春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭2010年総目次

2010-12-31 | インポート
ぽかぽか春庭2010年総目次

2010年1月 目次
01/01 春庭十人十色日記01>新年寅年(1)新年おめでとうございます
01/02 新年寅年(2)虎の子のゆくえ
01/03 新年寅年(3)時代を駆ける-駅伝を見ながら
01/04 新年寅年(4)復路リユース
01/05 新年寅年(5)復路リデュース
01/06 新年寅年(6)復路リサイクル
01/07 新年寅年(7)留学生新年会
01/08 新年寅年(8)自慢料理を作って食べよう会
01/09 新年寅年(9)日本人の家を見よう会

01/10 春庭2003おい老い笈の小文>あいうえお自分語りリユースリサイクル(1)やちまた
01/11 あいうえお自分語りリユースリサイクル(2)椿の海の記
01/12 あいうえお自分語りリユースリサイクル(3)日本の原像
01/13 あいうえお自分語りリユースリサイクル(4)遠くへいきたい
01/14 あいうえお自分語りリユースリサイクル(5)個人的な体験
01/15 あいうえお自分語りリユースリサイクル(6)曠野から
01/16 あいうえお自分語りリユースリサイクル(7)どくとるまんぼう航海記
01/17 あいうえお自分語りリユースリサイクル(8)光と翳の領域
01/18 あいうえお自分語りリユースリサイクル(9)えぞ松の更新
01/19 あいうえお自分語りリユースリサイクル(10)ランボオ
01/20 あいうえお自分語りリユースリサイクル(11)妻たちの二・二六事件
01/21 あいうえお自分語りリユースリサイクル(12)歴史を紀行する
01/22 あいうえお自分語りリユースリサイクル(13)コルシア書店の仲間たち
01/23 あいうえお自分語りリユースリサイクル(14)余白の春
01/24 あいうえお自分語りリユースリサイクル(15)日本の悪霊
01/25 あいうえお自分語りリユースリサイクル(16)ロンリーウーマン
01/26 あいうえお自分語りリユースリサイクル(17)言語学の散歩
01/27 あいうえお自分語りリユースリサイクル(18)熱海殺人事件
01/28 あいうえお自分語りリユースリサイクル(19)寵児
01/29 あいうえお自分語りリユースリサイクル(20)花粉航海
01/30 あいうえお自分語りリユースリサイクル(21)自然と人生
01/31 あいうえお自分語りリユースリサイクル(22)岬


2010年2月 目次
02/01 2003おい老い笈の小文>あいうえお自分語りリユースリサイクル(23)それから
02/02 あいうえお自分語りリユースリサイクル(24)花のある遠景
02/03 あいうえお自分語りリユースリサイクル(25)秀吉と利休
02/04 あいうえお自分語りリユースリサイクル(27)権力と芸術
02/05 あいうえお自分語りリユースリサイクル(28)ニューギニア高地人
02/06 あいうえお自分語りリユースリサイクル(29)俺は日本兵
02/07 あいうえお自分語りリユースリサイクル(30)一葉日記
02/08 あいうえお自分語りリユースリサイクル(31)友が皆、我よりえらく見える日は
02/09 あいうえお自分語りリユースリサイクル(32)元始女性は太陽であった
02/10 あいうえお自分語りリユースリサイクル(33)働く女と元始の太陽
02/11 あいうえお自分語りリユースリサイクル(34)印度放浪
02/12 あいうえお自分語りリユースリサイクル(35)林住期放浪
02/13 あいうえお自分語りリユースリサイクル(36)楢山節考
02/14 あいうえお自分語りリユースリサイクル(37)姥捨て山
02/15 あいうえお自分語りリユースリサイクル(38)楢山と蕨野行
02/16 あいうえお自分語りリユースリサイクル(39)もの食う人々
02/17 あいうえお自分語りリユースリサイクル(40)ボッコちゃん
02/18 あいうえお自分語りリユースリサイクル(41)年の残り
02/19 あいうえお自分語りリユースリサイクル(42)仮面の告白
02/20 あいうえお自分語りリユースリサイクル(43)市ヶ谷河町の病院で
02/21 あいうえお自分語りリユースリサイクル(44)トランスジェンダー
02/22 あいうえお自分語りリユースリサイクル(45)霊長類ヒト科動物図鑑
02/23 あいうえお自分語りリユースリサイクル(46)霊長類ヒト科さまざま
02/24 あいうえお自分語りリユースリサイクル(47)リサイクル終了

02/25 春庭インターナショナル食べ放題>エスニックめぐり10年02月(1)北欧料理と西安料理
02/26 エスニックめぐり10年02月(2)カンボジア料理
02/27 エスニックめぐり10年02月(3)居酒屋で3回転半

02/28 あいうえお自分語りリユースリサイクル残り物(俳句ソフト風流)


20103月 目次
03/01 春庭十人十色日記3月>災害(1)大雨洪水
03/02 災害(2)洪水のあと
03/10 災害(3)捨てる
03/18 災害(4)復活までもうちょっと

03/23 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(1)つちふる
03/25 プレ復活祭春のことば(2)春霖
03/27 プレ復活祭春のことば(3)施無畏


20104月 目次
04/01 春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(1)ブランコ
04/02 鞦韆考(2)由佐波利ゆさはり
04/03 鞦韆考(3)春宵一刻値千金
04/04 鞦韆考(4)嵯峨天皇のブランコ
04/05 鞦韆考(5)ゆあーんゆよーんゆやゆよん
04/06 鞦韆考(6)をとめすさび
04/07 鞦韆考(7)白いブランコ
04/08 鞦韆考(8)春の祭典
04/09 鞦韆考(9)ふらここ
04/10 鞦韆考(10)秋千

04/11 春庭インターナショナル食べ放題>ごはん食べた?(1)吃了飯[口馬]?チーラファンマ?
04/13 ごはん食べた?(2)戦下のレシピ
04/14 ごはん食べた?(3)満州火鍋
04/15 ごはん食べた?(4)19世紀末イギリス荷馬車屋の食事
04/17 ごはん食べた?(5)たのしみは
04/18 ごはん食べた?(6)今朝の麺麭
04/20 ごはん食べた?(7)いつまでもデブと思う、、、よ
04/23 ごはん食べた?(8)タケノコ生活
04/24 ごはん食べた?(9)ボナペティ

04/25 春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(1)女とホウキ
04/27 おんな偏(2)女と母木
04/29 おんな偏(3)かかあ天下
04/30 おんな偏(4)女性と婦人


2010年5月「目次」
05/01 春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(5)ウーマン
05/02 おんな偏(6)女と密約

05/03 春庭ことばのYa!ちまた>5月3日の確認

05/04 春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語de作文「罪と罰」(1)刑務所の定義
05/05 日本語de作文「罪と罰」(2)刑務所の定義つづき
05/07 日本語de作文「罪と罰」(3)案の定

05/08 春庭言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>ふりがな考(1)看護師試験の日本語
05/09 ふりがな考(2)ルビ=ふりがな
05/11 ふりがな考(3)山サンやま

05/13 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>新常用漢字(1)羞恥心
05/14 新常用漢字(2)漢字読みテスト挨拶
05/15 新常用漢字(3)漢字読みテスト玩ぶ
05/16 新常用漢字(4)漢字読みテスト手頃
05/18 新常用漢字(5)漢字読みテスト旦那
05/19 新常用漢字(6)漢字読みテスト比喩的

05/21 春庭ことばの知恵の輪>新語旧語死語生き語(1)ぐいち
05/22 新語旧語死語生き語(2)よい一墻を
05/23 新語旧語死語生き語(3)四葉胡瓜と紅娘

05/25 春庭ことばのYa!ちまた>日本語でどづぞ2(1)サヌい氏は存在するか
05/27 日本語でどづぞ2(2)孫と侍
05/28 日本語でどづぞ2(3)どゆしていますか

05/29 春庭ことばのYa!ちまた>アーユーハッピー?(1)幸い
05/30 アーユーハッピー?(2)幸福


ぽかぽか春庭「目次2010年6月」
06/01 春庭十人十色日記2010>ケニアからの便り(1)去年のジャイカニュース
06/02 ケニアからの便り(2)ケニアではモテ女
06/04 ケニアからの便り(3)30年前の手紙

