春庭パンセソバージュ

野生の思考パンセソバージュが春の庭で満開です。

ぽかぽか春庭「赤い花束車に積んで」

2012-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

2012/03/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(1)菫買いましょ野のスミレ・パンセソバージュ

 アイデンティティ(略語ID)は、「自分は何者であり何をして生きる人間であるか」という個人の心の中に保持される概念。自我同一性。「自分が自分であること、自分として存在すること」。

 無理矢理「自己証明」などと和訳されていますが、アイデンティティというカタカタ語そのままで、あるいはIDと略された形で、「IDカード」「学生ID」など、使われています。
 パソコン用語としてのID、identification、は、「システムの利用者を識別するために用いられる符号」ということ。

 春庭という名をIDにしてからはや満9年が経ち、10年目に入ります。本名をネット検索すると担当授業名とか泣く泣く書いた論文が出てきて、なんだか自分じゃないみたい。本名よりも、「HALさん」「春庭」と呼ばれるほうが自分らしい気がします。
 
 何度か自己紹介してきたように、春庭とは、江戸時代の国学者本居春庭から名前を拝借しています。春庭は本居宣長の息子。盲目となったのちも、黙々と国学研究を続けた人です。そんな偉大な人に及びもつかぬは承知で、春っぽい名前が気に入って使い始めました。2003年には、「春庭」と検索すると、一番上に本居春庭が出てくるのは当然として、2番目には我がサイトが堂々出てきたのですが、9年たってみると、やたらに「春庭」という店名の花屋さんが増えていたり、新潟ではダイニングバーの店名になっていたり、春庭が増えています。春庭連盟の盟主にでもなろうかしら。

 春庭OCNカフェ日記のbbsページには「春庭カフェらパンセソバージュ」というタイトルをつけていました。9年たって「カフェラパンセソバージュ」を検索してみると、高知県にそういう名前のカフェレストランがありました。高知に行くことがあったら、絶対に寄ってみたい店です。たぶん、オーナーはレヴィ・ストロースのファンです。私もレヴィ・ストロースファンのひとりですから、きっとどのメニューの味とも相性がいいはず。

 「ラ パンセ ソバージュLa pensee sauvage」というのは、人類学者レヴィ=ストロース『野生の思考』(1962年)の原題です。(penseeにはeeの部分にアクサンがついているのですが、penséeが出ず、プレビューで確認したらLa pens醇Pe となってしまいました)
 私が『野生の思考』を読んだのは、20代のはじめ、文化人類学者になりたいと思っていたころでした。そのころ原題はまったく知らず、ソバージュとは、私にとって長い間「パーマをもじゃもじゃにしたヘアスタイル」の意味しかありませんでした。美容師だった姉の実験材料としてモジャモジャの頭にされ「これ、ソバージュっていうヘアスタイル、最新流行」と言われたんですが、「こんなんじゃ、学校にも行けない」と泣きました。

 文化人類学者はとうにあきらめ、中学校の国語教師になって、三色スミレを英語でPansyパンジーというのは、フランス語でPensee(思慮、思案、思考)から名付けられたと知りました。花咲くころ、花の頭を下に向けて思案しているような風情だからだそうです。「思案、思考」というフランス語由来のために、パンジーは「自由思想」のシンボルに用いられました。

 けれど、ソバージュはやっぱり「もじゃもじゃ頭」以外の意味は知りませんでした。
 30代になって娘が生まれて、近所の大学に再入学し、語学を以前よりはきっちり勉強するようになって、ようやくフランス語のソバージュは「野原の」「野生の」「原野の」という意味があることを知りました。フランス語は修飾語が被修飾語のうしろにくるので、「野生の思考」は「パンセ ソバージュ」となります。
 レヴィストロースは、フランス語でいう「野生の思考」という意味と「野のスミレ」という意味の掛詞として、未開社会の神話的な思考法を述べた著作に「La pensee sauvage」というタイトルをつけたのです。原著本の表紙は、三色スミレの絵を装丁しており、日本語版のみすず書房の装丁も、この原著の三色スミレの絵を用いています。

 『野生の思考』は「野のスミレ」でもあること、もとのフランス語は「ラ パンセ ソバージュLa pensee sauvage」であることを知って、もじゃもじゃソバージュ頭と「野生」が結びついたときは、「へぇ」ボタンを10回くらいたたきました。美容界で、アフリカ人のアフロヘアをアレンジした「野性的なヘア」が「ソバージュ」と名付けられたということでした。
 そんなわけで、引っ越してきたgooブログでは、「カフェらパンセソバージュ」をブログタイトルにいたしました。

 スミレというのは、私が子どもの頃、密かに自分の換え名にしていた呼び名です。本名はとてもダサくてかわいらしくないと子供心に感じて、でも「スミレ」ならかわいらしい、と思ったのでしょう。
 万葉集の山部赤人の句、「春の野のすみれ摘みにと こしわれそ 野を懐かしみ一夜寝にける」という和歌を知ったのは高校生のころ。
 1991年にタカラヅカスターのひとりに「春野寿美礼」という名がついたのも、この赤人の歌からの名付けだそうです。

 いよいよ春。スミレも咲き出します。
 ♪春は名のみの風の寒さや~、♪春よこい早くこい、歩きはじめの~ ♪春が来たはるがきたどこにきた~ ♪どこかで春が生まれてる~ ♪春のうららのすみだ川~ ♪春の日の花と輝くうるわしき姿に~ ♪春の小川はさらさら流る~
 いくらでも出てくる春の歌。山ほどある春の歌の中、今日の歌は、「ラララ赤い花束の唄」。
 正式名称は「春の唄」らしいけれど、「春の唄」じゃ、いったいどの「春のうた」なんだかよくわからないから、「赤い花束車につんでの唄」ってことで。
http://www.youtube.com/watch?v=RuEr7UU6kyw&feature=related
作詞:喜志邦三 作曲:内田 元

♪ラララ 赤い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ
 菫(すみれ)買いましょ あの花売りの 可愛い瞳に 春の夢

♪ラララ 青い野菜も 市場について 春が来た来た 村から町へ
 朝の買物 あの新妻の 籠にあふれた 春の色

♪ラララ 啼けよチロチロ 巣立ちの鳥よ 春が来た来た 森から町へ
 姉と妹の あの小鳥屋の 店のさきにも 春の唄

♪ラララ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ
 ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た

<つづく>

2012-03-24 00:00:01 | エッセイ、コラム


2012/03/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(2)青い野菜も市場について・凍み菜、青菜

♪ラララ 青い野菜も 市場について 春が来た来た 村から町へ
 朝の買物 あの新妻の 籠にあふれた 春の色

 20日、春分の日はお彼岸中日。姑とお墓参り。姑は、徹底的合理主義の人なので、「死後の世界」というのも信じていないようなのですが、「お墓参り!」の号令をかけるのは、そう言わないといっしょに出かけたりしない姑の息子(私の法律上の夫)をかり出すためのもの。で、故人に線香あげるのはちゃっちゃと済ませて、後楽園遊園地を抜けて「後楽園飯店」へ。ランチコース。

 一家五人そろっての食事というのは、正月以来で、「家族で食事」は、年に数度のみ。食べ終わると夫はさっさと事務所へ。徹夜で『一瞬の風になれ1,2,3』を読んでいて、寝てないので「眠い」という息子は帰るというので、娘も「散歩より昼寝」と言う。
 姑と私ふたりで、後楽園庭園の梅花見。庭園にはスミレも花を見せていて、梅は見頃でした。梅の前のベンチでおしゃべり。
 今までいくらすすめても、「他人が家のことにかかわるのはイヤ」と言っていた姑が、87歳にしてようやく「要支援1」という認定を受け入れ、週に1時間の要支援「おふろとトイレの掃除」をしてもらうこととなりました。これから、だんだん、部屋の掃除や買い物など支援内容が増えて行くかも知れませんが、ヨメは家族の稼ぎ手なので、姑の家事手伝いまではできないのです。

 以前、姑に「買い物は荷物が重いのでヘルパーさんに頼んだ方がいい」と言ってみたところ、姑が主張するに「スーパーにキャベツ買いに行って、キャベツが高かったら、今日の野菜はキャベツはやめて、大根にしようって自分なら判断して買うけれど、ヘルパーさんにキャベツ買ってと頼んだら、高くてもなんでもキャベツを買ってくるだろうから、それじゃイヤ」というのです。60年以上、主婦として家計を切り盛りしてきた感覚からすると、高い野菜を買うなど、生活者の風上にもおけぬ、ということになるらしい。

 この冬、野菜が高くて困った、という話になりました。大根1本250円、キャベツ1玉350円、となると、大根下ろしもサラダもおちおち食べられない。値段が変わらない生協のつけものセットなんぞで野菜不足を補うことで、この厳冬の野菜高騰期を乗り切ったという話をして、ちゃんと野菜高騰に対処したヨメであることをアピールしました。もっとも、姑から見たら、漬物を自分で漬けたりせずに、生協の袋入りなんか買うのはダメ嫁なのかもしれません。

 昔は、冬の間は青菜は食べられなかった。白菜を漬けたり大根のつけものが冬の野菜でした。子どもの頃、わが家の家庭菜園でとれた菜を使って、父は「凍み菜(しみな)」というのを作っていました。うちの近所では「かき菜」と呼ばれていたいつも畑にもじゃもじゃと生えていた青菜を冬のはじめに大量に茹で、その束を2階の出窓のてすりにぶら下げて乾燥させる。よく乾燥した菜を5センチくらいに切って袋に詰めておく。
 いわば乾燥野菜のはしりだったのだけれど、わが家は干し大根などは作っていなかったのに、この凍み菜は毎年作っていたのでした。一冬のあいだ、味噌汁の具に菜っ葉を入れるといえば、この凍み菜ばっかりでした。

 冬場に青菜がいくらでも手に入るようになってからも、父はこの凍み菜を作り続けて、妹は「私は凍み菜の味あんまり好きじゃないから味噌汁にも使わなくなって、まだこんなに余っているから、東京に持ってってよ」と、もてあましていました。
 父が亡くなって17年。ときどき冬場の凍み菜の味がなつかしくなります。

 地元群馬以外にもこの凍み菜が食べられている地方があるかどうか調べてみようと検索をかけたのですが、結局、地元の「道の駅」で売られていたことがわかっただけです。ああ、この出荷者の名前、見たことある、と思いました。地元の道の駅の農産物や手作り品には、生産者の名前と住所が入っているんです。
http://komochi.sblo.jp/article/34808546.html

 「青菜」の「青」については、何度か書いてきました。緑色の菜っ葉をどうして「青い」というのか、という質問は、小さな子からも留学生からもよく出てくる質問です。「青葉」「あお馬」「青い顔」などの「あお」
 古代日本語の色彩名称は、黒、白、赤、青の四つのみ。燃えるような明るい色は、「赤」。黒、白、赤に含まれない「その他」は「青」でした。そのため、今で言う「グレー」の毛並みの馬は「あお馬」だったし、血の気を失った顔色は「あおい顔」です。青菜の青も、赤でも黒でも白でもない色の菜っ葉。

 たった今萌え出たつやつやした新鮮なものを「みどり」と呼び、生まれたばかりの新生児は「みどり子」、つやつやした美しい髪は「みどりの髪」。新鮮な若葉は「みどり葉」。のち、「緑色」が色彩名として定着しました。しかし、緑色の野菜を扱う店や市場も「青果店」「青物市場」と、「青」の字はそのまま残っており、青菜も「みどり菜」と改名はされませんでした。

 昔、凍み菜が冬場の青物だったころ、春になって八百屋に新鮮な青菜が出回ると、ああ、春になったのだ、と皆が食卓の春を喜びました。
 今はどんな野菜でも1年中食べることができるけれど、春野菜のおいしさは格別です。
 さあ、今夜もサラダをたっぷり食べたいけれど、いつになった野菜が安くなるのやら。あ、サラダがなくても、なんても全部たっぷり食べてしまい、結局は冬も春も体重増加ってことは、かわらないのですが。

 暑さ寒さも彼岸までとは言っても、今年の春は足が鈍い。夕暮れ、陽が西に傾くと風はいっそう冷たくなります。
 姑を春日駅まで送り、三田線のホームから電車に乗せました。乗り換え駅まで送ってそれから帰宅しようと思ったのですが、「大丈夫、ここまで来れば一人で帰れる」というので、じゃあ、とホーム鶴から見送りました。

 地下鉄1本で、ドアtoドアで1時間の距離に住んでいる姑と嫁。1時間はちょうどいい距離と思って暮らしてきたのですが、そろそろ同居の時期を考えなければならないのかも知れません。姑はこれまで「90歳すぎて、身の回りのことがたいへんになってきたら、お願いね」と言っていたのですが、、、、。 姑から見たらいつまでたっても「青二才」の青嫁ですが、姑90歳で同居する頃には、こちらのほうが青息吐息になりそうな。

さて、春の一日、明日も歩いて足腰鍛えよう。
 

<つづく>
2012/03/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(3)店のさきにも春の唄・漢字も歌う絆

♪ラララ 啼けよチロチロ 巣立ちの鳥よ 春が来た来た 森から町へ
 姉と妹の あの小鳥屋の 店のさきにも 春の唄

momosukeさんから質問がありました。(2012-03-14 10:40:44)
>絆という言葉は糸を半分づつ引っ張っているという意味なのですか?

