2012/03/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(1)菫買いましょ野のスミレ・パンセソバージュ
アイデンティティ(略語ID)は、「自分は何者であり何をして生きる人間であるか」という個人の心の中に保持される概念。自我同一性。「自分が自分であること、自分として存在すること」。
無理矢理「自己証明」などと和訳されていますが、アイデンティティというカタカタ語そのままで、あるいはIDと略された形で、「IDカード」「学生ID」など、使われています。
パソコン用語としてのID、identification、は、「システムの利用者を識別するために用いられる符号」ということ。
春庭という名をIDにしてからはや満9年が経ち、10年目に入ります。本名をネット検索すると担当授業名とか泣く泣く書いた論文が出てきて、なんだか自分じゃないみたい。本名よりも、「HALさん」「春庭」と呼ばれるほうが自分らしい気がします。
何度か自己紹介してきたように、春庭とは、江戸時代の国学者本居春庭から名前を拝借しています。春庭は本居宣長の息子。盲目となったのちも、黙々と国学研究を続けた人です。そんな偉大な人に及びもつかぬは承知で、春っぽい名前が気に入って使い始めました。2003年には、「春庭」と検索すると、一番上に本居春庭が出てくるのは当然として、2番目には我がサイトが堂々出てきたのですが、9年たってみると、やたらに「春庭」という店名の花屋さんが増えていたり、新潟ではダイニングバーの店名になっていたり、春庭が増えています。春庭連盟の盟主にでもなろうかしら。
春庭OCNカフェ日記のbbsページには「春庭カフェらパンセソバージュ」というタイトルをつけていました。9年たって「カフェラパンセソバージュ」を検索してみると、高知県にそういう名前のカフェレストランがありました。高知に行くことがあったら、絶対に寄ってみたい店です。たぶん、オーナーはレヴィ・ストロースのファンです。私もレヴィ・ストロースファンのひとりですから、きっとどのメニューの味とも相性がいいはず。
「ラ パンセ ソバージュLa pensee sauvage」というのは、人類学者レヴィ=ストロース『野生の思考』(1962年)の原題です。(penseeにはeeの部分にアクサンがついているのですが、penséeが出ず、プレビューで確認したらLa pens醇Pe となってしまいました)
私が『野生の思考』を読んだのは、20代のはじめ、文化人類学者になりたいと思っていたころでした。そのころ原題はまったく知らず、ソバージュとは、私にとって長い間「パーマをもじゃもじゃにしたヘアスタイル」の意味しかありませんでした。美容師だった姉の実験材料としてモジャモジャの頭にされ「これ、ソバージュっていうヘアスタイル、最新流行」と言われたんですが、「こんなんじゃ、学校にも行けない」と泣きました。
文化人類学者はとうにあきらめ、中学校の国語教師になって、三色スミレを英語でPansyパンジーというのは、フランス語でPensee(思慮、思案、思考)から名付けられたと知りました。花咲くころ、花の頭を下に向けて思案しているような風情だからだそうです。「思案、思考」というフランス語由来のために、パンジーは「自由思想」のシンボルに用いられました。
けれど、ソバージュはやっぱり「もじゃもじゃ頭」以外の意味は知りませんでした。
30代になって娘が生まれて、近所の大学に再入学し、語学を以前よりはきっちり勉強するようになって、ようやくフランス語のソバージュは「野原の」「野生の」「原野の」という意味があることを知りました。フランス語は修飾語が被修飾語のうしろにくるので、「野生の思考」は「パンセ ソバージュ」となります。
レヴィストロースは、フランス語でいう「野生の思考」という意味と「野のスミレ」という意味の掛詞として、未開社会の神話的な思考法を述べた著作に「La pensee sauvage」というタイトルをつけたのです。原著本の表紙は、三色スミレの絵を装丁しており、日本語版のみすず書房の装丁も、この原著の三色スミレの絵を用いています。
『野生の思考』は「野のスミレ」でもあること、もとのフランス語は「ラ パンセ ソバージュLa pensee sauvage」であることを知って、もじゃもじゃソバージュ頭と「野生」が結びついたときは、「へぇ」ボタンを10回くらいたたきました。美容界で、アフリカ人のアフロヘアをアレンジした「野性的なヘア」が「ソバージュ」と名付けられたということでした。
