ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都大田区、田園調布5丁目「秋葉のクロマツ」(都指定)です!!

2024-02-14 18:49:00 | 巨樹・大木
 品川区大井「光福寺のイチョウ」を見てから、北北東へ進みます

 JR京浜東北線の線路の西側を進みJR大井町駅を右にして進むと東急大井町線の大井町駅です

 ここまで光福寺から約1.5kmです

 東急大井町駅から7駅目の大岡山駅で、東急目黒線に乗り換えて2駅目が田園調布駅です

 北側の改札を出て、旧駅社を西へ出ると半円形の駅前噴水広場です、ここから道路が放射状に延びています

 真西への道路を進みます、坂道を上って行きます、突き当りを右(北)へ直ぐに左(西)へ

 坂道を下るようにして突き当りを左(南)、また直ぐ右(西)へ更に坂を下ると「田園調布3丁目」信号です

 ここから又坂道を登り返します、突き当りを左(南)へ、又突き当りを右(北西)へ

 次の左への道路を下るように進むと・・・

 住宅の屋根の上に大木の樹冠が見えました

 ここまで田園調布駅から約1kmです

 目的の秋葉のクロマツが奥に見えました

 天然記念物標柱です

 説明版です
   東京都指定天然記念物
     秋葉のクロマツ
       所在地 大田区田園調布5ー3-19照善寺所有地内
       指定  昭和38年3月19日
 根もとに照善寺の守護神として秋葉神社の小さな石祠がまつられているので、通称、秋葉のマツと呼ばれています。
 主幹は直立して、根もとから約7mのところで枝を四方に伸ばし、傘状に広がっています。
 目通り幹囲は約4.1m、高さは約18.2mあります。
 多摩川に臨む台地の上にあった、遠くから望見することができます。
 クロマツはマツ科に属し、我が国の海岸地方に広く自生する常緑高木で、大きいものは高さ30m、周囲は6m以上に達します。
 樹皮は暗灰色で、異名をオマツともいいます。
   平成23年3月 建設    東京都教育委員会

 *照善寺は、南西側約100mに(約25m下)、丸子川沿いの河岸段丘斜面に在ります

 秋葉神社の祠前から見上げました

 秋葉神社の脇から

 傘状の樹冠を根元から見上げる事は出来ませんでした

 では、次へ行くため田園調布駅へ戻ります
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東京都品川区、大井6丁目「光福寺のイチョウ」(区指定)です!!

2024-02-13 18:02:35 | 巨樹・大木
 北品川の「法禅寺のイチョウ」から国道15号へ出て南へ進みます

 約200mで京急「新馬場駅」から電車に乗ります、3駅先の「立会川駅」で降りました

 改札を南へ出て「立会川のぼらちゃん橋」を渡って右(西北西)へ、国道15号の信号を渡って左(南南西)へ

 次の信号「南大井1丁目」信号を右(西)へ、約350mで東海道線の高架を潜り、次の信号を左(南西)へ


 間も無く右手に東南東向きの光福寺参道入口です

 境内に入ると左手に、大小多くの乳柱を垂らした目的のイチョウです

 正面に本堂です

 本堂前から

 説明版です
   品川区指定天然記念物
     光福寺のイチョウ
       所在 大井6丁目9番17号 光福寺
       指定 昭和53年2月14日(第1号)
 イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さ30mにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(めすとおす)それぞれ別の木となる。
 本樹は雌樹で、幹の囲りは7.2m、高さは40mあり、推定の樹齢は約800年である。
 区内の最大樹で、麻布善福寺の「さかさイチョウ」と兄弟といわれ、整った木の姿は壮観である。
 幹と大枝からは古木であることを示す乳根をたらしている。
 明治時代まで、沖合の漁師たちは、航海の目標にしたといわれている。
    平成28年8月31日    品川区教育委員会

