春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

春庭URL

2012-02-29 | インポート

2012/02/29
ぽかぽか春庭十二単日記>引っ越し(3)春庭URL

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ぽかぽか春庭「『八月の鯨』ノベライズ(3)」

2012-02-26 | インポート
2012/02/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>『八月の鯨』ノベライズ(3)月の光

 海辺を夕焼けが染め出した。マラノフは正装して、庭の花を摘んでいる。レディへのおみやげだ。

 セーラに花を差し出すマラノフ。「まあ、すてきな色の組み合わせね」
 「では、さっそく魚をさばきましょう。料理の腕が落ちていないといいけど」マラノフはエプロンをかけて、料理をはじめた。
 「大丈夫よ」セーラがうけあう。
 「いや、わからないですよ」

 セーラは、マラノフに魚料理をまかせて着替えを始めた。髪をととのえ、顔にパフをはたく。心ときめく思いで鏡に向かうなんて、久しぶりのことだ。
 おめかしして居間に出てきたセーラに、マラノフは得意の弁舌をふるう。「美しいです。とてもすばらしい」

 セーラとマラノフは、ポーチから海に沈む夕陽をながめた。
 「なんてすばらしいんだろう。こんな楽しい気分は久しぶりです」
 「よかったわ、退屈なさるんじゃないかと心配していたんですけれど」
 「退屈なんて、とんでもない。どうしてそんなことを」
 「わたしたちは、平凡なつまらない姉妹ですから」
 「そんなことありませんよ」
 「うれしいわ。そうそう、明日の朝、鯨を見に行きませんか」
 「ええ、ぜひ。これまで鯨を見たことはないんです」
 「毎年来るんですよ」
 「ほんとですか」
 夕陽は静かに海のなかへ落ちていった。

 居間のろうそくに火がつけられた。マラノフの作った魚料理、リビーのためのポークチョップがテーブルに並ぶ。
 「夕食よ」セーラの声に、リビーが居間に出てきた。花柄のシフォンドレスを着て、胸を張って歩く。
 マラノフが挨拶し、座ろうとするリビーの椅子をひいてエスコートした。自分で座ろうとするセーラにも、マラノフはすかさず駆け寄って椅子をひいてやる。
 ぎこちない雰囲気のまま、夕食がはじまった。

 マラノフは、ロシアの亡命貴族という身の上話を続けている。これまで、この話を元手にさまざまな家庭を渡り歩き、食事をともにしてきた。
 「冬にセントピーターズバーグに帰ると、大公だった私の伯父が優雅なもてなしをしてくれました。ワイン、ご夫人がたとのワルツ。ドレスのすそが軽やかに床の上をすべる、、、」
 「ほんとに、おいでいただいて、うれしいわ。ロシア王朝の一員をお招きできるなんて、貴重なことだわ」感激するセーラに、マラノフは「大昔に消えた夢です」と言う。
 リビーはいつもの皮肉な調子で「そんなに謙遜することありませんよ」というが、セーラはその調子を気にせず「そうよ、貴族であったことにはかわりないわ」と、マラノフを持ち上げる。
 「なにしろすべて過去のことですから」マラノフは在りし日の栄華を謙遜する調子をくずさない。
 「ティシャが写真のことを言ってましたけど」セーラのことばで、マラノフはポケットから母親の写真を取り出す。
 「すみません、リビーさん」見ることができないリビーに遠慮しつつ、セーラに写真を見せた。
 「母です。冬宮殿にいるところ。確か1910年でした」
 見ることができないリビーは「写真は消えるけれど、思い出は残ります」と、強い調子で言う。
 「いや思い出も消えていきますよ」マラノフは寂しそうにつぶやく。
 「私の思い出は消えないわ」むきになるリビー。
 セーラは雰囲気を変えようと「コーヒーをお持ちするわ」と、台所へ立った。

 リビーとマラノフは、きまずい雰囲気で居間のソファにすわった。
 「もうじき労働者祭がきますね。悲しい祭日です。冬への入り口ですから」マラノフが口にする。
 「それで、マラノフさん、どこで冬ごもりをなさるの」
 「そうですね。島から本土へ戻って、アパートでも借りますよ」
 「故郷から遠く離れて住むのね」
 「ええ、冬の寒さはどこも同じです」
 「あなたほどの方なら、冬には南のほうでおすごしになるかと思いましたが」リビーは皮肉をこめていった。
 「生活を切りつめておりますので」マラノフは率直に応じた。
 「実際的な方だったのね」
 「なにはともあれ、生き残ることが先決です」
 「その通りね」

 満月が夜の海を照らしだした。
 「ロシアから亡命してパリへいらっしたの?」コーヒーをすすめて、セーラがマラノフにたずねる。
 「ええ、パリへ」
 「セーラもパリへ行ったことあるじゃないの。刺激的な町だわ」
 「人によって感じ方は違うでしょうね」マラノフにとって、パリはいい思い出ではないらしい。
 「ここは刺激のない町よ」リビーのことばに、マラノフは「でも、本物の喜びがあります。夕陽や月や、明日は鯨も見られる」とことばを返した。
 「でも、パリといえばシャンパンだったわ」セーラも昔をなつかしんだ。
 「シャンパンなんて頭痛のもとよ」リビーはなんにでも文句をつけたがる。
 「パリでは、私たちも少し派手にやって、夢を満たそうとしました。でも、しょせん、一時の輝きにすぎなかった。我々亡命貴族は、滅びてゆくのみです」
 「あなた、まだ滅びてなんか、ないじゃない」リビーの皮肉の調子が上がってきた。
 「ええ、そうです。確かにまだ、ここに生き残っています」
 「お一人で生きてらっしたのは、勇気のいることだったと思うわ」セーラは感服している。
 「そんな、たいしたことじゃありませんでした。多少の意志の力があったから」
 「そう、それが財産なのね」リビーはまた辛辣なことばを準備はじめた。

 「ええ、意志の力が財産です。今でもはっきり覚えています。皇太后陛下が亡くなったとき、我々は喪に服し、母は一週間口もきかずにいました。でも、ある朝私を呼んでこういいました。ニコライ皇太后は逝去されました。私たちはもうおしまいよ。お前はひとりで世の中にでていかなくちゃならないわ。そう言って私にハンカチを手渡しました。母の持つすべての宝石がつつんでありました。母は言いました。必要なとき、この宝石を使いなさい。でも、最後を迎えたときに、その使い方を後悔しないやりかたでお使いなさいってね」
 マラノフはポケットからハンカチを取り出し、中に包まれていた指輪を取り出した。「そして、これが最後に残ったひとつです」
 「まあ、エメラルドね、リビー、さわってごらんなさい」
 マラノフは宝石をリビーの指にさわらせた。
 「エメラルドなの。莫大な価値があるんでしょうね」
 「ええ、死ぬまで使っても使い切れないお金になるでしょう」
 「あなたは幸運な方ね」リビーはマラノフを評していう。
 「ええ、そう思いますよ」マラノフが答えた。

 「えっと、それでこの夏はどこに行くんでしたっけ」リビーが話を戻した。「そうそう、ヒルダのところでした」
 セーラはあわてて「ヒルダさんは、ご不幸で」とリビーに注意する。
 「そうでした、お気の毒でしたわね。お悔やみしますわ、マラノフさん。それで、このあとはどこで」
 「いや、まだ」リビーの皮肉な調子に気づいたマラノフが言う。
 リビーはたたみかけた。「それじゃ、ご忠告申し上げますわ。今すぐつぎの隠れ家を探し始めた方がいいですわ。でも、言っとくけど、ここはあてにしないでくださいね」
 「人生で得た教訓は、期待するなということです、ストロングさん」マラノフがリビーの言いたいことに気づいて答えた。

 「もう遅いわ、私、やすみますからね」リビーは言いたいことを言ってしまうと、自室に戻っていった。「おやすみなさい、マラノフさん」
 礼儀正しいことをモットーにしているマラノフも、さすがに返事を返す気持ちにならなかった。マラノフはだまってドアから出ていった。
 セーラがポーチにいるマラノフを追う。

 「実に非凡な方ですな。お姉さんは。ムダ口はきかない」
 「偏屈だから」セーラは申し訳ない気持ちでいっぱいになって言う。
 「今朝、おじゃましなければよかったんです」
 「そんなこと」
 「いや、ほんとに。カンのいいお姉さんに、私の意図を見抜かれた。これで、明日からまた流浪の身の上です」マラノフは自嘲気味に言った。
 「お気の毒です」セーラには、それ以上のことばがみつからない。
 「いやいや、これまでもよるべない人生をうまく渡ってきました」と、マラノフは答えた。
 「この長い年月、どうやって暮らしていらっしたの」
 「友人をたよりに過ごしてきました」
 「自由な暮らしっていうことかしら、うらやましいわ」
 「はは、あなたはロマンチストですね」
 「人生が長すぎたって思うことは?」
 「なかったですよ」
 「寿命以上に生きたとしても?」
 「終わりがきたときが寿命です」

 夜の海は月光に輝いている。
 マラノフは海を指していった。「月が波間に銀貨をばらまいています。あれは、だれにも使えない宝物です。じゃ、もう行かないと」
 「じゃ、明日の朝、、、」セーラの申し出をマラノフが遮った。「いや、今夜お別れしましょう。またとないすばらしい夜をすごさせていただいた。いつまでも忘れません」
 「また、いつでも喜んでお迎えしますわ」セーラはせいいっぱい申し出た。
 マラノフはセーラの手にキスの挨拶をして戻っていった。「おやすみなさい。鯨とのランデブーを楽しんでください。鯨を待たせちゃだめですよ」

 セーラとリビー、いつにないふたりの間のぎくしゃくとした思いを沈めるように、夜の海は月の光を帯びて時を流していく。

 リビーは苦しい夢にうなされていた。「セーラ、セーラ」夢の中で助けを呼ぶが、セーラには届かない。

 セーラはテーブルに赤と白のバラ二輪を置き、夫の写真を飾った。ワインをあけ、一人静かに記念日を祝うつもりなのだ。
 「46年目ね、フィリップ。46本の赤いバラ、46本の白いバラ、そしてワイン。白は真実、赤は情熱って、いつもあなた、そう言っていたわね。情熱と真実こそ、人生のすべてだわ」
 セーラは宝物の小箱から、夫の写真が入ったロケットを取り出してそっと口づけた。
 「あなたが生きていてくれたなら、、、、リビーをどうしたらいいのかしら。とても気むずかしくなって、マラノフさんにつらく当たったわ。見晴らし窓もいらないって言うし、もう人生は終わったんだって言うのよ。これ以上つきあいきれないわ。あなたが生きていればいいのに」

 セーラは古い蓄音機のハンドルを回し、レコードに針を落とした。思い出の曲が流れる。セーラの思いは46年前、フィリップとの出会いのころに飛んでいく。若いセーラは、古風なヒモ結びのコルセットをつけて、フィリップと会っていた。
 「わたしのコルセットは結び目が多くて複雑よ、、、、あなたは、こう答えた。これじゃ、全部ほどく前に月が沈んでしまう。わたしは言ったわね、ダメよあなた、絶対に全部ほどかせないわ、たとえ、あなたでも。だって、私の神秘がなくなってしまうわ。全部ほどかれたら」情熱の赤いバラをほおにあて、セーラは夫との短く終わった結婚生活の思い出にひたった。

 「セーラ!」リビーの声が、居間に届いた。「セーラ!セーラ!」リビーが自室から飛び出してきた。
 セーラは驚いてレコードの針をもどした。「どうしたのリビー」
 「あなたが、見つからなかったのよ」リビーはセーラの腕にしがみつき「あんたを呼び続けたのに、行っちゃったわ。それで私、夢中で走って、やっと戻ってきたの。するとあんたは座っていた。岩場の一番はしっこに。ぞっとしたわ」
 「わたしはだいじょうぶよ。この通り無事だわ」サラはリビーを落ち着かせようと言った。
 「あんた、『死』につかまりそうだった。もう少しだった」リビーはおびえていた。
 「ベッドに戻って、リビー」
 「死は、ここへきたのよ。私たちを捕まえに」
 「違うわよ。あなたが死ぬのは勝手だけど、私の命はまだ終わりじゃないわ」セーラはろうそくを吹き消し、宝物の小箱を持って自室へむかった。「もう、休むわ、おやすみリビー」

 居間に残されたリビーは、テーブルの上のフィリップの写真立てやバラの花に気づき、セーラに直接言えなかったことを口にした。「結婚記念日おめでとう、セーラ」
 リビーは居間の揺り椅子に座り、胸のペンダントをまさぐりながら、日の出前の薄明に顔をむけた。

 夏の終わりの海を、日の出が照らし始めた。静かな夜明け。
 朝の居間で、セーラはフィリップの写真とろうそく立てを暖炉の上にもどした。ひとりで祝った記念日が終われば、セーラにはまた、いつもと変わらない日常がつづく。

 「セーラ・ルイーズ!」めずらしくリビーがミドルネームをつけて呼んでいる。「セーラ・ルイーズ!」居間に出てきたリビーは、すでに着替えを終えていた。
 「何よ、リビー」リビーがミドルネームつきで自分をよぶときは、何かあらたまったことを言いたいにちがいない。
 「セーラ、あんたに迷惑をかけたくないの」
 「わかってるわ」
 「あれは、悪い夢だった」
 「そうね」
 「ひどく、うなされて」
 「そう思うわ、リビー」夕べのマラノフへの仕打ちを、まだセーラは許す気になれなかった。いつも勝手なリビー。頑固で偏屈なリビー。
 「マラノフさんが鯨を見にくるんでしょ」リビーがたずねた。
 「いいえ、リビー、マラノフさん、いらっしゃらないわ」
 リビーは、マラノフへつらい言葉を投げかけたことを思い起こす。セーラが怒っているのも無理ない、とリビーにも思えた。
 「あんた、私と別れたいって考えているんじゃないの」リビーは、不安を口にした。
 「それが、一番いいやりかたかもね」セーラもゆうべからのわだかまりをそのまま言ってみた。 
 「でも、私たち、ずっと一緒にやってきたじゃない。それを今さら」
 「もう、私は必要ないでしょう、リビー」セーラは、テーブルクロスをたたみながら答えた。
 「それで、どうするつもり?」
 「この冬は、島に残ろうと思うわ」セーラは、本土に戻るつもりがないことを口にした。
 「ティシャといっしょに?」
 「たぶんね」
 「そして、竜ゼン香でも探すの?」
 「まあ、そんなとこね」
 「セーラ、髪をとかして」リビーはブラシを差し出した。
 いつもと同じように、セーラはリビーの髪をととのえてやる。「それで、リビー、あなたはどうするつもり」
 「そうね、娘のアンナの家へでもいくわ。そして話し相手をみつけてもらうわ。娘なら、それくらいしてくれるでしょうよ」
 「もちろん、そうしてくれるわよ」セーラが言う。これまでの母娘の不仲が、解消されることはないかもしれないけれど。
 リビーは「人生は私にはイジワルだわ。しみじみそう思う」と言い、髪をまとめ上げないうちに立ち上がった。自室へ戻りながらセーラにたずねる。「私の髪、白鳥みたいに真っ白かしら」
 「ええ、そうね」セーラが答えた。
 「お母さんと同じくらい、白い?」
 「ええ、その通りよ」
 「私は美しい髪してたわ。見事な髪が自慢だったのよ」
 リビーは自室にこもり、セーラは部屋の片づけをつづける。

 窓の外に車が止まり、ティシャが見知らぬ男の人をともなってやってきた。「こんちわ、こんちわ」
 「ティシャ」ドアを開けてサラは、二日続きでやってきたティシャを招き入れた。
 「おはよう、セーラ、こちら、不動産屋のベックウィズさん」ティシャは男性を紹介する。「ヒルダの家を見にきたのよ」
 亡くなったヒルダの家は、さっそく売り出されることになったようだ。
 「はじめまして」不動産屋は、はやくも品定めの目つきで家の中を見回す。
 「私とセーラは50年来の友達で、姉妹同様よ」ティシャは、不動産屋をつれてきたことがセーラのためになると、確信していた。

 「どういうご要件でしょうか、ベックウィズさん」セーラは問いただした。
 「ええ、タウティ夫人からこの家の売却をご希望とうかがいまして」
 「ティシャ」セーラは納得できない。
 「昨日、話したでしょ。いい機会だと思ってね。鉄は熱いうちにうてと言うじゃないの」
 「それこそ、商売のコツですな」不動産屋はティシャをもちあげる。
 「ええ、ありがと」
 ベックウィズは遠慮無く値踏みを始めた。「防寒は不備ですね」
 「私の伯父が半世紀以上まえに建てたんです」
 「そうですか」ベックウィズは部屋から外を見て「ながめは抜群ですな」と言う。「この眺めなら、高値がつく」
 「お値段、いくらくらいになりますの」ティシャがすかさずたずねた。
 「寝室はいくつありますか」不動産屋は部屋数を確認する。
 「三つですが」セーラが答えた。
 「二階を拝見」不動産屋は階段をのぼりかけた。
 「だめよ」セーラは言った。「下りてください」
 セーラは不動産屋にきっぱり告げた。「タウティ夫人の思い違いよ。この家は売りません」
 不動産屋は見込み違いを理解して「どうもおじゃましました」と、帰っていった。「どうも失礼しました。もしまた、ご用の節は、、、、」
 「私も失礼するわ」親切のつもりであてがはずれたティシャも腰をあげた。
 セーラもひきとめない。「私も仕事があるから。冬になったらフィラデルフィアにたずねてきてね、ティシャ」
 「セーラ、私、ただ、、、、私たち一番の親友でしょ」ティシャは先回りして気をきかせたつもりが、ただのおせっかい終わったことを取り繕おうとした。
 「差し出がましいことだわ」セーラはきっぱり言った。ティシャの気のよさはわかっているけれど、たとえ彼女でも、セーラとリビーの姉妹の仲に割って入り込むことはできないのだ。

 「何も、問題ないわよね」ティシャは、リビーとセーラの仲を気にしていた。
 「もちろん、だいじょうぶ」セーラは答えた。
 「さよなら、セーラ」
 車を運転できない今は、ティシャがこの家へ来るのもめっきり少なくなることだろう。

 思いがけない客が去ったあと、セーラは思いを込めて部屋を見渡した。母の写真、家具、暖炉、みな、なじみの自分の一部だ。
 暖炉の上の夫の写真にセーラは語りかける。「私たち、この家を出ないわ」

 「また、ひとりごと言って」と、リビーがとがめながら部屋から出てきた。「今の、ティシャだったの?」
 「そうよ」
 「男の人の声も聞こえたわね」
 「ティシャの連れだったけど、追い返したわ」
 「そう、それはよかったわ」リビーはいつもの窓際のいすに腰掛けた。
 セーラはリビーに仲直りのことばをかけた。「私、少しも迷惑してないわ」
 「あんた、よくしてくれてるわ、いい妹よ」

 がちゃがちゃと、いつものけたたましさで、ジョシュアが入ってきた。「どうも、おじゃましますよ。おはようございます」
 「ま、ジョシュア、何のご用?」リビーが声をかける。 
 「レンチをなくしちまってね」
 「あら、きのう修理していた場所にあるんじゃないの?」セーラがいうと、ジョシュアはさっそく探しに出ていった。

 「少し、朝ご飯を食べなきゃ」セーラはリビーに言ってみる。
 「ええ、いただくわ」
 「じゃ、運んでくるわね」

 「見つかりましたよ」ジョシュアの声が響いた。
 「あんなにやかましい人はどこにもいないわね」やれやれという調子でリビーが言う。
  「おじゃましましたね、どうもすいません」ジョシュアはレンチを持って帰りかけた。

 「ブラケットさん」リビーが呼び止めた。リビーが正式な名を呼ぶのは、あらたまって話をするときだ。
 「なんでしょうか、ストロング夫人」
 「見晴らし窓を作るには、何日くらいかかるの」リビーがたずねた。
 思いがけない質問に、セーラとジョシュアは顔を見合わせる。
 「そうさね、2週間もあれば」
 「今なら、材木も高くない時期なんでしょ」リビーの質問は、セーラにはうれしいものだった。
「労働者祭までには仕上がるの?」リビーは質問をつづける。
 「あ、でも、昨日は、、、」ジョシュアは昨日きっぱりと断られたので、リビーの気が変わった理由がわからない。
 「私たち姉妹で決めたことなのよ。あんたに作ってもらいたいってね。できるだけ早く見晴らし窓、仕上げてね」
 ひとことも見晴らし窓の話などしていないけれど、セーラにはうれしいリビーの心変わりだ。
 「それじゃ、さっそく材木を注文しますよ。みなさん、ほんと気をもませる方達だ」ジョシュアは請け合って去っていった。

 「気持ちのいい朝みたいね」リビーが窓の外に顔を向ける。
 「そりゃあ、美しい朝よ」とセーラ。
 「岬まで行きましょうよ」リビーが朝の散歩を提案する。いつものように、セーラにむかって、手を差し出す。セーラの手がリビーの手をしっかりと握りしめる。

 いつもの麦わら帽子をかぶり、いつもより少し冷え込んだ朝の空気の中を、姉妹はゆっくりと歩いていく。

 ふたりの古びた家。古い時計も、年代物のお皿やカップも、白と赤のバラをさしてあるガラスの花瓶も、みないつもとおなじように、朝の光をあびている。
 暖炉の上の写真たちにも、おなじように朝の光があたり、同じように時がながれていく。若い頃のリビーとセーラの写真。あのころと同じように、ふたりは海辺への道を歩いていく。

 岬のうえで、リビーは海に顔をむける。海は朝の光を反射している。
 「どう、鯨、見える?」
 「もう、いっちゃったみたいね」セーラはリビーの手をにぎったまま答える。
 「いっちゃったかどうか、わかるもんですか。そんなこと、わからないわよ」
 
 そう、鯨は明日来るかも知れないのだ。ふたりが見つめる大海原を、鯨は確かに泳いでいるのだから。
 夏の終わりに、鯨はきっと来る。

 冬が来る前に、新しい見晴らし窓から海をながめる暮らしが、姉妹の時間のなかにやってくるだろう。 
 そして、来年の夏は、またきっとめぐってくる。

<八月の鯨 おわり>

ぽかぽか春庭「八月の鯨ノベライズ(2)」

2012-02-25 | インポート
2012/02/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>『八月の鯨』ノベライズ(2)モーニングティ

 家のポーチに戻ったセーラは、散歩のあとの上気した気分が続いているうちにと、リビーに話をしてみる。
 セーラがポーチから古びた窓をみながら言った。「ねぇ、いいと思わない?」
 「何がいいって?」リビーは手探りでポーチの鉢植えにじょうろの水を注ぎはじめた。
 「ここに大きな見晴らし窓をつけたいよの」セーラはポーチに面した窓の改装をしたいと思っていた。「前から欲しかったの」
 「お金がかかりすぎるわ、セーラ」リビーはいつも悲観的、何事にも否定的だ。
 「ジョシュアは作ってみたいって言ってるわよ」いつも家の修理を気軽に引き受けてくれる島の大工に、セーラは見晴らし窓のことを話しておいたのだ。
 セーラのことばに、リビーはそっけなく返す。「そりゃ、あの人は、作れば代金をもらえるもの。それにセーラ、私たち、新しいものを作るには年を取りすぎたわ」
 リビーのことばに逆らわないできたセーラだが、見晴らし窓のことでは、リビーの言うままにあきらめたくない。セーラは揺り椅子に座っているリビーの横顔を黙って見つめ、居間に入っていった。

 ティシャが裏庭で元気な声を響かせている。「こんちは、こんちは!」
 「あら、ティシャ」
 「ここまで歩いてくると、暑い、暑い」
 「まあ、車じゃなかったの?」
 「ブルーベリー摘みながら来たのよ」
 「あら、いいこと」
 ティシャは、裏口からなじみの家に入ってきた。
 「ちょっと待ってね」セーラは、ブルーベリーのバケツを台所へ運んだ。
 「浜を歩きながらブルーベリー摘んでたの、そしたら、途中でマラノフさんに会ったわ」
 「ええ、釣った魚をここに分けてくれるんですって」セーラはブルーベリーを鉢に入れてきた。

 「頑固な年寄りはどこよ」ティシャはリビーの偏屈ぶりを心得ている。
 「リビーはポーチに出てるわ」
 「それじゃ、ここで気兼ねなく話せるわ。セーラ、あなたやつれたんじゃない、心配事あるの?分るわよ。リビーはイジワルだもの」
 「別に」
 「別にですって、それじゃ、下痢でもしてるっていうの?やっぱりリビーのせいだわよ」
 ブルーベリーの鉢がおかれたテーブルを前に、ティシャのリビー批判は容赦ない。「わかってるわよ、50年来のつきあいだもの。話してみて、セーラ」
 「リビーは、最近、死ぬことを口にするのよ」セーラは、心配事をティシャに打ち明けた。
 「死ぬ、ですって。馬みたいに丈夫な人なのに」ティシャはポーチにいるリビーのほうへ顔を向けた。
 「心の問題だと思うの」
 心配顔のセーラに、ティシャは椅子を寄せて「気が弱ったってこと?」とたずねる。
 「私の思い過ごしかも知れないけど」
 「そんなことないわ、セーラ、あなた、看護婦してたじゃないの。リビーが年取ったってことよ」
 「そんな、年だなんて」
 「リビーはいつだって気むずかし屋だった。女盛りのころもそうだったわ。アンナには話したの?娘のアンナがリビーを引き取るべきなのよ」
 「アンナは引き取ったりしないわ」
 「なぜ?彼女、お金あるのに。母親の世話するの当然でしょ」ティシャは、おとなしいセーラが目の見えないリビーの世話にあけくれる日々をすごすことを気の毒に思っていた。
 でも、セーラには、ティシャの意見は見当違いに思える。リビーの世話をするのがいやなんてことはないもの。
 「セーラ、トルーマンのことば、知ってる?」
 「知らないけど」
 「お金は結局お金持ちのところに集まるものだって」
 「そんなこと言わなかったでしょ」
 「もちろん冗談よ。笑ってよ、セーラ」ティシャは自分の冗談で笑っているけれど、セーラの気分は晴れなかった。

 「セーラ、あなたこのままでやっていけるの」
 「やっていけるってどういう意味?」
 「この家を維持していくお金、あるの」
 「考えてみたことなかった」
 「考えてもいいころだわ」
 「リビーがこの家からいなくなれば、セーラ一人じゃ寂しくなるわ。ねぇ、私といっしょに住んだらどう?」
 「そんな、あなたに面倒をかけられない」
 「人生の半分は面倒なことで、あとの半分はそれを乗り切ること」ティシャは、仲良しのセーラといっしょに晩年を過ごしたいと願っているのだ。

 ガンガンと大きな物音が家中に響いた。「ジョシュア!」リビーがかんしゃくを起こす。「ジョシュア、何してんの!」
 「水道管の修理でさあ」ジョシュアが床下からどなった。

 ポーチに出てきたセーラに、リビーは「静かにするようにジョシュアに言ってよ」と命じる。
 「50年も言い続けたわ」セーラはあきらめ顔。
 「おはようリビー」ティシャが声をかける。
 「おはようティシャ」ふたりの挨拶はそっけない。

 「ジョシュア、静かにしてちょうだい」セーラは床下のジョシュアに頼む。「水漏れは浴室のパイプなのに」
 「徹底的に直しておかないと、あとがよけい大変になるんでさあ」ジョシュアは50年も出入りしているこの家のことを知り抜いている。
 「お茶にこない?」セーラがジョシュアを誘った。
 「そりゃ、どうも。いやはや大変な場所でね」ジョシュアは床下から言う。「床下に入るのに半日かかり、出るのに半日かかる」
 「6月から修理を待っていたんだもの、10分くらい待つのは平気」
 「床下はこの前来たときと、同じ。狭くてね」ジョシュアが床下から出てきた。

 「お早うジョシュア」ティシャが挨拶をする。
 「お早うございます。タウティさん」ジョシュアがポーチにあがってきた。
 「調子はどうです、ストロングさん」ジョシュアはリビーへも挨拶する。
 「もっと静かにできないの?」というのがリビーの返事。
 「ええ、気をつけますよ。わたしにできるかぎりはね」
 「リビー、いっしょにお茶をどう?」ティシャの誘いにも、リビーは「いいえ、ジョシュアの仕事が済むまで待つわ」と、揺り椅子から動かない。

 「救いがたい人ねジョシュアって」と、ティシャはあきれ顔をしてみせた。ジョシュアは騒々しく動き回ることにかけては、島一番の男だ。
 「いやあ、お元気でしたかな」と、ジョシュアは気にしない。
 「もう少し静かにしてよ」ティシャの頼みも、リビーのようすを気遣ってのこととわかっているジョシュアは「リビーさんは神経質だからね」と、長年のつきあいで心得ているから、という調子をみせる。
 「そうよ、リビーは偏屈だわ。セーラ、お手伝いしましょうか」ティシャは台所へ向かった。ティシャがジョシュアに言う。「仕事忙しかった?」
 「ええ、大忙しで、休むヒマもありゃしない」
 「近頃、この島にも新しい人達が増えたわ」
 「ちょっと増えすぎですなあ」

 台所ではセーラがお茶の準備をしていた。イレブンシス(11時のお茶)にはちょっと早いけれど、
 「このクッキー、しけてるじゃない」ティシャは遠慮なしにお茶菓子の品評をする。
 「車も増えちゃって、困ったもんだ」ジョシュアがお茶の手伝いをしながら言う。ジョシュアは、お茶道具をトレイに乗せて運び、新しい避暑客を批判する。「車を2台も持ち込む避暑客もいるありさまで。1キロ歩けば海に出るってのに」
「ほんとにね」ティシャも近頃の避暑客は気に入らない。

 居間でモーニングティータイムが始まった。最高級の茶道具はとっておきのときにしか出さないと知ってるけれど、この家で2番目のティーセットが使われていることで、ティシャは満足している。ティシャは、自分がセーラにとってもリビーにとっても、50年来の友達としてこの家になくてはならない人物だということを、お茶の味にかみしめていた。
 「あなた、またマートルと会ってるんですってね」ティシャはジョシュアに問いただす。狭い島の中での行動は、すべてお互いお見通しだ。
 「たまにはね」
 「あら、すてきじゃない」
 「マートルはレディだから、はしたない格好じゃ歩かない、ピチピチのバミューダパンツなんかんか履いてるやつらとはちがうよ。」
 「ふふっ」ティシャは、島の人のうわさ話は聞き逃さない。

