春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「芝居は地球を回っている」

2013-08-22 | インポート

2013/08/17
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(1)水族館劇場「あらかじめ失われた世界へ」

あまり期待していなかった。
「あらかじめ失われた世界へ」というタイトルが、いかにも平凡だし、一時代まえの感覚のタイトルに思えたので。神社境内での仮設テントでの公演というのも、昔むかしのアングラ劇場の模倣のような内容だったらどうしようという思いもありました。

 東京での知名度はいかほどか知らないけれど、私には初めて見る劇団、「水族館劇場」を見ることにしたのは、ミサイルママのおすすめだったから。
 私はてっきりミサイルママの息子が出演しているのだろうと思ったのだけれど、そうではなく「息子の知り合いが出演している」ということでした。「息子がこの子に迷惑かけちゃったので、この子を応援するのが母のツトメ」というミサイルママ。いっしょにチケットをとってもらいました。

 千秋楽の二日前。6月2日日曜日にミサイルママと池袋で落ち合って、三軒茶屋へ。キャロットタウンで腹ごしらえ。15分くらい歩いて八幡神社の仮設劇場につきました。鎮守の杜太子堂八幡神社境内特設蜃気楼劇場「夜の泡〔うたかた〕」というのが、劇場の名前です。

 座長の桃山邑さんは、作、演出を手がけるのはもちろん、仮設小屋の建設も自分の手でこなします。とび職が着る制服(?)だぶだぶニッカボッカに、だぼシャツ。頭にはヘルメット、という出で立ちで、最初にハンドマイクを持って開場のあいさつ。

八幡神社内の夜の泡劇場


 仮設小屋の外回りで、役者顔見世のプロローグがありました。ひとりの女がふるさとの炭坑町を捨てて、町に出よう汽車に乗るところ。15分ほどのプロローグが終わると、もらった入場札の順に小屋入り。50人ちょっと入る小屋です。
劇の概要はこのサイトで。
http://suizokukangekijou.com/information/

 舞台は、泪橋と呼ばれる場末の街。二階では女たちが「曖昧商売」をやっている居酒屋、木賃宿などがごちゃごちゃと立ち並んでいる一角に、なぜかシスターが運営している孤児院も建っています。
 殺人事件が起こり、それは失われた炭坑街と泪橋をつなぐ回路で起きたらしい。刑事や孤児の少年やあれやこれやが入り乱れての大騒動。

 水族館劇場は、仮設小屋がけなのに、毎回大量の水を流すことで、ファンの間で知られています。今回の「あらかじめ失われた世界へ」も、最後は、名物の噴水やら滝流しやら。
舞台の背面があくとそこは神社の境内そのまま。神社の奥へ向かって、不思議な機関車が女と少年を乗せて走り去ります。


 ミサイルママに「舞台に水が流れるから、一番前の席に座るとぬれるよ」と言われていたので、真ん中へんに座ったので、水濡れにはならなかったけれど、これだけの規模の小屋でよくもこんなに大量の水をぶちまけたな、というのが、はじめて見た者のびっくり感。 幻想や非現実が解け合う不思議な舞台作りでした。
 この夏の巡業も、大量の水を流せる場所をもとめて、静岡から博多まで巡るそうです。お近くの方、おもしろいから見てください。
http://suizokukangekijou.com/news/

舞台のうしろの緑は、神社の森
<つづく>

2013/08/18
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(2)東京ノーヴィレパートリーシアター「白痴」

 東京ノーヴィーレパートリーシアターは、下北沢にある席数26席のミニミニ劇場を本拠地としています。
 昨年、両国にあるシアターX(カイ)で上演された『コーカサスの白墨の輪』と『白痴』が高く評価され、シアターカイの「千円で演劇を見る」企画の上演団体に選ばれました。
 上質の演劇を低料金で提供するという劇場側の企画です。

 私は『コーカサスの白墨の輪』をこの劇団の「第二スタジオ」に所属する友人K子さんといっしょに見ました。
 『白痴』は、仕事かえりに両国へ立ち寄り、2回みました。千円だから、2回見るのもそう負担にはなりません。
 一回目、開演に間に合わず、最初のシーンを見逃しました。おまけに一番うしろの席で前に「座高リッチ」な方が座っていたために、おちびの私は右に左に頭をめぐらせて舞台を見たのですが、「ええい、座高がこんなに高いやつは、遠慮して一番うしろに座るべきだろうよ」と心のなかで文句を言うに忙しく、肝心の劇に没頭できなかったのでした。

 2度目は、6月11日、6時半の開場と同時に入場し、一番前の席に荷物をおいて「ここ、私の席とってあるんだからね」という主張をしておいてから、外に出て、スパゲッティをかっこんで腹ごしらえ。19時の開演には一番前の席に戻って、今度は気分よく見ることができたのでした。

 『白痴』は、タイトルが一発では変換できません。差別用語になっちまったので、「白い痴人」と打ってから、「い」と「人」を消さなければならないのです。
 ドストエフスキーの有名な小説のタイトルで、坂口安吾の『白痴』もあるのに、出てこないのは理不尽です。

 私は、1946年のフランス映画を場末の名画座のようなところで見た気がするのだけれど、1958年のソビエト映画だったのかもしれません。1951年の黒澤明監督作品、ムイシュキン=亀田欽司が森雅之、ナスターシャ=那須妙子が原節子の『白痴』を見たことがないので、見てみたい。

 お話は、「世界文学あらすじ集」でも見ていただければ、私がヘタな要約をするよりもよくわかるとは思うし、何度も映画化されているので、ご存じの方も多いことでしょう。ロシア語の原題「Идиот」英語「Idiot」。現代日本語なら「おバカさん」あたりの訳になったと思うのですが、なにせ明治時代の初訳時代以来「白痴」で固定されており、白痴が差別用語として禁止語になってのちもタイトルだけは「白痴」のまま。

 超要約!すれば。
無垢な心をもったムイシュキン公爵。重度てんかんの治療を終えて、サンクトペテルブルクに戻ってくる帰途、パルヒョン・ロゴージンと知り合いになります。パルヒョンと語りあううち、パルヒョンが恋するナスターシャ・フィリポヴナの名を知ります。ナスターシャは「金持ちの情婦」として知られている存在でしたが、純な気持ちをもっています。
 パルヒョン・ロゴージン、ナスターシャ、ムイシュキン、ムイシュキンの遠縁エパンチン将軍の娘アグラーヤなどがぐるぐると入り乱れて恋し恋され、もつれあって、最後は、、、、

 文庫本だと、2巻本、3巻本になっている長いお話なので、2時間の映画や演劇にするといろいろなところをはしょるため、「ムイシュキンの静かで純粋な愛情」より、ロゴージンの「なにがなんでもナスターシャ」と突き進む猪突猛進、現代ならストーカーに扱われる愛情のほうが際だって見えました。

 役者は、役柄への理解も深くてそれぞれ熱演だったので、秋にシアターカイで再々演されるというので、今度は「視覚障害者が演劇を楽しむ運動」を続けているアコさんをさそって、もう一度見てみたいと思っています。

<つづく>

201308/20
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(3)文学座「ガリレイの生涯」

 「視覚障がい者の演劇鑑賞」をすすめる活動をしているアコさん、この夏、住まいの大阪から所用で上京して、「いっしょに文学座を見にいきましょう」と誘ってくれました。アコさんは劇団昴のファンで、いままで昴の芝居は何度もいっしょに見たのですが、文学座をいっしょに見るのははじめてです。

 池袋のアウルスポットで上演された『ガリレイの生涯』
 6月15日土曜日の回。
 最初日曜日に約束をしたのですが、チケットがとれず、土曜日ならまだ席がとれるというのでアコさんがとってくれたのですが、確認を怠ったために大失敗がありました。久しぶりに会ったので、ゆっくりランチをとっていて、1:30開場2:00開演と思って「ぎりぎり開演に間に合ったね」と劇場に入ったら、それは日曜日の開演時間で、土曜日は1:30開演。30分も遅刻してしまいました。
 
 地動説をとなえたために裁判にかけられ、軟禁状態におかれているガリレオ・ガリレイ。
 「真理はいつか必ず人類の前にあきらかになる」と信じ、教会からの迫害に耐えて『新科学対話(ディスコルシ)』を書き上げます。

 ブレヒトとその演劇理論「異化作用」については、「コーカサスの白墨の輪」を紹介した時に述べました。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/426b5859cef8dc0f502173bacaa5617e
 文学座にとって、はじめてのブレヒト劇だというのが意外でした。

・作:ベルトルト・ブレヒト
・訳:岩淵達治
・演出:高瀬久男
・出演:石田圭祐、三木敏彦、大滝寛、中村彰男、清水明彦、高橋克明、沢田冬樹、鈴木弘秋、木津誠之、植田真介、亀田佳明、釆澤靖起、南拓哉、山本道子、鈴木亜希子 、牧野紗也子、永川友里、金松彩夏、増岡裕子

 舞台には大きな直角三角形オブジェがひとつ。それが壁になったりドアになったりする。ガリレオの望遠鏡と書き物机など、わずかな家具。
 科学者の発見発明するものが、人類にとってどういう意味を持つのか、科学者の役割と良心、葛藤。ブレヒトは、この劇を書きあげたあと、ヒロシマナガサキへの原爆投下をしり、劇内容に大きな変更を加えたのだという。
 311のフクシマ原発爆発後の今はいっそう「科学者の良心と、科学によってもたらされた成果」の問題は大きくなるでしょう。
 深く大きなテーマを含んだ劇でした。

 主役のガリレオは、石田圭祐が演じ、他の役者は、場面ごとにさまざまな役を演じ分けています。演じ分けているとはいっても、一般の観客はそのちがいを衣装などによって見分けているので、声によって役者のちがいを感じるアコさんにとっては、わかりにくい部分があったかもしれません。アコさんが「昴」のファンなのは、視覚障碍者のための音声ガイドが充実していたり、点字パンフレットによって劇の概要を知ることができるからです。
 今回の文学座は、役者の声の差によって劇内容を把握するアコさんにとって、ストーリーが追いにくかったのではないかと思います。

 劇が終わった後、お茶する時間があったらアコさんの質問に答えたりできると思ったのですが、劇の終了後はアコさんの希望で、車いす生活のお友達ケイコさんを訪問することになり、劇の話をする時間がとれませんでした。
 文学座の良質な演劇、よい劇だったのだと思いますが、私とアコさんには、ちょっと消化不良の部分が残りました。ブレヒトの原作戯曲を読んでからアコさんに解説したいと思います。



<つづく>

2013/08/21
ぽかぽか春庭感激観劇日記>芝居は地球を回っている(4)エゲリア&シンベリン&マクベス

 テレビ放映された劇場中継を見るのは、劇場で生の迫力とともに見るのとはまた違った楽しみ方ができます。劇場での感激は一期一会。役者のその日の体調や声によっても印象は変わるし、演出家によっては毎日ダメ出しをして、翌日の演出を変える人もいます。初日からどんどん演技を変えて千秋楽には別人のようにうまくなる役者もいます。

 テレビは、そのような一回限りの出会いはありませんが、あるセリフを何度も再生して確認したり、ちょっと見逃した部分を巻き戻して「ああ、やっぱりこのとき後ろにもう一人隠れていたのね」なんてなぞ解きをしたり生とは違う楽しみ方ができます。なによりも。演劇チケットは高いので、私の懐具合では見たい劇を全部見に行くことができません。しかし、見たいと思っていなかった舞台でも、テレビ中継録画が放映されれば、たまたま見て、存外面白かった、というときもあります。
 文学座の『エゲリア』とパルコ劇場『こどもの一生』。埼玉芸術劇場の『シンベリン』、世田谷パブリックシアター『マクベス』テレビ録画で楽しみました。

 文学座の瀬戸口郁脚本『エゲリア』は、岡本かの子(1889ー1939)をとりまく人々をえがいた作品です。私は瀬戸内晴美『かの子繚乱』、岡本太郎「疾走する自画像」岡本敏子「岡本太郎自伝」などを読んで、かの子の魅力も、おかしな構成の岡本一家のこともわかっているつもりでしたが、エゲリアのかの子もとても強烈な個性で輝いていました。

 強烈な個性のかの子を、いやみに落とさず、魅力ある女性として現出するのは、脚本の力、そして演出家や女優の腕だとおもいます。かの子を演じたのは吉野実紗。かの子は、天真爛漫天衣無縫我儘一杯傍若無人。しかし、なんともかわいらしく、助けたくなる女性です。

 エゲリア(Egeria)は、ローマ神話に出てくる水の精。第2代ローマ王の妻であり助言者だったので、エゲリアは「女性助言者」の意味も含みます。瀬戸口郁が、どのような観点からかの子を「エゲリア」とみなしたのかはわかりませんが、エゲリアが「神の領域の存在」でありながら、人の王の妻として暮らしたということを考えると、かの子もまたそのような「人の心にとって女神であり、妻であり愛人であり姉であり母であり」という複雑な魅力を持つ女性という意味であろうと感じます。

 太郎は母について「母の邪魔にならないよう、ひもで縛られ、柱にくくりつけられいた」という子供時代を過ごしたこともあったことを書いていますが、母を「天女のようだった。尊敬できる芸術家であった」と評しています。

 岡本一平、かの子、太郎の家族に、夫公認のかの子の愛人柴田亀造(かの子の主治医であった新田亀三がモデル)。
 成松恭夫(のちに慶応大学教授、島根県知事となる恒松安夫がモデル)は、家事ができないかの子に代わって、一家をきりもりします。かの子とは「やすおちゃん、お姉さん」と呼び合う仲で、姉弟のように同居する下宿人です。恒松の晩年の談話によると、「いちばん自分が人間らしく暮らせたのは、岡本家で家事をして暮らしたとき。それに比べると知事の仕事など余生にすぎない」と述べたそうです。いかにかの子との生活が生き生きとした活力に満ちたものだったか、しのばれます。

 かの子は、あらゆることにエネルギーを注ぎ込み、歌を詠み小説を書き仏教研究者としても熱中します。50歳で亡くなったとき、一人息子の太郎はパリ滞在中でした。
 かの子を演じた吉野実紗は、1981年東京都生まれ。青学仏文卒後、2005年文学座入りし2010年には座員に昇格。文学座の中では若手ですが、実力のある魅力的な女優さんです。杉村春子太地喜和子のあとにあまり好みの女優さんがいなかった文学座ですが、吉野のかの子はとてもよかったです。

 『こどもの一生』は、ケータイも通じない島に設置されている「MMM」という「臨床心理治療所」が舞台です。都会のストレスを癒すため島にあつまった「治療を必要とする患者たち」と、医者看護師。笑っているうちにホラーになる物語。

 会社社長・三友(吉田鋼太郎)と秘書の柿沼(谷原章介)。東北のテーマパークで働いているユミ(中越典子)は、ほんとうは東京ディズニーランドで働くのが夢なのに、かなわぬ夢を追ってストレスがたまっています。家電量販店に勤めている淳子(笹本玲奈)、頭の中から量販店のCMテーマ曲を追い出したいと思って治療に参加。ワイドショーの再現ドラマなどの脚本を書いている藤堂(玉置玲央)らを治療するのは、医師(戸次重幸)と看護師(鈴木砂羽)。

 治療は、子供時代に戻ってこどもの心を取り戻すことでストレスをなくす、という方法。子供心になってもやっぱりいじめっ子の社長を仲間はずれにする目的で、他の「クライアント」たちが考え出したのが「山田のおじさんごっこ」。架空の人物だったはずの山田のおじさんが島に現れたときから恐怖がひろがります。

 他の舞台では重厚な役柄が多い吉田鋼太郎がやんちゃに飛び跳ね、「軽いハンサム」イメージの谷原章介が、現代社会の人間関係に追い詰められていく複雑な心理を「無意識のこわさ」として体現していてよかったです。
 1990年の初演から23年。現代にあわせてリメイクしたそうですが、23年たっても、中島らもが「現代の人間関係が生み出すホラー」をめざした内容は、古くなっていません。ますます怖い人間カンケー。

 蜷川幸雄の演出でシェークスピア劇の全上演を続けている埼玉芸術劇場、シリーズ第25弾として、シンベリンが上演されました。(2012年4月2日~21日)
ロンドンオリンピック開幕前の6月にはロンドンのバービカンシアター公演も行われました。
録画時間3時間10分という劇。上演では途中15分の休憩が入りますが、私は場面転換ごとにトイレにたったりお茶を入れたりしながら観ました。

出演者
・ブリテン王シンベリン(吉田鋼太郎)昔、大切な跡取りの息子たち(長男と次男)を何者かに誘拐され、今はひとり娘イノジェンに後妻王妃の息子を目合わせて跡継ぎにしようとしています。王妃の尻に敷かれています。イタリアとの交渉が決裂し、国を戦乱に巻き込みます。

・王妃(鳳蘭)王には愛情のかけらもないけれど、一人息子をブリテン王にするため、継子のイノジェンと結婚させようと図っています。

・クロートン(勝村正信)王妃の息子であることを鼻にかけ、傍若無人。イノジェンと結婚できる気でいます。

・王女イノジェン(大竹しのぶ)父王に許しを得られずとも、最愛の人ポステュマスと結婚し、追放された夫の帰りを待っています。夫からプレゼントされた腕輪を大切にしています。

・ポステュマス(阿部寛)許可なく王女と結婚した罪により国から追放処分を受け、ローマへ渡ります。ローマの貴族ヤーキモーに妻を自慢したため、妻の貞節を賭ける仕儀となります。

・ヤーキモー(窪塚洋介)ローマの外交団としてシンベリン王の居城に入り、策略によって王女イノジェンの大切な腕輪を盗み出します。ポステュマスは、腕輪を見て妻が裏切ったと思いこんでしまい、下僕ビザーニオに「イノジェン殺害」を命じます。

・ベラリアス(嵯川哲郎)シンベリン王に反抗したため、追放された貴族。モーガンと名を変え、息子ふたりと猟師生活を送っています。

・モーガンの息子ふたり(浦井健治&川口覚)実はシンベリン王の息子

 ローマとの交渉が決裂し、ブリテンとローマは戦闘状態に入ります。夫を案じる王女イノジェンは、男装して山に入りモーガンたちに助けられますが、ローマ軍に捕らえられ将軍の小姓となります。
 ポステュマスはローマからブリテンに戻り、シンベリン王の軍に入って大活躍。
 最後は、ヤーキモーの悪だくみもあきらかにされて、めでたしめでたしの大団円となります。

 役者たちの演技合戦のような面もあり、見どころは多いのですが、劇場で全部見たら疲れたかもしれません。休みやすみ自分のペースで見ることができて、生で見るのとはちがう楽しみ方ができました。

 野村萬斎演出主演の『マクベス』。シェークスピアはどのように演出してもぴたっと収まる演出自由自在の面がありますが、狂言をシンに持つ萬斎の演出、5人のみの出演者と和風の衣装、和柄の装置、簡素なのに華麗な舞台でした。

 萬斎の演出力をほめている感想が多いのに、私には、今までいろいろなマクベスを見た中で一番「王殺しの悪行をそんなに悔いることないじゃないのさ」と感じさせるマクベスでした。「権力者なんて、しょせんみーんな人殺し。下克上の世の中で、先代の王を殺してしまうのは年中行事みたいなもんなのに、なんであなただけがそんなに錯乱しちゃうの?しっかりしなさいよ!」と、背中をけっとばしたくなるマクベスでした。マクベスの受容として、これ、いいんだろうか。

 演劇にはいろいろな楽しみ方があると思いますが、出演している役者が好きか、演じられている主役に興味があるか、演出方法に興味があるか。日ごろ高いチケット買う金のない私には、テレビ観劇、もっといろいろ見てみたいです。舞台中継の放映、増えてほしい。 

<おわり>


ぽかぽか春庭「夏の記憶」

2013-08-22 | インポート
2013/08/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(1)倉庫の記録

 峠三吉の「原爆詩集」より、「倉庫の記録」をコピーして読みます。
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「倉庫の記録」峠三吉

 その日
 いちめん蓮の葉が馬蹄型に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
 足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の跡片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身へかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬(ゆやく)、繃帯などのために汚穢(おわい)な変貌をしてもの乞の老婆の群のよう。
 壁ぎわや太い柱の陰に桶や馬穴(ばけつ)が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ
「五十銭! これが五十銭よ!
「のけて 足のとこの 死んだの のけて
 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目(しまめ)をおろおろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水と助けを求める。
「おじさんミズ! ミズをくんできて!」
 髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから半身を起し、へしゃげた水筒をさしあげふってみせ、いつまでもあきらめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされているおとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつかれうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折(くずお)れる。 灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

 二日め
 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの歪んだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
 ところどころに娘をみつけた父母が跼(かが)んでなにかを飲ませてい、枕もとの金(かな)ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
 飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。

 三日め
 K夫人の容態、呼吸三〇、脈搏一〇〇、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視ていた午前中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄え。水のまして、お茶のまして、胡瓜もみがたべたい、とゆうがた錯乱してゆくことば。
 硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛(ただ)れた肉体からはずれてゆく本能の悶(もだ)え。

 四日め
 しろく烈しい水様下痢。まつげの焦げた眼がつりあがり、もう微笑の影も走ることなく、火傷部のすべての化膿。火傷には油を、下痢にはげんのしょうこをだけ。そしてやがて下痢に血がまじりはじめ、紫の、紅の、こまかい斑点がのこった皮膚に現れはじめ、つのる嘔吐の呻きのあいまに、この夕べひそひそとアッツ島奪還の噂がつたえられる。

 五日め
 手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。
 足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢(うごめ)き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面(めん)のような表情が見おくっている。

 六日め
 むこうの柱のかげで全身の繃帯から眼だけ出している若い工員が、ほそぼそと「君が代」をうたう。

「敵のB29が何だ、われに零戦、はやてがある――敵はつけあがっている、もうすこし、みんなもうすこしの辛棒だ――」

 と絶えだえの熱い息。

 しっかりしなさい、眠んなさい、小母さんと呼んでくれたらすぐ来てあげるから、と隣りの頭を布で巻いた片眼の女がいざりよって声をかける。
「小母さん? おばさんじゃない、お母さん、おかあさんだ!」
 腕は動かず、脂汗のにじむ赧黒(あかぐろ)い頬骨をじりじりかたむけ、ぎらつく双眼から涙が二筋、繃帯のしたにながれこむ。

 七日め
 空虚な倉庫のうす闇、あちらの隅に終日すすり泣く人影と、この柱のかげに石のように黙って、ときどき胸を弓なりに喘(あえ)がせる最後の負傷者と。

 八日め
 がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空地に積みあげた死屍(しし)からの煙があがる。
柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、
無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。
K夫人も死んだ。
――収容者なし、死亡者誰々――
門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き
むしりとられた蓮の花片が、敷石のうえに白く散っている。


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<つづく>
2013/08/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(2)生ましめんかな

 栗原貞子(くりはらさだこ1913-2005)。92年の生涯を、平和運動にささげた方です。
 「生ましめんかな」は、まだ著作権の消滅していない著者の作品ですが、平和を願う日記への引用としてコピーさせていただきます。(初出『中国文化』1946)
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栗原貞子「生ましめんかな」

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。 

マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
 

<つづく>
2013/08/13
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(3)コレガ人間ナノデス~水をください

 春庭が「夏の記憶」として書き写し、朗読していくシリーズです。
 書き残されてた記憶を受け止め、受け継いでいこうと思う詩や散文を、8月6日から15日の間に祈りをこめてコピーし、朗読しています。祈りの文として、心に染みつくまで何度も読み直したいことばです。

 今日の書き写しは、原民喜(1905-1951)
 「水をください」は、何度も読んできたけれど、何度読んでも、いっぱいの水を飲めずにうめきながら死んでいった人の声に圧倒されます。
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「原爆小景」原民喜


  コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス


  燃エガラ

夢ノナカデ
頭ヲナグリツケラレタノデハナク
メノマヘニオチテキタ
クラヤミノナカヲ
モガキ モガキ
ミンナ モガキナガラ
サケンデ ソトヘイデユク
シユポツ ト 音ガシテ
ザザザザ ト ヒツクリカヘリ
ヒツクリカヘツタ家ノチカク
ケムリガ紅クイロヅイテ