 保存樹標識も見られます

 南東側から、高いところにも大きな乳柱を垂らしています

 南側から

 山門脇にも大きな木が在ります

 南西側から緑の葉を茂らせているのはタブノキです

 タブノキの保存樹標識です

 こちらは菩提樹です

 ボダイジュの保存樹標識です


 境内南端に鐘楼です

 南西側墓地の中から見ました

 説明版です
   品川区指定史跡
     大井の井
       所在 大井6丁目9番17号 光福寺
       指定 昭和53年11月22日(第12号)
 この井戸には、鎌倉時代に親鸞聖人門下の関東六老僧の一人として活躍した了海上人にまつわる話が残されている。
 寺伝によれば、了海上人の父が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が解任し、男子(了海)を出産した。
 その時、境内にこつ然と泉が湧き出したので、この泉の水を産湯として使い、泉を大井と命名したという。
 大井の地名は、この泉に由来すると伝えられている。
 この泉は、当寺本堂裏の墓地内にあり、横穴式の古い型をした井戸で、今でも水が湧き出している。
    平成8年3月31日   品川区教育委員会

 *大井を見に行きました

 墓地の西端近くの高い位置に大井が有ります

 「開基了海上人産湯井」の碑です

 井戸の中を覗いて見ましたが、冬のこの時期は水は見えませんが湿っていました

 では、次へ来まししょう
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東京都品川区、北品川2丁目「法禅寺のイチョウ」(区指定)です!!

2024-02-12 18:31:48 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年2月8日取材分です

 またまた電車に乗って東京都内へ取材に行きました

 JR京浜東北線品川駅で京急線に乗り換えるのが順当な経路ですが

 品川駅周辺は20年ほど前に降りたことがありましたが、変化が気に成ったので、中央改札を出て東口(南口)の新幹線改札前を通って、スカイウエイからビルの連絡通路を南へ進みます

 品川Vタワー手前を右に品川Vタワーから京王品川ビル側へ、八ツ山歩道橋を渡って右へ京急本線の高架下で旧東海道を南へ進みます
 
 京急北品川駅入口を右に見て、ここまで品川駅から約900mです

 約300mで品海公園に「品川宿の松」が有ります

 北側から見たら、品川宿は日本橋から2里・川崎まで2里の一里塚の様なところです

 東海道品川宿の案内板です
   「東海道品川宿」
 「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。
 旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え、宿内の家屋は1600軒、人口7000人規模で賑わっていた。
 今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。

 品川宿石垣の案内板です、海に面した品川宿は江戸城などで使われた伊豆石が使われていたようですが、江戸時代後半には房総半島の房州石が使われるようになったようです。

 すぐ南側の交差点を右へ入ると、法禅寺の参道です

 山門前には「品川小学校発祥之地」の石碑です、現在品川小学校は2016年から義務教育学校・品川区立品川学園となって西南西約400mに在ります

 境内に入ると右手に杉森稲荷です

 左手にはレンガ造の御堂です、板碑や石仏が並んでいます

 品川区有形文化財・法禅寺板碑・宝篋印塔・五輪塔の説明版です

 六地蔵様の並んだコンクリート造りの御堂は「流民叢塚碑」だそうです

 「流民叢塚碑」は、天保4年(1833)から7年間続いた大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔の説明版です

 法禅寺本堂です

 品川区指定有形文化財の説明版です

 品川区指定民俗文化財の説明版です

 本堂手前左に目的のイチョウです

 北東側から見上げました

 北側から

 説明版です
   品川区指定天然記念物
     法禅寺のイチョウ
       所在 北品川2丁目2番14号 法禅寺
       指定 昭和53年2月14日(第7号)
 イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さ30mにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(めすとおす)それぞれ別の木となる。
 本樹は雌樹で、幹の囲りは3.4m、高さ25mで、推定の樹齢は約400年である。木の勢いも盛んで、姿も整い、周囲にひときわ目立つ大木である。
 本樹は古くから知られ、昭和10年(1935)の「東京市史蹟名勝天然記念物概要」にも紹介されている名木である。
   平成6年3月31日    品川区教育委員会
 

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう


 
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山梨県上野原市、秋山「秋山の民話33峰山の火事と34十二神様とどろぼう」です!!

