あおの気持ち

今となっては「「みんな頑張れ~」」かな
世の中ってプラマイゼロだから。自分が人のために損することを惜しまない。

ポツダム宣言

2013-05-27 | Weblog
ま~今になってこんなに歴史勉強するなら
学生の頃やってればよかったw

ま、こんな思いが無いと勉強なんてしないだろうけどw

ということで、尖閣問題で中国が言った言葉の意味を探しました。
(間違いも有るので参考ということで)

〝ポツダム宣言”について。
これは、〝宣言”と呼べるものではなく、三国の打ち合わせ議事録。
なので、多分その書類に署名は無い。

その中で中国が言ってるのは多分
〝(8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。”
だと思う。
(8条と書かれていない)

この〝宣言”の中に〝われわれの決定する周辺小諸島”の詳細は、無い。(以下抜粋)
(1)・・・戦争終結の機会を日本に与えるものとすることで意見の一致を見た。
(2)・・・日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。
(3)・・・現在日本に向かって集中しつつある力は、・・・
(4)・・・決断の時はもう来ている。
(5)これより以下はわれわれの条件である。条件からの逸脱はないものする。
   代替条件はないものする。遅延は一切認めないものとする。
(6)・・・世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、
   平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。
(7)・・・日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。
(8)カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
(9)日本の軍隊は、完全な武装解除後、平和で生産的な生活を営む機会と共に帰還を許されるものする。
(10)・・・日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。・・・
(11)日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって戦争賠償の取り立てにあつべきものとする。
この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加はこれを許すものとする
(12)連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、
平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。
(13)われわれは日本政府に対し日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、
かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。
もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。

三国とは、アメリカ・イギリス・中国です。
で、中国が領土に関してポツダム宣言を言ったのは、多分カイロ宣言。
(これがまた長い)

1943年12月1日
・各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。
・三大同盟国は、海路、陸路及び空路によって野蛮な敵国に仮借のない圧力を加える決意を表明した。
・この圧力は、既に増大しつつある。
・三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行っている。
・同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない。
・同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。
・日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される。
・前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。
・以上の目的で、三同盟国は、同盟諸国中の日本国と交戦中の諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすのに必要な重大で長期間の行動を続行する。

この中で尖閣に関係あるであろう項目は
1914年の第一次世界戦争の開始以後に
日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、
並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること

第一次世界戦争で得たものは
・山東半島:遼東半島に向かい合う中国最大の半島
・南洋諸島:西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々

「並びに」が問題で、〝日本国が清国人から盗取したすべての地域”
それは1895年4月17日に締結された下関条約。
領土に関しては
・遼東半島(中国と朝鮮の間にある半島)
・台湾
・澎湖諸島(台湾と中国本土の間の島々)

条文では:遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、
兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)と有ります。

ここまで掘り下げても尖閣は出てきません。

「「台湾が中国の領土という主張からか?」」
とも思いましたが、日本の台湾放棄後はイギリスが統治してたので。

となると、何をもって尖閣や沖縄を中国の領土と言うのか。
それは、ポツダム宣言に有る
〝日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする”からなのでしょう。

〝われわれ”が、そのとき定めた日本の主権の及ぶ範囲は、琉球には無かった。
アメリカでしたから。

ここで中国が間違っていることは
当時琉球に有ったアメリカの主権が、日本に移っていること。

琉球の主権委譲に異議を唱えるのなら
過去琉球に有ったアメリカの主権を否定することになる。

ここで、中国が過去の条約を持ち出すのならば
ポツダム宣言(10)日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。
言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。


以上から、〝尖閣は台湾を統治していたイギリスと、琉球を統治していたアメリカが尖閣をどう見ていたか”ということになる。
イギリスが台湾を中国に返還したとき、尖閣は明記されていたのか?

中国が言うように沖縄が中国に属し尖閣も含まれると言うのならば
尖閣の統治権は戦後アメリカに有り、その統治権はすでに日本に移っている。

ということで、尖閣はれっきとした日本の領土です。

中国の主張が沖縄返還前だったら
流れは違ったかも知れません。
コメント

勉強不足でした

2013-05-27 | Weblog
やはり一夜漬けではダメですね。

昨日の〝財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定”と〝日韓基本条約”は同じようです。
(これもまた不安ですが)

その条約は1965年6月22日に締結されました。

では、第二次世界大戦が終わった1945年8月14日から1965年6月22日の間、韓国は平和だったのでしょうか?
大きな出来事も無かった韓国が日本に対して戦後補償を要求してきたのでしょうか?

日本の敗戦後、38度線で朝鮮が分断され1948年8月13日に大韓民国が成立した後
1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国成立。

1950年6月25日 ~ 1953年7月27日 朝鮮戦争です。
北朝鮮が、国境を越えて侵攻したのが朝鮮戦争の始まり。
「代理戦争」です。

韓国が戦争被害を語るとき、その戦争のことは一切出てこない。
日本人はそれを〝相手は韓国だから”と諦めるしかないのでしょうか。

朝鮮戦争で荒れた国内を復興するために1965年6月22日
個人宛の補償金を拒否し国が管理しインフラ整備に充てて
今の韓国の礎を築いただろうに。

韓国は「日本が朝鮮王国を侵略した」と言っていますが
1894年の日清戦争で日本が勝利して清国に朝鮮が自主独立国であることを認めさせた。
1897年に国号を李氏朝鮮から大韓帝国に。
1904年の第一次日韓協約において日本人顧問を政府中枢に置き、翌1905年には第二次日韓協約によって保護国とされて外交権を日本に移行。
1907年の第三次日韓協約によって内政権もはく奪。
1910年8月の韓国併合ニ関スル条約調印によって、日本に併合。

〝田舎ものにカネをばら撒いて併合した”そのようなことも侵略と言えなくもないw
けれど、併合までに武器を使った〝戦争”の記録は無い。

併合のキッカケになったものであろうことが記録されています。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために財政支援。
1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上。
その差額は日本が負担していた。
さらに1908年の負担額は、3100万円。など。

清国の配下のままがよかったのか
朝鮮王朝や大韓帝国のままがよかったのか。

今となっては、そのままにしておいたほうがよかった気もする。
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