そんなわけで、引っ越してきたgooブログでは、「カフェらパンセソバージュ」をブログタイトルにいたしました。
スミレというのは、私が子どもの頃、密かに自分の換え名にしていた呼び名です。本名はとてもダサくてかわいらしくないと子供心に感じて、でも「スミレ」ならかわいらしい、と思ったのでしょう。
万葉集の山部赤人の句、「春の野のすみれ摘みにと こしわれそ 野を懐かしみ一夜寝にける」という和歌を知ったのは高校生のころ。
1991年にタカラヅカスターのひとりに「春野寿美礼」という名がついたのも、この赤人の歌からの名付けだそうです。
いよいよ春。スミレも咲き出します。
♪春は名のみの風の寒さや~、♪春よこい早くこい、歩きはじめの~ ♪春が来たはるがきたどこにきた~ ♪どこかで春が生まれてる~ ♪春のうららのすみだ川~ ♪春の日の花と輝くうるわしき姿に~ ♪春の小川はさらさら流る~
いくらでも出てくる春の歌。山ほどある春の歌の中、今日の歌は、「ラララ赤い花束の唄」。
正式名称は「春の唄」らしいけれど、「春の唄」じゃ、いったいどの「春のうた」なんだかよくわからないから、「赤い花束車につんでの唄」ってことで。
http://www.youtube.com/watch?v=RuEr7UU6kyw&feature=related
作詞:喜志邦三 作曲:内田 元
♪ラララ 赤い花束 車に積んで 春が来た来た 丘から町へ
菫(すみれ)買いましょ あの花売りの 可愛い瞳に 春の夢
♪ラララ 青い野菜も 市場について 春が来た来た 村から町へ
朝の買物 あの新妻の 籠にあふれた 春の色
♪ラララ 啼けよチロチロ 巣立ちの鳥よ 春が来た来た 森から町へ
姉と妹の あの小鳥屋の 店のさきにも 春の唄
♪ラララ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ
ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た
<つづく>
2012/03/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(2)青い野菜も市場について・凍み菜、青菜
♪ラララ 青い野菜も 市場について 春が来た来た 村から町へ
朝の買物 あの新妻の 籠にあふれた 春の色
20日、春分の日はお彼岸中日。姑とお墓参り。姑は、徹底的合理主義の人なので、「死後の世界」というのも信じていないようなのですが、「お墓参り!」の号令をかけるのは、そう言わないといっしょに出かけたりしない姑の息子(私の法律上の夫)をかり出すためのもの。で、故人に線香あげるのはちゃっちゃと済ませて、後楽園遊園地を抜けて「後楽園飯店」へ。ランチコース。
一家五人そろっての食事というのは、正月以来で、「家族で食事」は、年に数度のみ。食べ終わると夫はさっさと事務所へ。徹夜で『一瞬の風になれ1,2,3』を読んでいて、寝てないので「眠い」という息子は帰るというので、娘も「散歩より昼寝」と言う。
姑と私ふたりで、後楽園庭園の梅花見。庭園にはスミレも花を見せていて、梅は見頃でした。梅の前のベンチでおしゃべり。
今までいくらすすめても、「他人が家のことにかかわるのはイヤ」と言っていた姑が、87歳にしてようやく「要支援1」という認定を受け入れ、週に1時間の要支援「おふろとトイレの掃除」をしてもらうこととなりました。これから、だんだん、部屋の掃除や買い物など支援内容が増えて行くかも知れませんが、ヨメは家族の稼ぎ手なので、姑の家事手伝いまではできないのです。
以前、姑に「買い物は荷物が重いのでヘルパーさんに頼んだ方がいい」と言ってみたところ、姑が主張するに「スーパーにキャベツ買いに行って、キャベツが高かったら、今日の野菜はキャベツはやめて、大根にしようって自分なら判断して買うけれど、ヘルパーさんにキャベツ買ってと頼んだら、高くてもなんでもキャベツを買ってくるだろうから、それじゃイヤ」というのです。60年以上、主婦として家計を切り盛りしてきた感覚からすると、高い野菜を買うなど、生活者の風上にもおけぬ、ということになるらしい。
この冬、野菜が高くて困った、という話になりました。大根1本250円、キャベツ1玉350円、となると、大根下ろしもサラダもおちおち食べられない。値段が変わらない生協のつけものセットなんぞで野菜不足を補うことで、この厳冬の野菜高騰期を乗り切ったという話をして、ちゃんと野菜高騰に対処したヨメであることをアピールしました。もっとも、姑から見たら、漬物を自分で漬けたりせずに、生協の袋入りなんか買うのはダメ嫁なのかもしれません。