06/05 春庭フリースペースちえのわ赤道日記1979-1980>1979年のケニア便り(1)はじめての飛行機
06/06 1979年のケニア便り(2)マニラのトイレ、カラチの市場
06/08 1979年のケニア便り(3)ドバイ
06/09 1979年のケニア便り(4)ナイロビへ
06/11 1979年のケニア便り(5)ナイロビの迷子
06/12 1979年のケニア便り(6)ナイロビ・ダウンタウン
06/13 1979年のケニア便り(7)マサイ族の踊り
06/15 1979年のケニア便り(8)動物孤児院
06/16 1979年のケニア便り(9)ケニヤッタ病院
06/18 1979年のケニア便り(11)ナイロビ博物館
06/19 1979年のケニア便り(12)ダウンタウン・キコンバ
06/20 1979年のケニア便り(13)ボーマス・オブ・ケニア
06/22 1979年のケニア便り(14)駅おじさんのケニア旅行
06/23 1979年のケニア便り(15)スラム街キコンバ散歩
06/25 1979年のケニア便り(16)YWCA
06/26 1979年のケニア便り(17)ホシノスクール
06/27 1979年のケニア便り(18)ホームヴィジット
06/28 1979年のケニア便り(19)ナイバシャ湖
06/29 1979年のケニア便り(20)赤道の日々
06/30 1979年のケニア便り(21)ケニア日誌


ぽかぽか春庭2010年7月「目次」
07/02 春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(1)紫陽花公園
07/03 再録・紫陽花(2)オタクサ
07/04 再録・紫陽花(3)あじさいの漢字表記
07/06 再録・紫陽花(4)白居易の紫陽花
07/07 再録・紫陽花(5)あじさいとライラック
07/09 再録・紫陽花(6)遣唐使とあじさい
07/10 再録・紫陽花(7)牧野富太郎のアジサイ

07/11 春庭ことばのYa!ちまた>アンゼリカ(1)蕗とスタルヒン
07/13 アンゼリカ(2)スタルヒン一家のお話
07/14 アンゼリカ(2)二人静

07/16 春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(1)レミとネロ
07/17 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(2)ネロの受容
07/18 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(3)ネロとアロア
07/19 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(4)ネロの時代
07/20 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(5)女流作家ヴィーダの時代
07/21 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(6)立身出世の時代
07/23 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(7)アニメ版フランダースの犬
07/24 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(8)御霊信仰
07/25 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(9)パトラッシュの昇天
07/26 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(10)パトラッシュは不滅です
07/27 日本児童文学における外国文学移入の受容と変容(11)おわりに

07/28 春庭インターナショナル食べ放題>夏の食べまくり(1)ホテルニューオータニの庭
07/29 夏の食べまくり(2)ザ・スカイ
07/30 夏の食べまくり(3)地中海料理カルタゴ
07/31 夏のたべまくり(4)踊ってパスタ


2010年8月目次
08/01 春庭言海漂流ことばの海を漂うて> 融合文化の歴史-隠れキリシタンのオラショ中心として-(1)融合文化
08/03 隠れキリシタンのオラショを中心として-(2)外来文化と日本
08/04 隠れキリシタンのオラショを中心として-(3)オラショ
08/06 隠れキリシタンのオラショを中心として-(4)どちりなきりしたん
08/07 隠れキリシタンのオラショを中心として-(5)あべまりあ
08/08 隠れキリシタンのオラショを中心として-(6)さるべれじいな
08/10 隠れキリシタンのオラショを中心として-(7)追加考察
08/11 隠れキリシタンのオラショを中心として-(8)悪人正機
08/13 隠れキリシタンのオラショを中心として-(9)罪
08/14 隠れキリシタンのオラショを中心として-(9)長安の留学僧空海

08/15 春庭ことばのYa!ちまた>今日の確認

08/17 春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(1)東京湾大華火
08/18 夏のおでかけリポート(2)大江戸銘華競演
08/20 夏のおでかけリポート(3)海の哺乳類展
08/21 夏のおでかけリポート(4)自由研究in博物館
08/22 夏のおでかけリポート(5)自由研究の勾玉

08/24 ぽかぽか春庭十人十色日記>夏休み自由研究(1)アラビアンナイトのアンバル
08/25 夏休み自由研究(2)「龍涎香」
08/27 夏休み自由研究(3)「龍涎香」を拾うコツ
08/28 夏休み自由研究(4)科博が好きなわけ

08/29 春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(6)箱根
08/30 夏のおでかけリポート(7)強羅
08/31 夏のおでかけリポート(8)大涌谷と芦ノ湖


ぽかぽか春庭2010年9月「目次」
09/01 春庭ことばのYa!ちまた>家庭の幸福は諸悪の、、、(1)家庭の幸福
09/03 家庭の幸福は諸悪の、、、(2)富嶽百景

09/04 春庭言海漂流記・葦の小舟ことばの海を漂うて>富士には月見草がよく似合う-太宰治の父と乳(1)富嶽百景のころの太宰
09/05 富士には月見草がよく似合う-太宰治の父と乳(2)裏切りの中で
09/07 太宰治の父と乳(3)父~師・井伏鱒二「富士には放屁がよく似合う」
09/08 太宰治の父と乳(4)ある先輩
09/10 太宰治の父と乳(5)代理父と代理母
09/11 太宰治の父と乳(6)母~妻・石原美知子「まっしろい水蓮の花の富士」
09/12 太宰治の父と乳(7)月見草の富士
09/14 太宰治の父と乳(8)生まれてすみません
09/15 太宰治の父と乳(9)新しい生活へ
09/17 太宰治の父と乳(10)重荷を負うて
09/18 太宰治の父と乳(12)下降志向
09/19 太宰治の父と乳(13)あとがき

09/20 春庭十人十色日記>2010年9月(1)9月の日曜日

09/22 春庭ことばのYa!ちまた>春庭英語レッスン(1)ホテルカリフォルニア
09/22 英語レッスン(2)ホテルカリフォルニアの英語
09/23 英語レッスン(3)Hotel  California 訳詞
09/24 英語レッスン(3)ホテルカリフォルニアの英語
09/25 英語レッスン(3)意志動詞

09/26 春庭ニッポニアニッポン教師日誌>日本食文化体験(1)合格祝い
09/27 日本食文化体験(2)寿司屋ランチと東京狭小住宅見学
09/28 日本食文化体験(3)なんちゃって茶道教室
09/29 日本食文化体験(4)すき焼き

2010年10月 目次
10/01 春庭ことばのYa!ちまた>英語教育2(1)英語教育について再び
10/02 英語教育2(2)英語と日本語は言葉の仕組みが違う
10/03 英語教育2(3)漢字教育と英語教育
10/05 英語教育2(4)漢字表記を全廃できるか
10/06 英語教育2(5)日本語は滅びるのか
10/08 英語教育2(6)母語シャワーを浴びる

10/08 ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(1)ヤバイ?
10/09 日本語の変化(2)ナマソバ?
10/10 日本語の変化(3)死語は変化しない
10/11 日本語の変化(4)消える言語生き残る言語
10/12 日本語の変化(5)生きている日本語

10/13 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>春庭の漢字授業(1)文字表記
10/15 春庭の漢字授業(2)絵文字から発音表記へ
10/16 春庭の漢字授業(3)絵文字から表語文字へ
10/17 春庭の漢字授業(5)音と意味の組み合わせ
10/19 春庭の漢字授業(6)ベトナムも韓国も「公園」は「公園」
10/20 春庭の漢字授業(6)花の指導
10/22 春庭の漢字授業(7)草からチェンジ!で花になる
10/23 春庭の漢字授業(8)斧で立ち木を切ると新しい薪ができる
10/24 春庭の漢字授業(9)犬をかいます
10/26 春庭の漢字授業(10)愛人が暗算する
10/27 春庭の漢字授業(11)同音異義語
10/29 春庭の漢字授業(12)薔薇や顰蹙書けなくても、、、
10/30 春庭の漢字授業(13)漢字の楽園
10//3 春庭の漢字授業(14)こうせいへの日本語



ぽかぽか春庭2010年11月「目次」
11/02 春庭十人十色日記>Tシャツの次の日ドテラを着る十月(1)コケました
11/03 Tシャツの次の日ドテラを着る十月(2)クレジットカードおとした

