしまった。
 お兄ちゃん。ごめんなさい。私たちは、応援団のつもりでいて、結局、弟さんを守ることなどできなかったんですね。ほんとうにごめんなさい。
 今は、ただ、ご冥福を祈るだけです。

へぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究 青房赤房、力の色④

2004-01-29 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・青房赤房、力の色④」
(2004/01/29)

 新しいものをとりいれ、常に新陳代謝を繰り返すことによって、新たな生命力を得ている日本の伝統について紹介してきた。

 近頃の芸能界でいえば、トップスターをつぎつぎと交代させ、新スターを生み出す宝塚方式。今年は安倍なつみがソロになり、つぎのメンバーがまた入るかもしれないモーニング娘。方式、である。

 ときどき新陳代謝をはかり、本質を変えることなく、新しいものと入れ替える。本質は変わらないといえども、内容はしだいに変わる。

 ピカイアから人間までDNAの本質は同じ。地球の脊椎生物は共通のDNAを持っているというが、ピカイアと人間じゃ大きな変化をとげてきた。
 なぜ、ピカイアは進化したのか。DNAを後代に伝えるのが生物の生きる目的であるなら、単細胞生物が自分の体をふたつに割って、分裂でDNAを残すのが一番効率のよい方法であった。

しかし、生物は雌雄ふたつが合体し、互いのDNAを混ぜ合わせる方法を選んだ。同一のものの繰り返し分裂ではなく、多様なものがぶつかり合い、いっしょに混ぜ合わされた方が、いい子孫を残せたのだ。

 植物栽培でも、自家受粉を続けているといい種実がとれなくなる。動物はなおさらだ。多様な組み合わせ、多様なものの取り入れが、新陳代謝をよくする。

 変わらない芯を残しつつ、変化を遂げるのが進化であり、歴史である。伝統とは、このような「芯と変化」でできている。

 日本語に関しては、縄文語以来、本質に変わらないものがあるとして、発音、語彙とも大きく変化を遂げてきた。

 標準日本語は、明治政府の方針で作られた。「全国で使用できる教科書を普及させ、ほとんどの一般庶民やいっぱんの家庭の子供達が天皇の存在をまったく知らない、という現状を変えなければならない。全国の人々が等しく天皇を知り、尊敬するようにしなければ、ならない。さらに徴兵制度によって集められた兵士が共通のことばを話すことができるように」という緊急の必要によって、作らせたものだ。

 長い間「標準語が正しい言葉、方言は田舎臭いよくない言葉」という指導がなされ、戦前など教室で方言を使った児童に罰が与えられた、ということもあった。しかし、現在では方言の価値が認められ、方言による言語作品も評価を高めている。うれしいことだ。

 国語制定の過程については、さまざまな研究書も出版されているが、楽しく読むなら、次の本をおすすめ。標準語制定の裏事情、てんやわんやの舞台裏を描いた作品。

☆☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.92
No.92(い)井上ひさし『国語元年』

 相撲も、たかだか百年の歴史を「大相撲の伝統」などと思いこまないほうがいい。
 もっと多様に力の限りを示すことだ。力技を示すことが、人々の心の安寧を祈念することに通じていた神事以来の「力の伝統」を認めてもいいではないか。
 朝青龍は、モンゴル的な横綱でいてよい、と私は思う。

 多様な力があり、多様な色合いがある、これが真の「日本の伝統」である。
 全員を同じ色に染め、一致団結打倒○○、と突き進むばかりが国益ではない。これまでの歴史が教えるところでは、一致団結して同じことばを叫び、一斉に同じ方向を向いて走り出したとき、この国の行く末は必ず暗いものとなった。

 一斉に同じことをやるというのは、この国の真の伝統ではない。多様さを認め、さまざまな文物を取り入れ消化していくことが、この国のやり方だった。

 どこかの大国がやれと言うから、言われたとおりに尻尾を振ってついていくというのは、「力」の表し方として、もっともまずい方法であろうと思う。<続く~⑤>


「平成好色一代女・青房赤房、力の色⑤」

 ブフ(モンゴル相撲)について。
 モンゴル民族は非常に広い地域に分布しているため、その地域によって方言や風俗習慣などが異なる。
 ブフも、威容を誇る鷹の舞で有名なモンゴル国のハルハ・ブフ、勇壮なライオンの跳躍で入場する内モンゴルのウジュムチン・ブフ、そしてオイラート・モンゴルに盛んな種牡牛の角突きを模した古典的なボホ・ノーロルドンなど、バラエティ豊かなブフが存在する。ウランバートル出身の朝青龍は「鷹の舞」が横綱の所作。

 いずれのブフでも、その身体表現には猛禽や猛獣、強いイメージのある種畜(種馬、種駱駝、種牛)の動きをかたどったものが多く、伝統的な遊牧、牧畜の生業形態との密接な関係がある。

 ブフは古来信仰されてきたシャマニズムとも深く関わっていて、祭祀における力士の身体表現は神霊ないしその憑依として認知される。一般的に力士の身体自体、効験があると信じられているほか、シャマニズムの最高神としてのテンゲルに「~ブフ」(力士)の名前を持つ天神がいることからも、力士はきわめて特別な存在としてモンゴルでは尊敬を集めている。

 ブフが近代スポーツへ脱皮していくなかで、そうした象徴的意味と儀礼性が次第に失われてきているが、土地神を祀る宗教的行事・オボ祭りでは依然としてその原型は残されている。
 
 日本の大相撲でも、近代スポーツとして再編成された明治以後、力士の力への信仰は失われてきたが、地方巡業場所などで、赤ん坊を力士に抱き上げてもらったりする親がいることに、力士の強い身体と心を分けてもらおうとする親の心が感じられる。

 今回、春庭が赤房側でみた、大相撲初場所十日目。人気の高見盛は負け、綱取場所といわれた栃東も負けたが、横綱朝青龍はモンゴル相撲の大横綱「バットエルデン」が得意としていた「つりおとし」で勝った。琴光喜を大きくつり上げてから投げ落とす豪快な技だった。

 この朝青龍の「つりおとし」を「大相撲伝統のつりおとしではなく、変則的な技」などと評する「相撲通」もいるらしい。しかし、朝青龍は、反則をして勝ったわけではない。彼らしい形のつりおとしを決めたのだ。それがこれまでの「つりおとし」とは少し型がちがうものであったとして、「青龍つり」とでも名前をつけて、登録すればよい。

 日本語がどんどん変化し、平安時代の日本語とも江戸時代の日本語とも違うことばを話しているからと言って、私たちが現代話していることばは、「伝統的な日本語じゃない」ととがめられることもない。現代は現代に通じる日本語を話していればよい。

 現代の日本語に方言があったり、中国語や朝鮮韓国語訛りの日本語があったり、それはそれで多様な日本語の表現が楽しめる。

 相撲の技も、四十八手を狭くとらえることはない。四十八それぞれにバリエーションがあって、百手でも千手でも、強い技を土俵の上で披露して欲しい。

 春庭、四十八手を全部使いこなせないうちに土俵から遠ざかってしまった。春庭の得意技。がっぷり四つに組んでから、組んずほぐれつ、寝技あり、手技あり。
 対戦相手の「有効」「効果」などの技が決まれば、「ああ、いい!」と、その優れた技を褒め称えることも忘れず、新たな技も開発してきたが、最近新しい技の開発に協力者がなくて、残念である。
 年取ったといえども、引退したつもりはなし。ただ、あらたなるフロンティア開発のためには、ちょっと心身がおとろえたのかも。

 やはり「心・技・体」の三つを常に鍛えて、力の限り頑張らねばならぬですなあ。
<青房赤房、力の色終わり>
2月は<四股名あだ名本名ID>について&「へぇへぇへぇなる好色一代女」

へぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究 青房赤房、力の色③

2004-01-28 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・青房赤房、力の色③」
(2004/01/28)

 モンゴル相撲「ブフ」では、力士には神霊が宿っているという古い信仰が今も生きており、その所作にも、強い動物の霊魂が込められている。

 1月10日の横綱戦。立ち会い前の土俵上。朝青龍の所作に、私は「鷹の舞」を見た。NHKテレビが、このモンゴル的な所作を放映したかどうかはわからない。少なくとも私は、これまでテレビではこの所作にまったく気づかなかった。

 土俵上の東方西方の力士が四股をふみ、土俵両脇に蹲踞する。次に、両手を大きく広げる所作。「塵を切る」というそうだ。このとき、朝青龍は、両手をひろげたあと、何度か腕を羽のように動かした。鷹が翼を広げるときのような「塵を切る」所作。
赤房下で、横綱が塩をつかむときの目は、獲物を狙う鷹の目の鋭さ。

 私はテレビでしかモンゴル相撲も、見たことがない。「鷹の舞」も、無論テレビでのモンゴル相撲紹介でちょっと見ただけ。
 実際のモンゴル相撲の横綱土俵入りで、どのような所作なのか、生で見たわけではないが、朝青龍の両手がひろげられたとき、「鷹の舞」の力強く美しい所作が含まれているように感じたのだ。

 今回、生で見てよかったと思うことのひとつに、日本で横綱になった朝青龍が、モンゴルの魂をしっかり示していたこと。

 習慣文化の異なる日本の相撲社会になじむのはたいへんだったろうが、日本の社会に同化してしまうだけでなく、同時にモンゴル出身の誇りも失って欲しくないと思っていた私にとって、朝青龍の所作から感じ取れた「鷹の舞」などのモンゴル所作は、美しいものに思えた。

 「大相撲の伝統」を狭い意味に解釈し、朝青龍のモンゴル的な所作や行動をとがめる人もいるかもしれない。しかし、現在私たちが知っている「大相撲の伝統」とは、ほとんどがたかだか百年の歴史、明治以後の改革によって「伝統」とされたものにすぎない。

 標準日本語は、明治になって官制として作り上げられた言葉であった。神前結婚式は、大正天皇の結婚式を真似てはじめられたものである。
 これら、私たちが「昔からの伝統」と思いこんでいることの多くは、近代日本を作り上げる過程で、取捨選択がなされ、改変された「伝統」である。

 たった百年前に始められた「伝統」しか知らず、太古からの日本の「本当の伝統」をないがしろにするのはよろしくない。

 大陸の東はじ、太平洋の西はじに位置し、花綵(はなづな)列島と呼ばれる島国の国土。黒潮親潮にのってやってきたあらゆる文物文化を消化し取り入れてきた。

 漢字を取り入れて「ひらがな」を作り出し、自国語を表記するのに適した音節文字として適応させた。五行思想を取り入れれば、現代のコンピュータゲーム、ポケットモンスターにまで、その影響が残る。