昔は、冬の間は青菜は食べられなかった。白菜を漬けたり大根のつけものが冬の野菜でした。子どもの頃、わが家の家庭菜園でとれた菜を使って、父は「凍み菜(しみな)」というのを作っていました。うちの近所では「かき菜」と呼ばれていたいつも畑にもじゃもじゃと生えていた青菜を冬のはじめに大量に茹で、その束を2階の出窓のてすりにぶら下げて乾燥させる。よく乾燥した菜を5センチくらいに切って袋に詰めておく。
いわば乾燥野菜のはしりだったのだけれど、わが家は干し大根などは作っていなかったのに、この凍み菜は毎年作っていたのでした。一冬のあいだ、味噌汁の具に菜っ葉を入れるといえば、この凍み菜ばっかりでした。
冬場に青菜がいくらでも手に入るようになってからも、父はこの凍み菜を作り続けて、妹は「私は凍み菜の味あんまり好きじゃないから味噌汁にも使わなくなって、まだこんなに余っているから、東京に持ってってよ」と、もてあましていました。
父が亡くなって17年。ときどき冬場の凍み菜の味がなつかしくなります。
地元群馬以外にもこの凍み菜が食べられている地方があるかどうか調べてみようと検索をかけたのですが、結局、地元の「道の駅」で売られていたことがわかっただけです。ああ、この出荷者の名前、見たことある、と思いました。地元の道の駅の農産物や手作り品には、生産者の名前と住所が入っているんです。
http://komochi.sblo.jp/article/34808546.html
「青菜」の「青」については、何度か書いてきました。緑色の菜っ葉をどうして「青い」というのか、という質問は、小さな子からも留学生からもよく出てくる質問です。「青葉」「あお馬」「青い顔」などの「あお」
古代日本語の色彩名称は、黒、白、赤、青の四つのみ。燃えるような明るい色は、「赤」。黒、白、赤に含まれない「その他」は「青」でした。そのため、今で言う「グレー」の毛並みの馬は「あお馬」だったし、血の気を失った顔色は「あおい顔」です。青菜の青も、赤でも黒でも白でもない色の菜っ葉。
たった今萌え出たつやつやした新鮮なものを「みどり」と呼び、生まれたばかりの新生児は「みどり子」、つやつやした美しい髪は「みどりの髪」。新鮮な若葉は「みどり葉」。のち、「緑色」が色彩名として定着しました。しかし、緑色の野菜を扱う店や市場も「青果店」「青物市場」と、「青」の字はそのまま残っており、青菜も「みどり菜」と改名はされませんでした。
昔、凍み菜が冬場の青物だったころ、春になって八百屋に新鮮な青菜が出回ると、ああ、春になったのだ、と皆が食卓の春を喜びました。
今はどんな野菜でも1年中食べることができるけれど、春野菜のおいしさは格別です。
さあ、今夜もサラダをたっぷり食べたいけれど、いつになった野菜が安くなるのやら。あ、サラダがなくても、なんても全部たっぷり食べてしまい、結局は冬も春も体重増加ってことは、かわらないのですが。
暑さ寒さも彼岸までとは言っても、今年の春は足が鈍い。夕暮れ、陽が西に傾くと風はいっそう冷たくなります。
姑を春日駅まで送り、三田線のホームから電車に乗せました。乗り換え駅まで送ってそれから帰宅しようと思ったのですが、「大丈夫、ここまで来れば一人で帰れる」というので、じゃあ、とホーム鶴から見送りました。
地下鉄1本で、ドアtoドアで1時間の距離に住んでいる姑と嫁。1時間はちょうどいい距離と思って暮らしてきたのですが、そろそろ同居の時期を考えなければならないのかも知れません。姑はこれまで「90歳すぎて、身の回りのことがたいへんになってきたら、お願いね」と言っていたのですが、、、、。 姑から見たらいつまでたっても「青二才」の青嫁ですが、姑90歳で同居する頃には、こちらのほうが青息吐息になりそうな。
さて、春の一日、明日も歩いて足腰鍛えよう。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(3)店のさきにも春の唄・漢字も歌う絆
♪ラララ 啼けよチロチロ 巣立ちの鳥よ 春が来た来た 森から町へ
姉と妹の あの小鳥屋の 店のさきにも 春の唄
momosukeさんから質問がありました。(2012-03-14 10:40:44)
>絆という言葉は糸を半分づつ引っ張っているという意味なのですか?
