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(2)出自と経歴 〈小沢一郎関連年譜〉
ロッキード事件(1976年)の後も、リクルート(1988年)、佐川急便事件(1992年)と政治腐敗は後を絶ちませんでした。
そのたびに内閣や、自民党(副)総裁が変わりましたが、政治腐敗は後を絶ちません。
20世紀後半から21世紀初頭にかけて、親子2代にわたる保守の実力者、小沢一郎の為した手は支配者にとって、一石二鳥ならず、一石三鳥の手でした。支配者にとってはまさに救いの神といえそうです。
年譜をよく見ると時代の中で小沢の果たした役割が見えてきます。ところどころにウィクペデアなどのリンクが入っています。参考にして読み解いてください。
小沢一郎関連年譜(1)
| 1969年(昭和44年) | 小沢一郎、衆議院議員初当選。(27歳、田中派) |
| 1974年(49年) | 金脈問題で田中首相退陣。三木内閣成立。 |
| 1976年(51年) | ロッキード事件。田中前首相逮捕。 |
| 1978年(53年) | 大平内閣成立。 |
| 1980年(55年) | 鈴木善幸内閣成立。 |
| 1982年(57年) | 中曽根内閣成立。 |
| 1985年(60年) | 小沢一郎、第2次中曽根内閣に初入閣。自冶大臣兼国家公安委員長(43歳) |
| 1987年(62年) | 7月、最大派閥「経世会」発足。(竹下、金丸、小沢等) 11月、竹下内閣成立。 |
| 1988年(63年) | リクルート事件。リクルート社未公開株政治家90人に譲渡。政治家12人が逮捕。 |
| 1989年(平成元年) | 6月、宇野宗助内閣成立。 8月、海部内閣成立。自民党小沢幹事長誕生。角栄の金庫番と呼ば れた小沢は翌年の衆院選では経団連傘下から300億を集めた といわれる。(ウイキペディア、小沢一郎) |
| 1991年(3年) | 宮沢喜一内閣成立。 |
| 1992年(4年) | 東京佐川急便事件。自民党副総裁、金丸信辞任。翌年逮捕。 最大派閥「経世会」分裂。小沢一郎、羽田孜飛び出す。 |
| 1993年(5年) | 細川8会派連立内閣成立。(非自民、非共産) 小沢一郎「新生党」を結成。(党首は羽田孜) |
| 1994年(6年) | 1月、小選挙区比例代表並立制可決。政党助成法可決、平成6年 実施。 2月、国民福祉税(現消費税を3%から7%に引き上げると発表。 頓挫。(小沢一郎と斉藤次郎が計画。) 4月、羽田孜内閣(5党派による連立)が成立。 6月、村山富市内閣(自、社、さきがけ連立)が成立。 12月、新生党解党、新進党結成(党首、海部俊樹) |
| 1995年(7年) | 1月、阪神淡路大震災。 3月、地下鉄サリン事件。 8月、村山改造内閣発足。 12月、新進党、小沢一郎を党首に選出。 |
| 1996年(8年) | 1月、橋本龍一郎内閣成立。 9月、民主党結成。(菅直人、鳩山由紀夫代表) |
| 1997年(9年) | 新進党解党し、自由党を結成。 7月、小渕内閣成立。 |
| 1998年(10年) | 4月、旧民主党に、民政党、新党友愛、民主改革連合が合流し 新民主党に。 (代表、菅直人) |
| 1999年(11年) | 自自公連立内閣(小渕内閣)誕生。 4月、東京都知事に石原新太郎が再選。 10月、小渕内閣改造。(自自公連立) |
小沢一郎関連年譜(2)
| 2000年(平成12年) | 4月、自由党連立離脱、小渕首相入院。 自由党分裂、保守党結成(党首、扇千景) 自公保連立で森喜郎内閣成立。 5月、小渕前首相死去。 6月、竹下元首相死去。 |
| 2001年(13年) | 4月、小泉内閣成立。 9月、米国同時テロ。 |