>hal-niwa返信コメント(2012-03-14 20:04:16)
 「絆」という字の旁は現在使われている「半」ではなく、上側は「八」になっています。「一つ」のものをふたつに「分ける」という意味の「八」です。下側の本字は「牛」です。中国でこの文字が作られたときは、「牛の足をつなぎ止めるヒモ」「拘束具」という意味でした。
 そこから、「絆」は、「牛や馬の脚をつなぎとめる網」「拘束するもの」「つなぎとめるもの」という意味になりました。
~~~~~~~~~
 と、コメントしたのですが、説明に不足や誤記があったので、もう少し詳しく字源について述べます。
 春庭の「にほんごの店」、店先にもHALのうた。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆
 漢字の字源には、諸説があります。漢和辞典によっても、異なる説明が出ているのです。さらに後世になるほど「通俗字解」というものが出てきて、わかりやすくはあるけれど、本来の漢字の意味とは異なる説明になっていたりします。中国で古来から行われてきた字源研究にも、通俗字解が混じっていて、それを日本の学者が信じて本に残し、それが通説になる、という場合も多い。

 長らく漢字字解の本家とされてきたのは、中国後漢時代の『説文解字』です。『説文解字』は最古の部首別漢字字典で、後漢の許慎(きょしん)が篆書の文字を分類し、紀元100年(永元12)に成立しました。後漢の時代に最も古いと見なされていた始皇帝時代の編纂による篆書の文字を部首によって分類し、字の本義を記しています。

 しかし、篆書文字以前の甲骨文字などについてはまだわかっていなかったため、たとえば「王」という字について、許慎は、「天地人三才を貫くもの」と字解し、「三」の字を縦棒で貫いて出来た、と解釈しました。しかし、甲骨文字の原点に戻って字源を研究した白川静は、「王」を「大きな鉞(まさかり)の頭の刃の部分を下にした形。この鉞が王の座る席の前に置かれ、王のシンボルとなり、王の意味となった」と解釈しました。


 「口」という字は、従来、顔の中の口を開けた形とされてきました。しかし、白川は、新発掘が続いた甲骨文字や金文資料を吟味することにより、口(くち)と解釈するものではなく、「神に捧げる祝詞を収める箱」と解釈しました。音読みは「サイ」、訓読みは「ノリト」と提唱しました。
 白川字源研究は人気が高いですが、批判者もいます。また、留学生への漢字教育で、「口」の字を教えるときは、『説文解字』に従って、口を開けた唇の形を絵にして、その上を「口」の形になぞって、印象づけて覚えさせています。この方が手っ取り早く印象に残るからです。

 そのほか、「体」という字、留学生には、「人のオリジン(もと=本)になる体」と教えていますが、本来「体」の本字(繁体字)は偏が「骨」で旁が「豊」という字「體」です。でも、暗記のために、新字に合わせて便宜的な説明をしています。 

 絆は、留学生への説明でには「You and I are bound together with a thread. We are better half.」なんて言ったりしますが、これも記憶のためで、本来の字源ではありません。
 「絆」は、会意文字(二つの意味を組み合わて出来た文字)ではなく、形声文字(意味を表す部首と発音を表す部首を組み合わせた文字)なので、偏の意味は「糸」に関わるけれど、旁は「半ハン、バン」という発音を表しています。

 この「絆」という字が中国から日本にもたらされたとき、訓読みとして「きづな」が与えられ、平安時代中期の辞書『和名抄』には、「牛や馬をつなぎ止めておく綱」の意味で用いられた用例がでています。
 現代の国語事典で「羈(音読み:キ、訓読み:おもがい、つな、たび)」と組み合わさった「羈絆(きはん)=行動する人の足手まといになるもの、束縛になるもの」は、日中辞典(岩波)にも「羈絆(簡体字:表示できず)jiban」とありますが、現代の若者たちは、日本語の「絆きづな」を中国語に翻訳するときは「羈絆」を用いているらしいです。
 以下は、中孝介のうた「絆」の中国語(台湾)訳。
http://www.youtube.com/watch?v=3OHMct0yOX8&feature=related
♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 繋いで:手中緊握著 連結你我 重要的羈絆

♪今日も仲間の笑い声が聞こえる:一如往常聽見的朋友們嬉鬧的聲音
ふざけあいながら:打鬧嬉笑中
語らう夢のカケラ達:一邊訴?著那夢想的點滴

♪遠く離れた母親からの手紙:遙遠的母親寄來的信
身体を気遣う言葉が並ぶ:寫著要多注意自己的身體
深く深く染み込む愛を:深深的深深的這份愛
時に僕らは忘れてしまうけれど:即使偶爾我不小心遺忘
いつも目には見えない:但總是被那眼睛所看不見的羈絆所相繋著
「絆」が僕を支えてくれる: 給我支持給我鼓勵

♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 守り続けたい:我要好好守護 連結你我 重要的羈絆

♪今日も僕らは人ごみに流されて:今天依然在洶湧人潮裡流失
自分の居場所を探し続ける:尋找著自己的棲身之處
もしも辛い時が来たなら:如果遇到困難
涙の理由を一人で抱えないで:不要一個人孤獨落?
君の笑う姿を:相信在某處
誰かがきっと待っているから:總有著人期待著你的笑容

繰り返される 悲しいニュースが溢れる:不斷播放 令人悲傷的新聞
誰かを傷つける為に :人?對沒有生來就是
生まれてきた訳じゃないだろう:為了傷害某個人

♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を 胸の奥に感じて:心中能感受到 連結你我 重要的羈絆
素直に愛を繋いでいけたなら:單純的因為愛而互相吸引
互いに信じあえる:就能相互信賴
その強さを 守り続けたい: 這份強韌 我要堅守下去
僕らの「絆」を: 那就是你我之間的羈絆
☆    ☆    ☆    ☆    ☆

 春庭の「にほんごの店」、店先にもHALのうた。
(当店の通貨「Hal9000」は、日本円の9000円に相当します。
 「春庭の日本語の解説」を買いたいかたは、壱HALをお支払いください。この壱HALは、日本円換算して9000円。これをふたりで飲んだ場合の「居酒屋おごり」に充当いたします。ふたりで飲み食いして壱Hal。ま、妥当な額かと。

<つづく>
2012/03/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(4)空はうららかそよそよ風に・鎌倉の春

♪ラララ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ
 ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た

 春が来て「ビルの窓々みな開かれて」と歌いたいところなんですが、近頃は、花粉症もあるので家の窓もあけられないし、電車の窓もビルの窓も、開閉できないものが多くなっています。

 窓を開けられないまま電車に乗って、鎌倉へ行ってきました。3月22日、「藤牧義夫展」を見るのがメインの目的ですが、鶴岡八幡宮、建長寺にもお参りして、境内の梅の花見も楽しみ、風はまだ冷たいものの陽は高く「光の春」を満喫できました。藤牧義夫展については、のちほどリポート。「鎌倉の春」について先にご報告。

 鎌倉駅前に9時ちょい過ぎに着き、小町通りの店はまだ開店していないなあと思って、駅前からバスに乗りました。歩いてもたいしたことないとは思ったのですが、一日中歩くことを想定して、まずはバスで大宮大路をまっすぐ。八幡宮前で下車。大路の桜、まだ花芽があまり大きくなかった。
鶴岡八幡宮の巫女さん
 鶴岡八幡宮。朝早いので、緋袴を履いた巫女さんがおみくじか何かを入れた箱を運んで歩いているほか、人出もまだまばらの境内。ベテランガイドが新人に教えているのか、境内を横切る通りの説明をしていました。
 「この道で流鏑馬(やぶさめ)が行われるんですけどね、流鏑馬の範囲を示す柵があるんですけど、この柵を埒(らち)って言うんです。ほら、埒が明かないっていうときのラチ」「えっと、北朝鮮なんかがやったラチ?」「いえ、そうじゃなくて、、、、」新時代の人に日本語教えるのもたいへんです。この流鏑馬の説明、いつ埒が明くのやら。

 階段を上り、大銀杏のあとを見ました。鎌倉二代将軍源頼家の子、公暁が三代将軍源実朝を暗殺したときに隠れていたという伝説の大銀杏。樹齢1000年とも伝えられていた大樹が、一昨年2010年3月10日未明に強風のため倒れました。切り倒された根からはひこばえが育ちつつあり、もとのような大木に育つのは、これから先1000年。まあ、そのころまだ日本が沈没していなかったら、また、誰かを暗殺したい誰かが隠れるにふさわしい太さになっているでしょう。

 八幡宮に、家内安全学問成就健康長命その他もろもろ全部お願いしてから、近代美術館の鎌倉館&新館を見て、そのあと新館むかい側にある「歐林堂 」という洋菓子店に入りました。格式タカソーな店で、こういう気取った店とは相性悪いんですが、「せっかく鎌倉に来たからには、ちょっとはお高くとまってみようかしらん」という気分で、入って見ました。アンティークっぽいテーブルと椅子、アンティークっぽいカップボードに、お高そーなカップセットや青いお皿がいっぱいならんでいます。テーブルに運ばれているティーカップセットも、私が普段使う百均のマグカップなんかとはあきらかに違う、高そうなカップ。あれま、落として割ったりしないようにしなきゃ。
歐林堂外観店内
 ケーキはひとつ500円以上。紅茶は、「ロイヤルダージリンティ」750円、「アールグレイ&マリーゴールドティー」750円、ですと。わぉっ!あたくし、普段はスタバのコーヒーだって高いと感じて、マックの140円Sカップを飲んでいるんだよ。(しかも必ずおかわり注文)
 紅茶ケーキセットで1200円だか、1300円くらいしそうなので、どうぜなら腹の足しにと、思ってしまう貧乏性。朝ご飯は、ゆうべの残り物の焼きうどんをしっかり食べてきたので、空腹には少し早いけれど、キッシュランチというのを注文しました。1300円。

 オニオンのスープ:カップに長時間炒めたとおぼしき玉葱がビーフ味スープで煮込まれていて濃厚な味。
 キッシュ:パイ生地はさっくりしておいしい。中は卵と玉ねぎ。
 紅茶:本日のホットティーはカモミール。
 ナイフフォークを正しく使い、きどってキッシュを食べていたら、紅茶カップは落としたりしなかったけど、フォークを落とした。
キッシュランチ
 「ハウルの城」のエンジン室蒸気機関のようなのが並ぶ圧力湯沸かしが中央にあって、シュバーッというすごい音をだしてティーサーバーにお湯を入れる。お湯を入れている中年のウエートレスさんに尋ねるのはちょっと叱られそうな格調高いようすでシュバーッだったので、若いお運びのウエートレスさんに、こっそり「普通の薬缶のお湯で淹れるのとは味が違うんでしょうか」と質問してみたら、「圧力がかかるために、茶葉から香りと味がよりよく引き出されます」ってな説明を受けた。そう思って飲めば、確かにおいしい気がする。
 鎌倉に来て、普段なら絶対に飲まないオタカイ紅茶を飲んでみた。春うらら。

 巨副呂坂切通し(こぶくろざかきりとおし)を抜けて、建長寺へ。本堂のお地蔵様にお参り。家内安全学問成就健康長命その他もろもろ全部おねがい。御縁があるように、毎度お賽銭は五円玉なので、もろもろ全部ねがうのは虫がいいかと思いつつも、神様仏様はお賽銭の額で差別をするようなセコイ方はいらっしゃらず、必ず私の安全長命をまもってくれると信じています。南無なむ。
建長寺山門
 川口市から来たという中学生のグループがワイワイ言いながら見学している。山門の敷居をまたぐとき、躓いて蹴っ飛ばしてしまった男の子が「わあ、蹴っちゃった。神様のバチあたらないかな」と心配している。「あー、君きみ、ここは神さまじゃなくて、仏さまだからね。そんで、神様も仏さまも、御心広いから、蹴っ飛ばしたくらいじゃ罰なんかあてないよ。蹴っ飛ばして罰あたるなら、歴代の首相あたりは、みんなアッチ死にしているだろうて」とか教えてやろうかと思ったが、そもそも「神も仏もありませぬ」by佐野洋子。

 鏑木清方美術館を一回りして、小町通りをあれこれ買い物しながら駅へ。鎌倉ハムと、うさぎ饅頭と、なぜかアフリカ小物など買う。メイドインチャイナ、メイドインタイと同じ値段の百円箸が、メイドインジャパンと書かれた袋に入っているのを見て、ぜったいにこっちもメイドインどこやらだよ、と思いつつ、3膳買う。
 平日の午後というに、すごい人出。さすが観光地鎌倉。今「最後から二番目の恋」というキョンキョン主演のテレビドラマの舞台が鎌倉なので、そんな効果もありそうな。私も、キョンキョンが東京までの通勤につかっている江ノ電に乗りたくなったので、江ノ島経由で帰ることにしました。江ノ電鎌倉駅の売店で鎌倉コロッケを買って食べながら電車を待ちました。

 同じ発想の人はいるもんで、キョンキョンが乗り降りしている極楽寺になったら、プラットホームの駅名板を写真に撮っている女の子がいた。そうそう、ここで乗り降りしていたら、最初の恋も最後から二番目の恋もいろいろ巡り会えるかも。

 江ノ島は横目で見ただけで、小田急江ノ島駅へ。駅前のマックで140円のコーヒーSを頼むつもりだったけれど、キッシュランチのキッシュはお上品に小さくて、小腹が空いたのでフィレオフィッシュMMセット&チキンナゲットを頼んだ。640円。これなら湘南海鮮丼の店のほうがよかったかなあと悔やみつつ、フィレオフィッシュも同じ魚だしとあきらめて食す。いつもSカップコーヒーをおかわりするのだけれど、Mカップは思いの外大きくて、飲み干すまで時間がかかったけれど、無理矢理おかわりする。
 
 朝7時に家を出て、夜8時30分帰宅。丸一日の日帰り行楽、鎌倉の春。交通費、地下鉄JRバス江ノ電小田急、合計2310円。食費、キッシュランチ、コロッケ、フィレオフィッシュセットで合計2030円。入場料(鎌倉近代美術館、鏑木清方美術館、建長寺)合計1050円。おみやげ(鎌倉ハム、鎌倉五郎本店うさまん、箸など)、2000円。一日の行楽費計、7390円。
 藤沢のりかえ快速急行で新宿へ。もう車窓はまっくらで、ビルの窓々、みな開かれているかどうかは見えなかったけれど、全部しまっていたであろう。
♪ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た
古都の階段に咲く紅梅

 撮影した写真を小さく変形して保存する方法がやっとわかったので、鎌倉で撮影したへたっぴ写真を載せました。

<おわり>

ぽかぽか春庭「男系」

2012-03-26 | 日記・エッセイ・コラム
2012/03/22
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>BBSコピー(8)男系

ちょっと辛い気持ちです
rokujyou (2006-09-09 11:11:50 )
少し前は 日本中 男の子が誕生したとて大騒ぎ。経済効果が云々と言ってたけど
これについて 何か言うと 大変なことになるらしいから し~~~
翌日 (19歳の)男の子が 山の中で死んでいました。家族は葬式も出せやしない
死んだ人も 死なせた人も哀れなことよ
19にもなって 後先分らないとはと、バアは嘆くばかりなり

「命の大切さ」なんてマダルッコシイことを言うより して良いことと悪い事をキッパリ教えにゃあいけないのでは と思うんだけど
それと イマイチ 分らないが この少年の両親がお詫びの「メール」を送った事
ムカシモンなので こんな時は直筆の手紙ではと思うけど。年代の差なのかなあ

家を出られないなら 警察の人や 知り合いに頼むと言う手もあると思うが、感覚の違いだろうか



「Re:し~」と「Re:メール謝罪文」
haruniwa (2006-09-09 11:11:50)
 私も「し~!」派だけど、でも、いっちゃいます。
これで「問題先送り」しておくことになったのだけれど、あと30年40年先には、同じ問題が起きてきますね。

 徳川15代将軍のうち、正室から生まれたのは3代家光と15代慶喜のみ。あとは全部側室が産んだ。
 天皇家を徳川15代と比べてみれば、正室から生まれたのは、109代明正女帝(母は後水尾天皇の中宮徳川和子)と、桜町天皇の娘である後桜町女帝のみ。正妻から生まれたのは、ふたりとも女性天皇。
 後桜町以後、6代百数十年にわたって、皇后があとつぎを産んだことはなかった。明治天皇も大正天皇も側室の子。

 昭和天皇が貞明皇后から生まれたのは、大正天皇が病弱で側室を持つ体力がなかったことと、貞明皇后が、生来頑健多産系の腰つきを見込まれて皇室入りしたという事情から。
 貞明皇后に続いて昭和天皇の香淳皇后と、今の美智子皇后と、3代続けて皇后から男子が生まれたは、125代天皇家の中では、きわめて特殊な例が続いた、奇跡のようなもの。

 今後、この奇跡が続くとは思えないけれど、とりあえず、目先の心配がなくなれば、ので、50年後には、また新宮の配偶者が「男の子を生めないなんて、なんたること!皇室に嫁いだ意味がないじゃないか」と責め立てられて、適応障害になるんだろうね。お気の毒なご一家です。
 ご一家は、先代が「わぃらはカミやあらへんデェ」と宣言したのに、未だに基本的な人権も与えられていないのをみると、これはやっぱりカミではなくなったものの、ヒトにはなれていない存在なんだろうなあと、お気の毒に存じます。


メール謝罪文について
 20年前にキャノンワープロ専用機を使いはじめたときから、日記も手紙もワープロで書いています。
字がうまい人にはなんでもなく書けるから想像できないでしょうけれど、生来悪筆の人間にとって、ヘタな字で手紙を書かなければならなくなったとき、絶望的な気持ちになります。いくら心をこめて書き上げたとしても、悪筆をみた人は「いい加減な気持ちで、おざなりに書いたにちがいない」とか「こんな字を書く人は、人柄も悪いにきまっている」と、判断する。

 「文字には人柄があらわれます」なんてこと、上品そうな口振りでおっしゃる書道家とか、筆先で鼻こすってくしゃみでもさせたろか、って気になりますよ。
「ヘタな字でもいい、手書きのほうが心がこもっていると思えるんですよ」と、いう方にも、手紙を出しづらい。
というわけで、私は「絶対ワープロ派」です。

 でも、このような詫び状を書かねばならなくなったとき、さて、どうするかは、想像の範疇を越えていますが、やっぱりワープロでかくだろうなあ。

 それをメールで送るかどうかは、別として、手書き文字は、私にとって、悩みのタネ。
先週、手書きの美しい文字の書簡を受け取り、ああ、こういうきれいな文字を書く人に、ワープロ返信じゃ失礼になるのかなあ、と悩みつつ、まあ返信していません。
2006-09-09 11:50:55 ページのトップへ

訂正
haruniwa
 最後の女性天皇、後桜町天皇の母、青綺門院 (二条舎子 )は、立后していませんでした。正妻格ではあったけれど、身分は女御でした。だから、皇后から生まれたのは、中宮(皇后と同格)徳川和子が産んだ明正天皇だけかも。
ちゃんと調べたのではなくて、ウロ覚え雑学トリビアだ書き殴るのがクセなので、すみません。でも、皇后から生まれた天皇は125人のなかでごくわずか、ってのは本当。
2006-09-09 11:59:49 ページのトップへ

訂正つづき
haruniwa
 「正妻が嫡子を産むこと」に関して、近世以後についてのみ書きましたが、人々が「由緒正しき伝統」「古式ゆかしい皇室のしきたり」と信じている事柄の多く(たとえば、皇室祭祀)のほとんどは、近代以後、つまり明治以後につくられたもの。
 この夏、息子の影響で、戦国期安土桃山期の皇室関連資料を雑学トリビアしたので、この時期の皇室と公家について、ちょいと詳しくなりました。
 武将たちのかけひきと「天皇権威の利用」について知ると、権力争いの別面が見えておもしろい。

 旧満州国国務院実業部総務司長として暗躍した人。満州に残った兵と民を放棄し、A級戦犯として巣鴨に収容されながら、米国の共産国対抗政策変換のおかげで釈放され、首相になった人の孫は、彼を尊敬し、「美しい国」を作りたいそうです。

 「美しい国」にとっては、国家に従順に、極寒の地だろうとジャングルだろうと「醜の御盾」となって飢えて死ぬ「一般ビープル」と、「125代つづく伝統的ご一家」が必要だろうから、新宮夫人となる女性が安産多産系であることをお祈り申し上げます。
2006-09-09 13:10:26 ページのトップへ

Re:ちょっと辛い気持ちです
rokujyou
なるほど! とふに落ちました
ゆっくり じっくり読ませて貰ってます

メール謝罪文は これひとえに 我々がワープロを使い始めたのが 近年であるからだと思う
例えはヘンですが 漫画と書籍はどっちが上か てなもんだな
ワープロで手紙を作成する連れ合いも 最後の署名は 自筆だと新しく万年筆を買いました。その字が 高校で三悪筆人として有名な字です

シー キョロ キョロ
他所の方と結婚したら さぞ才能が花開いて 幸せになられたろうにと バアは気の毒に思っております。
テニスコートの恋なぞと女性誌やワイドショーは はやし立てるが 三代さかのぼって 係累まで調べられた上でのお膳立てとは痛ましい

天皇でも女帝でも お相手選びが 少し先に延びただけだよね
おまけに 天皇妃は長女でなくてはならぬそうで
昭和天皇は皇后の妹の方が気に入っていたらしいよ と死んだ母が聞かせてくれた噂話 (彼女は本願寺へお輿入れ)

いずれにしろ 大変だけど エリザベス女王のご亭主も頑張ってるね
2006-09-09 16:55:04 ページのトップへ

☆    ☆    ☆    ☆    ☆

2012/03/20
 女性宮家創設問題が話題になっています。世界の王室では「男女にかかわらず第1子を後継者とする」というのが趨勢となっていますが、「万世一系、男系のみを後継者とする」というのを金科玉条、この法則が壊れたら、この国はおしまいだと信じている人々も多い。

 信心は自由だから、男系を守りたいと思うのも自由だけれど、伝統を守るというのを死守するのであるなら、「皇室は一般人と異なるから、一夫多妻を家訓とする」と考えて、明治天皇までの伝統を復活させる以外にない。ユージンちゃんには、今からまわりに美女をごろごろ侍らせて、成人後はひたすら子作りに励んで貰うしかないかも。

 『平清盛』では、これまではドラマではあからさまに描かれていない歴史上の大スキャンダル、「崇徳天皇は父親である鳥羽天皇の子ではなく、中宮待賢門院璋子と、鳥羽天皇の祖父であり璋子の養父である白河上皇の間に生まれた不義の子である」ということが、ドラマの要になっています。

 千年前のこの事実のほか、表面に出なくても、さまざまなスキャンダルがあったことは確かな家系なのですから、ダンケーダンケーとこだわるより、不義密通でも人工授精でも、お子がじゃんじゃん誕生することこそめでたきなり。つるかめつるかめ。

ぽかぽか春庭「ゴッホによせて」

2012-03-26 | 日記・エッセイ・コラム

2012/03/20
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(7)ゴッホによせて

ゴッホによせて
haruniwa
  印象派、そしてセザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどポストインプレッショニストは、日本で格別に人気が高いですね。