2024-02-11 20:11:13 | ドライブ
 秋山地区(旧南都留郡秋山村)には民話が残っています
 
 相模原市や道志村と接する上野原市秋山は自然豊かな山間地で、民話の素材が豊富な地域です。

 民話は南都留郡秋山村当時の昭和49年(1974)村出身の地元教員約10人で「秋山村の民話を採集する会」をつくって発掘、取材し、78年に「秋山の民話」として刊行しました。

 平成29年(2017)には公民館と文化協会が41作の全文を、ゆかりの地と周辺に看板で掲示して普及を図っています。 


 そんな看板が「浜沢の大ケヤキ」のある薬師堂(熊野神社)境内にありました

  秋山の民 33 「峰山の火事」
 浜沢部落の北側に、「おやくしさま」と呼ばれている薬師如来を祀ったケヤキ造りの立派な社があります。
 この社は、その昔、”甲斐の三薬師”の一つに数えられ、近郷近在から参拝者で賑わったそうですが、今は、お祭りの時、氏子の人々が集まるくらいで、普段は訪れる人もほとんど無く、緑の木立の中に静かにたたずんでいます。
 ある時、社の裏手にある峰山から火の手が上がりました。
 折からの強い風にあおられて、山肌をすべるように下って来た火に村人たちは青くなり、必死の消火活動を続けましたが、木の枝や鍬でする作業には、あまりにも火の勢いが強すぎます。
 火は、みんなの努力の甲斐も無く、とうとう薬師様に燃え移ってしまいました。次は、もう人家です。
 人々は、これ以上消火続けても無理だとさとると、それぞれの家から持ち出せる物を持ち出し始めました。
 その間にも火の勢いは一段と強くなったようです。もう人家まで火が回るのは時間の問題です。
 人々の頭の中に、焼け跡に呆然とたたずむ自分たちの姿が浮かんできました。
 ところがどうでしょう。火は薬師堂を焦がすと次第に下火になり、消えてまいりました。
 焼けた御堂の中から運び出されたお薬師様は黒焦げになっていました。
 これを目の当たりに見た村人たちは「こりゃあ、お薬師様が火をけしてくれたあだ。」「自分を犠牲にして村を護ってくれたあだ。」と口々に喜びました。
 村人たちはすぐにお堂を建て替えると、お薬師様を手厚く祀った、ということです。

  秋山の民話 34 「十二神様とどろぼう」
 浜沢のお薬師様には、正面の薬師如来の脇に、左右6体ずつ、ほぼ等身大の木彫の神々の像が祀られており、村人たちは、これを「十二神様」と呼んでいます。
 ある夜、このお薬師様に、一人の泥棒が入りました。「何か金目の物はないか。」と、御堂の中を物色していますと、台の上にずらりと並んだ十二神様が目に止まりました。
 「よし、これを担いで行って、一儲けしてやろう。」そう決心した泥棒は、その内の一体を担ぎ出しました。人目に付かないように物陰から物陰を歩いて穴路峠の登り口に差し掛かりました。
 「やれやらこれで一安心。峠さえ越えてしまえばこっちのものだ。」泥棒はもう「いくらで売れるのかな」などと、胸算用を始めました。
 あまりに上手く仕事が運びましたので、一人でに笑いが込み上げてくるのを抑えることが出来ませんでした。
 ところが、峠を越える頃になると、いやに背中の十二神様が重くなって来たのに気付きました。泥棒は、何か魔法にでも掛かったような気がしてきました。
 見れば何の事は無いただの木像です。どうしてこんなに重くなって来たのか、訳が分かりません。休んでは歩き、休んでは歩きますが、歩く距離は次第に短くなって来ました。
 「こりゃあ、きっと、神様が怒っているんだ。」そう考えると、泥棒は、急に怖くなってきました。背負っていた十二神様を道端の草叢に下ろすと、一目散に逃げていってしまいました。その数日後、十二神様は、近所の人に見附けられ、浜沢に知らされました。
 浜沢では、村中総出で受け取りに行き、元の場所に納める事が出来た。ということです。
      上野原市教育委員会・秋山公民館

 *秋山の民話は「あきやまチャンネル」というYouTubeチャンネルで聞くことが出来ますよ
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山梨県上野原市、四方津「鼓楽神社のウラジロガシ」(市指定)です!!