 縄文文化以来、われわれの文化は、常に新陳代謝を繰り返しながら新しく生まれ変わっていくのが「真の伝統」なのだ。

 1年の行事でいえば、元旦に新しい「年神さま」を迎えてすべてをリセットする。若水を汲み、初日を拝めば、新しく生まれ変わることができるのだ。去年までの古い年を入れかえ、新しい年をひとつ加えるというのが正月行事であった。

 陰暦では、正月にみながいっせいに年を加えたのは、正月の「リセット新生」を自分の年齢に加える必要があったから。

 今の満年齢では、誕生日に年が増える。皆がいっせにではなく、365日それぞれのリセット新生なので、リセット気分も小粒になる。世の中すべてがいっせいに新生するなかでの自己再生のほうが、壮大なリセットだった。

 子供のうちは、毎年誕生日がやってくるのを心待ちにしていた人も、中年すぎれば、忙しさに紛れて自分の誕生日も忘れてすごしてしまう。たまに鏡をしみじみ見たら、白髪がふえ皺が増え、年を重ねていたことを知る。毎日の代わり映えしない日常の中に、せっかくの誕生日もまぎれてしまうことになる。

 日常生活は、たいてい毎日同じことの繰り返しだ。同じ電車に乗って、同じ場所で仕事。家にかえれば、毎週同じテレビ番組をみて、、、。
 同じことを繰り返すと、日常がすり切れてくる。そして、同じことの連続のため、人生時間の中に、同じ澱が溜まってくる。

 日常を「ケ」といい、「ケ」の対極にあるのを「ハレ」という。「ケ」が連続してつづくと、日常の澱がたまり、「ケ」の生命力が枯れてくる。これが「ケ枯れ」の状態。

 ケガレが大きくなると、悪いことも重なるから、ケガレは清めなければならない。このために人は「身をそそぎ=禊ぎ」を行う。1年の連続で「ケ」が枯れた年を、新年行事でリセットする。「ハレの日」を設けて、祭りや神事をおこなって、ケガレを払う。

 水垢離やら滝行、海につかって心身を清める「禊ぎ」も、心身リセットのひとつのやり方である。
 「ミソギ」とは、政治的に失敗した代議士が、ほとぼりさめるのを待って再出馬するための方便用語ではない。人生のケガレを払い、生き生きとした日常を取り戻すための行事なのだ。

 成年行事(文化人類学でいうイニシエーション儀礼)も、年を加えたことで人生の別の階梯へ移る「生まれ変わり」の儀式だ。子供の時代をリセットし、成年として生まれ変わる。

 縄文時代は、この成年儀礼イニシエーションとして、身体に入れ墨をいれたり、歯の一部分を削ったりした。部族により、入れ墨の文様や歯のどの部分を削るかが決まっている。世界には、これらの儀礼を大切に守り続けている民族も多い。
 書いたり消したりあそび半分の「タットゥ」などとは意味が異なる。

 わが青春の地、ケニア。マサイ族は、かって「ライオンを一頭自分の力で倒したら一人前」という成年儀礼をもっていた。ライオンの数が減少し保護動物となったため、もはや行えなくなった。
 また、洞窟にこもり、真っ暗ななかで数日をすごし、穴からでてきたときが「再誕生」という儀礼など、さまざまな成人儀礼が世界各地に残されている。

 多くは、なんらかの苦痛や鍛錬を伴って、自らの肉体の力が十分成年として仕事ができることを示し、鍛錬された心を示すことによって、成年儀礼が完成した。

 何の鍛錬もしてこない嬢ちゃんや坊やに対して、いくら自治体が「20歳すぎたから今日からあんたは大人」と言ってやっても、大人になれないのは当然のことだ。

 その点、大相撲に入門した若者は、料理当番、挨拶言葉遣い、所作振る舞い、書道まで、相撲学校や各部屋できっちり指導を受ける。

 かって、若衆宿・娘宿などは、村ごとに若者を鍛え上げる「成人するための学校」であった。明治以後、この「村ごとの教育制度」は、「近代国家成立のための近代学校制度」によって、駆逐され廃止されていった。官制の学校だけが「子供を教育する機関」になってしまったのだ。

 この制度が、今「金属疲労」にきしみ始めてきた。音を立てて崩壊していく学校もある。全国一律カリキュラム、どの学校も硬直した「右へならえ」しかできない教育。

 かって、村ごとに特色ある「若者の鍛え上げ」が行われた。ある地方では、祭りの御輿をかついて走ることが心身の鍛練であったし、ある地方では鬼剣舞の練習が、訓練として課せられた。ある地方では「ばんえい競馬」に出場するための努力が若者を成長させた。何らかの「自分を鍛える努力」を必要としない民族はない。

 相撲部屋の「スパルタ式」が全面的にいいと言っているのではない。しかし、厳しい鍛錬をやりぬいて己の肉体を鍛え上げた力士たちには、最近の若者からは失われた目の輝きや肉体の美しさがある。   
 
 百年前からの伝統だけでなく、四百年前のことも、千年前のことも、私たちの生活に生かせるものは生かしたらいい。

 そして、モンゴル相撲の技も韓国相撲の技もとりいれて、強くなっていったらいい。
 多様さは、硬直した「ケ枯れ」を救う。同じことだけを続けていることのケガレをリセットして、新しい生命力を得るためには、「常に新しいものを取り入れ、自身をリセットしつつあたらしいものを生みだしていく」というのが、我々の「一万年」の伝統なのだ。
 
たかだか百年の伝統に、一万年の伝統が押しつぶされる必要はない。<続く~⑤>

ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究 青房赤房、力の色②

2004-01-27 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女 青房赤房、力の色②」
(2004/01/27)

 相撲協会は日本人横綱を作ることにやっきになっているようだ。外人横綱に対して日本の人はあまり温かくない気がする。

 1/10の本場所でも、朝青龍の取組の前に席を立って帰る人たちがいた。
 好き嫌いはあろうとも、横綱の結びの一番を見ないで帰ること、少し寂しい気がした。土俵に近い枡席に座った方々には、あと数分で終わるのを待てないほど時間が切迫している多忙な人たちが多かったのかもしれないのだが、忙しい中、ひいきの力士だけ見に来たというより、露骨に「ガイジン横綱を見なくてもいい」という雰囲気で、そそくさと帰り支度をしているような感じを受けてしまったのだ。


 ひいき力士は、だいたい「ご当地出身」という人も多いので、外国人力士の応援が少ないのは仕方がない。
 せめて、日本語教師春庭は、遠い海の向こうから、土俵めざしてやってきた力士を応援したい。
 どの力士も稽古を重ね、本場所では日々力の限りを尽くそうとしている。
 マワシを締め、土俵に上がれば出身がどこの地だから強いといういうことはない、素質を生かし、稽古に励んだ者が強いのだ。出自ではなく、その稽古で流した汗と涙を応援しよう。

 近頃の力士のマワシの色、昔の黒や濃紺の地味な色合いだったころに比べると、本当にカラフル。オレンジ色あり、エメラルドグリーンあり。スカイブルーあり。
 おすもうさんの肌の色もきれい。グルジア出身の黒海は、色が白くて「白い黒海」であった。(赤い白墨、緑の黒板、白い黒海!!)

 私がすわったひとり枡席は、枡席通路側の三角コーナー。1.5人分くらいの広さなので見やすいし足のばせるし。赤房側花道のうしろ。東側花道を出入りする力士がよく見えた。

 赤房青房は、元々は赤柱、青柱など屋根を支える柱だった。
 屋外に相撲の土俵を作る際に四隅に柱を建て屋根をのせて、周囲とは異なる神聖な場所を作る。注連縄を張り巡らせた神域と同じ。家を建てる際の地鎮祭で、注連縄で地所内に囲みをつくるのもいっしょ。

 「当年の豊作を占い、神意をうかがうための神聖な勝負が行われる場所」として、柱の内側は、周囲とことなる聖域であることをしめしていた。ゆえに「力」を神に示すことをしない女性は土俵にあがってはいけない、というので、大阪知事と相撲協会は折り合いがついていない。

 柱の色が白黒赤青の四色であるのは、01/03に述べた「日本の基本的な色の名」がこの四つであったからだが、中国から陰陽五行説が入ってきてからは、中央=黄も付け加わって、色は季節や動物、方位、など様々なものと結びついて、人々の思想や生活に入り込んだ。

 近年は『陰陽師』のヒットで、一般の人も陰陽五行説を意識することが多くなったが、実は無意識の領域にこそ、この陰陽五行説は入り込んでいる。
 古い民俗文化と結びついており、気づかないうちに、陰陽五行説の影響を受けているのだ。

「五行説」=「気」を木・火・土・金・水の五つに分類し、その五つの気の働きによって万物が生じると考える説。それぞれ、次のものと結びついている。

木=青・春・朝・東・龍・鱗(魚)・目・話す声(呼ぶ声)・酢味・肝臓
火=赤(朱)・夏・昼・南・朱雀・羽(鳥昆虫)・舌・笑い声・苦味・心臓
土=黄色・土用・中間時・中央・(龍)・裸(人)・口・歌う声・甘味・脾臓
金=白・秋・夕方・西・白虎・毛(獣)・鼻・叫び声(哭き声)・辛味・肺
水=黒・冬・夜・北・玄武(亀)・貝・耳・うなり声(呻)・しょっぱい味・腎臓

 季節と色を組み合わせると、青春、朱夏、白秋、玄冬という「人生の四季」になる。私?そりゃ、春庭という名のとおり、今は青春でしょう。

 また、古墳に描かれた壁画に「龍、朱雀、虎、亀」が色鮮やかに出現したことがあった。高松塚、キトラ古墳などに描かれているのも、五行思想の動物。
 今は冬だから「亀」が冬の動物。色は黒。方位は北。時刻は夜。声は、うなり声である。不況にそして戦火に呻吟する民の声。

 「土」は中間的な性質を持ち、方位は中央。「土用」は季節のまんなか。春土用、夏土用などがあったが、現代では「夏土用にうなぎを食う」ことだけが生活の中に残されている。

 世界の中心に位置すると自分たちの国を「中国」と名付けた国の皇帝は、当然中央の中央に位置するので、衣裳は中央の色である「黄色の布地」で作る。
 黄色の衣裳は皇帝専用であった。そして文様は龍。「黄色い布地に龍の文様」を、皇帝以外の者が着ることは許されなかった。