11/05 春庭十人十色日記>大人の遠足(1)上野公園
11/06 大人の遠足(2)黒田記念館
11/07 大人の遠足(3)こども図書館・芸大銀杏

11/09 春庭@アート散歩>秋のアート散歩(1)芸大・赤レンガ館、陳列館
11/10 秋のアート散歩(2)ドイツ歌曲コンクール
11/12 秋のアート散歩(3)西洋美術館デューラー展
11/13 秋のアート散歩(4)渋沢史料館

11/14 春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(1)立ち飲み平澤かまぼこ店
11/16 飲むか、飲まないか、それが問題だ(2)こうとうバレエフェスティバル
11/17 飲むか、飲まないか、それが問題だ(3)オペラと焼き鳥
11/19 飲むか、飲まないか、それが問題だ(4)我が家のペットに乾杯!
11/20 飲むか、飲まないか、それが問題だ(5)来年はうさぎ年 
11/21 飲むか、飲まないか、それが問題だ(6)頭はコレオスパイラル
11/23 飲むか、飲まないか、それが問題だ(7)乾杯はおあずけだけれど、くじけないで、、、、

11/24 ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語学・音響音声学(1)池上彰式
11/26 音響音声学(2)専門外
11/27 音響音声学(3)モスキートーン
11/28 音響音声学(4)オギャア~は440ヘルツ
11/30 音響音声学(5)人の声の周波数


ぽかぽか春庭「目次」2010年12月
12/01 ニッポニアニッポン語教師日誌>音響音声学(6)民族楽器の音色
12/02 音響音声学(7)古楽器、新楽器
12/03 音響音声学(8)アウニマコ
12/04 音響音声学(9)環境音響学

12/05 ニッポニアニッポン語教師日誌>ことばあそび(1)「音節文字遊び」
12/07 ことばあそび(2)「名前で回文まさこさま」
12/08 ことばあそび(3)「名前で回文、坂本龍馬」
12/10 ことばあそび(4)「名前で回文安藤美姫」

12/11 ことばのYa!ちまた>コピペ(1)編集とコピペ
12/12 コピペ(2)作文コピペ
12/14 コピペ(3)コピーとインスピレーションとオマージュ
12/15 コピペ(4)王の道と雨ニモマケズ
12/17 コピペ(5)ヘロドトスと宮沢賢治 
12/18 コピペ(6)インスピレーションと再創造

12/19 ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(1)ビナードという名の発音
12/21 アーサー・ビナード講演会(2)英語と日本語・ふたつの言葉で
12/22 アーサー・ビナード講演会(3)スパイダープラントと折り鶴蘭
12/23 アーサー・ビナード講演会(4)泥のイメージ
12/24 アーサー・ビナード講演会(5)ホットケーキできあがり
12/25 アーサー・ビナード講演会(6)所有格「の」ハッピーホリデイ

12/26 ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(1)クリスマスキャロル
12/27 歳末忙中ほっこり(2)夢の国で年忘れ
12/28 歳末忙中ほっこり(3)ダンスィング忘年会
12/29 歳末忙中ほっこり(4)オペラおでん
12/30 歳末忙中ほっこり(5)あたたかい年の暮れ
12/31 歳末忙中ほっこり(6)よいお年を

ぽかぽか春庭「よいお年を」

2010-12-31 | インポート
2010/12/31
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末雑感(6)よいお年を

 2010年、持病悪化やら漏水事故やら悪いこともいろいろあったけれど、きっとそれは塞翁が馬、禍福糾える縄のごとしだと思うし、姑を連れての箱根温泉旅行など、楽しい思い出もたくさん残すことができました。

 春庭コラムを読んでくださった方々、ありがとうございました。拙い論考や雑文にあたたかいコメントをくださった皆様、ありがとうございました。

 みなさまの来る年も、すばらしい1年になることをお祈り申し上げます。
 皆様、よいお年を!

<おわり>

ぽかぽか春庭「あたたかい年の暮れ」

2010-12-30 | インポート
2010/12/30
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(5)あたたかい年の暮れ

 去年から火が付くときに「ボ~ボッ」と大きな声をだし、不完全燃焼しているのではないかと恐くなった石油ストーブ。「不完全燃焼して酸欠死する前に買い換えよう」と12月早々に新しい石油ファンヒーターを買ってきました。
 自治会販売の灯油購入チケットも買ってきたのに、12日日曜日の朝、石油販売車が回ってきたのに気づかず、19日、ようやく石油ゲット。暖をとる初日が12月19日になりました。年末年始、あたたかい夜を過ごすことができます。

 ボーナスもないわが家ですが、石油ストーブのほかにも年末の買い物がありました。プリンターがないと仕事にならないので、新しいプリンターを買うことにしたのです。
 夏からプリンターの調子が悪く、コピー機能が壊れてしまっていたのをだましだまし使っていましたが、インク切れになったところで買い換えると決めていたのです。

 数年前に型落ちのヒューレットパッカードを買いました。本体が安いことは安かったのですが、インク代が高くて、結局新しい機種を買ったのより、割高な買い物になってしまった。安物買いの銭失いはいつものことですけれど。
 28日、池袋東口のビックカメラとヤマダ電機を往復して、どちらが安いか、インク代はどれがお得か、店員さんの説明をよ~く聞きました。どちらの店も店員さんの応対は丁寧です。悩んだ末にエプソンの型オチを選びました。最新機種は写真の印刷がきれいに出来るというのですが、わが家に必要なのは、白黒印刷の文書が早く大量に印刷できること、という息子の意見に従い、写真はきれいでなくてもよいからと、安いほうを買ったのです。これまた安物買いの銭失いになるかどうか。

 買い物を終えて、遅い昼ご飯というか早い夕ご飯かという中途半端な時間でしたが、ヤマダ電機(元池袋三越)の7階にあるレストラン街で中華を食べました。いつもなら中華屋ではラーメンに餃子くらいの注文ですが、息子の「延期していた誕生日&卒論提出祝い」なのでいつもよりはちょっと豪華に、といってもたいしたことのない「年末お得コース」というのを3人で食べました。

 全10品。前菜三種盛合せ、エビマヨネーズ炒め、白身魚の唐揚げ葱油ソースかけ、ブロッコリー入り四川風ホイコーロー、若鶏の唐揚げ葱油ソースかけ、肉団子中華海鮮鍋、自家製焼餃子、五目炒飯、野菜玉子スープ、杏仁豆腐。辛いものが食べられない娘は四川風回鍋肉はパス、息子は杏仁豆腐が嫌い、炭水化物を避けている私は炒飯を一口だけにしてと言う具合でそれぞれ食べられないメニューはあったものの、「フカヒレとかアワビとか北京ダックなどはないけれどまあまあおいしいね」と言いながら、大食いの娘も少食の息子も満足して食べました。

 家族一同雨露寒さを逃れて過ごすことができ、贅沢はできなくても飢えることはなく、病院通いしつつも寝付くほどの大病はしない。姑も85歳の日々を、耳が遠くなった足がおぼつかなくなったと言いながらも無事すごしている。ほんとうにありがたいことと思いながら2010年をすごすことができました。

 カフェ友の身の上に思いが及ぶと、ご家族の介護を続けていらっしゃる方、年末に交通事故にあって、持病の上にさらにつらい身体症状が加わった方、身体状況の改善を願って手術を受けたあと、逆に首から下がまったく動かなくなってしまい24時間介護の寝たきり生活を余儀なくされている方、それぞれのつらい状況に心が沈みますが、どうか、来る年がよい方へ向かうよう、祈らずにはいられません。

<つづく>

ぽかぽか春庭「オペラおでん」

2010-12-29 | インポート
2010/12/29
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(4)オペラおでん

 忙しい1年、忙しい12月でした。とはいえ、気分をほっこりさせたいときは、ジャズダンス踊るもよし、歌を聞くもよし。
 12月8日に、ダンス仲間のミサイルママに誘われて、「二期会オペラ研修所コンサート」に行きました。音楽大学や大学院を卒業した新人が二期会のオペラ研修所で研鑽を積み、3年間の研修の締めくくりとしてコンサートが開かれるのです。2010年のコンサートでは、54、55、56期の研修生が歌声を披露しました。

