今朝、午前8時頃の朝焼けです。とてもきれいだったので、思わず写真をパチリ!
真珠湾攻撃から昨日で満80年ということで、ニュースを読み漁っていて興味深い記事を見つけました。
“戦後日本人第一号” ~ 真珠湾攻撃の捕虜・酒巻和男の生涯 - NHK WEB特集
太平洋戦争における日本人捕虜第一号となった酒巻さんのことを、私は10年前に知りました。
美術関係の仕事をしている兄が真珠湾攻撃から70周年を記念したドラマの制作に関係し、DVDを送ってくれたためです。
(参: 『真珠湾からの帰還』)
上のNHKの記事によると、酒巻さんがようやく戦死した9人と、愛媛県の三机湾に建立された石碑で合流できたそうです。
命運を分けた攻撃の日から、80年経って、ようやく・・・。
『生きて虜囚の辱めを受けず』と、捕虜になるくらいなら自決を奨励されていた時代でした。
酒巻さんも当初は、絶望のどん底に突き落とされたことでしょう。
でもやがて、助かった命を無駄にせず、戦後日本の復興に向けて有意義に使おうと考えを改められたのですね。
他の捕虜たちをも励まして命を大切にし、たとえ捕虜でも礼節をもって振る舞うことを説いて。
太平洋戦争中、日本人捕虜の収容所は各地にありました。
オーストラリアやニュージーランドでは大規模な暴動が起き、多くの死者を出す事態が起きていました。
という部分を読んで、カウラ事件のことを思い出しました。
カウラ事件のことを知ったのは、コチラ の絵日記ブログでです。
何の因果か、漫画オタ外人と結婚してしまった。 - 夫婦の一番長い日 その1
アンザック・デイ(ANZACの日)という日には、日本人が卵をぶつけられるってぇ~~~!?
知らなんだ~!
ブログ管理人のムッキーさんによると、ムッキーさんが襲われそうになったのは2010年頃のことで、
上の記事の時点(2015年)で「今はだいぶ安全なんだそうです」と書いておられますから、
さらに6年経った今はもっと安全だと信じたいです!
カウラ事件は、「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩き込まれてきた日本兵たちが、オーストラリアの捕虜となり、
(終戦まで生き延びて祖国に帰って恥をさらすくらいなら潔い死を選ぼう)との思いから起こした事件のようです。
死を覚悟しての、集団脱走。
(ちゃんと面倒みてやってるのに、何故だ!?)と、オーストラリア側は理解に苦しんだことでしょう。
民主主義の中で生まれ育った戦後の日本人も、理解はできても、同調する人は少ないでしょうね。
それが当然!命は何よりも大切なのですから。
人間誰しもいつかは必ず死ぬのだから、死に急ぐことはないです。
生きているからこそ、綺麗な朝焼けも見られるのだし。
カウラ収容所にも酒巻さんのような人がいれば、事件は回避できたかもしれませんね・・・。
NHK記事のタイトルにあるように、酒巻さんは日本人捕虜第一号ではありましたが、
“戦後日本人第一号” ともなられました。
大日本帝国軍の教えを棄て、助かった命を祖国の復興のため有意義に使い、人との絆を大切にし、後輩の育成に情熱を注いで。
酒巻さん(1918-1999)の戦後が充実したものであったことを、嬉しく思います。
どうぞ安らかにお眠りください。
《 追記: 関連記事 》
一方で、日本の奇襲攻撃により死亡し、80年経った今なお故郷に帰れない米兵たちもいるのですね・・・。
愛する人を迎えるまでは終われない 真珠湾攻撃から80年 - NHK WEB特集
愛する人に二度と会えない悲しみは、戦争に勝とうが負けようが、個人にとっては同じです。
多くの悲しみを生む戦争は、絶対に絶対に避けなければいけません!
それはひどい・・・日本人であるという、ただそれだけの理由で・・・
新世紀に入って久しいのだから、もうそんな悪習は完全に終わりにして欲しいし、そんな蛮行は犯罪行為としてしっかり対処して欲しいです!
カウラ事件、ドラマにもなっていたんですね。
捕虜になるくらいなら死んだ方がましって、とんでもない教えですよね。
生きていればまた家族に会えるかもしれないし、祖国の再興のため精一杯働けるかもしれない。
でも死んでしまったら、それですべてが終わりです。
日本人を埋葬したお墓はあれど、偽名を使っていたので遺族が訪れても身内のお墓がわからないって・・・ほんと、悲しすぎますね・・・。