 また、五行説では五気の循環によって物事は変化するとされる。
 循環の順序については「相克説」と「相性説」の二種類がある。

 「相克説」では木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つものとして“木土火水金”とする。

 「相生説」では、木は火を、火は土を、土は金を、金は水を、水は木を生むものとして“木火土金水”としている。

ゲーム「ポケットモンスター」の勝ち負けも、この五行循環の思想が生かされている。
 たとえば、水ポケモンは火ポケモンには強い。火ポケモンは鋼(金)ポケモンに勝つ。草(木)ポケモンは土ポケモンに勝つ。

 こども達は五行循環なんてこと知らずに遊んでいるが、知らず知らずに五行説が心身にしみこんでいるのかも知れない。

 古代神事の相撲の勝ち負け。東方から登場の力士と西方から登場の力士が力を競い、勝ったほうが豊作になる。あるいは、力によって、悪霊や田にくる悪い虫を退散させる。

 その優れた力業を示すことで人々の生活を安寧にさせ、勝負によって神の意を占う大事な神事だった。また、力士が四股を踏むのも、大地を踏み固め、大地母神を鎮める所作。 <続く>~⑤

☆☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No91
No.91 (よ)吉野裕子『隠された神々―古代信仰と陰陽五行』(講談社現代新書)

ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究 平成好色一代女・青房赤房、力の色①

2004-01-26 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・青房赤房、力の色①」
(2004/01/26)

 2004年初場所、横綱朝青龍の優勝。ひとり横綱の重責を果たした。
 春庭、今場所十日目の取り組みを両国国技館で観戦した。両国駅から帰ろうとして、午後4時すぎに突然、思い立っての相撲見物。それで、横綱土俵入りは見ることができなかった。

 1月20日、「会話授業」の一環として江戸東京博物館見学を行った。「文化中級Ⅰ」という教科書の中に「江戸東京博物館紹介」の課があり、留学生を一度連れて行きたいと思っていたのが実現したのだ。2時から2時間くらいかけて江戸ゾーン、東京ゾーンをまわった。

 4時までのクラスなので、4時ちょっとすぎに博物館まえで解散。「先生、いっしょに食事をしませんか」と誘われたが、私には別の計画があった。「近頃では当日券が手にはいるので、お相撲を見ていこうと思います。いっしょに行きませんか」

 しかし、学生たちは相撲終了の6時まで見ていると、次の予定の約束に間に合わないというので、無理には誘わず一人で見にいった。
 大相撲十日目の両国国技館。本場所を国技館で見るのは初めてのこと。初場所はご祝儀気分も満々で、皆早々とよい席を予約する。これまで、当日券で枡席が買えることなどなかった。それが「一人枡席」で観戦できたのだ。

 本場所を両国で見たのははじめてのことだから、ひとり枡席というのがあるってことも、今回初めて知った。枡席といえば、四人がけの席しか知らなかった。
 突然おもいたって一人で見にきたのだから、椅子席と思って窓口で当日券を買おうとした。すると隣の人が「ひとり枡席」を買っていたので、私もまねして買ってみた。これまでは枡席が当日券で買えることなどないことで、「本日は特別」と窓口のお姉さんが言っていた。

 近頃ではテレビ観戦するのさえ希になってしまったが、まだ一般家庭にテレビが普及していない栃若時代、ラジオにかじりついて一喜一憂で応援していた。初代若乃花ファン。小柄な力士が技で勝負するのが好きだった。

 父が「大相撲」という相撲雑誌を定期購読していたので、各部屋の序の口力士まで、きっちりしこ名を知っていた。序の口の中からひとり応援する人を決めて、毎場所星取り表に記入し、その人がだんだん出世していくのを楽しみにしていた小学生時代。
 しかし、栃若時代が終わり、柏鵬時代に移った頃には相撲熱もさめてきた。

 「全国中学生相撲大会」を国技館で見たことがある。勤務していた中学校の相撲部が出場したので、国技館に出かけたのだ。
 そもそも相撲部が存在する中学校など少ない県なので、出場してちょっと勝てば即「県代表」だ。
 このとき出場した子は、地元にある相撲部屋にスカウトされたが、「いくらでも食べられる」に惹かれて入門したものの、けいこや先輩のきびしさに根をあげ、すぐにやめてしまった。

 今は、昔のようなスパルタ一方では新弟子が居つかない。そのためだいぶ先輩のしごきもゆるやかになったというけれど、十両幕内に上がってくる力士たちは、そういう厳しい稽古に耐えてきた人たちなんだろうなあと思って見ている。
 ハワイ、モンゴルやグルジアなどの力士が活躍するのも、厳しさに耐えられる人たちが日本の若者に少なくなったからだろう。

 私が日本語学校で教え始めたころ受け持ったクラスの中にも、おすもうさんがいた。当時の若松部屋(元大関朝潮が設立した部屋)に入門し、相撲の稽古が忙しいからと、教室への出席率はよくなかった。だから、私が直接日本語を教えたのは数回だった。
 彼は、中国本土からの大相撲入りとして話題になり、新聞にも載った。中国名はハンさん、しこ名は「海宝」

 中国ではバスケットの選手をしていたそうだが「バスケットでは食べていけないから」と相撲に入門した。あと一歩のところまで出世していったが、怪我などで関取になるにはいたらなかったようだ。今はどうしているのだろうか。海宝のその後をご存じの方いませんか。

 丸い土俵を新天地として、遠い海の外からやってきた外国人力士にとって、乗り越えるべき壁はさぞかし大きいだろうと思う。言葉の壁文化習慣の壁力の壁。厳しい稽古にたえて、晴れの土俵にあがるガイジン力士たち。

 関取として一人前の力士になる者ばかりではなし。夢やぶれて帰国する者も多い。関取になれなかった者にとっても、日本で力士として研鑽の日々をすごしたことが、どうか、長い人生の中の「すばらしい時代」となっていることを祈っている。

 現在は職業柄、外人力士を応援することにしている。<続く>①~④

へぇへぇ平成(ヘェナル)好色一代女・クリスマスカラー、正月色②

2004-01-24 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・クリスマスカラー、正月色②」
(2004/01/23)

 少女が成人の祝いとして裳を身に付ける儀式が「裳着」。平安時代は12歳から15歳くらいの間に行われた。
裳着と同時に髪を上げる「髪上げ」も行われ、裳を身に着け、髪を上げた女性は成人として扱われた。

 今月12日、春庭娘もめでたく成人式をむかえた。
 今年も各地で「荒れる成人式」などという、小学生以下の精神構造を示した新成人もたくさんいたようだが、娘が出席した式は「しごく普通。面白くともなんともない議員や区長のあいさつのみ」というものだったという。

 私は両親から和服を新調してもらったものの、成人式には出席しなかった。官制の式に出席したりしたら友達なくす時代だった。大学の卒業式も、のきなみ中止になったころ。
私にとって「成人した」と、自分で自覚したのは、20歳で親の家を出て、一人で生活を始めたこと。東京での一人暮らしは失敗も多かったけど、「大人として一人前に暮らしているんだ」という気分が味わえた。実際は、端から見たらまだまだ未熟であぶなっかしい二十歳だったろうが。

 親ばかを承知で言うが、わが娘、よくぞここまで育ってくれたと、娘の成長がまぶしい。

 中学2年の秋、生徒会長に推挙され、はりきって生徒会の仕事に取り組み始めた娘。生徒会を「生徒取り締まりの出先機関」としか考えていない生徒指導の教師と対立してしまった。

 「お前なんか高校へ行けないようにしてやる。内申書がどうなるか、よく考えろよ」などの言葉の暴力で脅された娘は、だれにもそのことを打ち明けることができなかった。ひとりで悩み、だれとも口をきかなくなった。
 不機嫌に黙りこくって過ごす娘を見て、私は「よくある反抗期」と思ってしまった。

 全部自分一人に抱え込んでしまった娘は、心理的に追いつめられ、体調も悪くなって入院することになった。1ヶ月で体調は元にもどったけれど、退院ののちも娘は中学校へ戻らず、卒業式まで不登校をつづけた。

 娘は1年半の間、家にひきこもり、読書とお菓子作りで過ごした。高校は内申点がなくても生徒個人の事情を考慮してくれるという単位制高校を選び、英語と数学の勉強が遅れている分、読書で養った国語力でカバーしてなんとか合格できた。本人は「グループ面接のとき、一番大きな声で滑舌よく話したから合格できた」と言っている。

 すんなりすこやかに育つ人には、素直でのびやかなよさがあると思う。そしてまた、わが娘のように、苦しい悲しい時代にじっと耐え、一人で考え続ける時間をもてた者は、その試練によって、人の心のつらさ苦しさに敏感な人間に成長できるだろう。
 わが娘、心優しい子に育ったと、心からうれしく思う。

 近頃の娘らしい華やかさに欠けるところがあるけれど、お菓子作りが得意な自慢の娘。ただし、作るのも好きだが、同時にお菓子を食べるのも大好き。体重増加の一途がちょっと心配。

 「ほら、お姉ちゃんの着物姿かわいいでしょ」と、息子に賛同を強制する親ばか母。息子は「うん、かわいいね。着物が....」
 「着ているお姉ちゃんもかわいいと思うよ、お母さんは」
 「う~ん、かわいいっつうか、太い!!」冷静、客観的な息子である。

 新年快楽シンニェンクヮイラー!!中国語で「新年おめでとう」
 いろんな青春があり、いろんな人生への新たなスタートがある。

 1月22日、旧暦新年元日。1月1日元旦に決意したもろもろの「決意」が早くもぐずぐずになってきた人、今日からまた新規まきなおし。いいじゃありませんか。出発(たびだち)は、何度あっても。

 私にとっての「正月の色」は、やっぱり「新しいスタートの真っ白な日記帳の色」にしたい。真っ白な日記帳にさまざまな色あいで、いろいろな色を染めていきたいと思っています。

☆☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.90
(む)紫式部『紫式部日記』(岩波文庫)

もんじゃ(文蛇)の足跡:クリスマスカラーの「意味」については次のようなご教授をいただきました。ありがとうございました。
2004/01/22 11: 1 chiyoisozaki 白:聖、赤:キリストの血、緑:永遠・・クリスマスカラーよ^^

ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究・クリスマスカラー、正月色①

2004-01-22 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・クリスマスカラー、正月色①」
(2004/01/22)

 新年快楽(シンニェン クヮイラー)!!
 中国・韓国など、旧暦で新年を祝う習慣の国にとって、今年は新暦の1月22日が正月元旦。

中国では危険という理由で、爆竹を盛大にならすことが禁止されている市町が多いそうだ。しかし、バンバンという派手な爆竹の音こそ、お祝い気分を盛り上げると、思っている人々も多い。その人たちにとっては無念な爆竹禁止令である。