 私が電車賃を払える地域は千葉市さいたま市横浜市までで、鎌倉となるとちと時間と電車賃を考えてしまうのですが、この地域でまとまったゴッホ展やセザンヌ展があったときは、欠かさず見に行っていました。

 私は、母がゴッホファンで、自宅の壁に「花咲く桃の木」のポスターを貼っていたりしたので、「絵を見る」ということをはじめたのが、ゴッホからでした。この『花咲く桃の木』は、1958年「フィンセント・ファン・ゴッホ展」が東京国立博物館で開催されたときに後援をした新聞社(読売)から新聞定期購読者に配布されたもので、母は長いあいだこの図版を大切に飾っていました。当時はファーストネーム、ヴィンセントではなく、フィンセントだったのね。

 母がゴッホの絵を好きだったのは、美術的にというより、三好十郎の「炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝」や、読売が大々的に特集した記事などから彼の人物像が好きになってから絵を見るようになったのだろうと思います。
 私が子供のころ、母には画集を買うような余裕もなく、銀行のカレンダーにひまわりの絵があると、年がかわっても、絵だけは切り抜いてとっておくような、ささやかな絵の楽しみ方でした。

 私が最初にゴッホ展を見たのは、1976年の 「オランダ国立ヴァン・ゴッホ美術館所蔵ヴァン・ゴッホ展」国立西洋美術館
だったと思います。

 まとまった展覧会があるたびに何度も行ったゴッホ展ですが、カタログは高いので買えないことが多かった。それでもとぼしいお金をやりくりして集めてきた美術展カタログが、今年2月に起きた水害(上階からの水漏れ事故)で、本や畳が水浸しになったとき、美術展カタログも水に濡れてしまいました。
大半のカタログは、水でよれよれになり、惜しいと思いながらも捨ててしまいました。

 画集が出版されているようなメジャーな画家のカタログなら、画集を買えばよいと思いますが、画集が手に入れにくいマイナーな画家のカタログは、水でページがくっついてしまったような状態であっても、とっておくべきだったと後悔しています。

 しかし、洪水のあと、なんとか部屋を片付けなければと必死で、思考力などなく、とにかく濡れたものを捨てたのです。(春庭2010年3月の日記参照してください)
 しかし、2005年に竹橋の近代美術館で開催されたゴッホ展のカタログは、別の場所においてあったので、水にぬれませんでした。

 国立新美術館で開催される次回のゴッホ展と同じくファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館からのコレクションです。
 私が初めて見た1976年のゴッホ展には、46万人もの人が絵を見に押しかけたのだそうです。

 絵をみるというより、話題の見世物を見る、流行に乗り遅れてなるものか、という日本人の物見高さの結果の46万人であり、絵画鑑賞が趣味という人がそれほど増えているわけではないみたい。

 その証拠に私がときどき足を運ぶ近代美術館や西洋美術館の常設展示はいつでも人もまばらな状態でゆったりと見ることができ、ゴッホの数点の絵も、独占状態で鑑賞できます。
2010-08-23 11:18:58 ページのトップへ

教師の仕事
haruniwa
 私が絵画鑑賞を趣味とするようになったのは、中学3年生のときの美術科教諭松岡先生に絵を見る楽しみを教わったからです。
 松岡先生は定年退職後、奥さんと美術研究所を設立して後進の指導にあたっておられましたが、私は松岡先生にお礼状の一枚年賀状一枚だしたことはありませんでした。

 そして、教師の仕事というのは、そういうものだと思い知りました。
 「先生のおかげです」なんて、直接に言ってくる生徒はほんのひとにぎり。
 でも、教えたことは必ず生徒の心に残り、心の糧になっている。

 トリトンさんが美術や演劇を教えた生徒さん、何十年後かに「ああ、私が演劇好きなのは、あのときあの先生が演劇の話をしていたからだなあ」と思い当たる人がいるだろうと思います。
 それで十分ですよね。
2010-08-23 11:19:37 ページのトップへ

教師の仕事つづき
haruniwa
 なぜ、「教師の仕事」について書いたか。
 トリトンさんの文に種田陽平について書いてあったからです。
 「同じムサビで同じ時代に学んだことに誇りを感じる」と書かれている一方で「彼はこうして活躍してきたのに、自分はこの年月何をしてきたのか」とも書いている記述が気になったのです。

 私は自分のことを常に「ねたみひがみやっかみ」人間と公言しているのですが、私の妬みやっかみが最大になるのは、中学校と高校で3年間同じクラスだったレイコさんのこと。
 レイコさんは美人で頭がよく、お金持ちのお嬢さん。ハンサムなご主人と大学在学中に学生結婚し、子育て中も実家の支援を受けながら大学院を修了し、明治女性文学、一葉研究などの第一人者として活躍している。
 大学教授としても母親としても、立派な仕事を成し遂げています。

 同じ高校で机を並べていたはずの人がはるか遠くにいるようで、何の業績もない私としては、常に「同じように一生懸命生きてきたのに、どうして私はこんなさえない人生のままなのか」と、思うことが多いのです。
 
 私は私で十分おもしろい人生をあゆんできたからいいじゃないか、と思う。ても、「ヒトは人、私は私」、なんてことは聞き飽きた。私に日が差すことがあってもよかったんじゃないか、とも思います。
 トリトンさんが「種田陽平に比べて私は」と思うのと同じではないかもしれませんが、私にも人と比べてしまう点があることは共通しています。

 しかしながら、私は、私のヒガミは私のエネルギーと思うことにしています。
 トリトンさんも種田さんとは違うトリトンさんの世界を築いてください。私もあと50年くらいかけて私の世界を築いていくつもり。

 あと50年くらいすると「またしても行方不明老人、110歳女性」なんてニュースになるだろうと思うのですが、そのころトリトンさんが100歳になっていたら、「ああ、あの行方不明の人、私知ってるわ」と周囲の人に話して下さい。
 そのとき何人か「ああ、うちの親は、そんな名前の人に日本語学を教わったと言っていた」という人がいるかもしれない。
2010-08-23 11:38:09 ページのトップへ

星月夜の閃輝暗点 
haruniwa
 書いたままUPするので、誤変換いろいろあります。明示→明治とか。適当に直しながらよんで下さい。
 さて、ゴッホの「星月夜」が、ゴッホの病状のひとつである閃輝暗点から生まれたものである、ということを申し述べたいと思います。

 草間弥生の統合失調による幻視の絵画化、ゴッホの閃輝暗点(暗い中の光っているものの光が倍増して大きく見える)が生んだ「星月夜」

 星があれほど大きく輝いて見えるのは、服用している精神薬の副作用によって閃輝暗点が起きているからだ、という解説を聞いたときには、「そうか、ゴッホは自分の目に見えている星をそのままに描いていたのだ」と、妙に納得しました。
 ゴッホは薬の副作用によって見える彼の星の見え方をキャンバスに描いた。

 私たちは、星がこのように見える画家の天才を知り、やはり天才というのは尋常の人の見方とは異なるものが見えるのだ、と思って「星月夜」などを見てきたのですが、通常の目で見る画家の絵にも成し遂げえず、ゴッホと同じ副作用を持つ薬を飲んでいた画家ならぬ人には描きえない世界が、ここに奇跡的に美しい星月夜の絵を完成させた、この奇蹟は人類に与えられた神の御技と思います。
2010-08-23 12:08:30 ページのトップへ

天才
haruniwa
 トリトンさん、美術教員研修、お疲れ様です。がんばってね。

 長々と書いてきたのは、高校野球も終わって、大会後の野球少年たちの人生を考えていたから。
 全国に中学校が1万校あります。たいていの学校に何はなくても野球部はあるから、最低10人は野球部員がいて、全国では10万人の野球少年がいるだろう。その10万人の野球少年は高校へ行って甲子園を目指します。一夏に10万人以上の野球少年が甲子園を目指す。
そのうち甲子園に出場できるのは、概算800人です。
 800人は、選ばれたエリートです。その800人のうち、プロ野球にスカウトやテスト生で入るのは毎年一球団で10人前後。(ドラフトによる新人入団は10人まで)
残りの数百人は、甲子園に出たことを最高の栄誉としてアマチュア選手として野球を楽しむことになる。
 むろん、甲子園へ行けなかった10万人も同じ。

 プロとなるのは10万人のうちの120人。
 一人のイチローの後ろに、100万人の天才ではなかった野球少年がいる。
 種田陽平も天才です。野球も美術も同じ。ひとりの種田陽平のうしろには、何人の芸術少女、美術少年がいたのか。

 言語学日本語学の世界にも、三上章とか奥田靖雄とか、天才的な人が何十年に一度は出現します。

それらの天才にくらべれば、春庭の凡才ぶりは、草野球でライトの9番もだしてもらえないような、草野球ベンチ組みたいなものです。

それでも、くさらずに、日夜日本語について考えています。
「ヘタの考え休むに似たり」と、父に揶揄されていた子供時代とちがって、今は私が考える時間を持つことを冷やかす人もいないので、考えていたのですが、ほんとうに「ヘタの考え休むに似たり」だったので、がっくり来ています。

8月中取り組んできた「受け身文、動作主体のマーカーについて。ニ格とニヨッテの使い分け」というのをようようまとめて、これまで出された先行研究よりちょっとは先に進んだかと思ったら、私の先行論文チェック不足で、私の下手な考えよりよほど精緻な先行研究が出ていたことに今頃気づきました。

徒労!のひとこと。

数学のフィーズル賞などでは、同じ証明に取り組んでいる研究者がゴマンといて、一分でも早く出版公表した人が栄誉を受けるのだそうです。同じ結論にたどり着いたとしても、結果発表が一日おくれたらダメ。

日本語学研究者としては私はほんとドジでのろまな亀、カタツムリの歩みです。
結局のところ、日本文学研究も日本語学研究もどちらでも何もできない凡人の生きる道は何なのか、、、

ああ、暑い。
長々書いてきて、ただの愚痴です。すまぬ。

2010-08-23 12:31:48 ページのトップへ

ゴッホ
toliton717
haruniwaさんへ

興味深いコメントをありがとうございました。
>ゴッホの閃輝暗点(暗い中の光っているものの光が倍増して大きく見える)が生んだ「星月夜」
とは、初めて知りました。

薬の作用で、実際より大きく光ってゴッホの目には映っていたのですね…。

薬の副作用かどうかは分らないけれど、オーヴェール時代のゆがんだ教会や、うねるようにそびえる糸杉とかも、そんなふうに見えていたのかなあ…。
ゴッホの目に見えたままに…。

『炎の画家ゴッホ』の由来はあのうねるような厚塗りの筆致だけでなく、彼の生涯、生き様が炎そのものだったのでしょう。
あまりに純粋で、不器用なゴッホ。
日本に憧れ、浮世絵師たちの様な芸術家のユートピアを目指していたゴッホ。
実際に家族や友人に彼の様な人がいたら、みな大変だろうと思うけど、生涯を通して兄を支え続けた弟テオは素晴らしい人だと思います。
彼なくしてはゴッホの芸術も生まれず、アルルの生活も成り立たなかったことでしょう。
15本のひまわりの絵はテオがメンバーに入っている絵なのだそうです。
二人の兄弟愛は永遠に語り継がれていくことでしょう。

息子さんの勾玉作り、お疲れ様でした。
私も千葉県立美術館のワークショップで勾玉作りを手伝ったことがあります。石って磨くと本当に光るんだ~と当時小学校2年生の娘が感心していました。  

2010-08-23 18:17:21 ページのトップへ

☆    ☆    ☆    ☆    ☆

2012/03/20
 18日日曜日、近代美術館常設展を見ました。1月に見たときからかなり展示替えになっていて、春らしい桜の絵も多く展示されていました。
 夭折の天才も、長命の大家も、絵からも彫刻からも、作品を完成させるという情熱の光輝が放たれており、作品の間を歩くだけで、光に満ちた「天才浴」を感じました。森林浴もいいけれど、季節に一回は美術館での天才浴もいいですね。

 小林古径の桜の屏風絵は撮影禁止マークがありましたが、その他の絵、撮影許可のワッペンをもらったので、好きな絵をバチバチとデジカメにおさめてきました。

 人に文句付けるのが生き甲斐という風貌の「ご年配の紳士」が「キンシだよ」「キンシだよ」と私がシャッターおすたびに言う。
 私は撮影許可のワッペンつけているので、私に言っているのだとは思わずに無視していたのですが、何度目かの「キンシだよ」で、私に向かって言っているのだとわかりました。

 そこで「撮影禁止マークがついている絵はダメですが、それ以外の絵は、撮影許可をもらい、フラッシュをたかなければ、撮影していいんですよ、ここは」と、ジーサンの「キンシだよ」説教を封じました。
 ジーサンは、近代美術館は撮影許可が出るのだと言うことを知らずに「キンシだよ」を言っていたようで、私の説明に「え?そう?」とつぶやいただけでした。
 小言大好き高齢者に告ぐ。自分の思い込みで人に説教したがるのはやめんしゃい。説教大好き癖キンシだよ。

 近代美術館が好きなのは、写真撮影許可がでるところ。写真をパソコンに取り込んでおくと、私のパソコン、時計表示の下に自分の写真アルバムが表示され、15秒に一度いろんな写真が出るので、美術館で撮影した絵も楽しめます。


ぽかぽか春庭「雲は天才であるの歌」

2012-03-20 | 日記・エッセイ・コラム
2012/03/19
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(6)石川啄木「雲は天才である」の歌

石川啄木「雲は天才である」の歌
purelife11
>石川啄木の雲は天才であると言う詩をご存知ですか?
春まだ浅く
月若き、、、、、
だったか、学生時分にメロディ付けて教えて頂いたのですが、忘れてしまいました。
検索かけたのですが、無かった?
探し様が悪かったのかも知れませんが、春さんがご存知なら、それの方が早いからと、安直な手段行使(笑)
================
オニさんへ
 検索上手な春庭、以下のことをしらべましたので、お知らせします。
================
haruniwa
「雲は天才である」の中にでてくる合唱曲の歌詞は以下の通り。
 二階から響いてくる「若々しい、勇ましい合唱の聲」として小説中に歌詞がのっている。、

春まだ淺く月若き
生命(いのち)の森の夜(よる)の香(か)に
あくがれ出でて我が魂(たま)の
夢むともなく夢むれば

「自主(じしゆ)」の劍(つるぎ)を右手(めて)に持ち、
左手(ゆんで)に翳(かざ)す「愛」の旗、
「自由」の駒に跨がりて
進む理想の路すがら、
今宵生命(いのち)の森の蔭
水のほとりに宿かりぬ。

そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標(はかじるし)、
音なき河は千載に
香る名をこそ流すらむ。
此處は何處と我問へば、
汝(な)が故郷と月答ふ。

勇める駒の嘶(いなな)くと
思へば夢はふと覺めぬ。
白羽の甲(かぶと)銀の楯
皆消えはてぬ、さはあれど
ここに消えざる身ぞ一人
理想の路に佇みぬ。

雪をいただく岩手山
名さへ優しき姫神の
山の間を流れゆく
千古の水の北上に
心を洗ひ
そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標(はかじるし)

2007-02-01 09:44:38 返信フォームへ 掲示板へ戻る


石川啄木「雲は天才である」つづき「紫紺歌」
haruniwa
オニさんが覚えたのは、この石川啄木の詩をもとにして某国立大学工学部の応援歌として採用された「替え歌」のほうであると思われます。(某国立大学の名は検索してもわかりませんでした)
ネットで、「紫紺歌」「応援歌」で検索すると明治大学ばかりがでてきてしまい、大学名は検索できず。

「紫紺歌」というタイトルで、「大学校歌・学生歌・応援歌」などを収録したレコード・CDに収録されているようですから、探してみると見つかるかも。

「紫紺歌」
紫紺歌        
春未だ浅く月若き 
むらさきの森の夜の香に 
あくがれ出でて我が魂の 
夢むともなく夢みれば 
さ霧の彼方たゆたゆと 
若き力のもえいずる
自主の剣を右手に持ち 
左手にかざす愛の旗 
自由の駒に跨りて 
進む理想の道すがら
今宵紫紺の森の陰 
水のほとりに宿かりぬ
===========

 また、盛岡市立渋民小学校の校歌としてこの石川啄木の詩に清瀬保二が曲をつけた歌が歌われています。
 こちらは、調べれば曲もわかると思いますが、オニさんが聞いたのは、上の学生歌「紫紺歌」のほうと思います。
2007-02-01 09:45:34 ページのトップへ


Re:石川啄木「雲は天才である」の歌
purelife11
春庭さん、凄く調べて頂いて、光栄です
m(_ _)m

でも流石ですね!
(^_^)v
詩を見ながら、メロディを口ずさんでみたのですが、剣の辺りからメロディが変わったようなで思い出せず
(^。^;)
色々調べて頂いた応援歌や校歌に付いて調べてみます。

私が検索しても、雲は天才であるだけしか分からず、歌の詳細が分かったのは、何と40年振りです(*^_^*)
本当にご足労おかけ致しました。
感謝にたえません。
何とか私が学んだメロディを探し出して、掲載致したいと存じます。
有難うございました
m(_ _)m

2007-02-01 17:34:15 ページのトップへ
色々有難うデスo(^-^)o
purelife11
こんにちは。
昨日から検索をかけてみたのですが、分かりませんでしたので、啄木記念館に電話致しました。
そのご報告です。

同じ詩の内容で、校歌や応援歌としては渋民小学校の校歌だけだそうです。
私が知るメロディをお伝えした処、一般の音楽としては、昭和11年の映画『情熱の詩人啄木』の主題歌として、古賀正男さんが作曲されたものがあり、私が学んだメロディでした。

作詞石川啄木
作曲古賀正男
『春まだ浅く』
でした。
歌っておられる方までは聞きませんでした。

今仕事の休憩中です。
間も無く始まりますので、お礼かたがたご報告まで。
また書きに来ます。
有難うございました
(*^_^*)
2007-02-02 12:51:45 ページのトップへ

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

2012/03/19
 雨の中、工芸館へ出かけて、織物の天才の仕事を見てきました。何によらず、天才の仕事はすごい。夜はテレビで彫刻の佐藤忠良の仕事を見た。これも天才。
 凡才鈍才の我が身をふりかえれば情けなくもあるが、今生き続けているという才能において、人はみな天才であると思えばよろし。

ぽかぽか春庭「人魚姫・宝くじ・昔の映画」

2012-03-20 | 日記・エッセイ・コラム
2012/03/14
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(2)人魚姫のささげ物

 OCNカフェ日記のbbs、全ページは保存しきれませんでしたが、一部分だけコピーペーストでとっておきました。再録しておきます。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆
ささげ物
rokujyou
春庭さんも 人魚姫に深く関心を持っておられたのですね。
「人魚姫」「フランダースの犬」どれも子供が読むには 辛すぎる話です。
私は子供の頃 人魚姫の 王子はバカだ!と口惜しがったものです。

でも 今は 心に残るところが少し違います。
人魚姫が 魔法使いに人間に変えて貰う時一番大事なものと 取り替える約束をするところです。
人は 何か一番大切なものと 現在の人生を取り替えたのだろうかと思う時があります。
時々 難病の治療などで すっかり髪が抜けてしまった若い人を見ると神様が命の代わりに 髪の毛を要求したのかなあ等と 想像してしまいます。

私には もう神様にささげる物は無いので、体重をすこし差し上げます。
2005-11-23 22:57:42 返信フォームへ 掲示板へ戻る


Re:ささげ物
haruniwa
 6歳のころの私、人魚姫のラストがハッピーエンドでないと耐えられなかったのだけれど、大人になってみれば、わかってくるんですよね。
 ディズニー映画『リトルマーメイド』が、アンデルセンを原作にしてはいるものの、見事にディズニーお子ちゃま向けハッピーエンドになってしまったのを見て、「なんてつまらない物語になってしまうのだろう」と、思いました。

 あの深い無償の愛のゆくすえは、おもいを寄せた女性すべてに振られ続け、結局独身を通したアンデルセンならではのラストだし。
 それに、人魚姫は「死なない体を持つかわりに、死んだあとは神様のいる天国へはいけない人魚の運命」からのがれて、「死を得るかわりに神のもとへと昇天する」というラストでした。これは、やはりキリスト教の死生観を理解しないとわからないことでした。

> 私には もう神様にささげる物は無いので体重をすこし差し上げます。

 私は、神様にウンKgをささげてもなお、余りあるので、1Kgずつ、量り売りをしたいと思っています。
 難病の話。今テレビで、「1リットルの涙」と、「あいのうた」を見ています。
 姉を難病で3年前に失ったことを思い出すと、「難病もの」のドラマ、ちょっとつらいですけど、子供が見ているので、いっしょに見ています。

 小学生に対しての調査によると、「命」はリセットされて、何度でも復活可能と考えている小学生48%という結果。
 命について、教えられる人、まわりにいない世の中になっているのですね。
2005-11-24 10:29:09 ページのトップへ コメント削除
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<つづく>
2012/03/16
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(3)宝くじ

Re:来たよぉ~ん!(^^ゞ
haruniwa
 私の毎年の年末の予定では。
 赤信号なのに、よろよろと横断歩道を渡りかけたおじいさんの手をひき、「おじいさん、次の青信号でいっしょに渡りましょうね」と、言う。手をつないで信号を渡り終えると、おじいさんは「どうも、ありがとう、あんたみたいに、若くて親切な女の人と手をつないだのはひさしぶりじゃ、お礼にこれを」と言って、宝くじを3枚くれます。

 その3枚がなんと、一等と前後賞。こうして、春庭は、買う金がなかったのにもかかわらず、3億円手に入れたのでした。これも、日頃から、人に親切にしていた心がけのおかげでしょう。
 という予定を毎年年末にたててきたのですが、今まで、宝くじをくれそうなおじいさんに出会っていないのは、残念なことです。
 今年こそ、宝くじくれそうなおじいさんの手をひいて、横断歩道を渡りたいです。

 じゃ、tomさんが3億円あたったら、1億はこちらにね。予定表にかいておきます。
 ふっふっふ、これで、おじいさんからの分とあわせると、4億になるわ。
 ま、私の場合、4億程度のおこずかいは、一晩遊んだら終わっちゃうと思うけれど。
2005-11-25 23:56:18 ページのトップへ コメント削除
~~~~~~~~~~~~~~~~