| 2003年(15年) | 3月、米、イラク攻撃を開始。 12月、自衛隊のイラク派兵が決定。 |
| 2004年(16年) | 菅民主党代表が辞意。岡田幹事長が代表に就任。 |
| 2006年(18年) | 堀江メール事件で、前原民主党党首が辞任。 9月、安倍晋三内閣が成立。 |
| 2007年(19年) | 9月、福田康夫内閣成立。 11月、福田、小沢会談で「大連立」構想。民主党役員会で拒否 。小沢代表がが辞意表明、撤回。 |
| 2008年(20年) | 9月、小沢民主党代表再選。 麻生太郎内閣成立。 |
| 2009年(21年) | 3月、西松建設からの違法献金で小沢民主党代表の公設秘書が逮 捕。 8月、みんなの党結成。(党首、渡辺喜美) 9月、鳩山由紀夫内閣成立。(民主、社民、国)連立。政権交代。 |
| 2010年(22年) | 4月、立ち上がれ日本(平沼赳夫)、新党改革(マス添え要一)結成。 5月、普天間問題で社民党、連立離脱。 6月、菅直人内閣成立。 7月、第22回参院選挙で民主党大敗。 10月、政治資金規正法違反で小沢一郎の強制起訴が決定。 |
| 2011年(23年) | 3月、東日本大震災。 6月、菅内閣不信任案に小沢、鳩山が賛成を表明。 9月、野田佳彦内閣が成立。 12月、民主党議員9名が離党、新党きずなを結成、 |
| 2012年(24年) | 1月、野田内閣改造。 7月、小沢一郎、民主党を除籍され、新党「国民の生活が第一」 を結成。 |
小沢一郎の政党変遷(各政党にリンクが入っています)
| 政党 | 期間 | 備考、政治信条 |
| 自民党 | 1955~ | 保守主義 |
| 新生党 | 1993~1994年 | 新保守主義 |
| 新進党 | 1994~1997年 | 新自由主義、保守主義 |
| 自由党 | 1998~2003年 | 新自由主義、保守主義 |
| 民主党 | 1998~ 2003年に自由党が合流 | 新自由主義 |
| 国民の生活が第一 | 2012年~ | 新自由主義、10年を目途に脱原発、消費税増税の前に行革などやるべきだ。 |
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小沢一郎がまた新党「国民の生活が第一」の政党をつくり、国民受けを狙い国民を惑わしています。
しかし小沢一郎には今のところ検察による再起訴は免れているとはいえ、公的責任人間としての国民への説明義務はないのか?以下の事が一切説明されていません。
(1)政党転がしともいえる、次々と解党した政党助成金の行方は一体何処に消えたのか?(23億円)
(2)西松建設からの3億円にものぼる政治献金。
(3)水谷建設社長の1億円の政治献金の証言。
(4)小沢王国(岩手県)でのゼネコン政治の実態。
(5)21億にもわたる虚偽記載による秘書3名の逮捕の責任は本当にないのか?
(6)百億をゆうに超える個人資産は一体どのようにして作られたのか?
(7)そして最後に何故、新党を作るたびに、コロコロと言うこと(政策)が変わるのか?(消費税の礎はもともと本人が作ったのではないか、原発は鹿島建設と共に本人が進めてきたのではないか)
これらの疑惑は依然として不明のままです。公的な責任のある政党指導者として国民への説明責任は一切なされていないからです。また国会への説明責任も一切なされていません。
政党助成金にしても、政治献金(大型公共工事の見返り)にしても全ては国民の税金が原資です。
疑惑の金額はロッキード事件の田中角栄首相を遥かに上回る、日本政治史上最大のものです。
このコーナーでは日本政治史上、桁はずれに最大疑惑の政治とカネ、そしてこれらのカネは一体どこに消えたのか?
小沢一郎が自民党幹事長を経てから、次々と新党を作り、そして解党してきた意味は一体何だったのか?