 「先週、仕事先の家に道具を忘れてね」ジョシュアは島中の家に出入りしている。
 「取りに戻ったの?」と、ティシャはたずねた。
 「いや、道具はたくさんあるんで、もう戻る気にならなくて。ああいう家の奥方は願い下げですよ。お茶、もう一杯よろしいかな。ああいう家がこの島をだめにしていくんだ」
 「何があったの?」セーラがジョシュアにたずねる。
 「その奥方、わしのこと、のろまだと言ったんだ」
 「まあ、ひどい言い方」ティシャが相づちをうった。昔に比べて動作の機敏さが減ってきたジョシュアだけれど、新参者がジョシュアを批判するなんておこがましい、とティシャもセーラも憤慨した。
 ジョシュアも、昔なじみの気軽さで「だから、そんならほかの人を雇えって、言ってやった。二度と行かないよ」とぼやいてみせる。
 「当然よ」セーラもうなずいた。
 「思い知るわよ」ティシャも同意。
 「だけどさ、何のあてもなくて。もう引退どきかな」がらにもなくジョシュアは弱気なことを言ってみる。
 「あら、引退なんてしないで。あんたがいないと困るわ」ティシャのことばに「ええ、お宅じゃ、気持ちよくやらせて貰ってますがね」
 「あんたは、親切な人よ、ジョシュア」
 「ええ、でも理解してくれない人も多いんです。これからこの島も住みにくくなる。さて、こころのこもったおいしいお茶をごちそうさました」
 「ジョシュア、お世辞がうまいわね」お茶をほめられて、セーラもうれしい。
 「さてと、あの、大きな見晴らし窓作る話、どうなりました」
 「気が進まないのよ、こんな年寄りに新しいものはいらないわ」セーラは、リビーが反対してるから、とは言えなかった。
 「新しいものを作るのは、悪いことじゃない」ジョシュアの意見に、ティシャも「その通り」とうなずく。
 「それじゃ、奥様がた、失礼」ジョシュアは仕事に戻っていった。
 「かれの言うとおりよセーラ」ティシャはセーラに言った。

 「鯨は、またやってくるわよね。もう一度見たいわ」セーラが窓から海を見つめる。カーテンが海からの風に静かに揺れていた。鯨は今年来ないかも知れない。でも、50年前のように、来るかも知れないのだ。
 「それじゃ、見にいきましょうよ」ティシャが誘った。

 「岬まで行ってくるわ」セーラがポーチの揺り椅子にいるリビーに声をかけた。
 「鯨を見にいくんでしょ」と、リビーはふたりへことばを返す。ティシャが、セーラとふたりだけですごしたがることは知っている。ティシャがリビーを煙たがるのは子どもの頃からだから、今さらどうということもない。

 ティシャとセーラは岬からじっと海をみつめた。
 「向こうを見て、セーラ、イルカじゃない?」ティシャは双眼鏡を覗いている。
 「ええ、この夏、初めて見たわ。戦争前は何頭いたか、覚えている?」セーラはティシャに問いかけた。
 「どの戦争ですって」
 「この間のドイツとの戦争よ」
 「ああ、あれね、潜水艦がイルカを追い払っちゃったわ」
 「また、あなたの潜水艦の話、、、」
 「でも、確かに見たんだもの、特に42年にはね」戦争中、潜水艦が入江に入り込んだのを見た話は、ティシャのお得意の思い出話だ。ただし、ティシャ以外には誰もみていないのだ。
 「たぶん、幻を見たのよ」
 「あれは、ぜったいにロシアの潜水艦だったわ、なんでここに来たのかはわかんないけど」

 「わたしたちが、最初に鯨を見つけたときのこと、覚えてる?」
 「リビーったら、双眼鏡を放さないで独り占めしていたわね」
 「あなたこそ放さなかったわ」
 ティシャとセーラの散歩は、若い頃の浜のなつかしさに満ちている。
 「まだ、この浜で竜ゼン香が見つかるかしら」
 「竜ゼン香ね、覚えてるわよ」
 「竜ゼン香探すのを何十年も忘れてたわ」
 「見つけてたら、ひと財産作れたのに」
 「そうね、1オンスが10ドルだった」
 「新しい香水の女王ね」
 「私たち、名コンビね」
 あんなに性格のちがうリビーじゃなくて、セーラにとっては、私のほうこそ姉妹以上の仲なのに、と、ティシャは思う。ほんとは、セーラは、リビーとじゃなくて私といっしょに暮らした方が幸せになれるのよ。

 ポーチでは、リビーがひとり風に顔を向けていた。ティシャとセーラの明るい笑い声がポーチにも響いてきた。
 「ふたりですっかりはしゃいでるのね」おいてきぼりのリビーはちょっとおもしろくない。
 「楽しく笑うのが一番よ」ティシャはリビーのことばにもおかまいなしだ。

 居間に戻ったリビーに、ティシャはブルーベリーをすすめた。「リビー、あなたはひごとに若返っていくわ。ブルーベリーいかが」
 「ありがとう」リビーはすなおにベリーをつまんだ。
 「歩き回ったけど、その割りに摘めなかった。昔はもっととれたのに」と、ティシャは昔に比べて収穫が減ってきたブルーベリーの木々についてぼやいた。
 リビーは「尼僧たちのせいよ」と断定した。
 「尼僧ですって」ティシャは聞きとがめる。
 「まるでペンギンみたいに荒らし回るのよ、彼女たち」リビーは尼僧にも厳しい。

 「ねえ、悲しいお知らせがあるの」ティシャはあらたまって、言い出した。
 「なによ、ティシャ」リビーがたずねる。
 「ゆうべ、ヒルダが亡くなったの。だから、マラノフさん、住む場所がなくなっちゃったってわけ」ティシャは島の動静を知らせる。
 「次ぎに幸運の女性になるのは、誰かしらね?」リビーは、マラノフが次ぎにまた、どこかの家に入り込むだろうと考えている。
 「さあね、ご本人にもまだ次のあてはないらしいけど」
 「ヒルダはまだ若かったのに」セーラはヒルダを悼んだ。
 「ヒルダは83歳だった。もう寿命よ」リビーは冷静だ。
 「ブリッジの好敵手を失って残念だわ」ティシャには遊び仲間をうしなったことが痛手だ。
 ティシャの島民情報はつづく。「そうそう、あの人ついに補聴器をつけたの」
 「あの人って?」
 「アリスよ。急にブリッジが強くなったと思ったら、耳が聞こえるおかげだったってわけ」

 ティシャのうわさ話の種になっているとも知らないマラノフは、つり上げた魚をビクに入れ、まあまあな釣果に満足した。マラノフは、セーラの家へ向かって歩き始めた。釣った魚をおすそわけすると約束したことを果たさなければならない。

 ティシャのうわさ話は続いていた。「チャーリー、知ってるでしょ。若いウェートレスと結婚したのよ、あの人」
 「まさか」
 「ほんとよ」
 「恥知らずなことね。でも無理ないかも。亡くなった奥さん、品評会に出したら、ビリ確実な人だったもの」リビーの毒舌も相変わらず続いている。
 「リビー、あんたの冗談はきついわね。でも、チャーリー、奥さんの墓参りはちゃんとやってるみたいね」

 台所へお茶のおかわりを取りにいくティシャにセーラが気遣う。「ティシャ、あなたこそ関節炎の調子はどうなの」
 「相変わらずよ。出たりひっこんだり。私の若い主治医先生が言うのよ。長生きしたタタリだって」ティシャはお茶を入れ直しながら答える。
 リビーの辛辣発言がつづいた。「あんたのその先生は口の利き方が最低ね」
 「でも、すごくかわいい若い先生だから、何言われても許しちゃう」

 ティシャは窓の外にマラノフを見つけた。「あらま、マラノフ氏だわ」
 「ティシャ、中へお招きして」
 セーラのことばに、ティシャはドアをあけた。
 「まあ、マラノフさん、どうぞお入りになって」ヒルダが死んだうわさ話をしていたことなどおくびにも出さないで、ティシャは愛想良く挨拶する。
 「タウティさん、驚きましたな、朝、浜でお会いしたときよりも美しい」マラノフのお世辞もますます調子がいい。
 「まあ、私の遺言がますます楽しみになるわね。さ、こちらへ」
 「こんな魚さしあげても、生臭くてご迷惑かと思いますが」マラノフは約束の魚を差し出した。
 「喜んでいただきます。ティシャ、冷蔵庫へいれておいて」
 「ええ、セーラ」ティシャはマラノフから魚を受け取って、台所へ行った。

 「お茶をいかがですか」
 「どうもありがとう、いただきます」
 「リビー、マラノフさんよ」居間にいるリビーにセーラが紹介すると、マラノフは丁寧に挨拶をした。「また、お目にかかれて、光栄です。ストロング夫人」
 「礼儀を知る最後の紳士だわ」セーラはマラノフのものごしが気に入っている。
 「みなさんと楽しいひとときをすごせること、うれしく存じます」マラノフは、椅子をすすめられて、腰をおろした。
 ティシャが新しいお茶を持ってきた。「さ、お茶よ。お砂糖とクリームは?」
 「いいや、けっこうです」
 「よくいらっしゃいました」セーラのことばにマラノフは「ありがとう、実に楽しい日です。魚もよく釣れたし、このような楽しい集まりに加えていただいて、、、」

 そこへ、一仕事おえたジョシュアがけたたましく入ってきた。
 さっそく丁寧な挨拶を、と立ち上がったマラノフに、ジョシュアは「挨拶は抜きで願います、マラノフさん。みなさんとごいっしょしたいところですが、キニー夫人の所へ行くのでね。ルーズベルト夫人と同じ修理好きな方でさ。ところで、見晴らし窓のことは考えてもらえましたか」
 セーラが答える前にリビーは先回りして答えた。「いろいろかんがえたけれど、窓はいらないわ」
 ジョシュアは残念そうに「今なら材木も安いのに」と、出ていった。

 「窓を作らないなんて、残念だわ。ここから月が眺められるのに」ティシャの言葉にマラノフも同調する。
 「月をながめて夕食なんて、すばらしいですな」
 「そうね、残念ね。今夜はたしか、満月よ」と、ティシャ。
 「わたしの所からじゃ、月も見えません」
 マラノフのことばに、セーラが申し出た。「マラノフさん、お魚を下ろしてくださるなら、夕食と月の光をさしあげますわ」
 「身に余るおことばです。喜んで魚を下ろしますよ」マラノフは大喜びだ。
 「私は魚、食べませんよ」リビーは不機嫌だ。「骨があるからね。昔から骨のある魚は苦手だから」
 「そうですね、そのとおり、骨はやっかいなものです」マラノフはリビーの気むずかしさにまだ馴れていない。

 「お茶、もう一杯いかが、マラノフさん」
 「ありがとう、いただきます」
 セーラはお茶をつぎながら「このたびはご愁傷様でした」と、マラノフにお悔やみを言う。
 「悲しい話はやめましょう」マラノフは、ヒルダの死にふれてほしくないようで、話題を変えようとした。
 「タウティさん、今も車の運転をしてるんですか?モデルAに乗っているんでしたね」
 「そうね、あの車どうしたの?」セーラがたずねると、ティシャはつらそうに「ガレージにおいてあるわ」と答えた。ティシャも話題を変えたそうだ。
 それをゆるさず、リビーが「何があったの?」と、追求する。
 「よその人には絶対に話さないでね。実はね」ティシャが話し出した。「長年運転してきて、ずっと無事故だったの。なのに、買物してるとき、バックでぶつけちゃったの。軽くぶつけただけだったのに」
 「免許取り上げられたのね」リビーが察する。
 「一時停止ってだけよ」
 「それじゃ、まだ望みはありますね」マラノフが言った。
 「ええ、そうね。半年たったら、もう一度試験を受けなおせって言われたわ。六ヶ月先よ。ずいぶん先じゃないの」ティシャは悔しさがこみあげてきて、涙ぐんだ。家からここまで歩いてきたのも、ブルーベリーを摘むということを口実にはしたけれど、実のところ免許を取り上げられるような年齢になったことを突きつけられてのことだったのだ。
 「まあ、そのくらいの期間は、気分転換と思えば、、、」マラノフのことばもなぐさめにはならない。
 マラノフは、口先のうまさを発揮してティシャを元気づけようとする。「あなたの姿をみれば、車はみな止まりますよ。あなたが親指をあげて立っていれば、魅力的で神秘的で、運転者はみな挑発されます」
 「ま、マラノフさん、冗談がおじょうずね」ようやくティシャの機嫌もなおった。

 「正午の汽笛がきこえるわ、もう帰らないと」ティシャが腰をあげた。
 「お宅へは通り道ですから、ごいっしょしましょう」マラノフも立ち上がる。
 「ええ、私の最後のナイトだわ。すてきね」ティシャはまんざらでもなさそうだ。
 「失礼しますストロング夫人」マラノフは最後まで紳士的に挨拶をする。
 「ええ、良い一日をね」リビーはそっけない。
 「5時においでくださいね、マラノフさん」セーラが招待を確認すると「ええ、伺います。ありがとう」マラノフはティシャと居間から出ていった。

 ポーチの風を冷たく感じたティシャが寒がると、マラノフは「昔なら、マントを着せかけるところですが」と、いいながら、自分のジャケットをティシャに着せた。
 「ウォルター卿みたいだわね」ティシャは遠慮しながらもジャケットを羽織り、マラノフにエスコートされて帰っていった。エリザベス一世にマントを差し出したウォルター卿になぞらえられたマラノフは、せいいっぱいの紳士ぶりを発揮して、アジサイの小径を下っていった。

 午後の庭を歩きながら、「もうしばらく公園へ行ってないわ」リビーが言い出した。
 「ここだって、公園みたいよ」セーラのことばに「でも、白鳥がいないわ。マシューと私、よく公園のベンチにすわったわ」と、リビーは昔をなつかしむ。
 「フィリップはだめだったわ。長く椅子にすわってられない人だった」セーラも夫との短かった結婚生活を思い出す。
 「せっかちなひとだったわ」

 昼下がりの光の中を、ふたりは海辺へ出ていく。
 「白鳥はつがいが生涯添い遂げるの」リビーがセーラに教えた。
 「ほんと?」
 「あんたも、フィリップと生涯いっしょだと思ってるんでしょ」
 「もちろんよ」セーラは思い出のなかのフィリップと添い遂げているのだ。
 「でも、一人で残っちゃって、人生ままならないものね」
 「明日はフィリップと私の結婚記念日よ」
 「マシューと私の結婚記念日はバレンタインデーよ」
 浜辺に腰掛けたふたりの思いは再び、昔へと戻っていく。
 「あなたとマシューの式で、私、介添え役つとめたわ」
 「あんた、私のドレスのすそを踏んづけたわね」

 「セーラ、あんたと私たち夫婦とで、西部を旅行したことあったわね。前の大戦が終わったとき」
 「ええ、フィリップが戦死して1年後よ」
 「そうね、私とマシュー、あんたを元気づけたかった。でも、あんたは自分のカラに閉じこもって、ひとりで寂しそうにしていた」
 「あなたが、マシューと仲たがいするから、心配してたのよ」
 「それはおもいすごしだったわね、セーラ。夫婦で年中ベタベタする必要なんかないのよ」

 家に戻ったリビーを気遣ってセーラが昼寝をすすめた。「マラノフさんが夕方みえるまで、休んでいた方がいいわ」
 「あの人、私のお客じゃないわ」リビーは、セーラがマラノフを招待したことが気に入らないのだ。
 「ふたりのお客よ」
 「私は招待していないし、魚も食べないわ」
 「あなたのはボークチョップにするから」
 リビーは部屋に入ってしまった。

 セーラはディナーに着るドレスを選びはじめた。夕食のためにドレスアップするなんて、久しぶりのことだ。
 セーラは小箱から手紙の束を取り出して、物思いにふける。
 リビーもベッドに横たわったまま、昼寝をする気分にはならなかった。リビーもまた小箱を出して、夫との思い出をたどる。目が見えないリビーには、もう夫の手紙を読むこともできない。リビーは夫が記念に同封してくれた鳥の羽をほおにあて、情熱を共有した、夫婦の若い頃の思い出にひたるのだった。

 夕方、セーラはディナーの準備に忙しかった。一番上等の食器セットを用意し、新しいテーブルクロスの上に並べる。
 「リビー、あと1時間でお客様がみえるのに、まだ着替えてないの。花模様のシフォンはどうかしら」セーラはテーブルセットに余念がない。
 「着替える必要なんかないわ。甘い顔見せると、あの人、一生ここに居着くわよ。せかせかして、いつも忙しそうね、セーラ。ティシャを見習ったらどう」
 「どういう意味?」
 「ティシャは、運転免許をあきらめたのよ」
 「まさか、そんなこと」
 「もう運転しなくてすむようにね」
 「そんな馬鹿な」
 「あんたも、目が悪くなってみれば、こういう気持ちがわかるわ。全部あきらめるって気分が」
 「いい加減なこと言って、リビーったら」
 「私は今、耳が敏感ですからね」
 「もう、いいわ、それより、着替えをしてちょうだい」
 「あんな人のために、着替えなんかするもんですか」
 「どうしてよ」
 「他人だわ」
 「でも、お客よ」
 「この家にあんな男必要ないわ」リビーは不満を隠さない。
 さすがのセーラもついに口にした。「ここは私が相続した家よ。だれを招待しようと、私の好きでしょ」
 セーラの思いがけない反撃に、リビーも言ってしまう。「あんたが未亡人になったあと、15年間も世話した恩を忘れないでよ」
 セーラも負けずにことばをかえした。「そう言うなら、おあいこよ。私があなたを世話してから15年。15年と15年だもの」セーラは台所へ向かう。

 「もどりなさいよ、セーラ、戻って」リビーの命令に、はじめてセーラは従わなかった。
 台所のオーブンでは、マフィンが黒こげになっていた。「まあ、たいへん、あなたとしゃべっていたせいで、マフィンを焦がしたわ」セーラはいつになく腹をたてた。
 リビーも言い過ぎたことを後悔した。「やめましょう、ケンカなんて。マフィンのことはもういいわ」
 「着替えてよ、リビー。私たちは姉妹だけれど、同じじゃない。まるで違っているのよ」
 「セーラ、私たちは同じ頑固者の血筋なのよ。でも、もう残り時間はわずかだわ」

<つづく>

ぽかぽか春庭「八月の鯨ノベライズ」

2012-02-24 | インポート
2012/02/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>『八月の鯨』ノベライズ(1)八月の朝

 2月末、閉鎖されるまで、カフェ日記にはUPしなかったものを掲載していきます。
 以下は、2005年に書いた『八月の鯨』ノベライズです。
~~~~~~~~~~~~~~~
2005/09/03
 この『八月の鯨』ノベライズは、視覚障害者のために企画しました。
 この映画の鑑賞を希望している友人A子さんは、全盲のため、字幕の洋画を楽しむことができません。映画『八月の鯨』ビデオには、吹き替え版がなく、字幕版のみです。
 A子さんから私に、この映画を鑑賞したいので、セリフ字幕部分を朗読してくれないか、とリクエストがありました。
 私は図書館の朗読ボランティアとして、A子さんと長年のおつきあいをしています。図書館で一冊の本を間にし、私は朗読し、A子さんは耳を傾ける、という読書をふたりで行ってきました。
 今回は、直接朗読をするのではなく、ノベライズとして、『八月の鯨』を文章化しました。パソコンの音声対応機種を使えば、他の視覚障害者も利用できると考えたからです。

 映画の著作権関係者の方へお願い
 一般書籍のなかに、「視覚障害者のための朗読テープ作成の場合、著作権を放棄する」と、明記されたものもあります。著作権を守ることは重要だと考えますが、視覚障害者のための、音声テープ作成、パソコン音声対応文章化作品に対して、ご高配たまわれば幸いです。

 「ノベライズ『八月の鯨』The Whales of August」

<出演>
リビー  :ベティ・デイヴィスBette Davis (Libby_Strong)
セーラ  :リリアン・ギッシュLillian Gish (Sarah_Webbr)
マラノフ :ヴィンセント・プライスVincent Price (Mr._Maranov)
ティシャ :アン・サザーン(Tisha)
ジョシュア:ハリー・ケイリー・ジュニアHarry Carey Jr. (Joshua)
<スタッフ>
監督 : Lindsay Anderson リンゼイ・アンダーソン
脚本 : David Barry デイヴィッド・バリー
撮影 : Mike Fash マイク・ファッシュ
音楽 : Alan Price アラン・プライス
編集 : Nicolas Gaster
字幕 : 進藤光太 シンドウコウタ

(以下は、ビデオ『八月の鯨』字幕版からのノベライズです。2005年10月に劇団昴による舞台作品『八月の鯨』を観劇しましたが、基本は新藤光太の字幕翻訳に準拠しています)

 凪の海にさざ波をたてて、小さなボートが入江の中をすべっていく。モノクロの光の中に60年前のなつかしい光景が浮かび上がる。
 アメリカ東海岸。ニューイングランド、メーン州の海は今日も穏やかな光に満ちている。小さな島の入江。静かな避暑地に、別荘が建っている。

 若いティシャが入江の道を、別荘へ向かって走っている。白いワンピースのフリルと髪のリボンを揺らしてティシャは叫ぶ。「来たわよ、リビー」
 別荘のポーチに座っていたリビーが立ち上がった。テイシャは二階の窓へも声を届かせる。「見えたわ、セーラ」
 声を聞きつけて、セーラも二階の窓を開けた。
 「ティシャ、見たのね」「ええ、見えたわ、むこうよ、早く、早く、行ってしまうわ。走ってよ」
 セーラが別荘から飛び出してくる。
 「さあ、早く来て」と叫ぶテイシャと手をつないで、セーラは海辺へ向かって駆け下りていく。海岸に下りる道には、ふたりの母が丹精したアジサイが咲き誇っていた。
 「リビー、早く早く!」ふたりが騒ぎ立てる中、リビーはおっとりと帽子をかぶって出てきた。

 テイシャとセーラは、ボートの青年にむかって叫ぶ。「ランドールさん、鯨が見えた?」青年は「お早う、みなさん」とボートから挨拶をおくった。「鯨は来たの?」娘達の質問に、「今見えたよ、向こうで」と青年は答えた。

 リビーは落ち着いて岬から双眼鏡をのぞいている。波の向こうに、鯨の背が見える。「ねえ、リビー、見せてよ、早くして」三人の少女達は双眼鏡を奪い合うように、かわるがわる鯨を見つめた。
 毎年八月にやってくる鯨を、今年も三人の少女たちは、見ることができた。たぶん、来年も、その次の年も、、、
 セピア色に沈む思い出の海。波は穏やかに揺れ、ときは静かに流れる。

 60年後。
 島の海辺に、夏の終わりの波がうちよせている。別荘はすっかり古びているが、60年間変わらない夏の光が、庭やポーチにふり注いでいた。
 年老いたセーラが洗濯物を干している。セーラの髪はすっかり白くなり、背は丸くなった。しかし、家事をこなす手つき、海をみつめる瞳は昔のままだ。海風に洗濯物がゆれている。

 ロープに洗濯ばさみを挟むと、セーラは浜辺に目をやった。波打ち際にボートが近づいて来る。ボートから一人の老人が降り立った。老人は、ボートの持ち主ランドール老人に礼を言っている。「ありがとう、ランドールさん」
 「お気をつけて」と声をかけ、ランドールはボートをこいで去っていった。かってリビーやセーラに鯨の訪れを告げてくれたランドールも、60年分年老いている。

 古い家具が並べられている別荘の中。少女のころから、毎年夏になるとこの島にやってきて、この別荘で過ごしてきた。サマーハウスはリビーとセーラが年老いたのといっしょに、すっかり古くなってきたけれど、夏の暮らしは同じように続いている。物干しから戻ったセーラは、居間から「朝ご飯、できてるわ」とリビーに呼びかけた。返事はない。
 海風が白いカーテンをゆらしている。
 セーラは庭に出て、バラの花を摘み始めた。赤いバラ、白いバラ。リビーとセーラ姉妹の母が丹精をこめたバラの庭。バラの花のひとつひとつ、亡き母や、若い頃の自分や、若くして亡くなった夫の思い出が香りをたてているように思え、セーラは蕾のひとつひとつにもやさしいまなざしを投げかけた。
 
 リビーは自室から出て、「セーラ」と、呼んでみる。庭にいるセーラには聞こえない。ナイトウェアのリビーは手探りでお茶のポットをさがしあて、カップにそそぐ。年老いたリビーは目が見えなくなっている。視力を失って15年間、リビーは妹セーラの献身によって支えられてきたのだ。リビーは窓際のお気に入りの揺り椅子に座り、お茶を飲んだ。

 ボートから下りてきた老人が庭でバラを切っているセーラに、「おはよう」と挨拶した。「美しい朝ですなあ」
「あら、マラノフさん、ボートでいらっしたの?」
「ええ、ランドールさんのボートでね。美しいバラですね」老人はバラを誉めた。
「ええ、きれいでしょう。いい匂いよ」セーラはマラノフ老人に、つみ取ったバラを見せた。
「ところで、お願いがあるんです」ポーチでマラノフは礼儀正しく頼み事をはじめた。
「ええ、うちの浜で釣りをしたいのね、いいですよ、いつでもどうぞ」セーラは快くマラノフの釣りを許した。
 窓辺のリビーにもマラノフの声が聞こえている。マラノフの頼み事は、リビーには不満だ。なんで他人がうちの浜に。マラノフがなれなれしくセーラと話すのも気に入らない。

「お宅の浜の魚が島じゅうで一番です」
「あら、べつにうちの魚じゃ、ありませんのに」
「釣れた魚はお分けしたいと思うのですが」
「まあ、ご親切に。喜んでいただきますとも」
「時期がいいですからね」と、マラノフ。
「そう、よく釣れるころですね。潮の変わり目だし」
「にしんが来ますよ」マラノフは釣りに自信がありそうだ。「じゃ、釣りに行ってきます」
「幸運を」セーラはポーチでマラノフを見送った。

 セーラは居間に戻り、用意した朝食がそのままになっているのを見つけた。
 「いやだわ」セーラはつぶやく。リビーは何も食べていない。このところ、リビーの気むずかしさが一段と強くなっている。
 セーラは台所で、バラを花瓶に生けた。
 「ノドがかわいたでしょ。おいしい水をあげるわ。気持ちがよくなるわよ」セーラは、いつでも、花や家具に語りかける。両親とすごした家具たちであり、母が丹精した花たち。セーラにとっては、すべてが身内と同じ存在だ。

 居間の家具をふきながら「どうしてホコリがたかるんだろう」と、セーラは語りかける。
 母親の写真にむかって「おはよう、おかあさん」と、朝の挨拶を忘れない。天国のお母さんたら、自分が死んだ時よりももっと年取っている姿の娘を想像できるかしら。ふふ、無理でしょうね。こんなおばあさんになってる娘だなんて。
 暖炉の上におかれている、夫の写真へもしみじみと語りかける。「フィリップ、あなたと結婚してから46年目よ。早いものだわ」

 ワンピースに着替えて部屋から出てきたリビーは、「ひとりごと言ってるの?」とセーラたずねた。
 「ええ、そうよ」セーラは受けながす。
 「だれか返事したの?」と、いじわるを言うリビー。
 「返事はまだよ。お茶が冷めるわ、オートミールもね」セーラは気にせず答えた。
 リビーは揺り椅子に腰をかけると「もう冷めちゃってるわ」と、冷めた声でいう。
 「でも、朝ご飯はちゃんと食べないと」セーラにはリビーの体調が気がかりだ。
 食事を気にかけるセーラを無視して、リビーはたずねた。「これ、ブルーのドレスなの?」リビーには、自分の服の色がわからない。
 「そうね、早く直さないと」セーラは、リビーのお気に入りのドレスのほつれを気にする。食事も、繕い物も、リビーの世話すべてがセーラの役目なのだ。

 「あら、靴をはいていないのね」リビーの足にセーラが目をむけた。
 「見つからなくて」リビーは、必要以上の努力はしない人だ。
 「ベッドの下じゃないの?取ってくるわ。でも、リビー、何か食べないと」
 セーラの心配をよそにリビーは言う。「ブルーはいつも私の好きな色だったわ」
 「すぐに戻るわ」と、セーラはリビーの部屋に靴を探しにいこうとする。
 「答えてくれないの?」リビーは呼び止める。
 「なあに?」
 「ブルーのドレスかどうかよ」
 「ええ、ブルーよ」
 「ちゃんと返事するの忘れないで」リビーは高調子に決めつける。
 「ええ、わかったわ」セーラはリビーの気性を心得ている。

 「何してるのよ」セーラの行動をいつも気にするリビー。
 「ホコリをはらっているの」
 「あなたはいつでもセカセカと忙しくしてる。フィラデルフィアの私の家なら、、、」そんなにセカセカしないでも暮らせるのに、とリビーの言い出しそうなことを言わせずに、穏やかにセーラは言った。「あそこは夏、暑いわ」
 リビーの減らず口は止まらない。「暑いのが好きなのよ。暑くて忙しく働く気になれないところがいいんだもの」
 「でもね、ここはメーン州のサマーハウスよ。誰かお掃除しなくちゃならないでしょ」セーラは冷めた朝食を片づけだした。

 浜ではマラノフが釣りを続けている。

 午前中の居間は静かだ。
 リビーは点字の本を読み、セーラはバザーに出すぬいぐるみ作りにせいをだした。「今度は何をしているの?」リビーはセーラがどこで何をしているか、いつも気にする。ぬいぐるみの腹に詰め物をする手を休めずに、セーラは答えた。「バザーに出す動物を作っているの」
 「遅いわね、いつも8月までに終わっているのに」リビーの言い方は、いつもセーラの仕事が遅いという皮肉を込めている。
 「今年は数が多いから」
 「毎年、町のバザーは、あんたにおんぶしているのよ。面倒なことばかり押しつけてきて」リビーの口調が辛辣なのは、若い頃からだが、目がみえなくなってから一段とことばがきつくなった。
 「慈善のためですもの」
 「この世は慈善でいっぱいだわ」
 「その通りね」セーラはリビーの皮肉を気にしない。
 「これはコアラよ。木の上で暮らしていて人が大勢いると下りてこないの」セーラはコアラのぬいぐるみの仕上げに余念がない。
 「まあ、利口な動物ね」相変わらずリビーの言い方には皮肉っぽい棘がある。リビーの皮肉をかわすように、セーラはとっておきのバザー供出品の話をはじめた。
 「わたし、いいもの見つけたの」セーラは引き出しに手を伸ばした。
 「なんなの、セーラ」
 「立体スコープよ。覚えている?スコープにいれて覗いて見る写真も出てきたの。全部、昔の家族写真。あなたに見せたいわ。あなたと私とティシャが入江にいる写真、フィラデルフィア時代のもある。テニス仲間のひとりや、すっかりおめかししたお父さんとお母さん」
 セーラはスコープに写真を入れて、眺めた。ピクニックの写真、水着を着て遊んでいる浜辺の写真。みな若く、幸福そうだ。
 リビーには、もう写真は見たくても見えない。リビーにできるのは、遠い昔を、目の中でさぐることだけなのだ。
 「これはオークションに寄付するわ。昔はとても高価なものだったけど」
 セーラの決意にリビーがまた皮肉を返した。「私たちもセリに出したら、高値がつくかもね」自分の皮肉に自分ひとりで笑いながら、リビーはセーラに頼む。「写真はオークションに出さないでね」目が見えなくとも、思い出の写真は手元におきたいのだ。
 「ええ、もちろんよ」

 「ラジオ聞かない?」セーラはリビーの楽しみを忘れない。「アーサー・ゴドフリーの時間だわ」
 セーラが入れたラジオのスイッチをリビーは、すぐに消してしまった。
 「お気に入りの番組なのに」
 「今は聴きたくないの」
 「具合でも悪いの」セーラは心配になった。
 「大丈夫よ、この時期になると骨が痛むだけ」リビーが揺り椅子から眺める海は、静かに波を寄せている。
 「今朝、誰かが来ると言わなかった?」
 リビーの質問にセーラが答えた。「ええ、ティシャが来るわ」
 「じゃ、靴をはかないと」
 「あらまあ、忘れてた、寝室からすぐ持ってくるわ」
 「サングラスもね」
 セーラはリビーのベッドの下から靴をみつけ出した。リビーのどんな要求も、セーラは黙って静かにこなしてきた。

 ティシャの訪問を前に、セーラはポーチでリビーの身だしなみをととのえてやる。
 「見苦しくないようにね」リビーはセーラに注文した。
 「いつもきちんとしてるわ」
 「あんたには迷惑をかけているわね」髪にブラシをかけてもらいながら、めずらしくリビーがしんみりと言いだした。
 「迷惑だなんておもってないわ」
 「いつか迷惑だと思うようになるわ。だれでもそう、気がかわるから」
 「わたしは大丈夫よ、あなたがいやにならなければ」セーラはリビーの銀髪をやさしくくしけずる。
 リビーの白い髪がポーチに吹き渡る海風にゆれている。
 髪をセーラにまかせながら、リビーは娘のアンナのことを話し出した。「アンナがいるのに、、、」
 セーラは「アンナは、私たちを敬遠しているのよ」と、言う。音沙汰のない姪のことで、リビーにつらい思いをさせたくないから、「母親を敬遠している」ではなく、「私たちを」と言うしかない。
 「アンナは私の娘なのにね」リビーにとっては、アンナとの疎遠は痛い。
 「アンナは娘らしくないし、あなたも母親らしくなかったわ、リビー」セーラには、リビーのつらさがわかっている。
 「仕方ないわね、あ、痛い」髪にブラシがひっかかった。
 「じっとしてないからよ」セーラはリビーの白い髪をまとめ上げた。

 「子どものころ公園で見た白鳥を覚えている?お母さんの髪は白鳥のようだった。私の髪もお母さんくらい白い?」
 「ええ、そうよ」
 「あなたの髪は今どんな色なの、セーラ」
 「色があせたわ。茶色がすっかり消えてしまった」
 「そう、すべてが消えていくわ。遅かれ早かれ」
 「いつもそんなふうに言うわね」

 「なぜ、年取った女の人は公園のベンチに座りたがると思う?」リビーのいつもの口調が戻った。
 「なぜなの」
 「若い恋人達に席をとっておくためよ。たとえ11月の木枯らしが吹いて、ベンチが消えたがったとしてもね」
 「今はまだ8月よ」
 セーラのあたりまえな答えにリビーは続ける。「時間なんて気にしないわ」
 「そうはいかないわよ」
 「そうね、人間には時間が重くのしかかってくる。マシューが亡くなったのは11月よ。言っとくけど、マシューが死んだ11月に、私も行くことになるでしょうよ」自分の老い先が不安になっているリビーにとって、11月はいやな月なのだ。

 「セーラ、雑用を片づけなさいよ、私、ベンチを確保しておくわ」リビーは8月のおわりの気配に耳をすました。
 夏の光は秋に向かって少しずつ変わっていく。

 浜辺の灌木のなかにブルーベリーが実っている。今年はあまり出来がよくない。セーラとリビーの幼なじみ、ティシャが、久しぶりにふたりの家を訪れようと、おみやげにするブルーベリーをつみ取っている。ティシャも年には勝てず、杖の助けを借りて、一歩一歩慎重に歩いて、浜にでた。

 磯浜ではマラノフが釣りを続けていた。小さな魚をつり上げた。
 「お見事!」と、ティシャが声をかける。
 「タウティさん、これはどうも」マラノフはつり上げた魚を掲げてみせた。
 「今日は一段と美しいですな」如才なく挨拶するマラノフに、ティシャは「私の遺言状をお楽しみに」と辛辣な挨拶をする。遺言状の中に、どの友人にどんな形見を残すかを指定するのは、老人達の楽しみのひとつ。マラノフのお世辞は、形見のグレードを上げた、というティシャの皮肉なのだ。
 「獲物は?」ティシャの質問に「あれやこれや、いっぱいです。ハタもつれましたよ」マラノフは得意そう。「ハタ、ここではなんと呼ぶんでしたか」
 「カナーズですわ、マラノフさん。ブルーベリーいかが」
 「いや、これはありがとう」マラノフはブルーベリーを一口つまむ。「おいしいです」
 「よかった、でもヒルダはお気の毒なことでした、あんなに突然亡くなるなんて」
 「ええ、かわいそうでした。あんな重い病気だったとは気づかなくて」マラノフは顔を曇らせて答えた。
 「これからもヒルダの家に?家は彼女の娘さんが受け継ぐけれど」
 未亡人ヒルダの家に居候しているマラノフが、これからどういう身の振り方をするのか、ティシャは野次馬気分なのだ。
 「そうですね」マラノフは口ごもる。
 「もう夏も終わりね。寂しいわ」夏が終わったあとのマラノフの身の振り方がどうなるのか、ティシャは興味津々だ。
 「私はこの島に来るとくつろげるんです」マラノフはこの島の居心地に満足している。
 「じきに落ち着き先も見つかるわ」ティシャは、行く当てのないマラノフに、適当ななぐさめを言った。「じゃ、大漁をいのるわ」

 ティシャはマラノフに別れを告げて、セーラとリビーの住む家に向かった。幼なじみのふたりであるけれど、ティシャは気むずかしいリビーのほうはちょっと苦手。同じ両親から生まれた姉妹なのに、どうしてああも性格がちがうのだろう。
 ティシャはまたブルーベリーを摘みつみ歩く。急ぐことはない、老人に時間はたっぷりある。

 セーラは庭で水彩スケッチを楽しんでいた。夏の終わりの海、何度描いても楽しいモチーフだ。ゆっくりていねいに色をつけていく、セーラの絵は、セーラの性格そのままだ。
 「セーラ!」リビーがセーラを呼びつける。「セーラ、どこにいるの?」
 「庭よ」
 「何してるの?」
 「絵を仕上げているの」セーラは絵筆をうごかしながら答える。
 「散歩にいきたいわ」リビーの要求は、待ったなしだ。
 「ええ、わかった」セーラは絵筆をしまって、リビーのいるポーチへあがっていった。

 「マラノフ男爵はうちの浜で釣りをしているわ」セーラが今朝のマラノフとの話をリビーに伝えた。
 「あんな魚、持って来なきゃいいけど」リビーは迷惑そうに言った。
 「リビーは魚がきらいね」
 「ドブにいる魚よ」
 「まさか、あそこは潮流も速いし、水はきれいだわ」セーラは入江の魚を悪く言いたくない。
 「私は、あんな魚ぜったいに食べないからね。そりゃ、あんたはあの詐欺師を喜ばすために、何でも食べるでしょうよ」
 未亡人の家に取り入り、住み込んでいるマラノフに、リビーは気を許していない。
 「まあ、詐欺師だなんて」

 日課の散歩。セーラはリビーの腕をとって、海辺の道を歩いていった。古いデザインの麦わら帽子が、二つ並んで夏のおわりの光のなかをあゆんでいく。
 「この週末には鯨が見られると思うわ」セーラは希望をもっている。
 「そんなことあるもんですか」
 「でも、鯨の季節ですもの」
 「鯨はもう来ないわよ」リビーは悲観的だ。
 「ニシンが来たのが、鯨のまえぶれよ」
 「前触れだけで終わるわね」

 海岸へ下る小径にはアジサイの花がゆれている。
 「アジサイの茂み、とてもよく育っているわ」見えないリビーに、セーラは花房を近づけてやった。
 「そうね、きれいみたい」リビーのまぶたには、若い頃の母の姿がうかぶ。
 「私たちが若いころお母さんが植えたんだったわ」リビーは遠く去った日々に心を向けた。
 「そうね、私が看護学校を出た頃だったわ」セーラも若い日を思い出した。
 リビーにとっては、アジサイの花も過ぎ去る年月に結びつく。「あなた、気がついている?私たち、ふたりとも、もうお母さんの死んだ年齢よりも上になったのよ」
 「庭が好きだったわね、お母さん」

 「あんた、子どものころ、鯨が季節を変えるって信じてたわね」リビーの思い出話はつづく。
 「ほんと?」
 「そうよ、お父さんが言ってたわ。鯨はしっぽで風をつかまえて、北極の寒気を連れてくるって」
 「そんなこと信じてた?」
 「そうよ、信じてたわ」

<つづく>

ぽかぽか春庭「ぷうさんbbsへの春庭コメント」

2012-02-22 | インポート
2012/02/22
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(14)ぷうさんbbsへの春庭コメント

 ぷうさんの日記が2007年5月に「ありがとう」のことばを最後に途絶えて以後の、ぷうさん掲示板への春庭書き込みです。

1年 haruniwa  2008-05-29 21:55:36
ぷうさんの日記がとだえてから1年がたちました。
未だにここを訪問している人たちは、ぷうさんが闘病にがんばっていることをおもい、回復を祈ってきましたが、、、、
もうぷうさんのことばを読める日はこないのだろうなあとおもったり、、、
ぷうさん、いつもあなたのことばを心に残していますよ。

お盆 2008-08-14 09:52:27
haruniwa
長野のぷうさんのあたりではお盆は7月でしょうか、8月でしょうか。
私のふるさとでは、月遅れお盆なので、8月15日には両親のお墓参りに田舎に帰るつもりです。
ぷうさん、お盆はお母さんといっしょにおすごしでしょうね。
~~~~~~~~~~