2012/03/16
 3月14日、日本橋でグリーンジャンボ宝くじ、10枚買いました。年末ジャンボ、10枚買って末等の300円当たっただけだったけれど、今回も最終日に、迷った末、「買わなきゃ当たらない」と思い、復興支援の税金だと思って買ったのだけれど。

 社会学者にいわせると、所得税が低い貧乏人層から税金をとるには、宝くじが一番いいのだそうです。所得低い層の税額を上げると政府は責められるけれど、宝くじを買わせても誰も文句を言わない。
 宝くじは、競馬や競輪に比べると、胴元の取り分の率が一番高いので、貧乏人からしぼりとるには、一番良い方法なのだそうです。

<つづく>
2012/03/17
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(4)昔の映画

Re:昔の映画
haruniwa
 「昨今の映画はどうも、、、」と思い、ゆったりと流れる映画を見たいと、思っていらっしゃる、ろくじょうさん、私たちの年代の人にとって「思いはみな同じ」かもしれません。
 50代以上の女性の映画館での鑑賞本数は「年に一本未満、次に多いのは、年に1~2本」というデータが出ています。一番映画館に足を運ばないのが、50代以上の女性みたいです。

 私が、映画館で見た映画、この1年で24本。ほぼ月に2本見ている春庭は、たぶん、「映画好き」なほうに入ると思います。これほどこまめに映画館へ行くのは、「当映画館で、何度でも映画見放題」のギンレイシネパスポートという会員証があるためなのですが。

 春庭が見た映画についてのひとことコメント、2004年の分は
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/eiga0511a.htm
のページに、2005年の分は、
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/eiga0503a.htm
 このページにありますので、のぞいてみてね。
 ろくじょうさんのお気に召す映画、あるかしら。
 同じ時代を共感できる映画、貴重ですね。同時代を描いた映画に、同じ時代を生きた気分が感じられると、ストーリーそっちのけで、そのシーンだけで、感動したりします。

 団塊世代の涙腺くすぐるシーン、いくつかあるんです。新宿西口広場で「友よ」をみなで歌っているところとか。ヘルメットかぶってデモってるところとか。
 自分では体験しなかったことでも、たとえば、同世代の人が集団就職で上京するシーンとか、涙ぽろりものです。

『三丁目の夕日』、やたらノスタルジィだけの映画だったら困るなと思っていたら、けっこうよさそうだし、原作漫画キャラの改変も許せる範囲らしいので、飯田橋ギンレイにきたら、またはテレビ放映のときに見ようと思っています。
2005-11-26 15:14:51 ページのトップへ コメント削除

Re:昔の映画
haruniwa
<続き>
 「貧しさへの共感」に、関して。
 『アルジャノンに花束を』の1968年映画化作品『チャーリー(邦題「まごころを君に」)』

 1970年に東京へ出てきてすぐのころ見た映画です。
 主人公の知的発達遅滞の青年チャーリーの貧しいアパートが画面に出てきます。古い冷蔵庫、狭い室内。
 ところが、1970年に、私は現実の東京ひとり暮らしで、チャーリーよりもっと狭いアパートに住み、もっと古い冷蔵庫を使っていたんです。このとき、チャーリーを、「貧しい」と感じられなかった。

 しばらして、『アルジャノンに花束を』が有名になり、テレビでこの「まごころを君に」が放映された。今度はチャーリーの貧しい境遇が身にしみるようにわかったの。
そのとき、「あれ、チャーリーの貧しさがわかるってことは、私はチャーリーより豊かな暮らしをするようになったんだなあ」と、しみじみ感じました。

 昔みただけで、今見直したことのない作品、たとえば、『下町の太陽』なんかに出てくる東京下町の貧しさとか、今見たらどんなふうに感じるのかなあ、と思います。

 『草原の輝き』、映画館で一度見て、テレビで放映されたときも、見たのですが、ウォーレン・ベイティ(当時はビューティ)がかっこよかったことしか覚えていなくて。
今見たら、青春の輝きとその喪失の時代に対して、若い頃とはちがう感慨をもつことでしょうね。
2005-11-26 15:15:53 ページのトップへ コメント削除
☆   ☆   ☆   ☆   ☆

