【シーズン6】人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

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1歴代誌26章

2009年09月16日 02時34分24秒 | 歴代誌
門衛というのは、神殿の門を見張る者のことであり、新約聖書では、「門番」と訳されている(マルコ13:34、ヨハネ10:3など)。門衛の数は、4千人を数え、主としてコラ族とメラリ族の子孫がその役割を担った(1-19節)。
実際に彼らの仕事は、異教徒の攻撃や妨害から、再建したエルサレムの神殿を守ることにあり、それゆえ彼らには二つの特性が要求されたようである。一つは勇士であること(6,7,8節)。彼らはいざという時には勇敢に行動しなくてはならなかったのである。また、二つ目には、思慮深い者であること(14節)。だれを通し、だれを阻むか、秩序をもって、大勢の人数をさばいていくためには、知恵が必要とされた。勇気と思慮深さ、これが門衛に要求されたことである。
確かに、彼らの奉仕は今日でいえば、教会の受付係に相当するものであろうか。礼拝の奉仕ということからすれば、受付係は、週報を手渡す、出席簿にチェックする、そんな簡単な仕事であるかのようでもある。しかし実際には、新しく来会した人の特性を一瞬で見分け、援助が必要な人には、それなりの手助けの出来る人の側に導いたり、あるいは、霊的必要のあるなしを見極め、礼拝後、牧師に導いたりするぐらいの思慮があったら、その教会は、教会としての機能を大いに果たすところがあるのではないだろうか。
彼らの奉仕はくじで割り当てられ、それぞれが神のみこころと信じて、くじによってあてがわれた奉仕に就いている。旧約時代、くじは、神のみこころを知る手段としてよく用いられたようである。「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」(箴言16:33)とあるように、これは、後に、12使徒を補充する手段としても用いられている。つまり選ばれた者たちの間に優劣はない。神が必要に応じて、選んでくださり、それぞれに奉仕を与えてくださる。その奉仕をそれぞれが一生懸命忠実に行うということだろう。
20-28節は、宝物倉を守る者たちについてである。宝物倉には、二種類のものがあったようである。「神の宮の宝物倉および聖なるささげ物の宝物倉」(20節)とあるように、前者は、聖な器具や通常のささげ物を保管する倉であり、後者は、これまでの戦いで得て聖別してささげられた戦利品を保管する倉(26-28節)のようであった。
29節、「外の仕事」というのは、神殿内部の任務ではなくて、神殿の外の仕事ということであろう。彼らの仕事は、「つかさとさばきつかさ」(29節)とあるように、神に関する律法を教えることもあれば、律法に従って、民をさばくこともあった。また、「すべての主の仕事、王への奉仕」(30節)「神に関する事がら、王に関する事がら」(32節)とあるように、神殿納金と王の税金の収納にも携わったと考えられている。ヨルダン川西方には1700人(30節)、一方、「ルベン人、ガド人、マナセ人の半部族」(32節)つまりヨルダン川東方には、2700人が割り当てられた。東方は多くの異教の国々と接していたため、神の律法から迷い出る危険も多く、そのように数が多かったという説もある。
ともあれ、神殿、宝物倉、そして国を守る者たちが、選ばれ、奉仕に就いていたということの意義を、考える必要があるだろう。今日でいえば、礼拝を守り、教会の財産を守り、そして教会の歩みを守る、そういう視点が、教会出席者の一人一人の内に大事にされることが大切であろうと思う。教会において自分の果たすべき役割がある、という自覚のある人ない人ではやはり奉仕に対する取り組みも違う様に思う。教会にお客さんとして通い続けるのではなく、主が私たち一人一人を教会の守りの働きに選び、任命してくださっている、という思いをしっかりもって、主の奉仕に携わらせていただきたいものである。

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