歴史とドラマをめぐる冒険

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「どうする家康」第1回の歴史学的考察・国衆史観について

2023-01-12 | どうする家康
ドラマの内容というより歴史学の話です。ドラマ批判はしません。それから松潤批判もしません。

1,遊んでいる松潤には学説的裏付けがある?

誰でも気が付くように、語りは「従来説(安定説)」で「人質で苦労」と言いながら、松潤自体は「新説」に基づいて楽しそうに遊んで恋愛までしています。
これは時代考証のおひとりである柴裕之氏の「新説=仮説」を「デフォルメした」ものと考えていいと思います。柴氏には「徳川家康・境界の領主から天下人へ (中世から近世へ)」「織田信長・戦国時代の正義を貫く」「青年家康 松平元康の実像 (角川選書 662)」などの著作があり、一応私は全部読んでいます。

・今川時代の徳川家康は「人質」ではない。なぜなら今川にとって大切な国衆だから。国衆こそ戦国を動かした勢力。今川は大切な国衆の跡継ぎを保護していた。
・今川では一門衆同等の扱いを受けていた。いわば御曹司であった。だから瀬名とも結婚できた。
・戦国期の紛争は基本的には境目紛争であり、戦国大名が目指したのは領域内の「平和」であった。

という説です。うまくまとまっていないかも知れないので、あとは原著で確かめてください。
さらに加えて「徳川(神君)史観の克服」を主張されています。家康が散々苦労したり、太原雪斎から色々ありがたい教えを受けたりするのは「基本的には嘘」という立場だと思います。
今川と後に戦争をしますし、築山殿もああですから、それを合理化するためには、「裏切り」としないためには「今川でいじめられた伝説」が必要だったということになるのでしょう。
徳川史観を克服すると「どうなるのだろう」と思って読んだのですが、おそらく「歴史の真実が分かる」ということだと思います。もしくは徳川家康が「きわめて特別な存在」ではなく、他の戦国大名とさして変わらぬ(戦国大名は優れていたという前提)大名だということが分かるということでしょう。

「青年家康」はちょっと前に読んだのですが、後の二冊は一年前なのでよく覚えていないのです。「織田信長、戦国の正義」では後書きで「革命児信長という像」が「嫌い」または「そりが合わない」と書かれていたように記憶しています。「なるほど、その立場か」と心に残ったのです。もちろん好き嫌いだけで論じておられるわけではありません。

2,信長は普通の戦国武将である

柴さん世代の学者さんがよくこれを言います。黒田基樹さんなんかもそうですね。黒田さんの名前を出したのは昨日読んだばかりだからです。
この場合「普通」というのは、そんなに「けなしているわけでも」なさそうです。戦国大名というのは、自力で領域を支配し、他に頼らず、同質の領主である国衆と契約関係を結び、国力の源泉である百姓にも気を配り、、、とそりゃ大変で能力が高くないとできないお仕事だという前提があります。戦国大名はみんなすごい。だから信長も「普通で凄い」という解釈も可能です。
信長は他の戦国大名に比べて「基盤となるべき村、郷に対する政治」について特に「先進性がない」どころか、劣っているようです。革新性がない。となると、なぜ「勝ったのか」という疑問は当然湧いてきます。劣っている側が勝っている側に勝つ。そのカラクリを探求するのは、とっても楽しそうな感じがしてきます。

2年前の歴史を趣味で勉強しはじめる前の私なら「信長は劣っている」を承諾しなかったと思います。でも今は、信長・秀吉・家康の凄さは突出してなどいない、というのは、一理あると思うのです。理解はできる。でも「納得」はできていません。劣っている側が勝っている側に勝つ「カラクリ」がまだ理解できないからです。

また「ある基準を設定して、その基準からみて同質だ、または劣っている」というような思考は、権門体制論と同じように「平板」になる恐れがあります。所詮は基準次第であり、基準の恣意性を完全に払拭することは原理的に不可能だと思うからです。