 以上でぷうさんが書いた日記の写文は終わりです。ぷうさんの日記は2007年5月以後の記録はありません。
 一人の女性が、不治の病の中で叫び続けた記録。
 実姉に骨髄移植ドナーとなることを断られ、治療法がなくなった絶望と、収入のない母に遠慮をして、リクライニングベッドを買うにも栄養補給食品を買うにも、貧しさを嘆き続けたぷうさん。それでも老いた母に看病をしてもらうことの感謝をひたすら綴り、日記読者コメントへの感謝を繰り返しました。

 バーチャルな世界での、文字の上だけのおつきあいでしたが、ひとりの女性の最後の叫びを写し、残すことができたことで、OCNカフェというバーチャル空間にことばを交わし合う人たちがいたということの、記録としたいと思います。

 カフェ日記コメントへの返信をしないできた春庭へ、それでもこれまでコメントを寄せて下さった皆様方、ありがとうございました。
 カフェのコメントをコピーする方法がわからず、春庭へのコメントは、コメントを寄せて下さった方々、それぞれが残すかどうかご判断下さい。地道にコピペでコメントを残した方もいるけれど、春庭は、機械的にできる本文の保存だけで、コメントコピーは以前からコピーしてきた「bbsはるまき」のみを保存させていただきます。

 ぷうさん日記写文への最後のコメントは、私にではなく、ぷうさんへのコメントと思うので、以下にコピーしておきます。

コメント
初めましてm(__)m
長女が看護学生だった頃の話し・・・・
現場実習で壁にぶち当たり
夢だった看護師の仕事に不安を抱えてた頃
娘がぷーさんからアドバイスを貰いました
患者さん側から見た看護師の仕事について思ったこと
などを元に
夢をあきらめないで
という内容だったと思います
(↓続きます)
投稿者:mugeitaisyokun 2012-02-19 07:12
cafeももうすぐなくなりますが
ぷーさんとの思い出は
娘も私も心の奥にいつまでも残り続けていくと思います
娘も看護師3年目を過ぎようとしています
大きな大学病院なのでなかなか大変らしいけど頑張っているようです
投稿者:mugeitaisyokun 2012-02-19 07:12

 ぷうさんの日記を読んで下さった方、ありがとうございます。

<おわり>

ぽかぽか春庭「2007年2月~5月ぷうさん日記」

2012-02-21 | インポート
2012/02/21
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(13)2007年2月~5月ぷうさん日記

2007年02月08日
はかない
久し振りにカフェを開けた
暖かい日が続いているのに
何故か、調子が悪い
姉のお舅さんが突然亡くなった
健康で病気もなく、普通だった
元気にご飯も食べていた
お風呂に入った
5分ごとに声をかけていた
その5分の間に、心臓が止まってしまった
心臓麻痺・・・
でも真意は不明です
人間のもろさを感じた
何も感じなく、眠るように
こんなにも人間はもろいのだろうか
わたしも明日、目が開くかはわからない
そんな生活をしてる
恐怖感で眠れない日々もある
病気で心臓も弱いわたしは、毎日
明日は生きてるだろうかと考え生きてる
00:01 コメント(39) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-02-08 11:37
昨日は元気でも今日の運命はわからない、お舅さん、ご愁傷様です。お姉さんが家をあけてぷうさんの手術を助けることに反対したひとりなのかなあと思うと複雑な気分がしますが、ご冥福をお祈りします。

ぷうさんがこうして日記にことばを残してくれること、とてもうれしい。もうすぐあたたかな春がきます。ぷうさんの誕生日がきます。

2007年02月19日
元気?
お久し振りです。
元気ですか
長い間、日記を書けなくて・・・
あまり体力がない、自分でもどうしていいか
病院にも行かないといけないのに
体が動かないのです。
寒さに体温が調整できなくて、低体温状態になってしまう
どんなに暖かくしても、体が冷えきって
でも今日は少し気分がよくて
みなさんともお話したいのですが
お返事できなくてごめんなさい
少しずつ、日記を書いていきます
本当に心配してくださりありがとう
寒い日がまだ続きますが風邪などひかないように
また・・・
18:38 コメント(26) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-02-20 11:13
早くあたたかくなって、ぷうさんの身体も心もぽかぽかになることをお祈りしています。
病院へ行く体力気力がでてきますように

2007年02月27日
こんばんは
このカフェをはじめて、一年になります
そして歳をとりました。
この一年はみなさんの言葉をいただいて
入院退院を繰り返しながら生きてきました
みなさんの励ましで生きてこれました
はじめに癌の告知を受けたのは誕生日でした
それから生きていく辛さを知り感じながらきました。
わたしの一年は早いです
日々、今日も生きてると思いながら
ありがとうございました。
支えてくださり感謝してます
01:55 コメント(34) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-02-27 14:36
ぷうさんの誕生日、ほんとうにうれしいです。おめでとうございます。命のたいせつさをかみしめ、ぷうさんとお母さんに、ぷうさんが生まれた日を感謝しつつ。

(掲示板書き込み)立春 haruniwa  2007-02-04 18:16:31
ぷうさん、立春です。春の足音、聞こえますか。
2月27日は、ぷうさんのお誕生日ですね。
2006年、私がぷうさんの日記を読みはじめたのは、3月からでしたから、2月27日に誕生日おめでとうを言うのは間に合いませんでした。
今年は27日に誕生日のお祝いをまっさきに言いたいと思っているんですよ。

Re:立春 f046oj2c 2007-03-26 03:29:06
春ですね
一年は早いですね
わたしにはもう少しゆっくりと時間が
過ぎてくれればいいけど
また一つ歳をとります
いくつまで数えることができるかわかりませんが
はやく暖かくなるといいですね

2007年03月26日
怖い日々
お元気ですか。お久し振りです。
わたしの病気はもう治療はありません
今は痛みを止めるために薬を飲んでいます
それしかもうできることがないから
わたしの病気を治すことができなかったお医者さん、
痛みをとるために力をくれた
お医者さん、わたしの大切な命のつなぎの人でした。
でももう何もできないわたしには、違う医者にみてもらいなさいと転医をいわれま
した
信頼して、すがるしかない患者
突然今度からこの病院で薬をもらってください
この病院ではあなたはもう診ません
辛い言葉でした
見捨てられてしまいました
患者は無力です。自分でどんなに望んでも
最後までは看取ってはくれない
病院のたらいまわしです
それ以来わたしは病院にいってません
でも薬もなくなります
いやでもいくしかないのです
病気も治せない、後も診てくれない
涙が止まりませんでした。
悔しくて、自分の弱さに、こんなおもいで
生きること・・・辛いです
痛みも激しく、体力も落ちて
日記も書けない
信頼してた先生は診てくれないのでしょうか
医者も人間だものね。自分が可愛いよね
本当に病人を心配している医者はいるのでしょうか
テレビで放映してる医者も、患者の為といいますが本心でしょうか
癌患者も治る見込みのある人しか治療してくれないのでしょうか
久振りの日記でこんな愚痴をごめんなさい
書かないとこころが潰れてしまいそうだから
ごめんね・・・
02:34 コメント(27) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-03-31 19:02
ぷうさんこんにちは。中国に仕事できていて、なかなかカフェものぞけないのですが、ひさしぶりにのぞいたらぷうさんの日記があってうれしかったです。痛みとたたかいながらの日記執筆、たいへんでしょうが、つらいときにつらいとかける場があること必要ですものね。遠い中国からですが、ぷうさんのことをいつも思っていますよ。私のいる街は、まだまだ寒いです。

2007年04月21日
ありがとう
今は入院の繰り返しです
痛みがひどく、食べれません
下痢、嘔吐が止まりません
動くことも、トイレも間に合わない
みなさんとお話したいのに
精神的におかしな状態です
食べ物が受付ないのです
悲しい、寂しい、切ないです
本当に疲れました
病院も変わりました
今までの先生にはもう手をつけられないようです
どんな方法もありません
これからは痛みをおさえるだけです
辛いです・・・
ウインターぜりーのエネルギーだけは受付ます
でも高いからね
日に日に体が弱くなってます
早く前のように少しでいいから、お話をしたいです
いつもありがとう
まだ死にたくないです
生きていたいです
今のわたしは心が弱いです
ごめんなさい
また、愚痴をいいいました
本当に・・・
ありがとう
02:34 コメント(47) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-04-21 19:13
嘔吐がとまって少しでも気分のよい日があるといいね。ゼリーの食事も口からとることは大事ですね。


2007年04月06日
ごめんね
全然、日記かけなくて
調子悪くて入院してました
3ヶ月に一度、なります
退院しましたが、まだ体力がなく
カフェができません
皆さんと話したいけど
病院、変わりました
どうして病気は私を選んだのでしょう
運命なんておかしい
この世で犯罪をする人は皆元気でね
神様が私を選んだ事はやはり恨んでしまいます
死にたくないです・・・
でも確実に近い時間にきます
食べる事もできません
今はウインターゼリーエネルギーだけです
ごめんね
もう少し元気になったらまたお話しましょうね
いつもありがとう
20:54 コメント(21

投稿者:haruniwa(2007-04-09 07:39
ぷうさんの日記が読めてうれしいです。入院たいへんでしたね。長野のさくらはどうでしょうか。花は人にパワーを与えるというので皆花見に出かけるわけですが、出かけなくても、花がぷうさんにエネルギーを届けてくれるよう願っています。

2007年05月31日
ごめんなさい
全然、日記が書けなくて
入院、退院の繰り返しでした
病院ではパソコンが出来なくて
頭痛、吐き気、体中の痛みがひどくて
薬もきかなく、嘔吐がひどくて
何も食べれない日々でした
食べると、胃とお腹が痛みがでてしまい
下痢がひどくて寝ているだけなので、筋肉がなく
足の痛みも、夜中から朝まで激痛で何度も起きる状態です
今もそうです
みなさんへのお返事が出来なくて
ごめんなさい。
今は痛みが和らいでいますので日記を書いています
また少しずつ書きますので、沢山のメールを下さった方々
本当に感謝してます
涙でてしまいます。嬉しくて、私のこと忘れないでいてくださり、
有難うございます
皆さんの優しい心にふれて
少し元気がでます
本当にありがとうございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年6月~2007年1月春庭bbsへのぷうさん投稿」

2012-02-19 | インポート
2012/02/19
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(12)2006年6月~2007年1月春庭bbsへのぷうさん投稿

何か
f046oj2c
今までの薬以外にたとえそれが栄養剤でも
飲むことは怖いです
だから薬以外試したことがないの
2006-06-02 03:04:09 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:何か
haruniwa
もちろん、自分の体に何をとりいれるかは、自分自身で判断することです。

栄養サプリメントのなかに、抗ガン剤とは相性の悪いモノが含まれているので、抗ガン剤使用中なら、医師と相談して摂取すべき栄養剤もあります。

しかし、医師から「あとは、痛み止めのモルヒネ剤の量を増やしていくだけだ」と言われている段階であるならば、よいといわれているものは、すべて試していいのではありませんか。

中に、ひとつでもぷうさんの状態にあっているものがあれば、それで生活の質QOLが改善され、ぷうさんが痛みや不安なくすごせることができるようになります。

代替医療に詳しい医師が身近にいるなら、相談の上、試したほうがいいと思います。

私の父が末期肝臓ガンで入院した病院の医師は、代替医療の勉強もしていたので、理解してくれましたから、サプリメントを摂取していました。

西洋医学には治療の限界があります。モルヒネを使うことを、医師から宣告されているのなら、もう、西洋医学では治療の限界になったということです。

だったら、ためらうことなく、代替医療を試してみてもいいのではないかと思います。
ひとつでも、ふたつでも、ぷうさんの体にいいものがあることを願っています。
2006-06-02 07:55:15 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
すごい
f046oj2c
すごいですね
皆心配して書いてたのですね
傍にいてくれること
嬉しいです
2006-06-03 04:21:57 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:すごい
haruniwa
今は、仕事仕事で身動きできないのですが、夏休みには、長野へいけるのではないかと思います。
ぷうさん、夏になったら、ぷうさんに会いに行きますよ。
2006-06-03 12:34:10 ページのトップへ
~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
手をあわせてくれてると思うと、涙がでてきます。長野にくるのですか、
いまから楽しみです
2006-06-08 05:51:48 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
夏休みに行きたいです
リュックサックを背負って、青春18切符で出かけます。

カフェ友は皆、ぷうさんの痛みやつらさが軽減するように、毎日祈っています。
祈りは伝わるからです

私たちの祈りがぷうさんに伝わったとき、ぷうさんの心の中で病気への自己治癒力が高まるからです。

現代西洋医療は精神と肉体のつながりを切り離し、病気を身体だけの問題と限定することによって医療技術を高めてきました。

しかし、身体と精神が密接につながり、補足し会っていることが、ようやく西洋医学の世界でも、科学的な実験で確かめられるようになってきました。

笑ったあと、体内のTキラー細胞(体の中の悪いものを退治する細胞)が増大し、免疫力が高くなることなどが、実験で確かめられています。

ころんで痛いと泣いている子供に、お母さんが「チチンプイプイ、痛いのとんでけえ」と言ってさすってあげると、痛みがおさまる。
これは、子供の脳内の神経につたわる痛みが、「神経ブロック」に作用して、痛みを感じなくなるからです。

痛みというのは、現実にとてもつらいものですから、クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life,生活の質,略語:QOLを高めるために、経口モルヒネなどを使うことは必要ですが、それとともに、心の問題はとても大きいと思います。

ぷうさんが欝状態になっていること。つらい治療や今後の病状を考えれば、多くの末期癌患者が鬱状態になってしまうことは、よくわかります。

それでも、なお、毎日が「今を生きている喜び
」に満ちたものであってほしいと願わずにいられません。

どうぞ、心のなかに灯がともりますように。これから先の日々を照らす光りが見えますように。

BNを試してみましたか?もし、ぷうさんの体にあっているようなら、夏のおみやげはこれにします。
あわない場合もありますから、そしたら、ぷうさんのお好みのものをさがします。
2006-06-08 07:16:55 ページのトップへ
~~~~~~~~~~
うれしい
f046oj2c
みんなにわたしの言葉が届いてるなんて
いってもらえるなんて嬉しいです

2006-07-05 01:13:42 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:うれしい
haruniwa
ぷうさんの言葉を大切に胸にとめ、ぷうさんの痛みが少なくなるように、毎日願っています。

ぷうさんの日記にコメントを残す人も、読むだけでコメントを残さない人たちも、皆、思いは同じです。
2006-07-05 10:52:57 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
母が
f046oj2c
わたしは母がいないとなにも出来ません
動くことが出来ないから何でもしてもらってます、母がいないと生きていけません
仲良くしなくてはね
ありがとう
2006-07-30 23:57:40 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:母が
haruniwa
おかあさん、ぷうさんを何よりだれより大切にしていることでしょうね。

ぷうさんがおかあさんといっしょにすごす時間、おかあさんにとってもぷうさんにとっても、大事な貴重なひとときです。

いつまでもおかあさんと仲良くすごしてね。痛いときには「痛い!」と言っても、いいよね。おかあさんにとっては、ぷうさんのどんなわがままも、せいいっぱい受け止めたいのだろうと思います。
2006-07-31 01:13:29 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~~
わたしの
f046oj2c
わたしの言葉で皆さんが励まされている
なんて嬉しいです
わたしは皆さんから沢山励まされてる
言葉が通じていればこんな嬉しいことはない、お互いに励まされてるそれで生きる力になるのですありがとう
2006-08-09 15:01:53 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:わたしの
haruniwa
ぷうさんが、痛みに耐えながらも、自分のことばを、伝えてくれることが、私たちにとっては、励ましと感じられるのです。
ありがとう

2006-08-11 12:39:33 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~
みんな
f046oj2c
父も母もわたしもそして春庭さんも、みなさんも一緒にいるのですね
そばにいてくれるのですね
ありがとう
2006-08-14 04:32:23 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:みんな
haruniwa
みんな、心はぷうさんといっしょにいますよ。

34年前に、55歳で亡くなった私の母も、4年前に54歳で亡くなった姉も、いつもいっしょにいてくれると感じながら、すごしています。

亡くなったあと、姉にこうしてやればよかった、ああもしてやりたかった、と後悔ばかりでしたが、その後悔は、決して自分にも亡くなった人にもいいことじゃないと思うようになりました。

「してやりたかったのに、できなかった」と、悔やんで悲しんですごしても、亡くなった人は喜んでくれないと思うのです。

「いっしょにこれをやった」、「あんなことをやって、楽しかったなあ」と、いっしょにできたことの思い出をたいせつにして、いっしょに過ごせた時間を思い出すことこそ、亡くなった人を供養する心になるのだと思うようになったのです。

11年前に76歳で亡くなった父については、「戦争に行って苦労したけれど、戦後は人並みの生活ができて、よい人生がおくれた一生だった」、と思えるけれど、母と姉は、もっとよい医者にかかっていれば、誤診されずにすんだ、という後悔ばかりが強かった。

でも、今は、ふたりのためにも、母と姉の人生のよかったことをさがして思い出すことが、「心はいっしょにいる」ことだと思っています。 

ぷうさんも、お父さんのこと、よい思い出、いっしょにすごしてよかったことを、たくさん思い浮かべてくださいね。
2006-08-14 09:21:48 ページのトップへ
~~~~~~~~
いつも
f046oj2c
いつもわたしの為に祈りをささげていただいてありがとう、1秒でも長く生きたいですありがとう
2006-08-13 17:39:43 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:いつも
haruniwa
いつも、お祈りしていますよ。

お寺にいくのも、命日の法事やお盆のときくらいで、特定の信仰はもっていない私ですが、「祈る」ということは、特定の神様仏様にではなくともできると信じています。

だれかの幸せをねがったり、命長かれと思ったりする、それはすべて祈りだと思います。

ぷうさん、1秒でも長く生きてください。
2006-08-14 09:24:42 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~~~~
父は
f046oj2c
父は自分のことより私を心配してくれました、俺より先に死ぬなといいながら、自分も痛いのに見ていられないほどでした
いまは痛みもなく元気にしてるだろうなあ
ありがとう
2006-08-22 21:44:30 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:父は
haruniwa
お父さん、今もぷうさんを気遣って、ぷうさんの痛みがなくなるよう、お母さんがつかれないよう、見守っていてくださるのでしょうね。

暑い時期、まだ続くみたいね。早く涼しくなるといいですね。
2006-08-22 21:51:30 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
お酒
f046oj2c
話をきいてもらうとこころが楽になるからね。嫌なことも少なくなったと感じるしね
だから聞いているのかな、春庭さんもいつでもどんなときでも聞いてあげるからね
わたしでよければね
ありがとう
2006-09-14 04:02:01 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:お酒
haruniwa
ありがとうね。ぷうさんがいつでも話をきいてくれると思っているだけで、心が軽くなる気がします。