2024-02-10 18:26:00 | 巨樹・大木
 四方津地区は、上野原市役所の西南西約4kmのところ

 国道20号線の「上野原市役所前」信号を西へ進みます

 道成りに約5.6kmで、国道沿い右手に鼓楽神社が南向きに鎮座します

 目的のウラジロガシは国道沿い直ぐ先です

 急な坂道を登って、境内に車を止める事が出来ました

 国道20号線に面して鼓楽神社参道です

 西側に目的のウラジロガシです

 南側から

 説明版です
   上野原町指定天然記念物
     鼓楽神社のウラジロガシ
       指定 昭和49年12月10日
       所在地 上野原町四方津1896番地
       学名 ブナ科アカガシ亜属
     説明   樹高 11.0m
          目通り 3.2m
          根回り 4.4m
 地上約6.5mまで直幹で枝を四方に張り、根元には空洞が見られるが樹勢は旺盛である。
 この種類では町内第一位の巨樹である。
     上野原町教育委員会
       上野原町は平成17年に上野原市となりました。

 西側から見上げました
 
 西側から国道20号線を来ると、こんな風に見えます

 東側の道路から見上げました

 鼓楽神社拝殿です

 本殿の屋根が見えました


 境内から見ました

 では、埼玉に戻りましょう
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山梨県忍野村、忍草「浅間神社」です!!

2024-02-08 17:49:05 | 文化財・寺社
 忍草地区は、忍野村役場のある地区です

 忍野村役場の西北西約1.4kmの所に浅間神社が南向きに鎮座します

 忍野役場前から県道717号線を西へ、道成りに進むと1.5kmで右手に浅間神社入口があります

 前を過ぎて新名庄川のお宮橋を渡って直ぐを右(東)へ入ると、浅間神社の駐車場が有りますので歩いて戻ります

 境内入口です、赤い鳥居と神門があります

 手水舎です

 社殿です
 *本殿に祀られている木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・鷹飼(たかがい)・犬飼(いぬかい)坐像の三神像は、正和4年(西暦1315年)丹後国の仏師静存の作と伝えられています。
 女神である木花咲耶姫命の像は、袴を付けしとやかな黒髪を胸元まで垂れ下げて、慈しみ深く微笑んでいます。
 これらの坐像はすべてヒノキの一本造りで彫られ、彩色されています。この三神像は、御坂町にある美和神社の大物主命立像についで、県下最古となる貴重な御神像です。

 境内南西端の境内末社は「大神官社」です

 直ぐ北側の境内末社は「八坂神社」です

 境内西端には薬師堂です

 由緒碑です
   浅間神社  祭神 木花之咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと) [別称:浅間大神(あさまのおおかみ)]
         相殿 天津日高日子番能邇々藝能尊(あまつひこひこほのににぎのみこと) [別称:愛鷹大神(あしたかのおおかみ)]
         相殿 大山津見命(おおやまつみのみこと) [別称:足柄大神(あしがらののおおかみ)]
 人皇第51代平城天皇御宇大同丁亥(紀元1467年)創祀、後鳥羽天皇文治2年丙午歳、御社殿再建、同天皇建久4年、源頼朝公富士裾野巻狩の時、鳥居峠(鳥居地峠?)鬼坂まで御朱印地として賜わる。
 同年8月6日征夷大将軍源頼朝公より、鎌倉幕府武運長久祈祷を申付けられる。
 同年和田小太郎義盛・畠山次郎重忠、随身門金剛2力士を建立する。
 御陽成天皇(後陽成天皇?)慶長8年霜月初申神殿再建、東山天皇宝永2乙酉暦霜月初申神殿3間社極彩色に再々建。
 中御門天皇正徳3年6月、東国の講中・武州江戸本郷春本町、伊右衛門・三左衛門・喜平治等より、大僧正常念書・富士大権現大鳥居大額奉納。
 桜町天皇延享3年4月初申_殿再営造。天保2年現雨屋_殿再々造営、髄神門及び_殿は萱葺屋根なる故、数度の葺替するも、昭和51年9月本村出身・大森正男の浄財を奉り、銅版葺とし、殊更修理復元の大工を造営す。
 創祠以来実に1170有余年、誠に悠久なる史歴にあけ偲び奉る、時天應元年、延暦19年、貞観6年、再三の大噴火し、嶽嶺より八方に溶岩雪頽れの如く押下し、為に往時奉斎当時の記念殊に、殿宇神霊を涜し奉ること恐懼外無之なり。
 肇国の大御代から自然神秘の霊所に勧請し、鎮座坐し、奉り鎮火守護・天下泰平国鎮め・御安産子孫繁栄・農産機織の守護顕著にあり。
 大八州国土の安穏尊護奉札る理念は赫々として、四海に洽を給心な身辺に詣でる、諸般の衆に対し一端を謹逑し、尊信継承し奉ること乞祈る。
    昭和53年戌午歳  撰文 宮司天野尚光書

