2006/10/26 木
ことばのYa!ちまた>文学の中の猫(11)更級日記「大納言の姫君猫」
更級日記、「大納言姫君の猫」の残り部分を、長いですが全文引用します。
『 姉おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉のなやむことあるに、物さわがしくて、この猫を、北面にのみあらせて呼ばねば、かしがましく、鳴きののしれども、さきなほ、さるにてこそはと思ひてあるに、わづらふ姉おどろきて、「いづら、猫は。こちゐて来」とあるを、「など」と問へば、
「夢に、この猫の、かたはらに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御女の、かくなりたるなりさるべき縁のいささかありて、この中の君の、すずろにあはれと思ひいで給へば、ただしばしここにあるを、このごろ、下衆のなかにありて、いみじうわびしきこと』といひて、いみじう鳴くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うちおどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみじくあはれなり
その後は、この猫を北面にもいださず、思ひかしづく。ただ一人ゐたるところに、この猫がむかひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせ奉らばや」といひかくれば、顔をうちまつりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞きしり顔にあはれなり。』
(春庭現代語訳)
姉と妹の私の間にいつもまとわりついている猫を、おもしろがりかわいがっていました。
そんなおり、姉の体調が悪くなったことがありました。気ぜわしいので、この猫を北側の部屋において、姉と私の部屋には入れないようにしていたら、猫は騒ぎだし泣きまわりました。
それでも、あら、また猫が騒いでいること、と思っていたら、わずらっている姉が驚いて「どこなの、猫は。こちらに連れてきて」と言いました。
「どうしたの」とたずねると、
「夢の中で、わたしのかたわらに猫が来て、こう言うのです。
「私は侍従の大納言殿の娘です。今はこのような姿になっております。
こうなるべき縁が少しあったのでしょう。この家のお嬢さんたちが私の書いた筆跡を見て、私を思いだしてくださるので、ただしばらくの間と思ってここにおりますのに、このごろ下働きの人の間にばかりおかれて、とても侘びしいことです」
と言って、ひどくないているようすは、上品でおもむきがある人に見えて、たいそう驚きました。
姫君は、この猫の声でないていたんですよ。とても哀れ深い思いがしました。」
それからというものは、この猫を北側の部屋になど出さないで、大納言の姫様と思って大切にしました。
ただひとりきりでいたときなど、猫に向いあって「侍従の大納言の姫君でいらっしゃいますのね。大納言殿にお知らせ申しあげたいこと」と言いかけると、私の顔をじっと見つめて、長く長く鳴くのです。
気のせいか、そういう目で見るからなのか、普通の猫とは思えず、私の言うことをみんなわかっているかのような顔をしているのが、いじらしくおもむき深く感じられました。
===============
『源氏物語』を夢中になって読みふけっていた少女とその姉。
春になると、花が咲くのをみても散るのをみても、自分たちをかわいがってくれた今は亡き乳母をなつかしく思い出します。また、乳母と同じ頃なくなった「大納言の姫君」に書いてもらったお習字の手本をくりかえしながめていました。
どこからか迷い込んできた猫。とてもきれいな猫で上品なようすをしています。
姉と「ふたりだけの秘密」と約束して、隠して飼うことにしました。病身の姉は、外出ることもなく、そっと猫をなでています。
あるとき、猫が姉の夢のなかにあらわれました。
夢のなかで、猫は「今はこのような姿になっていますが、わたくしは、大納言の娘です」と、言ったのです。
夢のなかで身の上を語る姫君の声は、猫の声に重なっていました。
少女たちは、あたりにだれもいないとき、猫をなでながら「おまえは、大納言の姫君なんでしょう、大納言殿にお知らせしましょうか」と言葉をかけます。猫はじっと少女の顔をみつめて、長く鳴きました。
「やはり、そこらへんにいる普通の猫とはぜんぜんちがう猫みたい」と少女は思うのです。
「猫の変身譚」が一般に知られていたからこそ、更級の少女も「きっとお姫様の生まれ変わりよ」と、信じたのでしょうね。
「更級の少女と猫」は、大島弓子『綿の国星』の猫に至るまで続く「少女と猫」の物語や「猫耳少女」の原点に思えます。
綿の国星のチビは、猫が成長すれば人間になれると信じています。チビの視線で人をみれば、元は大納言の姫君だった猫もいれば、やがては人の姿となる猫もいることでしょう。
猫は少女にとって、自分自身の姿を反映したものであり、少女の夢と秘密を体現したものであり、だれにも知られてはならない秘密やウソを共有する、そんな存在です。
次回は漱石の「吾輩猫」
<つづく>
==========
もんじゃ(文蛇)の足跡
今回『枕草子』『紫式部日記』『更級日記』について参考にしたのは、河出書房新社の『王朝日記随筆集』
1972年初版「日本の古典」というシリーズの第7巻。蜻蛉日記と源氏物語のエピソード対照研究をレポートにするために買った一冊。
1972年には、1200円の定価をたいそう高いと思ってかいました。都バスの料金が30円だった時代でしたから。
次にこの本を活用したのは、1986年。
二度目の学生生活で、和泉式部日記と紫式部式部日記の影印本(変体仮名で書かれた本文をそのまま写真にとった本)を読んで、ひとりずつ順番に訳読する授業のため。
変体仮名を読むのがたいへんだったので、文庫の活字版と、この訳本を読んで見当をつけた。
その後は、ときどきページをひらくことはあったが、じっくり読むほどのことはなく、大いに活用、というくらい利用したのは、今回が3回目。
まあ、今回でやっと、34年前には高いと感じた定価の「もとはとれた」くらい読みこなした気がする。
ことばのYa!ちまた>文学の中の猫(11)更級日記「大納言の姫君猫」