私はこの夏、旅行にもでかけることなく、家ですごすことが多かったですが、心は自由に動けるのですから、重くしずんだ心をもっとのびやかに軽やかにしていかなくてはね。

2006-09-14 09:05:26 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
言葉
f046oj2c
わたしの叫びを聞いてくださるだけで嬉しいです。いつも痛いばかり弱音ばかりで
でもそれでもいいといってくれる。
ありがとう
2006-09-22 03:48:11 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:言葉
haruniwa
ぷうさんが「今、このとき」の思いを伝えてくれれば、それで十分です。
痛いときは痛いと、苦しいときは苦しいと叫ぶことが大切。

ぷうさんの大切な思いを受け止めることができて、私たちはうれしい。
わたしもありがとう
2006-09-22 10:02:04 ページのトップへ
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時期
f046oj2c
夏、冬の季節だけであとの季節は短くなるような感じです。本当ですね、寒いか暑いのどちらかですね、過ごしやすい季節はどこへ・・・からだも楽なのにね
ありがとう
2006-10-01 07:39:52 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:時期
haruniwa
異常気象、温暖化の影響で、地球の季節がだんだんおかしくなり、厳しい冬と暑すぎる夏だけの季節、春と秋は天候不順、となるみたいですね。

ぷうさん、この季節も、天候不順で、体がつらいことでしょう。
痛みのぐあい、どうですか。
秋には気持ちよくすごしたいのにね。おいしいものが味わえるといいのですが。
2006-10-01 12:21:05 ページのトップへ
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f046oj2c
母の手は温かいです、愛情があるからね
私の面倒は大変です、健康なら楽させてあげられるのにね。ありがとう
2006-09-26 02:50:45 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:母
haruniwa
お母さんと言葉をかわせること、何よりのさいわいですね。

ぷうさんが、苦しいつらい体調のなか、こうして私をはじめ、たくさんの人にことばを伝えに来てくれること、痛みをこらえながら、吐き気をがまんしながらの日常であると思うと、ひとことひとことがありがたく感じられます。

どうそ、おかあさんと支え合う日々が平安につづきますように。


2006-09-26 07:38:55 ページのトップへ
コメント
haruniwa
ぷうさんへ、「読むのがつらいコメントがあって」と日記に書いていたこと、気になりました。

たくさんの人がぷうさんの日記にコメントするようになったので、ときにはぷうさんの体調をわかっていない人が書き込むこともあるし、ぷうさんが読んでつらい思いをすると知らずに、気軽に書き込むこともありますよね。

私が「ぷうさんへのコメント」を読んで、気になったことについて、感じたことをメモしておきます。
見当違いな感想かもしれません。

以下の文章を春庭日記に掲載しようと思ったのですが、この方は、そもそも日記の文章をきちんと読むことはなさらない方なので、春庭が書いたことも、読んではもらえないと思い、やめました。

ぷうさん、また、つらいコメントが来たときは、日記で「つらい」と書いてね。
苦しいときは苦しいと、つらいときはつらいと書いてくれることが、私たちにとっては、ぷうさんが一日一日を大切にすごしていることのあかしです。
2006-09-30 14:17:39 ページのトップへ
つらいコメント
haruniwa
 私が毎日、朝に晩に日記を読みに行き、体調が少しでもよくなるように一喜一憂しながら見守っているf*******さんのところにも、「読むのにつらい言葉が書き込まれている」と、あるので、心痛む思いでいます。
 直接にひどい言葉を書き込むのでなくても、弱った体、弱った心の体調でいるとき、あるひとことが心をえぐるときもあるのです。

 コメントの中にあって、これを読んだら、f*******さんはつらい思いをするかもしれない、と危惧する、たとえば、こんなコメント。

 「 f*******さん、おはようございます。とても、疲れているみたいですね。なにか、時間がある時に、海や山に行って、心をリフレッシュしてみるのも良いかもしれないですよ。お祈りしますね。 投稿者:i************ (2006 9/30 5:36 )

 i************さんは、いつもアクセスランキングのトップにいる方で、ファンも多い人ですし、いろんな慈善事業にもかかわっている立派な方だと思います。たくさんのサイトに「お祈りしています」というコメントを残して行かれるので、心癒やされた人もいるでしょう。

 私も、この方が入会なさった昨年夏に何度か日記にコメントをいただきました。しかし、コメントの内容から推察して、この方は、決して日記内容をしっかりとは読まない人だということがわかりました。

 一日に800人もの足跡コメントを受けるには、それ以上に足跡をつけて回る努力をなさっているのでしょうから、ひとりひとりの日記をじっくり読むことができないのは、当然のことだろうと思います。
 読まないまでも、コメントを残していくだけでも、努力家と思います。

 しかし、f*******さんへの「疲れているみたいですね、時間がある時に、海や山に行って、心をリフレッシュ~」という言葉、f*******さんが読むと、つらい気持ちになるのかもしれない、と心配してしまいました。
2006-09-30 14:19:08 ページのトップへ
つらいコメント
haruniwa
 f*******さんが2月にカフェ入会して、私は3月からコメントを書き込むようになりました。3月は、私のほかは数人の人が訪問しているだけでしたが、今では多くの人がf*******さん日記を読み、体調を案じています。

 f*******の体調がどのようなものであるか知っていると、「時間があったら海や山へ~」という言葉が残酷なものに思えてしまうのです。
 つらい病状の中で、もはや車いすで外出することすらままならない、看護をしてくれる80すぎの母上の健康を案じながら、一日中、動くことも容易でない体調で、寝たままですごしている方なのです。

 日記をよまずに、気軽に日記欄コメントを書き込むこともひとつの方針でしょう。でも、やはり、日記コメントを残すとき、当日の日記と、数日分の日記を読んでほしい。そうすれば、どのような人によって書かれた日記であり、どのような日常の状況であるのか、わかります。

 私のように、お気楽に駄文を書き散らしている者なら、どんなコメントをもらっても大丈夫。
 しかし、命を削るような努力で、一日一日の生を確かめながら文字を書き込んでいる人に対して、「当日分をさっと読んで気楽に書き込むコメント」が、つらいものに感じられること、わかってください。

 「善意の募金」を多方面でなさっている人であり、i************さんが「善意の人」であることは、十分承知しています。でも、「お祈りしています」と、だれかれかまわず書き込まれるコメントが、つらいものに感じられることもある、

 と、書いても、800人に足跡をつけることで忙しいi***********さんは、この日記を読むこともないでしょうから、お目にとまることもないのは残念なことです。
 i************さんが、よい人であることはわかっていますので、その善意は「多方面の募金」を集めることにおつかいください。

2006-09-30 14:19:38 ページのトップへ
日記を読む人、読まない人、読み方いろいろ・・・
chiyoisozaki
一応伏字にはなっていても、誰のことか一目瞭然という利点(?)もあるから、当人の目には止まらなくても、この記事を公開することで、当人以外に、反省を促される人や日記を読む意義や意味を改めて考える人には、有りがたい啓発になると、私は思って読ませてもらいました。

ですが、カフェで無益(?)な問題を更に問題化することにもなりかねず、春さんの配慮に満ちた選択に敬服しています。

どなたの日記にも最新のものまでの経緯があることに思いをしたいですね。

蛇足:
これは私の個人的な思いですが、

『祈る』という霊的行為の約束を誰にでも安易にする人には大変な抵抗を感じます。「祈ります」という言葉は、祈りの対象を知れば知るほど軽率な挨拶言葉にはできないと思います。

読まれないでしょうことを想定しての蛇足でした・・・
  


2006-10-02 19:38:31 ページのトップへ
ありがとう
f046oj2c
このiさんはその日の日記は見たのです。
それで書いてきました。本当に辛い気持ちでした。出来ないことをたまには時間をつくって海、山へいったらどうですかと
言われたように感じてしまいました。
この人だけでなくほかにもありますよ
「痛い痛いとばかりいっててもよくならない
みんなはまたかあと思ってるよ」とね
「あなたみたいに病気でと色々書けば、同情してコメント沢山くれるかなあ」とか

あげたらきりがないからしない、日記に遠まわしに書いたことあつけどね
辛いとか苦しいとか切ないとかいっては駄目なのかなあとね
「姉のことも許してあげなさい、おねえさんも苦しんでいるのだからもうしょうがないのだからいまさら恨んでもね」とか

春庭さんがいうように日記を読んでくれてないこともあります。

ありがとう私の為にこんなに書いてくださり、涙がでるほど嬉しいです。
iさんは見るかもしれません。ここはみないけど。日記にかけばね。

本当にわたしの気持ち代弁してくださりありがとうございました。
2006-10-03 02:03:37 ページのトップへ
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f046oj2c
こころ、体の病がこころで思うことで、良いほうへ行く気持ちで病気を軽くする、長い時間をくれるのですね、ありがとう
2006-10-04 17:55:30 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:病
haruniwa
心に思ったこと、ことばに出して言っていると、脳神経がそれを感じ取って良い方へ行くってこと、心理学実験でも確かめられて、笑うこと、泣くこと、しゃべること、書くこと、それらの自己表現は、すべて、免疫機能を高めます。

ぷうさんが、痛いとき痛いといい、悲しいときつらいとき、悲しい、つらいと書くことが全部脳につたわっています。

押し黙って何も言い出さなかったり、我慢したりは、悪い方へいくから、日記に書けないようなことがあったら、このbbsでも、メールでも、愚痴でも嘆きでも言ってきてね。

愚痴を言い合って、遠慮なしにいきたいです。
2006-10-05 22:52:14 ページのトップへ
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入院
f046oj2c
心配していただいてありがとうございます
吐き気はよくあるのですが何日も止まらないのです、必ず突然くるので救急車になったしまいます。ありがとう
2006-10-06 01:11:32 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:入院
haruniwa
たま~に、食あたりで吐き気をもよおしただけで、とても我慢できないくらい苦しいのに、ぷうさん、ほんとにつらいですね。

吐き気と痛みがおさまればいいのにね。
2006-10-06 01:55:09 ページのトップへ
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f046oj2c
命の素晴らしさ尊さを、わたしは言葉の大切なこと沢山の言葉の意味を教えてもらってます、難しい言葉がおおくあります
でも言葉なくて気持ちは通じないです
ありがとう
2006-10-08 02:38:40 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:命
haruniwa
人と人のこころをつなぐもの。

ひとつには、ぷうさんとお母さんの間にあるように、やさしいマッサージ。人の手が我が身にふれて、そっとさすってくれるとき、心も体もいやされますね。

もうひとつは、ことば。
ことばがかわされ、心にとどくとき、胸の窓が開き、おおきく深呼吸。

ぷうさんはたくさんの人とことばをかわしあって、気持ちが通じ合っていますね。
2006-10-08 13:52:59 ページのトップへ
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箱のなか
f046oj2c
病院という現実のドラマが沢山あります
喜怒哀楽がたくさんあるように見えます
悲しいことばかり思い出されます
ありがとう
2006-10-08 05:45:19 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:箱のなか
haruniwa
病院に来るたくさんの人々。それぞれの家族とそれぞれの人生。

ほんとうにいろんなドラマですね。
悲しいこともたくさん。
悲しい思い出が多くなるのは、病院という場を考えると、しかたがないですね。

でも、お医者さん看護師さん、患者同士の交流のなかに、こころやすらぐふれあいも生まれます。
100の悲しいできごとのなかに、よかったことひとつをまぜて思い出せたらうれしいね。
2006-10-08 14:01:19 ページのトップへ
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優しい
f046oj2c
痛いのが飛んでいけ・・・といってくださりありがとう。みんな優しいね
2006-10-12 04:17:07 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:優しい
haruniwa
いつも、コメントを丁寧に返してくださって、本当に優しいのは、ぷうさんです。

皆がぷうさんのつらさが少しでもやわらぐように願っているけれど、ぷうさんの痛みは、そんなに簡単なもんじゃないものね。でも、いつもぷうさんが少しでもよい状態になって、笑顔でお母さんといられたらいいなと思っていますよ
2006-10-12 10:16:20 ページのトップへ
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嫌な
f046oj2c
嫌がらせの言葉はきます。アクセスランキングがこの前初めてしりました。嫌がらせのことを日記に書いたらアクセスが1位になったと喜んでいる人もいます。気をつけないとね。ありがとう
2006-10-13 02:03:05 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:嫌な
haruniwa
ぷうさんにいやな言葉をコメントしていく人がいることは、コメント欄やbbsを見ていて本当に哀しく、腹立たしいことです。

でも、そんなあわれな心ねの低い人のことは、「こんなにも心の貧しいかわいそうな人もいるんだなあ」と、おもい、あわれんでやりましょう。

どんな不平不満があっていやがらせの言葉を書きたくなるのかしりませんが、世の中には意地悪な人もやさしい人もいる。
そんな心まずしい人たちにも平和と幸いを祈ってやることで、対抗しましょう。
2006-10-13 07:27:16 ページのトップへ
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みんな
f046oj2c
わたしの前からいなくなる人にも訳があるとおもうけど。嫌がらせで退会する人も多いです。みんなで嫌がらせの日記を書いたり、してる人を無視したらどうでしょうか
おとなしくなるとおもうけど。でもそんな人に応援する人もいるのも事実です。
いなくなると寂しいです
ありがとう
2006-10-21 02:37:37 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:みんな
haruniwa
ネットの上のつきあいだと承知していても、親しくことばを交わし合った人が、突然カフェを退会して日記が消えてしまったりすると、とても寂しいですよね。
いやがらせを受けて退会する人もいるでしょう。

人が自分のアイデンティティを持つ方法のひとつに、「他者の否定、他者をおとしめること」によって自分自身を保つしかできない、という人たちがいるので、この「自己確認」の方法を、見つけられない人たちがいるかぎり、学校教育のなかでも、カフェにも、いじめが消えることはないでしょうね。

いじめで自殺したりする子供の話をきいたりするにつけ、かなしくつらい思いに沈みます。

そんなとき、いやがらせの言葉を受けても、痛みがひどくなっても、いっしょうけんめいに私たちにことばをとどけてくれるぷうさんがいることを思うと、わたしも沈んでばかりいてはいけない、という気になります。

ぷうさん、ありがとう。
2006-10-21 14:04:06 ページのトップへ
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f046oj2c
こころと心が繋ぎ、共感し合い言葉を交わしていきたいです。こころない言葉はいらないです。ありがとう
2006-10-23 18:01:15 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:言葉
haruniwa
こころない言葉を書き残していく人、まだいるみたいね。

でも、そんな心の貧しい人のことは、「気の毒な人」と、哀れむだけでよい。

ぷうさんは、心豊かな人々との言葉の交流を続けていってくださいね。
2006-10-23 23:40:17 ページのトップへ
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あったかい
f046oj2c
天気の良い日でした。ひなたぼっこをしました。こころも少しだけ温まりました
ありがとう
2006-10-30 01:42:54 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:あったかい
haruniwa
お母さんとお日様のぬくもりを感じることができたら、心もぽかぽかしてくるのね。ぷうさんの心が温まったということばで、わたしもぽかぽかしてきました。ありがとう
2006-10-30 08:01:13 ページのトップへ
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諦め
f046oj2c
毎日頑張ってること神さまも仏さまも見ているよ、嬉しいです励ましていただいて
ありがとう
2006-11-02 03:56:43 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:諦め
haruniwa
ぷうさんが、毎日痛みをこらえながら、文章を書いている姿こそ、尊い姿に見えます。

ネットの友人たちは、ぷうさんに励まされています。
2006-11-02 08:11:21 ページのトップへ
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毎日
f046oj2c
おかあさんと一緒に痛みがなくなるように
祈りを捧げていただいてありがとう
2006-11-04 04:50:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:毎日
haruniwa
ぷうさんと、看病をつづけるおかあさんの毎日が平安で、すこしでも痛みが少なくなるように、願っています。

これから寒くなって体温調整もたいへんになるでしょうが、楽になる方法を思いつくといいのにね。
2006-11-04 14:09:22 ページのトップへ
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心配
f046oj2c
あなたのたらこパスタ、母の愛情がはいり
美味しそうです。そういって下さりありがとう
2006-11-05 04:29:34 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:心配
haruniwa
ぷうさんがすごす日常の姿も尊いですが、お母さんがぷうさんに寄り添ってすごす姿もとても心うたれます。
お母さんに、私からもありがとうとつたえてくださいね。
お母さんとぷうさんのふたりの姿に励まされています。
2006-11-05 09:46:08 ページのトップへ
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限界
f046oj2c
骨接したころはトイレを傍におきました
大変でね心配かけてごめんねありがとう
2006-11-28 03:45:49 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:限界
haruniwa
ぷうさん、寒くなるといっそう骨にもいたみが強くなって、大変ですね。
お母さんと、いたわり合って、冬を乗り切っていってくださいね。

介護の方法を福祉関係者とよく話しあって、お母さんの負担が少しでも軽くなるように、家事ヘルパーさん介護ヘルパーさんの派遣を考えてみてください。

80歳すぎのお母さん、介護を受けている年代ですもの。ぷうさんの看護を続けることがお母さんにとっては、生きていく張り合いになっていることはわかるのですが、ぷうさんの病気とお母さんの年齢を考えれば、ヘルパーさんが常時手助けをするのは、福祉にとって当然のことです。

ぷうさんたちを助けるために、私たちは毎月介護保険を支払い、税金を納めているのです。
ぷうさんが使ってくれないのなら、介護保険をおさめる意義がわからなくなってしまいますよ。
2006-11-29 09:28:35 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
お友達のお返事いただきました宜しくお願いします
2006-11-30 03:13:55 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
実をいうと、春庭は、友達登録を中断していました。

友達相互承認を今まで中断していたのは、「日記を読みあうこともない通りがかりの人が承認を求めてくるのが、わずらわしかったから。

相手の日記を読み、コメントしたりメールしたりするうちに友達になるのであって、最初に承認するのはへんだとおもったのです。

お気に入りサイトは、自分のパソコン内にブックマークをつけておけばよいし、「My cafe」の中の、友達リストに登録しておけばよい。
これなら、別段、相手の承認を得る必要はないから。
私は、日記にコメントを書いてくれた人をMy cafeのリストにいれています。

ぷうさんからも4月にMy cafeの友達リストにいれてありました。
bbsにコメントをいただいたのが今年4月からでした。

相手の承認が必要なのは、「友達」として明示したい場合です。
私の場合、「友達はこの人たちです」と、明示するつもりはないので、相互承認も必要ないのです。

お互いの日記にコメントを入れたり、メールしたりすることで、友達は自然にできるので、もうぷうさんと、友達だと思っていました。

だけど、ぷうさんにとって、友達登録があったほうが便利なら、もちろん相互承認しますとも。
私にとって、ぷうさんは、ネットの中だけではあっても、大切な友達です。

ぷうさんは、左上のOCNcafeというマークをクリックしてログインしたあと、My cafeのページをチェックしていますか。
ここに「友達登録」の欄があります。
こちらは、承認なしに友達リストが作れます。
2006-11-30 08:59:57 ページのトップへ
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毎日
f046oj2c
貴方は、私たちを癒してくれる言葉を送りつづけてる。こんなこといってもらえると
辛いなんてばかりいってられないね。わたしこそ春庭さんに癒されてますありがとう
2006-12-03 02:14:24 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:毎日
haruniwa
ぷうさんが、悩みなやんで、決意して、受けようとした最後の治療法が、もはやできる状態ではない、と医者から診断を受けた、と書いてあったこと、本当に胸をつかれ、ことばを飲みました。

どんなにつらいことばだったでしょうか。

「骨髄の損傷が脊髄まできてました。下半身麻痺だそうです。
麻酔をかけても痛みは止まらない、ききめがない。何の効果もないということです」

という、ぷうさんのことば、本当にぷうさんは、よくがんばっている。
激痛にたえながら、皆にやさしいことばを書き残してくれる。

ぷうさん、つらいって言っていいですよ。「明日はどうなるのかわからないから不安だ」っていっていいですよ。
ぷうさんの嘆きも愚痴も不安なことばも、全部がっぷうさんの生きている命。
ひとつひとつの文字がぷさんの生命のしるし。

ぷうさんとことばを交わしあえて、しあわせです。しあわせを分けてくれてありがとう。
2006-12-03 22:43:14 ページのトップへ
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ごめんね
f046oj2c
精神科の主治医がいました、でも開業したらわたしが話すことをパソコンに打ち込んでいるだけで何も答えてくれないのだから
診てもらうのやめました。
心配かけましたありがとう
2006-12-08 04:05:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ごめんね
haruniwa
痛みのぐあいはどうでしょうか。

精神科のおいしゃさん、いちばん患者さんへの応対がたいせつな診療科と思うのに、パソコン相手で患者の相手をしないって、いったい何を診療しようとしているのでしょうか。

患者のいる前では、メモをとることもしない、というのが、カウンセリングの基本であるときいたのに、パソコン打ち込みでは、患者のほうも話す気持ちがなくなりますよね。

ぷうさん、心のなかにあることは、文字にしてはき出してくださいね。
2006-12-09 11:12:47 ページのトップへ
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贅沢
f046oj2c
福祉でも貸し出しはあるのですが一ヶ月3000円以上かかるから高くてね。
2006-12-25 03:19:13 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:贅沢
haruniwa
いつも謙虚で、周囲に感謝をしながら暮らしているぷうさん、ほんとうに頭がさがります。

でもね、ぷうさん、お母さんのためにも、利用できる福祉は全部利用していいのです。
福祉の介護機器貸し出しに3000円かかって、高いから利用できない、そんな馬鹿な話はありません。

利用すべき人が利用してこその福祉です。ぷうさんは利用すべき人です。ぷうさんのために役にたたない福祉なら、この国のあり方がまちがっています。

3000円が高いから介護機器を利用できず、福祉を仕えないなんて、それは違います。

3000円、高い場合は市にでも県にでも交渉して無料にしてもらうべきです。3000円は、払える人は払ったらいい。老人や病人であっても高額所得者はいますから、そういう人は利用料をはらってもいい。

高いと思う人は、遠慮無く「高いから払えない。でも必要だから介護機器を借りたい」と言いましょう。それで貸し出さない市や県には、税金不払い運動でもおこすほうがいい。

私たちは、「健康で文化的な生活」をおくる権利を持っています。この権利の行使に遠慮はいりません。憲法が保証している人間として生まれた最低限の権利なのですから。

寝ている病人に、介護ベッドが必要なら、必要としている人に貸し出すべきです。

ほかの介護機器、ほかの福祉も同じ。必要としている人に使ってもらえないのでは、私たちは何のために税金を払っているのか、わからなくなります。
政府のえらいさんが愛人と豪華官舎に安く住むために税金を払っているのではないのですから。

ぷうさん、もっともっと自分の生活を快適にしていいんです。遠慮はいりません。わがままをいいましょう。ぷうさんのいう「わがまま」は、わがままじゃありません。ほんとうに必要なことは、わがままなんかじゃないのですから。
2006-12-25 10:45:00 ページのトップへ
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おめでとう
f046oj2c
いつも暖かい言葉をかけてくださりありがとう、春庭さんの優しいこころにふれて嬉しいです今年も宜しくお願いします
2007-01-04 03:21:07 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:おめでとう
haruniwa
ぷうさん、痛みが強くて眠れないときは、ほんとうにつらいですね。

病気を見つめながらいっしょうけんめいに文字を打つぷうさんの姿を思い浮かべると、私も今年1年をぷうさんとともにがんばって生きていきたいという気持ちになります。

つらいとき、痛いときは「つらいよう、いたいよう」と声をあげながら、ネットのお友達として、2007年、いっしょにすごしていきましょうね。

ぷうさん、いつもありがとう。
2007-01-04 10:23:38 ページのトップへ
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 春庭bbsへのぷうさん投稿は、2007年1月4日が最後でした。2007年に入ると、日記の記述も少なくなり、3月からは、月に1回という程度になりました。それだけ体調が衰えたのでしょう。
 次回「2007年2月~5月のぷうさん日記」が、ぷうさんがOCNカフェに書き込みをした最後の記録です。

<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年2月~5月春庭bbsへのぷうさん投稿」

2012-02-18 | インポート
2012/02/18
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(12)2006年2月~5月春庭bbsへのぷうさん投稿