河岸ニニゲテキタ人間ノ
アタマノウヘニ アメガフリ
火ハムカフ岸ニ燃エサカル
ナニカイツタリ
ナニカサケンダリ
ソノクセ ヒツソリトシテ
川ノミヅハ満潮
カイモク ワケノワカラヌ
顔ツキデ 男ト女ガ
フラフラト水ヲナガメテヰル

ムクレアガツタ貌ニ
胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ
赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ
ボロキレヲスツポリカブセ
ヨチヨチアルカセテユクト
ソノ手首ハブランブラント揺レ
漫画ノ国ノ化ケモノノ
ウラメシヤアノ恰好ダガ
ハテシモナイ ハテシモナイ
苦患ノミチガヒカリカガヤク


  火ノナカデ 電柱ハ

火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ
蝋燭ノヤウニ
モエアガリ トロケ
赤イ一ツノ蕊ノヤウニ
ムカフ岸ノ火ノナカデ
ケサカラ ツギツギニ
ニンゲンノ目ノナカヲオドロキガ
サケンデユク 火ノナカデ
電柱ハ一ツノ蕊ノヤウニ


  日ノ暮レチカク

日ノ暮レチカク
眼ノ細イ ニンゲンノカホ
ズラリト河岸ニ ウヅクマリ
細イ細イ イキヲツキ
ソノスグ足モトノ水ニハ
コドモノ死ンダ頭ガノゾキ
カハリハテタ スガタノ細イ眼ニ
翳ツテユク 陽ノイロ
シヅカニ オソロシク
トリツクスベモナク


  真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ

真夏ノ夜ノ
河原ノミヅガ
血ニ染メラレテ ミチアフレ
声ノカギリヲ
チカラノアリツタケヲ
オ母サン オカアサン
断末魔ノカミツク声
ソノ声ガ
コチラノ堤ヲノボラウトシテ
ムカフノ岸ニ ニゲウセテユキ


  ギラギラノ破片ヤ

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニホヒ


  焼ケタ樹木ハ

焼ケタ樹木ハ マダ
マダ痙攣ノアトヲトドメ
空ヲ ヒツカカウトシテヰル
アノ日 トツゼン
空ニ マヒアガツタ
竜巻ノナカノ火箭
ミドリイロノ空ニ樹ハトビチツタ
ヨドホシ 街ハモエテヰタガ
河岸ノ樹モキラキラ
火ノ玉ヲカカゲテヰタ


  水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ


  永遠のみどり

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ


<つづく>
 
 
2013/08/14
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(4)白い馬(太郎の)

 毎年、8月6日から8月15日までは、私的「平和祈念週間」です。ヒロシマ・ナガサキの原爆文学や戦争にかかわる表現の書き写しをしてすごしてきました。本から書き写すこともありますし、青空文庫などからコピペして朗読してすごすこともあります。声を出しての朗読は、脳トレにもいいそうなので、一石二鳥、私にとっては写経みたいなものです。 これまで、『黒い雨』『夏の花』などの書き写しをしてきました。今年も何篇かコピーして朗読してすごしています。