更級日記、「大納言姫君の猫」の残り部分を、長いですが全文引用します。
『 姉おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉のなやむことあるに、物さわがしくて、この猫を、北面にのみあらせて呼ばねば、かしがましく、鳴きののしれども、さきなほ、さるにてこそはと思ひてあるに、わづらふ姉おどろきて、「いづら、猫は。こちゐて来」とあるを、「など」と問へば、
「夢に、この猫の、かたはらに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御女の、かくなりたるなりさるべき縁のいささかありて、この中の君の、すずろにあはれと思ひいで給へば、ただしばしここにあるを、このごろ、下衆のなかにありて、いみじうわびしきこと』といひて、いみじう鳴くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うちおどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり」と語り給ふを聞くに、いみじくあはれなり
その後は、この猫を北面にもいださず、思ひかしづく。ただ一人ゐたるところに、この猫がむかひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせ奉らばや」といひかくれば、顔をうちまつりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞きしり顔にあはれなり。』
(春庭現代語訳)
姉と妹の私の間にいつもまとわりついている猫を、おもしろがりかわいがっていました。
そんなおり、姉の体調が悪くなったことがありました。気ぜわしいので、この猫を北側の部屋において、姉と私の部屋には入れないようにしていたら、猫は騒ぎだし泣きまわりました。
それでも、あら、また猫が騒いでいること、と思っていたら、わずらっている姉が驚いて「どこなの、猫は。こちらに連れてきて」と言いました。
「どうしたの」とたずねると、
「夢の中で、わたしのかたわらに猫が来て、こう言うのです。
「私は侍従の大納言殿の娘です。今はこのような姿になっております。
こうなるべき縁が少しあったのでしょう。この家のお嬢さんたちが私の書いた筆跡を見て、私を思いだしてくださるので、ただしばらくの間と思ってここにおりますのに、このごろ下働きの人の間にばかりおかれて、とても侘びしいことです」
と言って、ひどくないているようすは、上品でおもむきがある人に見えて、たいそう驚きました。
姫君は、この猫の声でないていたんですよ。とても哀れ深い思いがしました。」
それからというものは、この猫を北側の部屋になど出さないで、大納言の姫様と思って大切にしました。
ただひとりきりでいたときなど、猫に向いあって「侍従の大納言の姫君でいらっしゃいますのね。大納言殿にお知らせ申しあげたいこと」と言いかけると、私の顔をじっと見つめて、長く長く鳴くのです。
気のせいか、そういう目で見るからなのか、普通の猫とは思えず、私の言うことをみんなわかっているかのような顔をしているのが、いじらしくおもむき深く感じられました。
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『源氏物語』を夢中になって読みふけっていた少女とその姉。
春になると、花が咲くのをみても散るのをみても、自分たちをかわいがってくれた今は亡き乳母をなつかしく思い出します。また、乳母と同じ頃なくなった「大納言の姫君」に書いてもらったお習字の手本をくりかえしながめていました。
どこからか迷い込んできた猫。とてもきれいな猫で上品なようすをしています。
姉と「ふたりだけの秘密」と約束して、隠して飼うことにしました。病身の姉は、外出ることもなく、そっと猫をなでています。
あるとき、猫が姉の夢のなかにあらわれました。
夢のなかで、猫は「今はこのような姿になっていますが、わたくしは、大納言の娘です」と、言ったのです。
夢のなかで身の上を語る姫君の声は、猫の声に重なっていました。
少女たちは、あたりにだれもいないとき、猫をなでながら「おまえは、大納言の姫君なんでしょう、大納言殿にお知らせしましょうか」と言葉をかけます。猫はじっと少女の顔をみつめて、長く鳴きました。
「やはり、そこらへんにいる普通の猫とはぜんぜんちがう猫みたい」と少女は思うのです。
「猫の変身譚」が一般に知られていたからこそ、更級の少女も「きっとお姫様の生まれ変わりよ」と、信じたのでしょうね。
「更級の少女と猫」は、大島弓子『綿の国星』の猫に至るまで続く「少女と猫」の物語や「猫耳少女」の原点に思えます。
綿の国星のチビは、猫が成長すれば人間になれると信じています。チビの視線で人をみれば、元は大納言の姫君だった猫もいれば、やがては人の姿となる猫もいることでしょう。
猫は少女にとって、自分自身の姿を反映したものであり、少女の夢と秘密を体現したものであり、だれにも知られてはならない秘密やウソを共有する、そんな存在です。
次回は漱石の「吾輩猫」
<つづく>
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もんじゃ(文蛇)の足跡
今回『枕草子』『紫式部日記』『更級日記』について参考にしたのは、河出書房新社の『王朝日記随筆集』
1972年初版「日本の古典」というシリーズの第7巻。蜻蛉日記と源氏物語のエピソード対照研究をレポートにするために買った一冊。
1972年には、1200円の定価をたいそう高いと思ってかいました。都バスの料金が30円だった時代でしたから。
次にこの本を活用したのは、1986年。
二度目の学生生活で、和泉式部日記と紫式部式部日記の影印本(変体仮名で書かれた本文をそのまま写真にとった本)を読んで、ひとりずつ順番に訳読する授業のため。
変体仮名を読むのがたいへんだったので、文庫の活字版と、この訳本を読んで見当をつけた。
その後は、ときどきページをひらくことはあったが、じっくり読むほどのことはなく、大いに活用、というくらい利用したのは、今回が3回目。
まあ、今回でやっと、34年前には高いと感じた定価の「もとはとれた」くらい読みこなした気がする。