2012/03/17
 NHKの「日本の映画100選家族編」の放映をビデオにとって見ているのだけれど、戦前戦後の光景、あまりの貧しい暮らしぶりに、「昭和30年代にノスタルジーを感じるなんて、言うやつは、この貧乏ぶりを見てからにしろ」と言いたくなる。たとえば『にあんちゃん』の炭鉱の暮らし。映画公開当時だって、日本の平均よりは貧しい生活だったとおもうけれど、イマドキ、インドのスラムだってまだマシとおもうような圧倒的な貧しさです。

 『めし』も『生きる』も、『煙突の見える場所』『若者たち』『上を向いて歩こう』も、みな貧しさの中にせいいっぱい生きているのだけれど、このような昭和30年代に戻りたいかと言われたら、私は「父母姉妹と犬の五人一匹で暮らしたあのなつかしい日々」には帰りたいけれど、社会全体があの頃に戻るのならお断り申し上げる。



 本日3月17日は、飯田橋ギンレイで『明日のパスタはアルデンテ』と、『さすらいの女神(ディーバ)たち』を見ます。パスタ会社一家の話と、ショウダンサーたちの話。

 「アル・デンテ」ってイタリア語で「ちょっと固め」というパスタの茹で具合だと思っていたら、「デンテ」とは英語の「デンタルクリニック」っていうときのデンタと同じ「歯」という意味で、アルデンテは「歯ごたえのある」という意味なんだってなーるほど。


<つづく>

ぽかぽか春庭「あんぱんまんと青い鳥」

2012-03-20 | 日記・エッセイ・コラム
ぽかぽか春庭カフェらパンセソバージュ>bbsコピー(1)復活へ向けて3.11チルチルさんニュースとあんぱんまん日記

 消えてなくなるものはとっておきたくなる「もったいながり」は、自分のbbsのいくつかをコピーしたのに加えて、お節介にも亡くなったプーさんの日記もコピーして、春庭日記に入れておきました。引っ越しとともにgoo春庭日記に残すことができました。

 実は、もうひと方、亡くなった方のOCNカフェ日記のコピーをしておいたのです。プーさんは、パソコンを開くこともない年老いた母堂のほかにお身内もいなかったので、お節介だとしてもする意味があったと感じるのですが、もうひと方は、パソコンに詳しい方だったし、きっと残された奥さんお子さんのためにコピーをとってあるだろうと思いました。それでもコピーを取っておきたかったのは、私自身、ときどきこの日記を読み返したかったからです。

 特定疾患に指定されている遺伝性の難病、「ムコ多糖代謝異常症」の入院治療中にOCNカフェ日記を書き始めたアンパンマンさん。恋人に病気を打ち明けて別れ話をした上で入院したという境遇でしたが、恋人は病気を承知でアンパンマンさんと結婚に至りました。一時よくなって退院した間に、家も建てかわいい子どもの誕生を待って「幸福だ」ということばを残して2008年8月に亡くなりました。そして、残された奥さんは「来年第2子が生まれる」というアンパンマンさんには伝えることができなかった大切な出来事を、カフェ日記に書いて、その後日記は放置されていました。おそらく日記の引っ越しは行われず、カフェ日記は消滅したのだろうと思います。
 お節介にもコピーをしたアンパンマン日記は、春庭の倉庫ページのひとつに格納してあります。
http://blog.goo.ne.jp/dancingsoleil
 記事一覧の中のみだしを見ればわかると思います。

 アンパンマンさんは、病の中で、「生きよう、生き続けよう」という強い意志を示した方でした。ときどき「代筆です」と、手術中のアンパンマンさんに変わって日記に「まだ麻酔からさめていません」などの記録を残してくれた恋人(のちに奥さんIDはメロンパンナさん)も、とても素敵な方のように思われました。
 生まれたお嬢さんの名前は彩良(さら)ちゃん。第2子報告は記録されませんでしたので、無事生まれたのかどうかはわかりませんけれど、母子3人で助け合って暮らしていると信じています。

 3,11は、日本中に祈りが溢れました。1年間安易に使われた「絆」がなんだか安っぽく感じられることもありましたが、やはり、この日ばかりは、心の中に亡くなった方々への祈りをつぶやかずにはいられませんでした。
 息子は、学校事務のバイトが春休みで休業中なので、博物館で学芸員のバイトをしています。通うには不便な場所にある博物館ですが、11日の14時46分には、館内放送が入って黙祷したそうです。

 3月11日は、つらい思い出もまだ生々しいですが、私にとって「復興」「復活」の希望を持てるよいニュースもありました。
 ひとつは、facebookに載ったチルチルさんの映像。2008年の手術後、首から下が動かなくなる結果となり、寝たきりの生活のあと、リハビリを続けてきたチルチルさん。「足の指が動いた」「左手を上にあげることができた」と、「神経の赤ちゃんが育っていく」ことを大切にしてきた成果が出てきました。

 チルチルさんのfacebookには、3月2日に「この文章は、自分でパソコン入力しました。」という書き込みがありました。
 周囲の方々の懸命の介護と、リハビリに励むちるちるさんの大きな努力によって、指先が少しだけでも動かせるようになった、という報告の「自分でパソコン入力しました」という記録。ほんとうにうれしいメッセージでした。

 さらに3月11日のfacebook映像では、なんと「車椅子にペダルをつけた車椅子自転車」をこいで、自分一人で動く姿がUPされたのです。何度も繰り返して再生して、ブラボーを叫びました
 まだ、無理は禁物ですが、ほんとうに少しずつではあっても、「神経の赤ちゃんが生まれてくる」という状態です。

 首から下がまったく動かなくなってしまったあとの絶望から、どれほどの努力が続いたことでしょう。車椅子のペダルを踏む13秒間の映像には、周囲の人の「すごい、すごい」と言う声と拍手も聞こえてきました。私も「すごい、すごい」とコメントを寄せました。
 4年間のリハビリで、ここまで回復したのです。
 チルチルさんの息子さんは、今月入籍なさったというよいニュースもあり、春到来の復活祭を待つ心持ちになります。

 もともとキリスト教の復活祭は、ユダヤ教の過ぎ越しの祭り「パスハ」と、ゲルマン民族の春祭りが習合したものです。春の到来すなわち「春の女神エオストレ(Eostre)」の復活を祝う祭り、英語ではイースター(Easter)、ドイツ語ではオースタン(Ostern)。

 昨年の3.11以来、すっかり意気消沈していた春庭、チルチルさんへ送る葉書プロジェクトによって少しずつ落ち込みから回復してきました。 
 2011年4月からはじめた、青い鳥ちるちるさんあてに毎月10枚、3日に一枚のペースで絵はがきを送る個人的プロジェクト。何度か報告してきましたが、3月末日で、青い鳥絵はがき通信は満1年、120枚になります。
 ベッドでの生活が続くちるちるさんに、少しでも退屈しのぎになればいい、という思いもありましたが、それよりも、ちるちるさんに葉書を受け取っていただくことによって、私自身の命を支えてもらったのです。
 だれかとのつながりがあること、将来に向かって、その絆をしっかりと握っていたいと思うこと、その思いがあって、震災後の虚無感から少しずつ抜け出すことができました。

 見た目は買った葉書のほうがいいけれど、自分で作ったもののほうが愛着があります。雑誌などのグラビア写真や旅行パンフレットの観光写真を切り抜いて、紙を貼り合わせて作る時間、文を書く時間、絵に合った切手を選んで貼る時間、すべての時間が「青い鳥さんのために祈る時間」になると思うからです。
 絵はがき作りは、私にとって、祈りの時間なのです。どんどん作ってどんどん葉書が出来上がるので、もう2021年の分まで10枚セットの葉書が袋に入れて段ボールに詰めてあります。


 今月の葉書10枚ラインナップ。
¥は美術館博物館などで買った葉書。
*は、無料配布の葉書。
@は、自作オリジナル葉書。

@3/05 (イヌフグリの写真) 春を告げる花。イヌフグリの名前について 
¥3/07(ペルーの蝶ヘレナモルフォ<府中郷土の森)ちるちるさん息子さんへのお祝いメッセージ 
@3/10(マグリット作、鳩の形に切り抜かれた青空の絵)車椅子自転車をこぐ姿へのブラボー!
@3/14(鯰絵<印刷博物館パンフレット)震災について
¥3/15(ソーントン:フローラの神殿<印刷博物館)春の女神について

@3/20(牛島憲之:水辺水門<美術館チラシ)荒川水門と青山士について
¥3/21(荒川岩淵関緑地の写真<東京都北区観光絵はがき)赤水門について
*3/25(前田侯爵邸駒場本館<東京都教育庁文化財ウィーク葉書)詩と近代文学館について
*3/28(前田侯爵邸正面<旧近代文学館)東京都の文学館について
@3/30(檜木内川堤の桜並木、旅行ガイド本表紙)この1年&花見

 2011/5/23のbbs、ちるちるさんからの投稿を再録。(この頃は、介護ヘルパーさんや妹さんが、介護の合間に、ちるちるさんの口述を代理で打ってメールを出していました)
☆  ☆  ☆  ☆  ☆
ははは
chiruchiru77
うははは!
ポストマンがやってこないよ(泣)
たのしみにしてるのになぁ~~~~
どうもなければいいけれど、心配した~~~!(笑)

最近の私は、ポストが毎日気になります。
はがきがくるのが楽しみなのです。

先日、千葉や東京の方面で地震があったようですが、大丈夫でしたか?
気になっています。

今日は、寒いです。
毎週月曜日のリハビリに行ってきました。
手も動くようになりました。
以前は動かなかった右手まで動くようになりました!!
奇跡が起きていますよ。

今度はるさんに会える時は、どんな私でしょうね?
楽しみです。

はるさんも、元気出してね~

では、また!
2011-05-23 18:17:03 返信フォームへ 掲示板へ戻る



Re:ははは
haruniwa
 ちるちるさん、ハガキ投函遅れてごめんなさい。20日付けのNo.16は、22日朝にポストに入れたの。21日付けNo17は、23日朝投函しました。

 No.17は届きましたか。No.17は、庭園美術館の外観が貼り付けてあるハガキです。No.16ブルターニュのアンヌ女公の絵が貼り付けてあるはがきとNo.17は、往復葉書の返信用のリサイクルハガキなんです。これは、大学の講師会への出欠確認用はがきと、女子高校時代のクラス会出欠確認用ハガキ、出さないまま引き出しにあったので、それに絵を貼り付けたの。

 5月18日に庭園美術館に行って、「森の芸術」というシリーズの絵はがきを買ったのですが、絵柄が秋の森の光景とアンデルセンの「雪の女王」の絵だったので、秋と冬になってから出すことにして、不要ハガキをリサイクルしてみたの。
 写真を貼るほか、いろいろ手づくりっぽいハガキも試してみたいと思っています。以前観光地に「木のはがき」というのを売っていました。木や布で作ったはがきも規定の切手が貼ってあれば、ちゃんと届くんですって。

 次回No.18は、赤いバラの写真ですよ。これから、駅前のポストに入れます。5月25日に届くように、できるだけ前の日に投函しようと思っているのですが、いつもいろんな忘れ物が多くて、忘れることもあるので、ご容赦ください。

 でも、絶対に一ヶ月10枚のペースでハガキを出すつもりだから、356枚たまるまで、受け取り人ボランティアよろしくね。

 5月23日朝も、千葉東京で地震があり、9階のわが家、揺れました。どうしよう、息子と娘を起こそうかなと心配しているうちに揺れはおさまりました。放射能不安もあり、こういう不安な日々に、九州の青い鳥さんが毎日リハビリがんばっていることを思うと勇気づけられます。右手も動くようになったなんて、すばらしい!!
 指でキーボードうてるようになったの?
 23日の青い鳥日記は、ちるちるさんが自分でキーボードを打ったのかしら。リハビリ、無理せず少しずつすすむといいですね。

 ダイエット、体重はへってきましたか。私もちるちるさんと同じです。親がそうだからしかたない。クスリと「炭水化物と糖分を控える食事」を去年の11月から続けています。娘が食事つくり係なので、すごく気をつかってくれて、夕べは娘と息子はパスタ、私のお皿にはパスタのように細い「こんにゃく麺」なんです。
 地震が続いている最中の不安解消ヤケ食いでちょっとリバウンドしたけれど、去年の11月以前からみると、5kgくらい痩せたので、最近ひさしぶりに私を見た人は「痩せたね」と言ってくれます。

 食事制限は厳しいけれど、出先でのランチではごはんやパンを食べるし、夕食後のデザートもけっこう食べています。ゆうべのデザートは、モンブランプリン。プリンの上に生クリームと栗モンブランがのっているんです。スーパーで「賞味期限は本日限りにつき3割引き」というので買いました。
がんばって食事制限続けましょう。

 次は「おなかが歌うよグーグーグー」の詩ができたら楽しそうね。
ちるちるさんの詩がたくさん掲載されますように。!
2011-05-24 08:45:16 ページのトップへ
☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「青い鳥」のgooサイトURLです。ハンドルネームも「あおいとり」さんです。
http://blog.goo.ne.jp/aoitori277
 


<つづく>

ぽかぽか春庭「あと一万回の晩飯」

2012-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

2012/03/09
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>あと1万回の晩飯(1)明治34年の食生活・子規『仰臥漫録』の献立

 武者小路実篤の「リッパ」な随筆、声に出して読んでいると、体から笑いがこみ上げてくる、不思議なリズムとユーモアがあって、こういうのは、ワカゾーが出そうとしても出てこない文の芸かも。
 ねらって仕上げたのならすごいけど、単なるボケでしょう。天然ボケも立派な芸です。
 昨年、調布市の武者小路実篤邸へ2度行ってみました。記念館には、実篤の絵や写真、書などが展示されていました。「新しき村」で野菜作りなどもしてみた実篤ですが、実篤翁の野菜の絵、絵としてはリッパなのでしょうけれど、あまり食べて見たくなるような、おいしそうな野菜ではありません。ナスとカボチャががならんでいて「仲良きことは美しきかな」とかの言葉がついているところがアリガタソーなのでしょうね。

実篤の野菜の絵「我、野菜を愛す」


 「あと千回の晩飯」を連載し始めたとき、山田風太郎は古稀を過ぎた年頃。6度目の年男になったあたりだったと思う。72歳で、「晩飯を食うのもあと千回ぐらい」と想定し、実際には2001年に79歳で亡くなった。
 私は6度目の年女を迎えたころ、たぶん「あと1万回は晩飯食うぞ」と叫んでいるだろう。食い気だけで生きている女ですから。

 グルメ文学は数々あり、おいしそうな食べ物をおいしそうに記録できる文の芸には敬服します。池波正太郎などの大御所のほか、若い作家の小説を読んでも、例えば小川糸『食堂かたつむり』など、書かれているレシピがとてもうまそう。伊吹有喜『四十九日のレシピ』は、私は原作を読んでおらず、テレビドラマを見ただけなのですが、レシピは小説の重要な要素になっています。
 そのほか、アリス本の中に出てくる食事のレシピ再現とか、村上春樹文学の中のレシピを再現した本、赤毛のアンシリーズに出てくる料理の本など、枚挙にいとまないほど。

 食べたもの記録のうち、近代文学史上もっとも名高いのは、正岡子規のものでしょう。20世紀が幕を開けた1901(明治34)年の9月2日から、子規は『仰臥漫録』に食べたものを記録しています。発表する予定のない私的な覚え書きですが、それだけに病中の心情が赤裸々に描かれています。
 日々、食べた大量のメニューの記録は、生きることへのすさまじい執念と、それを支えた母堂(八重:松山藩の儒者大原観山の長女)と妹、律の献身が浮かび上がってきます。