 *一部読めない文字がありました<m(__)m>

 社殿寄りに境内末社の「西五社」が並びます

 直ぐ北側には境内末社の「天狗社」です

 社殿東側に移動しました、社殿寄りに境内末社の「八幡社」です、直ぐ右側に石祠は境内末社の「熊野三社」です

 社殿東側には西向きに「諏訪神社」です

 諏訪神社の北側には宝物殿です、古い神輿等が展示されています

 さらに東側には現在使用されている神輿を納めた「神輿殿」です

 境内東端には境内末社の「坐摩社」(いかすりしゃ)です

 では、次へ行きましょう
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山梨県忍野村、忍草「浅間神社のイチイ群(県指定)と大欅(村指定)」です!!

2024-02-07 17:48:37 | 巨樹・大木
 忍草地区は、忍野村役場のある地区です

 忍野村役場の西北西約1.4kmの所に浅間神社が南向きに鎮座します

 忍野役場前から県道717号線を西へ、道成りに進むと1.5kmで右手に浅間神社入口があります

 前を過ぎて新名庄川のお宮橋を渡って直ぐを右(東)へ入ると、浅間神社の駐車場が有りますので歩いて戻ります

 境内入口です、鳥居の両側にイチイの大木が並びます、境内には17本のイチイがあるようです

 西側のイチイ2本です

 鳥居東側のイチイです

 鳥居を潜って西側から見上げました


 神門の西側には、根元が洞になったイチイです

 南西側から、境内のイチイではこの木が一番太い、目通り幹囲3.1mの木のようです


 西側から

 北側社殿脇から見ました

 社殿東側のイチイです

 境内社の諏訪神社脇のイチイです

 社殿の右後ろに大欅です

 東側から見上げました

 天然記念物標柱です
   忍野村指定天然記念物
     大ケヤキ  二レ科ケヤキ属
       樹高    36.94m
       目通り(周囲)4.90m
       根廻り    9.60m
       枝張り 東西22.70m
           南北19.60m

 社殿前を回って西側から見ました

 では、境内を見て行きましょう


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山梨県富士吉田市、上暮地「山ノ神のフジ(国指定)とイタヤカエデ(市指定)」です!!

2024-02-06 17:29:55 | 文化財・樹木
 上暮地地区は、富士吉田市役所の北東約4kmのところ

 富士吉田市役所北側の中央通りを南東へ、約400mで「市役所東」信号を左(北北東)へ、国道139号線です

 約4kmの「上暮地」信号を左(北西)へ、道成りに約400mで富士急行大月線の高架を潜ります

 直ぐの交差点を左(南南西)へ、約200mで道路の側道斜め右へ入ります

 間も無く正面に山の神の社殿が見えて来ました
  
 「御神木・夫婦木」の続きです

 夫婦木の北側に鉄骨が組んでフジ棚が設えられています

 南東側から

 国指定天然記念物の標柱です

 説明版です
   国指定天然記念物
     山ノ神のフジ
       昭和3年1月31日指定
       所在地 富士吉田市上暮地214
       所有者 山ノ神社
 この樹は山野に自生する右巻きの(横から見て右下から前を通って左上に巻いていく巻き方をいう)のノダフジ(漢名ムラサキフジ・紫藤)で社殿の北東にある。
 根もとの幹囲は3.1m、目通り幹囲2.4m、その巨大なことは日本的である。
 フジの大木は根もとから裂けたり分かれたりする特性があるが、この樹は4.5mほどのびたところではじめて枝を出し、主幹は近くのスギの木に巻きついて約20mの高さまで枝をのばしていたが、台風の被害にあったので保護のため人工的な棚をしたてた。
 社殿の北側にある樹は根元の周囲2.4m、目通り幹囲2.2m。地上約7mで近くのイタヤカエデに巻きついている。
 両樹とも、花の房は0.5m前後で、この種類としてはやや短い方であるが、開花時のながめはまことに壮観である。
    昭和52年1月   山梨県教育委員会・富士吉田市教育委員会