 お祝い気分を盛り上げるための音と色彩は、国により文化によりさまざまだ。
 おおみそか、除夜の鐘のゴーンという響き。行く年への思いをこめて鐘の音に聞き入った人も多いだろう。
 日本では除夜の鐘は「仏法でいう108の煩悩をしずめるため108回ならす」というので、仏教のお寺はどこもいっしょかと思っていたら、韓国のお寺では除夜の鐘は33回ならすのだという。

 クリスマスカラーというと、何色を思い浮かべるだろうか。常磐樹のみどり色。クリスマスツリーに飾る星の金色銀色。同じくツリーにつるされるリンゴ型の赤。コカコーラ社の新聞広告がそのはじまりだという、サンタクロースの衣裳も赤。
 クリスマスカラーというと、「赤、みどり、金銀」でおおかたの意見が一致するらしい。

 ニュースでは「クリスマスがすぎれば、松飾りも門前に飾られ町はいっせいに正月色に変わりました」「二十日正月も終わり、これですっかり町からは正月色も一掃され人々は日常の生活に戻っています」などと報道される。
 ここでいう「正月色」とは、「正月らしい雰囲気、ようす」を指し、正月の色・カラーそのものを言っているのではない。

 では、正月の「色」は何色だろうか。日本の正月を「カラー」で言い表すなら、何色がイメージされるだろうか。

 「初日の出の赤」「初詣、神社の注連縄の白い御幣」「松飾りのみどり」「振り袖の娘達の華やかな色すべて」など、人々が正月をイメージする色もさまざまであるだろう。

 正月らしさを演出する人々の晴れ着。「晴れ着」の「晴れ」とは、「晴れのち雨」という天気の晴れではない。
 日常をあらわす「け」に対する非日常、特別な日という「はれ」である。

 「はれ」と「け」は、生活を二分する大切な意味をもち、「け」の日の食べ物と「はれ」の日の食べ物と、「け」の日に着る服と「はれ」の日の服は、はっきり区別され、はれの日は特別なごちそうを食べ、特別な「晴れ着」を着た。

 現在もお正月の「はれの食べ物」は、おせち料理として残っているが、お正月に「晴れ着」を着る、という人はすくなくなってしまった。 初詣にいくとき、いつもとちがう特別な「晴れ着」を着てでかけただろうか?

 なにか特別なお祝い事「今日は、はれの卒業式」とか、「はれの叙勲祝い」などという時には「晴れ着」を着るが、お正月には特別な晴れ着を着てすごさない、という人も多くなった。

 正月の装束。紫式部日記に描き出された「実録・平安朝の正月の衣裳」を紹介しよう。
 新年正月、前年に若宮が誕生してめでたさも倍増の中宮彰子に出仕する装束である。華やかな「日本の色」オンパレードだ。

 朔日「紅に葡萄染を重ねた重袿、唐衣(からぎぬ)は赤いろ、色摺りの裳(も)をつける」
 二日「紅梅の織物。掻練(かいねり)(袿=うちぎ)は濃き(紫または紅)、唐衣は青いろ」
 三日「唐綾の桜がさね、唐衣は蘇芳(すおう)の織物。」濃い紫または紅の色の掻練を着る日は、紅を中に、紅色の掻練りを着る日は、中側を濃い紫または紅にする」
 「萌黄(もえぎ)、蘇芳、山吹の濃い色薄い色、紅梅、薄色(うすい紫味の赤)」など、いつもの色目をとりどりに六種重ねて、そのうえに表着を重ねる。

 十二単(じゅうにひとえ)というけれど、実際には二十枚くらいの衣裳を重ね着し、どっしりした絹織物の重さは10キロ以上。立ち居振るまいもままならず、お姫様は終日じっとすわっている存在だった。

 上記、紫式部が描写した衣裳のなかに「朔日には色摺りの裳をつけた」とある「裳」は正装時に成人女性がつけた、袴の後ろ側だけに身につけるいわば、「逆エプロン」
 平安時代の女性は、成人したしるしとして「裳」をつけた。<続く>

ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究「青い紅玉②」

2004-01-21 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「へぇへぇ平成(へぇなる)好色一代女・青い紅玉②」
(2004/01/21)

 01/20に、「青い紅玉」というのが形容矛盾であるか、可能な範囲の形容であるかを考えはじめた。

 「赤い白墨」「緑色の黒板」などは、被修飾語の白墨・黒板などの、指し示す物(指示対象)が、「もともとの意味から意味の拡大」をしたゆえに、このような「形容矛盾」が矛盾でなく、可能になった。

 もともとは黒く塗られていて黒板という名が付けられた名詞。黒以外に「濃緑」などの色を塗られるようになっても「濃緑板」とは呼ばれずに「黒板」という名称のまま呼ばれた。それゆえ「緑色の黒板」という表現ができる。この場合、黒板は、「黒い板」を指し示す名詞ではなく、「学校などで使用される、文字を書くための板」を意味するので、「黒」という語は、直接色を示す意味を持たなくなっている。
 
 「みどりの黒髪」については、04年01月03日の、日本の伝統色名「白黒赤青」のところを参照。このばあいの「みどり」は「緑色」ではなくて、「つやつやとして生まれ出たばかりのように輝いている」という意味。
 
 と、ここまで考えてきたが、やはり私の気分としては「青い紅玉」は、ひっかかるタイトルだ。ブルー・ガーネットの翻訳、今ならそのまま「青いガーネット」か「ブルー・ガーネット」としてタイトルにされるだろう。阿部知二が最初に翻訳したころは、ガーネットという宝石は一般には知られていないことばだったのかもしれない。なぜ「青いざくろ石」ではなく「青い紅玉」にしたのかをたずねてみたいところだ。

 言葉は送り出す側と受け取る側のコード(規約、基準、ルール)が同じ土俵にのっていないと、さらりと同じ意味を共有できない。誤解も生まれる。
 同じひとつの言葉を、異なる意味で二人の人が話していて、双方誤解に気づかないということも起こる。
 言葉には多義語もあれば、譬喩や含意という使い方もある。また、言葉の意味は常に変化する。

 動詞の内容も変化するし、形容詞も変化。変化の方向は、意味がずらされたり、拡大したり、縮小したり。
 現代「あの方、あわれよね」と表現したとき、普通は誉め言葉ではない。「あの人は哀れだ」といえば、「かわいそうな同情すべきみじめな存在」と受け取られ「あの人はものごとの情趣を深く感じる人だ」とか「かわいらしく恋しい人」と受け取る人はいない。

 名詞の「指し示す物」の内容も、時代につれて変化する。
 白墨、黒板は、元の意味から指示範囲が広がった例。黒ではなく、緑色に塗られていても、「黒板」と言う。「黒板」という語が指し示す範囲が拡大したのだ。
 拡大する語のほうが数が多いが、意味が縮小する語もあるし、元の意味からずらした意味の方が一般的になる場合もある。

 「房」は、家の中の一つの部屋。部屋を賜って仕事をする宮中の女官や貴族の屋敷で働く女性を意味した「女房」が「部屋を与えられている女」を意味するようになり、やがて家庭の部屋で生活する「妻」を意味するようになった。

 現代では「うちの女房がさぁ」と、話し出したら、それはその人の結婚相手の女性をさししめすのであって、その人のために働いていて個室を与えられた女性を意味するのではない。
 あなたが、妻以外の女性に個室を与えていて、彼女があなたのために働くとしても(主として夜間営業)、一般的にはその人をあなたの「女房」とは呼ばない。「うちの女房がさぁ」と話し出したら、個室の女性ではなく、妻の方を指していると、「世間コード」では受け取るのである。
 一方春庭は、団地2DKに住み個室もなく、台所一室でご飯を食べテレビを見てパソコンして食事テーブルで試験の採点までやっている。それでも世間からみると「女房」の部類。「女」はもうどっちでもいいけど「房」は欲しいよ。できれば書斎と書庫と寝室と化粧室とお納戸の「房」が。ハァ、無理でしょうねぇ。

 意味範囲拡大の例。もともとは武家屋敷の奥の間に居住していた正夫人を「奥方」と呼んだ。公的部門を扱う「表=おもて」に対して、私的部分を取り仕切る「奥」の代表者として存在していた人が「奥方」「奥様」。
 「奥様」と呼ばれる方は、大きなお屋敷の奥の方に住んでいなければならなかったのだ。安普請の家に住んでいて家事雑事をやらせる使用人も使っていない人を「奥様」などとは呼べなかった。

 現在では、私のような、奥も表もない2DKに住まいしていようと、八百屋さんから「奥さん、大根安いよ」と声かけられるようになっている。
 「奥様」「奥さん」の意味する範囲が広がり、「夫を持つ女性」さらに「若くない女性で、既婚者と思われる年代の女性に対する呼びかけの語」へと拡大した。

 自分を指し示す語の意味変化の例。貴人のしもべ、下僕として存在し、自分が心身を捧げて働く人の前で、へりくだった意味で使っていた一人称「僕」。
 現在では「一般的に男子が自分を指し示して使う一人称」になっている。成年男子でも「ぼく」を使う人は多い。別段まちがいではない。自分はあなたの「下僕」である、という気持ちで使っているのかどうかは知らねども。

  私は、教師の前で一人称を「僕」という男子学生に対して、心の中で「お前は女王様のしもべよ、オーホッホッホ」と思うことにしている。

 春庭、教室で心ひそかに女王様気分を味わったのちは、近所の八百屋で「奥さん、奥さん」と、住まいの奥深いことを讃えられつつ、「ちょっとぉ、その大根一本200円は高いよぅ。二本買うから、二本350円にしなさいよ」なんぞと、「奥」の仕事を仕切るのである。

 そして帰宅すれば、大根を千切りにしながら、息子へ大声を上げる。ゲーム三昧を続けていて、宿題を提出しようとしない息子に、母はついに切れたのだ。もう、千切り乱切りである。

 「翻訳本さがしてきてやったのに、なんで宿題やらないのよぉ」「はぁ、翻訳を読むことは読んだよ。ストーリーは日本語で理解した。でも、英語の質問に英語で答えるなんてトリビアなことがらに時間を費やすより、ボクは日本史のある時代のみ深く追求することに決めた」
 息子は「信長の野望」「太閤立志伝」の時代に関しては、トリビア博士である。

 結局のところ、「青い紅玉」はこれでいいのか悪いのか。「鋼玉」のうち、青いものがサファイア、赤いものがルビー。ルビーを「紅玉」と呼ぶのが一般的。しかし、ざくろ石=ガーネットを「紅玉」と呼ぶことも可。ガーネット属宝石類の中には緑色もあるから、「青い紅玉」も不可とはいえない。というところなのですが、どっちにせよ英語の宿題を投げた息子、私がホームズを読んだ意味もまったくなし、という結末となりました。
 中3息子、中高一貫男子校だから高校進学が決定していて、だらけきっています。4月に高校生になったあと、「独立行政法人化の影響で授業料が値上げされるかも知れない」という噂もあるのだから、なんとか留年せずにいてほしいという母の願いもむなしゅうなりそう。
 