 2013年の写経のひとつは、岡本太郎(1911-1996)の従軍の記憶の書き写し。青山の岡本太郎記念館へ出かけた後、岡本敏子による伝記とかいろいろ読んだので、どの本の中にあったのか、ごちゃまぜになってしまいました。たぶん、『失踪する自画像』の最初のほうにあったと思います。著作権は岡本敏子なきあと、敏子の甥の平野暁臣(岡本太郎記念館館長)になったのか、財団が管理しているのわかりませんが、春庭の「夏の記憶」シリーズ全体への引用として、掲載します。何らかの問題があるのなら、削除します。
~~~~~~~~~~~~~

 白い馬(コピー)
 この世界にあらゆる生命が、ざわざわと音を立てながら、からみあい、食い合っている。それは生命の永遠の運命、姿であろう。ザワザワと粋、食い合う。たとえ、意識していなくともまことにそうなのだ。むしろ意識では、陣減精神はどこ久野なかに静まり、瞑想しているよだが。なぜ私がこの生命の動きを、ザワザワと表現するのか。
 思い出があるのである。
 戦争中、中国の前線にいた。私の人生で、もっとも残酷に、辛かった時代である。軍隊では、私の域、人事的他モラルとはすべてが反対だった。なま身をひきちぎる、逆の噛み方時空の歯車が回転していた。
 私は最前線の自動車舞台に配属していた自由主義者の非国民、戦死すればモッケお幸いというわけだろう。自動車隊といったって、車を走らす道がないのだ。一日中、泥濘とのあく先駆層、しかも夜は保障に立たされる。
 大陸の夜は深い。信じられぬほどの静寂のなかに、一人、住建をかまえて歩き回っている。すると何処からか、ザット水の流れるような、異様なもの音が聞こえてくる。
 何だろう!
 音をたよりに、いく。ふと見ると、真っ白な馬。
 夜空に向かって首をあげ、前足を突っぱってのけぞっている。悪路の行軍のはて、ついに力つきた軍馬の死骸である。
 全身から最っ白にウジがふきだし、月光のもとに、彫像のようい冷たく光っているのだ。
 ウジのうごめく音が、ザttと、低いがすさまじい威圧感でひびいてくる鬼気せまるイメージだ。
 生きものが、生きものを犯す。生きるために、そしてその肉をまた強者が食う。今おびただしいウジが肉の巨塊をなめつくしているのだ。
 ザワザワと不気味な音をたてながら。


<つづく>
 
 
2013/08/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>夏の記憶(5)夏の9

 憲法第9条

 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 9条 若者言葉訳
 俺達は筋と話し合いで成り立ってる国と国の間の平和な状態こそ大事だと思う。だから、もし外国となにかトラブルがおこったとしても、国として武器をもって相手を脅かしたり、直接殴ったり、殺したりは、永遠に絶対しないよ。戦争放棄だ。

 9条2項
 で、1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊を持たないし、交戦権も認めないよ。大事だから念を押しとくね。

ぽかぽか春庭「2013年7月目次」

2013-08-22 | インポート

| エッセイ、コラム

2013/07/31
ぽかぽか春庭>2013年7月目次

07/02 ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(10)中ザワヒデキ展in吉祥寺美術館
07/03 春庭の現代ゲージツ入門(11)虹のずっとずっと彼方in府中美術館
07/04 春庭の現代ゲージツ入門(12)NTTアノニマスは無名してる?&アンデパンダンは独立してんのin新国立美術館
07/05 春庭の現代ゲージツ入門(13)草間彌生の芸術チンチン

07/07 ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(1)たなばたさま、おりひめさま
07/09 織り姫たちの千年(2)コプト織&ミルフルールタペストリー
07/10 織り姫たちの千年(3)織物の色-貴婦人と一角獣とガンダム
07/11 織り姫たちの千年(4)シャガールタピスリー

07/13 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年の夏(1)日常茶飯事典
07/14 2003年の夏(2)2003年のたなばた
07/16 2003年の夏(3)2003年7月の日常茶飯辞典
07/17 2003年の夏(4)磁力と重力の発見
07/18 2003年の夏(5)ポストフェミニズムの夏

07/20 ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(1)サクラさんのかき氷
07/21 かき氷映画(2)アイスカチャンは恋の味

07/23 ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車
07/24 自転車と筏と少年(2)少年と自転車
07/25 自転車と筏と少年(3)ライフオブパイ

07/27 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(1)ピース外食
07/28 2013サマーディナー(2)とりどりのおしゃべり-文鳥十姉妹カラス
07/30 2013サマーディナー(3)ペルーランチ

ぽかぽか春庭「サマーディナー」

2013-08-22 | インポート

2013/07/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(1)ピース外食

 モーニング娘。が「ザ・ピース」で♪選挙の日ってウチじゃなぜか 投票行って外食するんだ、と歌って以来、すなわち21世紀がはじまって以来、我が家は一家で選挙に行ってその足で外食することにしています。

 子供たちが幼いころは、親がいくところどこでもついてきたから、外食なんぞで釣らなくても、投票所まで行って、投票所の入り口で一票入れる親の姿を見てきました。
 しかし、21世紀が始まった時に息子が中学生になると、さすがに親といっしょに投票所について行くなんてことは、さらさらしたがりません。そこに、ちょうどザピースがはやったので、「投票にいっしょに来たら、帰りは外食」ということにしました。団地の中のファミレスでさえ、我が家ではめったに行くことのない「ハレのごはん」だったから、18歳の娘も13歳の息子もうまい具合に外食につられました。

 娘が20歳になって投票するようになると、姉の命令には絶対服従で育ってきた弟君は、自分が投票権を得るまで5年間、投票につきあいましたし、家族全員が投票できるようになっても「我が家の伝統行事」化した「ピースの外食」を続けています。

 今年、都議選挙は、ものすごく久しぶりに夫もいっしょに投票所へ行き、夫もいっしょに「ピース外食」をしました。夫はいつも「仕事が忙しいから」と、期日前投票をしてきたから、4人そろって投票所へ向かうなんてことは、息子が選挙権を得て以来はじめてのことでした。団地内のファミレス「ジョナサン」でランチ。夫、娘、息子の3人組か、私、娘、息子という3人組の外食はあっても、4人での外食は2009年に私が中国から帰国したとき以来、4年ぶりのことでした。

 7月の参議院選挙では、夫はまた「期日前投票」になったので、21日日曜日はいつもの3人で投票し、和食屋へ。今回は、22日丑の日を前に、うなぎをおごることになりました。日曜日の夕食どき、15分待ってお座敷に通されました。

 「お座敷のほうに座るのって、保育園の卒園パーティでママ友が集まって以来だ」と思いました。貧乏のどん底にいた我が家、ママ友たちの卒園パーティの会食費が払えないと困るから、卒園式が終わるまで参加不参加を幹事に言えませんでした。食事を終えてさて、会費徴収となった時に「うちはお金がない」となったら、子供にはつらいことだろうから、卒園式の当日、会費分がふところに残っていることを確認するまで参加を申し込めなかったのです。

 21日の和食、息子はうな重定食、私はうな茶定食。「ウナギよりステーキのほうが元気が出る」という娘は、和風ステーキ定食です。3人で8千円弱のお支払。
 家族そろって外食するのは、1年のうち、それぞれの誕生日に好きなレストランを指定する権利をもって外食。そして選挙のあと。1年で4~5回程度の外食ですから、「たまにはプチ贅沢」と、大盤振る舞い。ひとりあたり2000円ちょっとの外食で大盤振る舞いというのも大げさだと思うでしょうが、我が家ではこれが大盤振る舞いなのです。

 これまでの選挙結果は、いつも惨敗でした。私は現政権への批判票として投票してきたので、たいてい「負ける人」に投票したからです。
 今回は「脱原発」「平和を守る」の2点にしぼって投票先を決めました。ダークホースで当選もありうるというところまでがんばった候補者。東京都民の「脱原発」希求の受け皿になって、当選しました。投票しておいて、びっくり。当選したからには活躍してほしいです。
 ピース夕食食べて、これからもピースを守っていこうと思っています。

<つづく>

2013/07/28
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(2)とりどりのおしゃべり-文鳥十姉妹カラス

 旧友K子さんと、ひさしぶりのおしゃべりタイム。7月25日、芸劇ロビーでの待ち合わせて、K子さんのマンションへ。
 前回のおしゃべりで、K子さんが文鳥をペットとして飼い始めた、世話がたいへんだけれど、とてもかわいい、という「鳥の子育て談義」を聞かせてもらったので、今回はその文鳥の「サンブ」に会うのを楽しみにしていました。サンブは、K子さん出演の『鼬』のなかで、老女役K子さんの息子「三郎」を東北なまりで呼ぶときの呼び名です。

 ところが、K子さんは「おととい、ちょっとした油断で文鳥が窓から逃げてしまった。きのうは一日捜し歩いたけれど、見つからない」と、大ショック状態。

 「前にもインコを飼ったことがあったけれど、そのときは大人になってからの鳥だったし、病気持ちでなつかない鳥だったのでかわいいとも思わぬまま、すぐに病気で死んでしまった。今回はじめて、子供の状態から育てて、日一日となついて、もうかわいくてたまらないと思って部屋で放し飼いにして、いっしょに暮らしていた。
 わが子と思って育ててきたのに、半年して大人の状態に近づいてきたら、外のようすに興味をもち、ベランダにくるスズメに関心を持って、部屋から出たがるようになった。それで、風邪薬を飲んで眠い状態のときに、窓のあけたてに気を張るのを油断したら、ちょっとしたすきに逃げてとんでいってしまった。」

 大人に近づいたとはいっても、人から餌をもらうほかに食べる手段を知らないので、外に行ったら餌もなく、カラスに食べられるかもしれないし、もう心配でしんぱいで、と嘆くK子さん。
 思春期を迎えた息子が、外の世界を知りたくて家出してしまったときの人の母と変わりなく、ひたすらかわいい我が子の心配をしています。

 大丈夫、ひょっこり戻ってくるかもしれないし、万が一帰り道がわからなくなっても、きっと親切な新しい飼い主の家に飛び込んでいるから、と、我が家の最初のペットの話をしました。

 娘が保育園児、ペットがほしくてたまらないでいたころ。9階ベランダから窓の中に、文鳥が飛び込んできました。おふろばに入れて、何を食べるのか調べたり、団地のエレベーター前などに「まいごのことりあずかっています」という張り紙を出してしばらく連絡をまっていましたが、だれからも連絡がなかったので、我が家で飼うことにしました。ピーちゃんと名づけ、鳥かごを買ってくるやらおおさわぎ。
 実をいうと、このころ、我が家には鳥かごを買うお金さえなかったのですが、ホームセンターに行ったら、半額の「わけありセール」をやっていて、籠の一部の針金が曲がってしまったために半額になっている鳥かごを、「わあ、ちょうどよかった」と買った、なんてことを思い出しました。

 我が家のルールでは鳥かごから出して放し飼いにしてよいのは、お風呂場限定。お風呂場なら、フンをしても紙でふき取ったあと水をながせばよいので、始末が簡単だからです。掃除を徹底的に手抜きする家なので、部屋では放し飼いにはできませんでした。

 3年ほど飼って、私が単身で中国に赴任するとき、私の妹夫婦に娘息子といっしょに文鳥も預けました。妹が娘息子をつれて中国に来るときに、妹の亭主が世話を引き受けてくれたのですが、妹が帰国する前に、「逃げられた」という連絡が入りました。娘と息子には知らせずにいました。
 日本に帰ってから「ピーちゃんを引き取りにいく」となって初めて、「実は、、、、」と打ちあけました。娘は、「中国にいっしょに連れてこられないって言われて置いてきたのに、私がいっしょに残ればよかった」と、泣きました。
 K子さんの今のなげきも、いかばかりかと思います。人は、「たかがペット」と思うでしょうけれど、いっしょに暮らしたものにとっては、いとしい家族です。

 K子さんには、サンブも帰り道がわからなくなっても、きっと新しい家でかわいがられているから、となぐさめました。
 K子さんは、半年待って、帰ってこなかったらまた来年の冬に新しい文鳥を飼いたいといいます。小鳥と暮らす生活は、とても充実した「リア充」だったのだろうと思います。
 K子さん手作りのピーマン肉詰めトマト煮をいただき、小鳥帰還を願って辞しました。

 ジュンク堂書店によったら、トークイベントのお知らせが入り口にありました。「カラス先生とジュウシマツ先生の、鳥扱い説明書」というタイトルが面白そうなので、申し込みをしました。ジュンク堂のトークイベントは、毎回、ワンドリンク付き千円です。

 ジュウシマツ先生こと岡ノ谷一夫先生は、『「つながり」の進化生物学』(朝日出版社)、カラス先生こと松原始先生は、『カラスの教科書』(雷鳥社)を出版なさり、長年、鳥の行動生態学を研究しておいでです。

 松原先生は、院生時代に岡ノ谷先生の授業を受けたことがあるそうで、おふたりとも、それぞれの研究対象にぞっこんほれ込んでいるというのがよくわかりました。カラスも20年観察を続けてくれば、かわいくてたまらないそうです。
 岡ノ谷先生は、ジュウシマツのほか、動物行動学者としてハダカデバネズミの社会行動の研究もなさっています。

 ジュウシマツのさえずりについての研究は、脳組織の実験や「里子実験」などの成果が『さえずり言語起源論 ― 新版小鳥の歌からヒトの言葉へ』岩波書店2010にまとめられているということで、その成果の一端を聞くことができました。

 ジュウシマツは、日本に輸入されてからちょうど250年たちます。
中国で、野生のコシジロキンパラ (Lonchura striata) を家禽化した鳥で、野生には存在しません。さまざまなさえずりをしてメスを呼ぶ求愛活動を行うことが知られており、岡ノ谷先生は、このさえずりの研究から、人間の言語活動の起源にいたるまで、幅広い研究を続けています。

 カラスは、人間の住むところどこにでも見られる「都会化」した鳥で、つがいになるとほぼ一生添い遂げるそうです。しかし、お互いの絆が強い分、排他的で、自分たちさえシアワセなら、ほかのヤツラは邪魔者、というなわばり主義者とか。

 ジュウシマツの脳の構造からカラスの保食行動(マヨネーズを入れ物ごと東大構内のエアコン室外機の下に隠したのを観察したことがあるとか)まで、ゆかいなエピソードをたくさんうかがいました。

 ジュウシマツはさえずりの歌のうまいへたによってメスをひきつけるそうで、ジュウシマツ先生のお弟子さんのひとりは、さまざまな種類のさえずりをテープでメスに聞かせて、何本のワラを巣に運び込むのかという実験の観察を命じられました。うまい歌に反応して、子育てをしようという気持ちになり、巣作りを始め、ワラを自分の巣に運び込むので、どの歌が好まれたか観察できるのだそうです。お弟子さんは、10万本のワラを一本一本数えて立派な論文にしたそうです。

 お客さんの中には、この本を読んで興味を持ったファンや、大学で先生の教えを受けている学生、高校生への出前授業で岡ノ谷先生の講義を聞いた高校生まで、幅広い層が集まっていました。
 私のように、ほんの通りすがりで、「今日はトリに縁があるから聞いてみようか」という程度の気まぐれで聞くことにしたミーハー視聴者まで、わかりやすくおもいしろいお話を聞けて、カラスのつがいが「リア充」で生きているみたいに、リア充の一日をすごすことができました。

<つづく>
2013/07/30
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(3)ペルーランチ

 待ちに待った夏休み到来。7月26日金曜日、今期最後の授業を終えました。
 月木出講している大学の、恒例期末打ち上げ会。今回は、六本木にあるペルー料理の店「ナスカ」です。

 ペルー出身の留学生、スペイン系の先祖を持つ学生は何人か教えましたが、インディオ系の祖先を持つ学生を教えたのは、女性ひとりだけです。インディオ系の人が大学教育まで受けて、留学するのはよほどのことがないと、難しいのだろうと思います。大学推薦、大使館推薦の国費留学(日本の文部科学省から奨学金を給費される)でなければ、私費留学するほどの経済力があるインディオ系出身者が少なく、大学推薦を受けるには、成績優秀というほかに、有力なコネクションが必要とされるところが多いのが、途上国の現実です。

 ブラジル、アルゼンチンなど南米の国には、日系の移民を祖先に持つ人も多く、それらの出身者は、日本に出稼ぎにきている人も多い。親は日本語を話せず、子供が地域の学校で日本語が話せないために、いじめにあったりして不登校になった場合、それらの子供たちが通う学校の受け皿がないのが現状で、地域の小中学校での日本語教育の充実が求められています。
 このような子供を受け入れている地域の日本語教室が地域にあったら、ぜひボランティアで教える体験をしてほしいと、日本語教育志望の学生たちには話していますが、はたしてこの夏休みに、実践する学生はいるでしょうか。

 さて、ペルー料理の「ナスカ」。六本木のミッドタウンの近くにありますから、午前中ミッドタウンのサントリー美術館で「谷文晁展」を見ようと思って午前中に家をでました。しかし、いつもの方向音痴の私。六本木ダイヤビルというビル名を見て、地下鉄の六本木駅で降りたら、違いました。六本木ダイヤビルといっても、いちばん近い駅は乃木坂だったのです。麻布警察署で道をたずねて、それでも遠回りしてしまって、店を確かめてからサントリー美術館に行こうという計画だったのに、店についたら、もうミッドタウンに戻る気力がありませんでした。

 そのまま店の中でランチの約束時間まで待たせてもらいました。
 店の床にはナスカの地上絵が描かれていたりして、なかなか感じのいい店でした。

 ランチコースは、マリネサラダのセビチェから始まりました。セビチェは代表的なペルー料理で、魚介類を中心になんでもマリネすれば、それがセビチェということです。赤だし使っても白みそでも何を具材にしても味噌汁、みたいなもんでしょう。
 とり肉のハツの串焼き、ジャガイモのクリームソースがけなどが出て、ピスコサワーというペルーのカクテルと、地ビールを飲みながら、今期のあれこれの失敗の話、会話授業を録音したのに、音がとれていなかった、だとか、宿題を配布したら、ぜんぜん違う課のを配ってしまっただのの話から、身近な社会歴史問題まで、1時から4時半まで、おしゃべりが続きました。

 みんな、これで心おきなく夏休みです。
 いえ、ふだんだって、心おきなく映画みたり芝居みたりして遊んではいるのですが、やはり学期が終わって成績つけ終わらないと、夏休みになった気がしない。みな、まじめな先生たち。
 私は、ふだんの遊び癖に輪をかけて、楽しくぐうたらと夏をすごします。

<おわり>
 


ぽかぽか春庭「自転車と筏と少年」

2013-08-22 | インポート

2013/07/23
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車

 日本は、1960年代から1990年ごろまでの30年に大きく変化しました。農業中心の生活から工業中心の国に変わり、国民は1950年には人口の80%が農民だった社会が、2010年には農民は3%にも満たない、という社会に大きく変貌しました。

 中国は、日本が30年40年かかって達成した変化を1990年代以後の10年間で一気に追いつけ追い越せと走り続けました。ことに沿海部は急速な変化を遂げています。
 私は、1994年にはじめて中国に赴任しました。
 1994年にはじめて赴任したときの中国は、まだ都市部にも貧しさは残されていましたが、農村との格差がどんどん広がっていた時代でした。
 1994年の北京の道路には、自動車より自転車大部隊のほうが目立っていました。

 21世紀になって2度、北京オリンピックの1年前の2007年とオリンピック1年後の2009年に、中国で暮らしました。2009年の北京では、自転車で通勤する人より自動車族のほうがずっと多くなっていました。

 王小帥(ワン・シャオシュァイ)監督作品『北京の自転車(十七歳的単車/(十七?的??、Beijing Bicycle)』は、2001年、第51回ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。日本での公開は2007年。私は飯田橋ギンレイホールで2010年12月に見ました。制作されてから10年後の鑑賞でしたが、描かれている内容は、ちっとも古びておらず、中国の階層格差とそれでも希望を持って生きて行こうとする少年たちの姿に涙しました。

 貧しい山西省から出稼ぎにきた17歳の少年、小貴シャオグイ(ツイ・リン)は、自転車配達の仕事にありつきました。元手が何もないグイには、「既定の配達回数をこなせば、貸与の自転車が自分のものになる」という仕事はとても割のいい仕事に思えたのです。

 しかし、今日で規定の配達回数になるという日、配達に使っていたマウンテンバイクは盗まれてしまいます。北京の自転車事情から考えて、「そんなところに止めておくと、盗まれるだろう」と予測した通りなので、なんともはやの展開ですが、しかたありません。首にされた小貴は、自分の自転車を取り返せば再雇用してもよいという店長のことばを信じて、北京中を探して歩きます。

 北京の高校生、小堅シャオジェン(リー・ピン)は、自分専用の自転車を持っていません。名門校に入学できたら買ってくれるはずの自転車。クラスメートはみな高級自転車を乗り回しています。しかし、シャオジェンの父親は仕事がうまくいっておらず、約束の自転車は買ってもらえませんでした。

 小堅は、格安の中古マウンテンバイクの購入を持ちかけられ、父のへそくりを持ち出して内緒で購入します。気になるクラスメートの女子も、自転車を手に入れた小堅を認めてくれて、小堅の高校生活は一気に明るくなりました。小貴がようやく自分の自転車を見つけ出し、盗まれたものであることを証明するまでは。
 17歳の少年ふたりに一台の自転車。どちらのものになるのか、、、、

 私が1994年に初めて中国に赴任したころ、農村は取り残され、多くの貧しい農民たちが北京や上海に出稼ぎにやってきた時代でした。急速な現代化都市化が進む中国社会。
 現在、貧しい人々は、「自分たちが貧しいままなのはどうしてか」を理解するようになり、各地で暴動が起きたり、貧しい若者の自殺事件が起きたりしています。

 『北京自転車』は、力ずくの解決ではなく、ふたりの少年の和解がなされました。妥協点は見いだしても、すっきりとはしません。なにしろ自転車は一台しかないので。

 一台の自転車と17歳のふたり


 中国社会は、まだまだ1台の自転車に何人もが群がるような状態です。
 このまま中国社会で14億人のうち5%の人間だけが豊かに暮らし、あとは貧しいままで打ち捨てられていくようなら、13億人は、いつか物申すようになるでしょう。変化のきざしは見て取れると思います。

 北京名物だった道路いっぱいの「自転車大行進」光景を見ることはマレになりました。これからいよいよモータリゼーション。一般の勤め人も車に乗る時代になっていきます。しかし、田舎では、まだまだ馬車やロバの荷車も現役の中国。
 民衆の不満のはけ口が日本へ向けられるってのはなくなりますように。そんなに急激な変化でなくていいから、ゆっくりとよい方向へ進んでいってほしいです。北京自転車、慢慢走!

<つづく>

2013/07/24
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(2)少年と自転車

 「少年と自転車Le Gamin Au Velo / The Kid With a Bike」
 フランス語映画なので、フランス映画と思ったら、ベルギー、フランス、イタリア合作のダルデンヌ兄弟監督作品。2011年カンヌ国際映画祭審査委員特別グランプリ作品。
 少年シリル役は、映画初出演という子役、トマス・ドレ。少年に懇願され週末里親になる美容師サマンサをセシル・ドゥ・フランス。
 以下、ネタバレを含むあらすじです。白地に白い文字で書かれているので、マウスでドラッグすると文字が出てきます。

 児童施設に暮らすシリルは、必ず父親が迎えに来てくれると信じています。サマンサと週末すごすことにしたのも、父親を捜したいからです。サマンサは、よく面倒を見てくれますが、シリルはやっぱり父親が恋しい。

 父親が買ってくれた自転車。自転車を乗り回すことだけが、父とのつながりを回復する方法とでもいうように、シリルは町中を自転車で走ります。サマンサは親身になって父親の居所を探し当ててくれたのですが、父親はすっかり子育ての気力を失い、子どもが負担になっていました。育児放棄の状態となっていることを知ると、シリルは自傷行為をおこし、自分の顔をかきむしります。サマンサは、シリルを育てることにばかり夢中になってしまい、ついには恋人から「俺かこの子か、どちらかを選べ」と最後通牒を受けます。サマンサの答えはあっさりと「この子よ」でした。

 サマンサが恋人より自分を選んでくれたことを知っても、シリルは再び父と暮らすことをあきらめませんでした。父親にお金をあげさえすれば自分と再び暮らすだろうと、危険な仲間に近づいてしまったシリル、サマンサの警告もきかず、事件に巻き込まれてしまいます。シリルを危険に巻き込むワルだって、家の中では年寄りにやさしい孫なのです。世間での見方と真実はくいちがっています。

 シリルは週末だけの里子から、正式なサマンサの里子として迎えられるのですが、サマンサとの心のつながりは、まだまだ細いものでしたが、ふたりして自転車で出かけるピクニックなど、サマンサは懸命にシリルとの絆を綯おうとします。

 ある日、サマンサは、近所の家族を招いてバーベキューをしようと思い立ちます。シリルと同じ年頃の男の子が、友だちになってくれそうだからです。バーベキューに使う炭を買いにいった先で、シリルは第2の事件に遭遇します。善良な良き市民としてシリルの前に立ちはだかっていた近所の黄金持ちの父と息子。この父と子の本性が観客にもわかります。自分たちの利益のためなら息子にウソで塗り固めた証言をさせようとする父親。

 貧しさや生きる気力の喪失から育児放棄となってしまったシリルの父と、自分たちのためなら真実もねじ曲げ、息子にウソをつかける父親。どちらも父親というもののひとつの姿です。

 サマンサにとっては、シリルへ無償の母性愛を注ぐことが生きがいになり、傷ついた少年を救うことが彼女自身の「生きる意味」となっていきます。彼女の心がシリルによりそう情景は、ふたりいっしょのサイクリングで表されています。


 親から拒絶されてしまった子どもの心理が、自転車の疾走とともに表現されており、今まで見た「自転車映画」の中でも、その「走り」に独特の雰囲気が出ているように思います。
 自転車疾走シーンというと、たいていは元気で明るいシーンに仕上がっていたので、この身につまされるような疾走に、ああ、自転車もこんなふうに画面に登場できるんだ、と感じました。

 少年ビルドゥングスの物語であり、人と人が心を結び合わせることのさまざまな局面を見せてくれた映画でした。

<つづく>


2013/07/25
2013/07/25
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(3)ライフオブパイ

 アン・リー監督『ライフオブパイ トラと漂流した227日』は、アカデミー賞の監督賞、視覚効果賞など4冠を達成(2012年度最多)しました。日本では2013年1月に3Dロードショウ公開され、2月末にはアカデミー賞受賞でより一層話題になりました。
 私はいつもの飯田橋ギンレイホールで半年おくれの上映を、2Dで見ました。2Dでも十分に迫力ある画面でした。さすが撮影賞、視覚効果賞です。

 『トラと漂流した227日』というタイトルとテレビなどで予告編を見ただけのときは、ディズニーの動物映画のように、動物との仲良し物語かと予想していまし。ペットとして買っていた虎と少年が助け合って漂流するのかと。でも、少年の意識の中では「少年と虎」が漂流するのですが、「少年と神さま」の漂流でもあり、「少年と少年自身の精神」の漂流でもあります。

 この物語も、16歳の少年成長が語られます。「北京の自転車」の、都会に出稼ぎにきた地方の少年の辛苦も、「少年と自転車」の、家族の愛情を与えられない運命のもとに暮らしている少年のつらさも、当事者にしてみれば、なんと過酷な運命かと思うでしょうが、この映画の少年パイが経験する運命は、極限の過酷さが227日間つづくもので、このように語られる語り口こそが映画の肝だと感じます。

 アン・リーは、成長して中年になったパイがこの物語を語る、というシーンから映画を始めます。パイが漂流ののちに自分の体験を語ることができる人間として成長したことがわかっているから、嵐の大波も、飢えの苦しみも、「最後は昇華されるのだろう」と予測してみていられます。しかし、物語はそんな単純な漂流譚ではありませんでした。