 今は、細いフジが2本登っています

 本殿前まで石段を上って見ました


 本殿西側にカヤの御神木です


 本殿の西側奥にもう一本目的のイタヤカエデです

 南東側から

 東側から

 説明版です
   富士吉田市指定天然記念物
     上暮地山神社のイタヤカエデ
       平成6年6月29日指定
       所在地 富士吉田市上暮地2114番地
       所有者 上暮地山神社
 イタヤカエデはアムール川流域、サハリン、中国、朝鮮および北海道から本州、四国、九州の広い地域にかけて分布している。
 日本に自生するカエデの仲間では巨樹になる種類で、富士山麓では普通に見られ、秋には美しく黄葉する。
 この木の主幹は地上8mくらいまでは分岐が認められず直幹であり、樹形は良好、樹勢も旺盛である。
 現在、県内で目通り幹囲が3m以上のイタヤカエデは、この木以外には確認されておらず、本市のみならず県内を代表するイタヤカエデの巨樹である。
 大きさは次のとおり
  1 根元の周囲  3.84m
  2 目通り幹囲  3.10m(地上1.4mの幹囲)
  3 樹高    24.00m
  4 枝張り   東3.5m、西10.0m、南6.0m、北4.3m
     平成6年6月   富士吉田市教育委員会


 北東側から

 拝殿前に下ります

 拝殿西側境内から見上ました

 木々の間に幹が見えます

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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山梨県富士吉田市、上暮地「山ノ神社の御神木・夫婦木とケヤキ」です!!

2024-02-04 18:49:49 | 巨樹・大木
 上暮地地区は、富士吉田市役所の北東約4kmのところ

 富士吉田市役所北側の中央通りを南東へ、約400mで「市役所東」信号を左(北北東)へ、国道139号線です

 約4kmの「上暮地」信号を左(北西)へ、道成りに約400mで富士急行大月線の高架を潜ります

 直ぐの交差点を左(南南西)へ、約200mで道路の側道斜め右へ入ります

 間も無く正面に山の神の社殿が見えて来ました

 車を前の道路脇に止めさせて頂きました


 参道は東側の富士急行大月線の踏切の南東側につながっています

 富士急行の電車が通過していきました

 線路下の参道を戻りましょう

 道路の下も潜ります

 山ノ神社の鳥居は、道路の高架下から見上げる位置に在ります

 山ノ神社の拝殿です

 拝殿右(北東側)に、目的の「御神木夫婦木」です、スギとケヤキが寄り添っています

 夫婦木の案内板です「御神木・国指定天然記念物・夫婦木」と記されています

 東側から

 北側から見上げました

 北西側から

 拝殿裏側のケヤキの御神木です

 北東側から見上げました


 石段を上ると本殿です


 本殿前から「夫婦木」を見ました

 次は、国指定天然記念物のフジと市指定天然記念物のイタヤカエデです
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山梨県上野原市、秋山「浜沢の大ケヤキ」(市指定)です!!