これは今のテーマとは直接には関係ありませんが、永原慶二さんは「ともに荘園領主なのだから」という「基準」を設定して「武家・公家・寺家は同質」とする黒田敏雄氏の「権門体制論」(現在、多数派を形成する歴史観)を批判してこう書いています。
「公武の権門が一体として国家権力を掌握し、人民支配を実現しているとするような中世国家像が、究極の関係としては不当でないとしても、基盤をなす中世の社会の特有の構造への配慮を欠く、平面的な理解であることは明らかであろう」(日本中世の社会と国家、1982年)

ある基準(それなりに重要な)を設定して「同質だ」とするのはある意味簡単なのですが、それによって「個別特有の現実」が捨象されてしまうことへ、十分な「配慮」をするべきでしょう。戦国大名はみな「本質的には同質」なのかという疑問が私にはあるのです。疑問がある、とは勉強不足で分からないということ。どんな権威ある先生が言ったとしても、権威信仰のない私は、自分で考えて納得しないうちは「得心」はできない哀しいタイプなのです。

3,とにかく国衆と「村」に着目せよ

黒田基樹さんの「国衆」「戦国大名、政策、統治、戦争」「百姓からみた戦国大名」の三冊を昨日並行して読んでました。まだ熟読してません。だから内容をまとめることはできません。黒田さんは「どうする家康」の時代考証ではありませんが、私の目からは柴さんなどとは同じような方向性を持っているように思います。ただし権門体制論に対する姿勢にはどうやら本質的な違いがあるようにも思えます。ともあれ、信長が普通の大名ということは、徳川家康も「普通の大名」ということになるのだと思います。豊臣秀吉も同じ。検地なんてどの戦国大名も普通にやっている。別に秀吉の特許ではない。どうする家康の歴史学的背景にはそうした新説(仮説)の潮流があると思います。

ただ黒田基樹さんはちと面白いのです。「民衆」や「村」や「百姓」の視点から戦国大名を見ている。これも感想に過ぎないのですが、「下の構造」に注目する点においては、私が好んで読んでいる永原慶二氏の中世社会論に「似ているように」見えます。私は基本新説(仮説)派が苦手なのですが、黒田さんは永原さんと共通性があるので、読みやすいのです。ご本人は藤本久志氏(豊臣平和令、雑兵たちの戦場、のお方)の影響を受けたと書いておられます。黒田基樹さんの戦国大名論は、戦国大名や国衆を徹底して自力による独立的存在と論証している点が特徴で、ある意味痛快です。室町幕府や朝廷との関係など「本質的でない」としているからです。軽々と権門体制論を乗り越えているわけで、権門体制論(黒田俊雄史観)を面白いと思い、高い著作集を買いながらも「これは間違っている」と感じている私としては実に興味深い論考です。黒田基樹さんは、織豊研究は70年代までは「下の構造」に着目したが、80年代以降は停滞して上級権力者を追いかける政治史ばかりだ、と書いていますから、どう考えても永原さんたちを意識しているわけで、だから私にとっては読みやすいのです。ただし実際は黒田さんは永原さんをとことん否定しています。だから権力観においては私と立場が違いますが、そのお仕事の緻密さには敬意を払わざるえません。といって同意はしません。

ちなみに私が永原さんを読んだのは1年ぐらい前ですから、昔勉強したわけではありません。史学科でもなんでもないのです。2年前から趣味で学者さんの本を読んで「あーだこーだ」言ってるだけです。ただ戦国史を考えることも、鎌倉史を考えることも、私にとっては現代史や現代政治を考えることとほぼ同じで、だからこそ興味深いのだと思います。

4,なんで信長はああだったのか。

新説ばかりかというと、信長はあいも変わらぬ感じで、マントをつけて?首まで投げてました。(私は個人的にあの信長が好きですが)。時代考証家はあくまで助言者であって、作品を支配しているわけではないので、あれは脚本家の創作でしょう。「創作」というのなら柴さんの新説をデフォルメして「優雅な今川時代の家康」を描いたのも脚本家です。「みんな大泉のせい」ならぬ「みんな脚本家のせい」なのです。時代考証担当が作品を作っているわけではありません。