 ほとんどが海のシーン。視覚効果賞がうなずけるヴィジュアル・エフェクトで、星明り月明かりの中で光るクラゲの大群や神様のように海中にあらわれる鯨など、非常に美しい光景が続きます。しかし、この美しさをめでて、パイが助かりました、めでたしめでたしと終る映画ではありませんでした。
 以下、ネタバレを含みます

 少年パイはインド・ポンディシェリに生まれました。ポンディシェリはフランスが植民地支配していた地域で、そのためキリスト教の教会もあるし、イスラム教のモスクもあります。母親はベジタリアン。植物学者でヒンドゥ教の熱心な信者です。ビジネス能力のある父親は科学の力を信じ、自然の力と人間の関係を冷徹な目でとらえるべきであることを教えます。

 1954年、フランスがポンディシェリの支配権をインド政府に受け渡すことが決まり、住民はインド籍に変更するか移住するかの決定をせまられます。 パイは、父親が経営する動物園でさまざまな動物たちと触れ合いながら育ちました。その中で虎には特別な関心を持ち、ある日新入りの虎に餌をやろうとして父にひどく叱られます。父親は、野生動物はペットではないことを息子に教えます。
 虎のもともとの名前は別の名だったのですが、動物園に送られてきたとき何かの手違いなのか、リチャードパーカーという名札がつけられていました。それでこの虎は、リチャードパーカーと呼ばれているのです。


 パイが16歳になった年、両親はカナダへの移住を決めます。当座の生活費はカナダで動物を売りさばくことによって賄えるので、子供の教育のために海外移住のほうがいいと考えたのです。一家は動物たちを日本の貨物船に乗せてインドを出発します。しかし、大嵐に襲われ、貨物船は沈没。

 救命ボートにしがみついたパイは、一命を取りとめますが、ボートには奇妙な同乗者がいました。体重200キロを超すベンガルトラ、リチャード・パーカーもボートに隠れていました。生き抜くための過酷な漂流が始まります。

 実はリチャードパーカーとは、エドガー・アラン・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』に出てくる人物なのです。
 ポーの小説では。難破船から逃れた男4人が救命ボートで漂流する。食糧がつきたとき、4人の男はくじ引きをする。4人がともに死ぬという運命を逃れるために、くじで選ばれた1人は他のものを生かす役割を果たす。すなわち殺されて食糧となることを承知する。そのためのくじ引き。選ばれたのはリチャード・パーカーという船員でした。

 シマウマとオランウータンとハイエナとトラとパイの漂流。ボートに落ちた衝撃で足をくじいているシマウマ。シマウマを襲って食おうとするハイエナ。虎も、文字通りの虎視眈眈と「肉食動物」であることを誇示します。食うものと食われるもの、人と神との物語。

 物語の最初から、神の存在が暗示されています。母親が幼いパイに読み聞かせるヒンドゥの神々の話。口の中の宇宙。
 ヒンディ教には3千もの神々がいますが、パイはイスラムのアラーもキリスト教のイエスもとりこんで、独自の宗教観を育ててきました。
 パイは何度も神を呼び、神の見せる光景の中に神の存在を感じます。しかし、海や太陽や夜空の光景は重層したものであり単純な漂流譚かと思った予想をくつがえすのです
 海を漂う少年が、海の中や空のかなたに見たものを語り、満点の星空や海中のクラゲ、幻想的な鯨などの美しい景色に目を奪われますが、虎とともにすごした物語を終えても、パイの語りは終わりません。
 227日約8か月の漂流を終えたパイは、ふたつ目の物語も語らされます。沈没した日本籍貨物船のたった一人の生還乗客の語りを、保険会社の日本人調査員は「保険会社が納得する話」にして提出しなければならないのです。だから、パイはふたつめの話も語ります。人と人が生き残るために争い、たったひとりで生き残らなければならなかった少年の物語。
 それまでに画面に表れていた虎との戦いと共存の物語、満点の星海中の魚やクラゲの美しさに心奪われていた者にとっては、信じがたい過酷な物語です。

 事実とは何なのか。人がある事態を経験するとは何なのか。神とは何なのか。人の心とは何なのか。 

 宗教について関心を持つ者がこの映画を見終わると、貨物船に乗っていた仏教徒が信じていたブッダも含めて、パイの信じていた神々、ヒンズーの神々もイエスキリストもアッラーについてその存在についてもう一度考えねばならないと感じます。パイが上陸した南海の孤島、人をとりこもうとする島は、いったい何なのか。荒れ狂う大波にはらはらし、虎の姿にだんだん共感を抱いていくストーリー展開とはまったく別の、「神と倫理と哲学」の物語が立ち現れてきます。もちろん、立ち現れない人もいます。単に「虎と少年が漂流する話」として受け止めても、CGの卓抜な効果を語るのでも、この映画は十分に楽しめます。
 宗教と人についての映画は、今までに

 テレビ放映があったら、もう一度、哲学や宗教学や、なにより「生きること、生き残ること」について考えるための物語として、見てみたいと思います。



<おわり>

ぽかぽか春庭「かき氷映画」

2013-08-22 | インポート

2013/07/20
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(1)サクラさんのかき氷

 映画の中に出てくるかき氷で最高においしそうな、といえば、No.1は荻上直子『めがね』でしょう。

 南の島((主なロケ地は与論島)の浜辺のペンション「ハマダ」に疲れを癒しにやってくる都会からの客たち。
 そのなかのひとり、サクラさん(もたいまさこ)は、都会からプロペラ飛行機でやってきます。
 サクラさんは、まず朝は浜辺にでて「メルシー体操」をします。このメルシー体操は、「珍しいきのこ舞踊団」の伊藤千枝が振り付けしているユニークな動き。
 島の人たちはひとりふたりと集まって、このふしぎな動きの体操をいっしょにやっています。

 昼間のサクラさんは、ボランティアの「かき氷屋さん」。まず、ゆっくりじっくりと小豆を煮て、極上の煮豆を作ります。浜辺の小屋に機械をすえると、たっぷりと煮豆をいれた器にシャカシャカと氷を削り盛り上げます。お代は、島の農産物だったり、かわいい女の子が折った折り紙細工だったり。

 都会での仕事に疲れてしまったタエコ(小林聡美)も、浜辺で「たそがれて」すごし、最初は「かき氷は頭がキ~ンってなるから苦手」と言って食べなかったかき氷だったけど、一口サクラさんのかき氷を食べるうちに大ファンに。
 島に着いたときとは体の細胞が一新されたような気分で、都会へ戻っていくのです。

 去年も今年も、サクラさんの「夏休み限定かき氷屋」は店開きし、そして次の年も、、、、。

 画面に出てくるかき氷は、いままで食べたどのかき氷よりもおいしそうに見えます。南の島で、食べてみたい極上小豆煮のかき氷。

 サクラさんの「煮豆のコツ」は、小豆煮立てて沸騰したら一度ゆでこぼして、もう一度水からことこと煮るってこと。あともうひとつは、豆の分量の半量の砂糖を入れるのだけれど、それは「白砂糖」と「きび砂糖」が半分ずつ。塩のひとつまみも忘れずに。という作り方。

 でも、小豆がうまく煮えたとしても、やはり東京の熱暑の中で食べたのでは、映画の中のあのうまそうなかき氷にはならないのでしょうね。

 南の島の浜辺で食べてみたいです。


 東京、今日も35度C。でも、政治家と官僚と東電幹部は「気温40度の日が3日続けば、みんな熱中症になり、原発でもなんでもいいから電気がほしい、エアコンがんがんつけたい、原発再稼動してくれぇ、と言い出すだろうから、熱暑待望中」なのですって。

 う~ん、こっちも意地です。氷を口に含み、冷やしたタオルを首に巻き、水張ったバケツに足突っ込み、うちわ片手にテレビ放映を録画した『めがね』を見てすごそう、、、、と思ったのに。この夏、我が公団団地は外壁とベランダ防水工事をしています。南のベランダ側も北の廊下側も、すっぽりと工事足場とネットに覆われてしまい、頼みの風通しがゼロ。はい、エアコン遠慮しいしい使っております。う~、我が家に届ける電気、原発で作ったのじゃありませんように。電気、独占事業じゃなく、業者を選べる方式にしてほしい。

 あれれ、『めがね』のかき氷について、前にも書いたことあるなあと思って検索してみたら、2008年4月に書いていました。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/04/post_09c1.html

 夫から「若い頃のあなたは、小林聡美に似ていた」と言われたのを真に受けて書いた一文でした。アホやね。
 そういや、小林聡美は三谷幸喜と離婚してさっさと出て行ったのよね。
 わたしゃ未だに与論島へかき氷を食べに行く旅もできず、ひとつ120円のアイスが、5つ買うと500円に割引というのをスーパーで買ってきて、娘むすこと分け合って食べるのがせいぜいです。

 おいしいかき氷食べたい。

<つづく>

2013/07/21
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(2)アイスカチャンは恋の味

 『アイスカチャンは恋の味(初恋紅豆冰Ice Kachan Puppy Love )』は、2010年公開のマレーシア華人社会を舞台にした映画です。80年代のマレーシアで、内気な少年が少女への恋心とともに成長していくお話。

 アイスカチャンとは、シンガポールやマレーシアの町のそこここで売られているかき氷の一種です。かき氷の上にカチャン(マレー語で「豆」の意味)がトッピングされ、コンデンスミルクやシロップをかけてあるのが基本。フルーツゼリー、アロエ、チョコ、ドリアンなど、トッピングは各種あります。日本で言えば「かき氷宇治金時+あんみつ+フルーツ全部のせ」にイメージは近いかもしれません。店で食べるならガラスの器で供されますが、お持ち帰りはビニール袋にいれてストローがさしてあって、かき氷というより、「超甘いアイス飲み物」。
 映画の中で、若者たちはひっきりなしにアイスカチャンを食べています。

 マレーシアは、イスラムのスルタンを元首としていただく国で人口の6割はマレー人。公用語もマレー語です。しかし多民族国家で、人口の3割を中華系(華人)が占め、1割がインド系(タミル語)。
 経済の主要部を握っているのが華僑で、首都クアラルンプールでも経済的に華人が有力者となっています。
 タイに近い方の北部はことに華人が多い。本作は、華人在住の多いペラ州トゥロノ(Teronoh) が主な舞台になっています。

 マレーシア華人出身のシンガーソングライター阿牛(アニュー)の脚本監督主演作品で、第11回HHKアジアフィルムフェスティバル出品作です。

 子供の頃のヘアスタイル坊主頭(=ボタック)というあだ名が、年頃になってもそのまま呼び名にされている内気なボタック。同じ家で育ってきた少女アンチー(天使という意味)への思いが、成長するにつれて恋心へ変化してきているのを、自分では意識せずにいます。

 アンチーは、魚同士を戦わせる「闘魚」の名人で、だれのものより強い魚を育てています。勝ち気で誇り高い少女に育ったアンチーは、「打架魚(闘魚)Fiting fish」というあだ名で呼ばれています。
 アンチーは、母親がペナン島に住む父から逃げて連れてきて以来トゥロノで暮らしており、「いつか父のもとへ帰りたい」と望んでいます。父が母親を殴る暴力亭主だったことは知らず、自分にとっては優しかった父からひき離されてしまったことで、母親に複雑な思いを抱いています。

 母の月風は美人で、月風が売る焼きそばをひいきする客たちの多くが、月風の気をひきたいがために毎夜焼きそばを食べにくるのです。そんな客たちをうまくあしらうこつは知っているのに、いまだに父親を慕う娘に対しては、厳しくしつけようとするばかりで、なぜ父親のもとから逃げ出してきたか、娘に言うことができないでいます。

 ボタックは絵を描くことが唯一の心のなぐさめになっており、何枚もアンチー(打架魚)の肖像を描いているのですが、これは誰にも知られてはならない秘密。肖像は、風景画のうしろに隠しています。
 ボタックの兄は、家業のコーヒー作りは一流ですが、足が悪いため自立への志を果たせないで悶々としています。
 シンガーソングライターをめざしたい「白馬王子」も、コンクールへの応募をためらっているばかり。皆、自立の季節を前に一歩踏み出せないでいるのです。

 ふたりをとりまく幼なじみたちに、恋の季節がやってきました。
 「ふとっちょ」のボタックの妹は炭屋の「白馬王子」が好き。白馬王子はこの界隈では金持ちと言われている馬家の娘が好き。馬家の娘はボタックが大好き。そしてボタックは闘魚に恋心を言い出せないまま。馬家の息子も闘魚を女性として意識するようになって、恋のもつれはアイスカチャンの甘い味ではほどけず、こんがらかっていきます。

 父に会いにペナン島へ渡り、父には新しい妻と子供がいることを知る打架魚。それぞれに「子供時代を終える日」がやってきます。
 クアラルンプールへ行き、勉強したいという打架魚。コーヒーを入れる腕を生かして自分の店を出す夢を実現させようとする兄。そしてボタックは、、、

 アイスカチャンのような少年の日の恋は、はかなく溶けて消えていくのか、、、、、、、、、

 何度も画面に登場するアイスカチャン。さまざまな果物などが」トッピングされていて、めっちゃ甘そうな味が画面からも味わえそうです。
  今期のクラスにいるマレーシア留学生にアイスカチャンが好きかとたずねたら、せつなそうな顔。ケータイを取り出してアイスカチャンの写真を見せてくれました。故郷の味が恋しいのかと思ったら、7月はラマダンの真っ最中。マレー系のイスラム教徒は、アイスカチャンどころか、昼間は水も飲んではいけない断食月です。昼間はケータイの画像をながめて、日没後の「食べてもいい時間」まで耐えるのだそうです。

 シンガポールかマレーシアへ行ったら、ぜひ食べてみたいアイスカチャン。少女の日のはかない恋の味が思い出せるといいんだけれど。

 ボタックは都会へ出てゆくアンチーに、アイスカチャンをプレゼントします。恋心はついに言い出せないまま、、、、
  

<おわり>


ぽかぽか春庭「千年の織姫たち」

2013-08-22 | インポート

2013/07/07
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(1)たなばたさま、おりひめさま

 七月七日には、「字がじょうずになるように、短冊に書く」そして「さまざまな願い事を星に祈る」など、地方地方によっていろいろな行事が行われます。たなばたに「七夕」の漢字をあてる熟字訓は、中国の節句の文字をそのまま当てたためで、古来の日本の行事の意味では、漢字を当てるとしたら「棚機(たなばた)」や「棚幡」でした。

 先祖の魂を呼ぶため「機織りによって出来た幡」を飾ってきました。この「ひらひらすることによって魂を呼ぶ」「幡」は、現代でも「盆棚」を座敷にしつらえる地方では、葉のついた枝を飾ったりして、残されています。七夕笹飾りの笹の葉も、もとは魂を呼ぶための依り代(よりしろ)であったのです。

 先祖の魂祭のほうは、仏教伝来後は「盆」行事に移行し、「たなばた」は中国の織り姫彦星伝説と日本の「棚機津女(たなばたつめ」の伝説・神話が習合して、現在のたなばた祭りになりました。

 牽牛が牛を引いて耕作した野菜などの「種物(たなつもの」と、織り姫が養蚕によって絹を織り上げた産物の「はたつもの」を供えることにより、食と衣の安定供給を願いう行事なのだとも。

 織り姫の伝説から、織物に関する行事も多くの地方で行われてきました。
 奈良平安時代の宮中や貴族の館では、中国唐時代に盛んであった「乞巧奠(きっこうてん)」の行事がとりいれられ、庭に針や糸を飾って、針仕事ほかの手仕事技芸の上達を願ったそうです。

 機織り仕事をする者にとっては、1年1度のたいせつな行事でした。
 糸をあつめて布を織る、編む。布をあつめて糸と針で身にまとう衣服を縫う。糸や布をさまざまな方法で色鮮やかに染める。
 布仕事は、人類が手によって成し遂げてきた仕事の中でも、「食べ物を手に入れる」という生存に直接関わる作業のほかの仕事では、もっとも古くから延々と続けてきた仕事と思います。

 日本には古来より、大陸からまた南方から、さまざまな染織方法が取り入れられ、友禅染など日本独自に発達を遂げたにすばらしい染め物や織物が生まれました。

 最近の織物情報、糸情報で一番興味深かったのは、「くもの糸」を蚕に作らせる方法が開発された、という記事。遺伝子操作であることはちょっとひっかかりますが、蜘蛛の遺伝子を蚕に移し、蚕の吐く糸が蜘蛛の糸と同じに強くしなやかな糸になるよう、遺伝子組み換えが成功したというニュースでした。お釈迦様がたらした一本のくもの糸に何万もの地獄の人々がつかまった、というのは「おはなし」であるとして、蜘蛛の繊維は、鉄鋼とおなじくらいの強度をもっているそうです。

 古い染織技法の復活もときおり話題になります。染織技法に興味があるので、吉岡幸雄らの「古代の染織技術復活」などのニュースに目をみはってきました、

 さまざまな「幻の技術復活」が試みられた中、「本当の復活ではない」と、染織の研究者が言うこともあります。「辻が花」のことです。
 近年になった復活されたのは、昔のものとはまったく異なる染法なのに、さまざまな染色法を各自が独自に「辻が花」と名乗っていて、混乱している、と、研究者が指摘しています。

 室町時代に大流行した「辻が花」は、麻の染め物を指しました。しかし、江戸時代の友禅染の大流行に押されてその技法が廃れてしまったのです。
 明治時代になって、室町時代の高度な縫い締め絞りのうち、染織技法がわからないものを「辻が花」と呼ぶようになり、「辻が花」といえば「幻の染め物」として関心が深まりました。

 今では、染織作家がそれぞれの独自の「辻が花」という名を名乗っています。
 研究者の中には「昔の染織方法にネーミング権がないからといって、勝手に辻が花を名乗るのは許し難い」と怒っている人もいます。私など素人は、「辻が花復活」ときくと、昔ながらの方法が復元されたのだと思い込んでいましたから、たとえば「一竹辻が花」は、染織家久保田一竹独自の方法であって、本来の「辻が花」とは別物、という話をきくと、なんだかだまされたように思うのです。

 絵や建物を見るのと同じくらい、染め物や刺繍など、糸と針の手仕事を見るのが好きで、東京国立博物館に行ったときは「着物のコーナー」を、近代美術館工芸館でも、近代作家の新しい染めや織りを楽しみに見てきました。新宿にある文化大学の服飾博物館もときどき見に行きます。
 
 以下、コプト織、「ミルフール(千の花)織のタペストリー」、「貴婦人と一角獣」などを紹介します。

<つづく>

2013/07/09
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(2)コプト織&ミルフルールタペストリー

 今年2013年2~3月、東京国立博物館の展示で、「古代エジプトのコプト織」を見ました。東博140周年特集陳列「コプティック・テキスタイル―エジプトのコプト信仰が綴った織文様―」です。

 コプト織とは、紀元3世紀から13世紀にかけて、エジプトのキリスト教徒(コプト教徒)が織った綴織(つづれおり)です。コプト教徒たちは、地中海文化の影響を受けた古拙ながら美しい織文様で衣服を造り、墓を飾りました。

 コプトの綴織は、平織にさまざまな色糸を緯糸(ぬきいと=横糸)にして色糸を入れ替えで文様を織り出していく。多くは、生成りの亜麻糸を経糸にして、いろんな色に染めた麻やウールの緯糸で天使や人物、植物、動物などの文様を織り込んでいます。衣服の装飾や部屋の壁飾り、墓に供える死者装束などにしました。

 墓などから出土した織物は、色が退色しているものが多いですが、今回は、女子美術大学が制作したDCG画像で、女性が衣装を身につけているところが、復元されていました。出土した小さな端切れの展示も貴重ですが、私のような素人には、元はどのような衣装であったのか、よくわかってよかったです。

 2013年2月に東博で見たコプト織

コプト織

 2012年年末に東京都美術館で見た、「メトロポリタン美術館展」にも、印象的なタピストリーの織物が出展されていました。16世紀オランダで織られた、精緻な図柄のタピストリー。こまかい織りで、羊飼いの若い男女を織りだし、犬や小鳥が遊ぶ花盛りの野に、羊飼いはバグパイプを吹き、その恋人でしょうか若い女性は楽譜を持って歌を歌っています。

 地模様は、千の花が集められたような柄で、「千の花ミルフルール(ミルフラワー)」という織の技法だそうです。
 当時発達していた「ミルフラワー」の技法で、細かい花模様が織出されています。
 織り手たちの卓越した技法によって、たくさんの人手と長い時間をかけて織り上げられるタペストリー。
 絵の具で描いたのと同じようにさまざまな色合いで織られたタペストリーは、壁飾りや間仕切りとして、中世の館を飾りました。

 音楽を奏でる男女の羊飼いのタペストリー」南ネーデルランド 1500-30年頃


 中央に立つ樹木は、ヨーロッパの「メイポール」「メイトゥリー(五月の木)」と同じく、世界樹、生命のもとになる木を表しています。

 
<つづく>



2013/07/10
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(3)織物の色-貴婦人と一角獣とガンダム

 今年2013年5月13日に見た国立新美術館の「貴婦人と一角獣La Dame à la licorne)」展も、すばらしいタピストリーでした。綴れ織り絨毯や陰かけを表すタピストリーは、タペストリーという表記もあります。
 タピスリーtapisserie)はフランス語で、タペストリー(tapestry)は英語です。日本語外来語としては、どちらを採用してもいいと思うのですが、フランス産のものを紹介するときはタピスリーにしておきます。外来語でなく表現するなら綴織壁掛け(つづれおりかべかけ)になりますが、すでに、この語よりタピスリーまたはタペストリーのほうが通用していますので)

 招待券手に入れての見物でしたから、解説のイヤホンを借りました。音声ガイドでリルケの詩を朗読しているのは、池田秀一。
 池田秀一は、ガンダムの中でシャアを演じている声優で、「機動戦士ガンダムUC」では、フル・フロンタル役。私には、子どものころNHKテレビで見ていた「次郎物語」の次郎さんですが、「次郎さん」を演じた子役時代の池田秀一を覚えている世代もすっかり年を取りました。

 地味な展覧会と思ったのに、思ったより若い観覧者も多かったのは、「機動戦士ガンダムUC」の影響なんだとか。UCはユニコーンのことで、ガンダムカンケーにうとい私には、何がなにやら状態ですが、アニメの中で重要な絵らしいです。

 娘と息子が、無料配信された「「ガンダムUC」第1話だけ見たといっていました。第1話、主人公が出征の秘密を知る重要なシーンにこの「貴婦人とユニコーン」のタペストリーが出てくるそうです。
 第1話から全話みたファンなら、このタピストリーの本物が見られるとあっては、国立新美術館に見に来たくなるでしょうね。



 予想通り、このタピストリーのほか、あまりめぼしい展示はなかったので、1500円のチケット買った人は、高い見物料と思ったか、見たいタピストリーがフランスまで出かけなくても見ることができて安いと思ったか。

 ガンダムUCファンは、本物の「貴婦人と一角獣」が見られて、きっと満足したと思います。


 イヤホンガイドの声に案内されて、最初の部屋に入ると、どど~んと広い大部屋に、6枚の大型タピストリー。それぞれが5m四方くらいあります。6枚を一度に見られるようにした展示方法、よそでは見かけない空間でした。

 この6枚のタピストリーは、15世紀末にパリで下絵が描かれ、フランドル地方(ベルギー、オランダ、フランスにまたがる地域)の織物工房で織られた、と推測されています。
 古いお城に放置されていたタピストリーが、ジョルジュ・サンドらが言及することによって再発見され、修復がほどこされました。痛んだ糸が補修され、現在は、フランスのクリュニー美術館に展示されています。クリュニーが改修工事されている間、東京と大阪を巡回展示されます。

 展覧会についての解説はこちらで。7月まで国立新美術館で、そのあと大阪へ巡回。
http://www.lady-unicorn.jp/highlight.html

6枚のタペストリーのうち、「聴覚」を表しているもの(買ってきた絵はがきのコピーなので不鮮明ですがUP)


 聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚の5枚に加えて、6枚目は「「我が唯一つの望み、(A mon seul désir)」を表しているのだそうです。「我が唯一つの望み」の解釈には諸説あります。「愛」が唯一の望みとされたり、「理解」が唯一の望みなのだとされたり。
 五感をすべて統合してさらなるものごとを望むとしたら、さて、それはどんなことなのでしょう。それぞれの解釈で「唯一の望み」を見つめます。
 
 私の唯一の望みといえば、そりゃもう、フランスのクリュニー美術館までいつでも見に行けるような生活になることですが、それは遠い望みのようです。せめて、美術展のチケット1500円を「高くて見にいけない」とあきらめるような生活ではなくなることをのぞんで、明日も働きましょう。

<つづく>

2013/07/11
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(4)シャガールタピスリー

 2013年1月27日に、渋谷の塩とたばこ博物館へ行ったついでに、渋谷区立松濤美術館へ寄りました。「シャガールとタピストリー展」を見るためです。
 展覧会が始まった、という情報を目にしたとき、「シャガールの絵は好きだけれど、それをタペストリーにして織り上げたというものに、どれだけの魅力があるだろうか。しょせんはコピーのひとつではないか」と思って、出かける気にはなりませんでした。

 塩とたばこの博物館で「さくら」をモチーフにした工芸品を展示しており、その関連展示としてホールで市川雷蔵主演の「薄桜記」を上演していました。「薄桜記」の開始時間まで間があり、時間つぶしのために、松濤美術館を思い出したのです。

 ついでに寄ることができる場所にあるし、入館料は区立美術館なので300円。それなら私にも払えます。(私の考えでは、国立公立の美術館は、すべて無料にすべきです。吉祥寺美術館の100円でも可。)
 あまり見る気もなく入った「シャガールタピストリー展」でしたが、思わぬ収穫でした。

 シャガールは、日本ではおなじみの画家のひとりです。油絵や版画の数々が美術の教科書にも載り、展覧会も西欧の画家のなかでは日本での開催がもっとも頻繁な画家のひとりといえましょう。シャガールのリトグラフは、日本の画商にとっても「売れ筋商品」なのです。

 しかし、シャガールの「大作」は、日本ではなかなか見ることができません。たいていは、教会堂の壁画とか劇場の天井画として制作されており、現地の教会、オペラ座などへ出向かなければ見ることができないからです。

 イヴェット・コキール・プランス(1928-2005)は、シャガールの絵に魅せられ、シャガール作品をタピストリーに再現することに生涯をかけました。
 シャガールの壁画や天井画を、原画に忠実にタピストリーに再現して、移動展示ができるようにしたのです。シャガールはこのタピストリー作品を公認し、「シャガールとプランスの共同作品」として尊重しました。

プランスとシャガール

 今回私が松濤美術館で見た作品も、横幅3m以上、縦5m以上もある大作が中心で、私にとっては、はじめて見るシャガール作品が多かった。
 シャガールが描いたモチーフによって、「聖書」「サーカス」「雄鶏と恋人たち」「花束と人物」「色の分割」「地中海の青」という6つの展示コーナーに分けられて、大きなタピストリーが壁に掛けられています。

6m×4mの大作「平和」


 原画が壁画や天井画のような大きな作品でない油絵やリトグラフのときは、タピストリーとシャガールの原画が並べて展示してあり、色彩のひとつひとつが実に忠実な再現であることが確認出来ます。
 タピスリー制作のための原寸大下絵(カルトン)も展示されていました。どの色糸を何本使用するのか細かく指示されており、私は、このカルトンを「現代音楽の指示楽譜のようだ」と、感じました。このままこのカルトンを「現代アート」として展示しても作品になると思えました。

 カルトンにしたがって、何人もの「織り手」が綴れ織りを行い、イヴェット・コキール・プランスは、あたかもその指揮者のようです。
 音楽は作曲家が譜面を書き、指揮者はそれを自分の感覚によって再現します。プランスも指揮者となって、糸というオーケストラによってもとの譜面を美術作品に仕上げたのです。

 はじめ私は、タピストリーに忠実に再現するだけでは、プライス自身は職人ではあってもアーティストとは言えないのじゃないか、と思っていました。しかし、15点のタピストリーや、使用された色糸の展示を見たあと、楽譜と指揮者の関係と同じだとおもいました。交響曲の演奏において指揮者が芸術家のひとりであるのと同じく、プライスもタピストリー制作の指揮者としてアーティストだなあと感じました。

 シャガールタピストリーの松濤美術館展示は、1月27日最終日でした。見逃さずによかったです。

 古代中世にもくもくと木を彫ったりレンガを積み上げたり縦糸横糸を織り続けた職人は、たいてい無名のままです。アーティストが個人として出来上がった作品に名を残すようになったのは、ルネサンス以後のことじゃないかと思います。

 多数の無名の職人たちは、立派な作品を仕上げることのみに心をくだき、自らを現代の意味でいうところの「アーティスト」とは思っていなかったことでしょう。しかし、アートの語源は、「技術」です。レンガを積んだ、糸を染めたり織ったりした、金具を組み立てた、ひとりひとりの無名の技術者職人たちは、みなアーティストであったと思います。