 皆、朗々とすばらしい歌声でした。男性はテノールが4人。女性はメゾソプラノが2人、14人のソプラノ。それぞれの得意のオペラアリアを2時間にわたって聞きました。オペラといえばよく知られたポピュラーなものしか聞いたことがない私には、はじめて聞く曲ばかりでした。合唱団に入っているミサイルママは、「あ、この曲練習したことがある」って曲もありましたが。
 フィナーレの出演者全員合唱のレハール「メリーウイドーワルツ」を観客もいっしょに歌いました。鼻歌ではなく、腹式呼吸で久しぶりに歌って楽しかった。
 
 オペラアリアを楽しんだあと、駅裏のおでん屋へ。「とにかく安いから」と、ミサイルママを誘ってみました。「オペラのあとは、ワインとイタリアン」などと発想しないところがミサイルママと私。
 先日yokoさんと初めて入って、穴蔵のようなスペースでおでんを食べるのが気に入ったので、また行ってみようと思っていたのです。

 ミサイルママも私も、牛丼屋でも蕎麦屋でも「おひとり様」で食べるのは平気なのですが、立ち飲み屋におっさんが居並ぶ中で、ひとりおでんを食べる勇気はないのです。中途半端に強いふたり。でも二人いっしょなら立ち飲み屋も平気!と、入って行きました。

 立ち飲みのオッサンたちが壁側とカウンター側に背中合わせに並んでいます。1メートルの幅もないところに背中と背中をくっつけて飲んでいる中、「すみませ~ん、太いのが通りま~す」と声をあげながら通り抜け、奥の狭くて小汚いスペースへ。この小汚さが平気な人、女性にはあまりいないけれど、大丈夫という人なら私と気が合うはず。
 おでん定食ふたつのほか、おでんの盛り合わせを一皿。私は生ビール、ミサイルママは燗をつけたコップ酒でよもやま話を楽しみました。

 ミサイルママの息子、演劇を続けている長男くん、「東京ディスティニーランド」という芸名を変え、「幸せの靴」という名にするのだという話。「36歳になっても演劇を諦めようとも定職をさがそうとも思わずに、続けていくって言うんだから、私もそういう息子を持ったんだから仕方ないと思って、普通のおばあちゃんになって孫のお守りとかするのは諦めるしかない」と言います。

 私も「大学4年の息子が大学院に合格して、来年4月には進学することになったんだ。博士号まで頑張るとしても、昨今のオーバードクター(ハカセ余り)で、たぶん就職はできないだろうね。でも、そういう息子を持ったんだから、仕方ないと思って研究を続けたいというのを応援するしかない」といい、互いに「フツーに孫の世話でもして暮らす老後」にはなれそうにない仲間同士、時には愚痴こぼし合って、ときにはダンスや歌を楽しんで生き抜きましょうと、励まし合いました。

 とにかく「安い!」ここなら、いつでも懐を気にせずに飲めるから、小汚い穴蔵が平気な人はごいっしょしましょう。

<つづく>

ぽかぽか春庭「ダンスィング忘年会」

2010-12-28 | インポート
2010/12/28
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(3)ダンスィング忘年会

 私が参加した忘年会、今年はひとつだけ。17日、所属しているジャズダンスサークルの忘年会でした。毎週金曜日の夜にダンスの練習をしている文化センターの向かい側に焼き鳥屋ができたので、今年はいつものチェーン居酒屋ではなく、ここを「お試し」してみよう、ということで、メンバー10人ほどで入店。

 飲めない人のほうが多いサークルの忘年会、3人はビールや日本酒を頼み、あとの人はウーロン茶で「今年一年お疲れ様」と乾杯しました。私、飲める方のひとりとして「生搾り柚サワー」を注文。生搾りというので、生の柚を自分で絞ったりするのかと思いきや、「生搾りゆず」という瓶ジュースをチャッチャと混ぜて作った酎ハイでした。

 忘年会の前に、文化センター学習室で、来年の活動案を審議しました。サークル会費を値上げするかどうか、発表会で踊る曲目は、どうするか、係の入れ替えで誰が何を担当するかの話し合い。

 一番たいへんなのは会計係。皆から集めた会費をまとめ、センターの会場費を払ったり、先生への謝金を渡したり。私はこの係、絶対に無理。計算ができず、整理整頓ができないので、必ずお金の帳尻が合わなくなる。
 私は今まで書記係として、スケジュール表を書いたり、サークル通信を書いたりしてきました。そろそろ他の係もやらなければということで、私は来年は発表会係をすることにしました。書記はK子さんに頼みました。ミサイルママは、副会長。

 来年の発表曲候補は、
・美空ひばり歌唱の「ペーパームーン」
http://www.youtube.com/watch?v=NDHnTRp-Ta8
・美空ひばり映像付き(ミュージックフェア録画)
http://www.youtube.com/watch?v=R35mt-kDDtU&feature=related

・アンスクエアダンス(デイブ・ブルーベック)
http://www.youtube.com/watch?v=iFqoPfP1KHc
・コパカバーナ(バリー・マニロー)
http://www.youtube.com/watch?v=b2f7281slDE&feature=related

 狭い店内でしたが、私たちのグループのほかは女性4人だけで、「昨今はやりの女子会だねぇ」と乾杯しました。今年もよく、踊った!
 来年早々には、私たちのジャズダンスサークルのメンバーのひとりが出演するミュージカル公演が赤坂区民ホールで行われます。私は土曜日の公演を見るのですが、ミサイルママは土曜日は仕事があるので金曜日夜に行くことにした、などの話で盛り上がりました。
 
 私はなぜかこの公演チケットを2枚注文したということで、2枚分の料金を支払いました。体調悪く忘年会に参加せずに帰宅したK子さんに、「私はなぜか2枚注文したことになっていたので、1枚K子さんにプレゼントします。1月15日のご都合良ければごいっしょにいかがですか」とメールをしたら「その1枚は私が注文した分です。11月3日に江東区バレエフェスを見たとき、いっしょにまとめて2枚申し込んだじゃないの」という折り返しのメールが。
 あはは、何でもかんでも忘れてしまう私の脳細胞。忘年会はその年の悪い出来事を忘れ、来る年に希望を託す会なのですが、私はいいも悪いも全部忘れてしまう。注文したのだから料金は払うというK子さんに、エジプト旅行のおみやげをいただいたり、いろいろしていただいたお礼だからとプレゼントを強要しました。

 去る年のあれもこれも、辛かったこと悲しかったこと苦しかったこと、踊って忘れてリセット。来る年はきっとよい年です。

<つづく>

ぽかぽか春庭「夢の国で年忘れ」

2010-12-27 | インポート
2010/12/27
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(2)夢の国で年忘れ

 21日で年内の授業を終えました。12月22日、久しぶりに娘息子といっしょに東京ディズニーランドへ出かけました。
 子供たちが小さい頃、バブル真っ盛りの時代で「一家で海外旅行へ行った」とか派手な家族サービスの話が飛び交うなか、自営業のわが家は貧乏続きでした。明日食べるごはんも定かでない生活で、親子4人での家族旅行というのは、1度もしたことがありませんでした。2年に1度くらいの割合で東京ディズニーランドに行くことが、家族ですごす最大の贅沢でした。娘と息子にとって、ディズニーランドは最高に楽しい場所となり、ディズニーリゾート大好きっ子になりました。
 
 息子が中学生になったくらいから、親抜きで娘と息子ふたりで、毎年春休み夏休み冬休みごとにディズニーランドやシーに出かけるようになり、「ディズニーファンクラブ」というのにも入会しました。「ディズニーファン」という雑誌が届けられ、年末にはキャラクター満載のカレンダーが届きます。ディズニーランドやシーの情報をせっせと集めて、グッズもいろいろ集めました。わが家のカップやハンドタオル類はほとんどがディズニーキャラクターの絵がついているものです。

 しかし今年は、息子の卒論執筆が終わるまでディズニーランドも「おあずけ」ということで、一度も出かけていませんでした。22日は、私も授業を終えたし、息子も卒論やレポートも提出できてほっとしたところでした。
 「母もディズニーランドへ行く?」と聞かれたので、「冬は一度出かけて寒くてふるえたので、いやだ」と言ってきたのを撤回して出かけました。幸い、22日は「11月並みの気温」という予報が出て、予報通り暖かな一日でした。零下20度にもなる中国東北地方にも着ていったダウンコートを着込み、毛糸帽子に手袋の完全冬装備で出かけたのですが、途中コートは脱いで過ごしたくらい日中は暖かでした。