 gooかOCNのブログに移転するに際して、パソコンがよくわかっている人が操作すると、コメントとかbbsページも保存ができるらしいですが、私にはさっぱりわからないので、消えてしまうであろうbbsページの中から、ぷうさんの投稿を保存しておくことにします。
~~~~~~~~~
ありがとうございます
f046oj2c
初めまして、お返事有り難う御座います。
姉は経験のない農家の家に嫁ぎました、あまりにも大きい農家の家でお嫁に来てくれる人がいなかったそうです。お姑さんは反対してました家がつりあわないこと、農家がつとまらないこと、でも姉は覚悟の上で行きました。近所の人から言われたそうです今時農家へ嫁に来てくれる人なんていないと・・・1年姉は泣きつづけましたでも2年以後愚痴、泣き言一つ言わずもう20年です、今でも姑いびりは続いてます。1度だけ本当に辛くて帰りたいと言ったことあります、その時は本当に可哀相でした。
PS・・・奇跡はありません。私はもう移植の出来る体ではありませんだからドナーがいたとしてももうもらえません、今ほとんど寝たきりですがいつ死んでしまうかわからない状態です。
2006-03-25 01:45:43 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
こうしてことばを交わしあえること、これも人生の宝物のひとつですね。
出会えてよかった。

苦しい治療を続けながらPCにことばをつづっていくこと、厳しい状態でしょうが、どうぞ私たちにことばを届け続けてくださいますように。

私も、こどものこと自分のことさまざまなつらい思いの中でぎりぎりの綱渡りをしていますが、こうしてことばをもらうことで、また生き続ける勇気をもらいます。

お姉さんも、つらい中生きてこられたのですね。今も妹さんの病状を心配しながら、苦しい立場ですごしていることでしょうね。

ハンドルネーム、なんてお呼びしたらいいのでしょうか?「f046oj2c」と呼ぶのは、私には覚えにくくて、ごめんなさい。
私のことは、「春さん」とか「ハル」と呼ばれていますので、どうぞよろしくね。
2006-03-25 22:27:59 ページのトップへ
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本当に
f046oj2c
この世に生き産まれ、沢山の人と出会います。そしてささえあいながら生きていく色んな人と出会えて話、成長する。皆お互いに病気を持ちながら支え、慰め、戦いながら生きてきました、一生忘れられない友達です。
2006-03-26 03:08:05 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:本当に
haruniwa
病室の友達と共に、カフェで出会えた人々とも共に語り合い、励まし合うことができます。

さまざまな人の苦しみも悲しみも、このカフェの中で話しあっています。

カフェ友は、実際に出会うこともないことが多いですが、大切な心の友です。

いつでも愚痴をこぼしたり、泣き言いったり、お互いに遠慮無くすごしましょう。
2006-03-26 23:30:34 ページのトップへ
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いい言葉です
f046oj2c
いい教えですね、悩みながら生きていくしかないですね。考えないで生きるのは無理なことですから、今の私は悩みすぎていますけどどうしようもなくて
2006-03-27 00:27:20 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:いい言葉です
haruniwa
身体的なしんどさは、私には計り知れないつらいものがあるのだろうと思います。

心のつらさ、深いふかい悩み、死に直面するつらさ、私にもわかる部分と、とうてい私には届かない部分があるのだろうと思います。

全部はわからないかもしれませんが、つらいとき、悲しいとき、ことばを吐き出すことで楽になることもあるのですから、どうぞ、「つらいつらい」「悲しい、苦しい」と、私でよかったら、聞き役にはなれますから、言ってくださいね。
待っています。
2006-03-27 11:37:56 ページのトップへ
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ありがとございます
f046oj2c
心が優しくなれるには時間がかかります。母と2人暮らしで私の面倒を見てくれる母も毎年骨接して、その後遺症があるから
それに歳だから中々大変で申し訳ないのに感謝もしてるのにつきあたってしまいます
2006-03-29 01:19:20 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとございます
haruniwa
ぷぅさんのおかあさん、どんなにか娘の病状を心配し、心をくだいて看病されていることでしょう。
しかし、やまいの中にいる当人は、その優しさやありがたさをわかっていても、自分のいらいらや悲しさをぶつける相手が必要になるとき、甘えてしまうのですよね。

でも、どんなにつきあたることがあっても、おかあさんは、きっとだれよりもぷぅさんを愛しぷぅさんの心が穏やかになれることを願っているのですよね。

いらいらしたときは、このbbsに来て、わめいて吠えて、医者や看護婦さんの悪口なんかも言ったりして、どうぞ、気持ちを吐き出してくださいね。

ネット友達のありがたいところ。愚痴をこぼすも悪口も、どうぞ、ご遠慮無く。
わたしも、他人には言えない愚痴なども、メールやbbsでわめいているんですよ。
そのために、ハンドルネームもいっぱい用意しています。

春庭というハンドルネームでは、「割合まじめな日本語教師」って顔してますけれど、ちゃらんぽらんいいかげんな顔もあれば、意地悪で憎たらしい顔もあります。

ぷぅさんも、いろんな自分をさらけだしてわめいてくださいね。
2006-03-30 09:29:36 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
9階ですか、高いですねでも花火は見るのに最高ですね、星、月、雲、太陽もやはり近くに感じますか。1階の人と比べると
病院にいたときは7階でしたから花火は綺麗でした、べットに横になりながら見れましたから・・・雨の匂いも好きです
2006-03-31 03:11:28 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
9階から、昔、隅田川花火大会と神宮球場花火大会が遠くに見えた頃もありました。
でも、今はマワリ中15階建て20階建てのビルばかりになったので、残念ながら、花火はみえなくなりました。

でも、鳩が目の下を飛ぶようすが見えますし、ベランダからぼうっと雲をながめることもできます。

病院の窓から見える景色というのは印象深いですね。
ときに「この世の苦しみ」が地上をおおっているような景色にみえたり、「さまざまな人と生きとし生けるものたちの命にあふれているように見えたりします。

ぷぅさんが今見ている光景のなかに、ウェブから応援している人々の姿がみえるとうれしいです。
2006-03-31 11:28:46 ページのトップへ
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大変ですね
f046oj2c
先生は大変ですね、人間を相手にして育てるのですから、理不尽なことも言われるだろうし何でも責任をおわされるだろうし辛い涙を沢山ながされたことと思います。神経がすりへってしまうことも・・・
でも誰にでも出来ることではないから、なりたくてもなれない人もいますから、本当に尊敬してしまいます。
PS父、母には尊敬の念と感謝の気持ちでいっぱいです。
2006-03-31 03:23:41 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:大変ですね
haruniwa
公立中学校で3年間教えたとき、私自身が未熟であったこともあり、ほんとうに命を磨り減らすような日々でした。

現在は、教える対象年齢が上になった分、私には自分の資質に合っていると感じます。それでもやはり教師の仕事は、たいへんと思うことが多いです。

娘が教師になるかどうかはわかりませんが、未来に向かっていこうとする気持ちだけは応援したいと思っています。

ぷぅさんも、ご両親のあたたかい応援があり、支えがあって今日までこられたのですね。
これからもお母様の気持ちを大切にしておすごしくださいね。
お母様もぷぅさんのこころは十分すぎるくらいくんでくださっていると思います。
2006-03-31 11:33:26 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
今日も眠れずまだパソコンを見てます。
ナースの方の話は沢山あります、何から言えばいいかなあ・・・でもこのカフェでナースの方もいるでしょうから怒られてしまうかもしれません。・・・何言ってんのよ私達は本当に大変なのだからと
でも感謝も有り難味も尊敬もしてます。嘘ではありません。苦しい時に言われるとね・・・
2006-04-01 05:37:32 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
医師やナースの一言でベッドですごす入院患者の気持ちが天地ほどにも違ってきます。

医療にたずさわろうとしている人たちの中に、このことを頭だけで理解し、実践ではできない人がまだまだいますよね。

患者側は、どんどん「こう言われて不愉快だった」「こんなこと言われて落ち込んだ」と、声に出して言ったほうがいい。
そうでないと、わかってもらえない。声にだして言うことで、ナースの側もよりよい看護をめざすことができます。

大部分のナースは、必要なケアをてきぱきこなし、ことばもやさしく丁寧ですが、中にはきついこと言う人もいるし、自分のことばで患者が傷つくことに気づかない人もいます。

ナースの仕事の大変さは理解しつつ、さらに上質のケアをめざすために、患者からの文句は必要だと思いますよ。

私の夫の姪のひとり、大学看護学科を卒業し、今日4月1日から病院勤務です。
母親(夫の姉)を6年前に癌で失い、医療の仕事を選びました。
よいナースになれるよう応援しています。
2006-04-01 10:20:36 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
捻挫もきちんと治さないと痛みが残るしまた捻挫しやすくなるから気を付けてください。腰を骨接したことで歩けなくなりました。寝たきりにそれまでは少しは歩けてたのに、痺れ、痛みが残ってます。激痛が走るのです
2006-04-02 02:18:57 返信フォームへ 掲示板へ戻る
お大事にね
haruniwa
痛みは、ほんとうにつらいですね。そして、歩けないことも。

私には祈ることしかできないけれど、ぷぅさんの痛みが軽くなることと、再び歩けるようになることをおいのりしています。

「腰をさすって」「ごはんを食べさせて」ということ、患者にとって必要な看護ですから、ナースに遠慮無く言ったほうがいいですよ。
わがままと思われはしないだろうか、とか、ナースは忙しいのに、と遠慮しないでね。
 適切な看護を必要な患者にしてやるのがナースの仕事ですから、頼むのに遠慮しないでいいと思います。
2006-04-02 13:21:26 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
そうなんだけど、頼みたいのですが、ちょっと待っててねと言われてずーと待ってて全然こないからナースコールしたら他の患者さんのことしたらいくからと言われてでもけっきょくこなかったの、だからもう二度と頼まないと思いました、何か切なくて涙がぼろぼろ出てきてしまって・・・
2006-04-03 02:46:36 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
入院中、患者の苦しさ痛さがナースに伝わらないことって、ほんとうにつらいですよね。

ぷぅさん、たいへんな入院生活をすごして、病院ですごす患者の苦しみをいっぱい知ったのですから、カフェ日記で全部それを書いていってね。
患者のこころを知ることができるのは、ナースにとっても、よりよい看護をしていくために、大事なことですもの。
2006-04-03 13:25:07 ページのトップへ
Re:ありがとうございます
haruniwa
このことをぷぅさんにお話しするのは、つらいことですが、住む地域によって医療の質が異なるという現実を、ぷぅさんの日記によってひしひしと感じます。

ぷぅさんの入院された病院、自宅の近くで、家族が通いやすいところを選んで入院したのだろうと推察しますが。

先日の新聞で報道されていました。
 長野県は「地域がん診療拠点病院指定一覧表」をみると、拠点病院がひとつもない、「癌医療空白地域」なんです。

長野県で癌になった人、ほんとうにお気の毒。他県へ行って入院するか、長野で医療を受けるしか選択できません。

ぷぅさんの今の体調で他県にでることなどできませんものね。

私の姉が最後のひとときをすごした病院、私の出身県のただふたつの「地域がん診療拠点病院指定」になっている病院でした。

でも、この病院に転院する前の、姉が住んでいた市の市立病院、ほんとうに最悪の医師たちでした。
姉は、住まいから一番近い病院を選んだのですが、このために最悪な医師によって誤診され54歳で命を落とす結果となりました。

最初からがん医療拠点病院で診察を受け、早期発見と手術ができていたら、姉も治癒したのではないかと、今でも悔やまれてなりません。

医者も看護師も、人間ですから、どこのだれでも完璧であることはないでしょう。病院にも格差があるでしょう。

でも、住んでいる地域で貧弱な医療しか受けられない患者は、ほんとうにつらいですよね。悔しいですよね。

ぷぅさんの入院した病院のナースさん、いっしょうけんめいやっている人もいるのでしょうが、文面から推察する限りでは、残念ながら「ハズレ」の病院だとしかおもえません。
2006-04-03 13:51:06 ページのトップへ
Re:ありがとうございます
haruniwa
  今、医療はさまざまな問題を抱えています。
この4月からナースになった姪は、東京の大病院と神奈川の小さな病院の両方から採用通知がきました。

しかし、大病院は、特別室をふやして、高収入者のための、高度医療(たくさんかかる医療費を払える階層のための)を行おうと、病院の刷新をはかっているところだとわかりました。
姪は小さな病院を選びました。

小さな病院のほうは、「大学卒業のナースは、これまで採用したことがない」っていう所だそうですが、姪は「患者に適切な看護がいきわたる」ことをめざして、こちらで働くことにしたのです。

医療と看護について、ぷぅさん、どしどし今までの思いを出してくださいね。
2006-04-03 13:52:26 ページのトップへ
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ありがとございます
f046oj2c
色々と書いて下さり感謝してます。私が入院した病院は癌を治せるところです。でも癌患者のための病院ではありません。でも完治して帰れた人も沢山います。私の為に機械を入れてくれました、これを使えれば治療できると、でも私は骨髄移植でしか治らない、それができなかったからね。専門医にいっても同じだった。
食事は1日1回夜だけあまり多く食べられない・・・患者の側で仕事が出来る病院を選んでよかった。
2006-04-04 04:15:24 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとございます
haruniwa
今の環境は、よくなっているのですね。
食事、たくさんは食べられなくても、一日一回でもしっかりとってくださいね。

長野の桜はこれからでしょうか。窓から桜が見えますか?

東京の桜、夕べは強風が吹き荒れて、満開の桜花びらを散らしました。

私の姉は、桜吹雪のなか、「こんな短い人生だとは思ってもみなかったけれど、自分にできる限りのことはせいいっぱいやってきたから、何の悔いもない」と言って、4年前の春に54歳でなくなりました。

誤診によって命を短くされたのに、恨み言ひとつ言わず、毅然と死を受け入れた姉でしたが、私自身は姉の死がいまだに納得できず、誤診した医師を恨み続けています。

桜吹雪をみると、姉の最後のすがたがおもいだされます。
姉の命日4月10日を「桜吹雪忌」と、勝手に命名しています。

週末、お墓参りにふるさとに帰る予定です。
2006-04-04 11:17:45 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
本当に抗がん剤の治療はなみたいていの苦しみではありません。投与してる時もそのあとの副作用も。
お姉さん辛い思いしたのですね。家の父も誤診とは発見がおくれてなくなりました。私もまだうけいれません。私におれより先に死ぬなよといって、今月命日でどうにかしてお寺にいきます。
2006-04-06 02:23:21 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
ぷぅさん、体調がよければ、お墓参りでもお花見でも少しでも外にでかけられたほうが、気分転換にもなりますね。

でも、体調が悪いときは、無理してお墓参りしなくても、お父さんもぷぅさんが、命日を思い出してしのんでくれていることは、わかってくると思いますから、くれぐれも無理はしないでね。

わたしは明日の朝、故郷の寺へいき、夕方用事があるので、日帰りです。
2006-04-06 19:15:07 ページのトップへ
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ありがとyございます
f046oj2c
健康なひとほど、気にしない、自殺するひとは健康でしょう。命の大切さを知らない
私は父に親不幸ばかりしてます、今も
2006-04-07 03:19:11 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとyございます
haruniwa
おとうさんは、ぷぅさんの命を大切に思って空から見守っていてくれてますよね。
そうやって、お父さんのいとしごであったことは、十分に親孝行したことになると思います。
2006-04-08 09:44:45 ページのトップへ
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ありがとうございます
f046oj2c
そうですね、みんな心配してくれて涙がでるほど嬉しいです。
2006-04-08 00:39:16 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとうございます
haruniwa
バーチャルな世界であっても、人の心はあたたかいですよ。
2006-04-08 09:45:22 ページのトップへ
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いまも
f046oj2c
父の事は今も尊敬してます。
子供でいられたこと誇りに思います。
でももう少し長く暮らしたかったです。
2006-04-11 01:29:59 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:いまも
haruniwa
尊敬できるお父さんのもとで成長したことは、ぷぅさんにとって幸福なことでしたね。

愛する親と一分でも長くいっしょにいたいと思うのは、皆同じですよね。

私は、いまでも、34年前に55歳で死んでしまった母親といつまでもいっしょにいたかったのに、と思いながら、毎朝母を呼びつつめざめます。
「おかあさん、見ていてね、今日も一日いっしょうけんめいやるからね」と言って起きるのです。

4月10日は姉の命日。お墓参りは7日にすませて、10日は、今学期の仕事はじめだったので、忙しくすごしました。
2006-04-11 08:22:55 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
そうですね。私は今頑張って生きようとしてます、時間のある限り。
新しい子達が入りこれからどんどん忙しくなりますね。体気をつけてください。
身内が若くして亡くなるのは辛いです。
2006-04-13 02:12:42 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
がんばって、がんばって生きていきましょうネー
2006-04-13 23:06:30 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
奇跡にも良い薬が見つかればいいけどね
2006-04-14 03:51:35 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
念じていれば奇跡も起きる

良い薬が見つかる日まで生き抜こう
2006-04-15 00:01:52 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
毎日、みんな心配して声をかけてくれる
のが嬉しくてしかたがありません
でもこたえられなくて、すぐ弱気に
なってしまいます。
2006-04-17 03:37:55 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
ぷぅさんの体調を皆が心配しているのですから、無理をしてはいけません。

「ひとりひとりに返事をしなければならない」と思わないほうがいいですよ。

日記を書き続けていくことが、返信のかわりと思って、毎日たとえ一文字でもいいから送信してくれれば、私たちはぷぅさんがパソコンを見ているのだと知ることができてうれしいのです。

体調が悪いときは顔マーク「」
悲しいときは「」マーク、少し体調がいいときは「」など、顔マークをつけるだけでもいいと思うよ。

顔マークだけの日記でも、私たちはぷぅさんの心をくみ取っていきますからね。
2006-04-17 09:11:47 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
気をつかってくださりありがとうございます。がんばって書きます
2006-04-18 05:02:45 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
体調気をつけながら、書きたいことを気ままにかいていってね
2006-04-18 17:06:31 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
みんな、病気を治したいけど、移植したから治るわけではない。あと骨髄があわないと死んでしまうだから怖いです
2006-04-22 03:58:49 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
自分の体を提供してくれる貴いドナーさん。
でも、ドナーも、移植手術のために仕事を休むときは自己負担だし、手術後の健康悪化にはなんの保証もないという現状が改善されていきませんね。

誰もが自分に合った治療と納得のいく介護を受けられるようになることをめざして、考え続けたいです。
2006-04-22 09:39:57 ページのトップへ
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そうですね
f046oj2c
ドナーの方の休みの保障は患者がもつのです。後一年に1回健康診断するのです
ただ移植日がきまっても少しでも何かあると中止になるからね。
そしてその場にきてやめたいといってもいいことだからね、難しいね
2006-04-23 04:22:12 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:そうですね
haruniwa
移植以外に治療の方法がない場合、ドナーの休業補償、移植後の健康診断を含めて、健康保険でまかなうのが、「国民皆健康保険制度」を法律で定めた国の仕事だと思います。

「健康で文化的な生活をおくる」ことが、すべての国民にとっての権利であることを定めた憲法にのっとることです。

「健康で文化的な生活」をすべての人に保証しないで、「格差があるのは当然だ」とうそぶく人を首相にしているのですから、そういう人を選んだ国民は、自分が「格差の下のほう」になったとき、健康や人並の生活を保証されないことを覚悟しているってことになるのかも。

私は、どんな立場になっても、「格差が生じるのはしかたがないから、私の生活や健康が悪い状態になっても我慢しなければ」なんて、思いたくない。

ぷぅさん、最後まであきらめないで、よりよい状態をめざしていきましょう。
痛さやつらさのない毎日を送ることがが、人間の権利ですから。

難しいことはたくさんあるけれど、健康で生き生きした毎日をすごすことが、人が人間らしく生きていくための本来の権利です。

やむをえず病気になったとき、よりよい状態をめざすことも人の基本的人権です。
2006-04-23 09:04:24 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
もう、癌は治りません
私にはこの辛さを書く事で
少しでも楽になればと思います
痛みの辛さは治らないから
2006-04-25 01:00:59 返信フォームへ 掲示板へ戻る
共鳴と共振の力
haruniwa
「書くことについて」
ぷぅさんが、つらいと思うこと苦しいと思うことを書くことで、心の中を吐き出し、少しでも楽になるといいですね。

薬ではやわらげられない痛みを、書くという行為が助けてくれます。

そして、ぷうさんが書いた日記を読む読者たちは、ぷうさんが書いたことを読んで、心を揺さぶられます。
この心の揺り動かしの力を、私は共鳴力、共振力と呼んでいます。

共鳴力は、あることばに共鳴することで、自分の魂を揺り動かし、それが自分の生きる力になっていくパワーのことです。

ぷうさんの日記に心うたれた人がたくさんいるのです。
ぷうさんの日記には書き込みにいかない人も読んでいます。

私が受け取ったミニメールにもぷうさんの日記を読んだ人からのものがありました。

あまりに重い内容なので、直接ぷうさんの日記に書き込みをして、なぐさめや励ましのことばをかけることはひかえるが、遠くからでも、ずっとぷうさんを見守っている、という内容でした。

ぷうさんの日記が感動をあたえるものであることを確認し、私もうれしかったです。
ぷうさんの文章にそれだけの力があるからです。

「痛みについて」
ぷうさん、痛み止めの薬は何本うってもきかないと書いてありましたが、現在の医療で「痛み緩和ケア」は、かなり進んできています。ただし、痛み緩和ケアの専門医でないと、専門的な知識が不足している場合もあります。

差し出たこととはおもいますが、もしぷうさんの治療に「積極的に癌を治す治療」がなされていないのなら、生活改善し、痛みを少なくしてすごすために、痛み緩和ケアが有効なのではないかと思います。

そちらで痛み緩和ケアのアドバイスを受けられる病院があるでしょうか。
介護ヘルパーさんが派遣されるようなら、介護センターや近くの保健所に相談してみるのがいいかもしれません。

前にヘルパーさん派遣のために面接の方が見えたと書いてありましたが、ヘルパーさんは現在どのような勤務になっているのでしょうか。
ぷうさんの現在の状況だと、要介護5以上になると思うのですが。

ヘルパーさんの積極的な利用と、痛み緩和ケアを受けることで、生活の不自由がかなり改善されると思うのです。
2006-04-25 16:30:02 ページのトップへ
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ありがとう
f046oj2c
こんなに理解してくださりあがたいと
思います。
生きなさいとどんなに痛みがあろうとも
と感じる日々です
このカフェのなかでもこころの病で死にたいと言う人がいます。それはそれで理解できるのですが、心の病は自分で治すことが
できますから負けないで治してほしいと思います。
自分の病気を話さないでいる人もいます
でもわたしはこころが潰れそうで一人で支えられなくなってしまったから話、書くことで自分の愚痴ばかりだけど楽になりました。今まで誰にも聞いてもらえなかったから・・・
寝たきりでも、自分で着替えることもできるしはっていてもトイレにもいくから
介護は1にしかならない。この査定する人は外見からしか見ないし痛みは本人しか分からないから、いまの薬異常の強いものはないのです、量を増やすだけでね
何もできないことに苛々が増えてくるだけで、はがゆくて、どうすることもできなくてもっと介護の制度も力がはいればいいけどむりだろうね他のことに税金をかけて
この国の議員はみんな健康だからそこまで気持ちがいかないのでしょうこの4月から制度が変わり病人は暮らすのにもっと大変になります。どんどん厳しくなることでしょう。
わたしのことばで少しでも気持ちが楽になれているのであれば本当に嬉しいことです
2006-04-29 09:55:10 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
車椅子利用の知人の話。
「自立支援法」が適用され、4月から、これまでは無料で利用できたデイケアセンターのリハビリが、一ヶ月1万円かかるようになったそうです。
リハビリは椅子に座りきりの体のマヒをほぐすためには絶対に必要なものですが、リハビリの健康保険適用が変ったために、有料となり、「自立支援法」のために、リハビリ回数を減らして出費をおさえなくてはならなくなった車椅子利用者がいます。

これまできついリハビリをこなして、少しでも残された機能を生かし、かろうじて自分で出来る範囲のことはやろうとしていたのに、これからは、「一生寝たきりになって国の世話になりきったほうが、いいって国が言っているのかもしれない」と思うくらいだと言っていました。

「いや、寝たきりを増やしておいて、寝たきりの人間は、社会の役にたたないから、殺すように、社会有用人材法とかいう法律を作って、わたしらは、じんわりと命を縮める薬飲まされてあの世行きにさせられるのかも」

今のところ、こんなヨタ話は冗談ですんでいるけれど、冗談ではなくなる日がこないとはいえません。

格差があって当然とされる思想の次は、役にたたない人間の排除でしょうから。

ぷうさん、あなたの命も私の命もかけがいのないもの。大切にして生きていきましょうね。
2006-04-30 10:32:07 ページのトップへ
~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
わたしより大変な病気にかかってる
人は沢山います。
それぞれ苦しみながら生きてる
生きるしかないからね
こんなに苦しく、辛いなら
死んだほうがいいと思うことも
あるけどね
2006-05-02 14:54:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
30年以上前の病院でのこと。
死んだほうが楽だから、早く死にたいと、痛みに苦しむ患者さんからのことばを聞いたことを思い出します。
癌になったら、痛みにのたうちながら、死ぬのを待つしかないと言われていたころでした。

私は大学病院検査室の検査士でした。
「臨床検査技士」の資格を持つ正規の検査技士の下の資格で「臨床検査士」という資格を得て働いていました。

今では完治する人もいるけれど、30年前、白血病は、治療法がありませんでした。
白血病という病名を告知された家族が、「血が白くみえるらしいけれど、トマトとか、赤いものをたくさん食べさせたら、血が赤くなってくるだろうか」と、相談してきた、って話もきくくらい、わかっていない病気だったころです。

私が検査した17歳の急性患者は、入院してすぐに採血し、検査結果が出たときにはもう亡くなっていました。

入院中、痛いという患者さんに、検査士は何もできないのです。我慢できないという人のために、看護婦さんを呼んできてあげることくらいしかできません。
検査士の仕事は検査に関わることだけで、看護に関わることに手をだしてはいけないのです。

「お大事にね」「検査、しっかりやりますからね」くらいのことしか、言ってはいけなかった。

痛みを訴えながら、最後まで生き抜こうとしている患者さんの姿は尊いものに思える一方、見送るのはつらいものでした。

気が弱い私は、病院勤務を1年半しか続けることができませんでした。
短い間でしたが、直接命とかかわる仕事をした経験は、30年後の今でも、生命についておもいめぐらすとき、人の命の長さと、命の重さを考えるときに、いつもよみがえってくる思い出です。

多くの癌に新しい治療法が発見され、白血病も「必ず死に至る」病気ではなくなりました。

治療法は進歩したけれど、人はだれでもいつか必ず死ぬ存在です。私の母は55歳で、姉は54歳で死にました。
私も、すでにその年齢を超え、いつ死が私のもとに来るのかは、わかりません。

わかりませんが、ぷうさん、生きていましょうね。
ぷうさんの苦しさ、ぷうさんにしかわからないこともあるでしょうが、ぷうさんが生きていることの尊さはわかります。
生きましょう。
2006-05-03 15:53:24 ページのトップへ
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やさしいね
f046oj2c
haryniwさんはやさしい
検査技師のひとは言葉がやさしい
検査は苦しい時があるからね
一緒にいきましょう
なんてやさしい言葉を
かけてくれる
本当に嬉しいです。
2006-05-05 16:44:49 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:やさしいね
haruniwa
医師も看護師も検査技士も、薬剤師も、それぞれの立場で、患者とかかわるときのことばを心して発するようにすべきです。
コミュニケーションのことばの訓練ができていない医者が多すぎます。

医者のことばひとつで、治療効果もあがるのに、わざわざ薬効も手術の効果も低下させてしまう。

医師の国家試験に「患者とのコミュニケーション能力」をいれてほしいです。
2006-05-07 08:34:56 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
病気で入院して沢山の患者に
あった。皆病気とたたかっていた。
沢山話をした。
本当に沢山の悩みをかかえて
生きる。生きて行くことに
一生懸命でした。
病気の事全部話す人
なにも語らない人
病気をくらべたがる人
病気を自慢する人
数えるときりがない
でも皆苦しみながら
生きていた

2006-05-07 03:36:58 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
患者さん同志が病気の情報を交換し合ったり、自分の病気を語ること、よいことだと思うのです。

語りたがらない人も、もちろんいますが、病院という閉鎖社会の中で、同時期に同じ病院にいるというご縁をいただいたのも、なにかのお導き。

自分の病気を自覚し、客観的に受け止めるために、自分の病気について、他の人に語ることは有効な治療の一環です。

自分の病気について、学ぼうとせず知ろうとしない患者が多い。
「お医者様にすべておまかせしています」という、丸投げの患者がほとんどです。

確かに、医学全般を学ぼうと思ったら、大変な歳月がかかるでしょうけれど、自分の病気についての、概略だけでもいいのです。

どういう仕組みでこの病気が発生し、どういう経過をだどるのか、現在行われている治療法には、どのようなものがあるのか、知ることは大切です。

私たちは、病気を知ることから始めなければなりません。

患者が生き抜こうとするとき、周囲の人とことばをかわすことは、必要です。
病気自慢の人もいるかもしれません。

長く病気をわずらえば、病気していること自体がその人のアイデンティティになります。
病気を語ることが、自分自身を語ることになり、病気が自分そのものになる人もいるのです。

病気自慢の人からは、自慢をきいてやりましょう。病気を嘆きたい人からは、嘆きを聞きましょう。

お互いに語りあうことで、生きる力も出てきます。

苦しいですが、生き続けることが大切。

ぷうさん、病気について、今の苦しさを語ってください。
自分の苦しさを語ることで、その苦しさに共感できる人が生まれます。
共感の力は、人を生かします。
2006-05-07 09:06:23 ページのトップへ
Re:ありがとう
haruniwa
私の姉の場合、医者は「子宮筋腫」と診断しました。「筋腫なんて、切っちゃえば、簡単になおる」と、説明しました。

手術後も体調が悪い日々が続き、検査もつづけていたのに、医者は「筋腫とったのに、まだ具合が悪いなんて、ありえない、あんたの気のせい」と、言いました。

医者が子宮肉腫の腸転移に気づき、卵巣も大腸も尿道も内臓のほとんどを切り取る大手術をしたとき、すでに、子宮肉腫の第4期、末期状態でした。

内臓をすべて切り取って、排便も排尿もできなくなり、ベッドに寝たきりになっても、医者は「肺にも転移しているから、抗ガン剤を使う」と言い出しました。

私たちは必死で子宮肉腫という日本でも症例のごく稀な病気について勉強し、未熟な医者の診断のために、子宮肉腫を見のがし、子宮筋腫と誤診されてしまったことに気づきました。

気づいたところで、手遅れでした。子宮肉腫の場合、初期に発見して手術する以外の治療法はなかったのです。

子宮癌には治療法があるけれど、癌より難しい肉腫の治療法はなかった。

姉の場合、肉腫に気づいたときには末期の第4期でしたから、どんな抗ガン剤を使おうと、もう手遅れでした。

それでも抗ガン剤を試そうとする医者。薬剤メーカーの治検(治療実績実験)に使われるだけです。

医者は自分たちの誤診を世間に知られることだけをおそれ、姉の病気のことより、自分たちの体面を保つことだけに紛争しました。

姉も自分の病状を知り、ホスピス転院を選びました。
医者は、自分たちの誤診が他の病院へ知られることをおそれ、カルテを渡さないと言って抵抗しました。

転院して、たった2週間で姉は死んでしまいましたが、最後の日々を、抗ガン剤の苦しみの中でのたうって死ぬのではなく、家族との語らいのなか、桜の花をながめて死ぬことができただけでも、家族にとっては、なぐさめになりました。

子宮肉腫について、医者が書いた論文は、ただ難解で、一般人には、何が書かれているのかもわかりません。
2006-05-07 09:07:40 ページのトップへ
Re:ありがとう
haruniwa
私たちの役にたったのは、ある患者のホームページでした。
初期に子宮肉腫を発見でき、治療できた患者が自分の病気について書いていたホームページです。
症例や手術、術後の治療について、わかりやすくまとめられていました。

姉を誤診した医者は、私たちに説明を求められて、「病名はサルコーマだからね」と、専門用語をならべたて、家族にはチンプンカンプンの「インフォームドコンセプト」をしました。

医者は、専門用語の難解なことばをならべ、家族が「病気のことはわかりませんので、すべておまかせします」というのを待っているのです。

病気について勉強したあと、私たちは、医者が何をごまかそうとしているのか、わかるようになりました。

抗ガン剤も、治療のためでなく、治検のために使おうとしていること、データをとるためであることがわかり、拒否しました。

ユーテリンサルコーマの訳語が「子宮肉腫」であることすら説明しようとしなかった、医者。

病気について、客観的事実を知り、患者同士で語り合うこと、有効だと思います。
2006-05-07 09:08:14 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
そうかもしれない
死んでしまうとか、骨髄液をとるのに
体を切るのではないかとか
でも全部説明はしたのだけどね
2006-05-16 07:42:59 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
お姑さんたちに理解してもらえなかったこと、お姉さんにもつらかったことでしょうが、どうぞ、お姉さん義兄さんたちのしたことは忘れてやってね。
なぜなら、人を恨む気持ちは、自分の体調を悪くするから。

よいことだけを考えて、自分が直っていくイメージを持つ。
自分の中の自己免疫がガン細胞を攻撃するようすを頭の中に思い浮かべて、一日に10分でもいいから、イメージトレーニングした結果が易学調査として、医学的な報告があります。

自分の病気がよくなるというイメージトレーニングした病人グループとしなかったグループでは、自己免疫の量がことなったそうです。

私はこの結果を見て、「想像すること」「信じること」の強さを知りました。人間の体って、心と深く結びついているモノなのですね。
2006-05-17 09:10:12 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
生きる力
f046oj2c
これからこうなっていきます。
色々言われてるからそれも
怖いです。
2006-05-16 07:45:32 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:生きる力
haruniwa
ぷうさんの病状を知って、いろんな人がいろんな意見を出していますね。

たぶん、メールで「奇跡的に病状が回復する健康食品」とか、「信じれば病気がなおる宗教」などをすすめる人も多いのではないでしょうか。

ぷうさんの気持ちしだいで、もしそのような健康食品や信仰も、試してみたければ、私はとめはしません。

が、はっきりいうと、ぷうさんへのコメントで、さかんにある健康食品をすすめている方、ほんとうにぷうさんの病状を心配しての行為だとは思いますが、はたから見ていると、「ほっておいて」と、思います。

この方の母親がこの商品の代理店をしていると書いてありましたね。
売れれば、お母さんの収入が増えるのですから、親孝行な方なのでしょうが、このような進め方は、あまり気分のいいものではありません。
わらをもつかみたい病院をターゲットにして、売り上げ増進をはかっているように感じます。

もし、ほんとうにぷうさんの病気を心配し、ぷうさんの病気に効果があると信じているなら、1年分とか2年分を無料で送付してくれたらいいと思います。それが、その「病気がよくなる健康食品」をすすめる態度です。

病気の人に「よいものだから、無理してもお金を出して買うように」と、すすめるようなやり方、ちょっと、不安です。

この方がすすめている商品のホームページを見てみました。
大里博士が開発したバイオノーマライザー略称BN(BIO-NORMALIZER)のパクリ商品であることが見てとれました。

体内で異常(癌など)を引き起こす活性酵素を退治するという健康食品がBNです。
パパイアから抽出した食品です。

私は試したことはありませんが、ウェブ上の知り合いであるmitsubaさんが、長年愛用しています。

この食品のパクリであるのだから、BNと同じような効果があるのだろうと思いますが、私は、すすめかたが気に入らないのです。

この方へは「1年分をぷうさんに無料で贈呈してやってください」とお願いしたいです。
2006-05-17 09:27:05 ページのトップへ
Re:生きる力
haruniwa
上記コメント中の、「わらをもつかみたい病院」→「病人」
2006-05-17 09:29:06 ページのトップへ
~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
今度の治療はは本当に先生も怖いくらい
大変です。
言われました
逢いたい人がいたら今のうちに逢って
下さいと・・・
2006-05-24 04:20:18 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
新しい治療に入ること、不安もあることでしょうね。ぷうさんに効き目のある治療だといいですね。

ケアー病棟に移るのですか?
よい看護が受けられるよう、祈っています
2006-05-24 10:51:31 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~
ありがとう
f046oj2c
いつも心配してくださり励ましてくださり
本当に感謝してます
そうこの移植は医者にとっても大変なことらしいです。あまりにも数が少ないからね
ケアー病棟は移植が終わり成功して、退院する前に元の生活にもどるために、直ぐそのまま退院はできない。心の不安がでてくるからね
2006-05-29 03:55:35 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ありがとう
haruniwa
「自己末梢血幹細胞移植」という難しい手術に挑戦するお医者さんも、覚悟をきめてその手術を受けるぷうさんも、どうぞ、平常心でその日をむかえ、手術が成功しますように。

不安が消えるように、毎日、祈っています。
2006-05-29 09:40:33 ページのトップへ
~~~~~~~~~~~~