 織物や染め物を見たとき、私はいつも「どれだけの貴重な手業がこれらの作品に関わったことだろう」と感じます。一本一本の糸を縦にはり横に通すその作業。ペルシャ絨毯を制作するようすを撮影したドキュメンタリー番組を見たときも、気の遠くなるような手間暇かけて女性たちが織り上げた綴れ織りを、出入りの絨毯職人がものすごく安い手間賃で買い上げているのを見ました。それが日本輸入されればン百万円の「手織り絨毯」になります。フェアトレードの人たち、がんばって織り姫たちがちゃんと生活できるような値段で買い上げる運動を始めてほしいです。

 人類が文化を手にしてより、織り姫たちはもくもくと糸を織り上げてきました。千年も一万年も、「糸の仕事」は続けられてきました。
 細い糸の一本を見ても、巨大なタピストリーを見ても、人と糸の長い歴史と美にみとれるばかりです。

<おわり>


ぽかぽか春庭「現代ゲージツ入門」

2013-08-22 | インポート

2013/07/02
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(10)中ザワヒデキ展in吉祥寺美術館

 現代ゲージツ、う~んワカラン。
 で、済ませてきました。好きになる機会もなかったので、敬して之を遠ざけて。
 私が好きだと言えるのは、印象派以後は、キュビズム、シュルレアリズムくらいまでがせいぜいです。抽象画というと、ミロ、カンディンスキー、ドローネー、モンドリアンあたりまで。

 デュシャンの「泉」も、話には面白いけれど、便器を見てゲージツだと思ったかというと、まあ、それならばどっかの学校に忍び込んで学校中の便器に「R. Mutt」とサインしてまわり、「芸術作品を汚すな」と叫んで、学校トイレを使用不能に追い込むとかした方が、学校中の窓ガラス割って回るよりずっとゲージツ的でよろしい、なんぞと思うだけ。

 現在は失われてしまった現物の「泉」が、実は保管されていたので、あなたに特別にゆずってあげようと言われたとして、本物かどうかは定かではない、ってところが、デュシャンの狙いなのだろう。ほんとに本物なら、むろん、美術館に寄付します。オークションにかけて、高値で売り抜こうなんて、かけらも思ったりしま、、、、、、
 TOTOのウォシュレットにサインして美術展に出したゲージツ家いるかしら。アンデパンダン展なら無審査で、出品料を1万円くらい払えば展示してもらえるのに。

 さて、現代芸術です。何度か木場の東京都現代美術館に行きました。ぐるっとパスの「タダで常設展みられます館」になっていて、タダが大好きな私、見ておかないとタダがソンした気になるので、見ました。何度か見ているうち、おなじみの作品も出てくるし、それなりに愛着がわいたりして、最近は、けっこう現代美術に抵抗がありません。 以前は、見ると水玉に酔って気分がクラクラしていた草間彌生も、近代美術館で「冥界への道標」を見て、あらためて、「いいな、草間彌生」と思えました。

 東京都現代美術館のリポートは、こちらに。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/09/post_fdd0.html

 中ザワヒデキ(1963~)は、美術家としては変わった経歴の持ち主です。東京ゲーダイとかタマビ、ムサビなんぞの出身者が多い中、中ザワは、千葉大学医学部出身の元眼科医です。新潟県生まれ、神奈川育ち。小学生時代に「平塚市風景画展神奈川県教育長賞(1974年」を受賞したということで、絵心は幼い頃からもっていた。医学部在学中も個展を開催し、眼科勤務医として仕事と平行してアート活動を続けてきました。

 吉祥寺美術館は、入館料100円なので、中ザワヒデキ展、2度見ました。2度みても、200円。
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2012/10/post-104.html

 1月に見て、2月の会期が終わるとき「あ、今日で最後だから、もう一度見ておこう」と思う何かを、中ザワの作品に感じました。


 入り口のすぐ前に、碁盤上に白と黒の石を敷き詰めた作品が展示されていました。
『三五目三五路の盤上布石絵画第一番』1999


「盤上布石絵画」制作中

 新聞に碁の名人戦などの投了図が載っていることがあります。その白と黒の図を見て、碁がわからない私は、「模様がきれいだなあ、現代アートみたいだなあ」と思ったことがあります。二人の人が脳力を尽くして戦ったあとの布石が、きれいな模様になっていて、モダンアートに見えました。でも、最初からアートとして碁盤を扱った作品、1999年に中ザワヒデキが公開するまで、だれもアート作品にはしていなかったのではないでしょうか。

 碁盤の白黒を美しいと思って見て来た私も、視力検査表をアートと思って眺めたことはありませんでした。健康診断でだれでも一度は目にしたことのある視力検査表、眼科医中ザワヒデキにとっては、これもアートでした。視力表をアートモチーフとして使ったのも、おそらく中ザワが最初です。
 視力表をじっと見つめ(たいてい片目で)Cの字の開いている部分が上か左かと目をこらす。「見ること」を強烈に意識させる哲学的な作品でもあるのに、ポップで笑える絵。
 視力表シリーズは3点が展示されていました。ポスターになっているのは、「オヨヨカセイジンオヨヨ」とカタカナが書かれているもの。

「脳内で混ぜ合わせると灰色になるように」と、色彩が並べられた作品など、常に新しい表現方法をさがす中ザワの代表作が、展示数は少ないけれど見ることができました。
 脳波によって描かれた「脳波計絵画」とか、「目で見ること」をつきつめていく眼科医としての経験がどのように美術に反映しているのかも、とても興味深かったです。

 音楽分野やインスタレーションなど幅広く「現代芸術」にかかわっている中ザワヒデキ。うん、これから先、どんな奇想天外が飛び出すのか、たのしみです。

<つづく>

| エッセイ、コラム

府中美術館「虹の彼方」展

2013/07/03
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(11)虹のずっとずっと彼方in府中美術館

 今年初め、2013年1月には府中美術館に出かけました。「ぐるっとパス」にチケットが入っていたので、仕事帰りに「タダが損しないように」出かけていったのですが、展示されていた「虹の彼方」展は、ぐるっとパスで100円割引きになるだけだと言われました。常設展だけならぐるっとパスで見ることができるんじゃないの?と訊ねたら、常設展も特別展も同じフロアなので、常設展だけ見ることはできないという。なんだかだまされた気もするが、ショウがないので一般700円から100円割り引いてもらって入りました。

 10人の「現代ゲージツ」を見たのですが、まあ、おもしろいっちゃおもしろいし、ナニコレ?と思えば、全部「なにこれso what?」
 現代美術ってのはそういうもん。

 常設展示のひとつ。三木富男(1937-1978)「耳」
 ナニコレ?と思うまでもなく、耳です。三木富男は、いろんな耳を彫刻で表現したけれど、全部左耳。ドーシテ右耳は彫りたくなかったんだろう。
三木富男「耳」

 一番面白かったのは、入り口ホールの床に敷いてあった敷物で、平らな床にただ広げられているんだけれど、これをカメラで写すと、あら不思議、モニターに映るのは、立体に見えるのです。
 Rocca SPIELEによる「府中でRocca」

平面の床が
モニターの中では立体に見える


 館内撮影禁止ですが、自分が映ったモニターを自分で撮影するのはお構いなしとのことで、写しました。平らなところを行ったり来たりするだけで、モニターには、高い台をよじ登ったり、低い台へ飛び降りたりするみたいに見えるのです。おもしろいから、しばらくこれで、遊んでいました。

 ここで遊ぶだけだったら、700円払わんでもよかったんだけど、「虹の彼方」展に入室する前、ここを通り過ぎたときは、この床が立体に見えるということに気づかなかった。「虹の彼方」展示の一画にモニターがあって、札幌だかどこかでこの床を展示して撮影したビデオを見て、実物が玄関ロビーにあることに気づいたのです。700円は、これに気づくための費用だったと思うことにします。あ、100円割り引いてもらったので600円でした。

 やっぱ、私にとって現代芸術は、虹のずう~っとずうっとと彼方にあって、近づけば近づくほど遠くに見えるもんだなあと、思って帰りました。

<つづく>

2013/07/04
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(12)NTTアノニマスは無名してる?&アンデパンダンは独立してんのin新国立美術館

 公募に入選した作を並べる絵画展をときどき見ます。無料で見られる場合や招待券を貰ったときだけですけれど。
 3月23日、六本木アートナイトというイベントで、新国立美術館が無料になっていたので、18:00~20:00に、アンデパンダン展、カリフォルニアデザイン展、企画展「アーティスト・ファイル2013―現代の作家たち」を駆け足で見てまわりました。

 無料だし、一晩中すごせる森美術館もあるしで、新国立美術館もデートカップルなんかで大賑わい。まあ、安くデートを楽しむためには、六本木アートナイトというイベント、よい選択と思います。

 一番よかったのは、カリフォルニアデザイン展で、デザインの美や用やらが若い人にもわかりやすく伝わったと思います。「アーティスト・ファイル2013―現代の作家たち」も、いつもの、「ま、ゲンダイゲージツってのはこういうもんなんだろな」と感じる作品が並んでいて、So what?から一歩抜け出ていないもどかしさ、っていうところだった。

 おまいら、ほんまに独立してんのか、と思ったのは、アンデパンダン展。一般参加作品を、10000円で1点13000円で2点展示できる。お金さえ払えば、無審査。
 いくら無審査だと言っても、「○○市シルバー文化祭」とか「小中学校秋の美術展」よりもレベルが低い作品もかまわず平等に展示されている。そこがいいところなんだろうけれど、ゆっくり見ている時間がないので、駆け足で通り抜ける。無審査なんだったら、もうちょっと、せめて会田誠よりもスキャンダルを巻き起こす作品を出展してもいいんじゃないかと思うが、どれも大人しく、既成の美術概念から飛び出す絵も彫刻もインスタレーションもない。

 フランス語のアンデパンダンとは、英語ではインディペンダント。日本語では「独立」。そうだよね。いまや「独立」っていうのは、「アメリカ占領下の日本オキュパイドジャパンが独立して、アメリカの属国になったお祝いをしましょう」と政府の音頭取りで祝う日のことで、「独立」という語の意味が「depends on U.S.A.」の意味になったんだもの。アンデパンダン=インディペンデントが、 これくらいの独立度でちょうどいい生ぬるさなんだろう、きっと。

 日展とか二科展とかの応募作が無審査で展示されるまでに出世して、次は審査する側になって、号いくらで売れるようになって、美術雑誌にのって、美術界ボスになって、あがりは文化勲章。という出世コースを望む美術じゃないアートを見たいのです。私は。

 これは、NTTコミュニケーションセンターで開催された「アノニマス名を明かさない生命」展(展示期間:2012年11月17日~2013年1月14日)でも、展示のほとんどに感じた感想。「無名=だれでもない私」という衝撃はなく、みな既成のゲンダイゲージツの枠の中に大人しく組み込まれているもどかしさがあった。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2012/AnonymousLife/index_j.html

 「アノニマス」のリポートは、こちらのサイトにうまくまとめられています。
http://www.art-inn.jp/tokushu/003235.html

 「アノニマス」で面白かったのは、米朝アンドロイド。

 米朝のロボットが落語を一席おうかがいするってのが、リアルだけど不気味。平日の、観覧者がだれもいない状態でも、ロボ米朝師匠は、せっせと語り続ける。石黒浩の作品。
 石黒は、大阪大学で平田オリザにアンドロイド一体を提供して、アンドロイドを出演者の一人(一体?)とする演劇作品を作っています。

 もうひとつ、アノニマスの展示作品。元パラリンピック選手で美人モデルのエミー・マランスの映像や写真がよかった。エミーはビデオの中で、彼女が持つ12足の義足について語ります。身長が20センチ高くなる義足とか、おしゃれでキュートな義足とか。彼女にとって、義足は「ハンデキャップド」を克服するものではなく、カツラやつけ爪と同じようなおしゃれの道具であることがとても気持ちよく感じられます。エミーは「身長を毎日変えられないとは、なんて不自由な生活でしょう」と語るのです。

 「ハンデキャップはもはや克服するものではなく、自分自身を拡張し、より豊かな個性を発揮するもの」というスピーチは、「そりゃ、恵まれた人にだけ通用する説」と思う人もいよう。でも世界中がエミーのようになればいいのです。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/aimee_mullins_prosthetic_aesthetics.html

 4月4日には、上野の東京都美術館で、「モダンアート展」と「国際交流展」を見ました。どちらも公募展。モダンアート展は、ほとんどが抽象画で、ずらりとならんだ大作が何部屋もつづきました。国際交流展は、西欧と韓国の人の展示が一室あったほかは、抽象具象とりまぜての素人の公募作品。

 どちらも、あらまあ、こんなに大勢の人が、「絵を描く」という趣味を楽しめる時代、なんて日本はひまがあって豊かな人が多い国なんでしょう、と感心しながら見て歩きましたが、そういう感想のほかは、「アート」や「美」に関しては、なんの感想ものぼってこないのです。なんの驚き衝撃もなく、ただ、きれいだな、じょうずだな、で終わりました。とても平和でした。

 中に何点か、海岸の瓦礫の山やフクシマの炉心融解をテーマにしているものもありましたが、あまり心に響かなかった。去年みたなら、そういう作品も多かったのかも知れませんが、2013年の公募展を見た限りでは、日本は飽食と忘却の「豊かな国」なのでした。中高年が絵筆をにぎり、自由に絵を描ける国。美を楽しめる国。 

 コンテンポラリーアートのいいところ。まだ評価が定まらないでいるのがコンテンポラリーだから、いくらでも自由に悪口が言えるところ。悪口は、愛です。アート愛。

<つづく>

2013/07/06
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(13)草間彌生の芸術チンチン

 色彩にあふれ意匠に富んでいて、やわやわと生ぬるい公募展現代美術を見て日本の豊かさを実感して、さて、so what?
 この「絵を見て索漠とした感に陥る」というのは何かと顧みるに、新国立美術館展示室や東京都美術館のいくつもの部屋を埋め尽くす数の油絵や日本画が皆、一大消費の見本市だからです。
 どれもこれも、日常生活に不自由なくなった人々がキャンバスを買い、絵の具を買い、絵画教室などにお月謝払って表現技術を身につけ、さて、お金をかけて一枚の絵を仕上げる。それは、悪い事じゃないのはわかっています。みんな、楽しく余暇をたのしみ、絵が好きな人は「絵を描く」という趣味を楽しむことができるようになった。そして、その絵を家族友人仲間に見てもらう。「私の絵、上野の美術館に出ているんだよ、見てね」とか「新国立美術館でうちの会の展覧会をやってるから」というお知らせもらって、知り合いの絵を見て楽しむ。それはとてもいいことなんです。私も舅の絵が東京都美術館の公募展に入選した時は、姑や娘と連れだって見に行ったことがありました。

 しかし、だれも知り合いがいないとき、公募展の一般入選作品とか、アンデパンダンのお金払えばだれでも入選という絵が「何一つ訴えてくるものがない」ということに、いささかがっかりし、なにごとかを産出したいという表現の絵と、消費し楽しんで描く絵が、プロとアマチュアの違いという以上に大きなものがあるのだなあと感じたのです。
 公募展、3・11ツナミやフクシマを題材にした作品を見かけました。でも、岡本の「明日の神話」をしのぐほどのインパクトを与える作品に出会いませんでした。これが現代ゲージツの今のチカラのほどなのか。

 岡本太郎の「明日の神話」ほども、人に感興を呼び起こす作品を持たない、イマドキの公募展。
 「アートも音楽も、つかのま消費されるだけで終わっていいのだ」という考え方もあるとは承知しているのですが、絵や立体作品、インスタレーションの間を駆け巡りながら、1枚の絵が時代を象徴し、ひとつの作品が長く人の心に残るということは、もはや得難いことなのだと確認するための「公募展めぐり」でした。

 現代ゲージツというのは、ショウウィンドゥのデコレーションになったり、駅の壁飾りになったりすればそれでおわりか。
 いえいえ、私が「アハハ、いいな、これ」と思える現代ゲージツもありますって。

 リニューアル近代美術館のモダンアートの部屋の目玉になっているのが、草間彌生(1929~)。すでに古典の部類になってしまったので近代美術館展示となったのでしょうが、いままだ現役作家であり、現在もなお「前衛」であろうとしているアーティスト。
 水玉作品といっしょに展示されているのが「冥界への道標」 です。


冥界への道標
このあと、もっと続く。

 草間彌生の水玉模様は、今やランコムのポーチ意匠になりケータイの模様となってワイワイと消費されています。私、水玉にはこれまで心惹かれたことなかった。
 けれど、東京近代美術館の横尾忠則のポップな絵と向かい合わせにデンと長~く続く草間の黒いオブジェがあって、こちらは好き。

 銀色のハイヒールなどが踏みつけている黒いものが、水玉と並ぶ草間のモチーフである男根であることに気づく。気づくの、おそいです。なにせこんなにいっぱいのチンチン、見たことないし。

 木下直之の『股間若衆:男の裸は芸術か』に評論されている「チンチンを隠そうとする近代彫刻や絵画の攻防」も面白かったけれど、こっちのわんさかあるチンチンは「すげえな草間彌生、と思います。小さな子どもだったら、すなおに「わ~い、おチンチンがいっぱいダァ」とか言えるのだけれど、こっちは婆さんだから、「うん、これはあくまで芸術なのよね」という顔をして眺めなければならぬ。

 草間は、少女時代に統合失調症を発症しました。自分の周囲に表れる幻覚幻聴の恐怖から逃れるために、その幻覚をぎっしり絵に描き込めた。そのモチーフが水玉や男根。

 草間は自伝『無限の網』の中で語っている。(初出2002作品社。私の読んだテキストは、2012新潮文庫『無限の網-草間彌生自伝』)
 「とにかくセックスが、男根が恐怖だった。押入れの中に入って震えるくらいの恐怖だった。それだからこそ、その形をいっぱい、いっぱい作りだすわけ。たくさん作り出して、その恐怖のただ中にいて、自分の心の傷を治していく。少しずつ恐怖から脱していく。私にとって怖いフォルムを何千、何万と、毎日作り続けていく。そのことで恐怖感が親近感へと変わって行くのだ。恐怖の対象となるもののフォルムを、いつもいつも作りつづけることによって、恐怖の感情を抑えていく。。」
  「なぜ、それほどにセックスに怖れを抱いたかというと、それは教育と環境のせいである。幼女時代から少女時代にかけて、私はそのことでずっと苦しめられてきた。セックスは汚い、恥ずかしい、隠さなくちゃいけないもの、そういう教育を押しつけられた。その上、門閥がどうだとかお見合い結婚だとか。恋愛に対しては絶対反対で、男の人と自由に話すことも許されない生活だった。
 そして、幼い時にたまたまセックスの現場を目撃してしまうという体験は、目に晴れた恐怖が大きく大きく膨れあがり未来が急激に不安になってくる。
。」

 草間の母は、長野で種苗業を営む財産家のあととり娘でした。草間家に婿入りした父親は、自分自身が素封家の出身であるというプライドと、婿養子という立場の狭間にあって、ひたすら「女遊び」を繰り返すという人でした。母親は末娘のヤヨイに父親の後をつけてどの女のもとに行くのかスパイするよう命じたり、ヒステリーを起こしたり、夫の行動に煩悶を続けました。ヤヨイが見たという現場も、おそらくは父親の女遊びの場面だったのでしょう。ヤヨイは幼いころから母親の愛情薄く陰惨な家庭環境の中で、小児ぜんそくにかかり、離人症を発症して、統合失調の症状があらわれました。

 京都で絵を学ぶことにしたのも、アメリカへ渡ったのも、家庭からとくに母親のしめつけから逃れたい一心だったと草間は書いています。アメリカへ渡ってからの草間は、絵画ハプニング&インスレーション、映画、ミュージカルなどあらゆる表現を行い、前衛芸術の騎手となりました。しかし、日本では「セックスを主題にしたりする、破廉恥な女」という報道のみが行われ、草間の出身校「松本第一女学校」では、「わが校の恥になるから、卒業者名簿から抹殺しましょう」という署名運動までおきたのだと、草間は述べています。
  70年代80年代はまだまだ「クサマというおかしな日本人女性の変なアート」というイメージでした。日本で草間彌生の再評価とブームがおきたのは、ようやく21世紀になってからだったと思います。

 ソフト・スカルプチュアの男根をいっぱい作って、その真ん中に寝ころんでみる。そうすると、怖いものがおかしなもの、おもしろいものに変わってくる。恐怖と嫌悪の対象である男根ファルス。それをぎっしりと箱の中に詰め込んでいく。靴で踏みつける。その中に寝転ぶ。ファルスは滑稽なものに変わっていき、怖くなくなっていく。10mほどの長さで、屹立したりしおたれたりして壁いっぱいに、黒いファルスはワラワラと並び哄笑し叫び、うなだれる。快楽を求めているはずなのに、廃墟の死の気配もただよう。
 いいな、草間彌生。

 自分にとって「いいな」と思えるものを見ていけばいいのであって、「ゲージツとは何か」というムツカシーことは、そういうことを考えていたい人におまかせしましょう。
 以上の13回シリーズでつくづくと私の美術館めぐりは、暇つぶしであるとは思います。ただ、やはり、見たことが消費のみで終わるのではなく、自分の中になんらかの種が植わり、何かが育てばいいなあと高望みをしてしまうわけで。

 日照りの夏もあります。しかし、何も育たないとしても、せっせと心にうるおいをもとめて、この夏も「ぐるっとパス」で美術館めぐりします。作品保護のために冷房ばっちりですから、家で「暑いあつい」と伸びているよりは気分いいし、家のエアコンつけない分、節電にもなるし。つまるところ、私の美術館めぐりは「もったいない節電セツデン」ということです。

 以上のシリーズ「春庭の現代ゲージュツ入門」をお送りしました。

 ぐるっとパス買って、美術館巡りして暇つぶし。安上がりな趣味で、私ひとりが楽しくて、「ああ、いいもん見た。いい時間がすごせた」と、逸楽のひとときを堪能する。それでもいい、とは思う。でも、やはり私はアートの力を信じたい、旧式な人間であるのです。

 私のアート散歩をずらずらつづっても、たいしたことは言えなかったので、最後に「無限の網」の最後につづられている草間彌生の詩を引用しておきます。

草間彌生「落涙の居城に住みて」
やがて人の世の週末に めぐり合う時がきたら
年を重ねた月日の果てに
死が静かに近寄ってくる気配か、
それにおののいているとは、私らしくないはずだったのに
最愛の君の影に 悩みはまたしても夜半に訪れて
わが想いをあらたにす
君をこそ恋したいて「落涙の居城」の中に
こもっていた私は 人生の冥界の道標の
指し示すところへ さまよい出ていこうか
そして空が私を待ち構え、たくさんの白い雲をたずさえている
いつも私を元気づけていた 君のやさしさに打ちのめされて
心の底から私は「幸福への願望」を道づれに
探し求めてきたのだった
それは「愛」という姿なのだ
あの空を飛び交う鳥たちに叫んでみよう
この心をこそ 伝えたい
私の久しい年月を芸術を武器にして
踏みしだいてきたのだったが
その「失望」と「虚しさ」を そして「孤独」の数々を胸に秘めて
生きながらえてきた日々は
人の世の花火が 時として「華麗」に空に舞い上がっていた
夜空に降って行く 五色の粉末を全身に
散りばめている感動の瞬間を 私は忘れない
人生の終末の美しさとは すべて幻だったのか
あなたに聞きたい
美しい足跡を残したいという祈りを
受け取ったあなたへの愛のことづけ


<おわり>


ぽかぽか春庭「2013年6月目次」

2013-08-22 | インポート

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2013/06/30
ぽかぽか春庭2013年6月目次

06/01 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・数え方の世界(1)ここのつ、とお
06/02 ことばの知恵の輪・数え方の世界(2)ひとつふたつ 
06/04 ことばの知恵の輪・数え方の世界(3)指で数える
06/05 ことばの知恵の輪・数え方の世界(4)無量大数

06/06 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(1)赤い名前
06/08 ことばの知恵の輪・色の世界(2)みどりいリンゴ
06/09 ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン
06/11 ことばの知恵の輪・色の世界(4)文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか
06/12 ことばの知恵の輪・色の世界(5)文化と色-虹色はいくつ?-人だもの
06/13 ことばの知恵の輪・色の世界(6)ポケモンの色彩名詞
06/15 ことばの知恵の輪・色の世界(7)色の形は色即是空

06/18 春庭の現代ゲージツ入門(1)会田誠、天災でごめんなさい
06/19 春庭の現代ゲージツ入門(2)会田誠、駄作の中にだけ俺がいる
06/20 春庭の現代ゲージツ入門(3)会田誠vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会
06/22 春庭の現代ゲージツ入門(4)会田誠vs村上隆、ごめんしてもしなくても会田は天才である
06/23 春庭の現代ゲージツ入門(5)モニターの中の会田誠in森美術館
06/25 春庭の現代ゲージツ入門(6)概念美少女と会田誠
06/26 春庭の現代ゲージツ入門(7)会田誠につづけ
06/27 春庭の現代ゲージツ入門(8)岡本太郎とチン↑ポム
06/29 春庭の現代ゲージツ入門(9)チン↑ポムin岡本太郎記念館  

ぽかぽか春庭「チム↑ポムin岡本太郎記念館」

2013-08-22 | インポート

2013/06/27
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(8)岡本太郎とチン↑ポム

 殿堂入りしてしまって、今や誰も悪口を言う人がいなくなった現代美術の古典のひとつ。岡本太郎。
 テレビのCMに出て、例の「ゲージツは爆発だぁ」と叫んでいたころは、まだ「現代美術を滑稽なものとして笑い飛ばす火焔土器」のようなエネルギーをまき散らしていました。

テレビCMに出ていたころの岡本太郎


 亡くなったあとは、養女(として入籍したパートナー)の岡本敏子の「タローを守る」という努力の甲斐あって、タローは今では現代美術の古典作品。タローをお笑い芸人扱いして笑いとばすことが出来なくなってきた昨今。
 あの独特の風貌と、そこに立っているだけで笑いだしたくなる存在感は貴重だった。縄文式の底抜けの笑うエネルギーがある人でした。

 「太陽の塔」のミニチュアレプリカが5万円前後。シルクスクリーンやリトグラフの版画作品が10~30万円ほど。直筆油絵の値段は、もう天井知らず。
 と、またまた値段でゲージツを語るしかできないお馬鹿なアート鑑賞法をやっておりますが、岡本太郎をタダで見たければ、渋谷へ行けばよい。渋谷マークシティビルの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路の壁に掲げられています。縦5.5m、横30mの壁画です。

 1954年、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆し、無線長だった久保山愛吉らが被爆した際の、水爆炸裂の瞬間をテーマに描いています。久保山さんは原爆症発症して死亡しました。
 私は、熱帯植物園にいったときは、必ず近くにある第五福竜丸保存展示場へ行って「水爆実験によって被爆死亡した人を忘れない」ための見学をしてきます。忘れないことは大事だと思うので。

 「明日への神話」渋谷駅へ出かけて撮ってきた写真、横の長さ30mなので、4部分に分割してUPします。

明日の神話向かって左から








 一番右側の下のエスカレータ手前空きスペースがあります。(一番下の絵の、撮影日付が入っているあたり)この空きスペースに、フクシマ原発事故の後、フクシマ第一原発爆発を思わせる絵が貼り付けられました。壁画本体への損傷はなかったけれど、ビル壁画への損壊として警察は撤去。
 東京の若手美術家グループ「Chim↑Pom」が、自分たちの作品と発表しました。

 画面の右下に付け加えられたチム↑ポムの「フクシマ原発の爆発」


 私は2011年5月には出かける気力もなく、かろうじて仕事をしていたところでしたので、通勤経路をはずれている渋谷駅に行くこともなく、見ないままでした。チン↑ポムというグループ名もなにやらそれらしき名前ですし、見たかったなあ。現代芸術は、これくらいの行動をしてよいはず、と思っていました。

 チム↑ポムの作品は、「いたずら描き」としてすぐに撤去されてしまいました。
 が、さすが「岡本太郎記念館」の現館長である平野暁臣(岡本敏子の甥)は、今年3月から7月まで、記念館の展示として「Chim↑Pom」展を開催しています。Chim↑Pomは、6名のメンバーによるアーティスト集団。メンバーはエリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求。