 園内はさまざまなクリスマスデコレーションで飾られていました。入り口アーケードには巨大なクリスマスツリー。シンデレラ城にも大きなクリスマスリースが飾られています。一度真冬に出かけて、あまりの寒さに閉口して以来、私は冬には出かけたことがなく、ディズニーランドのクリスマスを見るのは初めてです。
 昼のパレード、午後のクリスマスパレード、夜のエレクトリカルパレード、ミニーのラテンダンスショウ、カントリーベアのクリスマスショウなどを楽しみました。復活したキャプテンEOも見て、若いマイケル・ジャクソンに再会。なつかしかった。

 久しぶりの私には、アトラクションもいろいろ新しいものがありました。シューティングライドゲームの「バズライトイヤー」というのをやってみました。トイ・ストーリーのキャラクターになって、乗り物に乗って移動しながら光線銃で的を撃つ、流鏑馬(やぶさめ)現代版みたいなゲームです。私は7500点獲得。レベル2でした。いっしょに乗り物に座っていた娘は何度もやっているので78000点もヒットしました。私はただ見えた的を撃っていたのですが、点数の高い的と低い的があるので、娘は一度に5000点も出る高い点数の的を狙った結果の高得点でした。

 あと、モンスターズインクのかくれんぼ、というニューアトラクション、これは娘と息子も初体験。ぐるぐる回る椅子にのって移動しながら、隠れているモンスターをライトで照らして捜し出すゲーム。

 最後におみやげ。私は紅茶缶。息子はマグカップ、娘はミニーのハート型マウスパッドを買いました。マウスパッドは、母へのプレゼント。ディズニーファンクラブ会員に用意されたスペシャルカードもゲットして、お昼ころに入園して、閉園近くまで楽しい一日をすごすことができました。シンデレラ城の前で待っていた夜の花火が「風のため中止」となってしまったのは残念でしたが、午後2時すぎの遅いお昼ご飯となったイーストサイドカフェでのクリスマスランチもおいしかったし、幼かった子供たちとすごした日々を思い返しながら、「夢の国」での年忘れ。大人になった娘息子と老親とですごすディズニーランドもいいものです。

<つづく>

ぽかぽか春庭「クリスマスキャロル」

2010-12-26 | インポート
2010/12/26
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(1)クリスマスキャロル

 2010年の年末、さまざまなクリスマスの楽しい夜が、子供たちの胸に残ったことを願っています。私にとっても、「クリスマス」は家族が共にすごすあたたかいイメージのことばです。
 戦後の物のない時代にも、貧しいながらせいいっぱい子供たちを喜ばせてくれようとしてくれた両親の思い出、、、、。
 結婚後、自営業夫の会社は倒産寸前、一家に明日食べていくお金もないという中で娘と息子にみすぼらしいプレゼントしかあげられず、それでも娘と息子はベランダに出て、「サンタさん、プレゼントありがとう」と、大きな声でお礼を言っていたときのこと、、、、。
 様々な年のクリスマスが思い出され、さまざまな言葉にまつわるイメージが去来します。

 今年のクリスマス、22日には、娘息子と東京ディズニーランドのクリスマスを楽しみました。25日には、友人の阿子さんと『クリスマスキャロル』を観劇しました。
 阿子さんとは、音読を希望する視覚障害者と朗読ボランティアとして、図書館朗読室で出会いました。阿子さんが希望する図書を指定し、一冊の本を数回に分けて朗読し、私も自分で選んでは読むことのなかった本と出会うことができました。

 阿子さんは観劇が趣味で、視覚障害者のための音声ガイド付き演劇上演を増やしていく活動を続けていました。私は朗読ボランティアの活動をしなくなったあとも、阿子さんとは個人的に友人としておつきあいを続け、観劇にも「外出ヘルプ」を兼ねてごいっしょしてきました。

 阿子さんはご主人の仕事の関係で2010年の秋に大阪へ引っ越しました。弱視者のご主人にとって、職場は限られたところしかなく、東京での仕事がなくなってしまったあと、活路を求めて大阪へ出て、半年ほど単身赴任をしていました。大阪で生活する決意を固め、阿子さんも東京から大阪のご主人のもとへ引っ越していったのです。

 引っ越し前に、年末には東京に一度戻ってくる、という連絡をもらっていたのですが、25日に東京に行く、という電話がありました。毎年阿子さんが楽しみに鑑賞を続けてきた劇団昴の公演『クリスマスキャロル』を、今年も見る予定だといいます。大阪から新幹線で東京へ向かい、そこから東池袋にある劇場へ行くというのです。「クリスマスキャロル見ませんか」というお誘いを受け、東京駅から池袋までの外出ヘルパーを引き受けました。

 『クリスマスキャロル』は、何度も映画化されていますし、劇団昴の公演も以前に阿子さんといっしょに見たことがあります。とてもよい公演だったので、もう一度見てみるのも悪くないし、阿子さんのガイドヘルパーをするのは、私にとってもとてもよい時間の過ごし方なのです。阿子さんは引っ越したばかりの大阪で、まだ自宅から離れたことのない生活を続けているのだそうです。

 新大阪から一人、新幹線で上京してきた阿子さん、駅員さんの案内で東京駅南乗り換え口に12時半すぎに着きました。私は東京から一つ目の有楽町へ行って有楽町線で東池袋へ行くルートが一番いいと提案したのですが、阿子さんの希望で山手線で池袋まで行くことにしました。ところが新宿駅構内での事故のため山手線は上野駅で止まってしまい、他の路線に乗り換えて下さい」という放送が入りました。仕方がないので、秋葉原まで戻り、飯田橋から有楽町線に乗り換えました。

 開演まで時間があったら、お茶飲もうかと言っていたのが、開演ぎりぎりに東池袋のアウルスポットに着きました。2時開演。
 視覚障害者のための音声ガイドが充実している舞台のため、阿子さんの盲学校時代の同級生のほかにも視覚障害者が観劇に来ていました。いつも昴の公演で見かける盲導犬を連れた方も来ていました。
 阿子さんと障害者の会で活動を共にしてきたケイ子さんは、隣の車椅子席に。阿子さんが大阪へ引っ越してしまうと言うので寂しがって泣いていたという阿子さんの学校時代のお友達2人は、私の後ろの席になりました。

 ディケンズの原作『クリスマスキャロル』は、世界でもっとも知られたクリスマスストーリーのひとつ。守銭奴のスクルージが、クリスマス一晩の出来事で心温かな人間に生まれ変わるという物語です。
 今回も、昴の公演は「視覚障害者用音声ガイド付」です。台詞だけで演劇を鑑賞する視覚障害の方のために、音声が聞こえず目に見なければわからない舞台上の動きを解説したイヤホンがあり、「未来の精霊が上手から登場し、声を出さずにスクルージの前に立つ」などの説明が入ります。

 阿子さんは、劇団昴が20年間年末の『クリスマスキャロル』を上演してきたうちの後半10年間は連続で毎年舞台を見ています。もう台詞も劇中歌もすっかり覚えているくらいですが、今年も楽しかったと言っていました。スクルージ役の金子由之はこの役を演じて4年目。他の役者もアンサンブルは抜群でした。
 終演後、役者と演出家によるトークショウがあり、観客からの質問に答えたり、稽古中のうちわ話も披露されました。アウルスポットでのクリスマスキャロルは今年で最後ということですが、毎年見ているという観客も多く、劇場を他に移しても来年も上演して欲しいという希望が観客から伝えられました。

今日26日の公演が千秋楽。
 昴の公演案内サイト
http://www.theatercompany-subaru.com/public.html

<つづく>

ぽかぽか春庭「所有格「の」ハッピーホリデイ」

2010-12-25 | インポート
2010/12/25 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(6)所有格「の」ハッピーホリデイ

 私は、ポワポワと綿毛が飛んでいく「たんぽぽ」というかわいらしい名前の花が、英語では「dandelionダンデライオン=ライオンの歯」といういかめしく強そうな名になってしまうことを知り、「英語を使う人は、どうしてこんなかわいい花からライオンをイメージするのだろう」と、不思議に思ったことがありました。もともとdandelionというのはフランス語からの直訳なのだそうですが。それともフランス語だと「ライオン」というのは日本語の獅子とは異なるイメージなのかしら。