<つづく>

ぽかぽか春庭「2007年1月ぷうさん日記」

2012-02-17 | インポート
2012/02/17
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(11)2007年1月ぷうさん日記

2007年01月03日
寒い
明けましておめでとう
昨年は沢山の人に沢山の言葉をいただきました
楽しい時間ももてました
沢山お話もしました
今年も元気でお話したいです
宜しくお願いします
今日は少し元気です
03:39 コメント(14) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-03 09:39
元気が出て、よかった。少しでも気分のよい、体調のよい日が増えていくことをいのっています。お母さんと暖かくしてすごしてね。


2007年01月04日
痛い
痛いです
股関節からしたは激痛で目がさめます
眠りについても突然きますので眠れないです
折れてないのに何故激痛があるのでしょう
癌で侵された骨のまわりの神経の影響でしょうか
今年も痛みと戦うしかないのでしょうか
悲しいです
辛いです
ゆっくり眠りたいです
03:02 コメント(14) ページのトップへ

2007年01月05日

2日に姉が子供を連れてきた
30分で帰ってしまった
ほとんど話しをすることなく
寂しいことだろう
わたしはもう姉とは素直に話せなくなってる
わたしが受け付けないのです
わたしができなかったこと
全部して手にいれて幸せだろう
また私の汚いこころがでてしまった
わたしは姉と話すことは死ぬまでできないだろう。
わたしは嫌な人間です
03:05 コメント(19) ページのトップへ

2007年01月06日
またか
新年早々嫌な事
「おめでとういつも励ましの言葉ありがとう、今年もよろしくお願いします」
わたしは沢山の人からの言葉が嬉しくて
感謝の気持ちで書きました
でもその人からの言葉
「痛い痛いと騒いでるだけで今年も励ませということですか」
悲しくて涙がでました
そんな意味で書いたのではないのに
何故そんなふうにとられてしまうのか
もう何も書けない
社会、世間のことは何も書けない
テレビなどの情報でのことぐらいしか書けない

世の中には病気で苦しくても辛くても
生きていくしかないことを言いたいだけ
なのに
悲しいです。切ないです。
06:26 コメント(28) ページのトップへ

2007年01月11日
何故か
新年早々
何か気持ちが悪くて胃の調子が悪いのです
吐き気が止まらない
口の中は酸味がある
食べ物もあまり受け付けない
股関節、膝、足首の激痛は毎日
頻繁に襲いかかる
暖めても駄目、激痛で眠れない、痛みが止まらない
激痛で声がでない
腰も痛い
寒いのもあるかもしれないけど
少しでいいから痛みを止めてほしい
和らぐだけでもいいから
沢山の人が祈りを捧げてくれてるのに
痛みを感じないで一度でいいから
眠りたい・・・
01:15 コメント(20) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-11 22:58
痛み、つらいですね。痛みなしに眠りたいという願い、届いてほしい。
祈っています

2007年01月14日
また
また姉が子供を連れてきた
子供の買物のついでに母を買物に連れていってほしいと頼んだ
返事は時間がないから・・・
じゃあ何故きたのだと
時間がないならきてくれなくてもいいと
また嫌な気持ちになった
ただ顔だすだけなら、話す時間もないなら
何の為にきたのとおもってしまう
自己嫌悪・・・
母が可哀相だった
買物ぐらいいってくれてもいいのに
30分ぐらいの時間もないのかなと
01:18 コメント(15) ページのトップへ

2007年01月15日
どうして・・・ また
涙が止まらない・・・
何が悲しく、切なく、辛く
いつものことかと思うけど
また色々なことが走馬灯のように
甦り、心の中がいっぱいです
病気さえしなければ、あのとき
助けてさえくれれば
こんなに苦しむこともなかったのに
普通の人生を送れていたのに・・・
わたしの人生なんだったのだろう
全部、あきらめるしかなくて
ただ幸せはカフェで沢山の人と出会い
言葉を交わし、話をして
沢山のものいただいたことは
わたしの幸せで宝です
からだもこころも不自由だけど
わたしは今幸せです。
愛する母と沢山の友達がいること
だから涙が止まらないのかも・・・
03:40 コメント(20) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-15 10:44
ぷうさん、私もぷうさんからたくさんのしあわせを分けてもらいました。
痛くてもつらくても涙のなかに友とことばをかわすぷうさんの姿を思い浮かべると、力がわいてきます

2007年01月18日
こんな
毎日、こんな苦しい辛い生活
いつまで続くのだろう
何も出来ない
お金がほしくても働けない
寂しい日々
あたまもこころも
おかしくなりそう
押し潰されて、身もこころも
ボロボロ・・・
生きることが辛い
生きることが苦しい
わがままでしょうか
04:28 コメント(10) ページのトップへ

2007年01月19日

何故・・・
何故だろう
こんなにこころが沈んでしまうのだろう
何時もなら、少しは元気になれるのに
こんなに急に、体力が無くなって
しまったのだろう
吐き気を感じるとまたあの苦しさを
思い出してしまう
痛みもひどいし、歯がまた抜けたし
手首まで激痛がでてきてしまった
腕はいつも冷たい
どうすれば少しでも気がはれるのだろう
わたしは弱い人間です
眠れない・・・涙はでる・・・
笑うことがない・・・
何故か悲しいだけ・・・
06:58 コメント(20) ページのトップへ

2007年01月23日
期待?
貴方はみんなからの言葉が
優しい言葉。
励ましの言葉。
暖かい言葉。
が寄せられることに期待してませんか
自分の意に反する言葉がくると
何故そんな言葉を送ってくるの?
貴方が勝手に人の言葉に期待?してるのではありませんか?
そんなことおかしいですよね
人の言う事は自由ですから、その人が感じたことを書いてきてもいいですよね
わたしはそんなこと考えもしなかった
みんなの優しい言葉がくることに期待?
思いもしなかった
わたしはどうすればいいのですか
みなさんからの言葉は本当にありがたく
感謝の気持ちで受け止めています
中には嫌な気持ちになる言葉もありますが
感じ方、受け止め方は自由ですから
人それぞれ違いますから
優しい言葉をかけてほしいということは
いけないことですか?
何がいけないのですか?
02:39 コメント(33) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-24 21:06
ぷうさん、いつでも心のなかに浮かんだことをカフェ日記に書いてね。私たちはそのことばを待っています。つらいことばも、痛いいたいの叫びも、私たちには、受け止める用意があります。ぷうさんのことばを待っています

2007年01月27日
このごろ
体力が落ちてしまい
みなさんにお返事できなくて
ごめんね
寝てるのに疲れてしまって
日記も書けない
手の力がでなくて
いつもありがとう
03:32 コメント(37) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-28 09:54
ぷうさんが暖かくしてゆったりすごせることが一番の私の願い。体力がないときパソコンを立ち上げるのもきついでしょうが、痛いときは「い」の一文字だけ打ち込んで。あさ、暖かく感じたら「あ」の一文字。それだけで、ぷうさんからのメッセージをいっぱい感じ取るから。でも、体調がいいときにね。無理しないでね

<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年12月ぷうさん日記」

2012-02-15 | インポート
2012/02/15
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(10)2006年12月ぷうさん日記

2006年12月02日
過去
過去の嫌な思い

忘れようとしてた

でもまた忘れられないような

出来事が

忘れたいのに忘れさせてくれない

何故そんなにわたしを

苦しめるのでしょう

穏やかな生活がしたい

苦しい辛い生活をしてるのに

死ねということでしょうか

わたしは生きていてはいけない
のでしょうか

短い命だといってるのに

それでも生きていることは
許されないのでしょうか

わたしはそんなに悪いこと
したのでしょうか

これ以上苦しめないでください
大切なものとらないでください
03:16 コメント(17) ページのトップへ

2006年12月03日
過去
忘れたい過去

父方の身内とは縁が切れてる状態です

まだ父が生きていたころ
わたしも病気が発覚して
辛い、苦しいとき
助けていただいたことが
あります

散々、私たち家族を虐められてきた
だから縁をきった

少し助けていただいたことには
本当に感謝してる

でも父が亡くなってからは
音信不通になった

健康で病気もしてない人が
助けてくれといってきた

あの時といまの状態も状況も
違う

働くこともできない
寝たきりのわたしは
母と二人で生きていくにも
やっとの生活

感謝はしてるけど
助けることなんてできない

わたしと母に死ねと言われて
いるようなものです

虐められ傷つけられ

いまになって言われても
いまどんな状態にいるかも
知らないのに

助けられない

わたしのわがままかもしれない
でも無理なものは無理

生きてるだけでせいいっぱい
いつ死んでしまうかわからない

忘れたい過去なのに

わたしのおもいいけないでしょうか
22:07 コメント(16) ページのトップへ

2006年12月05日
楽しい
虐め、嫌がらせをして
楽しいですか

人を傷つけ、自分も傷ついて

裕福な人も、貧乏な人も
健康な人も、病気な人も

一生懸命生きていかなければ
いけないのに

大切に生きていかなくては
いけないのに

そんな虐めや嫌がらせばかりしてて
時間がもったいなくないですか
一日がおしくないですか

今日はいい日でした
なんて言えますか

時間もお金もないわたしには
そんな過ごしかた
できません

人を傷つけたら自分も傷つくのです

悲しいです
切ないです

止めましょう
03:24 コメント(11) ページのトップへ

2006年12月06日
歳をとると・・・
母はも81歳です

病気はしてないけど
足が痛いと言いいます

ぼけはないと思うけど
直ぐ忘れてしまいます
何度も同じ話をします

こんなにぼけてもう駄目だねと
言います

わたしは母に面倒を見てもらってます

本当ならわたしが見てあげなければ
いけないのに

母の寝顔を見てると
涙がでて止まりません

こんなに苦労させて
切ないです

健康なら、病気になんてならなければ

いつまでも長生きしてほしいです

わたしは親不孝です
02:34 コメント(14) ページのトップへ

2006年12月07日
神様
神様は何故病気の人を作るのでしょう

どうやって決めるのでしょう

この人は健康でと

この人は病気でと

何故わたしは病気の人に

選ばれたのでしょう

神様に嫌われる何か
悪いことしたのでしょうか

病気が憎いです
癌が憎いです

同じ病気でも

この人は完治して

この人は完治できない

そんな不公平なこと

病気に完治できない人は
死ぬまで苦しむ

神様は病気をどう与えるのでしょう

悲しいです

涙が出るほど悲しいです
04:12 コメント(15) ページのトップへ

2006年12月08日
お風呂
わたしはお風呂が大好きです

日に2回は入ってました

でも寝たきりの状態になり

お風呂を入るのにどんなに大変なこと

母にいれてもらうことなんて

とても出来ない

逆に母が入るときは見ていて

上げなければなりません

でもそれもできません

本当は毎日お風呂に入りたい

でも誰かの手をかりないと入れません

久しぶりに母と二人で入りました

そして母の背中を流してあげました

体は動かないけど

手が動くから、湯船に入りながら

小さい背中でした

涙が止まりませんでした

心配や苦労ばかりかけて

こんなに小さくなってしまって

ごめんねお母さん
03:32 コメント(12) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-08 08:20
いっしょに入って、いっしょにあったまれたのね。お母さんの心もいっぱいあったまったと思います。

2006年12月09日
怖い
変なメールがきました

知らない人で

文面が何もないの

何通も

嫌がらせかな

怖いです

ぷうさんという名前はしってる

でもメールアドレスは

どうしてわかったのだろう

嫌な世の中になってしまいました
02:52 コメント(14) ページのトップへ

2006年12月10日
うれしい
嬉しいことがありました

お友達からカステラが届きました

甘いものが食べたいなあと

思ってたのです

一度に沢山は食べれないけど

楽しみです

ありがとう嬉しいです
03:12 コメント(30) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-10 10:04
友達の心がうれしい甘さですね。私も甘いもの大好き。やわらかくてふわふわであま~いカステラ、楽しんでね

2006年12月15日
また
11日にまた前と同じように

吐き気、頭痛、で胃潰瘍、十二指腸潰瘍のために、救急車で入院してしまいました

嘔吐と下痢が止まらず、前回のように
またなってしまいました

日記が更新できずごめんなさい

入院中に色々ありました

辛いです
23:24 コメント(20) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-16 00:44
とても心配でした。下痢と嘔吐、つらかったですね。どうぞ、回復が順調でありますように。

2006年12月17日
不安
今回の入院で前と同じ症状でしたが

癌が骨の細胞を破壊して頭の骨から

カルシュウムが不足して吐き気が

でました

脊髄の骨までがもう潰れていました

今は痛みをどうにか和らげようと

してる治療です。

麻痺をするのは早いうちになると

そこでもうこの病院では治療が出来ない

後ははケアー病院での治療に変えるしか

ないと言われてしまいました

今まで、信頼してきた医者が変わるのは

不安です

今度の病院の先生も知らないわけではない

ですが、でも癌の治療ももう出来ない

後は痛みを抑えられるように

していくしかない

ケアー病院は死に向かうために

精神的、肉体的に心のケアーをするのです

癌が私の体の細胞、骨を壊しているのが

改めて、言われてしまいました。

治療法がない患者は最後はおだやかに

過ごせるようにするだけなのです

辛いです。切ないです。悲しいです。

病気が癌が憎いです。
00:47 コメント(18) ページのトップへ

2006年12月18日
ごめんね
ここ、毎日の寒さで調子が悪くて
日記が書けずにいました

意識があるままに、ケアー病院でからだとこころの痛みを和らげてもらってくださいと言われて、今までの医者に見離されてしまったのだなあと思いました

涙が止まりませんでした

もう、手のほどこしようがないと
こころが潰れないように、
優しくしてもらいなさいと

どんなに優しくされても
痛みはとまりません
癌はなくなりません

こんなならもうぼけて何もわからない状態のほうがよかったのかもとおもいます

悔しくて、切なくて、悲しくて

薬の量を増やすだけで
新しい治療も薬もない

何故癌になんてなってしまったのでしょう
何故、こんなからだになってしまったのでしょう

人の人生は平等ではないけど
でも辛すぎる。

不公平すぎる。
23:17 コメント(17) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-19 20:56
ただただ、祈っています。ぷうさんの痛みがやわらぎますように。お母さんの体調もよいように、長野の寒さが厳しくないように。いつもいつも祈っています

2006年12月21日
わがまま
わたしは自分の気持ちや人の気持ちが
わからなくなったら、ケアー病院で
心静かに死への時間を過ごすつもり
でした。

でも、今まで診てくれた先生達は
もう何も出来ません
この病院でもケアー病院でも
出す薬は同じです

だからこれからはケアー病院で
診てもらい、薬をもらってくださいと

何故、医者は患者を最後まで診て
くれないのでしょう

今のわたしは痛みを和らげる為だけに
薬をもらい飲んでるだけです。

急に具合が悪くなれば入院して
様子をみて退院するの
繰り返しです

患者が医者が変わる度にどんなに
不安な気持ちになるか
患者も医者を選べるというけど
本当のところ、違うとわたしは
おもいます
患者は医者は選べない
すがるしかないのです

不安を少しでもなくしてくれる
医者はいません

わがままでしょうか
ケアー病院に行きたくないということ

ケアー病院へいけばわたしの
辛さ、悲しさ、切なさを和らげて
くれるのでしょうか

わがままでしょうねわたしは
02:03 コメント(14) ページのトップへ

2006年12月23日
もう
今年ももうあと数日で終わります

今年はどんな年だっただろう

今年は一月二日から入院してた

お正月は病院で静かに過ごした

普段入院してる患者さんも

お正月はお家で過ごそうと

みんな外泊してる

だから病院は本当に静か過ぎる

医者も看護師も少ない

でもお正月もお盆もクリスマスも

年末も帰れない人も沢山いるのも

事実である

わたしも一年以上入院したときは

帰れなかった

六人部屋も一人部屋になる

寂しい日である

一月四日ごろになると

不思議とみんなただいまと帰ってくる

お帰りと言いながら

ごめんね留守番させてと言う

そしてまた変わりない治療の日々が

はじまる。

病院もクリスマスはケーキがでる

お正月はおせちとお雑煮

クリスマスは先生がサンタで

看護師さんと学生がキャンドルを

みんなにともす

楽しみの一つでもある

でもお正月は嫌です

年越しをして亡くなる人が多いから・・・
05:19 コメント(8) ページのトップへ

2006年12月24日
クリスマスイブ
ケーキはあまり食べれないの

だからショートケーキを

母とふたりで2個あればいい

一度に食べると気持ち悪くなるから

少しずつ食べます。

母にはプレゼント

セーターにしました。

この冬に着て貰うように

母は一言

どこに着ていけばいいのかな

何か寂しい言葉でした

ごめんね

どこにも連れて行けなくて

本当なら美味しいご飯でも食べに

行ければいいのですが・・・

寂しいおもいさせてごめんね
02:04 コメント(19) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-24 12:09
あたたかいセーターにこめられたぷうさんのあったかい気持ちがお母さんには何よりのプレゼントですね。母娘ふたりで味わうケーキ、世界一の味と思います。

2006年12月25日
友達
今日、友達がケーキを持って

尋ねてきてくれました

友達は大学の先輩で

父を預かってもらってるお寺の住職の

奥さんです。

嬉しかったです

この前尋ねてきてくれたときは

わたしが調子が悪くて、起きれず

逢えないでいました

母も彼女をしってるから

嬉しそうでした。

優しいね。

きっとケーキも買へにいくことが

出来ないとおもってくれて

感謝の気持ちです

彼女の心遣いにありがとうと言いたいです

ありがとう。
02:32 コメント(15) ページのトップへ

2006年12月27日
字が
いま、少し調子が悪いのです

吐き気が止まらない
しゃっくりが止まらない

字が書けないの
ぺんを落としてしまう
手に力が入らない

手が震えてる

なんだろうこの症状

手の振るえが止まらない

手を握り締めても力が入らない

だんだん眠くなってきた

ごめんねちょっと打てないので
ここで日記やめるね
03:04 コメント(32) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-12-27 11:35
無理は禁物。眠いときはゆっくりやすんで。よい眠りでありますように。目がさめたら、おかあさんとゆったりお話ししてね。
昨日は、一日冷たい雨で夜は雷でしたが、今日はとてもあたたかです。

2006年12月31日
ありがとう
沢山の人から

わたしは沢山の優しさ、暖かさ

沢山の励ましをいただきました

ありがとうございました

ここ少し調子の悪い日が続いてます

きょうは少し元気です

本当にありがとう
22:57 コメント(13) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2007-01-01 12:13)
新年おめでとうございます。ぷうさんからのありがとうがうれしいです。春庭からもありがとう。今年もよろしくねお母さんとぷうさんの2007年がこころゆたかな日々となりますように。
無理せず、体調みながらおすごしください

<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年11月ぷうさん日記」

2012-02-14 | インポート
2012/02/14
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(9)2006年11月ぷうさん日記

2006年11月01日
ひとり
わたしは友達なんか
いらない。
ひとりで生きていける。
友達付き合いはわずらわしいだけ

こんなこと
言う人がいます

そうかなあ
ひとりでは生きていけない
と思うけど
友達もいたほうがいいと
思うけど

本当は寂しい人なのね
寂しくてしょうがない人

愛情が薄いのでしょうか

わたしは友達がいなければ
生きていけない

友達がいたからこれまで
生きてこれた
いなければ
とうに死んでしまっていると思う

友達から
愛情、辛さ、悲しさ
楽しさ、嬉しい
幸せ、厳しさ、ほかにも沢山

もらうことができるから
01:02 コメント(11) ページのトップへ

2006年11月02日
もう・・・
もう駄目かな

膝や足首の痛みも
ぜんぜん治らない
激痛がはしってばかりで

腰の痛さは相変わらず

起きてよりかかり
していられるのが15分と
もたない
痛みが耐えられず
横になるしかない

膝はがくがくで
座ってても
びんぼうゆすりをしている
みたい

トイレも今まで
這いながらいった

でも限界かな
枕もとにトイレをおくこと

まさかおむつは嫌だしね
意識があるのに

限界かな・・・
02:57 コメント(15) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-02 08:21
ぷうさん、おはようございます。
トイレまで行くのがつらいようになったら、部屋におくことも必要ね。
痛みがやわらぎますように

2006年11月03日
次から次
何故

次から次へと
嫌な、辛いことが
おきるのでしょう

こんなにからだ中が痛い思い
してるのに

神様は
何故試練を与えるのでしょう

神様は
何故こんなに虐めるのでしょう

神様は
何故、悲しい目にあわせるのでしょう

わたしをそんなにいじめたい
のでしょうか

一生懸命に生きて
いようとしているのに

人間はそんなに強くない
人間は弱いものです

神様はわたしに
もっと苦しみなさいと
言っているようです

何故ですか
03:09 コメント(10) ページのトップへ

2006年11月04日
毎日
こんな
毎日を何時まで続けるのでしょう

痛くて、歩けないから
家のなかに閉じこもり
外にも出れずに
部屋のなかから
外の工事を見てるだけ

誰かが尋ねてくるわけでもなく
誰から電話がくるわけでもなく

テレビをみても
音楽を聴いても
パソコンをしても

あたまから病気のことは
離れるはずもなく

何でこんな毎日なのか
生きていながら死んでるような

苦しい毎日
人と話すこともなく

ただ、ぼーと
時間が過ぎていく

こんな毎日を
いつまで続けるのか
生き殺しのような日々

死ぬまで抜け出すことが
できない
03:14 コメント(12) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-04 09:56
痛いと、いつも病気のことが頭から離れませんね。つらいことと思います。でも、ぷうさんはこうしてカフェのなかでことばを交わしあえる。ぼ~っと時間がすぎていくことがあってもいいよ。それも大事な生の時間。私たちがぷうさんの体の痛みをとることができないのは残念だけれど、ぷうさんは私たちの心の痛みをいやすことばを送り続けてくれる。ありがとう。

2006年11月05日
また
またでてきてしまいました

鬱病が
暗い気持ちの毎日で
ため息ばかり

痛みは激しくなるばかりで

生きてることが
こんなにも辛いものかと

こんなに苦しいものかと

こんな気持ちでいる自分が
悲しい

生きることがしんどいです

ごめんね
04:15 コメント(28) ページのトップへ

2006年11月08日
ごめんね
ごめんね

みなさんとお話するのは
本当に楽しくて嬉しいのに

何をする気力がなくて

お腹もすかない
眠ることもできない

ただ
ぼーとしてるだけです

これではいけないのは
わかっているのですが

駄目です

ごめんなさい
03:19 コメント(22) ページのトップへ

2006年11月10日
本当は
何故、何も気力がないのか
わかってるのです

新しい治療に対しての
不安が取れない

死ぬまでからだに麻酔を流し
続けること

背中の骨髄から管が通され
皮膚の下に通され
針がさすような
また違う痛みを感じて
行かなければならないこと

麻酔で頭がぼーとしてること

その不安が止まらないのです

みなさんが沢山励まして
下さるのに

元気だして、何時でも
飛んできてあげるよ

いくらでも声かけてあげるよ

こんな優しい言葉を
いただいているのに

悔しいです
03:58 コメント(12) ページのトップへ

2006年11月12日
日々
毎日が充実して納得できるような
日々が送れるように

わたしが毎日納得して
生きていける日々なんて

あるわけない
何事も不自由で
自分の思うようなこと
何一つできないのに

そんなこと
わたしに要求しても無理です

みなさんは
毎日、納得して充実な日々を
送ってますか

わたしは、
痛みに耐えていることだけしかない

いま以上にからだが動かなくなるのに

わたしに何を求めているのですか
わたしにどうしろというのですか

これ以上何をすればいいのですか
02:37 コメント(14) ページのトップへ

2006年11月14日
贅沢
少し
贅沢をしました。

今まで、布団を引いて寝てたのですが
起き上がるのが中々出来なくなり
リクライニングのベットを
買うことにしました

からだの向きを自由にかえることが
できるからです
起き上がるのも楽だしね

わたしにはすごい贅沢だけど
痛みには変えることが出来ないから

楽しみです。

贅沢って何でしょうか
01:35 コメント(1) ページのトップへ

贅沢
少し
贅沢をしました。

今まで、布団を引いて寝てたのですが
起き上がるのが中々出来なくなり
リクライニングのベットを
買うことにしました

からだの向きを自由にかえることが
できるからです
起き上がるのも楽だしね

わたしにはすごい贅沢だけど
痛みには変えることが出来ないから

楽しみです。

贅沢って何でしょうか
01:35 コメント(20) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-15 10:04
ベッドで少しでも快適な生活ができるようなら、とてもいいことですね。
東京都は、車いすやリクライニングベッドの貸し出しを行っていますが、長野では貸し出しがないのですね。体が不自由だったり病気だったりするとき、だれでも同じように福祉を利用できるといいのに、地域によって差がありますね。

2006年11月17日
しんどい
風邪をひいてしまいました

頭が痛くて、頭痛がひどいのです

あんなに気をつけていたのに

急に寒くなり、喉が痛いとおもい

次に日には鼻水な止まらない

体温調整ができないから

寒気があり熱もある

みなさんは大丈夫ですか

風邪ひいてないですか

気をつけてください

風邪も無理すると肺炎になるからね
01:42 コメント(14) ページのトップへ

2006年11月18日
限界
この頃、あまり食べることも
できない

体力が落ちてるのがよくわかる

すぐ疲れてしまう

起き上がってることが出来ない

癌が着実に進行してる

限界。

生きていたい。

まだ話すことたくさんあるのだから

死にたくない。

でも限界は必ずある

03:44 コメント(12) ページのトップへ

2006年11月19日
春なら
春なら

いま一番行きたいところ

動物園。

まだ歩くことができた頃

近くの動物園に行きました

平日の為か

閑散としていて静かで

動物ものんびりとして

行きたいなあ

動物園。
02:57 コメント(16) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-19 20:40
動物たちをみていると心がなごみますね。私も動物園大好き。ぷうさん、風邪、よくなりましたか。お大事にね。

2006年11月21日
約束
カフェの友人がパニック障害という
病気でいま一人でリハリビを
してます

ひとりで長い時間外に出掛けることも
できません

彼女はがんばって出掛けることが
できるようになったら
私に逢いにきてくれると
約束してくれました

何時になるかはわかりません

いま、わたしは疲れがひどく
食事もあまりできない
体力が落ちてることも
わかってます

病気が進んでいることも

だから彼女が逢いにきてくれるまで

わたしは生きていたいです

約束しました

わたしが逢いにいくまで生きて
いてほしいと

不安です
でも約束は守りたいです
だからわたしは生きていたいです
02:42 コメント(18) ページのトップへ

2006年11月22日
夢・・・
夢を見ました

この頃とても逢いたいと
おもっていた人です

好きな人

わたしの病気を知っていました
励まし、支えてくれた人
結婚をしようともいってくれた人

でも別れました

一緒になっても支えてあげることが
できない
子供も産むことも出来ない

それに相手の母親の反対もあり

別れました
自然に何も言わないまま

懐かしくて、逢いたいと
おもってた

夢で逢うことができました
わたしはそれで十分です
18:05 コメント(14) ページのトップへ

2006年11月24日
冬の日
年の終わりに近づくと
何故か寂しくなります

クリスマスも年越しもお正月も
楽しくない

寂しさがこころにたまる

毎年、今年も生きていれたねと
来年はどうだろう

体が段々動けなくなってる
体力も精神力もおちてる

今年も1月2日に救急車で入院
お正月は病院にいた
静まりかえった病院は
寂しくて・・・

雪が降ると外にでることさえ
できない
免疫力のないわたしは寒さに弱い

冬は寂しい日が続く
01:49 コメント(13) ページのトップへ

2006年11月25日
花火
昨日23日は長野市で一番大きい
花火大会がありました

家の中で花火の音を聞いてました
家が振動で地震がきたみたいでした

今、風邪をひいてるのですが

母がつまらないでしょうと
暖かくして少しだけ
外にでて見ようかといってくれました

綺麗でした
花火はなんであんなに綺麗なのでしょう

この前見たときは病院のべットの上
でした

そのときも綺麗だったこと
覚えてます

来年は見れるでしょうか

寒さが身に凍みました
02:41 コメント(15) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-25 16:01
風邪、早くなおるといいね。
花火、きれいだったでしょうね。家の中に新道が伝わるくらい近くでの打ち上げなら、きっと空いっぱいにひろがる見事な花火だったでしょうね。お母さんといっしょにみることができて、ほんとうによかった。一瞬で消えてしまう花火だけれど、いつまでも心に残ります。また来年の花火をお母さんといっしょに見たいね。