展示期間 :2013年3月30日(土)~7月28日(日)
開館時間 :10:00 - 18:00 (火曜日休館)

 こいつは見ておかなきゃと、見て来ました。
 見て来た結果。私はChim↑Pomの表現を高く評価する、という結論に至りました。平野暁臣、慧眼です。

 以下、Chim↑Pom展について。

<つづく>

2013/06/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(9)チン↑ポムin岡本太郎記念館 

 岡本太郎記念館は、岡本太郎(1911 - 1996)と岡本敏子(1926 - 2005)が暮らしたアトリエ兼自宅を改装して太郎作品を庭と1階2階に展示しています。
 太郎の公私にわたるパートナー岡本敏子は、法律上では太郎の養女であり、事実上の妻、そして対社会的には太郎の個人秘書でした。

 敏子が太郎の妻として入籍しなかったのは、太郎に異母弟妹がいたためです。(これは瀬戸内寂聴説)
 太郎の父、岡本一平(1886 - 1948)は、太郎の母かの子(1889 - 1939)が亡くなったあと、再婚して4人の子をもうけています。敏子が妻として入籍すると、子がいない夫妻の場合、異母弟妹にも相続権があります。

 太郎は、作品をほとんど売ることなくアトリエに残しました。太郎の遺作を散逸させないためには、敏子を養女として唯一の相続人にする方が作品を完全に管理できると考えての養女縁組みだったと思われます。相続者が子である場合は、故人の弟妹には相続権がなくなります。
 作品のほとんどは川崎市に寄贈されて岡本太郎美術館所蔵品となり、残りは岡本太郎記念館に残されました。敏子は散逸をまぬがれた太郎作品を守ることに残りの生涯を費やしました。

 太郎の死後、敏子は「太郎の芸術を埋もれさせず忘れさせない」ために本を書き、展覧会を実施し、日本各地をまわりました。太郎こそ敏子の作品でした。太郎の死後2年後1998年に青山の自宅を記念館としてオープンしてから今年は15年目にあたります。太郎のアトリエだった展示室には、敏子が太郎について語る録音が流されています。
 敏子さん、ほんとうに太郎がだいすきだったのだろうなあ、と思いながら聞いていました。

 岡本太郎記念館の1階に展示されている太郎と敏子の写真


 敏子は、「忘れられかけていた前衛画家・太郎」の再評価のために積極的に活動し、2003年にはメキシコで行方不明になっていた「明日の神話」の行方を探し出しました。大阪万博の「太陽の塔」と並ぶ太郎の代表作です。
 展示される予定だったメキシコのホテルの計画が中止されたあと、30年も行方がわからなかったのですが、敏子は長年の探索ののち、メキシコの倉庫に眠っていた絵を見つけました。

 縦5m横30mという大きな壁画は、現在井の頭線とJRを結ぶ渋谷駅コンコースに展示されています。
 太郎が、原爆投下とビキニ環礁での水爆実験、第五福竜丸の被爆への気持ちを表すために制作した作品です。


2013年05月30日の渋谷駅

 敏子なきあと、敏子の甥の平野暁臣(1959~)が太郎記念館館長になり、岡本太郎賞の選定などの記念館事業を引き継いでいます。

 2年前、平野が残念に思った事件がありました。アート集団Chim↑Pomが「自分たちの作品である」と表明した明日の神話付け足しフクシマ第一原発爆発の絵」に対して
「「きちんと岡本太郎にオマージュを持っている作品であり、たんなるイタズラ書きなどではない
と述べた意見はマスコミによってほとんど無視され、紙面にきちんと掲載してくれた新聞は少なかった。マスコミ報道は「フクシマ原発爆発に乗じた悪ノリのイタズラ」という一方的な論調をとりました。

 太郎記念館では、若手芸術家が岡本太郎作品とのコラボ作品を制作し、記念館2階展示スペースを作品発表の場として与えるという「若手アーティストとのコラボレーション」を続けてきました。今年2013年に、この企画はChim↑Pomに託されたのです。
 こりゃ、面白いもんが見られそうだ、といういつものヤジ馬精神で、5月27日にChim↑Pom展を見てきました。(3月30日~7月28日)

 チン↑ポムは、エリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求をメンバーとするアート集団。2005年活動開始し、サンフランシスコで開催された会田誠個展で会場に作品を展示し、アート界にデビューしました。会田誠の周囲に集まった若手たちです。

 岡本太郎記念館の1階には、太郎とのコラボ作品が飾られていましたが、一番に目をひくのは、太郎記念館に寄贈された「明日の神話へのつけたしフクシマ爆発」の絵です。
 「明日の神話へのつけたし作品」の渋谷駅への配置予定図なども展示されていました。チム↑ポムがいかにして渋谷駅にこの付け足しをくっつけるかの設計図がノートをひきちぎったメモとして壁にあり、これもコラボ作品の1つ。

太郎アトリエに「太郎とのコラボ作品」として展示されているチム↑ポムの付け足しフクシマ原発の爆発


 平野が評したように、別段うまい絵でもないし、現代美術としての衝撃がある絵でもない。しかし、2011年4月に、不特定多数の人の目に触れる場に、フクシマ原発が放射能をまき散らす存在であることを題材にした作品を、ほかの誰が展示し得ただろうか。

 現代美術がパフォーマンス&インスタレーションを含むようになって以来、「行動」も展示のひとつであるとするなら、原発爆発直後のこの「行動力」は、他のアーティストがだれも行わなかったアートとして、高く評価すべきでした。しかし、大多数の人々は「いたずら」としておしまいにしました。

 チム↑ポムは、2008年10月には被爆地である広島県の上空に、飛行機雲で「ピカッ」という文字を描いたことが一部の人に問題視されました。被爆者たちは、のちにチン↑ポムの製作意図をきちんと理解してくれた、ということです。
 世間のタブーに対しておとなしく何も言わない自称美術家たちがゴマンといるこの社会で、原爆投下にたいして、アートによって「物言う」集団でありました。

 世間はチム↑ポムを「お騒がせ集団」として扱っていたし、「明日の神話への書き足し」も、「売名行為」として眉をひそめて非難する「評論家」やら「コメンテーター」たちが続出しました。
 しかし、平野暁臣は、かれらに「表現の場」を与えたのです。記念館という「ハコモノ」の中でできることは限られているけれど、少なくとも私はこれまで「お騒がせ」の部分しか知らなかったチム↑ポムの作品、インスタレーションなどを見て、「いいんじゃないの、これ」と思いました。

 一番よかったのは、フクシマ第一原発の警戒区域に「ビニールのレインコートを着ただけ」という姿で入り込み、ビデオを撮影したことです。当時、マスコミも「放射能がこわいから」と、だれも取材に行かなかった無人地帯にカメラを向け、無人になっている家、捨てられたペットが死にその死骸をカラスが集まってついばんでいる様子などを記録してきました。単なる「お騒がせ集団」だったら、連日「○○シーベルト」と報道されている地帯に命がけで入って記録しようと思うでしょうか。私はこの映像を高く評価します。

危険地域への立ち入り禁止の看板とフェンス(画面右下の日付は、私が岡本太郎記念館に行った日付です)


カラスが小動物(置き去りにされたペット?)の死骸をついばむ「立ち入り禁止地域」


 チム↑ポムのインスタレーションの中に、「カラスを空に集めて撮影する」という映像作品が以前からありました。「人がカラスの剥製を掲げて、カラスの鳴き声を流してバイクで走ると、ものすごい数のカラスが集まり、集団を形成してあとをついてくる」という説を実証したフィルムがあるのです。東京の市街を、大阪の太陽の塔がある地域を、そしてフクシマの無人の町を、バイクが疾走します。荷台に立つエリイが腕にカラスの剥製をかかげ、バイクはカラスの鳴き声を大音量で流しています。

 空には信じられないほどの数のカラスが飛び交っています。縄張りを荒らされまいとするのか、仲間のカラスの剥製を見て、弔いをしているのか、わかりません。カラスにそういう習性があるのだと、私はこの映像作品を見るまで知りませんでした。

 渋谷をバイクが走ると、109前にいる人々がみなぽかんと空を見上げ、カラスの大軍団を見ている様子が撮影されています。ネットに「スゲー、カラスがいっぱいいる」と、ツィッターする人もいます。このカラスの映像、ヒチコックの『鳥』なんてもんじゃなく、リアルで迫力がありました。

 月曜日午後という一番すいていると思われる時間を選んででかけたので、ビデオの前に足を投げ出して座り込み、何度もくりかえしてカラスが集まって飛ぶフクシマや渋谷の映像を見ました。このときのビデオ上映は、10分ほどのインスタレーション作品でした。  

 私は、「現代アート」というものに、いささかの懐疑の思いしか抱いてこなかった。 いしいひさいちのマンガでは「現代美術展」に麗々しく飾られた落書きを、観覧者が感心した様子で見ている4コマがあります。(2013年06月02日朝日朝刊「ののちゃん」)4コマめのオチでは、これらは「電話かけている人が手持ち無沙汰なときに、メモ用紙にぐるぐるとボールペンで描いた図形」と種あかしされています。
 現在の「現代アート」をおちょくっているとも言えるし、現代アートと名付けられて美術館に飾られれば、人々はありがたがって見に行くということへの皮肉とも言えます。

 Chim↑Pomの「明日への神話つけたしフクシマ原発爆発」の絵は、渋谷駅コンコースに「勝手に展示」されたときは「いたずら書き」とされて撤去されました。これから先、岡本太郎記念館に寄贈され、正式な収蔵作品になったことで、「アート作品」として批評されていくことでしょう。
 「こんなイタズラ書きを掲示して実にけしからん」とか「こんな絵はアートじゃない」と評論した美術界のえらいさんたち、これから美術館の中で見るときどんな顔をしてこの作品を見るのでしょうか。
 
 私は、「美術館めぐりを安上がりなお楽しみとしか思っていないオバハン」ですから、美術評論家のような専門的な評などできはしません。が、会田誠展とその弟子筋のChim↑Pomを見て、アートの未来に少しは明るい希望を持ちました。

 カタログは買わなかったけれど、Chim↑Pomの著作『芸術実行犯 アートが新しい自由を作る』を買いました。月曜日に本を買って、火曜日の帰りの電車内で読み終わりました。新書くらいの判型で175ページだから、読み続ければすぐに読み終わる分量なのですが、最近の私は読み始めても電車の中ですぐに寝てしまうので、一日で新書を読み終えるなんてことができなくなっていました。それなのに『芸術実行犯』は、車中いねむりをさせないおもしろさがありました。

 日本の現代アート、希望はある。

 最後に、岡本太郎の書とそのオマージュリメイク作品をUPします。
 岡本太郎は、ベ平連(ベトナムに平和を市民連合)が、ベトナム一般市民虐殺に抗議してアメリカの大新聞に出した新聞意見広告に賛同して、「殺すな」という文字を書きました。
 リメイク作品は、岡本太郎記念館の塀の東南の角に書かれていました。

太郎の書

リメイクされた塀の書(落書きに見えるように書かれています)

 慰安楽しみのために消費するのもアートのひとつの役割であり、それを悪いとは思いません。しかし、現在の、硬直した心の中に押し込められている社会状況で、心の自由としなやかさのために発信できるアートもまた高く評価されるべきです。
 Chim↑Pomは、その志を持ったアート集団であると感じました。

 岡本太郎記念館の入り口


 次月7月もまだまだ現代アートシリーズが続きます。

<つづく>

2013-08-22 11:29:46

2013-08-22 | インポート

|会田誠展

2013/06/18
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(1)会田誠、天災でごめんなさい

 今、生きている人で現代美術家といって思い浮かぶ名前。年齢順でいくと、草間彌生(1929~)、横尾忠則(1936~)、森村泰昌(1951~)漢字四文字名前の世代。そのちょっと下の世代が、村上隆(1962~)、会田誠(1965~)、山口晃(1969~)、漢字三文字名前だ。現代美術に弱い私でも知っている名前。そしてヤノベケンジら、カタカナ名。

 森美術館の「会田誠-天才でごめんなさい」は、森美術館開館以来の観覧者数を集めて無事閉館した。私が見たのは、3月23日の六本木アートナイトの夜。図録買いたかったけれど、入館料1500円払ったので、絵はがき2枚買うだけにしておいた。

 絵はがきは、水着の女生徒たちの「滝の絵」と、零戦がニューヨークを爆撃して回っている「紐育爆撃乃図」。どちらも、会田作品としては、腰のひけたお買い物である。つまり、「これなら私が児童ポルノ好きだと思われないですむデショ」みたいな。PTAに義理立てした「ギリ、セーフです」的な。(展覧会ポスターにも「滝の絵」が使われている)

 森美術館は何を恐れたか、あるいは意図的にサボったのか、入り口に出品目録パンフレットを置いてない。だから、タイトルとかを覚えられない私は、ただずらずらと見て行く。

 入場すると最初に目に入るのが、「切腹女子高生」
 女子高生たちは恍惚として切腹をして、腸がはみ出たり首ちょん切られたりしている。
 若い女性ふたりの観覧者のうち、ひとりが、早くも「きもち悪い、コレ」と眉を寄せている。気持ち悪い人は、見ないがよろしい。見たい人だけ見にくるのが美術館というもの。

 別段年代順の展示とはうたっていないのですが、本来なら、「切腹女子高生」の次に掲げるべきは、会田誠初期の話題作「巨大フジ隊員VSキングギドラ(1993)」でしょう。でも、フジ隊員は18禁の展示室へ行ってしまっている。
 
 2作目展示は、鶯谷に張られていたピンクチラシを集めてコラージュした「鶯台図」。

館内撮影禁止です。監視役の目を盗んで撮影。盗撮ですね。

 遠目には「ピンクちらし」の女の子たちの顔だとはわからない。(近めで見たい方は、16日春庭コラム「ピンク色の研究」をご覧あれ。ボケてますが)
 ただ、美しい桜の木であり、屏風などに日本画で描かれる技法をきちっとつかって「桜の精が住んでいそうな老桜樹」に描かれています。近づくと女の子たちの顔がわかる。桜の精は、ピンクちらしの女の子たち。

 見る者と見られる者の関係。美しいものを愛でる視線の先に表れる欲望。そんなこんなを、まとめて表現し、なおかつやはり美しい。会田誠は、鶯谷のフーゾク街やチープなラブホテルが立ち並ぶ町でこの女性たちに、ちゃんと「美しいもの」としてのオマージュをささげてつつピンクチラシを収集したのだと思う。
 しかるに、そのチラシをぎらぎらとした欲望をみなぎらせた手が受け取るということも描き混まれています。
 「切腹女子高生」の「キャッチーな図柄」にはそんなに「毒」を感じなかったけれど、この「鶯台図」一作で、早くも私は会田誠ファンになりました。 

 2012年の展示説明では「あぜ道」が展示してあるようだったけれど、「2013年3月23日には展示してなかった。この「あぜ道」は、東山魁夷のおちょくり作品です。(オマージュ作品と言い換えてもOK)女の子の髪の分け目が道になっている絵。作品保存や作品貸し出し主の意向から、会期中に展示品の入れ替えはよくあることですが、美術館側からの何の説明もない。それで、展示品目録の配布もやめたのだと思います。
 森美術館が会田誠展を企画した心意気は買うが、その後の処置はいろいろ間が抜けている。

 次は、愛ちゃん盆栽シリーズというオブジェの展示。松、桧、ほおづきなどの盆栽に仕立てられているかわいらしい愛ちゃんの頭部。ひとつひとつの顔はかわいいけれど、それが盆栽だから、不気味。盆栽の手入れをして恍惚の表情を浮かべるジーサンがいたら、その目には松や桧もこんなふうに映っているんじゃなかろうか、という感慨を湧かさせるオブジェです。

 展示最初のほうで、一番若者に受けていたのは、白土三平風の百姓ジーサンが、一面の「ルイヴィトン畑」で、ハンドバッグの持ち手をひっぱって「今年もヴィトンが豊作じゃあ」と吹き出しに書いてある絵。その前にヴィドンバックをぶら下げた女の子が立っていたので、写真とりたかったけれど、館内撮影禁止の監視が強くなっているエリアなのでした。残念。消費社会を痛烈に諷刺しつつ、消費と生産をきっちり描いていて、笑えます。

 戦争画Returnsシリーズ。「題しらず-原爆ドーム」「紐育空爆乃図」などが、黄色いプラスチックビール箱の上に展示してある。古い民家を解体したときに捨てられていたような襖の裏側に絵を描いて屏風に仕立ててある。
 作品が古い襖に描かれた屏風仕立てになっていたことがわかったことによって、いっそうこれらの戦争画の制作意図がわかった気がする。

 会場を見て、「ネトうよ」が会田の天皇肖像あたりに抗議してこないのは、ネトうよの感性が鈍いからだと思いましたが、「ポルノ被害と性暴力を考える会」が先に抗議文を出したので、そのおかげで、この戦争画シリーズは抗議対象にはならなかったのかもしれません。ネトウヨは、「反ポルノ」とは並びたくなかったのかも。

 「一日一善」という絵。中国西安の大雁塔を背景として描かれているのは、今上天皇・平山郁夫、笹川良一。中国ご訪問時の背景に、にこやかに横顔を向けておられる陛下ご肖像に、ウヨからのケチがつかなくて、ようございました。この大雁塔の絵には、ご丁寧にでかいサインで「郁夫」と書き込んである念の入れよう。笑た。平山郁夫は、会田誠、東京ゲーダイ在学中の学長である。

 戦争画Returnsシリーズの「天皇陛下万歳」という文字が入った屏風。銀紙を古襖に貼り、ガムテープを貼り付けたような茶色の絵の具で斜めっている鳥居が描いてある。ガムテープを貼ったのではない、ということは、絵に目を貼り付けて見ないとわかりません。「ガムテープをはりつけたように描く」というリアルな絵。チープな鳥居と「天皇陛下万歳」の文字の取り合わせが絶妙ですが、描いた人が「おちょくってません、心から鳥居にも陛下にも敬意を表している」と言い張れば、うよも文句は言えない。

 「みにまる」これだって、ネトうよが騒ごうと思えば騒げる作品なのに、みな、平然と眺めてすぎる。たぶん、うよにはこの絵の意味もわからないのだ。
 名古屋在住の中堅アーティストと思われるお方のブログ感想では「私には、右翼に自宅襲われそうな、こんな絵はとても展示できません」と書いていました。そうだろうなあ。

 戦争画の部屋には、ほかにも、グァムやサイパンなどの島々の観光写真が大量に貼り付けられている作品がありました。太平洋戦争の戦場であり、日本兵が無残に殺され飢えて置き去りにされた島々や、日本兵が現地の人々を殺戮した島々。
 その島の平和な観光写真の上から、原色の絵の具が塗りたくられている絵です。タイトルは、「大皇乃敝尓許會死米(おおきみのへにこそしなめ)」痛烈です。

 ワカゾーがひとり、美術雑誌だかテレビのアート番組だかで見た「作品解説」を連れにしてやっていたが、たいていの若者は、ただ、通り過ぎる。ワカモンに意味が伝わらないのだとしたら、これらの戦争画Returnsシリーズは、本人が明言しているように「叙情」であることで許されているのだろう。ものはいいよう。

 「たまゆら」は、ビキニ環礁とアリゾナ沙漠と思われる場所での原爆実験の爆裂のようすが描かれている。「太平洋戦争は意味でなく、抒情である」と、画伯自身の解説がついている。
 「国に命をささげた英霊に対して、叙情であるとは失礼ではないか」という感想を書いているブログもあったので、会田誠の狙い通りの反応なのだと思います。

<つづく>

2013/06/19
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(2)会田誠、駄作の中にだけ俺がいる

 
 小中学生が描かせられる道徳的なポスターを真似た、28歳のときのシリーズ。
 「時間を守ろう」という「遅刻ボクメツ」ポスターは、高校教師が門を閉め続けて女子生徒を挟んで殺している絵である。
 このシリーズも、ちゃんと見ないで「え~、これって、小学校1年生のとき描いたポスターなんだって、じょうずじゃん」なんていいながら通り過ぎるギャルたちがいる。まあ、自分が見たいように見ればいいんだけれど、せっかく見に来たのだから、描いた人の描いた気持ちくらいはわかろうとしてあげてもイインじゃね?

 大作の部屋に並ぶ大作の数々。
  
「灰色の山」は、縦3m、横7mの巨大な画面に、ボタ山のような円錐の山が築かれている。



山水画ふうの山の風景に近づいてみると、山の中には、どぶねずみ色のサラリーマンの死体とOA機器がうずたかく積み重なっている。



 この作品を、会田は北京で公開制作した。
 古着屋で千円のスーツを買い、北京に持って行った。自ら古着スーツを着てサラリーマンに扮する。さまざまな死体ポーズをとってセルフカメラで撮影する。その画像をもとに、一体一体を丁寧に描き込んで、山を描く。遠目には中国南画の山水画のように見える。細部は徹底的リアリズムの死体。

 この千円スーツはリーマン死体描写以外にも役だった。このスーツのおかげ(?)で、中国テレビCMに出演するアルバイトを体験できたのだと画伯は語る。
 髪をオールバックになでつけられて、画伯扮する日本人科学者は、日本語で「日本の火山のマグマから抽出した成分が入っている膏薬」という湿布薬の効能を語る。長年リュウマチの痛みに耐えてきた中国農婦(「中国農村の悲劇的貧しさを一身に背負った不幸のかたまりのような農婦」を演じる女優)が、画伯にとりすがって、「あなたが研究開発した湿布のおかげで、リュウマチの痛みがなおった。あなたは命の恩人だ」と、ボロボロ涙をこぼす。そういうCMだったそう。うん、こんなインチキくさい中国CM,私も中国赴任中にわんさかと見ました。
 このCM、今でも中国で放映されているのかも。

 日本の火山にだけ存在するマグマのおかげで、リュウマチもなおる。日本の良心、日本の科学成果の体現者である無精ヒゲのニセ科学者画伯は、こつこつと死体の山を描き込む。きっとせっせと働いて「日本株式会社」に使い捨てられたリーマンたちは、どんな痛みもたちどころに消えてしまう膏薬を背中や足に貼り付けて、会心の笑みを浮かべつつ、自分が死体になっていることすら気づかないのだろう。

 「ジャンブル・オブ・100フラワーズ(百花繚乱)」2012最新作。
 縦3m横10mの巨大画面に、体の一部を打ち抜かれて欠損した少女たち。体の一部分は飛び散っていく。花や蝶や、星になって、少女たちの肉体はきらめき飛び散っていくのだ。少女たちは、サナギのような化け物を抱えていて、ゾンビvs少女の戦闘ゲームであるらしい。実際ゲーム世界では、少女も少年もゾンビも、シューティングの対象になれば、このように砕け散る肉体をさらしている。

 「児童ポルノ~」の人たちは、この絵もやり玉にあげているけれど、残酷な絵柄を攻撃するなら、小学生中学生の姿はほとんど見かけなかったこのような美術館での展示を問題とするよりは、ゲームの描写が現在どのようなところに来ているのか、研究すべきであろう。ゲームは18禁じゃないものだって、すごい描写が多い。

 「電信柱、カラス、その他」もすごい。この世の終わりのような、灰色の世界。電信柱が斜めに倒れていて、カラスが飛び交っている。中央下に止まっているカラスが咥えているのが人の指であることに気づくと、情景から受け取る意味がぐるりと回転する。もう一羽のカラスが咥えているボロ布は、セーラー服の襟のきれはし。すると他のカラスたちがくわえているだらりとぶら下がった切れ端はどれも肉片であることに気づかされる。エグイです。

 セーラー服の切れ端を加えているカラス

カラスが咥えた指
 
 会田誠は天才である。で、私たちにとって会田は、天災かも知れない。防ぎようもなく、やってきて、禍々しくも人の世を変えてしまう。
 人間世界を突き崩し、おのれが死体山の一部であることを突きつける、天才による天災。

 会田は自身の制作過程を追ったドキュメンタリー映画『駄作の中にだけ俺がいる』(渡辺正悟監督作品)の中、「美術家は、見ることの快楽を与えるのが仕事」という意味のことを語っていました。快楽を与えるのか、快楽に思えるような毒を与えるのか。少量の毒が薬として人体に作用するのか、オーヴァードースで人を死にいたらしめるのか。

 18禁の絵のひとつ。「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズ。まな板の上に横たわっていたり、開きの天日干しになっている美味ちゃん。お腹を押されるとイクラ状の卵を排泄するっていう「食用」もある。「児童ポルノと性被害を考える会」が四肢を切断され犬の首輪で繋がれながら笑みを浮かべている「犬」シリーズとともに、非難している作品です。

 グルメの快楽とは何か。サンマの開きを焼いて食べるのは抵抗なくて、少女の形に成形された人造肉は、食べられない?ハンバーグにしちゃえば、人造少女肉も牛肉も同じ?ジュースは?ミキサーでほどよく液体にされた人造少女?

「ジューサーミキサー」
 ミキサーにかけられて、こなごなに砕かれてジュースになっていく。中味は、いたいけな少女たちである。

 「ジューサーミキサー」がどのような絵であるか、見たい人だけみて下さい。見たくない人は見るなと忠告しているのに見てから「えぐい」とか、文句を言わないこと。

http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/d771dd8f3863ef2a6d4fae97ddd1d5f7

会田誠出演のドキュメンタリー映画
「駄作の中にだけ俺がいる 」
 予告編だけ見てもおもしろいですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=mNDgduQAq_U

 次回は、会田誠展vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会

<つづく>

2013/06/20
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(3)会田誠vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会

 ゲージツと障害者問題というのは、近年では、「日本てんかん協会による筒井康隆への抗議、筒井の断筆宣言」が一番有名であるけれど、ほかにもいろいろあったのだろうと思います。
 筒井の『無人警察』が問題であるのは、第一に角川書店編纂発行の『高校国語Ⅰ』に収録された文章であった、という点だと私は考えます。国語教科書という「生徒が自分では選択できない本」に掲載し、この作の読解がカリキュラムに入れば、生徒はこの文章を読まないでいる自由がない。選択の自由のないところが問題なのであって、てんかんについての記述がどうであるかは、筒井の文筆家としての力量の問題です。

 今回の「児童ポルノ被害と性暴力を考える会」が取り上げた、会田誠の「犬」シリーズや食用人造人間美味ちゃんシリーズも、見たら不快に感じる人は必ずいると思います。不快に感じる人もいるであろうことが想定されている絵画として制作されているのですから。

犬(雪月花)シリーズより「雪」(見ようと思う人だけ、以下のサイトへ)
http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/b011f52efc5559c4337cad0084a5196d

 この作品を見ようと思わない人でもつい見てしまう可能性のある、テレビコマーシャルとか、渋谷駅前交差点の上の電子広告板に出したら、非難するのもわかる。しかし、今回は、作品は基本的に見たい人だけが入場する美術館での公開であり、しかも18禁部屋という分離した展示室を設けての展示です。
 「ポ~考える会」は、美術館という公共的空間での公開がけしからぬ、という主張をしています。この「18禁部屋隔離展示」という措置に対してまで文句をつけたいのであるなら、それは検閲の思想と変わりない。芸術への規制は、思想検閲への第一歩になると、私は危惧します。

 「ポ~考える会」にそんな検閲権力があるとは思わない。この会に所属する大学の講師をしている先生方も、それくらいはわかっていての行動だろう。つまり一連の抗議行動は、この会の知名度を上げる目的があった、というなら、私も納得です。
 本気でこれらの絵を「児童ポルノである」、と断定するなら、それは、5月29日に議員立法(自民・公明両党と日本維新の会)により衆議院に提出された「児童ポルノ禁止法」改正案が、とめどなく「出版、表現の規制」になだれ込もうとしていることに、手を貸すだけの結果に終わる。

 また、公的な場所である美術館での公開はけしからぬというなら、クールベの「眠り」やバルチュスの「ギターのレッスン」などのきわどい表現の芸術作品に対して、これまで「世間様」がとってきた態度と同じことだ、というだけですんでしまう。

クールベ「眠り」


バルチュス「ギターレッスン」


 会田誠は「わだばバルチュスになりたい」というタイトルのパロディっぽい絵を描いています。
 バルチュスは、インタビューにこたえて、1930年代のヨーロッパ美術界に物議をかもした絵を発表したことに関して「ヨーロッパで有名になるには、スキャンダラスであることが重要だった」という意味のことばを述べています。(2001芸術新潮6月号)

 会田誠が「バルチュス」になりたいと言うとき、たぶん、絵の技法やら主題やらを踏襲したいなんぞということではなく、「絵がスキャンダルをまきおこすほど、絵を見て貰える機会がふえる」という単純なことが一番に来るだろうと、私は思います。
 だとしたら、「ポ~考える会」による非難は、大歓迎のスキャンダル。会田自身にデメリットはないスキャンダルだからです。

 私は、作品の表現に関して、出版や上演を法的に排除することには賛成しない。
 法で規制を始めたら、とめどなく思想・表現の検閲になだれ込んでいく。それが国家というものだから。