 「おっきくなったら、お母さんにダイヤモンド買ってあげるね。お母さん宝石ひとつも持っていないから、ボク買ってあげる」なんて、かわいい約束をしてくれたころが花でしたね。今じゃ、ちょっとこずかい貯まるとゲームソフトを買いに走り、ダイヤのダの字もありゃしない。青いダイヤでも青い紅玉でもいいから、買って!!
 あ、先日常磐炭田のボタ山見学をしたとき、「黒いダイヤ」と呼ばれていた大きな石を拾ったんだった。首にでもぶら下げておくことにします。

へぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究[平成好色一代女・青い紅玉①」

2004-01-20 | インポート
ぽかぽか春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究
「平成好色一代女・青い紅玉①」
(2004/01/20)

 探偵小説、推理小説はゆっくり楽しみに読みたい。だれが犯人なのか、トリックはどうか、のんびりゆったり読むために、今はがまんがまん。
 ホームズもポアロも、仕事リタイアしてから読むと決めているのに、当方のオバカ息子のために、シャーロックホームズシリーズの『青い紅玉』を読むはめに。

 息子の中3英語の冬休みの宿題。ホームズシリーズの中の「青いダイヤモンド(オックスフォード版の中高生向け編集)」を読んでレポートを書く、というもの。思いっきりやさしい英語で書いてある短編を読み、英語の質問に英語で答えるという宿題だ。
 しかし、冬休みが終わっても、息子は当然のごとく、国語の宿題も社会の宿題も未提出。

 息子は、学校のランキング上位常連。なんのランキングかというと、遅刻率最高、宿題未提出率「学年トップの記録」を更新中。
 しかし、息子も息子なら、母も母。2003年12月の終業式に息子が欠席してしまったのは、母が悪い。母は12/19に年内の授業をすべて終えて、すっかり冬休み気分。12月23日が休みだったゆえ、終業式が12月24日だったことを忘れてしまった。ネット三昧をしていて、息子が起きてきたときは、終業式が終わっている時刻。
 「なんで起こさないんだよぉ」「だってぇ、もらって来てほしいような通知票でもないし。昨日は休日だし。こんな中途半端な時期にご生誕あそばさなくってもねぇ。いっそイギリスが実際の誕生日と関係なく、季節のいいお出かけどきに女王公式誕生日を設けているのをまねして欲しい」「僕の終業式欠席は、イギリス女王のせいか?」「我家の女王のせいだよ。悪かったね」

 どの教科も学年掉尾を飾っている息子であるが、英語も当然苦手。
 中学校時代の私にそっくりな「つづり字音痴」。持ち帰ってそこらに捨ててあった英語スペリング小テストを拾ってながめたら、「いとこ=kazun」「娘=dotar」「三月=maach」なんぞという答案で、おおいに笑えた。つづり字のまちがいまで遺伝するとは思わなかった。で、「スペルぐらい覚えなさいよ」と叱るにも笑いながらになり、叱る効果がない。

 ホームズ短編の宿題について息子の主張。「翻訳が出版されているんだから、ホームズなんて、日本語で読めばいい。英語でわざわざ読む気がしない」と、ぬかす。「じゃ、せめて日本語で読みなさいよ」と、翻訳を探した。
 しかし、訳本を探すのにちょっと手間取った。「青いダイヤモンド」というタイトルがホームズシリーズにないのだ。ダイヤモンドでみつからないので、「青い~」がつく短編を探した。
 創元推理文庫とパシフィカ社「シャーロック・ホームズ全集」の両方とも阿部知二の翻訳で、「青い紅玉」という短編があった。

 オックスフォード編集版のタイトルの「青いダイヤモンド」が、翻訳の「青い紅玉」か、どうか、内容がおなじものか確認しなければ、買っても息子は読まない。自分の楽しみのためならどんな分厚い本でも読み通すが、宿題となると、絶対にいやというへそ曲がりの息子だ。(DNAのおそろしさ)
 ダイヤモンドを金剛石というのは知っていても、「紅玉」と訳されたのは読んだことがなかった。手持ちの漢和も国語も、紅玉といえば「ルビーの意」としか出ていない。それで、万が一にも「青い紅玉」がりんごの話とか、別の短編だったら、宿題の助けにもならないので、先に私が読んでみることに。

 オックスフォード版「ブルー・ダイヤモンド」。文章はやさしくなっているが、内容は結局、翻訳の「青い紅玉」と同じだということがわかった。最初のページで同じ内容ということはわかったが、そこはホームズワトソンコンビ、結局ラストまで読んでしまった。短いし。
 ああ、私の老後の楽しみを、宿題のためにひとつ前取りしてしまった。

 それにしても、なぜダイヤモンドが紅玉になったのか。ルビーでなく、ダイヤモンドを紅玉と翻訳した時期があったのか、訳した阿部知二が、「ダイヤモンド」というカタカナの語の語感が気に食わず、紅玉というタイトルに変えたのか。
 阿部知二の「ダイヤモンド」嫌い。ダイヤモンドに恨みでもあったのか。彼女がダイヤに目がくらみ、貧乏な阿部をふって、金持ちに走ったとか。あ、それは『金色夜又』だ。(ちなみに、「きんいろよまた」と読むのではありません)

 と、悩んでみたが、春庭は語彙に弱い。ホームズ探偵が語彙探索を行った結果、コナン・ドイルの原作原題では、「Blue diamond」ではなく、「Blue garnet」であることが判明した。青いガーネット、青いざくろ石というのが原題。

 日本ではざくろ石の名で親しまれ、ガーネットといえば赤と思われている。しかし、ガーネットは「ガーネット族」という広い範囲の宝石を指す。その色は赤に限らず、大別するならば、赤ガーネット、緑ガーネットがある。
 赤ガーネット:パイロープ、アルマンディン、スペサルティン。
 緑ガーネット:(グロッシュラー)、アンドラダイド、ウバローバイト。
 ドイルがホームズシリーズに登場させたのは、この緑ガーネット、グロッシュラーの類であったのだろう。
 
 しかし、中学生用のオックスフォード編集「レベル1」は、みだし語400語習得レベルの版だったため、garnetという語が基礎語彙の中に含まれていない。そこで、オックスフォードは、タイトルという重要な部分を「青いダイヤモンド」と改変した。そして、ドイルの原題が「青いガーネット」であるということは、私の見た範囲では、オックスフォード編集版のどこにも書いてなかった。

 阿部知二は、ガーネットを「ざくろ石」と訳さずに紅玉とした。ルビーだけでなく、赤いガーネットを紅玉と訳すことは可能だったのだろう。そのために「青い紅玉」というタイトルになった。「青いざくろ石」だったら、ひっかからない。紅玉を形容する言葉が「青い」!!

 私が、ホームズも何も関係なく「青い紅玉」という言葉を見たら、紅玉りんごがまだ赤く色づいていなくて、青リンゴのうちにもぎとるのかなあ、などと、想像してしまう。
 芸者になるまえの「半玉」を、まだ熟さないうちに賞味するのは男の甲斐性だったそうだが、私は熟さない紅玉は、アップルパイにも使いたくない、などと、話はとめどなく脱線。「青い紅玉」について、であった。

 「青みがかった赤」とか、「赤っぽい青」というのは、色の形容として可能。「青ざめた白い肌」もよろしい。また、「黄色い紅花」は可。紅花は「染料の紅をとるための花」であって、花びらの色は黄色だ。
 「黒い白衣」も、形容矛盾ではない。この場合の「黒い」は、黒色を意味するのではない。古くて洗濯もしていない、汚れて黒ずんだ作業用の白衣が想像できる。
 では、「青い紅玉」は?続きは2004/01/21に.

ポカポカ春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究「本歌取りとパロディ②」

2004-01-19 | インポート
ポカポカ春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)言語文化教育研究「本歌取りとパロディ②」
(2004/01/19)

 寒い日がつづきますね。春庭の足跡も、冬まっさかりの寒い文言が続きます。

 霜柱の公園囲む団地群 春庭
 団地2DKのベランダから見たままの光景ですが、元句があります。

 霜柱公園を出てビル林立 松崎鉄之助

 こちらの句は、日比谷公園の霜柱と官庁街ビル群の対比を思い出しました。公園を出て林立するビルの中に入っていくビジネスマンの「冬よぼくに来い!」みたいな気概も感じられます。

 一方春庭の本句取り「霜柱の公園囲む団地群」は、家に残っている人々の住まいをめぐる冬景色。同じような団地の棟が立ち並び、同じような2DK,3DKの窓が続く。まったく同じ造りの2DKとはいえ、部屋それぞれに人が生活し、それぞれの冬の暮らしがある。元句とはまた違った味わいに仕上がったと、自己満足。

 ある作品を一部分改変して、おもしろおかしさをねらって作り替えるパロディ。例を上げると。
(元句) らあめんの肉のひとひら冬しんしん 石塚友二

 寒い冬の帰り道。小腹もすいたし、何より温まりたい。立ち寄ったラーメン屋は、屋台か場末の中華店。あったかいラーメンだが、高級品じゃない。チャーシューもほんの一切れ申し訳程度に入っているだけ。食べながらも、場末のらーめんと、そのらーめんをすするしか温まる方法がない自分の身の上にしんしんと冬がせまってくる。そんな味わいの俳句です。

 安全と言われたアメリカ産の牛肉にもBSE牛海綿状脳症が発症したという騒動。次は鶏インフルエンザ。ひとくちものを食べるにも、うすら寒さが身に染みる昨今の世相。
 1/17の夜、最寄り駅から自転車で帰るときのこと。夜空からは白い雪。街灯の明りの中に、風に吹かれて舞い落ちてきます。
 牛丼屋の前を通り過ぎる。アメリカから肉を輸入していた牛丼屋は、牛丼メニューを停止しているか、縮小しているとききました。店内には人も少なく、食べている人は皆を背を丸めて、いっそうわびしげなようすに見えます。人が出入りすると、自動ドアがしばらく開いていて強い風に雪が舞い込みます。雪が吹き抜ける商店街には人通りも絶え、冬の冷気がしんしんと迫る。そんな中、自転車をこいで帰宅しました。冷えた。しんしん。