>hal-niwa返信コメント(2012-03-14 20:04:16)
「絆」という字の旁は現在使われている「半」ではなく、上側は「八」になっています。「一つ」のものをふたつに「分ける」という意味の「八」です。下側の本字は「牛」です。中国でこの文字が作られたときは、「牛の足をつなぎ止めるヒモ」「拘束具」という意味でした。
そこから、「絆」は、「牛や馬の脚をつなぎとめる網」「拘束するもの」「つなぎとめるもの」という意味になりました。
~~~~~~~~~
と、コメントしたのですが、説明に不足や誤記があったので、もう少し詳しく字源について述べます。
春庭の「にほんごの店」、店先にもHALのうた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
漢字の字源には、諸説があります。漢和辞典によっても、異なる説明が出ているのです。さらに後世になるほど「通俗字解」というものが出てきて、わかりやすくはあるけれど、本来の漢字の意味とは異なる説明になっていたりします。中国で古来から行われてきた字源研究にも、通俗字解が混じっていて、それを日本の学者が信じて本に残し、それが通説になる、という場合も多い。
長らく漢字字解の本家とされてきたのは、中国後漢時代の『説文解字』です。『説文解字』は最古の部首別漢字字典で、後漢の許慎(きょしん)が篆書の文字を分類し、紀元100年(永元12)に成立しました。後漢の時代に最も古いと見なされていた始皇帝時代の編纂による篆書の文字を部首によって分類し、字の本義を記しています。
しかし、篆書文字以前の甲骨文字などについてはまだわかっていなかったため、たとえば「王」という字について、許慎は、「天地人三才を貫くもの」と字解し、「三」の字を縦棒で貫いて出来た、と解釈しました。しかし、甲骨文字の原点に戻って字源を研究した白川静は、「王」を「大きな鉞(まさかり)の頭の刃の部分を下にした形。この鉞が王の座る席の前に置かれ、王のシンボルとなり、王の意味となった」と解釈しました。
「口」という字は、従来、顔の中の口を開けた形とされてきました。しかし、白川は、新発掘が続いた甲骨文字や金文資料を吟味することにより、口(くち)と解釈するものではなく、「神に捧げる祝詞を収める箱」と解釈しました。音読みは「サイ」、訓読みは「ノリト」と提唱しました。
白川字源研究は人気が高いですが、批判者もいます。また、留学生への漢字教育で、「口」の字を教えるときは、『説文解字』に従って、口を開けた唇の形を絵にして、その上を「口」の形になぞって、印象づけて覚えさせています。この方が手っ取り早く印象に残るからです。
そのほか、「体」という字、留学生には、「人のオリジン(もと=本)になる体」と教えていますが、本来「体」の本字(繁体字)は偏が「骨」で旁が「豊」という字「體」です。でも、暗記のために、新字に合わせて便宜的な説明をしています。
絆は、留学生への説明でには「You and I are bound together with a thread. We are better half.」なんて言ったりしますが、これも記憶のためで、本来の字源ではありません。
「絆」は、会意文字(二つの意味を組み合わて出来た文字)ではなく、形声文字(意味を表す部首と発音を表す部首を組み合わせた文字)なので、偏の意味は「糸」に関わるけれど、旁は「半ハン、バン」という発音を表しています。
この「絆」という字が中国から日本にもたらされたとき、訓読みとして「きづな」が与えられ、平安時代中期の辞書『和名抄』には、「牛や馬をつなぎ止めておく綱」の意味で用いられた用例がでています。