 私たちは、「近代国家」という共同体の在り方をもう一度考えなければならないところまで来ているのに、「振り出しに戻る」みたいな検閲に手を貸したくない。
 こんなささやかな文章でも、誤解する人もいるので、「児童ポルノ」を肯定しているのではないことは明言しておきましょう。表現、思想や出版の自由について述べている。

 会田誠の作品を非難する論評の報道に関して、「ポ~考える会」へのさまざまなマスコミ報道が出ました。ポ~会側と美術館側、両者の主張を同比重で扱うという態度を取ったところ、美術館側に添っているところ、「ポ~考える会」側に立つところ、それぞれでした。
 サヨクっぽいとされる出版物のうち、「週間金曜日」は、「ポ~考える会」に立っての編集。「ポ~考える会」と性暴力問題に論陣を張る落合恵子との関わりがあるのかもしれない。AERAは、「現代の肖像」で取り上げて、会田を持ち上げている。AERAは売れりゃいいんだろうけど。

 さて、この勝負、いまのところ森美術館の勝ち。一連の報道のおかげで展覧会の知名度があがり、森美術館は、開館以来最高の入場者数を記録しました。消費社会では、売れたもんは正義。

 美術作品に抗議するなら、「ポ~考える会」側も、椹木野衣レベルの美術批評ができる人をそろえて論戦張るべきところ、ちょっと論述が雑駁すぎた。むろん、抗議するのは言論の自由で、どんどんケチつけたらよい。ただ、ケチの付け方が粗雑であれば、そのケチくささは自分へと跳ね返る。

 「ポ~考える会」への反論として出された会田の言い分。会期中は森美術館への配慮なのか、おとなしい発言のみ。
 会田誠ツィッター「だんまりを決め込むつもりはありません。必要とあらば出向き、誠心誠意お答えするつもりです
 同「『犬』は『お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?』という問いのための試薬のようなものです。問いをより先鋭化するため、切断や動物扱いという絶対悪の図像を選択しました。多くの人が指摘する通り、このたびの喧々囂々の議論は、最初から作品に内在していたものでしょう

 このツx-トを見た限りでは、「ポ~考える会」は、会田誠の「最初から作品に内在していた試薬」を顕在化する役割をまんまとおわされた。会田誠の望んでいた「外在化」を果たしてあげだのだと言えます。

 会期終了の3月31日以後、会田誠からさらなるリアクションがあるのか、と期待していたのですが、特に一般の話題になるような反論、私は見ていません。
 会田誠は本人が主張しているように天才です。天才を相手にするには、「ポ~考える会」の面々、ちょいと役者が小粒すぎた、というのが、私の感想です。

 脚注として、「ポ~考える会」の主張をコピーしておきます。
 「これらの作品は、残虐な児童ポルノであるだけでなく、きわめて下劣な性差別であるとともに障がい者差別でもあります。このようなものが、同人誌にこっそり掲載されているのではなく、森美術館という公共的な美術館で堂々と展示され、しかも、各界から絶賛されているというのは、異常としか言いようがありません。すでにNHKの「日曜美術館」で肯定的に取り上げられ、最新の『美術手帖』(2013年1月号)では特集さえ組まれています。
 私たちは、森美術館に対して1月25日付で抗議文を送付するとともに、多くの団体・個人と協力してこの問題を広く世論に訴えていきたいと考えています。またこの問題を国際的にも訴えていきたいと考えていますので、みなさんのご協力を求めたいと思います。


 今回の会田誠VS「ポ~考える会」の試合、博物館美術館がどのような作品を収集し展示するのかということの法的根拠「博物館」法に照らして、また、美術館博物館と学芸員の社会的責任やら倫理観にてらして、「アウトと受け取る人もいようが、ぎり、セーフ」ってことでしょう。

 「ポ~考える会」のみなさん。残念ながら、君らの負け。これからは与党の提出する「児童ポルノ規制法」が「表現検閲」になだれ込むのを監視する方に力を注いでほしい。「ポ~考える会」の面々が非常に真面目に児童の福祉や障害者の問題を考えていることは、メンバーのうちの名前がわかった人たちのプロフィールや活動歴をチェックして理解出来ました。

 児童の福祉も女性の尊厳も障害者が平等に生きていく権利も、大切なことであり、私も私のやり方でこれらの問題に関わっていくつもりでいます。しかし、会田誠をやり玉にあげて、これらの作品を「児童ポルノ」かどうか、ということを争点とするなら、もう少し『お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?』という会田誠からの問いかけにバシッと、答えてないと、説得力が薄くなります。

 「ポ~考える会」のこれからの活躍をお祈り申し上げます。(今、就活中の4年生のもとへ毎日届けられているオイノリメールのようですが、たまたま文面が似てしまっただけです)
 

<つづく>

2013/06/22
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭のン現代ゲージツ入門(4)会田誠vs村上隆、ごめんしてもしなくても会田は天才である

 会田誠の作品は、日本では小規模なギャラリーなどでの展示はありましたが、有名美術館での大規模な展示は行われてきませんでした。
 美術館側が足踏みしていたのか、会田にとって、美術館というハコモノが相容れなかったのか、その事情はわかりません。
 あるいは、時代が「会田誠という劇薬」を受け入れるほど成熟したのかも知れません。会田を劇薬と受け取るか、毒と受け取るか、毒のふりした偽薬と受け取るのか、森美術展での展示はとても興味をそそられるものでした。

 先にも述べたように、私自身は会田の作品を雑誌グラビアに掲載された「紐育爆撃図」ほか、ごくわずかな作品にしかふれたことがありませんでした。、会田誠の作品のほとんどを見てきたという人は、ギャラリーで「将来値が上がりそうな画家」を鵜の目鷹の目で探しているコレクターか、よほどのマニアか。

 今回の展覧会開催では、一般の美術展であるならばついてまわる企業協賛という「協力金」が得られなくて(あるいは意図的にそのような形をとらず)、展示に必要なお金は、会田のファンから集める、という形をとりました。15,000円の協力金を払うと、会田誠作品の一部がもらえる、という方式です。

 今回の展覧会では会田の信条「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」の十か条」が大きく掲示されていました。みな、会田誠流のジョークと受け止めていましたが、本音も入っているんじゃないかと思います。

 この「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」の執筆について、会田は、インタビューで答えています。
書きながら色々なアーティストの顔が脳裏をかすめつつ……たとえば村上隆さんのお顔などもチラチラと(笑)。まぁ、この十か条のどれかひとつでも本気でやらかしたら、美術家としてダメだとわかって書いたものなので、だから村上さんの色々な言葉を全部裏返したギャグみたいなものでもあります。」

 村上隆が英語でプレゼンテーションを行っているコトへの反発として書かれているとしか思えない宣言第4条。

四、英語をしゃべるなんて凡庸なことを平気でできるという時点で自分の才能を疑った方がいい。

 わっはっは、と思います。会田はニューヨーク滞在中も徹底して英語嫌い、コミュニケーション嫌いで通した、コミュニケーション不全症候群を子ども時代から続けている人です。人と世間並みのコミュニケーションしたくないから美術家になるしかない、と決意したのだと述べています。そつなく人との世間話をこなし、自分を売り込み、高く売り抜ける、という芸当ができないのが美術家なんだ、、、

 一方、村上隆は東京芸大での後輩アーティスト向け講演会で、学生に「英語ができるか」とたずね、英語はできないと言う後輩たちに、「クリエイターに必要なのはコミュニケーション能力であると断言できます。それ以外のスキルは要らない」と、人と人との関わりの重要性を強調した、、、、のだそうです。(この件に関して、2013年4月の東京芸大講演会の講演記録を入手していないので、裏はとれてませんが、まあ、村上なら言うだろうなあと、思います。

「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」の十か条のうち第6条
六、指から伝わって魂が腐るから、金には触るな。というか、そういうものが腐ったこの世にあることを最初から知るな。
 これも、わっはは。です。村上隆が、「精液飛ばす少年」のフィギュア作品を11億円で売り抜いたことを思い出させます。村上がこのこの等身大フィギュアを売り出すについては、相当なかけひきやら売り込みやらの活動を行ったと、本人は述べています。

 村上隆の代表作「マイロンサムカーボーイ」1998 


七、大物の権力者やコレクターやキュレーターやギャラリストや批評家に会っても、すぐに忘れろ。そして、次に会ったら「は?どなたさん?」と言え。というか、理由もなく突然殴ってみてもいい

 うん、意識しているなあ、村上隆。
 若いアーティストが、この宣言を本気にして大物を殴ってみたりしたら面白いんだけれど。

 宣言第9条
九、大恋愛と決闘は定期的にやるといい。
 会田さん、マサコサマ同窓生デンフタ出の奥さんと定期的に大恋愛しているのかも。

 森美術館「会田誠」展エントランスのオブジェ作品。館内撮影禁止だけれど、エントランスの作品は、みな写真をとっていました。でも、これも会田作品であると思っていない人が多かったみたい。
「ハート」2011

<つづく>

 

大山椒魚会田誠2003

2013/06/25
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(6)概念美少女と会田誠
 話題の「18禁部屋」のモニター映像「美少女」は、立ち止まってゆっくり見ていられなかった。後ろから押し出されるテイに混み合っていた部屋だから、映像作品も数分しか見ていない。うしろ向きでも会田誠ご本尊だとわかる素っ裸姿。うん、なかなかカワイイお尻。

 「美少女」とピンクで描かれた文字に向かって、画伯は、両手で懸命に作業をなさっておられる。モニターの横には、画伯自身により「”美少女”という文字概念だけを見つめて写生に至るのは可能か実験したが、立つまで1時間かかった」という笑える解説がついている。(むろん「写生」は春庭による誤変換です。画伯はちゃんと射○とかいておられる)

 美少女という文字概念がエロから遠いというより、50近くなったという年齢で1時間かかるのだとは思うけれど、「ちゃんと立つ」までモニターにつきあっていられず、残念無念。なにせ18禁部屋は混み合っていた。真面目な顔でゲンダイゲージツの話題についていこうとしていたPTA夫人風の二人連れが、まじめにモニターを眺めていたので、会田誠はエライと思う。おそらくこのふたり連れマダムは、画伯が両手でどんな作業をしているのか、意味がわかっていなかった。「なあに、これ?」「さあ、見ていたら、何か作品ができあがるんじゃない?」てなこと言い合いながら、ゲンダイゲージツのお勉強をしていました。画伯珍チンの勝利。
 会田画伯、現代美術の高き山にしっかと立っていてください。固く、強く!1時間以内に!

 あなたも実験!見つめてください。
美少女

 たった?

 あとで見ようと思っていた、段ボールハウスのヌシが語るモニター映像の前は、すでに座り込む余地なしにワカゾーがぎっしりベタ座りしている。会田御大は「アヤシゲなアラビア人風」に扮して、頭に白い帽子、ガウンを着て長いヒゲ。『日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ』です。オサマ・ビン・ラディンのインタビュー映像の真似をした映像で、ネットで一部だけ見ることができた。

 ニセオサマは、焼酎を飲みながらこたつに入って、「いかにもガイジン風のニホンゴ」で喋っている。森村泰昌がオサマに扮するよりも、会田の風貌はオサマにぴったりだと思います。

 時間が経つにつれ、会場はますます混み合う。こう混んでくると、「ああ、会田誠もこうやって大衆消費財になるのだなあ」と、感慨深い。(大衆消費財をバカにしているのではない。為念。日展理事あたりが、「ゲージツとは高級なもんである」という顔をするのをぶっ壊してくれるゲージツ家はみんな好き)。

 眠くなったので、同時開催の山城知佳子(1976年沖縄生まれ)映像作品の上映で椅子に座れるときに、映像見ながら半分寝ていました。
 23~24時は、3分の2見て3分の1眠ってしまった。2回目上映の午前1~2時は、半分見て半分寝た。3回目上映の3~4時は3分の1見て3分の2寝た。合計でだいたい全部見た勘定なので、山城さんにお許し願おう。

 山城さん、沖縄からのメッセージ、受け取りました。しかし、コンセプチュアルビデオっていうのかしら、あんましおもしろくない。見ている内にすぐ眠くなるという点では、こちらの要望にぴったりの作品でしたけれど。
 でも、見てから3ヶ月たつのに、まだどんな映像だったか、断片的にですが覚えているので、ほんとはすごい映像作家なのかもしれません。

 朝4:00~6:00は、展望回廊スカイビューですごしました。夜景がきれいなのは2時くらいまでで、4時5時の夜景は、ビル屋上に飛行機のための赤いランプ(航空障害灯)が光っているだけで、取り立ててきれいじゃないことがわかりました。

 あいにくの曇り空で、日の出は見られそうにないので、朝6:00前、森美術館が閉館になる直前に下に降りました。
 六本木アートナイトは、朝までいろんなイベントやってたみたい。
 森美術館だけで一晩すごした私、年寄りだから途中眠くはなったけれど、現代美術のエネルギーをもらったので、元気に桜坂を下り、麻布十番駅へ向かいました。 

<つづく>
2013/06/26
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(7)会田誠につづけ

 会田誠、小学生時代は、授業中落ち着いて座っていられず、机のまわりを歩きまわってしまうタイプだったという。現代ならソッコー多動性障害(たどうせいしょうがい、Hyperkinetic Disorders F90)の診断名が下されたであろう。しかし、彼が描くマンガはクラスメートにも人気だったので、クラス内で疎外されることもなかったのだそうです。

 会田誠は「駄作の中にだけ俺がいる」で「世間に出るためには、世間と交わることのできる人間に矯正しなければならなかったのだけれど、美術家になれば世間と同調しなくてもいいのだと気づいた」という意味のことを述べています。

 東京芸大では、油絵専攻。卒業後は、「取扱注意画家」として快進撃。私生活でも、現代美術家岡田裕子(1970~)と結婚し、男の子をもうけ西荻窪在住。ドキュメンタリーのなかでは、「チューしてチューして」とせがんでまとわりつく息子に「お前、学校で絵かかせられるの、いやがっているんだろ」とか、語りかけていた。
 岡田裕子、田園調布双葉からタマビへ。結婚記念写真は、ウェディングドレス着た岡田と化粧してウェディングドレス着た女装の会田誠が並んでいる写真だというのも、「お芸術」をする夫婦の写真としてイインじゃないかと思います。子ども、絵描きになるかしら。

 ひとつの絵画技法に安住することもなく、漫画もポップアートも日本画の技法もしっちゃかめっちゃか取り込みながら、一貫して会田誠は会田誠として驀進してきました。今回の「初の美術館での大展覧会」で、名前は美術界のみならず、一般に浸透しました。今後の活動を楽しみにしています。

 会田は、この展覧会にあたって、「平成勧進」として広く一般からひとくち15000円の寄付を集める、というプロジェクトを開催しました。企業からの協賛とかが得られなかったからだそうですけれど。

 サポーターになると、会田作品の最新作「ジャンブル・オブ・100フラワーズ」の下絵だかのマルチプル(作家の指示のもとに量産された美術作品)が貰えるそうで、このマルチプルの値段も大いに値が上がったんじゃないかしら。15000円のマルチプル、15万になったら万々歳。
 ちなみに、現在の会田誠の版画「切腹女子高生」はポスター版一枚15万円です。

 今回の展示で、一番喜んでいるのは、会田誠を売り出しかつ収集してきたミヅマアートギャラリーの三潴末雄だろう。号いくら値が上がったのやら。なんちゃって。何でも値段に換算するしかできない庶民の絵画鑑賞法のHALでした。

 さあ、ミヅマアートギャラリーよ、売り時だ。
 って、会田誠は、すべてを金銭に換算する鑑賞法に潰されずに、消費され尽くされずに描きつづけることができるか?
  
 現代アートとは何なのか、わからん。わからん珍だけれど、おもしろい。
 木下直之『股間若衆』が面白かったことから、春庭は「アートと自主規制」を考えた。
 森美術館による「18禁部屋」という自主規制が、さらに「アートか児童ポルノか」という論議を呼び、おおいに盛り上がった六本木アートナイトでありました。

 アートの自己規制について、また、アートの現実へのコミットメントについて、春庭は縷々考えてきて、これからも考えて行くのであります。
 まあ、私が考えても世の中に何のかわりもないけれど。

 春庭の現代ゲージツウォッチングは続きます。
  アートが私にとって何なのか、それを考えたシリーズ。次回は会田を師とあおく若手アーティスト集団。チム↑ポム。師匠に劣らぬ、お騒がせ集団です。

<つづく>

ぽかぽか春庭「色の世界」

2013-08-22 | 日記・エッセイ・コラム

2013/06/06
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(1)赤い名前

 教師をしていていいことのひとつは、毎年学生にいろいろな新しいことを教えてもらえること。今期も、4月からいろいろ学ばせてもらっています。

 学期はじめの作業として、机の上に置くカードに名前を書かせているのですが、赤青黒のマーカーペンを用意し、自分がクラスで呼ばれたい名前を書くよう指示します。それぞれ自分のニックネームや日本人に呼ばれやすい名を選んで書き込みます。「美月」さんは、中国語の発音メイユエですが、朝鮮族出身なので、朝鮮語発音ではミウォルです。彼女は「日本人に覚えてもらいやすいように、ミツキがいいです」と希望しました。
 モンゴル人の名前たとえば、「ダワーニャミーン・ビャンバドルジ」を本名で覚えるには、私の記憶力がおぼつかないので、相談して「ダワーさん」にしてもらいます。(例にあげたこの名前、私が担当したモンゴル人ではありません。日馬富士の本名です)

 名前カードには、赤青黒、好きな色で名前を書いてもらいますが、今期の中国人学生に「中国では、名前を赤で書くのはお葬式の時だから、普段、名前は赤ペンで書かない」と教わり、はっとしました。中国のお葬式については一通りの式次第はわかっているつもりでしたが、中国で葬式を出す側になったことはないので、細かいことは知りませんでした。

 葬式を出す側になった場合、死亡通知を死者の友人知人に送る。死者が年取った人のときは白い紙に、若い死者のときは銅色の紙に「いつ亡くなった」というような死亡通知を書き、書いた人の氏名住所を赤字で右上に署名する。赤い字での署名は死亡通知に通じるため、普段は書かない、ということでした。

 こんな細かいことでも、それぞれの国の文化が背景にあり、赤いペンを渡して「ここにあなたの名前を書いてください」と言ったら、いやな気分を与えかねない、ということに、もう25年も日本語教師をしていて、ようやく気づいたのです。ほんとうにまだまだ未熟です。

 日本語教師たる者、言語学、日本語文法学、日本語音声学などに精通しているつもりでも、まだまだ知らないことがいっぱい。
 毎年学べること、有り難いことです。

 留学生が毎年、同じような「へんな日本語」について、質問してきます。
 日本語教師志望者には、「第2言語、外国語としての日本語を意識してください、と言っています。
 日頃ヘンと思ったこともない日本語ですが、外国人から見ると不思議なことがいっぱいあるんですよ。みなさんは、常に、外国語としての日本語を考えるようにしてください」と要請しています。

<つづく>

2013/06/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(2)みどりいリンゴ

 日本人学生に「ことばと文化」を考えさせる例題として、毎年「緑色なのに、どうして緑リンゴ、緑葉と言わないで、青リンゴ、青葉というんですか」という留学生の質問を学生に紹介しています。
 インターネットなどで調べれば、昨今はすぐに回答がみつかりますが、まずは自分の頭で答えを考えさせます。日本人学生の感想の多くが「どうして青葉というのか、これまで考えたこともなかった」
 慣れていて当然と思って使っているものについて、考えてみることなどしないからです。

 色彩名詞の表現について、「フランスでは虹の色は6色」「多くの日本の子どもがお絵かきで太陽を描くとき、赤いクレヨンや絵の具を使うけれど、西欧文化の多くの地域の子どもたちは、太陽は黄色いクレヨン絵の具で描く」という、文化差を紹介します。

 名詞にはその土地の文化がさまざまな面に表れます。色の名前もしかり。ある地域の言語には、その土地に重層する文化が重ね合わされているのです。
 まだ日本語教師になって日が浅かった頃、「青いりんご」を英訳して「日本にはほんとうにblue appleがあるのか」と、質問してきたのはイスラム圏の学生でした。まだイスラム教についてあまり知らなかった私は、この学生にラマダンの行事のことなどいろいろ教えてもらいました。

 このたびはじめてイスラム圏出身者で関取になった大相撲の大砂嵐金太郎さん。エジプト出身のイスラム教徒です。関取として土俵にあがる名古屋場所、ちょうどラマダンにあたります。イスラム教徒にとって大切な宗教行事、断食月にあたっていて、日の出から日の入りまで食事も水を飲むこともできません。つらいでしょうが、がんばりってほしいです。

 イスラム教は厳密な一神教です。イスラム教徒の中には、「我が神たっとし」と思う余り、他の宗教の神を排斥しようとする一派もあります。しかし、もともとイスラム教は、他の宗教も尊重することで世界に勢力を拡大してきた宗教です。

 大砂嵐は、毎日5回のアッラー神への礼拝を欠かさないと同時に、相撲の世界で「土俵の神様」を祀る神棚へも柏手を打つ。この柔軟な考え方があったからこそ、相撲の世界になじむことができました。2012年春場所の初土俵から1年半弱で、2013年名古屋場所では十両に昇進します。これからも柔軟な思考法と柔軟な身体で活躍して欲しいです。

 さて、大相撲の土俵の上の屋根には、赤房青房白房黒房が下がっています。これは、かって土俵の屋根を支えた四隅の柱が姿を変えたものです。 
 赤青白黒は、日本の色彩名詞のうち、もっとも古くからある色の名です。

 青リンゴ、青葉の解説にあたって、はじめに、古代日本語の色彩表現について説明します。古代日本語の色彩名詞は、白黒赤青の四色のみです。赤白黒以外の曖昧な色はすべて青。灰色も緑色も青でした。やがて、高度な染織方法が渡来人から伝わると、しだいに色彩名詞もふえ、現在はJIS規格にある色彩名詞だけでも500色。語彙論基礎として教えます。

 ついでに、幼い子どもが、「赤いくつ、みどりい靴下、むらさきいシャツ」と言うと、お母さんは「みどりい靴下じゃないのよ。みどりの靴下です」と訂正します。どうして「赤」は「あかい」なのに、「緑」は」「みどりい」じゃないのか、も考えさせます。
 語の形態論、品詞論の初歩です。

 古代からの色彩名詞は形容詞としても使えるため、形容詞語尾の「い」をつけて「赤い」「青い」と表現できます。しかし、「萌え出づる若々しいもの」を表していた「みどり」を色彩名詞として転用するようになったのは、赤青白黒の色彩名詞が使われていた古代よりずっとあとになってからのことでした。ですから、名詞としての用法しかなく、形容詞として「みどりい」「むらさきい」と言うことができないのです。
 例外は、黄色と茶色。あとからできた色彩名詞ですが「きいろい花」「ちゃいろい小瓶」と、「い」をつけて形容詞として成立しています。

 ですから、「みどりい」や「ピンクいろい」も、このあと何十年何百年たったあとでは、成立すると思われます。数百年後に日本語が残っているならば、、、、
 世界の多くの地域では、英語優先社会が成立しています。「英語をつかったほうが、公務員になりやすいし大企業にも就職できるし、いい暮らしができる」とみなが考えるようになった社会では、英語をつかう社会が成立して、もともとの土地のことばは「古老がはなす古くさい言語」として滅び去ろうとしています。

 英語が世界で「共通語」として席捲していることはすでに「事実」です。しかし、共通語としての英語ができるだけでは「有能で、共に語り合える仲間」としては見なされません。自分自身のアイデンティティを確立し、自分の文化に誇りを持てる人でなければ、パートナーとして信用されないからです。
 英語で日本語の色彩名詞について語れる、相撲について語れる、そのような「語れる内容」を持ってこその「英語」です。

 日本語教育を学ぶ人には、「まず日本語で語れる内容を身につけよ」と叱咤激励しています。
 不思議と思うこともなく使っているニホン語、実はおもしろいことが山のようにあります。25年日本語教師を続けていると、もう新しい質問は出ないかと思うのに、まだまだ新しい発見を留学生から学ばせてもら貰えるのです。

 自分の文化を大切にすることはたいへん重要ですが、他者と向き合ったとき、自分の文化の尺度が絶対と考えないことが、これからの「地球社会」に必要なことだと思います。固有の文化を尊重しつつ、他者の文化にも深い敬意を示すこと。
 地球共生社会を目指したいです。

<つづく>

2013/06/09
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン

 「みどり」が、もともとは「草木の新芽」を表す言葉であり、「新鮮な若葉」のことだった、ということは何度かお話ししてきました。「みどりの黒髪」とはツヤツヤとした若々しい美しい髪のことであり、「みどり児」とは生まれたての新芽のような子のことでした。

 「みどり」に染織の「緑色」が重ねられて以後も、「みどり」には、「若々しく新鮮」「さわやかな若い気分」がイメージとして残りました。日本語で「みどりの牧場」とか「緑の丘」と表現するとき、そこには「新しい溌剌とした気分」はのせられても、「小銭ももたないで、相棒に借金をする放浪者」のイメージはのせにくい。

 そこで、世に知られる「グリーングリーン」の日本語詞は、以下のようになりました。
片岡輝 作詞 B.Mcguite Rspark 作曲
1 ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
  この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン 青空には 小鳥が歌い
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる

2 その時 パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
  つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
  グリーン グリーン 青空には そよ風ふいて
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がゆれる

3 ある朝 ぼくは目覚めて そして 知ったさ
  この世に つらい悲しいことがあるってことを
  グリーン グリーン 青空には 雲が走り
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がさわぐ

4 あの時 パパと 約束したことを守った
  こぶしをかため 胸をはり ラララ ぼくは立っていた
  グリーン グリーン まぶたには なみだがあふれ
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がぬれる

5 その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
  二度と 帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
  グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえる

6 やがて 月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
  パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
  グリーン グリーン 青空には 太陽がわらい
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか

7 いつか ぼくも 子供と 語り合うだろう
  この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン 青空には かすみたなびき
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がひろがる


 男の子が父と別れ別れになった後、父を思い出し、父が伝えたことばをかみしめる。そして自分も同じように息子に語るだろう、という「家族の継承と明日への希望」というようなテーマの詩になっていました。
 学校音楽教育の場ではたいてい3番までが歌われるので、多くの人にとって、「グリーングリーン」は、父が人生を語り、くじけるなと子を励ます歌、とイメージされています。