2006年11月27日
老いた
この頃、歳老いた母を見てると
悲しくなります

歳をとれば、誰でもぼけたり物忘れを
したりすることは当たり前なのですが

買物しすぎだよといっても
食べるもの何もないという

わたしが痛みをいうと
何故痛いの
どこが痛いのという

母と二人で生きていかなくては
ならないわたしは不安でしょうがない

わたしの世話も家事も出来なくなれば
どうやって生きていけばいいのだろう

そう遠くないその日がくること
誰も面倒をみてくれる人がいない

二人で一緒に死を見つめるしか
ないのでしょう

悲しくて涙がでます
少しでも長生きしてほしいです
元気でいてほしいです

悲しいです
02:56 コメント(12) ページのトップへ

2006年11月28日
幻覚
この頃よく幻覚を見ることが多い

置いてある物が動いたり
天井に何か見えたり
ありえない音を聞いたり

いつもいくつもの事を
考える性格で
これは昔から治らない

人と話してても
違うことを常に考えている

不安という恐怖感がある
何かに怯えて

自分でかかえきれないことの不安

眠れない不安
食べられない不安
痛みに耐えられない不安
死への不安
生きることの不安

沢山ありすぎて

誰にでもあるのだろうが

怖いです
03:28 コメント(11) ページのトップへ

2006年11月29日
決意
明日「今日」かな

病院にいってきます

新しい治療をするため
先生とお話をしてきます

この治療で痛みはなくなりません

痛みが今より和らぐかは
してみないとわかりません

もう腰から下は硬直してしまうことは
さけられないことです

いま以上に不自由になること

後悔しない為にも
大変ですが治療を受けたいと
思います

心臓がドキドキしてます
眠れません

明日が少しでも暖かい日で
あることを願ってます
03:18 コメント(15) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-11-29 09:34
新しい治療、不安も大きいですよね。先生とよく話し合って、少しでもよい状態になるように、痛みがおさまるように。

2006年11月30日
辛い
病院にいってきました

辛いです

今度しようとしてた治療も駄目に
なりました

骨髄の損傷が脊髄まできてました

下半身麻痺だそうです

ここまできてしまうと
麻酔をかけても痛みは止まらない
ききめがない
何の効果もないということです

こんなにひどく体中に
広まってるとは思わなかったと

だから激痛がひどくおこっていたと

レントゲンの写真を見て
こんなに骨が潰れているとは

早いうちに麻痺します
下半身は動かなくなるでしょうと
言われてしまいました

薬がまた増えました

前回の治療
骨に穴を開けた
効果なかったねと

麻痺してしまうこと怖いです
辛いです

もうどうにもならない
後どれだけ生きれるだろう
04:45 コメント(20) ページのトップへ


<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年10月ぷうさん日記」

2012-02-12 | インポート
2012/02/12
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(8)2006年10月ぷうさん日記

2006年10月01日
寂しい
またカフェの友達が退会した

この頃すごく多い。

みんな嫌な思いして疲れて
退会していく。

寂しいです

私の傍からみんな離れていく

このカフェで出会い言葉を交わし

一日の出来事、辛いこと、悲しいこと
嬉しいことなど話をしてたのに

みんなわたしから離れてしまう

病気してからもみんないなくなった
寂しくてしょうがないとき
このカフェで出会えたのに

傷つけたのかもしれない
愚痴ばかりこぼしてるから
嫌気がさしてしまったのかも

わたしから離れないでほしい
傍にいて欲しい

泣いてばかりいる毎日です。

止めないでほしい
疲れたら休んで、また戻ってほしい

まだ話たりないから

わたしから大切な者がなくなる

行かないでほしい

わがままでしょうか
03:10 コメント(19) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-01 13:08
ことばを交わしあった人が退会すること、いろんな事情がそれぞれにあるのでしょうけれど、寂しいですね。
ぷうさんとお話ししたい人はたくさんいるとおもうけれど、ひとりひとりを大切にしているぷうさんにとっては、ひとり欠けるのもさびしいのね。

2006年10月02日
季節
季節の変わり目には
何かが変わる・

いつもそう思っていました。

またきょうも友達が退会した。

このカフェでなにがおきてる
のだろう

嫌なことがおきなければいいけど

ここ嫌なことが目や耳に入る

楽しいカフェでいてほしい
楽しいカフェにしたい

わたしは寒くなると
気が弱くなります

悪いほうばかり考える
からだは動かなくなる

こうこれ以上
辛い思いはしたくない
04:13 コメント(14) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-02 08:32
東京も昨日からずっと雨降り。かなり強く降っています。なんだかもの悲しくなる秋の雨。でも、ぷうさん、木の葉が赤や黄に染まる秋を思い浮かべて、別れもあれば新しい出会いもあることを考えて、今日一日をすごしていきましょうね

2006年10月03日
言葉
このところからだの調子も
あまりよくない。
こころもふさぎがちです。

でも嬉しいことがありました。

わたしの為に、ある人が
わたしがお返事を書いた
掲示板にわたしの気持ちを
書いてくれました。

このところこころのない
言葉に悩み、苦しみ
涙さえでてきていました。

でもこんなにもわたしの
気持ちを分かってくださり
わたしが言いたいことを
理解してくださり

代わりに書いてくれました

本当に嬉しい気持ちで
いっぱいです
なみだがでるほど嬉しいです

そんな優しい、気遣いの
できるあなたにありがとうを
送りたいです。

ありがとう・・・
02:35 コメント(18) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-03 10:55
こころと心、つなぎあって、共感しあって。


2006年10月04日
言葉
人はみんな傷みを抱えて
辛い思いをしてる

わたしは病気になって
大切なものを沢山なくしました

人の気持ちも傷みも感じることが
できました

自分がいまほとんど
寝たきりの生活で
なにもできない
なにも思うようにいかない
これ以上何も手にいれることが
できない

みなさんから
沢山の言葉をもらい
こころから心配してくれて
無くした大切なものが
またわたしに届くように
なりました。

人を傷つけたことも
あるかもしれない

自分だけどうして
自分だけではないのに

普通の生活ができてたのに
突然できなくなる辛さ
自由になんでもできたのに
できなくなる

無気力で何もしない毎日

わたしに届いた言葉が
生きなさい。
どんな辛いことでも
生きるのです

どん底を見たのだから
後は生きるだけ
辛くても、悲しくても

沢山の言葉が貴方を支えているから
頑張れ、負けるな、
泣きたければ泣きたいだけ泣きなさい

でも笑うことも忘れてはいけないよ

私たちが貴方を見守ってあげるから
まだある言葉

逢えないのだから
わたしにはたくさんの
言葉が支えです
生きて行くため、
自ら命を捨てないため

自分で自分を支えられないから

言葉があれば気持ちも
通じるかもしれない
自分で自分にそして人にも
13:57 コメント(17) ページのトップへ

2006年10月05日
激痛
ここ何日か前から
足が硬直してるような
感覚になりぱんぱんになってる
このままでいくと
膝が曲がらなくなりそう

股関節、膝の激痛がある
悲鳴をあげると母がとんできて
さすってくれる
傷みがすこし納まるまで

同じ姿勢でいると固まってしまう

ああどんどんひどくなってる

傷み止めが効かない
こんな強い薬なのに

辛いなあ、切ないなあ

こんこと何時まで続くのだろ
死ぬまで・・・

疲れたなあ・・・
19:47 コメント(16) ページのトップへ

2006年10月06日
愚痴
愚痴はどんなに言っても
叫んでもいいんだよ

辛い、苦しい、切ない、悲しい
こころとからだの言葉なのです

だから我慢なんかしなくていい

何時でも待ってるよ
何時までも待ってるよ
何時も待ってるよ

吐き出していいんだよ

叫ばないと
こころが潰れてしまうから

愚痴はこぼしていいんだよ
17:26 コメント(11) ページのトップへ

2006年10月07日
また
ある人からこんな言葉が

届きました。

あと少しの命
ありがとう
感謝
忘れないよ

わたしはこの人と言葉を
ほとんど交わしたことがない
感謝されること何もしてない

そうわたしは何時まで生きれるか
わからない
そんなに長くは生きることは
できないと思う

病気の癌は進行してるし
治療法もないからね

でも後少しの命なんてこと
言われたくない
こんな意地悪な言葉ない

悲しくて、涙がでてきた。

自分でもわかってる
長く生きれない事
でも人に言われたくない。

変ですか
01:36 コメント(17) ページのトップへ

2006年10月08日
何故
また私の前から
みんなが去ってしまうような
感じがしてならないの

いままでもわたしの前から
友達はいなくなりました

また
わたしの傍から離れていく
そんな気がする

あのころと同じ寂しさ、悲しさを
また味わうのでしょうか

わたしの傍には誰もいなくなり
またひとりぼっちになってしまう

そんな予感がしてならない

こんなにたくさんの人が傍に
いてくれるのに

何故か寂しくてしょうがない

贅沢でしょうか
この不安がこころのなかを
過ぎる

離れないで、傍にいてと
一生懸命叫んでいるわたしがいる
ひとりにしないでと

何でこんなに寂しいのだろう
00:53 コメント(19) ページのトップへ

2006年10月09日
わたしの
わたしの人生は突然方向が
変わってしまった。

幸せ、楽しい、元気
辛い、寂しい、切ない、悲しい
沢山の人生

普通なら健康で幸せに平凡な
人生を送れていたかもしれない

でも癌になって歩くことが
出来なくなって体中の傷みに
絶えていく、ほとんど動くこともなく
寝たきりの人生に

喜怒哀楽の人生
わたしは怒哀の人生

今日は何をした
今日はどこへ出掛けてきた
今日はこんなことがあった

そんなことが全然なくて
ただ痛みに耐えて、痛いよと
泣いているだけで
唯一このカフェで言葉を交わして
いることが楽しみで

家のなかに閉じこもり
何をすることも出来ない
そんな毎日

みんなに話すことは愚痴ばかりで
今日、こんなことした
今日、こんなとこ遊びにいった
そんな話もできない

こんな辛い人生
毎日泣いて暮らす人生

もういや
痛いのにも疲れた
こんな寂しい人生
何故わたしの人生こんなに
したのか、恨みしかなくて

死ぬまで続く痛み
死ななくては治らない癌と痛み
何時まで耐えなければならないのか
わからないのに

こんな辛い毎日もう嫌です
00:41 コメント(20) ページのトップへ

2006年10月11日
あったかい
本当に天気がいい
小春日和でした

久しぶりに
日なたぼっこをしました

ここちよい日差しが
気持ちよかった

母とふたりで

優しい気持ちになれました

でも寂しい気持ちが残りました
00:12 コメント(12) ページのトップへ

2006年10月12日

お元気でしたか、お久しぶりです。
口は災いの元です。

こんな言葉がきました

この人と一度もお話をしたこと
ありません。

人は自分が思ってなくても
相手を傷つけてしまうことが
あります。

わたしは素直に正直に
お話をしてます。

わたしの言葉で傷ついて
しまった人には
ここで誤るしかありません

ごめんなさい

世の中には沢山の言葉が
あります
その言葉でこころのお話を
するしかないのです。
一つの言葉にはいくつもの
意味もあります。

だから何度も話をするしか
ないのです。

言葉を大切にしながら・・・
04:37 コメント(20) ページのトップへ

2006年10月13日
知らない
しらないで恥ずかしいのですが

何故野球が優勝すると
ビールかけをするのですか?

祝賀会はまた別にするでしょう

貧乏なわたしには
もったいない気がして
ならないのです。

あのビール代は誰がだすの
でしょうか

他のスポーツはしないでしょう

F1とかはシャンパンをかけるけど
あんなに大騒ぎしない。

不思議でしょうがなかった
03:41 コメント(4) ページのトップへ

諦め
病気をしてから

自分の夢も
自分の希望も
自分の将来も
自分の現在も
自分の未来も

もう諦めている自分がいる

みんなに励まされて頑張っている

頑張りが足りないから

病気が治らない
痛みが止まらない

みんなに支えてもらってるから

諦めないでいようとも思った

でもいくら頑張っても頑張っても
痛みは止まらない。
強くなる一方

こんなに優しい言葉を
もらってるのに

諦めている自分がいる

悔しい・・・

頑張る力がない
04:12 コメント(26) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-13 07:23
ぷうさんが毎日痛みとたたかってがんばっていること、尊いです。神様も仏様もぷうさんのがんばる様子みていてくれると思います。

2006年10月16日
毎日
痛い痛いと過ごしてる毎日
日々が過ぎていく
なんてもったいないのでしょう
時間も日ももう戻らないのに

何も出来ないで
ただ横になり、痛みが止まらないよ
といいながら時間が過ぎて
いってしまう。

しょうがないでしょう
動けないのだから

何度も何度も
問いかけても答えは同じ

母は動けなくてもいい
痛いのは可哀相だけど

生きていてくれるだけでいい

今、考えるともうとっくに
死んでいてもいいはずなのに

生きている。

それだけでいい

貴方は辛い毎日でしょう
でも生きていてほしい。

少しでも長く、
少しでも遠い日まで
少しでも長い時間を

痛みはわかってあげられないけど
苦しんでいる姿は見てるから

生きてることに
辛いことも、切ないことも

知ってるけど、生きていてほしい。
01:04 コメント(16) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-17 23:11
お母さんの願い、かないますように。ずっといつまでもいっしょにいられますようい。
痛みがやわらぎますように。
毎日空へむかってお願いしています。

2006年10月18日
心配
母が心配して
こういいました。

あまり食欲のないわたしに
パスタをつくってあげるから
食べよう?

でも母はどうすればいいかわからない

わたしは台所に
椅子をもっていって
腰掛ながら

傍で母にやり方を
教えました

たらこパスタです
たらことバターを混ぜて
麺をゆでたら
オリーブオイルでまぜて
ほしいとね
パスタをゆでるときに塩をいれて
その塩とたらこの塩味とで
味付けはいらないから

ほんの少ししか食べることが
出来ないけど

台所にいても椅子に腰掛けて
いても痛みは感じているけど

その気遣いが嬉しくて
元気なるようにしてくれた
気持ちが嬉しくて

涙がでました

でも美味しく食べました。

今度はひとりでできるから
またつくってあげるねと

どのくらいぶりに台所に
いただろうか
台所での母の後ろ姿しか
見てないのに

今日は一緒に

ありがとう
13:40 コメント(21) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-10-18 23:59
ぷうさんのたらこパスタ、お母さんの愛情、ビタミンあいがいっぱいはいっていますね。
おいしそうなパスタです

2006年10月20日
どうして
嫌な言葉がきました。
寂しいことがありました。
悲しいことがありました。
辛いことがありました。
毎日、痛いおもいしてます。

頑張っても、頑張っても
前向きになろうとしても

からだの痛みは止まりません。
こころの痛みはとまりません。

わたしに少しでいいから骨髄を
ください。
ほんの少しでいいから
あなたのからだに傷痕は
残りません。

こんな思いをしても
もう移植の出来ないからだに
なってしまってる。

どのくらい望んだことでしょう。

でもわたしにはいらなくなりました。

これからも痛みと戦うしかない。
それしかわたしの生きる道はない。
00:21 コメント(9) ページのトップへ

2006年10月21日
決断
今日、病院にいってきました。

昨日から調子が悪くて、無理したの
ですがどうしても行かないと
いけなかったので

前からある症状で
股関節、膝、足首などの
激痛がはしり、筋肉が固まる感覚
その話をしました。

膝などにある風船のようなものが
動かすことにより固まったののが
ふくれたりすると激痛が走ると

もう薬が効かないね

後、するとすれば
脊髄にまだいいのがあると思うから
脊髄から骨髄まで管をいれて
わきばらに皮膚のしたに管を通し
そこから24時間麻酔注射液を
流し込むこと

入院して管を入れて様子をみて
後は家でする。
24時間で交換する麻酔も自分で
交換して、消毒は在宅看護に
いってもらいしてもらう

ただお風呂が中々難しい
でもシールで止めればなんとか
なるだろう

前に骨接したとき、脊髄から
麻酔を背中の皮膚にいれて
したことがあるのですが
あたるとちくちく痛いのです
針が刺さってる感じなのです

その痛みに耐えることが
できるだろうか

このままだと腰からしたは
完全に固まってしまうと

どうすればいいのだろう
怖いです。穴があいてるのですから
皮膚をみれば管が見える
針さす痛みは耐えられるだろうか

いまはまだ、足も動かせるのですが
上半身しか動かせなくなる。

どうすれば・・・
辛い選択です。
04:15 コメント(23) ページのトップへ

2006年10月23日
憂鬱
医者に言われて
その治療の選択もいいかも
と考えました。

ただずーとからだに管が通っていること
考えてしまうと
なんだか憂鬱でしかたがありません

薬の量は減るかもしれないけど
背中に穴があいたままということ

どちらにしろ
腰から下は固まってしまうことは
同じこと、
遅かれそうなることが

何でこうなってしまったのか

情けないです。
17:42 コメント(19) ページのトップへ

2006年10月25日
怖い
今度の治療は
なんだか怖くて決められない

24時間ごとに麻酔液を交換する
脊髄に穴をあけて管をいれる

穴が開いたまま皮膚のしたに
管が通ってる。

痛みはどれくらい少なくなるか
判断は出来ない

お風呂も入りにくくなる

在宅介護で消毒はしてくれる

これが死ぬまで続く

股関節から下は硬直してしまう

いまのままがいいのか
治療をうけたほうがいいのか

みんなはどうする?

足が硬直する。
麻酔しても治らない。

みんなならどうしますか
教えてください

今は怖いから
00:41 コメント(21) ページのトップへ

2006年10月26日
気持ち
いつも
愚痴や弱音ばかり
言ってる

そんな自分が
嫌な部分もあって

でも
どうしても気持ちが
自分の気持ちがわからないと
愚痴がでてしまう

また
ある人に言われました
「愚痴をいってください。貴方の気が済むなら、聞いてあげますよ。
でも日記に書いてもらわないと聞いてあげられない。愚痴を吐いてください
いくらでも、それであなたの気が済むならね。」

わたしだって愚痴なんてあまり
言いたくない
楽しいこと、話がしたい
でも今、こころの弱いところが
でてどうしたらいいかわからない

わたしが愚痴や弱音をいうと
あなたに気がさわるのですか
不愉快なおもいさせるのですか
嫌なおもいさせるのですか

わたしはそんなに強い人間では
ない
本当は弱い人間です
だから愚痴や弱音がでてしまう

そんなに
いけないことですか

辛い、悲しい、寂しい
楽しい、美味しい、嬉しい

何故素直にいってはいけないのですか
14:01 コメント(21) ページのトップへ

2006年10月29日
時期
また
体温調整ができないわたしは

汗をながしながら
からだは震えている

こんな状態があります

これから寒くなる時期
春になるまで

毎日のように
悩まされます

寒くて暖かくすると
汗が流れてでます
そうなると
からだが震えてきます

自分で自分の体温の
調整が取れません

またやな時期に
なりました

憂鬱です。
02:56 コメント(16) ページのトップへ

2006年10月31日
また
胃の調子が悪くて
また食べられなくなってます

秋の美味しい物が沢山の
ある時期なのに

食べると吐き気がでて
胃が痛くなります

本当は美味しいものが
食べたいのに

残念です

正直、つまらない毎日です

何故、楽しく過ごせない
のでしょう
00:06 コメント(7) ページのトップへ



<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年9月ぷうさん日記」

2012-02-11 | インポート
2012/02/11
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(7)2006年9月ぷうさん日記

2006年09月01日
特に
夏は特にそうかなと思うけど
みなさんは毎日、お酒を飲みますか

など
暑くて喉が渇いた時のビールは
美味しいでしょうね

そういえば
むかし、まだお酒が飲めない頃
お酒を飲めるようになりたくて

ビールの一番小さい缶で150mlか
175mlかぐらいで練習した事が
ありました。
毎日、お風呂上りに飲むのです
すると段々強くなるのです。

お酒って美味しいなあ

アルコールが入ると
どうなりますか

わたしは相手の人に
今日何か嫌なことなかったのか
聞き出すのです
そしてそうなの、そうなのと
聞いてるのです

へんな癖です

いま、飲んだら美味しいだろうなあ

家は父、母、姉もお酒は飲めません
でもおもしろいからみんなに
飲ませたことがありました。

あの時は楽しい時間でした
あの時は幸せな時間でした

いまは・・・どんな時間でしょうか
04:52 コメント(24) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-01 16:33
「今日の愚痴」を聞きだしてあげること、「へんなクセ」なんかじゃありません。相手に愚痴をこぼさせて、すっきりさせてあげる、一番いいカウンセリング方法ですよ。
ぷうさんにお酒飲みながら話を聞いてもらえた人、幸せですね。
ぷうさんも、もっと愚痴こぼしてね。わたしもビール飲みながら、愚痴聞いてもらいたいなあ


2006年09月02日
人生
わたしの人生は
どうしてこんなふうになって
しまったのだろう・・・

辛くて、悲しくて
死の淵までいきました
みんなニコニコして待ってるのです
わたしが行くことを
ああこれでわたしは苦しくないんだ

でも後悔がありすぎて
行けない

こんなに辛く、切なく、悲しく
こんなに痛い
こんなになってしまった
ボロボロのからだ、こころ

悲しいことばかりで楽しいことなんて
ない

毎日の時間、日が大切なのに
何もできないでいる日が続いて

これいじょう
辛いこと、悲しいこと、切ないこと
は正直わたしに与えないでほしい

残りすくない人生を
楽しく生きたい
人を傷つけたり、傷ついたり
したくない

いまやっと見つけた
楽しいひと時
みなさんと言葉を交わすとき
この時間を失いたくない

生れ変わることができた時は
もう病気にはなりたくない

でもこれが私の人生

この人生から逃げることは
できない
07:53 コメント(25) ページのトップへ

2006年09月03日
突然
心臓がとまるかと思うことが
ありました。

友達が私の手紙の住所を見て
探しながらたずねてきたのです

もう5年以上も逢うことが
なかった人です

ある日突然息子さんが
電話で○○ちゃん元気に
してるの?
病気になってると聞いてたけど
どうしてるのかなあと
ふっとおもい電話をしてきたらしい

それ以来心配できましたというのです

わたしは同じ町に住みながら
逢うこともなくいました

わたしは病気してから友達が
みんな離れていきました

本当に嬉しかったです

父の預けてあるお寺の奥さんですが
いままでお寺でも逢うことは
なかったのです。
仕事で出掛けていつも留守でした

何かびっくりと
嬉しさで胸がいっぱいでした
なみだがとまりませんでした

彼女はわたしのあまりの
変わりようの姿を見て
ショックを隠せないでいました

本当の辛いおもいしたのですね
あんなに元気にがんばってたのにと

でも楽しいお話ができました
久しぶりに楽しいおもいを
しました。

忘れないでいてくれたのだなあと
わざわざ来てくれたのだなあと

ありがとうと言いたい
本当にありがとう
23:05 コメント(12) ページのトップへ

2006年09月04日
そんなこと
わたしの生活は
痛くて、辛い日々がほとんどです
どんなに叫んでも
どんな泣いても
どんなに喚いても
どんなに嘆いても

誰にも出来ないことぐらい
知ってる
でも出来なくても

わたしには痛いことは
拭い去る事はできない

言葉にするしかない

それでもみんなが頑張れ頑張れと
応援して言葉をかけてくれる

みんなはまたかあと
思う人もいるでしょう

でもしょうがないの
どうすることも
できないの

我慢して我慢しているよ

でも言葉にしなければ
正直気が狂ってしまう

それでも優しい言葉かけて
それでも励まして
それでも祈ってくれる
わたしへ言葉をくれる
人達がいることで
生きていられるの
癌は確実にわたしのからだを
蝕んでいる

わたしが悲しむような言葉は
かけないで
わたしが辛くなるような言葉は
かけないで
わたしが涙するような言葉は
かけないで

お願いします。
07:46 コメント(27) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-04 23:44
痛いときは、遠慮無くいたいいたいと泣いてもわめいてもいい。痛さを引き受けることはできなくても、こころの叫びを聞くことはできる。だから、つらいときはつらい、痛いときはいたいの一言を書いてね。

2006年09月06日

きょう
久しぶりにTVで愛の絆をみて
なみだがでました

家族が家族を助けるため
肝臓を半分移植する

だれひとりかけたら家族ではない
死んでいい人なんていない

家族が死ぬのを待つなんて
できない

これが本当に人のこころです

家族の命は自分のもの
自分の命は家族のもの

現実は難しいかもしれない
でも助けられない命はない
助けない命はない

でも家族には絆のない家族もある
それが現実

絆は押し付けるものでもない
それぞれが感じとるもの

助けてもらえない命もある
寂しいこと、悲しいこと

絆とはなんだろう
01:35 コメント(19) ページのトップへ

2006年09月07日
母が
わたしの母はもう81歳になる

若いころから病気をして
わたしが小学生から高校生まで
ほとんど入退院の繰り返しでした

それからすこし元気になり
ここ3年の間に毎年のように
骨接をしてる
すこし転んだだけで
骨が折れてしまうほど
弱くなっているのは確かです

膝の骨を折ってから
すこしのことですぐに
転ぶことが多くなった

もの忘れがひどくなったのも
そうです

ただここ1~2年の間に
買物依存症になってる
ほしいと感じると買うまで
言い続ける
買うと、またほかのものが
欲しくなる
必要でもないものでも
自分では気がついていません

そんなものいらないでしょうと
いうと、何で意地悪するのという

歳だからといえば終わりでしょうが

なぜか悲しくなりました

だんだん何かもわからなくなる
のかなと考えると

わたし面倒を一生懸命して
痛い足も我慢しているのを
見てると、申し訳なくて
もっと楽させて
もっとのんびりさせて
何の心配もなく
暮らさせてあげたい

でもできない
わたしは歯がゆくて
どうしようもない

気持ちが子供にもどって
いるのだろうか

いつまでも元気でいてほしい
そう願うことしかできない
15:40 コメント(20) ページのトップへ

2006年09月09日
また
また夏の暑さに戻ってしまいました

残暑でしょうが
からだに熱がこもり熱いです

今朝
股関節の痛みがひどくて
少し足りとも動かせずにいた

母を起こし、痛くて動かせない
どうしよう
触られても痛い

母はそーと擦ってくれた
大丈夫・?

なみだが出るほど痛みがでて
股関節の骨もボロボロだろうな

とにかく、薬飲みなさい
落ち着くから、息ができないほど
痛みが走り、唸ることしかできない

母は大丈夫だよといいながら
ずーと擦ってくれていた
やさしい母
いつもありがとう
わたしのからだの事、一番よく
知っている母

母がいなければ生きていけない

ありがとう
いつも、励まし慰めてくださる
みなさん
ありがとう

今朝も激痛からはじまる日でした。
23:02 コメント(24) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-10 07:48
お母さんの手がなによりの薬ですね。
傷みがやわらぎますように。お母さんとぷうさんの毎日が平穏でありますように

2006年09月11日
また
ここ何日
またしんどくて
カフェを見ることできない

みんなの言葉を
見たいのに

からだとこころがきつくて

からだは吐き気がひどくて
こころは鬱で

みんなに逢いたくて

頑張る。
痛みがひどいけど
頑張る

話がしたい。
逢いたい。

だから頑張る。
21:43 コメント(30) ページのトップへ

2006年09月12日
毎日
わたしは
字を書くことが好きです。

字が汚くならないように
毎日何かを書いてます。

でもこの頃
字が汚くなりました。

手の痺れもありますが
震えるのです。

字が書けなくなるのは
辛いです。

何かを伝えるための字
何かを残しておくための字

どうしてか
字が汚くなってきました。

何故か切ない気持ちです。

いつまでも
綺麗な字を書いていたいです。
23:30 コメント(19) ページのトップへ

2006年09月13日
何か
何か本当に切なくなってきました

こんな病気だからしょうがないけど

歯が自然にどんどんと
削れて、なくなっていく
段々小さくなってきて
しまってる

わかってはいたけど
この歳で入れ歯になんか
なりたくない

本当に
情けなくなって
涙がでてくる

癌はこんなにまで
細胞や骨髄を破壊してしまう
怖い病気

何か切なくて情けなくて
辛すぎる
わたしからこれ以上
何を取りあげるのだろう

また何を無くすのだろう

我慢して何でも諦めて
しょうがないでしょうで
終わる

本当に辛い・・・
23:33 コメント(23) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-14 09:00
ぷうさんおはようございます。昨日も今日も雨。暑い暑いと言っていたのに、一気に冷たい風にかわりました。
春と秋はぐんと少なくなって、日本の季節が夏と冬だけになっちゃうのかも。
ぷうさん、腰の骨も歯もいたくて、吐き気があって、つらいわね。でも、暑いさかりよりも今の気候のほうがまだ過ごしやすいですね。ぷうさんが少しでも気分良くすごせるよう、願っています。

2006年09月15日
また
わたしは今の病気で
味覚が失われてしまうと
言われてました

はじめは塩味から
順番に最後は味を
感じることができない

その味覚がこのごろ
わからなくなっている

やはりでてきてしまったのか
塩の味
醤油の味
酢の味
味噌の味
唐辛子の味
甘い味
わさびの味
まだあるかしら

薄いものを濃いといったり
濃いものを薄いといったり
してるらしい

またわたしから何かを奪う
わたしからどんどん色々なものを
奪っていく
わたしは段々諦めていく

どれだけ奪えばいいの
どれだけ諦めればいいの

好きな味も嫌いな味も忘れる

この食べ物どんな味だったかしら
と聞きながら食べるしかない
00:40 コメント(25) ページのトップへ

2006年09月16日
少し前・・・
わたしは少し前まで
毎日、毎日泣いて生きていた
辛い、苦しい生活に耐えられれず
泣いてばかりで何もしないで
口もきかない、話もしない
ただ黙ったまま
ただ泣いているだけ
いつも暗い部屋でぼーと
してるだけ
もう生きる気力さえなかった
頑張って治療したのに
辛い治療にも耐えたのに
病気は治らない
ただ痛みに耐えながら
生きるしかないことに
辛くて、悲しくて、悔しくて
誰にも気持ちをぶつけることも
出来ずに
もう生きていくのは嫌
死を待つだけに、生きていくのは

人は普通なら同じ位生きれて
色々な経験して人生を
送れることが出来るはずなのに

何故、わたしはみんなと同じだけ
生きることができないのだろう
運命、寿命だよと言われても
わりきることなどできない
でも現実は

わたしはこのカフェでみなさに
逢えてから
生きることの素晴らしさを
改めて、教えてもらった
みんなそれぞれ悩みを抱えて
生きてる

わたしはただ泣いてるだけ
そんなの生きてるといえない

わたしはいま泣かなくなった
まえはめそめそしてたのに
まえよりは泣くことが少なくなった

人の思いとは目に見えない力が
あるのだろう

わたしはもうすこし生きていたい。
00:37 コメント(40) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-17 10:39
昨日、東京白金台の近代医科学記念館を見学。癌治療最前線についてほんの少しですが、学んできました。「私はもう少し生きていたい」とぷうさんが心に思い、それをことばに出してかくこと、それは、ぷうさんの病気にとって、とてもよい治療効果がある、と、記念館の「ガン細胞が消えるしくみ」にも書いてありました。
ぷうさん「もっともっと生きていたい」と、欲張りになってくださいね。