現代の国語事典で「羈(音読み:キ、訓読み:おもがい、つな、たび)」と組み合わさった「羈絆(きはん)=行動する人の足手まといになるもの、束縛になるもの」は、日中辞典(岩波)にも「羈絆(簡体字:表示できず)jiban」とありますが、現代の若者たちは、日本語の「絆きづな」を中国語に翻訳するときは「羈絆」を用いているらしいです。
以下は、中孝介のうた「絆」の中国語(台湾)訳。
http://www.youtube.com/watch?v=3OHMct0yOX8&feature=related
♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 繋いで:手中緊握著 連結你我 重要的羈絆
♪今日も仲間の笑い声が聞こえる:一如往常聽見的朋友們嬉鬧的聲音
ふざけあいながら:打鬧嬉笑中
語らう夢のカケラ達:一邊訴?著那夢想的點滴
♪遠く離れた母親からの手紙:遙遠的母親寄來的信
身体を気遣う言葉が並ぶ:寫著要多注意自己的身體
深く深く染み込む愛を:深深的深深的這份愛
時に僕らは忘れてしまうけれど:即使偶爾我不小心遺忘
いつも目には見えない:但總是被那眼睛所看不見的羈絆所相繋著
「絆」が僕を支えてくれる: 給我支持給我鼓勵
♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を この手の中 守り続けたい:我要好好守護 連結你我 重要的羈絆
♪今日も僕らは人ごみに流されて:今天依然在洶湧人潮裡流失
自分の居場所を探し続ける:尋找著自己的棲身之處
もしも辛い時が来たなら:如果遇到困難
涙の理由を一人で抱えないで:不要一個人孤獨落?
君の笑う姿を:相信在某處
誰かがきっと待っているから:總有著人期待著你的笑容
繰り返される 悲しいニュースが溢れる:不斷播放 令人悲傷的新聞
誰かを傷つける為に :人?對沒有生來就是
生まれてきた訳じゃないだろう:為了傷害某個人
♪いつでも答えは 僕らのすぐそばに:不變的答案 就在你我身邊
大切な絆を 胸の奥に感じて:心中能感受到 連結你我 重要的羈絆
素直に愛を繋いでいけたなら:單純的因為愛而互相吸引
互いに信じあえる:就能相互信賴
その強さを 守り続けたい: 這份強韌 我要堅守下去
僕らの「絆」を: 那就是你我之間的羈絆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
春庭の「にほんごの店」、店先にもHALのうた。
(当店の通貨「Hal9000」は、日本円の9000円に相当します。
「春庭の日本語の解説」を買いたいかたは、壱HALをお支払いください。この壱HALは、日本円換算して9000円。これをふたりで飲んだ場合の「居酒屋おごり」に充当いたします。ふたりで飲み食いして壱Hal。ま、妥当な額かと。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>赤い花束車に積んで(4)空はうららかそよそよ風に・鎌倉の春
♪ラララ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ
ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た
春が来て「ビルの窓々みな開かれて」と歌いたいところなんですが、近頃は、花粉症もあるので家の窓もあけられないし、電車の窓もビルの窓も、開閉できないものが多くなっています。
窓を開けられないまま電車に乗って、鎌倉へ行ってきました。3月22日、「藤牧義夫展」を見るのがメインの目的ですが、鶴岡八幡宮、建長寺にもお参りして、境内の梅の花見も楽しみ、風はまだ冷たいものの陽は高く「光の春」を満喫できました。藤牧義夫展については、のちほどリポート。「鎌倉の春」について先にご報告。
