ゴッホ展  ミレーを描く

2010-12-22 10:34:33 | ガラス/美術展 

《 ゴッホの絵 》

模写から始まる

会場・・新国立美術館

会期・・‘10・10・1~12・20

画家になる前・・・父親の跡を次いで伝道師を目指し、若い頃から労働する人・農民・炭鉱夫、に大変共感し強い関心を持っていました

 ジャガイモを食べる人々

オランダ時代・・初期代表作

ゴッホ生い立ち 

1852・3・30・・・オランダ南部・牧師の家に男の子が生まれる 「勝利者」を意味するフィンセントと名付けられた子は生後まもなく死亡 一年後の同じ日に男の子が生まれ、亡くなった子と同じ名を付けられた・・・・・この子が後に画家となるゴッホです

の弟妹・・・4歳年下のテオと仲が良かった 20歳の時下宿先の娘に恋をするが、婚約者がいて失恋 落ち込んだゴッホは仕事への意欲を失い解雇、語学教師・書店員・経て父と同じ牧師を目指し伝道活動開始

 敬愛してやまないミレー

ミレー画

模写・・ゴッホ画

一日の終わり・・ミレーの原画より

サン・レミ・療養所内で模写

 ゴッホ自身の絵」に

種蒔く人・・ゴッホ画

オランダ時代末期・・代表作

生命の黄色・・・ゴッホが何度も模写した「種蒔く人」 穏やかなミレーの絵とは対照的 画面の大半を青とオレンジという補色の絵の具を交互に置いた地面が占める 上部に黄色い巨大な太陽が 南アルルの明るい太陽は生命力の象徴 ゴッホの選んだ色彩こそが燦然と輝く黄色・・・黄色はゴッホにとっての生命力の象徴だった

オランダ時代・・・1881年、30歳になっても両親から自立出来ず、弟の仕送りを受け昼間から絵を描く放蕩息子、周囲の視線は冷たい 恋愛関係になった年上の女性が服毒自殺・・・・・さらに1885年・父急逝

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 「ジャガイモを食べる人々」完成

追われるようにパリへ

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名画鑑賞 

パリ時代(1886・3~88・2)

生涯にわたり尊敬したミレー・・・ゴッホが絵の師匠にした画家は、バルビゾン派のミレー(1814~75)だった ミレーは貧しい農民が懸命に働く姿の中に誠実な人間の尊厳を描き出した・・・ミレーは「農民画家」 

アルル時代(1888・2~89・5) 

太陽が輝く生命の黄色・・・アルルは「理想の国・日本」だった 意欲と希望に溢れそれまでの八年間の修行の成果をこの地で開花させる

サン・レミ時代(1889・5~90・5)

ゴッホの画業を代表する・・・秀逸な作品はすべてサン・レミ時代に描かれたものです アルル時代に習得した技術と経験、なんとか立ち直ろうとする強い意志の力が現れています  サン・レミで過ごした一年間・・・発作は数ヶ月ごとに画家を襲い、色彩はいよいよ強烈になり、筆致は渦巻くようになる 代表作・・「星月夜」

最後の二ヶ月

弟テオの勧めで・・・絵画を愛好する精神科医・ガシュ博士のパリ郊外に移る 約二ヶ月の間に70点の油絵を描く ゴッホの使う画材の量は尋常でなく、描けば描くほど費用がかさむ この悪循環を断ち切るために7・27拳銃自殺を図る テオに看取られ29日死亡・・・・・享年37歳

兄をあとを追う・弟テオ・・・苦しみから解放されるどころか、弟・テオは心の支えを失い、悲しみで精神を病む 半年後兄のあとを追うように亡くなる

1914年・テオの妻・・・がゴッホの伝記・書簡集を出版する テオの墓を兄の隣に移設している

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短くも険しかった茨の道の終焉

生前 売れた作品は一点

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二人は寄り添うようにして

永遠の眠りに

(2010・12・1・水)