 今までの自分が気づかなかった見方、考え方を知ることは、世界を広げ、自分を広げていくこと。母語ではない言葉を知るのは、「コミュニケーションの実用」だけを目的としてしまったら、「母語話者から見たらしょせん二流の話し手」に過ぎない自分を発見するだけに終わります。

 「そうじゃない。異言語を知ることは、自分を知ることなんだ、世界を知ることなんだ。」「多言語教育」のメッカのような外語大総合文化研究所と図書館との共催講演会だから言葉の大切さについて強調したのだということではなく、ビナードさんのいつもの信条をかたってくれたのでしょうが、ビナードさんからの「言語教育を仕事とする者へのエール」のような言葉を聞くことができました。

ビナードさんは、講演の最後にふたつの詩を読んでくれました。「摩天楼の建設」という英語の詩と「の」というビナード作の日本語の詩。「摩天楼の建設」は、またのちほど紹介したいと思います。今回は「の」という詩について。

 ビナード作の「の」という詩は、所有を表す言葉について。英語の「’アポストロフィ」と日本語の「の」を比べて、ビナードさんはこう感じました。
 「’」は「鉤」なので、所有物を引っかけたら決して落とさずに所有し続ける。個人のものは個人のもの。一方、日本語の所有格「の」は所有物を所有者につなぐけれど、ころころと丸まって転げていってしまうイメージ。

 所有格についてのイメージは、春庭も同じような感覚を持っていました。私のものはひとつ転がればあなたのもの。ころころと転がっていけばみんなのもの。

個人と所有物をかっちりと結びつけるアポロストフィS。Obama's carといえば、オバマが所有する車。一方、ゆるい所有の「の」。オバマが所有している車は「オバマの車」ですが、所有以外の意味にも使われます。アメリカで製造された車は「アメリカの車」、「車を製造する」は「車の製造」、大統領であるオバマは「大統領のオバマ」。「の」は、所有だけでなく、なんでも結びつける。
 しかし、「の」についてころころ転がっていくなんて発想をしたことはなかったので、日本語についてのイメージが広がった気分がして、とても嬉しい。

 所有することを表す所有の格助詞「の」
 「の」は、ころころ転がっていく。私のものはみんなのもの。みんなのものは私のもの。分かち合えば、「の」はどんどん転がっていって、人々をつなぐに違いない。

 私のアナタの彼のビナードのホットケーキの牛乳の牛の首のベルの音の響きの流れの時間の中の私。
 アーサー・ビナードに感謝。

 25日はクリスマス。「クリスマス」という外来語は、すでに日本語であり、多くの人にとってこの語にまつわる思い出やイメージが共有されています。言葉も誰のものでもなく、誰もが所有でき、誰もが独自のイメージを抱くことができます。

 クリスチャンにとってはイエスの降誕を祝う日ですし、キリスト教布教以前のヨーロッパ社会や、アジアその他の地域にとっては、太陽がもっとも衰えた後、復活していくのを祝う「冬至祭り」の日です。北半球のほとんどの地域がこの「太陽の復活」を農耕の祭りに取り入れています。冬至祭りのキリスト教的変形がイエス降誕祭。もともとは冬至の祭なのです。(今年の冬至は22日でした)

 皆々さまに「太陽の復活祝い」の喜びの気持ちを送ります。ハッピィホリデイ!メリークリスマス。祝!おひさま復活。おひさまの光と暖かさは誰のものでもなくて、誰でもが所有できます。

<おわり>

ぽかぽか春庭「ホットケーキできあがり」

2010-12-24 | インポート
2010/12/24 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(5)ホットケーキできあがり

 実際にものにふれ、物事の成り立ちを実感させなければならないということは、ビナードさんの信念です。これを子供に教えなければならないと考え、ビナードさんはエリックカールの「ホットケーキできあがり」を紹介しました。1970年のエリック・カール作品を2009年にビナードさんが初邦訳として出版した絵本です。

 出版社の絵本紹介によると、こんなお話。
==========
 朝一番に「きょうは、でっかいホットケーキがたべたいなぁ」と思ったジャック。でも、すぐには食べられません。ホットケーキにありつくまでには、たくさんの仕事が待っていました。まずは小麦を刈りとり、脱穀して粉にして、卵をとってきて、牛乳をしぼって、、、、身近な食べ物が口に入るまでの過程を、エリック・カール独特の色あざやかな絵で生き生きと描いた絵本。
==========
 ビナードさんは、エリックカールの絵本を紹介しながら、「これだとホットケーキ食べたいと思ってから食べられるまでに1ヶ月以上はかかります」と、笑わせます。
 すべてのことを自給自足で何でも自分でやらなければいけない、となったら、現代社会では生きていけないかも知れないけれど、食べ物がどうやって口に入るのかという基本を全く知らない子ばかりになったら、社会が変容してしまうのもわかる。「ホットケーキ食べたい」とママに一言いえば、すぐにバターをたっぷりのせたホットケーキが出てくるのは幸せな子供のようでいて、実はそうじゃない。

 「ホットケーキ」という言葉を簡単に操るのではなく、ひとつひとつを実感しながら、粉をふるい、鶏小屋から集めてきた卵や乳搾りをして牛さんに分けて貰った牛乳と混ぜ、いろんな人がいろんな形で一枚のホットケーキに関わっていることを知って食べる子がいたら、その子は「お手軽簡単ホットケーキ」をチンして食べる子よりずっと幸福です。自分で小麦の刈り取りやバター作りを汗水流して体験してから食べられるなら、どれほど幸福な子供でしょう。

 「言葉に依存しない」と、ビナードさんが言う内容、よくわかりました。実体験実感を伴わない言葉は空疎になるばかりです。
 詩人ビナードさんは、ことばの本質を見事にすくい取って私たちに教えてくれました。

絵本ナビサイトの「ホットケーキできあがり」紹介
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=29257

 モノは言葉を持ち、言葉はイメージを作り上げる。
 ビナードさんは、これら、母語とは異なる言葉のイメージ転換を子供の目を通して描いた絵本を出版したところです(2010年11月刊)。ビナード講演の中盤は、この絵本の紹介が続きました。『ことばメガネ』という絵本です。

 ビナードさんの経験した英語から日本語への「ものの見方の転換」をモデルに、日本語を母語とする少年が英語を知ることによって、語へのイメージを変えていく、というお話です。アーサー君の分身のリュージ少年がことばを見直します。日本語を話す少年が「えいごメガネ」という不思議なメガネをかけることによって、物の見方を広げていくようすを絵本で表現している作品です。八百屋の店先で、ナスが卵に変身してしまうのは、ナスは英語では「eggplant卵植物」と呼ぶから。横断歩道は縞馬になってしまいます。英語ではzebra zone, zebra crossingというので、zebraシマウマの身体の上を渡っていくイメージになります。

 最後のページでは、リュージ少年は、英語メガネだけでなく、イタリア語、タミル語、スワヒリ語、トルコ語、、、、、、、さまざまなメガネの中にいて、いろんな言葉のいろんな見方を知ることが出来そうだ、というところで絵本は終わります。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73915.html

<つづく>

ぽかぽか春庭「泥のイメージ」

2010-12-23 | インポート
2010/12/23 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ビナード講演会(4)泥のイメージ

 ビナードさんの講演の中で、その他印象に残ったことば。
 「泥」という語のイメージについて話が続きました。泥まみれ、顔に泥を塗る、泥棒,,,,,泥が付く言葉によいイメージの言葉は少ない。しかし、ある体験で「泥」へのイメージが一変した、とビナードさんは語ります。

 ビナードさんは、日本びいきの外国人に多いように、和食を偏愛しています。毎朝ご飯。でも、20年も日本に住んでいて一度も田植えをしたことがなかった。
 機会があって、ビナードさんは、知人といっしょに「完全手植えの田植え」を体験することができました。

 泥田に入って、用意の苗を泥の中に植え付けていく。植える前の苗は「物体」であったのに、泥の中に差し込んで苗が自力で立つようにしてやった途端、苗は「モノ」ではなく、「生き物」になる、それがとても不思議な感覚だった、とビナードさんの田植えの感想。

 ああ、いいな。こういう感覚を持っているから詩人をやっていられるんだなあと思います。そうだよね。田の中に立つ苗は最初はひょろひょろと頼りなさげに見えますが、ちゃんと「稲の赤ちゃん」になり、水を飲み、根を張る。お日様を吸い込み、ぐんぐん育つ。泥は、稲の赤ちゃんを優しく育むゆりかごです。