2006年09月20日
ごめんね
日記、書けないでいてごめんなさい

朝起きたら調子が悪くて
吐き気があり
救急車で病院にいきました

そして、入院するようになり
みなさんにお返事することが
出来ませんでした

いま
20日15時に退院して
きました

よくあるのですが
沢山の薬を飲んでいるので
どうしても吐き気がでて
しまうのです。

何日も吐いているのは
「汚くてごめんなさい」

本当に辛いです
喉も痛くなるしね

点滴をずーと入院してから
退院するまでしてました

やっと吐き気も治まり
落ち着いたので

早くみなさんに逢いたかった
のですが、病院にパソコンを
もっていける状態ではなかったので

突然でしたので
またみなさんとお話ができます

嬉しいです
15:27 コメント(29) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-20 15:56
2月にぷうさんのカフェ日記が始まって以来、2日つづけてぷうさんの日記がとだえたことがなかったので、体調を案じていましたが、20日に退隠できるようになって、よかったですね。
吐き気は本当につらいです。
ぷうさんとお話しできて、私も嬉しいです

2006年09月22日
救急
わたしは救急室に入り、治療を
してるあいだにも
何十人の人が来ただろう。

赤ちゃんが泣いてる痛いよ
おかさんが痛いよ
まだ3歳位の子供が双子かな
ママ僕達おりこうさんでまってるからね
痛いの痛いの飛んでいくよ

もうろうとしてるなかで
わたしに聞こえてきました。

こんなにも沢山の人が体の
不調を訴えてきてる

食事も取らずに頑張ってる
お医者さんや看護婦さんが
てきぱきと動いてる
すごいなあ

ほとんどの人がからだが楽に
なって家に帰る。
よかった。

わたしは何度も救急車で
具合悪くなり病院にきて
入院してる
本当にありがたいと思う
感謝しか言葉がない
ありがとうと何度もいうしか
できない。

病名をみると先生も慎重に
診てくれる。
話すことも出来ない状態なのに
吐いてる背中の擦りながら
大丈夫だからね
心配ないからね
ちゃんと楽にしてあげるからね
と言いながら

わたしには
ありがとうしか言えない
00:30 コメント(26) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-22 09:44
私からはぷうさんへ「ありがとう」
命のすばらしさ尊さをいつも伝えてくれて、ありがとう

2006年09月23日
箱の中
数日しかいなかった病院

悲しい事
嬉しい事

に出会った。

風にあたっていた
隣の女の人が突然泣き出した。
旦那様がもう駄目らしい。
いままで何もしてあげられなかった。
これからも何もしてあげられない。
といいながら涙を流していた。

またとなりに座った人が
いま男の子が産まれました。
早く産まれたので早産で
未熟児でした。でも
元気に泣いてます。

病院は色んなことが
秒単位でおきている
悲しいこと、嬉しいこと

交通事故で運ばれてきた
4歳の男の子
おかあさんがオロオロしてる
旦那さんの顔を見たら
泣き出していた。

病気で苦しんでいる人
病気が治り喜んで退院する人

この大きな箱の中でドラマがある。

わたしは何故か涙が止まらない。
ボロボロ泣いてしまった。
01:46 コメント(20) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-23 12:48
病院のドラマ、ひとりひとりの運命に涙するぷうさんのやさしさが伝わってきます。




2006年09月24日
神様
この頃また足の痛みがひどく
なってる。
股関節も膝も足首も
曲げても伸ばしても、膝を立ててても
痛みが治まらない。

もう骨がボロボロなのだろうなあ
とつくづく感じる。

もっと強い痛み止めはないのだろうか
何十種類の薬があるのに
何故わたしにあう薬が見つからない
のだろう。

入院して沢山の患者さんと
知り合いになり
お互いの病気の話をして
励ましあいながら辛い治療を
がんばってしてきました。

わたしのように完治できない人
病気が治り元気になった人
病気に勝てないで亡くなった人

一晩中泣いて過ごした日
一晩中話しをして過ごした日
一晩中一言も言葉を話さないで過ごした日

ドラマのような現実にあったこと

あの時は沢山の患者さんに
お互いに支えて生きてた

いま、思う
わたしはまだ生きてる。
あの時の彼、彼女のぶんまで
生かされている。

そして今はわたしに沢山の
言葉を下さる。みなさんに
支えられ生きている。

僕に、わたしにすこし傷みを
よこしてもいいよといってくれる。

わたしにとって、あなた方は
病気を一緒に戦ってくださる
神様です。
00:31 コメント(19) ページのトップへ

2006年09月25日
今度は
腰を骨接してから
歩くことが出来なくなった

今度は膝
曲がったままで伸ばすことが
できない

痛みは究極、激しい痛みが
とまらない
膝ががくがくと震えて止まらない

今度は膝が折れているのだろう

わたしの体の骨は次々と
折れていく

全部折れたらどうなるのだろう
ふにゃふにゃになるかな

二度と歩くことはできない
もう一度でいいから
歩きたいなあ・・・
01:24 コメント(3) ページのトップへ

やさしい
ある人の言葉で
わたしは嬉しくて泣いて
しまいました。

ぷうさんが好きで
お子さんにママのお友達に
ぷうさんと言う人がいるの
からだが痛い痛いといってるの
と話してあげたとのこと

その子は
夜、一緒にねるようになった
そして
「痛いの痛いの飛んでけ~」と
いってくれてるそうです

わたしはこの優しいこころが
嬉しくなりました
本当に優しいこころの
もっている子なんだなあと

涙が止まりません。
嬉しいです。

この子なりに理解して
ぷうさんを擦ってくれたこと

ありがとう
痛いの飛んでいったよ。
02:41 コメント(13) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-25 09:34
痛いのが、飛んでいくよう、私も祈りつづけます

2006年09月26日
びっくり
パソコン開けたら
全然できない
接続もされない
どうしたことか
原因がわからない

電話して
説明してもらいながら
色々いじったらできました

突然
認証パスワードがかわってました
こんなことあるかしら

でも接続できてよかった
出来なければ
カフェも見ることできずにいた

この前は人のIDを使って
mmを送ってきた人がいた
考えたら日記だって書けるものね
怖いですね。
何考えてそんなことするのか
わからない
常識がなさすぎる、「常識は通用しないかな」

大事な、大切な日記や言葉を
いじらないでね。
命と同じくらい大切なものだから
わたしにとってはね。
お願いします。
04:09 コメント(28) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-09-26 08:52
認証パスワードが本人の知らない間に書き換えられていたこと、ネット犯罪に巻き込まれる心配がありますから、ぷうさん、こわかったでしょうね。
カフェアクセスランキングに名前が掲示されていると、ターゲットにされることがあります。
ランキングから訪問してくれる人もいるので、載せるか載せないかは、考え方次第ですが、ランキングに載せないほうが、安全みたいですよ。
投稿者:haruniwa(2006-09-26 08:52
ぷうさん、カフェIDをアクセスランキングにのせない方法があります。カフェページ、左上のOCNカフェページをクリック→左上のMy cafeをクリック→左側うえから5番目のアクセスランキングに掲載しないを選択→変更をクリック。これで、ランキングにIDがでることがなくなります。

2006年09月28日
また
きょうは、疲れた
何もしてないのに

おきあがっているだけで
疲れてしまう

生活すだけで
疲れてしまう

どうしたらいいのだろう
02:28 コメント(13) ページのトップへ

2006年09月29日
きょうは
きょうは

とても悲しく、寂しいです
昔のことが走馬灯のように
思い出されて
涙が止まりません

いつもの鬱でしょうが

何故だろうが
あまたのなかをぐるぐると

何故
どうして

そんなことばかりです

わたしはやっぱり
だめです
疲れてしまいました。

もう頑張れない。
02:26 コメント(18) ページのトップへ

2006年09月30日
どうして
どうして
こんなにこころが晴れないのだろう
どんよりでまつ暗で
何故だろう

いまは本当に過ごしやすい季節
なのに

どうしてもからだに力が
入らない

どうしてもこころが重い

何故こんなに憂鬱なのだろう

食べ物も美味しいはずなのに
ちっとも美味しくない
ちっとも食べられない

どうしてだろう
04:27 コメント(13) ページのトップへ


<つづく>

ぽかぽか春庭「2006年8月ぷうさん日記」

2012-02-10 | インポート
2012/02/10
ぽかぽか春庭十二単日記>写文ぷうさんの日記(6)2006年8月ぷうさん日記

2006年08月02日
言葉
まえにも
言葉で傷つけていないだろうか
とい話をしたけど

言葉の暴力は体の暴力より
こころに残り傷つくことが多い

怒ることと注意することの違い
いじめの言葉と嫌味の言葉の違い
慰めの言葉、ほめる言葉
喜びの言葉悲しみの言葉

あげたらきりがない
でも言葉で誤解をうけたりする
当たり前のこと言っただけでも
傷つく
自分には当たり前でも
相手には当たり前ではない

人が一番大事にしないといけない
言葉を無駄にむやみに使い
傷つける

こんな悲しいことはない
日本語はすごーく綺麗なのに
わざときたない言葉を使う

綺麗に優しく言葉を使えば
届かない言葉はないと
思う

こんなに沢山の言葉があるのに
わたしは大事な言葉を伝えてない
こころの中にある言葉を
伝えられないでいる

もう少し勇気があれば
言えたかもしれない

みなさんは伝えてない言葉
ありますか
00:35 コメント(17) ページのトップへ

本当ですか・・・
こんなにも、悲しく辛いことない日は
なかった。
父が亡くなって以来のこと

貴方は、癌で難病ですといってますが
本当ですか
何か出来すぎて変に感じます

痛みが毎日あり止らない
そんなことありますか

わたしは病気になって、治療もなく
治ることはないだろう
これからは痛みが増し、歩くことも
動くことも出来ないだろう
寝たきりになってしまいます
と医者に言われて本当に
そうなった。

生きる気力もなく、なにもする気もなく
死にたいと思う日々でした

でも自ら死ぬことも出来ないのです
自分が人生、どう生きてきたか
どう癌と闘ってきたか
これからどうやって生きていくのか

この世にわたしがいたという
存在を残したく、このカフェで
日記を書いた、書いてる
これをすることでまだ生きていられる
不自由になってしまったため
やりたいことも諦めるしかない

寝たきりとはどんなに大変なことか
まして、面倒を見てくれる人が
沢山いるわけでもなく、

からだの弱い、年老いた母がするしか
ないのに

何故そんなこと言うのだろう
何故わたしが嘘を書かなければ
ならないのだろう

かわいそうだねと同情をもらいたいから

何のためにそんなことしなくては
いけないのだろう

日記を否定されたら、書くことは
もうできない
そんな風に思われたら、書けない

なんて悲しい事言うのだろう
何で人を傷つけるのだろう

わたしはどうすればいいの?
書かなければいいの?

悲しいなあ、せつない、辛い

また痛みが激しい
痛い・・・
19:07 コメント(26) ページのトップへ

2006年08月04日
知らない
色々考えました
知らない内にその人を傷つけて
いたのかもしれないこと
何でもない言葉をおくっても
相手にすると嫌な思いがしたこと

自分では素直な気持ち
その時の感情で、感じたことを
言葉にしてるつもりでも

本当に言葉は難しい
でも言葉にしないと相手には
伝わらない
わからないことは納得のいくまで
聞いいてしまう癖

嘘は書いてない
嘘を書くつもりなんてとんでもない

でも相手には嘘に聴こえる

一つのことでも、人によっては
取り方、感じ方が違うのは
当たり前です

みんな心配して
わたしを信じてくれました
こんな嬉しいことはない

疑われることの悲しいことはない

思いのまま書いていいのよ
こんな優しい言葉はない

わたしは自分の人生を書きたい
みんなにわたしがこの世に
存在してたこと、知っていてほしい

わたしの言葉で傷ついてしまった人
ごめんなさい・・・しらないで

このままで終わりたくない
今のわたしの気持ちです
04:54 コメント(23) ページのトップへ

2006年08月05日
人工の骨
入院して手術が出来ればいいのだけど
出来ないのはわかってるけど
一応聞いてみた。
ただその手術は出来なくても、骨に穴をあけて薬が通るようにする
これだけはして見ましょうかと言われた
でもうつ伏せになれない、このためにやはりできないことになった
本当なら骨に穴を開けて、熱で腫瘍を殺して穴のあいたところに人工の骨を埋め込んで固める、そうすると骨が固定されて動かないから痛みが少しはなくなるかもしれないという。
それならと思いましたが、わたしの骨はボロボロでバラバラに折れているから骨に穴を開けてる最中に、他の骨が折れてしまうから出来ない。
なんということだろう。少しは地獄のような痛みから逃れることができるとおもったのに・・・
がっかりです・・・
放射線も駄目、本当に何か治療はないかしら、なんかまた辛くなってきた
いいことが全然ない
わたしの幸せは何処へいってしまったのだろう。
いいことないかなあ
04:37 コメント(15) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-08-04 09:37
今日も暑いですね。暑さにも心ない言葉にも負けないで。
ぷうさんがこうして書く言葉が、みなの心に届いて、みんな励まされていること、わかってね。

2006年08月06日
どうしても
今日「もう昨日だけど」
長野市もびんずる祭りがありました
沢山の人がそれぞれの姿で踊る
むかしはよく見に行きました
いまはいけないけど
こんなに沢山の人がいたかと
思うほどのひとが集まってくる
そして迷信のように
お祭りが始まるまえ、はじまって直ぐ
必ず雨が降る、こればかりは
不思議な現象です

むかし私の部下だった女の子がいた
まだ学生で20歳の子
卒業したら保母さんになると
いってた
その子は自分の思いを言葉にして
伝えることが苦手でした
いつも悩んで鬱になってた
鬱を治そうと一生懸命で通院してた
だいぶ明るくなった
その子は久しぶりにびんずる祭りに
出掛けた
元気な笑う彼女の姿を久しぶりに見た
ああ元気になったんだよかったねと
声を交わした
またお話しましょうねと
次に日彼女は電車に飛び込み
自殺をした
何を伝えたかったのだろう
昨日みたお祭りはどうだったのだろう
いまでもおもういつも何かを伝えたい
彼女の姿を・・・
忘れることができない姿を・・・

伝えたいこと忘れてませんか
どんなことでもいい
自分の思いを伝えてますか
03:18 コメント(17) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-08-06 11:55
骨の手術ができないことがわかったことは残念ですけれど、ぷうさん、絶対に生き抜いてね。ぷうさんの命1分でも長くしてと神様仏様にいのっています。

2006年08月07日
お盆
お盆になると亡くなった人の魂が
家にかえってくる
わたしの父もかえってくるだろうか

父にはお墓がない
今はお寺に預けてある

わたしは自分が病気をしてしまったから
働くことも出来ず
父にお墓も建ててあげることが
できない

父、一生懸命働いて建てた家も
手放すことになってしまった
病気で治療代にお金がかかり
借金があったから、働けない
わたしに返すことはできない
だから家を手放すことにした

病気で借金をしながら生きていくことは
不可能に近い

わたしが遣り残したことで
どうしてもできないことが
ある
父のお墓を建てること
悔やんでも悔やみきれない

ただ母は死にわたしが死んでも
供養してくれる人はいない
お墓は建てなくてもいい

3人の骨は海にでも流して
もらおうか

お寺に行く事も中々できない
寂しい思いをさせてしまってる
父には父の魂には慰めてあげたい

お盆には家にかえってきて
くれるだろうか・・・

早く3人で一緒にいたい
父の傍に行きたい母と二人で

遣り残したことがあっても
わたしには何一つできない

後悔のないように生きたい
後悔のないように生きてますか

これだけはやりとげたいという
ことは何ですか・・・

もうじき寂しいお盆がくる
00:49 コメント(19) ページのトップへ

2006年08月08日
どうして・・・
ただ痛い、辛い、苦しい、悲しい
寂しい、怖い、
そんなこと言ってるだけなのに
何がいけないのだろう

愚痴や弱音を言っては
いけないのだろうか

わたしは病気になって
自由を奪われて、どこに
怒りや苦しみをぶつければ
いいのだろう

ただ我慢して我慢して
死ぬのを待つだけなのだろうか

どうして励まして、慰めてくれるのに
どうして嫌な、心に刺さる言葉を
残すのだろう

嫌な言葉をくれるなら、励ましの言葉
を付け加えてくれなくてもいい

本当に心配してくれる人でいい
やさしいこころのある人だけでいい

あなたは何様のつもりですか

わたしは何様のつもりではない

そんなにわたしの言葉はみんなを
傷つけてますか、えらそうにもの
いいますか

何故か悲しい、寂しい
18:31 コメント(18) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-08-07 16:55
看病してくれるやさしいお母さんと、空から見守っていてくれるお父さんと、ぷうさん3人いっしょですよ。
そして、大勢のぷうさんに励ましてもらっているカフェの人たち。みんないっしょです

2006年08月09日
今日は
本当にきょうは痛みが激しく
朝トイレに行きたくても
起き上がることができない

今度は腰の右側がひどく痛い
もしかして折れているかも
左はバラバラに折れてしまって
います

ああまた救急車かなあ
薬を飲んでも、座薬を入れても
効き目がない

はいずりながらトイレにいった
冷や汗がでてきてる
どうしたら座れるだろう
母を呼んだズボン下ろして
ほしい、ズボンさえ下ろせないほど
痛くてどうしようもなかった

ズボンも下ろせないほどに
なってしまったのか

横になり汗を拭いてもらった
骨折れてないと思うけど
こんなにも弱くなってるのだろう

骨が痛い
トイレいったおかげで、すこし
落ち着いた

でも痛い
やはり病院に行かないと駄目かな

でも動けない
此のくらいでは救急車は呼べない
何時もあることだから

睡眠薬を飲んだ
眠れれば痛みは感じないだろう

息も出来ないほど痛かった

助けてほしい
すこしでいいから痛みを和らげて
ほしい

すこしでいいから・・・
23:38 コメント(13) ページのトップへ

2006年08月10日
何故か・・・
何故か寂しい
何故か悲しい

何もしてないのに
何故か急に冷たくなった人

辛い時、悲しい時
わたしは泣くことしか
できない

わたしに出来ることは
泣くことだけ

涙が止まらない

痛いといって泣く
悲しいといって泣く

何故笑えないのだろう

何故涙が止まらないのだろう

何が悲しく寂しいのだろう

きょうのわたし駄目です
23:13 コメント(24) ページのトップへ

2006年08月12日
ごめん
きょうは調子悪くて

一日中起きれずにいたの

ちからがでなくて

起きて座っていることさえも

できなかった。

だるいし痛いし

いつものことだけど

暑くて、体温が上がってしまった

冷や汗や生あくびばかりでて

手も指も思うように動かない

体力がどんどん落ちる

こんな生活辛い

どうして病気になって
しまったのだろう

わたしはどうして普通の
生活すらできないのだろう
01:08 コメント(21) ページのトップへ

2006年08月13日
何故
この時期になると
何故か寂しいのだろう

亡くなった人がお家に帰って
くる本当なら楽しいはずなのに

それぞれ大切な人に
いまも元気で暮らしてるよ
と話ができるときなのに

わたしは父の対して
生きていてくれた時の
後悔ばかり残っていて
あんなに苦しんだのに
どうして何もしてあげられなかった

自分も病気で辛い思いしてても
父のほうが辛い思いしてたのに
何時も私を心配して
仕事帰りに病院にいくと
起きてられなくて
父のべットで寝てばかりいた
半分かして、横になりたい
おきてられないのと
毎日、毎日病院にいっては
寝てた
おまえ大丈夫か
苦しいか辛いか
俺より先に死ぬなよ・・・

父が字が書けなくなる前に
わたしにくれた手紙
お財布にいれてお守りにしてる
大切なもの

毎日、痛くてどうしょうもないけど
まだわたしを連れて行かないで
もう少し待っていてください
17:35 コメント(14) ページのトップへ

2006年08月14日
何故ですか
何故ですか

人が悲しい思いする言葉を

投げかけるのは

何故ですか

素直に正直に言葉にして

思うことを書いてるだけ

言葉で人を傷つけて

楽しいですか

涙がでるほど辛い言葉

これ以上傷つきたくない

こころもからだもボロボロです

これ以上何かあれば

生きていけない・・・

悲しすぎて、辛すぎて
02:45 コメント(27) ページのトップへ


2006年08月15日
わたしは
病人は
何も望んではいけないのでしょうか
何かしたい
何をしたいのかわからないけど
今の状態で何ができるかはわからない

でもみんなからおいてかれないように
すこしでも一緒に考え言葉を交わし
生きていたい

何故望んではいけないのだろう
わたしはもう何もすることは
できないだろう

でも何かをしたいという気持ちだけ
でももってはいけない
のだろうか

病人のくせにまだ何かしたいことあるの
何もできないくせに・・・

わたしはもう何も望んではいけない
おとなしく、死を待つだけ

わたしはみんなと同じ人間ではないのか

何もできない悔しさなんてわかるはず
はないだろう、悲しさ、辛さ

すこしの望みさえ持てないのだろうか
17:11 コメント(22) ページのトップへ

2006年08月17日
昨日
母がわたしに
盆おどり見に行こうかと
さそってくれました

母は小さい体で
わたしを乗せた車椅子を
押しながら少しずつ少しずつ
痛みがなるべく伝わらないように

押しながら
お祭りに連れていってくれました

久振りにたくさんの人をみました
屋台もでてました

少ししか車椅子に乗ってられないから
直ぐかえりましたが
楽しかったです

痛みは我慢してたけど
母の気持ちが嬉しくて
涙が止まりませんでした

おかあさん
ありがとう・・・
03:24 コメント(24) ページのトップへ

2006年08月18日
あの人
あの人なんて言ってはいけない
のはわかってるのですが

あの人とは姉のことです

娘を連れてお盆の挨拶に
きました

目をあわせることも
会話をすることもできません

突然、姪が
○○ちゃんはどうして
結婚しなかったの?
病名は知らないけど
歩くことが出来ないことは
しっています

わたしは返事ができず
わたしのこころの中の嫌なもの
口からでました

お母さん「姉の事」に
聞いてごらん?

何も知らない姪に
もう少し大人になれば
私たち姉妹の出来事が
理解してくれると思います

忙しいと言い
1時間もいなかった

わたしは一度も
口をきくことが
出来ませんでした

姉が帰ってから
わたしは涙が止まりません
でした。

話をされると
涙が出てしまうのです、何故だか・・・
03:20 コメント(19) ページのトップへ

2006年08月19日
だめです
今日の暑さには
からだの体温調整ができない
からだ中痛みが走り
どうすることもできない

吐き気はする
頭は痛い
目眩はする
目が痛くて涙が止まらない

熱がでてしまった
からだ中熱い

雨が欲しい

気持ち悪い
助けて・・・
01:37 コメント(24) ページのトップへ

2006年08月20日
毎日
毎日の生活

痛いのに
何かしなければ駄目になる

何かしなさい
でも痛くて何もできない

何もできないことに
苛々が増す
忍耐にも限度がある

我慢しなさい
でもこのままだと
気が狂ってしまう

でも出来ないんだもの
痛くて動けないんだもの

そんなことしてると
こころが腐ってしまうよ

そんなこころの葛藤が
ずーと続いている

いつになれれば
こころは晴れるだろうか

晴れる日はこない

いつまでもつだろう
こころとからだの
戦いが

気が狂いそう・・・
14:06 コメント(19) ページのトップへ

2006年08月22日
存在
ある日、ある人がわたしにこう
言ってくれました

わたしはあなたの言葉を読んで
また頑張ろうという気持ちに
なりました

ある人は、病気で今人と関わりを
もつ為にリハリビをしてます
それは本当に自分の心と体を
コントロールしながらしなくては
出来ません。

その苦しさにこころも体もボロボロに
なるときがあります

でも弱音をはいてはいけない
あなたの言葉でこころが軽くなりました
また頑張ろうと想います

わたしは何もできないことに
苦しんでいました
社会にでれなくても
少しは人の役にたてているのかなと
今度はわたしのこころに感じさせて
くれました

わたしの存在を認めてくれたのかなと

嬉しくなりました
わたしのほうからありがとうと
言いたい

たくさんの人の言葉に支えられて生きてる
わたしはみなさんにありがとう
と言いたい

しあわせな気持ちにさせてくれて
ありがとう
06:18 コメント(28) ページのトップへ

2006年08月24日
病院
いつものように
病院いってきました
診察するのに3時間待ちました
薬もらうのに2時間かかりました
大変でした

先生に待ち疲れたあと
おもわず言いました

ごめんな、忙しくて
車椅子乗ったまま
大変だったろう

右側の腰も激痛がくる
右もつぶれてしまったな

何か本当に体中の骨がボロボロです

また薬が増えました
モルヒネの張り薬が倍に
モルヒネの粉薬が倍に
モルヒネの座薬が倍に

もうモルヒネさえも効かない

これ以上の痛み止めはない

どうなるのだろう

あまり時間がかかったので
余計具合悪くなりました

疲れました
05:01 コメント(23) ページのトップへ

2006年08月25日
虐め
わたしは虐めにあってきました。

小学生では先生、生徒
中学生では先生、生徒
高校生では先生、生徒
大学生では生徒
社会人では上司、同僚
病院では看護師
そして、今は姉、義理の兄、姉のお姑

何度自殺を考えたことかわかりません

よく虐められる人にも責任はあると
いいますが、わたしにはわかりません

でもわたしには優しい、父、母がいました

そしていまはわたしを応援、励まし
慰めてくれる人が沢山います

だからわたしは人が悲しむような
言葉は言いません。

自分が悲しく切なくなるからです
自分のこころが痛くなることは
しません
からだの痛みだけで十分です

楽しく言葉を交わし、こころ静かに
穏やかな気持ちでいたいです
04:36 コメント(22) ページのトップへ

2006年08月26日
痛ーい
今朝方、腰に激痛が走った

股関節も腰も膝も骨が潰れている
ボロボロです

息も出来ないくらい痛みがあり

寝たまま薬を飲み、座薬を入れた
30分たっても痛みが止まらない

あまりの痛さに涙がでてしまった

こんなことはよくあることで
いつものことだけど
きょうは特にひどく痛みが
あった。

こんな状態がいつも続いていて
たまには痛みも和らいで
美味しくご飯が食べられ
楽しくテレビが見られ
笑いながら話ができ
好きな珈琲でも飲みながら
過ごせる時間はないのだろうか

癌は痛みのない人とある人に
わかれるが
こんな暑い日でも
気持ちよくいられる時間は
ないのだろうか

なぜわたしに痛みどめが
効かないのだろう
なぜわたしにあう薬はない
のだろうか

いつまで続くのだろう
苦しい、痛い、辛い生活がいつまで
我慢するのだろう

あと何を我慢すれば痛みが
とまるのだろう
13:26 コメント(13) ページのトップへ

2006年08月27日
言葉
日記にその時の感情
気持ち、怒り、悲しみ、辛さ
切なさ、嬉しさ、楽しさ

たくさんの言葉を使い
表現して文章にして
書き留める

今の想い
過去の想い
未来の想い

日記として残して
宝になる

そして
たくさんの人と言葉を交わし
感情を言葉にして

わたしはたくさんの人と
文通してるような気持ちになる

何か書くことの好きなわたしは
これからも書き続ける

そしてたくさんの人と
言葉を交わして
生きたい
17:16 コメント(26) ページのトップへ

投稿者:haruniwa(2006-08-28 12:56
ぷうさんと言葉を交わせて、わたしもうれしいです。ひとことのコメント、でもそのひとことひとことがこころをつないでくれます

2006年08月28日
暑い夏
今日はすこし涼しい日でした
今年も暑い日が続きました

もう夏も終わりに近づいている
暑さにも寒さにも弱い

病気をして体温調整ができなく
なってしまった
頭が熱く、からだは寒さで震えてる
寒い冬でも汗をかく
そんな状態はいつでもおきる

寒くて震えていたかとおもうと
すぐ汗がでてからだが熱くなる

秋はそんなに長く感じない
一年中汗ががでてる

わたしにとっては厳しい冬に
近づいている
冬は寒さに弱いから
何もできない

毛布にくるまって何もしない
というより何も出来ない

くまのぷうさん
だから冬は冬眠します。

本当は冬こして春にならないか
そんな気持ちです
23:07 コメント(21) ページのトップへ

2006年08月30日
駄目かな・・・
腰と股関節と膝の痛みが
ひどくなってる

血液の流れがよくできないから
痺れがある

骨は潰れているだろう
腰は抜けたようになり
膝はガクガクで曲がったまま
まっすぐには伸ばせない

腰が弱いから
股関節に負担がかかり
痛みがひどい

母に起こしてもらわないと
起き上がることができない

でも触られると痛みが走る

触らないでほしいといってしまう
触れないでほしいと

痛みで神経がピリピリしてる
苛々がでて
鬱になる

我慢するしかない

大きなため息がでる
ふー
限界かな・・・
01:32 コメント(22) ページのトップへ

2006年08月31日
何も
この毎日に暑さで
夏バテをしてしまったわたしは
何も食べることができません

空腹になる感覚がわからない
いつもお腹がいっぱい状態

やはりからだはふらふらです
目眩はするし、貧血はおこる

どうすればいいのだろう
ウインターゼリーだけでは
やはり駄目だろう

それでわたしは何が好きなのかな

もともと嫌いなもののほうが多い
普通ならお新香があればご飯を
たべることが出来る
おかずはいらない

さっぱりして胃にもたれないもの
トマトでした
トマトなら食べれるだろう

トマトジュースは飲めない

夕食にトマト1個たべることに
ができた。
美味しかった。

う・・・ああ腰が痛い・・・

あなたは何が一番好きですか
あなたは何が一番嫌いですか

わたしが一番好きなものは
お味噌汁です
嫌いなものは多すぎて書けない

涼しくなれば少しは食べれる
ようになるだろうか・・・
01:09 コメント(27) ページのトップへ

<つづく>