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ゴッホ展 美しき「日本」への憧れ

2010-12-22 10:34:17 | ガラス/美術展 

《 没後120年展 》

日本への憧れ

麦藁帽子の自画像

生涯約40点の自画像・・・1886年から2年間過ごしたパリ時代に「自画像」は集中している 明るい色彩や線状のタッチに印象派の影響がある 経済的な余裕がなくモデルを雇えなかった・・・パリ時代

浮世絵の世界

タンギー爺さん

絵のあるリビング

タンギー爺さんを真似た・・haru画

タンギー爺さん・・・浮世絵コレクション・・パリの画材店の主人 1825年生まれ 幾つかの職業を経て店を構えた苦労人だった ゴッホ・ゴーギャンなど若い画家を支援し、ゴッホもまた彼を慕っていた 温厚な人柄に「自然の中でお互いに助け合っている」 ゴッホが夢想した日本人像を重ね合わせたらしい タンギーの肖像画を6点の浮世絵で飾っている

万国博覧会の影響・・・フランス中がジャポニズム(日本趣味)に湧いていた19世紀後半、画材店にも多くの浮世絵が飾られていたのかもしれない

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日本への憧れ・・浮世絵

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ゴッホ展  生命の黄色「ひまわり」

2010-12-22 10:33:57 | ガラス/美術展 

《 ゴッホの魅力 

日本人はゴッホが好き

 

医師ガッシュの肖像

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大昭和製紙が落札・現日本製糸所蔵

名誉会長が落札・約125億円(手数料込) 

バブル期の1990年 最高記録を大幅更新落札

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ユートピアの象徴

「ひまわり」 五点

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安田火災海上が落札現損保ジャパン所蔵

バブル期・58億円落札

1987年(昭和62年)

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「ひまわり」・・ゴッホ

アルル時代の代表作

南仏アルル・・・「ひまわり」の光を求めて、南仏にやって来たゴッホです アルルでの「ひまわりの連作」はゴーギャンを歓迎する為に描かれたといいます

ひまわりは・・・約20点ほど描かれる その大半はパリ時代から~アルル時代の約2年間に集中している パリ時代は切花が多く写実的に アルル時代は花瓶に入り平面的で装飾性がある

 

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日本人はゴッホが大好き

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ゴッホ展 ゴッホ芸術の完成

2010-12-22 10:31:38 | ガラス/美術展 

《 芸術の完成 》

最後の一年

糸杉と星の見える道・・ゴッホ画

「ひまわり」の次は・・サン・レミ時代の代表作

夜のカフェ・テラス・・ゴッホ画

アルルの中心の広場に面したカフェ・テラス

美しい「蒼と紫と緑」の夜景

ローヌ川の星月夜・・ゴッホ画

 共感という誤解の始まり

アルルを芸術家のユートピアに

ゴッホの寝室・・通称黄色い家

1888年2月パリからアルルへ・・・アルルを芸術家のユートピアに、と夢を描く 5月には拠点となる家・黄色い家を借り、自作のひまわりを飾る 椅子・2個、枕・2個・・ゴーギャンを待つ気持ちが高まる

 

 包帯をしてパイプをくわえた自画像・・ゴッホ画

自画像・・・「耳切り事件」 直後・1889年1月制作された自画像は、背景を二分するオレンジと赤の色彩が激烈 オレンジの背景には蒼い帽子、赤の背景には緑のコート、と捕食関係を計算している 目は少し怖いが表情は穏やかで思索的

 

ゴーギャンとの共同生活

破綻・人生の終末へ

共同生活は火と氷・・・写実のゴッホ→想像力で描くゴーギャン 情熱的でロマンティストのゴッホ→冷徹でリアリストのゴーギャン 共同生活は火と氷が同居するよう・・・毎晩口論が続き激しくぶつかり合うようになる

「耳切り事件」の顛末は・・・尊敬する先輩画家との共同生活・・二ヶ月間はゴッホの短い生涯の中で最も充実した時期であった 夢を膨らませた他の画家とのユートピア、それが絶望への出発点になるとは

共同生活は「耳切り事件」で終止符

以降ゴッホの人生は終末へ

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作品は鮮やかに大胆になる

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