 苗が「モノ」から「生き物」に変わったように、「泥」のイメージがすっかり変わったことにも驚いた、と、ビナードさんは語りました。
 「泥」は決して汚いものではありません。田の泥は稲の赤ちゃんのベッドだし、人の足をやさしく包む。お日様の光を含み、どじょうやザリガニを含む生き物の床なのです。実際に田植えをしてみることで、いままで「汚れもの」であった「泥」という一語のイメージがすっかり変わった、とビナードさんは言います。

 そう、言葉は観念でイメージしたらその本質はわからない。自分で触り、自分で味わい、自分で手の中に包み込まなければ、言葉のほんとうの意味は実感できません。現代の人々がパソコンの情報やケータイだけで物事を済ませようとするなら、いつか言葉たちは私たちの手の中からこぼれ落ちてしまうでしょう。

 ビナードさんは、この「ことばの実感」を持つには、「言葉に依存しないことだ」と言います。「泥」という一語を、言葉として知るだけでなく、泥の中に足を入れ、実感として泥を味わうこと。幼稚園保育園などでどろんこ遊びや泥団子作りを大切な保育活動にしている園があります。私も公園で砂遊びやどろんこ遊びを子供といっしょに楽しみましたが、泥や砂と戯れることは子供の成長にとって大切なことだったんだなあ、と今になって振り返っています。

 さまざまな出来事を言葉や文字、本の中で知るのもひとつの経験です。しかし、それは実体験、実際の経験に裏打ちされるべきもので、泥というのものを見たこともなくさわったこともないのに、「泥」をことばだけで「泥まみれ」「泥水稼業」「泥仕合」「泥臭い」などと使ったのでは、「泥」がかわいそう。

<つづく>

ぽかぽか春庭「スパイダープラントと折り鶴蘭」

2010-12-22 | インポート
2010/12/22 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(2)スパイダープラントと折り鶴蘭

 名前の話。ビナードさんの友人の一人はBowlesという姓です。でも電話で「ボウルズです」と名乗ると、相手は同じ発音の「bowels」をイメージして、クスリと笑う。「bowels」は、「大腸&大腸の中にあるうんこ」を意味するから。

 そんな笑い話を枕に振って、ビナードさんの講演が続きます。落語家三遊亭円窓の元に「一日弟子」として入門して稽古をつけてもらった経験もあるというビナードさん、話術も巧みでした。とても誠実な話しぶりで「日本語が上手なことをイヤミに感じさせることのない話し方」がよかった。
 名前の文字と発音について話し、英語の表音文字はスペイン語やイタリア語とは異なり「発音と文字の結びつきがゆるい言語であり、出来の悪い言語である」ことを聴衆に伝えるにも、うまく笑いにのせて語っていました。

 さらに、自分の先祖はフランスの出であり、ルーツはヨーロッパであることなどをさりげなく伝える。日本人聴衆は、「自動車産業の申し子であるデトロイト生まれのアメリカ人」には機械産業の勢いを感じ、「古い伝統を持つ家系」には古い文化が背景にあると思い安心するメンタリティを保持しているってことを、計算済みとみえました。ここらへんは、木坂涼さんのアイディアも入っているかしら。

 通路を隔てた隣の席のオバサンは、私より年期の入ったビナードファンらしく、歌舞伎の大向こうよろしく、ここぞというときに大声で笑っていました。ビナードさんのユーモアのある語り口、隣のオバサンといっしょに、遠慮無く笑いながら聞きました。あれ?、私のほうを見ていてくれると感じたのは、実はこの笑い声の大きさに注意が向いてこっち見てたのかな。
 
 ビナードという名前紹介の次が、「コピペ」シリーズで紹介したとヘロドトスと「雨ニモマケズ」の類似についての話です。
 雨ニモマケズの次に、ビナードさんは「言語にはコミュニケーションツールとしての役割もあるが、それ以上に、世界をみるレンズとして言語の存在がある」という話を続けました。

 母語と異なる言葉を知ることは、異なる見方に出会うこと。ビナードさんは、いくつかの言葉を例にあげて、異なる表現方法を知ることにより、同じひとつのものを表すそのものへの見方が変わることを紹介しました。

 スパイダープラント(spider plant クモの植物)という観葉植物があります。(学名はChlorophytum comosum)。
http://www.joaf.co.jp/kanyo-syokubutu/(5)syo-leaf/10-spider-plant/spider-plant-flesh.htm

 ビナードさんは、この葉っぱ四方八方に足を伸ばしているような葉を見ると蜘蛛をイメージしてきました。ところが、日本に来て、花屋の店先でこの観葉植物に「折鶴蘭オリヅルラン」という名がつけられているのを知って、この観葉植物への見方がすっかり変わった。ほんとうに折り鶴の姿のように思えたのだそうです。
http://www.yonemura.co.jp/zukan/zukan-k/naiyou/orizuru1.htm

<つづく>

ぽかぽか春庭「ビナードという名の発音」

2010-12-19 | インポート
2010/12/19 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>アーサー・ビナード講演会(1)ビナードという名の発音

 12月9日に開催されたアーサー・ビナード(Arthur Binard)講演会。
 講演はとても面白く有意義なものでしたが、501人収容数がある東京外国語大学プロメテウス・ホールに聴衆は半分くらいで、もうちょっと宣伝をしてたくさんの人に聞いて欲しかったと思う講演でした。聴衆は、若い人はほとんどが外語大の学生でしょう。あとは中高年が多かった。ポスターなどで講演会を知った生涯学習マイブームといったふうな中高年と、「アーサー・ビナード大好き、おっかけオバサン」みたいな人たち。

 私も「アーサー・ビナード大好きオバハン」ですけれど、これまで講演を聴いたことはなく、本は『日本語ぽこりぽこり』と『日々の非常口』、『出世ミミズ』の三冊のエッセイ集を読んだくらいで、詩や絵本など他の作品を読んだことはありません。だから、熱心な読者というわけにはいかないのでしょうが、コラムの題材にしたくらいですから、大好きなことは他のおっかけオバサンにひけを取らない。
 春庭コラムを再度ご紹介。このサイト。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0702a.htm
 
 本の扉の写真などで、イケメンであることはわかっていましたが、講演会場の前から2番目の席に座って眺めるビナードさん、想像していた以上にステキな方でした。9歳年上の姉さん女房、詩人の木坂涼さん、うらやましいな。ビナードさん、白いフリースのジップアップジャケットを着て、少年のような雰囲気を保っていて、43歳という実際の年齢よりずっと若い印象を受けました。

 舞台上手にホワイトボードがあって、それに書き込み、ボードを見ながら話したので、ずっと客席上手のほうを向いていました。客席上手側、前から2番目の私としては、私を見て話していてくれるような気がしました。キャ!
 正面を向いてキッと観客を見据えながらグイグイと押し込むようなスタイルがアメリカ人の講演っていう先入観があったせいか、なんだが、ハニカミ王子のように見えました。

 ビナードさんは、ミシガン州デトロイト出身。親戚一同みなデトロイトで自動車産業に関わって生活していた、と自身のバックグラウンドを紹介していました。
 講演の最初は、名前のスペルの紹介から。先祖はフランスから来たということです。フランスで15~16世紀に建てられた教会の、立て直しのための寄付者名簿が残されていて、その中にS・Binardの名が書かれていたので、Binardがフランスの名であることは確かだけれど、アーサー・ビナードさんの出自には、フランスやアイルランドなどさまざまな土地が関わっているそうです。

 Binardという姓がアメリカ人に「ビナード」と発音してもらえることは少なく、たいていは「バイナード?」「ビナール?」などとと呼ばれてしまう。英語では、発音と文字に一貫性がないから、いろいろな発音に読めるのです。

 英語(アングロサクソンの言語)はもともと文字を持たない言語で、ラテン文字であるアルファベットを当てはめて綴ることになったので、表音文字とは言っても、英語の文字と発音に乖離があります。一方、ラテン語の子孫イタリア語やスペイン語は、ラテン文字(アルファベット)の綴りと発音が一致しており、アルファベットをローマ字式に読んでいけばよい。
 ビナードさんの表現によれば、イタリア語や中国語は整然と切石で舗装された道に思えるのに対し、ひらがなとカタカナと漢字が使われる日本語や、発音と文字が一致していない英語の表記はデコボコ道を行くがごとし。

