《 ゴッホの絵 》
模写から始まる
会場・・新国立美術館 会期・・‘10・10・1~12・20 画家になる前・・・父親の跡を次いで伝道師を目指し、若い頃から労働する人・農民・炭鉱夫、に大変共感し強い関心を持っていました
ジャガイモを食べる人々 オランダ時代・・初期代表作 ゴッホ生い立ち 1852・3・30・・・オランダ南部・牧師の家に男の子が生まれる 「勝利者」を意味するフィンセントと名付けられた子は生後まもなく死亡 一年後の同じ日に男の子が生まれ、亡くなった子と同じ名を付けられた・・・・・この子が後に画家となるゴッホです 5人の弟妹・・・4歳年下のテオと仲が良かった 20歳の時下宿先の娘に恋をするが、婚約者がいて失恋 落ち込んだゴッホは仕事への意欲を失い解雇、語学教師・書店員・経て父と同じ牧師を目指し伝道活動開始 敬愛してやまないミレー
ミレー画
模写・・ゴッホ画
一日の終わり・・ミレーの原画より サン・レミ・療養所内で模写 「ゴッホ自身の絵」に
種蒔く人・・ゴッホ画 オランダ時代末期・・代表作 生命の黄色・・・ゴッホが何度も模写した「種蒔く人」 穏やかなミレーの絵とは対照的 画面の大半を青とオレンジという補色の絵の具を交互に置いた地面が占める 上部に黄色い巨大な太陽が 南アルルの明るい太陽は生命力の象徴 ゴッホの選んだ色彩こそが燦然と輝く黄色・・・黄色はゴッホにとっての生命力の象徴だった オランダ時代・・・1881年、30歳になっても両親から自立出来ず、弟の仕送りを受け昼間から絵を描く放蕩息子、周囲の視線は冷たい 恋愛関係になった年上の女性が服毒自殺・・・・・さらに1885年・父急逝
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「ジャガイモを食べる人々」完成
追われるようにパリへ
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名画鑑賞
パリ時代(1886・3~88・2)
生涯にわたり尊敬したミレー・・・ゴッホが絵の師匠にした画家は、バルビゾン派のミレー(1814~75)だった ミレーは貧しい農民が懸命に働く姿の中に誠実な人間の尊厳を描き出した・・・ミレーは「農民画家」
アルル時代(1888・2~89・5)
太陽が輝く生命の黄色・・・アルルは「理想の国・日本」だった 意欲と希望に溢れそれまでの八年間の修行の成果をこの地で開花させる
サン・レミ時代(1889・5~90・5)
ゴッホの画業を代表する・・・秀逸な作品はすべてサン・レミ時代に描かれたものです アルル時代に習得した技術と経験、なんとか立ち直ろうとする強い意志の力が現れています サン・レミで過ごした一年間・・・発作は数ヶ月ごとに画家を襲い、色彩はいよいよ強烈になり、筆致は渦巻くようになる 代表作・・「星月夜」
最後の二ヶ月
弟テオの勧めで・・・絵画を愛好する精神科医・ガシュ博士のパリ郊外に移る 約二ヶ月の間に70点の油絵を描く ゴッホの使う画材の量は尋常でなく、描けば描くほど費用がかさむ この悪循環を断ち切るために7・27拳銃自殺を図る テオに看取られ29日死亡・・・・・享年37歳
兄をあとを追う・弟テオ・・・苦しみから解放されるどころか、弟・テオは心の支えを失い、悲しみで精神を病む 半年後兄のあとを追うように亡くなる
1914年・テオの妻・・・がゴッホの伝記・書簡集を出版する テオの墓を兄の隣に移設している
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短くも険しかった茨の道の終焉
生前 売れた作品は一点
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二人は寄り添うようにして 永遠の眠りに
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