「青空の社会学」

小選挙区制はトリックの選挙制度です。
比例代表制が民意を鏡のように反映させます。

☆国際社会から孤立する「靖国神社参拝」!(2) これが「歴史事実」だ!

2014年01月10日 | 政治

〈目録〉   
検証!原発!(30) 検証!原発!part2(10)  消費税の本質(16)  財界の内部留保と法人税
政治とカネ (8)  新自由主義とTPP(4) 橋下「維新の会」の正体(10) 書籍案内(50)選 
サルでもわかる選挙制度(8)  小沢一郎の罪(4)  社会保障  

☆「半田さんのフェイスブック」(リンク)

1、「日中、大東亜戦争」(天皇制ファシズム)を率直に認めようとしない安部政権!
(戦前の「朝鮮植民地支配」、「日中戦争」、「太平洋戦争」など)

日本政府は「村山内閣」時代に先の侵略戦争を率直に認め、中国、韓国に対しても深い反省の意を表明しました。(村山談話)これが今まで日本政府の公式見解とされてきました。
しかしここにきて安倍内閣は「侵略という定義は学会的にも、国際的にも定まっていない」(安倍首相、国会答弁)と開き直りました。ここに
安倍内閣の本性があります。
国際社会から一斉の批難を浴びて、安部政権は「不戦の誓いだ」などと詭弁を使っていますが、実際は北朝鮮、中国と真摯な「友好関係」を築こうとするのではなく、逆に過剰な「仮想敵国」とした「戦争する国」づくりを着実に進めています。


☆国民世論を無視し、「平和国家」から「戦争する国」へ法整備を進める安部政権!
(特定秘密保護法、国家安全保障局(NSA)、集団的自衛権、新防衛計画、そして「憲法改正」へ。)

日本国憲法は「1、主権国民」、「2、基本的人権」、「3、平和国家」の3本柱を基本理念にしています。
このなかの「平和国家」とは戦前の「天皇制ファシズム」による侵略戦争(2000万人もの人々が死んだー虐殺、戦死)の苦い経験から、「再び戦争は起こさない」との決意から生まれたものです。

しかし安部政権に入り、「積極的平和主義」を名目にして(国民世論を無視して)、戦前の「軍事立法」のような法律や体制が次々と作られています。
軍事、外交、(原発の情報さえ)一部のトップ権力者にだけ集中させ、国民には一切知らせない「特定秘密法」、海外での武力行使をする「集団的自衛権」、北朝鮮、中国を過剰に「仮想敵国」に仕立てた軍事力の増強(「新防衛計画」)、
そして本格的に「戦争する国」にするため(9条を取り払うための)「憲法改正」!
安倍首相はこれらの軍事立法体制を自分の内閣でやると明言しています。


2、安部政権の「歴史認識」(真実)のズレが近隣国との緊張を高めている!」
(「歴史事実」を覆い隠してきた日本政府!)歴史教科書。

日本政府は戦前の侵略戦争(天皇制ファシズム)の事実を(歴史教科書で)歪曲(削除や、修正)して、国民に正しく知らせないようにしてきました。
そのため日本国民は戦前の歴史事実をよく知らない人が多くいます。(75歳以上の人は自らの体験で良く知っています)以下の事は調べてみればわかることです。なによりも侵略された当事国や第2次世界大戦を体験した国際社会は周知の事実です。


〈これが「歴史事実」(戦争の事実)だ!〉


☆朝鮮半島の植民地化(1910年~1945年)
(「朝鮮半島の植民地化」と「満州帝国の設立」)日清、日露戦争を経て。

1894年、朝鮮半島の利権をめぐって「日清戦争」がはじまります。日清戦争は日本の勝利に終わりますが、その結果朝鮮での日本の支配権は強まりました。翌年には日本軍は朝鮮王宮に突入し、明成皇后を殺害してしまいます。

1905年、今度は朝鮮の支配をめぐってロシアと戦争をはじめます。(日露戦争)
日露戦争で勝利した日本は、朝鮮半島の支配権を強化し、さらに清国(当時の中国政府)の勢力が弱まっているなかで中国東北部に進出していきました。
1910年には「韓国併合条約」の調印を強制し植民地としました。


☆「満州帝国」の樹立(1931年~1945年)
1931年には日本軍(関東軍)の謀略により「満州事変」が勃発し、翌年の1932年には清朝最後の皇帝愛新覚羅、溥儀を担ぎ出し、当時の中華民国東北部に「満州帝国」を樹立します。
中華民国の領土のなかで軍隊(関東軍)の力で日本の「帝国」を設立し、日本国内から国民を入植させたわけです。もちろん当時住んでいた大勢の中国の人たちは強制的に立ち退きさせたり、追い払らわれました。