 ビナードさんは、デコボコ道を一歩一歩自分の足で歩くことがお好きなのだとお見受けしました。現実生活でも、日常愛用の交通手段は自転車と歩くこと。車や電車は必要最低限にしか使わないのだそうです。

<つづく>

ぽかぽか春庭「インスピレーションと再創造」

2010-12-18 | インポート
2010/12/18 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(6)インスピレーションと再創造

 ビナードさんが語る「ある言語からの再創造」に関する話題を、以前、春庭もカフェ日記に書いたことがあります。アーサー・ビナードの訳詞に関するコラム「大平洋の発見は何度でも」です。以下のページにあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0702a.htm

 もし、賢治が「英語名言集」というような本の中でヘロドトスに出会っていたとして、それから直接インスピレーションを受けたというより、心の中にNeither snow nor rain nor heat nor gloom of night というフレーズが印象づけられ、後年にその一節が「雨ニモマケズ」という詩句に結晶したことは考えられると思います。

 春庭は、2010年7月に掲載した「日本児童文学における外国文学移入の受容と変容・児童文学の変形譚レミとネロの物語を中心に」(それにしても長いタイトル!)シリーズの第一回目に、宮沢賢治が担任教師から『家なき子』を翻案した「未だ見ぬ親」という物語の読み聞かせをしてもらい、そこから賢治童話への道が開けていったというエピソードについて書きました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d2246#comment
 宮沢賢治が「太一の物語」に翻案された「家なき子ネロ」を読み、それが後年の賢治童話の世界につながっていく。ひとつの言語文化が世界に広がり、インスピレーションの元となる。

 どうして、あまたの宮沢賢治研究者が気づかなかった「雨ニモマケズ」とヘロドトスの「王の道」の類似について、ビナードさんが気づくことができたのか。ビナードさんが日本語と英語の間の橋を渡ることのできる人だったからにちがいありません。

 ひとつの言葉が他の言葉と出会う。「ことばメガネ」のレンズによって、世界が広がることを、ビナードさんは講演で語りました。
 二つの言語の間を行き来するビナードさんによる「ことばと文字のおもしろさ」を伝える講演の要旨は、次回シリーズで紹介します。

<おわり>

ぽかぽか春庭「ヘロドトスと宮沢賢治」

2010-12-17 | インポート
2010/12/17 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(5)ヘロドトスと宮沢賢治

 ヘロドトスはダレイオス1世が死んだBC486年の1年前BC485年ころの生まれですから、大王が建設した王の道がもっとも盛んだった時代に生きていたことになります。
 ヘロドトスが『歴史』を書いた当時、王都スーサから帝国遠隔の地サルディスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができたと言われています。

 ヘロドトスは、「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記録しました。王都から地方へ王の命令を伝える伝達使たちは使命感を持ってこの王道を行き来しました。

 ヘロドトスは、『歴史』の中に、ペルシャの伝達使についてこう書いています。
 「雨、雪、暑熱、夜の暗さであろうと、託された任務を伝達使が最高の速度で達成することを妨げることはできない」
 このヘロドトスの言葉が、今日、郵便配送者の(非公式ではありますが)モットーとして使用されています。それが、ビナードさんが紹介したPostal Service Mission and“Motto”です。

 ここから、ビナードさんは、「宮沢賢治もヘロドトスを読んだことがあったのかも知れない」と感じました。賢治の蔵書目録や読書メモの類をすべて研究している人もいるだろうから、そのリストを見たり、賢治が生きていた時代に日本で入手できたヘロドトスの本を調べると、賢治がヘロドトスからインスピレーションを得たのかどうか、わかるかも知れない、と、ビナードさんは考えました。

 賢治の時代、ヘロドトスの『歴史』全訳は出版されていなかったけれど、「英語名言集」「独語名言集」の形でヘロドトスの著作からも抄訳が出されていたので、賢治が読んだことがある、という想像はまったくの見当違いとも言えない。

http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Postal_Service_creed
 以上のページを参照して、ビナードさんが朗読した「郵便局ノモットー」をもう一度UPします。
"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night, stays these couriers from the swift completion of their appointed rounds"
(雪も、雨も、暑さも夜の暗がりも、われら配達人たちが配達区域に与えられた素早い任務の完遂をおしとどめることは出来ない)

 宮沢賢治の研究書は、ビナードさんに言わせると「馬に喰わせるほどある」そうですが、「雨ニモマケズ」とヘロドトスに関連した研究は見当たらず、おそらくビナードさんの「発見」だろう、ということです。

 賢治がヘロドトスの「ペルシャの配達人の使命」の詩句を知っていたかは、今後の研究で影響関係にあったかどうか、わかるかもしれません。もし、影響インスピレーションを受けたことがあったとして、賢治の「雨ニモマケズ」は賢治独自の創作としてすばらしいものです。ビナードさんは「ある文化の影響から再創造される文化」の例として、賢治と郵便局スローガンとヘロドトスを紹介したのです。

<つづく>

ぽかぽか春庭「王の道と雨ニモマケズ」

2010-12-15 | インポート
2010/12/15 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>コピペ(4)王の道と雨ニモマケズ

 知らない文字も出てきてたいへんだったけれど、ビナードさんは、「雨ニモマケズ」の最初の数行を読んで「どこかで出会った詩句のような、なつかしい感じのすることば」と感じたのだそうです。
 どこでこの「雨にも負けず」というフレーズを見かけたのだったか記憶をたどると、、、、。それは、大学があったニューヨーク州の郵便局の壁に掲げられている「郵便配達員のモットー」でした。

 「郵便配達員たちの信条 Postal Service Mission and "Motto”」として有名なスローガンなのだそうです。こんな詩句。
"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night, stays these couriers from the swift completion of their appointed rounds"

 雪も、雨も、暑さも夜の暗がりも、配達人の配達区域で迅速な任務の完遂をおしとどめることは出来ない(春庭の訳なので、違っている部分があるかも知れません。たぶん、ビナードさんによる日本語訳がどこかの本に載っていることでしょう)
 ほんと、ビナードさんが「なんだかなじみのある詩句」と感じたこともうなずけます。
「雪にも負けず、雨にも夜の暗がりにも負けず、黙々と担当地区の郵便を運び続ける、、、、」そんな郵便局員に私はなりたい、、、、という郵便局のスローガン。

 アメリカ郵便局員のモットー、出だしのところは「雨にも負けず」の雰囲気にそっくりです。ビナードさんも最初は「あれれ、アメリカの郵便局は、宮沢賢治をパクッたのか?」と思ったそうです。でも、「雨ニモマケズ」を辞書をひきひき読み進めていくと、「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲の束ヲ負イ」、、、おやおや、郵便局員の仕事とは違うようだなあ、、、、「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ」あれまあ、郵便局員をデクノボー呼ばわりしたら叱られるだろう。
 
 それで、アメリカ郵便局が「雨にも負けず」をパクッたのではないか、という疑いを捨てて、"Neither snow nor rain nor heat nor gloom of night,のほうを調べてみると。コピー元がわかりました。
 郵便局がパクッたのは、宮沢賢治からではありませんでした。
 賢治より2350年前のギリシャに生きた歴史家、ヘロドトスの詩句からでした。ギリシャ時代の歴史家ヘロドトスが書いた『歴史』の中の一節に、このスローガンの元ネタがありました。

 「この郵便局員のモットーは、ヘロドトスの『歴史』からのコピー、いや、コピーというより、本歌取りと言ったほうがいいでしょう」と、ビナードさんの説明。

 春庭は、ヘロドトスの『歴史』については、あまり知りません。学生時代にところどころを授業で読まされただけで、通読したこともなく、このヘロドトスによる「配達者の使命」についてまったく知らなかったので、ウィキペディアなどで調べました。

 ヘロドトスが書き記したのは「ペルシャ王の公道」という逸話です。ペルシャ帝国は、広大な領土に公道が整備されていました。王の道(Persian Royal Road)は、アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造されました。王都スーサからサルディスに至る拠点ごとに宿駅が設けられ、守備隊が置かれていました。この公道によって帝国は交通と通信を迅速に行うことができ、領土を保全することができたのです。

<つづく>