戦国時代研究家からは「普通の大名」とめでたく認定された信長ですが、「織豊期研究家」はまだ認めていないみたいです。と黒田さんが解説しています。織豊期研究家とは「どうする家康」の時代考証担当の中では小和田さんということになります。なるほど小和田さんは革新的信長の像を捨てていないし、捨てる必要もないし、「異論があってこその学問」ですから、頑張ってほしいと思います。「新説によって否定されている」という言葉は好ましいとは思えません。そのためにはどうやら織豊研究の若手が「信長の顔ばかり見ずに」「下の構造。村や年貢や公事の実態」を解明しないといけないようです。信長の「家計」はほぼ何も明らかになっていないとのことです。

私は必ずしも「革新的信長像を望んではいません」。しかし「異論」がないと「学問的全体主義」のようになってしまって不健全です。大いに論議をすべきです。80年代半ばまでの学者間の互いをリスペクトしながらの「真剣勝負」にはしびれるものを感じます。

さて、視聴率を要求される娯楽ドラマ(大河ドラマ)では「普通の大名」として描いたのではつまらないし、といって「革命児」にすると新説派から文句がでるし、信長像は大変だろうなと思います。迷走状態。結果、サイコパスというか一種の異常者として描く方向に今の段階ではなっています。「麒麟がくる」がそうでした。また「どうする家康」では家康から「ケダモノ」と言われています。

しばらく信長を考えてなかったので、何とも言えないのですが、サイコパスはサイコパスでまた「違うな」と私は思っています。よくわからない不思議な人です。信長は。そういえば「秀吉の武威、信長の武威」の黒嶋敏さんも「像が結べない」「時期によって全く違う像になる」と書いておられたなと、今思い出しました。同質に昇華されない、個別特有な側面が信長にはある「可能性」は残ります。楽市楽座も関所の廃止も、流通への着目も、なにもかも信長の独自政策とは言えないようで、となるとなんなのでしょうか。あるいは「先進的政策のパクリの天才」だったのかも知れません(笑)。もしくは「境目」を超えて戦争をしかける戦う機械、異常なる侵略者にして武器信奉者、、、、もちろんこれは半ば冗談です。信長の一見異常な行動の基礎に、どんな「下の構造」があったのか。私の関心は信長自体より、信長をそう突き動かした「時代の要請」に移っています。

さて新説の中でも、2014年の東大の金子拓さん「織田信長、天下人の実像」は「死の直前まで天下など狙っていなかった」という部分に私は同意できないにせよ、論証の仕方や資料に基づく論理展開は実に見事なもので、かなりの説得力を持っています。NHKはヒストリアで前にこれを特集していて、その題名が「世にもマジメな覇王」です。この説は「麒麟がくる」の信長に多大な影響を与えたと思います(伝統的秩序を意外なほど大事にするところなど)が、そうは言っても、「麒麟がくる」自体の描き方は、母親の愛情を受けずに育った情緒不安定なサイコパスでした。

ところが「世にもマジメな覇王」、金子さんが描く信長はサイコパスとはほど遠い「割とまともな人間」で、ただ一点「天下静謐原理主義者」である点においてのみ強烈なキャラです。静謐とは一応平和という意味ですが、平和というより「ただ戦争してないだけという状態」を指します。信長の場合特にそうで「平和な民政」への志向が薄いようです。「天下静謐の信長」は「暴走する正義」と言おうか、「天下静謐」のためなら、一向衆を虐殺もするし、京都も焼き尽くすし、延暦寺も焼き、現実の天皇(正親町)でも天下静謐に反していると思えば「容赦なく𠮟りつける、許しはしない」存在として描かれています。もちろん史料の裏付けがあります。というか金子さんは東大准教授で「史料のプロ、プロ中のプロ」です。史料分析が半端なく、論証の仕方が見事なので、私などグーの根もでないのですが、検討するとしたらこの本はとても検討しがいがあると思います。黒田基樹さんの本もお勧めです。「戦国大名」には特に驚かされます。検討(批判)しがいのある書物です。

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