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麒麟がくる・最終回・第四十四話「本能寺の変」・あらすじ・予想・多少ネタバレ・最終版

2021-02-05 | 麒麟がくる
私の考察は何のハンドブックにも基づいていませんし、最終話を描いたハンドブックは存在しません。でも「ネタバレ」に気を付けてください。
去年の12月12日段階での予想はここにあります。半分ぐらい当たっています。「麒麟がくる」・第44回・最終回・あらすじ・予想12月版

NHKは最終話の概要を発表しています。
最終回は、宿敵・武田家を打ち滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀(長谷川さん)は信長(染谷将太さん)から理不尽な叱責を受け、饗応役(きょうおうやく)の任を解かれる。追い打ちをかけるように信長は、光秀と縁深い四国の長宗我部征伐に相談もなしに乗り出すと告げる。
「殿は戦の度に変わってしまった」と、その行き過ぎた態度をいさめる光秀に、「己を変えたのは戦ではなく光秀自身だ」と信長は冷たく言い放つ。そしてついに、ある究極の命令を光秀に突き付けたのだった……

究極の命令とは、、、「家康暗殺か」となっているようですが「正親町帝譲位を急ぐからその担当になれ」ということでしょう。史実としては正親町帝は譲位を望んでいたと考えられますが、池端さんの解釈は違います。また学者さんでも「強要した」と考えている方は存在します。正親町帝譲位強要を「信長最大の非道」と解釈すると思います。

1,光秀は亡くなるのか。天海となるのか。

亡くなるでしょう。また「もろに天海となる」ことはないでしょう。ただし生死はあいまいにされ、「魂は生きている」となる可能性があります。

2,黒幕論は採用されるか。

直接的には採用されないでしょう。大河は原則黒幕論を描きません。ただし「全員が黒幕的」であることは、既に描かれています。その中でも大きく影響を与えるのは正親町帝・足利義昭・帰蝶の三人です。その三人以外はよく考えると「本能寺教唆」をしていません。近衛関白は「自分は信長のいいなりだ」と言っただけです。お駒は「将軍が喜んでいた」と言っただけ。細川藤孝は「いざとなれば信長様をお諫めする」と言っただけです。秀吉も教唆のようなことは言っていません。「譲位強要はさすがにやりすぎ、殿は焦っている」と言ったのみです。いろは太夫の信長への悪口は光秀には伝わっていません。ただし光秀は「民衆の思い」をくんでいるようなので「人々の恨みの声」は光秀の耳に入っているでしょう。「殺せ」とまで踏み込んだのは帰蝶のみです。帝は「信長を見届けよ」、足利義昭は「信長がいる京都には帰らない。十兵衛の京都なら帰る」と言っただけです。黒幕論は「光秀なぞ一人でことは起こせない」という考え方であり、主人公が最後の最後に誰かに操られるとは思えません。ただしみんなが「光秀を追い込んだ」ことはすでに描かれています。

3,帰蝶はどうなるのか。

二通りの考え方があります。十兵衛の遺志を継いで「キングメーカー」になり、秀吉から家康への天下の推移を操るという考え方。これが採用されたとしても「ナレーション扱い」でしょう。
次に本能寺にて亡くなるという考え方です。これは帰蝶の「責任の取り方」とされると思います。

4,誰が光秀の遺志を継ぐのか。

物語の流れからして秀吉ではなく家康でしょう。ただ十兵衛は「あとは家康に任せた」と「伝言するだけ」なのか。それではちょっと弱い気がします。少なくとも「家康伊賀越え」ぐらいは明智軍が助けないと。もう少し強く光秀が家康の天下への道を耕した、、、とするには家康の天下まで時間がかかりすぎます。20年以上、、、大阪の陣まではなんと33年あります。光秀天海説はありえないでしょう。せいぜい光秀の魂は生きていると宣言するぐらいか。もろに天海にしたのでは「いくらなんでもやりすぎ批判」が出ます。過去に天海説を採用した大河ドラマは一本もありません。

光秀の「遺志を継ぐ」者として考えられるのは8人です。まず正親町帝(ただし本能寺の4年後には退位)、足利義昭(史実として秀吉には協力)、反省した秀吉(惣無事令)、帰蝶、徳川家康、お駒の6人です。誠仁親王は天皇になりません。残りの二名は「たまと細川藤孝」です。
本能寺も「みんなで光秀を追い込んだ」感じがあるので、「みんなで麒麟を呼ぶ」可能性もあります。「ある」というか「そうなる」と予想します。

5,光秀自身は天下を取ろうとしないのか。

分かりません。本能寺の変を「私利私欲で起こさない」ことは既に発表されています。当面の目標は「譲位阻止、非道の信長を排除すること」でしょう。
天下を取ることは「私利私欲なのか」「天下国家のため」なのか。どっちとも言えます。
私は「山崎の戦い」が「実質的にはない」可能性も考えています。「戦うポーズ」だけで、光秀が「軍を解散する」可能性です。その交換条件として「秀吉と家康の共同統治による太平の世の招来」をもちかけるという可能性です。「光秀は負けたのではなく、天下のために身を引いた」という設定です。「やりすぎ」ですが、天海説よりは「やりすぎ感」が薄いと思います。

6,史実との整合性を合わせるか

合わせないと思います。今までもさほど史実にこだわってはいません。池端さん自身も「物語としての面白さ優先」と言っています。

7,つまるところ誰が光秀の遺志を継いで麒麟を呼ぶのか

家康でしょう。と言いたいところなんですが、光秀のようなのです。「どう設定すればそうなるのか」、面白いところだと思います。「たま」「帰蝶」「お駒」の存在が気になります。「麒麟をよんだ英雄は男性ではなく、女性である」となる気もしているからです。そこでもっとも気になるのが「たま・細川藤孝ライン」です。細川藤孝はなぜ「生き残る」のか。「義理の娘であるたま(ガラシャ)とともに十兵衛の遺志を継ぐため」、友を裏切ったのではなく「友の遺志を継ぐために裏切者の汚名をきた」という設定です。これはあり得るなと思っています。

最後に一つだけ、最後のシーンの予想です。光秀の死とともに、光秀の体から麒麟が飛び出す。その光が人々の心を打つという空想です。過去においては「義経」で、滝沢君の体から聖獣が飛び出した例があります。ただ松永久秀が「爆発しなかった」ことを考えると、「爆発はなしかな」とも思います。
秀吉の「惣無事令」については最近は否定的な学説が多いですが、それでもこう終わるかも知れません。

「十兵衛が咲かせた平和の花は、秀吉の惣無事令によって結実し、やがてそれを継いだ徳川家康は、260年にもわたる平和の世の礎をきずいた。十兵衛光秀は死なない。この世に平和を願う人々がいる限り、海に山に大地に、十兵衛光秀の魂は生き続けている」

この最後の部分は「風と雲と虹と」の終わりのシーンと同じです。「主人公は死なない」のです。

読み返してみると矛盾があり「Aの意見」と「Bの意見」では「つじつまが合わない」「叙述が変」な点がありますが、時間もないので訂正しません。どうすれば「十兵衛が麒麟を呼んだ」とすることが可能なのか。その大切な一点がわからないため、叙述に「ぶれ」が生じます。私の思考の「ゆれ」を表すものなので、そのままにしておきます。
以上。


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