 子規の病床の食生活、摂取カロリーは研究によれば平均2254カロリーだそうで、当時の日本人の平均的摂取カロリーからみても、一日中病床にある病人のカロリーからみても、こんなに食べなくても、と思うくらいの量です。実際、食べて食べて消化しきれず吐くこともあったと『仰臥漫録』に書かれています。 
 標準的な献立は、
朝-飯または粥三、四椀に佃煮、漬け物、牛乳ココア入り、菓子パン数個。
昼-飯または粥三,四椀、刺身、みそ汁、漬け物、佃煮、果物。
間食1-牛乳、菓子パン、果物。
夕-飯または粥三、四椀、刺身か魚料理、野菜の煮物類、漬け物、佃煮、果物。
~~~~~~~~~~
(1901年) 
・九月二日
 朝 粥四椀 はぜの佃煮 梅干砂糖漬け
 昼 粥四椀 鰹のさしみ一人前 南瓜一皿 佃煮 梨二つ
 二時過 牛乳一合ココア入り 
 夕 奈良茶飯四椀 なまり節 茄子一皿 梨一つ

・九月三日
 朝 ぬく飯二椀 佃煮 梅干 牛乳五勺ココア交 菓子パン数個
 昼 粥三椀  鰹のさしみに蠅の卵あり それがため半分ほどくふ、晩飯のさいに買い置きたるわらさをさしみにつくる うまくなし 食はず
   味噌汁一椀 煎餅三枚 氷レモン一杯
 夕 粥に椀わらさ煮 旨からず 三度豆 芋二、三 寿司少々 糸蒟蒻 すべて旨からず、佃煮にてくふ 梨一つ 
 
・九月四日
朝 雑炊三椀 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入り 菓子パン二個、
昼 鯛の刺身 粥三椀杯 みそ汁 佃煮 梨二つ 葡萄酒一杯
間食 芋坂団子を買来らしむ(これに悶着あり)あん付三本焼一本 塩煎餅三枚、麦湯一杯 茶一椀
晩 粥三椀 なまり節 キャベツのひたし物 梨一つ 

・九月五日
朝 粥三椀 佃煮 瓜の漬物
昼 めじのさしみ 粥四椀 焼茄子 梨一つ
間食 梨一つ 紅茶一杯 菓子パン数個
夕 鶏肉 卵二つ 粥三椀余 煮茄子 若和布三杯酢かけ 

・九月六日
朝 粥三椀 佃煮不足 
昼 さしみ(かつを) 粥三、四椀 みそ汁 梨
間食 今日は『週報』募集句検閲の日なれば西瓜を買はしむ 西洋西瓜の上等なり一度に十五きれほどくふ
夕 粥三椀 あかえ キャベツ 冷奴 梨
(略)
・九月二十三日
朝 ぬく飯三わん 佃煮 なら漬 胡桃飴煮 牛乳五合ココア入 小菓数個
午 堅魚のさしみ みそ汁(具は玉葱と芋) 粥三椀 なら漬 佃煮 梨一つ 葡萄四房
間食 牛乳五合(ママ)ココア入 ココア湯 菓子パン小十数個 塩せんべい一,二枚
夕 焼鰮(やきいわし)四尾 粥三わん ふじ豆 佃煮 なら漬 飴二切
~~~~~~~~~~
 死にものぐるいのように食べ続けていた子規ですが、1901年11月からは病勢が進み、病臥の日記を書くこともできなくなる。生涯最後の年、1902(明治36)年になると、食べられなくなっていき、麻痺剤(モルヒネか?)の服用が多くなっていきます。
~~~~~~~~~~~
・三月十一日
 朝、ストーブを焚く 大便 牛乳
 十時朝飯 粥二椀 鯛のさしみ七切ほど 味噌 腐鮓 蕗の薹と梅干 蜜柑三ヶ
 十一時 牛乳ココア入り 煎餅一枚
 午後一時半頃 繃帯取替 三時碧梧桐来る 腰骨痛み俄に激しく麻痺剤を飲む 種山人来る直に去る
 五時頃晩餐 ごもく飯一椀 をだまき さしみの残り 鱈汁 鱈と人参の煮物
 九時頃 牛乳

・三月十二日 
 十一時半 午餐 さしみ(鯛)金山寺味噌 芹とあげ豆腐 ジャガタラ芋 注文せし「をだまき」来たらず
 正午 麻痺剤を服す
 午後二時 牛乳二杯 煎餅三、四 繃帯取代 左へ寝戻りてより背腰殊に痛む うとうとすれど眠られず
 午後四時 をだまき蒸饂飩 さしみ少々 陸(羯南)よりもらひたる豆のもやしなど食ふ 虚子来る ハム、ローフをくれる 談話 牛乳
 十時 麻痺剤を呑む 虚子去る
~~~~~~~~~~
4、5、6月の記載なし。7月の食べたものの記録は、
・七月九日
 いわしこ、豆腐
・七月十四日
 懐中汁粉
と、あるのみで、九月三日の夜会の草花のスケッチを最後に記録は途絶える。九月十八日永眠。享年34歳。
☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 現代医学の最前線から見ると、この献立と寝たきり療養は、むしろ子規の命を短くした懸念があるそうです。「粗食と運動」このほうが、長生きできるみたい。
 粗食ではあるけれど、春庭の大食いぶり、この先収まっていくのやら。とにかく、食うために働きます。

 子規にさんざんけなされながらも、律は看病を全うしました。兄の下も世話をし、体中、膿だらけにになった繃帯を取替え、芋坂の団子を買いに行けと命令する兄に逆らって罵倒され、ひっきりなしの来客をもてなしました。
 ひたすら兄を食わせるための日常をこなした律。

 子規の死後、律は32歳で専門学校に入って裁縫を学び、母子が過ごした根岸の家を裁縫教室として暮らしました。二度不縁となった律は、家名維持のため八重の弟の子忠三郎を養子とし、学費を送り続けました。しかし、養子一家とは一度も同居することなく、晩年は1928(昭和3)年に財団法人子規庵保存会初代理事長となり、子規の文学を残すことに務めました。
正岡律の写真

 忠三郎の子、正岡浩による父母、祖母、叔母の思い出の記
http://www.eonet.ne.jp/~kumonoue/

<つづく>

2012/03/10
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>あと1万回の晩飯(2)GPR120礼賛2012年3月の食生活

 わが家のシェフ、娘の献立。基本は一汁二菜、または三菜。
 私は、朝ごはん昼ご飯にパンとかうどんなどをたべたときは、原則夕食にはご飯を食べず、おかずだけ食べます。これだけが、私の節制。おやつにお菓子を食べたときは、私だけデザートをひかえることもあり、まあ、ちっとも痩せないけれど、太らないための努力はこれでもやっているつもり。

 最近のニュースによると。京都大学で脂肪を燃焼させるたんぱく質が発見され、「ダイエット食品」として開発されるのも夢ではないそうだから、このごろ、「うん、将来は食べまくっても太らない」と思うので、安心しています。
 「京都大学大学院薬学研究科・辻本豪三教授らは、腸内などに存在するタンパク質GPR120が脂肪に反応して燃焼を引き起こさせる働きを持つことを世界で初めて確認したという」
 ブラボー!医学の進歩よ永遠なれ!!
 
 以下、☆印は娘調理  ★は息子調理 ○は春庭調理 *は生協配達調理済み品
 チーフシェフは娘。私はジャガ芋皮むき。ごぼうささがきなどの下ごしらえ係。息子はサラダ担当と生協冷凍品をチンする係です。

・3月1日(木)
 ☆トリュフ入りクリームソースのフィットチーネ 
 ☆ポテトとモッツァレラチーズのグラタン(ジャガ芋の皮むきは春庭)
 ★野菜サラダ(レタス、サラダ菜、人参、玉ねぎ、パプリカ、紫キャベツ、トマト)
 *コーンポタージュ(缶詰)
 *プリンミルフィーユクレープ(クレープが層になっていて、中にプリンが入っている)

・3月2日(金)
 ☆チキンと野菜の炒め煮(パプリカ赤・黄、ピーマン、しいたけ、玉ねぎ)
 *揚げ出し豆腐
 *かぶの酢漬け
 *卵スープ(お湯で溶くタイプ)
 (ダンス練習に行く前に、駅前の回転寿司で、鮪、烏賊、鮭、鰯、鰺を1貫ずつ食べてしまったので、ご飯とデザートは節制。ちなみに、5貫食べるにかかった時間は10分ほどで、2皿合計276円です。超やすっ!超早っ!!)

・3月3日(土)
 ☆ちらし寿司(鮪、鮭、海老、イクラ、卵焼き、海苔)
 *茶碗蒸し(生協市販品なれど、具が多い)
 ★タコと胡瓜のサラダ
 *ワッフルワッフル苺(岡山に本社があるソフトワッフル。生協配達の冷凍品を自然解凍)

・3月4日(日)息子がバイト仲間との居酒屋での懇親会となったため、娘と二人で粗食。
 ○ハムチーズサンドイッチ
 *ハッシュドポテト
 ○玉ねぎ、わかめ、キャベツの味噌汁(娘は味噌汁嫌いなので食べず)

・3月5日(月)
 *トンテキ(四日市B級グルメ) 
 ☆蒸しキャペツ(3人で一玉を食べてしまう)
 *山芋の酢漬け
 *スープイン卵豆腐
 *アーモンドモンブラン

・3月6日(火)
 ☆具だくさんラーメン(喜多方ラーメンを茹で、ザーサイ山盛り、豆もやし山盛り、シャーシュー山盛り、茹で卵、海苔)娘、自分で作っておいて、「具が多すぎてラーメンとの比率が悪く、喜多方ラーメンのよさがでなかった」と反省しきり。
 *玉こんにゃく

・3月7日(水)
 ☆ミックスフライ(白身魚、海老パン、カレーコロッケ)
 ○アボガドサラダ(アボガド、ポテト、胡瓜、赤パプリカ、長芋)娘曰く、長芋と胡瓜はないほうがよかった、いつものアボガドサラダと比べて美味しくないから捨てる。息子曰く、アボガドが熟してなくて固かった、美味しくないから残す。母いわく、野菜を食べない子は大きくなれませんよっ、まったくぅ!
 *クラムチャウダー

・3月8日(木)
 ☆ブラウンシュチューハンバーグ(デミグラスソース、パプリカ赤黄、茄子)
 ★グリーンサラダ
 *ほうれん草の卵キッシュ
 *ミルフィーユロールケーキ

・3月10日(金)
 ☆豚シャブ&ゆでレタス(レタス2玉を3人で食べきる)
 ☆焼厚揚げおかか醤油
 *きゅうりとレタスのつけもの 
 ○ジャガ芋とキャベツのトマト煮
 *ティラミス

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 3月10日、1945年から67年目の東京大空襲の日。3月11日、2011年から1年目の東日本東北大震災の日。
 食べるという基本のことがらが、身に染みて大切に思われる日々です。

 エンゲル係数超高っのわが家、食うために働く毎日ですが、日々なんとか平穏無事に食べていられることが、どれほどの幸福であるか、娘が作ったハンバーグ、息子がチンしたほうれん草キッシュなど、ありがたく食べております。

<つづく>

2012/03/13
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>あと1万回の晩飯(3)2005年10月の食生活

 とっておかなければならないほどのことは書いていないのに、消滅するとなると惜しくなる。
 こどものころ、一粒ずつなめて楽しんでいた飴、袋の中にあと一つ二つしか残りがなくなると、急に惜しくなって、最後の一粒なめちゃおうか、残して置こうかと迷ったときのように、失われそうなものは残して置きたくなるという単純な心理なのですが。

 ちゃんとパソコンのしくみを理解している人がやるとOCNカフェ日記のコメント欄や掲示板も、コピーできたらしいのですが、なにせ、わけわからないまま使っているパソコンなので、ささっと機械的にコピーするのはできませんでした。
 ひとつひとつコピーペーストするという原始的な方法で、掲示板に書いたものの一部を写しておきます。3月後半の春庭コラムは、基本、bbs過去ログコピーです。

~~~~~~~~~~~
2005-10-04 23:26:47
haruniwa  
2005年インターナショナル食べ放題日記
・10月1日 池袋駅ちかくのモンゴル料理の店「ノダカ(故郷)」で、羊肉の塩ゆで、モンゴルうどんなどを食べた。素朴な味でおいしかったけれど、一人じゃなくてみんなでワイワイ食べるに適した料理かも。モンゴルのお相撲さん達もひいきの店だそう。店に写真がたくさんはってあった。

・10月2日リニューアル開店のラーメン店、「がちんこラーメン道第3期生優勝者プロデュース」というのがうたい文句でした。息子といっしょに自転車ででかけ、30分も日盛りのなかでまった。
 スープは豚テール系と海産だしのミックス、麺は細麺。おいしかったです。
でもオープン特価百円だから並んで食べたのだけど、680円払ってまで自転車でかけつけて食べるかというと微妙。

・10月3日、池袋駅まで自転車で行く。映画「蝉しぐれ」みて、明治通りを通って帰宅。明治通に「びっくりラーメン180円」という看板を見つけたので、食べてみた。う~ん、180円だから、高校生が学校帰りの空きっ腹に入れるにはちょうどいいのかも。
 家に帰ってから麻婆豆腐、親子丼を作ったのだけど、おなかいっぱいだったので、親子丼は食べず。

・10月4日 今日の夕食:ぶり大根。(ぶりカマおいしかった)マグロとレタスのマリネ。ウインナとキャベツのスープ。シマアジ塩焼き。梨。

 以上、2005年10月の食生活でした。
~~~~~~~~~~~~~~
どうかな
jyubei
果報は寝て待て、良い言葉ですが寝すぎると太りますよ、たまには身体を動かしましょう、人間健康が第一、50代はこれからが恋の季節、頑張りましょう
2005-11-08 18:21:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る

Re:どうかな
haruniwa
 jyubeiさん、アドバイスありがとう。
 春庭は、毎週ジャズダンスの練習に通って、毎日自転車こいで走り回っていて、寝ていればやってくるはずの果報になかなか巡りあえないのが、悩みの種です。
 そして「太りますよ」というご忠告ありがとう。すでに、体重ウンKgオーバーなので、忠告ちょっと手遅れかも。

 jyubeiさん恋の季節なの?大いに恋してくださいね。応援してます。
 私も、資産100億円以上の殿方限定にて、恋人募集中なので、お友達に該当の方いたら紹介してね。
 あ、現住所、松濤浜田山御殿山に限定。田園調布だとちょいレベル下がるけど、ま、がまんしておく。じゃ。

