《 建築家/隈研吾の覚悟 》
新・国立競技場を造るわけ
国立 代々木競技場
1963年/『丹下健三』建築
隈研吾氏・・・(100歳)の時、丹下健三氏の『国立・代々木競技場の前に立ち、カッコいい建物にビックリし、「建築の仕事をしよう・・」と心に誓ったと言う その《隈研吾氏》 半世紀以上経て、56年後のやり直しコンペで『新・国立競技場』の設計を担当することになりました
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初回コンペ
ザハ案/白紙
新・国立競技場建築・・・設計費の高騰が危惧されました 国民の意識も反対意見が多数を占め、安倍首相の決断で『新・国立競技場(ザハ案)』は白紙に戻されました
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日本建築界の良心『槇文彦氏』
第一コンペの《ザハ氏案》に異論を唱えたのは
◆建築界の巨匠
◆槇文彦氏
東京都と文科省に提出した『新・国立劇場に関する要望書』の発起人に《隈研吾》さんも真っ先に名前を連ねました 《隈研吾》さんが『新・国立競技場』を設計したかったわけではなく、ザハ案の建物が神宮外苑の杜にできるのは近隣住民として「いやだ」、と本能的に感じたからでした
ザハ氏案の巨大スケールが神宮外苑の景観にスケールアウトしていると当初から反対を表明していました 新しい要綱でも70mの高さ制限は変らないままですが、これより低い案の提出が《隈研吾氏と伊東豊雄氏》に期待されました
やり直しコンペ/二人の建築家
《A案》/隈研吾氏・・気をふんだんに使う
《B案》/伊東豊雄氏・・ガラスを多用
《A案》/隈研吾氏に決定
ザハ案/75mだった
新・国立競技場の高さを49mに
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◆隈研吾の覚悟
1964年/東京オリンピック 2010/ 再びの東京オリンピック 1964年と2010年は、二つの特別な年であると考えている 日本の近代とは何か、日本は何処からきて何処へ向かうのか
二つの時代で必要とされる建築の違いは何か? 考え続けながら線を描いている 二つの時代で社会と建築との関係 社会と人間との関係との違い、をはっきりと実物で示したいと思って材料を選び形態をきめている
「コンクリーの時代」→「木の時代」に
経済の崩壊も、震災も、全て引き受けた建築を作ろう
建物の高さを低く、地元の自然素材を使いたい
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隈研吾の設計
和の感覚
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隈研吾 著/なぜぼくが
新・国立競技場をつくるのか
戦後建築家の『第四世代』がやる意義
「1913年生まれ/丹下健三が第一世代」 「槇文彦さん、磯崎新さんが第二世代1930年代」 「伊東豊雄さん、安藤忠雄さんが第三世代の1940年代生まれ」 「隈研吾さん、妹島和代さん、坂茂さんが第四世代」・・・干支の一回りで世代交代が起きました
第一世代/《丹下健三》は日本の戦後復興を支えた世代 日本の工業力をアピールしたのが《丹下健三》の建築でした 戦後日本の高度成長期にいちばん建てられたのが公共建築でした 戦後建築を造ったのは、《槇文彦》、《磯崎新》、《黒川記章》の第二世代でした 所謂箱もの世代です 次に第三世代の《安藤忠雄さん》、《伊藤豊雄さん》、になると世の中に環境問題が大きな課題になりました 高度成長的な箱もの建築に対する批判が浮き上がったのです
そういう時代背景の中で、《安藤忠雄》は建築をコンクリートに閉じ込めました 《伊東豊雄》はガラスにして存在を消し、翳りの部分を表現しました その手法は大人の感じがしました 高度成長の陰りは、日本が成熟時代に入ったということの裏返しです
第四世代の《隈研吾さん》、(坂茂さん》、《妹島和代さん》、になると時代はポストバブル期 日本が本格的な低成長時代に入りました バブルはほんの一瞬にはじけて日本には仕事がない 必然的に海外に行って仕事をしなければならない時代になりました 第四世代は海外に活路を求めました
グローバル時代の到来は海外でしか仕事がない、というシビアな時代です 第四世代は時代の恩恵にあずかれなかった世代 今回の『新・国立競技場』が、《B案/伊藤さん》は選ばれなかった
A案/隈研吾
が選ばれたことは示唆的です
2020年の東京オリンピックは
日本建築界に新たなメッセージをおくる
《A案》に決定
水と緑のスタジアム
木の庇が重なっていることで優しい影をつくりだす
庇の上部には野草が植えられている
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『隈研吾』とは?
1954年/横浜生まれ(63歳) 1979年東京大学工学部建築学科大学院修了 米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築設計事務所主宰 2009年より東京大学教授
隈研吾さんの建築は、100件くらいの建築が同時進行していると言います 建築のプロジェクトは長くて10年くらいかかるものもあるので、時間差でスケジュールを組んでいます 100件進行中で、工事真っ盛りで現場に通うのは常時10件くらい だから時間管理をちゃんとすればできるのだそうです
近隣の人が嫌がる建物を英語で「eyesore(目の傷)」って言います 「あ~出来ちゃった・・・」「あれ、無くなればいいのに・・・」みたいな含みを持つ言葉です 第二のコンペでは東日本大震災からの復興というテーマに 世界に日本をアピールする普遍的な価値を考えた時、「共生」と言う方向にだんだんシフトしていった 「環境の時代」「共生の時代」と言葉では簡単ですが、建築の形にするにはどうすればよいか そうした時、《隈研吾氏》は大成建設からやり直しコンペで組もうと誘われました
2020年は少子高齢化オリンピックであると同時に、復興オリンピックでもある 世界的に木材への追い風があり『新・国立競技場』は木を中心に提案しました 『新・国立競技場』には東北の木材を積極的に使います 東北は杉のいい材料が揃っています 日本の風土から生まれるマテリアルを味わってもらいたい
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隈研吾氏の仕事
根津美術館/サントリー美術館
豊島区役所/歌舞伎座
2017.1.15(日)
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