鎌倉駅前に9時ちょい過ぎに着き、小町通りの店はまだ開店していないなあと思って、駅前からバスに乗りました。歩いてもたいしたことないとは思ったのですが、一日中歩くことを想定して、まずはバスで大宮大路をまっすぐ。八幡宮前で下車。大路の桜、まだ花芽があまり大きくなかった。
鶴岡八幡宮の巫女さん
鶴岡八幡宮。朝早いので、緋袴を履いた巫女さんがおみくじか何かを入れた箱を運んで歩いているほか、人出もまだまばらの境内。ベテランガイドが新人に教えているのか、境内を横切る通りの説明をしていました。
「この道で流鏑馬(やぶさめ)が行われるんですけどね、流鏑馬の範囲を示す柵があるんですけど、この柵を埒(らち)って言うんです。ほら、埒が明かないっていうときのラチ」「えっと、北朝鮮なんかがやったラチ?」「いえ、そうじゃなくて、、、、」新時代の人に日本語教えるのもたいへんです。この流鏑馬の説明、いつ埒が明くのやら。
階段を上り、大銀杏のあとを見ました。鎌倉二代将軍源頼家の子、公暁が三代将軍源実朝を暗殺したときに隠れていたという伝説の大銀杏。樹齢1000年とも伝えられていた大樹が、一昨年2010年3月10日未明に強風のため倒れました。切り倒された根からはひこばえが育ちつつあり、もとのような大木に育つのは、これから先1000年。まあ、そのころまだ日本が沈没していなかったら、また、誰かを暗殺したい誰かが隠れるにふさわしい太さになっているでしょう。
八幡宮に、家内安全学問成就健康長命その他もろもろ全部お願いしてから、近代美術館の鎌倉館&新館を見て、そのあと新館むかい側にある「歐林堂 」という洋菓子店に入りました。格式タカソーな店で、こういう気取った店とは相性悪いんですが、「せっかく鎌倉に来たからには、ちょっとはお高くとまってみようかしらん」という気分で、入って見ました。アンティークっぽいテーブルと椅子、アンティークっぽいカップボードに、お高そーなカップセットや青いお皿がいっぱいならんでいます。テーブルに運ばれているティーカップセットも、私が普段使う百均のマグカップなんかとはあきらかに違う、高そうなカップ。あれま、落として割ったりしないようにしなきゃ。
歐林堂外観店内
ケーキはひとつ500円以上。紅茶は、「ロイヤルダージリンティ」750円、「アールグレイ&マリーゴールドティー」750円、ですと。わぉっ!あたくし、普段はスタバのコーヒーだって高いと感じて、マックの140円Sカップを飲んでいるんだよ。(しかも必ずおかわり注文)
紅茶ケーキセットで1200円だか、1300円くらいしそうなので、どうぜなら腹の足しにと、思ってしまう貧乏性。朝ご飯は、ゆうべの残り物の焼きうどんをしっかり食べてきたので、空腹には少し早いけれど、キッシュランチというのを注文しました。1300円。
オニオンのスープ:カップに長時間炒めたとおぼしき玉葱がビーフ味スープで煮込まれていて濃厚な味。
キッシュ:パイ生地はさっくりしておいしい。中は卵と玉ねぎ。
紅茶:本日のホットティーはカモミール。
ナイフフォークを正しく使い、きどってキッシュを食べていたら、紅茶カップは落としたりしなかったけど、フォークを落とした。
キッシュランチ
「ハウルの城」のエンジン室蒸気機関のようなのが並ぶ圧力湯沸かしが中央にあって、シュバーッというすごい音をだしてティーサーバーにお湯を入れる。お湯を入れている中年のウエートレスさんに尋ねるのはちょっと叱られそうな格調高いようすでシュバーッだったので、若いお運びのウエートレスさんに、こっそり「普通の薬缶のお湯で淹れるのとは味が違うんでしょうか」と質問してみたら、「圧力がかかるために、茶葉から香りと味がよりよく引き出されます」ってな説明を受けた。そう思って飲めば、確かにおいしい気がする。