<おわり>


ぽかぽか春庭ブックスタンドDISCO他

2012-03-09 | 本と雑誌

2012/03/06
ぽかぽか春庭ブックスタンド>読んだ本、読みたい本(1)DISCO

 読んでよかった本の紹介ページです。
~~~~~~~~~
『DISCO』 
本文80ページ  1000円(税抜価格)
ISBN978-4-9906075-0-0
発行:co-LLaps(コラプス)

 「dis-communication/discommunicationを、一般的な英和辞典を調べても出てこないことが多い。「ディスコミュニケーション」は和製英語だからです。日本では、1988年に出版された植島啓司・伊藤俊治の共著『ディスコミュニケーション』によって一般に認知された語であるが、最初にこの語を使ったのは鶴見俊輔(1922-)だとか。(ここらへんの詳しい分析は和製英語の研究者にまかせるとして)一般には「ディスコミュニケーションは、コミュニケーションの不全や不能状態のことをさし、研究者によっては、反コミュニケーション、矛盾コミュニケーション、ゼロ度のコミュニケーションの意味を含ませる、のだそうです。

 真っ白い中にアルファベットで『DISCO VOL1』と印字されたシンプルな表紙。シンプルな全80ページの、小冊子ともいえる体裁の『DISCO』は、そのページ数からみると、ずしりと濃い内容を含んでいます。

 最初に「生きるためのテクスト」と銘打たれた5人の表現者へのインタビュー。山城むつみ、鈴木雅雄、岩本正恵、北小路隆志、磯部涼。そして杉井ギサブローと山村浩二との対談。この冊子を手にして目次を眺めただけで、ワクワクしてくるような人々が並び、これらの人たちにインタビューをし、編集作業を行ったのが、ひとりの若者であったことを知ると、若者ことばでいうところの「スゴッ!!」という感嘆が洩れます。

 編集担当者は、まえがきに言う。
 『世界をまたいで、通じないかもしれない言葉を、お互いにおずおずと差し出し会うこと。ディスコミュニケーションを成立させる場を準備すること。ささやかな足場を考える中で、誰もが関係し、興味がある共通のテーマとして-当たり前かもしれませんが-日常を「生きる」ことが浮かんできました。、、、、』

 2011年11月に発行された、志の大きなこの本を、「”生きる”ためのテクスト」として、ぜひ手にとってほしい。
 書評子が興味深く読んだ若い執筆者のテクストを紹介しましょう。張予思(ちょうよし)の「南京 東京」です。これは、私が日本語教師であり、1994、2007、2009年と3度にわたって中国の大学で日本語教育に従事した経験を持つことからの興味でもありますが、日本語を学んだ若い中国人学徒の声が、真っ白な表紙のシンプルさと響き合うように率直に表明されていることに気持ちよく読めたのです。日中の歴史問題を若者がどのように受け止め、どのようにこの先へ進んでいこうとしているのか、そのを聞くことができ、うれしく思います。

 編集を担当している「co-LLaps(コラプス)」、発行人宮田文久氏は、出版関係の仕事を続けつつ松岡ゼミに所属する院生です。
 まえがきの「生きるためのテクスト」ラストに編集子は言う。
 『夜をこえ、同じステップさえもふめずに、それでもぎくしゃくと共に踊るためのダンスフロア『DISCO』が始動します。』

 書評子は、毎週2回、ジャズダンスのレッスンに通っています。ダイエットの目的はいっこうに果たされていないけれど、心身の健康には役だっていると信じて、毎週ぎくしゃくと踊っています。さび付いた頭で振り付けが覚えられない。
 『DISCO』の始動に合わせて、さび付いた頭を生き生きとさせるために、同じステップは踏めないかも知れませんが、次回の出版『DISCO VOL2』を楽しみに待っています。

(某電子マガジンに掲載される予定の書評を先行UPしました)
☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 踊りならなんでも踊りたがる春庭ですが、超若いころに「ゴーゴー喫茶」ってのにいったことはあるのに、ディスコ全盛時はでかけるヒマもなく、ディスコというところに行ったことがないのです。ジャズダンス仲間、ゆみさんの音頭で「ジュリアナ東京にみんなで乗り込んで、おばさんたちも負けてないとこ、見せてやろうじゃないの」ってことになったときも、疑似母子家庭で息子と娘をふたりだけで夜ほっておくことができずに、ディスコクイーンになり損ねました。

 ダンスのほうのディスコはフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、または、ディスコテック)で、その元はマルセイユの方言で「レコード置き場」という意味なんだとか。
 和製英語、ディスコミュニケーション(「dis-communication/discommunication)も、人の交流不全、という意味にダブルミーニングとして、レコード置き場、記録倉庫という意味を含ませれば、この「無名人のブログ書き」も、「ディスコ」で踊るひとつの媒体となるにちがいない。

 踊れ!

2012/03/07
ぽかぽか春庭ブックスタンド>HALの読書メモ(2)2011年4月の本棚

 2011年3月11日に崩れた本棚、天の啓示と思ってずいぶん本を捨てたのだけれど、1年たってみれば、捨てた数以上にも買い込んでいた。相変わらず部屋の中に本散乱。
 昔は文庫一冊買うのに1週間悩み、単行本ともなると、1ヶ月も逡巡したのちに買ったものなのに。100円だからいいやと思って気軽に買うようになったのがいかんのだね。

昨年の本棚状況を、bbsコピペ再録します。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆
ジュンク堂(2011/4/19)
haruniwa
 池袋のジュンク堂で待ち合わせ。ジュンク堂に30分早めに着いて、久しぶりに本のお買い物。地震の片付けをしたら、ツンドク本がいっぱい出てきて、「これを読み終わるまでは古本屋めぐりは封印」と思ったのですが、K子さんが待ち合わせ場所をジュンク堂に指定してきたのですから、これは「大嫌いな片付け事をがんばった自分にごほうび」しなさい、という天の声だと思って、少々購入。
2011-04-19 07:40:19 返信フォームへ 掲示板へ戻る

Re:ジュンク堂
haruniwa
 池袋のジュンク堂読みたかった本のうち、単行本は図書館にリクエストすることにして、文庫と新書のみ買いました。

・井上ひさし『日本語教室』新潮新書 \714 日本語教員養成コースの「現代日本語概論」という授業で参照本として学生に推薦するため。

・色川武大『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ2芸能』ちくま文庫 \819 色川武大『なつかしい芸人たち』がとてもよかったので、内容はかぶっているだろうと思ったけれど、買いました。ダダかぶりかと思ったのだけれど、ひとつでも新しいのがあればいいと思って。帰ってから目次を比べたら、かぶりは半分くらいでした。

・ロランバルト『映画論集』ちくま学芸文庫 \924 品薄稀少本コーナーに並べられていたのでつい。絶版になったところで、この手の本はオンデマンドもきくだろうし、焦って買うこともなかったのに。新たなツンドク本になる予感。

・五味文彦『絵巻で読む中世』ちくま学芸文庫 \998 これも品薄希少本コーナーにあったのだけれど、調べてみたら1994年発行ちくま新書のリメイク。これが絶版になったとしても、またリメイクされたであろうから、そう稀少というわけでもなかった。読み終わったら、息子にあげることにしたが、「いらない」と言う。

・網野善彦『日本中世都市の世界』ちくま学芸文庫 \1575 これも息子に渡す用。
2011-04-19 07:40:31 ページのトップへ

本捨て
haruniwa
 本を捨てられない性分。ちょっとでも活字がある紙は、ながめてからでないと、広告チラシひとつ捨てられないし、ましてや本はなかなか捨てられない。

 でも、新しい本を買ったら、置く場所確保のために古本を処分する「震災後ルール」

 去年の漏水事故でも段ボール箱10箱分はすてた。濡れなかった古本も捨てたが、やはり捨ててしまったあと、「しまった、あれは捨てなきゃよかった」というのが出てきた。
 それで、今回は、自分がこのあと引用も参照もしないであろう本、読み返すことはない本は捨てる、というルール。
 そうなると、読み返すことがなく、参照することもない本というのは、ほとんどが夫の本であって、夫の本はほとんど捨てた。
 夫が集めていた森村誠一は捨ててよいと言われたので、団地の「新聞古本」置き場へ。三好徹のうち、私が読むかも知れないと思ったのは『チェ・ゲバラ伝』一冊のみで、あとは団地の本置き場へ。

 むのたけじ『詞集たいまつ』など、夫がとっておきたいかもしれないのは、カートに放り込んで、事務所へ運び、自分でとっておくかどうか判断してくれと言う。

 マンガは、古本屋でで売るにはきれいにしてあることが条件なので、地下鉄駒込駅の「文庫だな」へ運ぶ。マンガは一日で、文庫本も2日たつと、誰かしらがもらっていく。

 今回、本の整理をして、去年やみくもに突っ込んだ本を整理し直した。本というのは、背表紙が見えていないと、あることを忘れてしまう。同じ文庫が2冊、同じ新書が3冊というのがいっぱいあった。つっこんで買ったことを忘れる。それでも読みたいという意識があるので、ブックオフでまた買ってしまう。
だから、できる限り背表紙が見える並べ方にしたのだけれど、全部は並ばない。新書は玄関の押し入れ棚につっこんだので、また3冊同じのを買うのが出るかも知れない。
2011-04-19 19:13:29 ページのトップへ

2012/03/08
ぽかぽか春庭ブックスタンド>読んだ本、読みたい本(2)リッパな読書-あと千回の晩飯再読

 今週月曜日、3月5日は啓蟄でした。
 冬至から60日ほどたったころ、雪が雨に変わります。これを暦の二十四節気では「雨水」と呼びます。雨水から17日ほどで、啓蟄。虫たちが土穴から出てくる。
 雨水のころ、川の氷が溶けて水になると獺(カワウソ)は魚を捕まえます。そして捕らえた魚を川岸に並べる習性があります。そのため、古代中国で、雨水の節気の初候には、「獺祭魚(たつ うおを まつる)」という行事が行われたそうです。

 礼記「月令孟春」の条に「東風凍を解き、蟄虫は始めて振く。魚冰に上り、獺魚を祭り、鴻雁来る」と書かれていることを出典として、カワウソが獲った獲物を並べておくにぎやかなさまを「獺祭だっさい」 と呼び、書物を多く紐解き、座右に並べて詩文を作ること、また好書家、考証癖、書癖などを言う言葉にもなりました。

 転じて、書物を整理できず、カワウソが捕った魚を周りに並べておくように散らかしておくようすを「獺祭のようだ」と形容しました。正岡子規は、書物を部屋のそこらじゅうに片っぱしから並べておき、「片付けられない男」でしたので、自ら号を「獺祭屋主人」とし、根岸の子規宅を訪れる友人達は、その盛大な散らかりぶりを見て「獺祭屋主人」の号に納得したといいます。

 こういう立派な先例があると、春庭が本を片付けられず、部屋中に散乱しているようすも、なにやら獺祭屋主人末裔のようで、あながち責めを負うに如かずという気分になってきます。困るのは、図書館で借りてきた本が山の中に埋没し、貸出期限がきても返却できないこと。このごろ、できるだけ図書館では借りずに古本屋百均本を探すようにしているのは、返却できなくなると困るからです。

 図書館借りて読んだ本もツンドク本も、本の山の中に埋没してしまえば、買ったか買わなかったか忘れてしまい、同じ本をブックオフ飯田橋店と白金店と池袋店でそれぞれで買い込んでしまう始末。

 しかるに、一度読んだ本もすぐ忘れるぽかぽか頭の春庭だからして、3回読んでも毎度新鮮に楽しめるので損はない。
 たとえば、山田風太郎の『あと千回の晩飯』。新聞連載時に楽しみに読んでいたのだけれど、1995年の連載から17年もたっていれば、ほとんど忘れていたゆえに、もう一度たっぷり楽しんだ。
 


 「生きすぎて」と題された中に武者小路実篤89歳のときの随筆が引用されている。17年前も大笑いしたはずの文章、電車の中で、人目をはばかりつつ笑った。

 「--(実篤翁89歳の文章)人間にはいろいろな人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きたひと、立派に生きられない人もいた。しかし人間には立派に生きた人もいるが、なかなか生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆人間らしく立派に生きてもらいたい。--(風太郎翁72歳の感想)1回転ごとに針がもとにもどるレコードのようなもので、果てしがない。こういう状態で、武者小路実篤は九十歳で死んだ。」

 小説の神様が志賀直哉なら、ムシャ翁だって文章の天神様くらいの扱いはされていただろうから、こういう文章を渡されても編集者は「推敲せよ」の一言もなく「玉稿」押し頂き、ありがたがって紙面を飾ったのだろうと思うと、おかしくておかしくて。
 はい、私もリッパに生きられるだけ生きてみようと思います。そして90婆になれたなら、同じことを繰り返しくり返し呟きながら、日がな昔ばなしでもしようと思う。「あたしゃねぇ、リッパに生きたいと思って、がんばって立派な本も読んで、リッパに論文も書いたのよぅ。それでリッパに生きられるだけ生きたいから、立派な本も読んで、、、、、、」
 まあ、ぐうたら生きるのもキッパリ逝くのも芸のうち。

 2012年1月2月に読んだ本のタイトルだけメモしておきます。
 読んだ順番は、順不同にて。
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円本、定価の半額本。
☆☆☆☆☆これを読まずに死ぬのは惜しい!あなたも絶対読むべきだ 
☆☆☆☆いい本です。あなたの趣味がどうあれ、お勧め  
☆☆☆私は読んでよかったけど、あなたの趣味は知らんので。 
☆☆お暇なときのお供にどうぞ 
☆他に読む本ないとき、読んで損はない 
無☆読まなくとも人生、大過なく生きてける

日本語、日本文化関連
@佐藤智子『アート・イン・ディテール』ゆまに書房 ☆☆☆☆
@星野勉編『外から見た日本文化』法政大学出版局 ☆☆☆
@馬淵章子『ジャポニスム』ビリュッケ ☆☆☆
・中村重樹『日本の伝統文様』エムディエヌコーポレーション ☆☆

小説
・杉本章子『東京新大橋雨中図』文春文庫 ☆☆☆☆
・上橋菜穂子『精霊の守り人』新潮文庫 ☆☆☆
・村上春樹『東京奇譚集』☆☆☆

エッセイその他
・山田風太郎『あと千回の晩飯』☆☆☆☆
・幸田文『季節のかたみ』新潮文庫☆☆☆
・米原万里『魔女の1ダース』新潮文庫☆☆☆
・ドナルドキーン『日本語の美』中公文庫☆☆☆
・小林紀晴『アジアの少年』幻冬舎文庫☆☆☆
・村上春樹『雨天炎天』新潮文庫☆☆☆☆
・村上春樹『辺境・近境』新潮文庫☆☆☆☆
・松村映三・村上春樹『辺境近況写真篇』新潮文庫☆☆☆

<1月2月読書メモおわり>


ぽかぽか春庭>もうすぐはるですね(3)ひなまつりのダンス

2012-03-05 | インポート

2012/03/03
ぽかぽか春庭十二単日記>もうすぐはるですね(3)ひなまつりのダンス

 gooブログ開設にあたって、自己紹介をどう書いたらいいのかと思いましたが、OCNカフェに2003年から書いてきたなかで、3月3日にUPした過去ログの中から再録して、自己紹介のかわりにしたいと思います。
☆    ☆    ☆    ☆    ☆
2008/03/03(2008年3月3日~6日OCNカフェ日記に掲載したものを
再録)
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス

 古い上着を脱ぎ捨てて、颯爽と歩きだしたい春、3月。
 なんだか新しい気分と、「♪古い上着よさようなら~」の気分が重なり合う。
 ここで♪のあとの部分、メロディをつけて歌えた人、年がわかりますね、ご同輩。
 っても、私はナツメロ番組でおぼえたんですからね!
 「青い山脈」第一作公開時、生まれてないっ!!あれ?生まれていたかな?4度目のリメーク1988年版の公開あたりで息子が生まれたのは確かなんだが。

 1月 2月、暖房費節約のために、着ぶくれしていましたが、3月が来たなら、もちっと身軽になりたい。
 実際にはまだまだ寒くて、古い上着とて脱ぎ捨てられませんけれど。
 けれど、、、、
 戦後の物のない時代に育ち、「もったいない」が身に染みている私の世代、政治は捨てられるけれど、モノを捨てるのはむずかしい。
 長年使い込めば使い込むほど、新しい物に取り替えることが残念でならない。
 以下、4人の姪に読んでもらうためのmixy日記に書いた文の再編集版です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 姪の家の車、エスティマが壊れた。
 5年の間、どこへ行くにも家族いっしょに運んでくれた車には、愛着が強いだろうと思う。
 私が35年間使い続けたトースターも、昨年の年末に壊れた。

 我が家でもっとも長命を保っていた家電製品、35年間愛用しつづけたオーブントースターであった。
 毎日のように、朝食のパンを焼き、おやつのクッキーを焼き、夕食のグラタンを焼いた。
 35年間壊れずにいたのは、よほど「アタリ」の製品だったと思う。

 商品検査で厳しいチェックを受けて発売される家電であるが、「ハズレ」のときは、「1年間は無料で修理します」の、補償期間がすぎた1ヶ月後に壊れたりする。我が家の「大当たり」のトースター、お金で買った商品ではない。スタンプ交換商品。
 1972年に母が55歳で急死した後、「グリーンスタンプ」というスタンプシールを貼ったノートが十数冊残されていた。
 私はこのスタンプ帳を形見にもらい、トースターに換えてもらった。
 そのとき、特別にトースターが必要だったわけではないが、ちょうどスタンプ帖の冊数と交換可能な品がトースターだったのだ。

 現在、買い物をしても、飛行機に乗っても、ポイントがもらえる。最近はカード式でポイントはデジタル記録になっているが、昔は、店のおばさんがくれる小さなシールをスタンプ帳に張り込む作業をするのが、買い物から帰ったあとの、ささやかな楽しみだった。

 『ビッグコミックスピリッツ』に、1994年4月から1997年3月まで連載されていた一条祐子の作品、漫画『わさび』。毎回楽しみに愛読していた。
 ある回に、「パン屋のスタンプ帖」が出てくる。
 登場人物のひとり、帯刀家住み込みの手伝い、小原ふみは、パン屋のスタンプシールをためていた。食パンを買って1枚、メロンパンとカレーパンを買って2枚、というように集めて、スタンプ帳に貼っていく。
 スタンプを貯めて、マグカップとかケーキ皿とか、パン屋の景品と換えてもらうのが楽しみ。
 ある日、大事なスタンプ帖がダメになってしまう事件が起こった。

 ダメになったスタンプ帖のかわりに、「そのスタンプで取り替えようとしていた商品を補償する」という申し出に対し、ふみは思う。

 「そうじゃない、その商品がどうしても必要だからというわけでスタンプをためていたんじゃないんだ。何か必要な品物があるなら、スタンプをためるなんて悠長なことをせずに、お金を出して買えばいいじゃないの、と思う人は、”「スタンプをためる楽しみ”を知らない人なんだよ』

 私は『わさび』の、ふみのことばで、なぜ、私が母の形見の品の一つにスタンプ帳を選んだのか、わかった。
 スタンプシールを1枚1枚貼り付けていく行為とは、自分のささやかな日常生活をいとおしむこと。
 取り替えられる商品をあれこれ選ぶ楽しみとともに、自分の「平凡だがいとおしい日常」を、張り込んでいくのがスタンプ帖なのだ。
 私が形見にしたかったのは、買い物のあと、母が1枚1枚台紙にシールを貼り付けていた姿であった。

 「グリーンスタンプ帖、20冊たまったら、取り替えたい品があるんだ」と呟いてスタンプ交換のカタログを見ていた母の顔。
 何と交換しようかあれこれ考えていた母は、とても楽しそうだった。家族のために節約しながらも買い物をしてきた母の日常。その日常のひとつひとつの思いが、スタンプ帖に貼り込められていたのだろう。

 春の足音がきこえてくると、「さあて、昨日の買い物の分、スタンプ帖張り終えたら、おひな様、出そうね」と、母が号令をかける。
 戦後の物不足のころに生まれた私や姉の雛人形は、今のような豪勢な段飾りから見たら、寄せ集めの粗末なものだった。妹が祖父母からもらった御殿付きの内裏様と三人官女はそろいのものだったが、あとは、ばらばら。
 私と姉の人形は、胡蝶、高砂、汐汲や藤娘などの舞踊人形だったが、それでも自分の雛はお気に入りで、大事に思っていた。

 娘たちといっしょにひな壇を飾るのは、母の楽しみのひとつだったろう。
 私たちが成長してしまうと、おひな様を並べてはしゃぐこともなくなり、母がひとりで御殿の内裏びなだけ出すことも多くなってきた。
 ひなの顔を見て「おひな様って、さびしそうな顔をしているね」とつぶやいた、母の顔。このときの母の沈んだ顔は、もうすぐ長女を嫁に出す寂しさゆえだったろうか、それとも孫をひとりも見ることなく「女孫のおひな様を選ぶのが楽しみ」と言っていた夢を実現することなく早死にする宿命を、そうとは思わず予感してのことだったのか。

 母は、私が二十歳のときに「雛納むいき遅れし娘の細き面」という俳句をつくった。「次女は嫁にいかない」と決め込んでいた。
 ささやかな日常生活に楽しみを見いだしながら、ちびた鉛筆で、広告チラシの裏に俳句を書き付けていた母の姿。娘3人の成長と、新聞に自作の句が掲載されることが、なによりの母の幸せだった。 

 ひな祭りのもとは、紙のヒナを川に流して、人の世の災いや汚れを流す行事だった。
 何かを捨てたり流したりすることに特別な気持ちがよぎるのも、捨てること祓うことが日常の連続を改めるための行為だから。

 風呂に入って、ついさっきまで自分の体の一部だった垢を流す。古くなった自分は流れていき、新しい皮膚に生まれ変わった自分になる。
 「禊ぎ」とは、この「新しい自分」を儀礼化したものなのだろう。
 古くなり汚れや日常の手あかがついた自分を水に流して、新しい自分として再生する。それが「ひな祭り」の流し雛。
 現代は、紙雛を流すのではなく、華麗なひな人形を飾ることがひな祭りになっているけれど、深層にある願いは同じだ。

 1年間の女の暮らしのあれこれを思い出しながら、雛を飾る。1年間のよどみは白酒の酔いに流し、桃の花の生命力の中に新生する命を思う。
 それが、雛のまつり。

 娘3人のために箱から出して飾る雛のひとつひとつに、母も、1日1日を積み重ねる自分自身の「女の日常」を見ていたのだろう。細々とした日々のくらしを、ひたむきに生きていた母の一生、たったの55年。
 その母の思い出のひとつがグリーンスタンプだった。

 55歳で死んでしまった母の形見のひとつ。スタンプのまま取って置いたのではない。オーブントースターと交換した。トースターは、いわば「母が毎日楽しみにスタンプを貼っていた姿」の記念品だったのだ。
 私にとって、今年の「流し雛」は、トースターを川に流す、、、、って、川にじゃなくて、「不要品回収」のシールを買ってきてトースターに貼り付けて、燃えないゴミの日にだすこと。

いきし娘の部屋の広さや雛納む(春庭)
 長女をヨメに出したあと、母は姉の部屋を見てこんなふうに感じたのかなと思って春庭の詠む
 春庭の長女はどうやら「いきおくれし娘」になりそうだけど、まん丸い顔で、どう脚色しても「細き面」には詠めない。
と、思ったら、若い頃の私の写真もどうみてもまんまる顔でした。

 1972年当時の物価で17000円したナショナル製。トースターとしては、高級品のほうだったと思う。
 35年間、一人暮らしの朝のトーストも、子どもたちのおやつのマドレーヌケーキも、夕食の豚チャーシューも焼いた。

 娘と息子が「母が作る料理のうち、毎回失敗無く食べられるうまいものベストテン」のひとつに選んだのは「オーブントースターで焼く豚のチャーシュー」だった。
 生姜と大蒜を漬け込んだ醤油と酒に豚肉のかたまりを一晩浸してから、オーブントースターで30分焼く。最初10分、あとは5分ずつ、刷毛で漬け汁を塗りながら、少しずつ四面を回して焼く。
 他の料理はうまいときと失敗したときの差があるのに、トースターチャーシューは、いつでもちょうどうまく、中側しっとりに焼き上がった。
 働きつづけた愛着のあるトースター。

 年末に壊れても、捨てられずにいたけれど、1月13日の日曜日、新しいトースターを買ってきて、置くところがないからベランダに出した。
 いずれ、燃えないゴミの日、家電回収日にださなければ。

 作家、川上弘美のエッセイ集に、『ほかに踊りをしらない』という本がある。
 タイトルになっている「ほかに踊りを知らない」というエッセイはこんなお話

 「 長年使っていた電話機がこわれた。愛着のある電話を捨てるとき、電話機のまえで、お別れの踊りを踊って送り出してやった。
 東京音頭。
 ほかに踊りを知らないので。 」

 私はトースターのために何を踊って送り出そうか。
 私は東京音頭も八木節もよさこいソーランも踊れるけれど。
 「瀕死の白鳥」にしようかな。 
 マイヤ・プリセツカヤの、気品ある「瀕死の白鳥」には似てもにつかないが、サンサーンスの曲を流して、腕をゆらゆらと羽ばたかせて踊ろう。
 みずからの命の終わりを輝かせ、静かに息絶える白鳥のプライドを、トースターのために踊って送り出そう。

 え~、コメント書いてくださる方々、本日に限り、ツッコミご無用!
 「オバハンが踊るんじゃ、瀕死の白鳥じゃなくて瀕死のペキンダックでしょう」とか、「瀕死の豚の丸焼きでしょう」とかって感想、無用ですねん。
 せっかく品よくしんみりしてんのに。

 昨日、お天道様が太陽黄経345度を通り過ぎた。
 今年の啓蟄は、2008年3月05日。時刻:13:59 太陽黄経:345度。
 冬の間土にもぐっていた蛇も蛙も虫たちも、啓蟄をすぎれば、だんだんと土の上に顔をだすようになる。
 虫たちも踊り出す?
 はいはい、わかった。壊れたトースターを送り出すとき踊るダンス、「瀕死の白鳥」より、にぎやかに「天道虫のサンバ」がよさそうね。
 それともやっぱり、缶ビール片手に『ビヤ樽ポルカ』がいいかしら。

 え?「子豚のチャールストン」が似合うって?
 ええ、チャールストンも得意ですとも。
 モダンバレエもジャズダンスも、サンバもチャールストンも何でも踊れる、女版パパイヤ鈴木であるよ、私は。

 じゃ、「豚チャーシューのチャールストン」ってとこで。
 「五匹の子豚のチャールストン」のメロディで一曲、踊ります。
 親豚の私と子豚の娘が仲良く料理していると想像してね。
http://www.youtube.com/watch?v=IMDZkZmVfwM&feature=related
♪親豚子豚がいっしょに焼いてるブタチャーシュー 
♪とってもおいしい~んだ、チャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー
♪いつもおいしい~んだ、ちゃーるすとん 
♪だって親豚子豚は仲良しで
♪いつもダンスをするのはチャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー 
♪とってもおいしいんだチャールストン

 はい、これで方々にご満足いただける「トースターとのお別れダンス」になりましたっ!
 あれ?これじゃ豚の共喰いか?ま、いいや。

 山にも川にも、そよ吹く風にもそよぐ葉にも、人の心をつなぎ止めるものを感じてきた八百神の国。モノに対してだって、人のこころに通い合うものを感じてきた。
 99年使われた道具は「九十九神・付喪神(つくもがみ)」として敬われるようになるのだ、という言い伝えをきいた。
 長年愛用したモノと人とのふれあいを「神」の名にしたのが「つくも神」。

 トースターは35年の寿命だった。99年にはまだまだ足りず、つくも神にはなれない。でも、きっと「千の風」にはなっているだろう。

 もしも、春先の光る風のなかに、かすかにトーストの香ばしいかおりがしてきたら、、、、、、それはきっと、風になったトースターが送ってきたものにちがいない。
~~~~~~~~~~~~~
mixy日記:姪からのコメント(エスティマとのお別れ)
踊ってあげられなかったけどレッカーに積載されながら歌を歌った(´・ω・`)
長年使った物とのお別れは寂しいね。(2008年01月16日 23:49 )
☆    ☆    ☆    ☆    ☆
 以上、3月3日に掲載した過去ログの中で、一番のお気に入りエッセイを自己紹介がわりとさせていただきます。