 
 

☆日中戦争(1937年~1945年)
(「満州帝国」を足場に中国全土に渡る全面侵略戦争!=殺戮の嵐)

満州国を樹立した日本軍は、今度は「盧溝橋事件」(リンク)を皮切りに北京政府、天津を攻め落とし、上海を攻め落としました。
さらに日本軍は当時の中華民国の首都、南京を攻め落とします。この時かの有名な南京大虐殺(リンク)ー(実際は市民を含め数百万の大虐殺とも言われる)が行われます。



日本軍はさらに徐州や武漢三鎮(武州、漢口、漢陽)さらには広東市(現在の広州市)を攻略して占領しました。
日本軍はこうして1938年迄に、中国奥地を除いて中国の主要都市とその周辺をほとんど占領しました。
この頃日本では「国家総動員法」を成立させて、モノもヒトも産業も、すべて戦争中心の社会になっていました。
中国軍も必死で抵抗(抗日戦争)しましたが、
日本軍により虐殺、戦死された中国人民は2000万人とも言われています。
 

太平洋戦争(1941年~1945年)(リンク)、第2次世界大戦と連動!
(日本軍によるアジア全域を植民地化しようとした侵略戦争(大東亜戦争)!

日中戦争で中国全土をほぼ制圧した(独り占めした)日本軍は、中国の一部に租借地(治外法権地区、植民地的なモノ)としていたイギリスやアメリカ、フランスなどと軋轢を生んでいきます。
このためアメリカはついに経済制裁として、日本への石油輸出を禁止します。石油に窮した日本は油田のある蘭印(オランダ領インド、現インドネシア)など東南アジア全体を「大東亜共和圏」のスローガンを掲げて占領しようとしました。(大東亜戦争、リンク)

しかしこうしたアジア諸国は既にアメリカを含む西欧諸帝国に植民地化されていました。そのため日本(「大日本帝国」と呼んでいた)はこうした先に進出していた列強帝国に対して侵略戦争を仕掛けることになります。

1941年、アメリカに経済制裁として石油の輸出を止められた4ヵ月後には、アメリカへの宣戦布告として突如としてハワイのパールハーバーへ先制攻撃をかけます。(真珠湾攻撃、リンク)
これが太平洋戦争の始まりです。
しかしアメリカとの戦争に勝てたのは初期の段階だけでした。

大型戦闘機グラマンなどの開発で体制を立て直したアメリカは太平洋各地で熾烈な戦闘を展開し(上図)、次々と日本軍(海軍、陸軍)を打ち破りました。(太平洋各地での日本人の戦死者は310万人以上と言われる)
ついには沖縄に上陸し、日本本土をグラマンなどで空から爆弾を降り下ろしました。このため東京をはじめとした主要都市は空爆により焼け野原にされました。

☆「一億総玉砕」のスローガンを掲げた異常な「天皇制ファシズム」!
(広島、長崎への原爆投下で降伏)

敗戦が決定的になった時点でさえ日本政府(大日本帝国)は特攻隊や一億総玉砕を掲げ、降伏しようとしませんでした。1945年(昭和20年)8月、広島と長崎に原爆を投下され、多くの死傷者を出し、ようやく「降伏宣言」をすることになります。
最後まで(1億人の国民が玉砕死するまで)降伏しようとしない大日本帝国(天皇制ファシズム)は他国の人民ばかりでなく、日本国民を犠牲にした「異常なファシズム」だったのです。
  
☆第2次世界大戦(1939~1945年)と連動していた太平洋戦争!
太平洋戦争と第2次世界大戦は完全に連動していました。それは「日中戦争」において侵攻してきた日本に対して、中国がアメリカやイギリスの支援を取り付けていたからです。
その挑発につられるように日本は、既にイギリスやアメリカ、フランスなどと戦争していたヒトラーやムッソリーニと軍事同盟を結び、欧米の自由主義国家と全面対立する路線を選択してしまいました。

よくヒトラーをファシズムと呼びますが、実は天皇制による「大日本帝国」はヒトラーに劣らずのファシズムだったのです。日中戦争で日本軍が行った「三光作戦」(リンク)とは軍隊の部隊が村々の民家に押し入り「略奪、虐殺(皆殺し)、焼き払う」殲滅作戦のことをいいます。

〈ウィクペデアから〉
第2次世界大戦。

1939年
から1945年の6年にかけ、ドイツ日本イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス連邦フランスソビエト連邦アメリカ中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の戦争となった。








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