鎌倉に来て、普段なら絶対に飲まないオタカイ紅茶を飲んでみた。春うらら。
巨副呂坂切通し(こぶくろざかきりとおし)を抜けて、建長寺へ。本堂のお地蔵様にお参り。家内安全学問成就健康長命その他もろもろ全部おねがい。御縁があるように、毎度お賽銭は五円玉なので、もろもろ全部ねがうのは虫がいいかと思いつつも、神様仏様はお賽銭の額で差別をするようなセコイ方はいらっしゃらず、必ず私の安全長命をまもってくれると信じています。南無なむ。
建長寺山門
川口市から来たという中学生のグループがワイワイ言いながら見学している。山門の敷居をまたぐとき、躓いて蹴っ飛ばしてしまった男の子が「わあ、蹴っちゃった。神様のバチあたらないかな」と心配している。「あー、君きみ、ここは神さまじゃなくて、仏さまだからね。そんで、神様も仏さまも、御心広いから、蹴っ飛ばしたくらいじゃ罰なんかあてないよ。蹴っ飛ばして罰あたるなら、歴代の首相あたりは、みんなアッチ死にしているだろうて」とか教えてやろうかと思ったが、そもそも「神も仏もありませぬ」by佐野洋子。
鏑木清方美術館を一回りして、小町通りをあれこれ買い物しながら駅へ。鎌倉ハムと、うさぎ饅頭と、なぜかアフリカ小物など買う。メイドインチャイナ、メイドインタイと同じ値段の百円箸が、メイドインジャパンと書かれた袋に入っているのを見て、ぜったいにこっちもメイドインどこやらだよ、と思いつつ、3膳買う。
平日の午後というに、すごい人出。さすが観光地鎌倉。今「最後から二番目の恋」というキョンキョン主演のテレビドラマの舞台が鎌倉なので、そんな効果もありそうな。私も、キョンキョンが東京までの通勤につかっている江ノ電に乗りたくなったので、江ノ島経由で帰ることにしました。江ノ電鎌倉駅の売店で鎌倉コロッケを買って食べながら電車を待ちました。
同じ発想の人はいるもんで、キョンキョンが乗り降りしている極楽寺になったら、プラットホームの駅名板を写真に撮っている女の子がいた。そうそう、ここで乗り降りしていたら、最初の恋も最後から二番目の恋もいろいろ巡り会えるかも。
江ノ島は横目で見ただけで、小田急江ノ島駅へ。駅前のマックで140円のコーヒーSを頼むつもりだったけれど、キッシュランチのキッシュはお上品に小さくて、小腹が空いたのでフィレオフィッシュMMセット&チキンナゲットを頼んだ。640円。これなら湘南海鮮丼の店のほうがよかったかなあと悔やみつつ、フィレオフィッシュも同じ魚だしとあきらめて食す。いつもSカップコーヒーをおかわりするのだけれど、Mカップは思いの外大きくて、飲み干すまで時間がかかったけれど、無理矢理おかわりする。
朝7時に家を出て、夜8時30分帰宅。丸一日の日帰り行楽、鎌倉の春。交通費、地下鉄JRバス江ノ電小田急、合計2310円。食費、キッシュランチ、コロッケ、フィレオフィッシュセットで合計2030円。入場料(鎌倉近代美術館、鏑木清方美術館、建長寺)合計1050円。おみやげ(鎌倉ハム、鎌倉五郎本店うさまん、箸など)、2000円。一日の行楽費計、7390円。
藤沢のりかえ快速急行で新宿へ。もう車窓はまっくらで、ビルの窓々、みな開かれているかどうかは見えなかったけれど、全部しまっていたであろう。
♪ 空はうららか そよそよ風に 春が来た来た 町から町へ ビルの窓々 みな開かれて 若い心に 春が来た
古都の階段に咲く紅梅
撮影した写真を小さく変形して保存する方法がやっとわかったので、鎌倉で撮影したへたっぴ写真を載せました。
<おわり>