歴史とドラマをめぐる冒険

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権門体制ではなく、権門顕密体制である。

2022-12-25 | 権門体制論
日本史を見るとき、為政者の歴史において見るということは「全く否定」しませんし、逆に「民衆の歴史」をたどることも全く否定しません。

ただそれだけが「日本史」なのかと考えると、私は違うと考えます。

私の日本史の構造・構想

1,身分社会の変化を考える。

身分といった場合、為政者などの権力者も民衆も「身分」に組み込まれます。ここで重要なのは「建前の身分と現実の身分感覚が乖離していることで」、そこは見ないといけない。

その上で日本史は「身分差が徐々に縮まる方向において変化してきたではないか」

このことをまず私は考えています。明治になって四民平等とはされたものの、女性の地位など様々な問題が残りました。戦後の改革によって文章の上では(憲法では)、完全な平等が実現したはずでしたが、「現実感覚」は違います。主に女性差別の問題が残りました。今、起こっている動きは、女性と男性の「身分差を縮める」という過程であると考えるべきだと思います。むろんそれですべてが解決し、日本史が終わるわけではなく、今後も様々な見えない身分差が解消していくのではないか。「身分差史」というものを提唱したいと思います。

2,摂関時代から院政期、国家はあったのか

短く書きますが、なかったのではないか。なかったという仮説を立てて考えることが有効ではないか。京都地方政権(朝廷)は、文章上と税収だけをもって「国家がある」としていたのではないか。つまりこのころの国家は「バーチャル」なものではないか。そういうことを考えます。すると「公」がないのですから、「荘園公領制」は幻であり「私的所有」だけがあったことになります。天皇が有している荘園はもちろん私有で、それで儀礼とか建物建築、文章経国といった、民政とはまるで関係のないことをしていました。一部裁判ですがそれをもって公とまではいえない。それは国家ではない。したがって、天皇・上皇・摂関家が有していても「国家的性格」などもたない。そういう仮説を立てて、日本史を眺めるとどうなるのか。そういうことに興味があります。

3,権門体制論は「まやかし」ではありませんが、権門体制は「まやかし」です。これは提唱者の黒田俊雄氏自身がそう書いているのです。
特に権門体制が、正確には権門顕密体制と呼ぶべきものであることが重要です。自らの権威を顕密、特に密教の呪術機能によって確立しようとするとき、そこに「まやかし、詐術」が生じます。

権門体制は「権門顕密体制」とするのが、黒田俊雄氏の主張からみて適当と考えます。その時、それが一種の幻想の体系(密教的呪術に基づく)なのだということを、十分に留意する必要があるでしょう。

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