<もうすぐはるですね-おわり>


ぽかぽか春庭>もうすぐは~るですねぇ(2)ゆみさんコンサート

2012-03-05 | インポート

2012/03/02
ぽかぽか春庭十二単日記>もうすぐは~るですねぇ(2)ゆみさんコンサート

 2月26日日曜日の午後、ジャズダンス仲間のひとり、ゆみさんのシャンソンリサイタルを聴きました。
 シャンソン歌手水織ユミの25周年記念リサイタル。王子駅前ホクトピアのさくらホール。2階席はユミさんが主宰するシャンソン教室のお弟子さんたちが詰めているほかは空き席もありましたが、1階の会場は1000人分の席、ぎっしりいっぱいの盛況でした。観客は見事なまでのおばさんおばーさんの群れ。むろん、私も平均年齢を押し上げているひとり。イマドキ若い世代でシャンソンが聞きたいという人は、変わり者の部類に入ってしまうのでしょう。私が若いころに、同世代で「浪花節が好き」とか「義太夫が一番」という人に対して「あんた、古~い!」と言っていたのと同じこと。

 ユミさん、加藤登紀子なども優勝してきたシャンソンコンクールに出場。優勝してプロ歌手に転身してから25周年の記念の年なのだそうです。ジャズダンス仲間は、プロデビューしたばかりのころから、ユミさんのコンサートチケットを買い、シャンソンバーに出演するときはお酒を飲みに行き、応援してきました。
 私はたまにしかユミさんのコンサートに出かけるチャンスがありませんでしたが、今回はミサイルママといっしょにユミさんの歌をたっぷり聞くことができました。

 ユミさん、NHKのパリ祭にはもう20年つづけて出演していて、シャンソン界では知られた存在になっていますが、世間に知られたヒット曲を持ち紅白出場するような、誰でもその名を知っているという歌手ではありません。でも、ほんとうに歌がうまい。作詞訳詞も手がけるユミさん、今回も新しく作詞した歌も混ぜ、2時間半歌い続けました。

 シャンソン定番の「水に流して」とか「ラメール」のようなおなじみの曲も、望郷じょんがらを「シャンソン演歌」として歌うのも、ゆみさんがこれまで歩んできた人生の深みがすばらしい味わいとなって会場に流れました。

 youtubeで聞けるのは、残念ながら一曲だけなので、同じのをUPします。
http://www.youtube.com/watch?v=YKQ-uF-omSM

水織ゆみCD紹介ページ
http://www.kitanet.ne.jp/~mizuori/disc.html

 歌のあいまには、ゆみさんがこれまですごした25年間が、初期のコンサートのようす、昨年東北へボランティアに行ってきたときのようす、イギリスのエディンバラ日本領事館でのコンサートのようすなどもスライド上映され、ゆみさん、歌いながら語りながら、涙していました。私も1984年にゆみさんと同じジャズダンスサークルで練習をはじめてからこれまでのこと、しみじみ思い出されました。

 ゆみさん、これからもすばらしい歌声を届けて下さい。そして、踊り続けてください。私もいっしょに踊っていきます。

<つづく>


ぽかぽか春庭もうすぐはるですね(1)春一番

2012-03-05 | 日記・エッセイ・コラム

2012/03/01
ぽかぽか春庭十二単日記>もうすぐはるですね(1)春一番

 OCNカフェブログから引っ越ししてきた「ぽかぽか春庭」と申します。ウェブ友からは「HALさん」と呼んでもらっています。
 愚痴ぼやき、妬み僻みそねみの日記を書いています。
 2月29日、東京に5cmの積雪。たった5cmでも交通大混乱。まだまだ春の暖かさは遠いですけれど、3月の声を聞けば、気持ちは温かくなってきます。
 まだなじみのないgooで、ちょっと気取って鎧を着ていますが、そのうち暖かくなってくると、すべて脱ぎ捨て本音のボヤキが出てくると思います。
 自己紹介代わりにパロディ「春一番」の替え歌です。

♪勇気がついて皮になった鎧を着てます
♪ぽかぽかHALが恥ずかしげに顔を出します
♪もうすぐ春ですねえ ちょっとブログしてみます
♪風が吹いて暖かさを 運んできました
♪どこかの子が隣のサイトを覗いていきました
♪もうすぐ春ですねえ ブログ読んでみませんか
♪泣いてばかりいたって 幸せはこないから
♪つまらぬサイトですが 読んでみませんか
♪もうすぐ春ですねえ ブログしてみましょうか

 では、新しい春にむかって、どうぞよろしく。

<つづく>