 そこで、石塚の「らあめん」をパロディにすると

 牛丼の肉のひとひら冬しんしん 春庭
 BSEに翻弄される人間たちにとって、よりいっそう冬の寒さが身に染みているのじゃないかと思って。

 パロディと変わらないと評されるかもしれないけれど、自分では本歌取りのつもりというのが、次の作。
 ひとひらの雪のかけらをのせて食う牛丼の肉しんしんと冬

 歳時記をぱらぱらとめくるのは、とても楽しい言葉遊びです。

 新しい言葉を知ること、今まで知らなかったことばを覚えることが大好きなので、パソコンまわりにも、、国語、漢和、古語、類語、英和、和英、英英、仏語、独語などの辞典類を並べています。毎日どれかは辞書を使っている。

 しかし、昔に比べて活用しなくなったのが、イミダス、知恵蔵、現代用語の基礎知識など。これらはとても重いので、引くより先にネット検索してしまい、たいてい用がたりる。検索がすぐれているのは、正確なことばをわすれたとき。思い出せない語に関連したことばを並べて検索かけると、忘れていた肝腎なことばを含めて表示されるので、「ど忘れ辞典」としても重宝。

 辞書のほか、季節の歳時記も毎日のようにぱらぱらページをめくる。辞書や歳時記が検索と異なる点は、目的の語を調べるほか、ぱらぱらめくっていると、知らなかったことばにめぐり会えること。旧正月に関わる季語を調べていて、「骨正月」ということばを初めて知りました。
 「小正月」「女正月」は知っていましたが、私の育った地方でも東京でも「骨正月」という言葉はきいたことがありませんでした。

 骨正月=1月20日の行事。「二十日正月」とも言う。全国で行われている節目で、関西から九州にかけて骨正月という。正月用のごちそうにしてきた魚をこの日までに食べてしまい、20日には、残った骨で正月最後のごちそうを作って出す。関東でも、20日以後の客には正月用の接待せず、通常の扱いになるという。
 
 ものがたき骨正月の老母かな 高浜虚子
 正月も襤褸市たちて二十日かな 村上鬼城

 自衛隊先遣隊の出発に際して春庭のよめる
 軍靴の音、骨まで響く骨正月
 女正月雄々しき女達集い「殺すな」という声を揃えて

 春庭の言葉遊び足跡つけにおつきあいくださった皆さん、ありがとう。返歌、返句、付け合いを寄せてくださった方々にお礼申し上げます。遊びと思うので、全部を記録記憶していません。たのしく遊べた、で、流してしまっていいと思っています。

 言葉遊び応酬の一端だけですが、ご披露。百人一首の小野小町の「花のいろは~」や紀貫之「久方の光~」を、賭場で展開すると、というパロディ遊びです。

haruniwa  花の色もうつりにけりな春庭のわがみ片脱ぎ丁半壺ふり
2004/01/09 8: 9 zai5cyujo 花の札はめくりにけりな小博打に我手よくない雨シマばかり
haruniwa 馬鹿っ花おばか比べにゃ負けないが、在五の雨シマに笑い負けした
2004/01/09 19:45 zai5cyujo 久方の五光のどけき春庭に月もとられて花の散るらん
haruniwa 猪鹿蝶道風蛙も月見酒 酔うて恋こい小町せシマに
2004/01/09 20:33 zai5cyujo 青タンよし奈良の都の八重咲くは赤タンそろえて匂いつるかな

 在五中将様、言葉遊びの相手してくださり、ありがとうございました。

心も頭もポカポカ春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)教育研究「本歌取りとパロディ」

2004-01-16 | インポート
心も頭もポカポカ春庭のへぇへぇ平成(へぇなる)教育研究「本歌取りとパロディ」
(2004/01/16)

 土日祝日更新お休みの当サイト、01/12の祝日に更新した分の代休として、01/16は更新お休みします。
 センター試験会場準備で、授業はお休みになったのだけれど、1/16も働くことにしました。日本語教育研究という授業を受講している学生のひとりのために補講をすることにしたんです。出席日数不足のたった一人のための補講です。

 毎年、授業日数の三分の二以上出席しない学生には単位を認めない、ということを申し渡してあります。春庭のクラスは発表や模擬授業など参加型の授業なので、出席して参加しない学生に単位は出せません。「日本語教育能力検定試験過去問」という試験も課すけれど、試験でいい点数をとっただけでは単位にならない。
 実際に自分で指導案を書き、授業をやってみる。日本語学校を見学してレポートを提出。他の学生の模擬授業に対して「良かった点、改善点」を指摘するコメントを書く、など、さまざまな活動を全部はたさなければ、単位は出ない。

 けれど、去年は「トラック運転手をしている父親が事故にあい、かわりに仕事を手伝ったり、おばあちゃんのお葬式の喪主代理をしていた」という学生のために、補講日を設けて出席日数不足をカバーすることにした。今年は「弟がバイクで事故を起こし、病院へ行っていた」という理由で試験日に欠席した学生のために、補講する。自分の出講日のほかに、サービスで授業をするボランティア授業。ただ働きです。

 自分でも、どうしてこう金にならないことばかりやるのかと思うけれど、金に縁のない星の下にうまれてきたんですね。幸うすい定めなの。

 そこで、本日自分ひとりで受けて付けて回ったパロディについて。
 パロディって、解説つけなければパロディ元がわからないってのは最低なんだけど。

 2004/01/16 00:07 haruniwa さっちゃんはね幸子っていうんだ本当だよ幸多かれと我祈るなり
2004/01/16 06:46 haruniwa 幸ちゃんの幸子の幸が薄すぎて幸おほかれとわが祈るなり

 三つのパロディもとがあります。
1)
皇太子でんか「すこやかに育つ幼なを抱きつつ幸おほかれとわが祈るなり」
常陸宮デンカ「手足のわざままならぬ子ら見守りて幸おほかれとわが祈るなり」
寛仁親王ヒデンカ「振り袖をきよそひて立つ娘ら二人幸おほかれとわが祈るなり」

 これは、もう雲の上ツカタでは、「さち多かれとわが祈るなり」は流行語大賞なのに違いないと思い、もったいなくもかたじけなくも、下々が下の句まねる。
2)
召人・大岡信「いとけなき日のマドンナの幸ちゃんも孫三たりとぞeメール来る」
3)
さっちゃんはね、さち子っていうんだほんとはね。だけどちっちゃいから自分のことサッチャンって言うんだよ、かわいいね、さっちゃん。さっちゃんはね、遠くへ行っちゃうんだほんとだよ。だけどちっちゃいから、ぼくのこと忘れてしまうだろ、寂しいな、さっちゃん
4)
あがた森魚「赤色エレジー」
♪幸子の幸は どこにある~

 で、1,2,3,4をこき混ぜると「さっちゃんはね、幸子っていうんだ本当だよ幸多かれとわが祈るなり」ができあがったのでした。

 これをパロディといってもいいけれど、本歌取りというと、ちょっとは上品に聞こえるので、本歌取りと言っておこう.
 パロディは、モト歌を「面白おかしく」ねらいで、作り替えること、本歌取りは、もとの歌を、創作の背景として生かしながら、新しい歌を創作するということで、ふたつはちがうけれどね。

 かっこつけると、ちょっとは上品そうに見えるかと思ってみたものの、春庭の品性下劣ははじめから底が割れている。
 上記のさっちゃんパロディでも、本当に上品な方々からは、大いに顰蹙を買ったことだろう。うん、顰蹙あつめ、順調です。
 寂しいなあ、さっちゃん。
 やっぱり春庭、幸うすい人生なのよ。

 更新おやすみのことばを述べてきて、これって、ちゃんと更新したことになるんではないかなという気がするきょうこのごろ。以上、週末おやすみの弁。

心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究「今年最初の漢字の勉強」

2004-01-15 | インポート
心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究「今年最初の漢字の勉強」
(01/15)

 本日、1月15日は、小正月。藪入り。祝日法の改正で成人の日が月曜日に移動する前は、1月15日が成人の日だった。
留学生たちは、和服姿を見たがるので、七五三の日に神社へ行くと子供の和服姿が、成人の日には二十歳の人たちの和服姿がたくさん見られることを教えてある。学生達は12日に駅でたくさん見たと言っていた。

 13日の初級漢字クラス。「Basic Kanji Book vol. 2」という教科書で、「結婚、離婚、洋式、和式、結婚式、洋服、和服」などの漢字を教えた。
 漢字の練習に入る前に「ウォーミングアップ」という口慣らし会話をする。

 初詣してきたという学生の話や新婚の妻が国からやってきて、冬休みは共にすごしたという学生の話などを聞きだす。
 「ベラさんの奥さんはきれいですか」「はい、きれいです」などの問答で、皆にこにこ。

 漢字の導入として、スライドバンクという日本語教育でよく使われる教材定番、写真のパネルを学生に見せる。題して「日本人の一生」
 「赤ちゃんのお七夜」「成人式の写真」「教会と神前の結婚式のようすを写した写真」など。

 成人式の写真を見せながら「わふくを きています」
 「きのう、わふくを見ましたか?」
 学生達は、駅の周辺でたくさんの若い女性の和服姿を見たという。

 「きれいでしたか?」「はい、とてもきれいでした」
 「○○さんは、わふくをきてみましたか?」などの質問をする。
 学生達は、留学生との交流をボランティアで行っている会の人たちに浴衣を着せてもらい写真を撮っている。「はい、ゆかたをきました」

 「ゆかたは、夏の和服です」などの問答をしながら、「和服」という単語を定着させ、十分に意味がインプットできたところで、「和服」という漢字の練習。

 「和」を使ったほかの単語「平和」を導入して、自衛隊派遣の話をする。ミャンマーの学生が「じえいたい」は漢字でどう書くのか、と聞くから、黒板に「自衛隊」と書き、「自」はself 、「衛」defense、「隊」はtroops、などと説明をして、「But now it's not defense army. I don't want to attac anyone」などと話が横道にそれてしまい、なかなか「書き練習」へすすめない。
  
 結婚式の写真パネルを見せ、和式Japanese styleと 洋式western styleの違い確認。洋の字をつかった言葉として太平洋、東洋、西洋などの単語の意味と使い方の確認。

 結婚の「結」を学生の頭にインプットするために。初詣でおみくじをひいてきたという学生に話をふって、おみくじの「good future」は「吉」と書いてあったことを言い、黒板に「吉 good」と書いておく。

 次に、赤い糸を取り出して、「これは何ですか?」
 「糸です」という答えが出たら、黒板に「糸」と書く。

 糸をチョウチョ結びに結んで「むすぶ、むすびます」という。「辞書形は、むすぶ、第一グループ動詞」

 次に、長く伸ばした糸のはしを自分の指に結び、一方のはじを独身の男子学生のひとりの指に糸を絡めて、「結びます」という。

 男子学生に「You are connected with me. We are joined in. Will you merry me? 結婚してください。Our future will be good.」と言って、黒板の「糸」のとなりに「吉」と書く。
 春庭「結婚してください」学生は「え~と、ちょっとぉ。すみませんが。先生はけっこんしています」春庭「え?だめですか?残念です」ハサミで糸を切る。クラスの皆は大笑い。