小沢一郎の軌跡をたどりながらシリーズで検証していきたいと思います。何故なら今日の日本政治(悪弊)は小沢一郎を抜きにして語ることはできず、また日本の本当の民主主義は創造しえないからです。
まずは「出自と経歴」からです。
1、小沢一郎の出自。
父親は小沢佐重喜(1898~1968年)、岩手県の水沢から東京へ出て、日本大学で苦学しながら弁護士になった(大正13年)政治家だ。その後父佐重喜は東京市会議員を経て、衆議院に転身し、運輸、逓信、建設大臣を歴任している。
小沢佐重喜がなによりも功績を上げたのが、1960年日米安保条約の批准だ。
<リンク、ウィキペデア> 小沢佐重喜
父小沢佐重喜(左)と岸信介(右)
終戦後の総理、岸信介(安倍晋三の祖父)は戦後A級戦犯とされながら、なぜかA級戦犯の者たちが次々と処刑されるなかで釈放され、数年後には総理大臣にもなっている。その岸信介総理のもとで1960年、衆議院日米安保条約等の特別委員長となり、日米安保の批准に働いた第一人者が小沢佐重喜です。
小沢一郎の家族は父佐重喜、母みち、そして二人の姉(長女スミ子、次女則子)と一番下の一郎となっている。しかし上二人の姉は父佐重喜のそれぞれが腹違いの子だ。一郎の母みちは3人の子供を分け隔てなくかわいがり育てたようだ。
一郎を産んだ母みちは実は佐重喜の後妻だった。
佐重喜の先妻は一関では有名な資産家「伊藤家」の二人の娘、上の姉は鹿島建設をゼネコントップに押し上げた鹿島の大番頭こと、渡辺喜三郎に嫁ぎ、下の妹は政治家、小沢佐重喜に嫁いでいます。
だが先妻は女の子を産んだあと若くして亡くなり、その後父佐重喜は一郎の母みちと結婚しています。
2、小沢家と(スーパーゼネコン)鹿島建設の2代にわたる深い繋がり。
鹿島家はもともと岩手県盛岡市の出だ。鹿島建設を大手ゼネコントップに押し上げたのが鹿島の大番頭、渡辺喜三郎です。
この渡辺喜三郎と小沢佐重喜は胆沢郡の同郷であるばかりか、妻同士が姉妹である義理の兄弟でもありました。
また一郎の母みちが九段精華女学校時代に同級生として一緒にすごしたのが鹿島建設会長、鹿島精一の長女、鹿島卯女です。
鹿島卯女はその後次期社長の鹿島守之助(婿養子)と結婚しています。
鹿島精一(1896~1975年)

鹿島建設はスーパーゼネコンとして、大型公共工事(ダム、道路等の国家的プロジェクト)や原発(日本の原発の6割を建設)を受注、建設してきましたが、その背景に存在するのが小沢家2代にわたる親子です。
現在今だに建設中が続く胆沢ダム(総工費2300億)も地元では小沢ダムと呼ばれ、工事のトップゼネコンは鹿島建設です。
その傘下に政治献金で問題になる西松建設や水谷建設があります。
鹿島建設と小沢家親子2代は国家的プロジェクトを受注し(2人3脚で?)急成長した関係といえるでしょう。
岩手県では達増県知事自らが「小沢チルドレン」と名のり、大型公共工事は全て鹿島建設が絡んでいます。胆沢ダムでは「天の声」が小沢事務所と言われ、3人の秘書が逮捕されました。
3、小沢一郎の経歴。(1)
小沢一郎は1942年(昭和17年)に生まれ、少年時代を父佐重喜のいない水沢で過ごしています。中学時代は成績の良い優等生のようでした。
中学3年に父親のいる文京区湯島に転居し、以後都立小石川高校、慶応大学経済学部、日本大学大学院法科に進んでいます。
若き小沢一郎は父佐重喜のように弁護士をめざし司法試験に臨んでいました。だがこの頃父佐重喜が心不全で急死します。(昭和43年)
父佐重喜の死をきっかけに、小沢一郎は司法試験を断念し、父の看板、地盤を受け継ぎ政治家の道を歩きます。父親なき若き小沢一郎が門を叩いたのは、時の実力者自民党幹事長の田中角栄でした。

田中角栄は一郎を実の子供のようにかわいがり、小沢一郎もオヤジと呼び田中角栄の秘蔵っ子の様にかわいがられたといいます。
父佐重喜の地盤を継いだ小沢一郎は、27歳にして衆院議員になります。(1969年、昭和44年)
その後1976年(昭和51年)、いわゆるロッキード事件で前首相の田中角栄は秘書の榎本と共に逮捕されます。これを機に自民党最大派閥田中派が異変を起こし始めます。
この辺までの小沢一郎は若くして、時の実力者田名角栄に可愛がられたとはいえ、普通の代議士だったと思います。
しかしこの時小沢一郎が見たものは前総理田中角栄がロッキード(政冶収賄)事件で起訴され、逮捕されたことでした。田中裁判には小沢一郎は毎回傍聴したといいます。
この経験は小沢一郎にとって深く心に刻み込まれたと思います。
さて自民党最大派閥のドン田中角栄が逮捕され、田中派内部から反乱が起こります。小沢一郎の異色ぶりはここから始まります。
この後の小沢一郎の経歴は次号で!
<参考文献>
小沢一郎全研究(松田賢也)、小沢一郎、虚飾の支配者(松田賢也)-講談社
小沢一郎50の謎を解く (後藤謙次)-文春新書
元気一番!!





「原発利益共同体」 =原発産業界、政治家、官僚、マスコミ、文化人、御用学者の大罪は裁かれる事はないのか?