 原詩と直訳詩を、日本語詞と比べてみましょう。(直訳:春庭)
Green Green(1963)/The New Christy Minstrels 原詩の引用は以下のURL
http://tabs.ultimate-guitar.com/m/misc_unsigned_bands/the_new_christy_minstrels_-_green_green_crd.htm

Green, green, it's green they say  グリーングリーン 緑だ、とみなが言う
On the far side of the hill  丘のむこうのずっと遠く
Green, green, I'm goin' away  グリーングリーン、僕は旅立つ
To where the grass is greener still もっと緑あざやかな草が、まだあるところへ
(1)
Well I told my mama on the day I was born 生まれたその日にママに言った
Don't you cry when you see I'm gone  僕が出て行ったとき、泣かないでね
You know there ain't no woman gonna settle me down  僕を引き留められる女はいない
I just gotta be travelin' on. Hear me singin'...  僕はただ旅を続ける 歌いながら
(2)
No, there ain't nobody in this whole wide world この広い世界に、誰もいないってことはない
Gonna tell me to spend my time  僕に言ってくれ、好きなようにすごせって
I'm just a good-lovin' ramblin' man  僕は愛すべき良き放浪者
Say, buddy, can you spare me a dime? 相棒よ言ってくれ。僕に小銭を分けてやるって 
Hear me cryin',  泣けてくるよ
(3)
Here, I don't care when the sun goes down  さて、いつ日が沈もうと僕は気にしない
Where I lay my weary head  僕の疲れた頭を載せられるところは
Green, green valley or rocky road 緑の上だよ、緑の谷や岩の道
It's there I'm gonna make my bed  どこだって僕は寝床にできる 
Easy, now  かんたんさ、今はね

 原曲のヒットは、1963年。アメリカはケネディ政権によってベトナム戦争介入が本格化した頃です。そのアンチとしてヒッピー文化がアメリカから世界に広がりました。「自由と平和、そして愛」が、ヒッピーたちの合い言葉。そのヒッピー文化の広がりのなかで、この「グリーングリーン」は歌われたのです。

 日本の「うるわしい父と子の情愛」じゃなくて、平穏かつ退屈な人生を捨て親を捨てて出て行く若者が、ダチ公に「小銭を分け合おうぜ」と呼びかけながら放浪するって内容なのです。ここでのグリーンは、丘のむこうのずっと遠くに、おそらくは「今ここには存在しない」緑の大地です。緑の谷や岩だらけの道で、ヒッピーたちは頭を並べ野宿しながら放浪する。自由と愛を求めて。

 日本語の詩は、これはこれとして、音楽の教科書にふさわしい文部省唱歌的にまとまっていて、日本人にはなじめるイメージになっていると思います。緑の大地がどっしりと自分を包みこむ。

 ビルの林立する町と機械文明を捨てて「緑」の中に帰ろうとするヒッピー文化のイメージは、日本の「緑」のイメージには向かない、という訳詞者の判断があったのでしょう。
 以前に、「ホテルカリフォルニア」のけだるい、(大麻などの)グラス文化が、なんだか明るすぎる観光地カリフォルニアのイメージに大きく模様替えされた、という訳詞の話をしました。
 http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/hotel_californi.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_7edc.html

 グリーングリーンの「文科省的健全化」も、また日本文化のひとつの有り様だとは思います。

 なにはともあれ、「みどり」は「みどり」
 私にぴったりの「みどり」を季語とする俳句を見つけました。石橋秀野(1909-1947)の句。石橋は、俳句評論家山本健吉の妻。

緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野

 緑をみて、私も友に歌いかけたい。
 ♪Say, buddy, can you spare me a dime?  私に小銭を分けておくれよ。
 いえいえ、小銭だなんていわず、大金を分けてくれる友こそ、真の友。吉田兼好も、「ものくれる友こそよき友」と徒然草に書いています。
117段 よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。

 わたくし?当然宝くじ6億円が当たったときには、あなたに分けてさしあげますとも。だから、宝くじ買うお金をわけてくれない?

<つづく>

2013/06/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(4)文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか

 ♪真っ赤に燃える~太陽だからあ~、とミニスカートをはいた美空ひばりがテレビの中で歌っていました。1967年のこと。

 多くの日本語母語話者にとって、太陽は赤いのです。

 こどものころ、私は、昼の太陽を直接目で見てはいけないと禁じられても、ときどき薄目にして太陽を見るのが好きでした。輝くお日様が好きだったのです。お日様はキン金キンと黄金色に燃えていました。しかし、小学校のお絵かきで太陽を書くとき、私は赤いクレヨンを使いました。先生に「お日様は赤いクレヨンで描くんだよ」と注意されて、「学校のお約束」に素直に従ったからです。当然、虹は七色で描きました。

 西欧文化では、多くの地域で「太陽は黄色」が基本であると、鈴木孝夫の『ことばと文化』(1973岩波新書)に、書いてありました。西欧では「黄色い太陽」は当たり前のことだというのです。目からウロコ!でした。なんだ、太陽を黄色のクレヨンで描いても間違いじゃなかったんだと思いましたが、私は「日本文化のしばり」にしばられて「太陽は赤いもの」に従ったのでした。

 なぜ、日本では太陽は「真っ赤に燃えている」のか。これは、前回説明した日本の基本色彩名詞が「赤青白黒」であった、ということと関わります。
 黒は光をすべて飲み込んでしまう、暗い闇の色。
 白は、「他から際立って明確な色、加工を加えていない、素のままの色」でした。白木というのは、木材を削ったまま、何も塗っていない木です。
 青は、緑色や灰色を含む、「はっきりしない曖昧な色すべて」でした。
 赤は、「明るく輝く燃える色」「鮮やかに際立つ色」すべて、でした。

 漢字が導入されて「明るい」と「赤」という漢字に固定されてしまうと、アカるいのアカとアカ色のアカが別物になってしまいましたが、「赤し」と「明かし」は、同根の語です。漢字導入以前に「日、あかあかし」という表現があったとしたら、「お日様が明るく輝く」という意味であり、後代に染め物の「赤い色」と固定される前の、「明るく輝く色」の意味であったと思われます。

 もうひとつ、日本人にとって、赤い太陽の固定概念に、太陽信仰がかかわります。ヒエ粟など焼き畑農耕開始以来、大地と日照と雨は農業のもとです。日の出を拝むことは、農耕にとって大切な行為でした。「山頂での初日の出来迎」など、現代にまで残された民間習俗です。今も「毎朝日の出を拝む」というお年寄りは残っています。また、仏教伝来後は、欣求西方浄土信仰が加わり、日の入りを礼拝する習慣も生まれました。

 太陽光線の屈折のために、日の出と日没の太陽は赤くなります。毎朝毎夕礼拝する太陽が赤いので、「太陽は赤い」という固定イメージが出来上がりました。
 旗の「日の丸」が、「赤地の布に金色の丸」で描かれたものから、「白地に赤い丸」になったのは、定説はありませんが、平安末期から鎌倉初期という説が有力です。

 こうして日本では、太陽は「真っ赤にもえる~」になったのです。

 人気絶頂のグループサウンズ「ブルーコメッツ」がバックバンドとなった『真っ赤な太陽』は、歌謡史に残るシングル140万枚の大ヒットとなりました。

 次回、『真っ赤な太陽』を歌う美空ひばりのミニスカート姿、レインボーカラーの衣装と虹の語彙論。
 
<つづく>
2013/06/12
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(5)文化と色-虹色はいくつ?-人だもの」

 レインボーカラーのミニスカートで『真っ赤な太陽』を歌う美空ひばり。当時30歳。
http://www.youtube.com/watch?v=z1YAMlXdYgA

 美空ひばりのミニスカートの虹の色、顔のアップが多くて、ミニスカートの色数が数えにくいのですが、通常の七色に加えて、ピンクが見え、8色の虹になっているように見えます。
 虹の色も地域によってとらえ方が異なるというお話をしました。

 日本はじめ、アジア各地の言語で、虹は七色に分類されています。少なくとも私がであったアジア人留学生は、虹は七色に決まっていると言っていました。そして、フランス人はじめ西欧からの留学生にとって虹は六色。
 パプアニューギニアのある地域では、虹は三色である、ということも、言語学の語彙論・色彩名詞の話にはたいてい書かれています。
 何色でもいいのです。自分に見える色が自分の色です。

 レインボーカラーは、現在の欧米では、平和運動のシンボルフラッグ、またLGBTの人々のシンボルカラーとして知られるようになりました。

 GLBT(ジー・エル・ビー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexuality)、そして性転換者・異性装同性愛者など(トランスジェンダー、Transgender)のイニシャルです。
 
 誰を愛するかも、どのように生きて行きたいかも、それぞれの人の自由が認められる社会でありたい。自分の人生は、自分で決定する。
 小学生の私が、太陽を黄色いクレヨンで描くことを禁じられ、「太陽は赤」と、固定された観念を植え付けられたこと、ひとつの文化の側面です。でも、虹を三色で描きたい子どもがいたら、それでいいのです。「虹は三色」という社会もあるのですから。

 社会にルールがあることは当然のことです。しかし、ある人がある人を愛することがあなたの自由を損なわない限り、それを認めてもあなたの生活は変わらないのではないでしょうか。
 六色で描いても三色で描いても、いいのです。虹は七色でも、八色でも。どの色もきれいです。

 私の敬愛する「青い鳥」さん。青い鳥さん製作のカレンダーがパソコン机の前にかけてあります。青い鳥さんが書いた6月の詩「人だもの」を引用させていただきます。


 
 ハンデキャップのある人もない人も、愛する対象がだれであろうと、人は自分の色を大切にして、青い鳥さんの詩のように「手をつなぎあるいてゆけるよ」

<つづく>
2013/06/13
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(6)ポケモンの色彩名詞

 春庭が出講している国立大学では、大学院生と研究生の日本語教育を担当しています。今年受け持ちのクラス、3つのクラスで国籍は16ヶ国。
 韓国、中国(新疆ウイグルと内モンゴルを含む)、タイ、マレーシア、ネパール、タジキスタン、イラン、トルコ、チュニジア、シオラレオネ、モーリタニア ミクロネシア,フィンランド、フランス、イタリア、チェコ。
 毎年、「お初」の国に出会います。今年の「はじめまして」の国は、タジキスタン、ミクロネシア、シオラレオネ、モーリタニア。地図を探さずに、どこにある国なのかすぐに分かる人、すごい!。

 私立大学では、3つの大学の日本語学、日本語教育学の授業。日本人だけのクラスもあるし、留学生と日本人が混在しているクラスもあります。
 日本人学生の中にひとりだけ中国人留学生が在籍しているクラス、日本人学生4人ネパール人2人中国人10人という混合クラス、日本人だけ9人というクラス。クラス構成は毎年変わります。

 日本語教育ブームで、誰も彼も「ついでだから日本語教師資格も取っておこう」というころもありました。100人のクラス、50人のクラスというのを受け持たされて、ほんとうに困りました。春庭は双方向授業を重視しているのに、100人50人などという授業では、一方通行の講義形式でなければ授業が出来なかったからです。学生に主体的に学んでもらうこと、自分で課題を見つけて調べ、発表する、この過程が大事だと思っています。

 「課題が見つからない、どんなことを調べて発表したらいいのか分からない」という学生も毎年います。そんな学生に「調べ学習のひとつの例」として毎年例にあげるのが、「ポケモンタウン」です。この話は、春庭コラムでは何度も取り上げてきたので、「毎度おなじみ」の話なのですが、新入生は「聞いたことない」ということなので、毎年「ツカミ」のひとつとして話題にだします。

 ポケモンのゲームシリーズに、どんな名前がついてあったか、思い出させます。1996年に発売された第1作は「赤・緑」として世にでました。今や大学1年生は1995年生まれで、生まれたときからポケモンがあった世代です。赤・緑の次は青。このあたりのシリーズで主人公が旅する町の名を思い出させます。大学1年生には「ポケモン赤、緑、青」など古すぎて、親に聞かされる昔話のようなものですが。

 初期の赤緑シリーズの町の名前。「トキワシティ」「ニビシティ」「ハナダシティ」「クチバシティ」「シオンタウン」「タマムシシティ」「セキチクシティ」「ヤマブキシティ」「グレンタウン」「ダイダイ島」
 金銀シリーズの町の名前「キキョウシティ」「ヒワダタウン」「コガネシティ」「アサギシティ」「タンバシティ」などなど。

 「これらの町の名が何から命名されているか、共通点を調べて発表しなさい」というのが、「発表課題をどうやって見つけたらいいかわからない」と訴える「自分で課題を見つけることができない1年生」に与える最初の課題です。先生が黒板に書いたことを一生懸命ノートに書き写して、教科書とノートを丸暗記してそれを試験に書いてよい点をとる、という勉強法で高校生活をおくった「私は勉強ができる」という学生には、自分で「おもしろいと思う日本語」を探し出す能力が不足しているのです。

 私は英語落ちこぼれ学生でした。落ちこぼれだから「どうして日本語には妹と姉の区別があるのに、英語はsisterだけなのか」とか「どうして英語はa penとかan apple」と、「一個のりんご」と表現しなければいけないのか」とか、英語には日本語から見たら不思議な言い方がたくさんありました。そんなことを不思議に思わずにひたすら暗記しなければよい点が取れないから、落ちこぼれてしまったのです。

 英語とは無縁に生きるつもりで国語教師になったのですが、日本語教師に転身後は、英語を学び直しました。言語学や英語学を学んで基礎を知ると、英語もおもしろい言語だと思えるようになりました。
 今の大学生、「なぜ?」と、問うことをせず、自分で課題を見つけ出す力がない者が多々見受けられます。

 ポケモンの町の名、初期の町の名は多くが「和語の色彩名詞」です。
 以下のサイトをみせて、和語の色彩名詞を確認させます。常磐色、鈍色、縹色、朽葉色、紫苑色、玉虫色、石竹色、山吹色、紅蓮色、橙色、桔梗色、檜皮色、黄金色、浅黄色、丹波色など、、、、

和語色彩名詞を並べているサイト
http://www.colordic.org/w/

 え~、色の名前だったんだあ、と学生は納得します。
 古代には四色しかなかった色彩名詞が、渡来人の染織技術を取り入れる過程で色の名が増え、さらに日本独自の染織技術の発達で、江戸時代には茶色、鼠色(灰色・グレイ)だけで何十色もの色の名前があり染め分けられていました。銀鼠、素鼠、源氏鼠、絹鼠、薄墨、錫、鉛、消し炭、、、、、土色、枯茶、枇杷茶、芝翫茶、路考茶、団十郎茶、渋紙、胡桃、狐、柿茶、栗茶、、、、

 和語から外来語に移行する色彩名詞も多い。桃色よりピンク、橙色よりオレンジ色のほうが、一般的になりました。
 紺ではなく、ネーヴィーブルーというほうが通りがよいとすると、「♪紺碧の空~」を歌う早大生は「コンペキ」がどんな色なのか知らずに歌っているのだろうし、「亜麻色の髪」をずっと「甘い色」だと思い込んで歌っていた、という学生もいました。

 現在、JIS規格で用いられている色彩名詞は、500色くらいになっていますが、臙脂(えんじ)色、煉瓦(れんが)色、紅殻(べんがら)色などの色の名も、若い世代にはさっぱり伝わらない色になっています。
 色彩名詞も世に連れ、人につれ、のようです。

<つづく>
2013/06/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(7)色の形は色即是空

 「色」は古今集には、それこそ「いろいろと」出てきます。
(紀貫之) 君恋ふる涙しなくは 唐衣むねのあたりは色燃えなまし古今集572
 (紀貫之)色もなき心を人にそめしより うつろはむとは思ほえなくに古今集729
(小野小町)色見えでうつろふものは 世の中の人の心の花にぞありける古今集797

 平安の「ふみ交わし合う仲」の恋人たちは、相手の顔を見るまえに、まず相手の「色好み」はどんなふうか、手紙の紙の選びよう、文字の散らしよう、添えてある枝や花の色具合、すべてから推測します。好みがあうとわかってOKならば、顔も知らないまま、まずは会う。「会う」とはすなわちベッドイン。会っての後に、もっと恋しくなるかどうかは、相手しだいでした。相手の「色好み」と合わなければ、それっきり「後朝のふみ」もぞんざいになるのです。

 「色好み」というのも若い人には伝わらない和語になっています。平安時代の色好みと江戸時代の色好みはだいぶニュアンスが違っていますが。

 もとの漢字「色」とは、どのような意味をあらわしていたのでしょうか。

 小学生向けに象形文字の成り立ちなどを教える漢字の本が出版されています。
 私は、留学生向けの「漢字のもとの形」を示し英語で説明が書かれている参考書を利用しています。「鳥」という漢字は、こういう鳥の絵からできている、とか、「美しい」という漢字は、羊の顔の絵から出来上がった「羊」と「大きい」を組み合わせて、古代の中国人にとって「羊が大きいこと」が「うつくしい」ことであったとか説明しています。

 「色」の解説には、あれま、説明をどうしようと一瞬考えてしまいました。

 「色」という漢字の語形のもとになった絵は。
 「男と女が、後背位で重なり合う姿」だったのです。下の巴は、ひざまずいている人、上のクのところはその上に覆い被さっている人です。
 「色」の意味説明、英語解説では、第一義が「Sex」

 小学館『現代漢語例解辞典』の説明では「ひざまずく人の上に人がいるさまで、男女間の情欲の意をあらわす」とあります。大修館の『現代漢和』では「ひざまずく人の形。ひざまずく人の上に人があるさまから男女の情愛の意味を表す。転じて顔色、いろどりの意味を表す

 甲骨文字では、人の姿には見えないですけれどね。元の絵文字はちゃんと人が重なり合ってみえました。
ウィキショナリの引用。

 女子高校で平安古典文学など学んでいたころ、先生は「色好みというと好色のことかと短絡する人もいるだろうが、そうではない。色好みとは、恋愛の情趣をよく解することを言うのだよ」と強調していました。「色好み」を「風流・風雅な方面に関心や理解があること」という典雅な意味合いのほうに引き寄せていました。
 そして、「情事を好むこと。また、その人。好色漢」とか「遊女などを買うこと」という、江戸文学ではおなじみの意味のほうはスルーされました。女子高校生にとって、そっちの方が重要だったのに。

 6月13日木曜日の漢字の授業で、「色」を教えたとき、「あえて」字源にはふれずに書き順の説明、音読み訓読みの熟語の説明で先に進もうとしたら、オーストラリアのジェイさんは「先生、恋人たちの説明もしてください」と、字源の説明を要求しました。「This kanji represents two lovers hold each other. It also shows the color of love showing on their faces,so it become used to mean colore.」という英文解説をすでに予習していたのでした。

 「あらま、お望みとあらば」と、わかりやすい絵文字にして説明したら、日本人女性と結婚しているジェイさんは満足げに書き取りをはじめ、未婚の美人タジキスタン人は顔を赤らめていました。

 授業で実際に「色」の解説をしたのは、今回が初めてだったのです。いつもは書き順だけ説明したら、さっさと先に進みます。
 はい、この字の訓読みは「いろ」です、colerをふたつ重ねると、「いろいろな」になって、many colows=various。various flowerは、「いろいろな花」です。なんてことで終わりにしてきたのですが。

 ま、全員成人のクラスですし、ジェイさんのほか、チュニジアの学生はセネガル人と結婚しているので、問題はないでしょう。昨今の授業ではうかつな発言はソッコー「セクハラ発言」と見なされるので、学生が自分から言い出すまで「あなたは結婚していますか」と訊ねることもできません。結婚しているかどうかというプライバシーに関することはこちらからは聞けないのです。モンゴルの学生は子どもがふたりいる母親であることを自分から話してくれたので、問題なかったですが、未婚の女性に結婚の話題は
、本人が言い出さない限りタブーです。

 岩波古語辞典(2版)では、色の語釈として「もとは色彩、顔色の意。転じて美しい色彩、女の容色。それに惹きつけられる性質の意から色情、その対象となる異性、遊女、常任。また色彩の意から心のつや、趣、様子、きざしの意に使う。別に仏教用語の色(シキ)形相の翻訳語」とあります。この語釈は、「色彩という意味がもとになって男女の情愛という意味が派生した」という解釈です。平安古典文学などから語義を解釈するとそうなるのでしょう。

 しかし、江戸時代の「色好み=男女の情交」というほうが、「色」という漢字の原義には忠実だったのです。
 漢字の原義を知ってみると、もともとは「後背位で重なり合う男と女」だったものが、のちに「いろどり」「色彩」を表すようになった、というほうが本当だと思います。

 さて、仏教用語の「色即是空」は、般若心経に出てくる経文のなかで、もっともよく知られ流布した語句のひとつです。
 「色(シキ)」は、「万物、この世にあるすべて」を表す語です。

(大辞泉)この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ
(大辞林)この世にあるすべてのもの(色)は,因と縁によって存在しているだけで,固有の本質をもっていない(空)という,仏教の基本的な教義(岩波国語)この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空であり普遍のものではないという意味 
(岩波古語)物質的存在はみな、因縁によって生じたもので、本来そのままの実有ではない。

 「色」を重ねた「いろいろ」がいつごろ成立した語なのかは、調べていませんが、「いろいろ」と言う語は、万葉集にはすでに「さまざまな色彩」という意味で使われています。

 大伴家持の長歌。長いので、最後の二行だけ読んで下さい。
(万葉集4254)蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ

反歌4255: 秋の花 種々(くさぐさ)にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ

我が大君 秋の花しがいろいろに 見したまひ」というのは、我が大王が、秋の花が色とりどりに咲いているのを見て~」という意味。

 古今集の「いろいろ」
詠み人知らず 縁なるひとつ草とぞ春はみし秋は色々の花にぞありける

 『源氏物語・澪標』には、「いろいろ」が「さまざまな、あれこれの」という意味で使われています。光源氏が明石にわび住まいし、住吉の神様にさまざまな祈りをささげる、という場面
 「君は、夢にも知りたまはず、 夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。」

 古典にあらわされる「いろいろ」も、ほんとうにいろいろです。

<つづく>
2013/06/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(8)カタカナ色彩名詞-ピンク色の研究

 色彩名詞、最後はカタカナの色名について。
 多くの色彩名詞和語が「死語」になりつつあるかわりに、ワインレッドだのサーモンピンク、スカイブルーなどが流行歌にも登場する。色彩名詞カタカナ語が繁殖しつつあります。

 ファッションの世界では、より新鮮な語感を持つことばが多くつかわれますから、服飾表現ではこれから先、ますますカタカナ語が多くなるでしょう。

  現在、JIS基準で用いられているカタカナ色名のうち、私にはどんな色なのか思い浮かばなかったカタカナ色名をあげます。

バーガンディー、ボルドー、マルーン、テラコッタ、バーントシェンナ、ローシェンナ、タン、エクルベイジュ、バフ、アンバー、バーントアンバー、ジョンブリアン、レグホーン、ウィスタリア、マゼンタなど。

 モーブ色は、林芙美子「放浪記」に「モーブ色の着物を着て」というような記述があって、どんな色か調べてわかったのでした。「灰色がかった青みの強い紫色」だそうで、おふみさんは、ずいぶんとハイカラな色の着物を着て、モダン都市東京を歩いていたのでした。

 和語の色彩名詞だと、たとえば、「千歳緑(ちとせみどり)」なんて聞くと、今まで知らなかった色でもなんとなくイメージがわくものもあるし、新橋色なんて、どんな色なのか、色見本を見るまでわからないものもあります。

 カタカナ色名でも、色を言われても検討がつかないものもあるし、想像できる色もあります。オーキッドは蘭の意味だとわかって色が想像できるようになりました。タンの色というのは、牛タン tongueのことかと想像したのですが、なめし革tanのことでした。

 ただし、それそれの色にまつわるイメージは人それぞれでしょうね。
 たとえば、「セピア色の青春」なんてきくと、過ぎ去った日々が色あせた写真の中に残されている、という雰囲気がします。

 そういえば、先日見たシャーロックホームズのリメイク作品、「シャーロック」では、『緋色の研究  A Study in Scarlet)』は、「A Study in Pink」というタイトルで翻案されていたので、日本語タイトルもそのまま「ピンク色の研究」

 ピンク色の研究っていうと、いったい何を研究するのやら、という語感が日本語につきまといます。
 「ピンク映画」というのは、どんな内容の映画を想像しますか?駅前で「ピンクちらし」を配られた、といえば、どんな内容のちらしでしょうか。イメージできない方、清廉潔白な人生をおすごしです。

 オレンジ色のオレンジが、果物であるように、ピンク色のピンクとは、英語辞書によれば、語義のひとつは、「なでしこ」「石竹の花」のこと。(今回引いたのは、ライトハウス1995)
 花の名がもとになって、「なでしこ色」「せきちく色」という色名になった日本語と同じ発想です。そして、英語で「ピンク映画」を表すのは、「ブルーフィルム blue film」です。「ピンクムービーpink movie」と言っても意味が伝わりません。

 もとは「なでしこの色」であった「ピンク」がどうして「性的な意味合い」を含むほうへと意味拡大されたのか。ピンクが日本語の「桃色」の代用にされたからです。
 和語の「桃色」には、「男女間のまじめさを欠く交渉を言う語(例語)桃色遊技」(『岩波国語辞典4版』)などという意味合いがもともと含まれていたのです。

 果物の桃は、桃太郎がその中から誕生したように、古来「尻」の形の象徴であり、性的横溢を含む生きて行くエネルギーの象徴でした。したがって、「性的な放縦」がその「桃」の意味に含まれるのは、必定でありました。桃色も当然、そういう意味に解されます。

 「ピンク」は、「桃色」の「性的な意味合い」を引き継いだのです。ピンクチラシを駅前で配られると気恥ずかしいのは、ピンクの罪じゃありません。
 色っぽい笑顔をふりまく美女の写真が並べられて「業界一安い!」なんて惹句のあるチラシを受け取ったら、堂々とながめて、「これは、なでしこたちの笑顔なのだ」と、とくとと見入ってください。
 私には「もっと米軍に活用して欲しい」などとは決して言いたくないですが。

 会田誠の傑作「鶯台図」
 鶯谷に張られていたピンクチラシを集めて桜満開の図にコラージュし作品です。(部分)


 撮影禁止のところをこっそり撮って拡大しているので、ちょっとボケて撮れていますが、この惚け具合が興味をそそるかも。
 もっとはっきり見たい人は、鶯谷駅前でチラシを集めてください。

 以上、「ピンク色の研究」でした。

 漢字「色」のもとの形は、後背位の交わり。
 「色即是空」の「色シキ」は「この世の万物」
 そして、「いろ」は、さまざまないろあい、色彩。「色好み」は情交を好むこと。
 「いろいろ」は、さまざまな、あれこれの。
 レインボーカラーは「どんな色もみんなの色」

 世界に色々な国があり、いろいろな人がいて、いろいろな好みがある。
 「いろいろな」という和語が生き残っていきますように。

 次回から会田誠展について
 
<おわり>