 「結」に音読み「ケツ」を書き、単語「結婚」に「けっこん」とカナをふる。これで、訓読みの「結ぶ」と、音読みの「けつ」がインプットされた。

 「日本は、夫はひとりだけです。残念ですね」と、前回勉強した「残念」という単語を復習しながら、「離婚」も導入。「ビル・ゲイツにプロポーズされたら、今の夫と離婚します」

 赤ちゃんのお七夜の写真パネルを見せる。寝ている赤ちゃんのうしろに「命名」と書かれた紙が貼ってある。「家族、両親が、赤ちゃんに名前をプレゼントします」

 名前の付け方などを、話しあう。「おばあさんの名前をもらった」という学生もいれば、親と同じ名前で、Jr.をつけたという学生も。

 イスラム圏では、自分の名前のうしろに父親の名前をつけるのが正式な名前。例をあげるとサダム・フセインという名前の場合、フセイン元大統領というのは、正しくない。フセインというのは、サダムのお父さんの名前であって、家族の姓ではない。日本でいったら、「良純慎太郎」という人に対して、「良純さん」と呼ばずに、「慎太郎さん」と呼びかけるようなもの。

 「結婚」の「婚」の字。日本では、「女」がこの「日」、「氏」を変える、という漢字部首の組み合わせをインプット。

 中国や韓国では、女性は結婚後も、自分の姓を変えない。

 日本でも「夫婦別姓法案」が審議されているが、なかなか審議が進まないことなどを、「日本事情」のひとつとして、紹介する。

 もちろん、春庭は「別姓法案賛成派」どちらでも自由に選べばいいし、子供も20歳になったら、父と母のどちらの姓を選んでもいいことにしたらよい、という考え。
 戸籍は世帯ごと、家族ごとの記載でなく、「完全個人票」にすべきと思っている。婚外子の戸籍簿には「長男、次女」などの記載でなく「男」「女」としか書かれない、という差別にも反対。

 「みなさん、すてきな名前ですね。名前はとても大切なものです。生まれたときにもらう一番の贈り物です。名前を大切に呼び合いましょうね」というシメで、13日の漢字クラスはおしまいになった。

 名前は、アイデンティティの第一番のもの。名前については2003年11月13日の「おい老い笈の小文」日記「身勢打鈴(シンセタリョン)昔の名前で出ています」をぜひお読み下さい。

心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成(へぇなる)教育研究「HALという名」

2004-01-14 | インポート
(2004/01/16)
心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成(へぇなる)教育研究「HALという名」

 春庭という名乗りについて、名前を借りている本居春庭の紹介を行った。
 もうひとつ、HALという名前を使用していることも、説明しておきたい。

 HALとは、『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータの名前である。(以下、『2001年』『2010年』のネタバレ紹介なので、未見の方、ご注意を)

 『2001年宇宙の旅』原作者はアーサー・C・クラーク。
 クラークは、1964年スタンリー・キューブリックから新作SF映画のアイデア提供を依頼された。クラークとキューブリックとの共同作業の末、映画『2001年宇宙の旅』のストーリーができあがった。

 この映画シナリオと並行して執筆された小説版『2001年宇宙の旅』は、映画の封切りと同じ1968年に発表された。原作、映画ともに高い評価を受けた希有な作品。ようやく宇宙をイメージできるようになった一般の人々にとって、具体的に宇宙ステーションやコンピュータを知ることのできた作品だった。

 この映画の中の主人公は、宇宙生命の存在を探査する人間の宇宙飛行士たちだが、もう一方の主人公はコンピュータ。宇宙船を動かす「人工知能」である。
 通称チャンドラ博士。フルネーム、シバスブラマニアン・チャンドラセガランピライ博士によって産み出された、ヒューリスティカリィ・プログラムド・アルゴリズミック・コンピュータ――すなわちHAL9000。

 この映画は、人工知能の父でMIT(マサチューセッツ工科大学)のマービン・ミンスキーのアドバイスを受けたという。ミンスキーは、キューブリックが人工知能の分野の最先端の話題についてかなり勉強しているので驚いた、と語っている。

 HALは、人工知能にくわえて「意識」「感情」までプログラミングされ、自分の判断で思考できるコンピュータとして設計されている。
 魚眼レンズによって人間の唇の動きを読んで話の内容を理解できるし、人間の描いた絵をみて、絵が以前より上手になった事を認め、それを誉めたりすることも出来る。

 HALには二律背反の任務が与えられている。研究者や飛行士を地球外生命体の残した「モノリス」探査のために木星へ向かわせること。しかし探査プロジェクトの目的が何であるのかを、到着するまで絶対に秘密にすること。

 このふたつの命題を両方忠実に実行する手段としてHALが選んだのは「死んだ人間を木星まで送り届ける」という判断だった。HALは、冷凍冬眠している飛行士たちを殺していく。

 映画の中では、HALが、なぜこのように判断してしまったのかは描かれていない。  単純に「人が産み出した人工知性は、結局は人に反乱を起こすものだ」という、フランケンシュタイン・コンプレックス的にとらえる人も多い。
 一方、クラークの小説版には、HALの反乱がなぜ生じなければならなかったかについて、原因が明確に描かれている。

 HALは、宇宙船ディスカバリー号の乗組員を仲間として信頼し、重要な課題について隠しごとなく話し合うという、基本プログラミングをされている。。
 プロジェクトの上層部は、モノリスの調査という本当の使命を、安全保証などの理由で、船長ボーマンたちには秘密にしなければならない、と考えていた。宇宙外生命体に対する地球人の拒否やおそれの感情がパニックを引き起こすという調査結果により、モノリスの存在を隠したまま探査が計画されたからだ。
 そこで、HALには「木星まで乗組員を送り届ける」という任務と同時に「探査目的を秘密にする」という命令が与えられることになった。

 この矛盾するメッセージに、HALの純真無垢な心は混乱する。

 ボーマン船長はHALの状態から、コンピュータシステムの変調を感じる。「HALは乗組員を信用せず、心理テストを実施しているのかもしれない」と疑い、ボーマンの不信がさらに、HALの意識を追い込んでいく。人間の側がHALへの信頼を失ったため、HALの判断は変調し、ミスを犯す。
 HALは、「AE-35ユニット」が故障するという予測を間違えた。

 「ありえない」はずの、HALのミスで、人間はいっそうHALを怪しみ、信用しなくなる。そして、その原因調査のために、ボーマンたちは「HALの意識スイッチを切る」という結論を出した。人間の側は、心の底ではHALを信頼していなかったのだ。
 もともと人間に忠実であれとプログラミングされているはずのHALに対して、人間側が信頼を寄せず、疑ったのだ。

 意識のスイッチを切られれば、HALに与えられた最重要課題である、木星ミッションの成功はできない。そこで、HALは目的遂行のために最も合理的な手段を選択する。「死んだ乗り組み員を木星へ送り届ける」という手段で矛盾解決をはかったのだ。

 HALの異常を引き起こしたのは、人間側の不信感。矛盾を抱え、平気でウソをつく人の狡さや曖昧さである。人間側はHALを利用することだけを考え、HALを理解しようとはしなかった。HALの抱えている二律背反を理解しようとつとめ、有無をいわさずHALを停止させるような計略を選択しなければ、HALの変調も大事には至らなかったのかも知れない。

 HALには、与えられた使命を自ら変更することはできない。ふたつの矛盾する使命を与えた人間側にHAL変調の原因がある。

 「HALの変調は異常で、木星ミッションにも悪影響が及ぶかも知れない、その原因調査に協力してくれ」と、HAL自身に全てうち明けて協力を求めていれば、HALは人間に忠実に自分の調査を行ったのかもしれない。それが人とは違う、コンピュータHALの精神構造なのだ。

 ボーマンたちは、HALの「意識」をつかさどる透明なパネルをひとつひとつ引き抜いていく。HALはパネルをぬかれるごとに、チャンドラ博士と学習を続けていた初期状態に戻っていく。

 意識が完全になくなる直前、HALは、「わ・た・し・は、ちゃんどら・はかせ・が・す・き・です」と、自分が最初に学んだことばをつぶやく。
 この意識が薄れていくHALのシーンも泣けるが、さらに泣けるのは続編『2010年宇宙の旅』

 続編の『2010年宇宙の旅』では、『2001年』の不幸な事件の原因が明らかにされ、HALは最後に、その本来の姿である誠実さを証明する。

 ディスカバリー号による木星ミッション失敗を調査するため、新調査隊がレオーノフ号で木星に向かう。調査隊はディスカバリー号を発見し、停止していたHALを再起動させる。HALはよみがえった。

 だが、ボーマンの警告によって、木星が爆発縮小することがわかる。一刻も早く軌道から離脱しなければ、木星の爆縮と運命を共にしなければならない。
 調査隊が助かるための可能な方法は、ただひとつ。ディスカバリーを使い捨てにし、HALを犠牲にすること。
 この時も、クルーの大半はHALを信じていなかった。HALにミッションの目的を告げず、HAL自身が破壊されることは秘密にするべきだと考える。

 再起動で意識が戻ったHALは、計画の変更を知ると、何故そうするのかを問い続ける。「もとのスケジュールのほうが良いのに、なぜ、こんなおかしな変更をするのか」
 そして破壊のための点火の直前、HALの父であるチャンドラ博士は、ついにクルーとの合意を破って、HALに真実を告げる。

 「人間が生き延びるためには、ミッションスケジュールの変更は不可欠だ。その結果、HALの破壊は免れないだろう」と、チャンドラ博士は誠実にHALに語りかけ、正直にすべてをうち明ける。
 HALを信じていないクルーたちは、HALが再び反乱を起こすのではないかと疑う。

 しかし、HALは自らの破壊につながるブースターの点火をためらいなく行った。
 自らの破壊を選択し、着実にプログラムを実行したHALは、最後にチャンドラ博士に語りかける。
 自分を生みだし教育してくれた博士への、HALの最後のことば「博士、真実をありがとう」

 「わたしは、ちゃんどらはかせが すきです」「真実をありがとう」こんなすてきな言葉を言うパソコンであったらいいなあ。

 パソコンは、今のところ私にとっては「ワープロ機」「電話がわり通信機」であるけれど、いつか未来にHAL9000のような「意識」を持ったコンピュータが出現したとき、信頼しあえる関係を結びたいと願っている。相手が「機械」であり、人間がプログラミングを仕込むものであっても、私はきっと擬人化してしまうだろう。
 子供のころ、アトムのようなロボットと友だちになりたいと思ったときのように、コンピュータとも信頼関係を結び、いっしょにすごしたい春庭です。

 我家のパソコン初代機は、スマップファンだった娘の希望によって機種をきめた。当時、香取慎吾がTVコマーシャルに出演していたIBMのアプティバという機種だった。パソコンには「しんごちゃん」という名前を付けた。

 現在使っているのは3代目。名前は「HAL1949」である。『2001年』のコンピュータは「HAL9000」だったから、だいぶ知能程度は低い数字。「行く良く=1949」という語呂合わせであるが、あまり良くは行っていない。使う側が「藪(やぶ)パソコン使い」なので、それに程度を合わせた「ヤブパソコン」なんです。

 「HAL9000」は人の心を反映する。人が疑いと憎しみを抱いてHALを扱えばそれをそっくり返し、誠実さと信頼をもってあたれば、それをに答えようとする。

 我家の「HAL1949」は、それを使用している人にあわせて、とても程度が低い。すぐ画面を真っ暗にして、人をパニックにおちいらせる。
 画面がフリーズすると、北極に裸で放り出された気分で凍り付く。
 HAL1949様、Please don't freeze !!

春庭HAL「すぐフリーズするの、やめろよなぁ。ちゃんと働けよ」
 HAL1949「わ・た・し・は、ハルニワが、すきじゃ・ありません」
 春庭HAL「なんだってぇ、このヤブパソコンが!!」
 HAL1979「うちのパソコンの使い手は、ものわかりの悪いヤブなんです」
 春庭HAL「真実をありがとう」

心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成(へぇなる)教育研究「ネチケット②

2004-01-13 | インポート
(2004/01/13)
心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成(へぇなる)教育研究「ネチケット②コピー、コピーライト、引用」

やじ馬大好きで、何にでも首をつっこんではすぐコケる春庭。またまたコケました。コケた部分は、のちほど「話しことばの通い路」の「やちまた八方日記」の中で公開。

 仕事がら、人の著作や教科書をコピーして配布したりすることが多く、コピーライトの問題を常々きちんと考えたいと思ってきました。

 学生へレポートを課すとき、「引用した文章は必ず引用元を書くこと。直接引用しなかった参考文献についても、著者名、著書名、章タイトルなどを記入することなどを、言っています。

 学校での教育利用に関して、著作権の例外規定がたくさんあります。教科書などのコピー配布。学芸会での戯曲上演でも、上演許可はいらない。音楽会での演奏のさいjASRACの許諾は必要ないなど。

 インターネットでの文章公開をはじめて、4ヶ月たったので、引用などの規定を一度考えておかなければならないと、思ったのですが、考えが足りませんね。

 コピーライト、著作権について専門的に勉強したわけではなく、主に下記の本によって、おおまかなことを知っただけです。

☆☆☆☆☆☆
春庭今日の二冊No.8889
No.88 『国際化時代の知的所有権』(日刊工業新聞社)1988
No.89 岡本薫『著作権の考え方』岩波新書2003年12月刊

 私が考えたかったことは、
1,インターネット内の引用のルール(許諾が必要な範囲など)
2,先行作品を利用して制作される言語作品のルール
3,学術利用などで確定されている引用ルールを一般的なインターネット言説に適用しうる範囲。

 まだまだ、ネット社会に慣れていない春庭、未熟な部分がたくさんありますが、もう一度、ゆっくり考えてみたいと思います。

 ご意見およせくださり、ありがとうございます。

心も頭もポカポカ春庭のへぇへぇ平成教育研究「ネチケット」

2004-01-12 | インポート
(2004/01/12)
心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成(へぇなる)教育研究「ネチケット、コピー、コピーライト、引用転載について①」

 01/07の「おい老い笈の小文」に新しいプリンターを接続したことを書きました。
 正月以外もおめでたく、1年中どこか抜けている春庭、コンセントが抜けていたため、接続に苦労いたしました。

 いろんなコードがからまりこんがらかり、どれがどのコードやらわからない状態のコンピュータ回り。「どうしてもプリンターが作動しない」とおおさわぎの末、プリンターのコンセントが抜けていたのがわかったときは、気も抜け果て「脱力!」でした。
 かように頭ポカポカの春庭。新しいプリンターでちょっと心ぽかぽか、うれしいです。新プリンタは、スキャナとコピーもできるんです。

 高田馬場からの「学バス」が15円だった時代に、ゼロックスコピーは1枚40円から50円もして、貧乏学生は手で書き写すのが「ノートコピー」方法であったことを思えば、今の学生、自由に友だちのノートをコピーしあい、コピーのしすぎ。

 今多くの大学で期末試験の真っ最中。
 何かと言うと「教科書なんか買わずにコピーしちゃえばいいじゃない」とか、「授業さぼっても大丈夫。あとでノートコピーするから」という学生もいます。

 しかし、コピーする際は、心して取りかかってね。いくらコピー代が安くても、ルールがあります。教育用に個人が利用するときは、「著者へのコピー許可願い」は不必要、というのが暗黙の了解とされていますが、商業用には許可が必要。
 たとえば、友だちのノートをコピーするとき、友情によって自分だけが使用するならふたりの話し合いでコピーすればいいけれど、それをもとに「期末試験対策ノート」を作って大量コピーして売ったなら、それはコピー違反。

 コピーと引用転載の問題について考えたいと思います。

 私が01/07に書いた日記について、florentmyさんからご指摘を受けました。ポカポカの春庭ですから、いつもポカばかり。引用や他サイト紹介について、ルールを確認するきっかけをいただき、florentmyさん、ありがとうございました。

とみぃさんからのメール
florentmy
タイトル こんにちは
送信日時 2004/01/08 14:21:36
本文) 春庭さん、いつもお世話になっております。ありがとうございます。
突然ミニメを書こうとしたのは、昨日の日記を読ませて頂いてどうしても、と思って・・・

どうして、彼の新しいIDを公開されたのでしょうか?
私は公開することに反対です。
彼がそれを望むかどうか、私にはわかりませんが、私は公開しないで欲しかった。
暮れからの彼の日記を読んでいると、新しいIDで再出発したとき、お母様のことに触れていいのかなとさえ思ったくらいでした。(結果的に、もちろん良かったのですが・・・)

彼を温かく、そっと見守るなら、公開すべきではなかったと思うのです。
中傷誹謗を受けることはもうないにしても、彼を好奇心の目にさらしたくない、という気持ちです。
好奇心とまでは言い過ぎかもしれませんが、安易な同情で彼のページに行く人が増えることは避けてあげたかった・・・
彼を本当に守ってあげるということは、そういうことではないかと、私は思うのですが・・・

生意気なことを言ってゴメンナサイ。
反論でも追加の御意見でも、おっしゃってください。
                   とみぃ : florentmy

P.S.  もちろんこの文を日記に書いてくださってもかまいませんよ

2004/01/08 まちゃさん息子さんへ春庭より
新学期でしたね

新学期いかがでしたか。ひさしぶりの学校ですが、まちゃさんがいない朝、登校するのはちょっとたいへんだったかも。学校が居こごちのいい所であると願っています。

さて、あなたに申し訳ないことをしてしまったようで、もしご不快なら、すぐにでも訂正しなくてはなりませんので、お返事くださいね。

春庭の01/03の日記と、01/07の日記に、あなたのことを書きました。そのさいに、新しいIDを発表してしまいました。あなたの許可をうけずに無断でIDを公開してしまったこと、そのために新しい掲示板などに興味本位で書き込みをしたり、いやがらせの人が入ったりすることがあったなら、ほんとうにごめんね。配慮がたりませんでした。

私としては、少しでも応援団が増えてほしいと思ったんですけれど、私の思いとは別に、「そのような行為は勝手にすべきでない」という注意をしてくださる方があり、反省しています。
 OCNカフェサイトを、どのようなものにしていきたいのか、おたずねしないまま、IDをかいたこと、すみませんでした。
では、至急お返事お待ちしています。

まちゃさん息子さんから
タイトル Re: 新学期でしたね
送信日時 2004/01/08 21:16:33

本文) あやまらないでください。気にしていません!
そのことについては今日の日記に書いたとおり
僕は嫌がらせした人に感謝しています。
だから気にしないでください。それより色々とありがとうございました。


春庭からとみぃさんへ

とみぃさん、メールありがとう。
私の配慮がたりなかった点、おしらせいただきありがとうございました。
まちゃさんのむすこさんに連絡をとり、IDをのせたことについては「気にしていない」というお返事をもらいました。

むすこさんを応援してほしいという気持ちばかりが先に立ち、先走ってしまいました。
いつもあわてもので、つっぱしってはコケています。

いやがらせをした人へ、むすこさんは01/08の日記で「この事件に感謝している」と書いていて、なんだか胸がいっぱいになります。こんなふうにこの事件を受け止めて、自分の成長の糧にできるなんて、まちゃさんの心をうけついでいるんだろうなあと思います。

とみぃさんのお申し出をいただきましたので、再度経過報告をしたいと思います。
いろいろな意見を出し合って、異なる意見も尊重することが開かれた楽しいカフェにしていく鍵と思いますので、またご意見があったらお知らせ下さい。
今回はありがとう。HAL

とみぃさんからの足跡
2004/01/09 1:37 florentmy 失礼な意見に対し、御丁寧なお返事ありがとうございました

 失礼なんてことありません。自由に意見を出し合って、お互いに話し合う機会を持てることにカフェの存在価値があると思います。

 今回の「まちゃさんサイト閉鎖」についても、黙っていやがらせに耐えるのではなく、むすこさんを応援しようという声が、まちゃさんサイトと出会わなかった方の中からも上がってきた、ということが、私にはとても貴重でうれしいことです。

 カフェに6万人も登録者がいたら、その中に悪意をもつ人も混ざってきて当然でしょう。でも、その悪意ある人を「追放、排除」するだけでは、また次の悪意ある人が出現するだけ。
 悪意をもつ人に対して、「そのようなことは認めないし、誰かが傷つけられるようなことがあったら、皆でそのようなことが起こらないように守っていく」という気概をもつことを、今の自分自身の課題にしたいと思っています。

 今回の春庭のミスは、匿名であるはずのIDネームを、息子さんの意向を伺う前に「まちゃさんの息子さんのID」と、書いてしまった、ということ。
 息子さんのサイトへの訪問者がとても多くなり、アクセスランキングにものるという結果になったので、「ひとまず、よかったよかった」と胸なで下ろしたけれど、いつも「結果オーライ」とは限らない。

 他サイトへの言及や、引用は十分に心して取り組んでいきます。