2024-02-03 19:59:46 | 巨樹・大木
 秋山地区は、かつての南都留郡秋山村全域が上野原市秋山で住所表示となっています

 上野原市役所の南西約5kmのところに、かつての秋山村役場が上野原市秋山支所となっています

 県道35号線で「鶴島神明社のイチョウ2本」の前を通って更に坂道を登り、「新天神トンネル」を貫け

 旧道に入って、田野入トンネルと秋山トンネルを貫けると秋山地区です

 県道35号線に戻って西へ進みます、右手に上野原市立秋山中学校を見ると間も無く上野原市役所秋山支所です

 秋山支所から道成りに約4.6kmで斜め右へ入ります、秋山川を渡ると間も無く右手に


 立野峠の案内板が有ります

 そばに「浜沢の大ケヤキ」の説明版が有ります

 説明版です
   浜沢の大欅 木肌の苔が妖精のように浮かび上がる
    秋山の大樹 上野原市天然記念物 薬師堂脇
 この樹は浜沢薬師堂の前庭、左よりの端に生えている。北側が急傾斜の深い谷に接するので、露出根がその斜面にそって下方まで拡がり、前庭との高度差は3.0mほどにも達している。
 根廻は9.5m、目通り幹囲8.15m、枝張りは東5.4m西10.75m、南11.8m、北6.2mで、樹高は約19.50mの規模である。
 往昔の落雷の被害で、一時成長が阻害された如くであり、また、地上ほぼ5.0m辺で折損、腐朽も見られるが、樹勢は旺盛で傷は樹皮に覆われ、僅かに大きい空洞を包み、強い生命力が端的に現れている。
 国指定の上野原の大ケヤキ(現状目通り9.5m)につぎ、この地方で第二、県内でも有数の巨樹として貴重である。
    設置:風がやさしい道・街プロジェクト「秋山見える化計画」

 *薬師堂はGoogleマップでは、熊野神社となっています、ケヤキが楽しみですね

 車は、少し西側の道路脇に止めさせて頂きました

 参道を進みます

 赤い仁王門が見えてきます

 仁王門です、仁王様(金剛力士像)は分解されて立っていた所に寝かされているようです

 正面のもう一段石段の上に社殿が見えました

 境内左手(西側)に大きな幹が見えます

 綺麗に彩色された御堂です

 境内南西端に目的の「「浜沢の大ケヤキ」です

 東側から

 北東側から

 説明版です
   上野原市指定天然記念物
     浜沢の大ケヤキ
       指定  昭和62年10月1日
       所在地 上野原市秋山11840番地
       説明  根廻り9.5m、目通り幹囲8.15m、樹高約19.5m。
 浜沢薬師堂(お薬師様)の前庭にあります。北側が急傾斜の深い谷に接するので、露出根が斜面に沿って下方に広がっています。幹に開いた大きな空洞は、昔から子供たちの遊び場でした。
 昭和20年代、薬師堂が栗谷小学校浜沢分校の仮教室に使われていた頃、空洞は子供が出入りできるほど大きく開いていたとそうですが、その後に周りの樹皮が包み込み、空洞は次第に小さくなっています。
 落雷による折損や腐朽が見られますが樹勢は旺盛で、強い生命力に満ちています。
 市内のケヤキでは、国指定・上野原の大ケヤキに次ぐ巨樹であり、県内でも有数の規模を誇ります。
    平成18年12月    上野原市天然記念物
 
 北側から見ました

 北西側から

 北側の斜面下には境内社が集められています

 西側から

 南側から見上げました

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東京都清瀬市、野塩3丁目圓福寺の「清瀬の名木・巨木百選No.67イヌビワ」です!!

2024-02-02 19:27:31 | 文化財・樹木
 野塩3丁は、清瀬市役所の西南西約2kmのところ
 
 清瀬市役所西側の市役所通りを北西へ、約300mで「清瀬市役所北」信号を左へ、柳瀬川通りです

 道成に約1.6km進んで「清瀬4小前」信号を左(南)へ、約400mで「清瀬4中東」信号を右(西)へ

 約200mの空堀川梅坂橋の手前を左(南)へ入ります

 間も無く左手に仁王様が立っています、すぐ先に圓福寺の駐車場が有ります

 西向きの山門前から、本堂前のイチョウが見えます

 圓福寺の寺号標です


 山門を潜ると左手に、目的のイヌビワです

 西側から見ました

 清瀬の名木・巨木百選No.67イヌビワのプレートです

 境内を見て行きましょう

 本堂北側の丘の上に鐘楼です

 更に北側に新しい三重塔です

 仁王様の立つ北西側境内入口に「びわかけの松」の標柱です
 

 プレートには・・・
 「びわかけの松」の伝説
 昔、目の不自由な琵琶法師が、ご利益のある薬師様ときき、目が見えるようにと、何日もお堂にこもって熱心に祈ったそうです。
 やがて満願の日がやってきました。こわごわ目をあけてみると、薬師様の姿がはっきりと見えるようになっていました。夢かと思い外を見ると境内に植えられた松の葉の緑が見えました。
 琵琶法師はあまりのうれしさに、琵琶を松にかけたまま旅立ってしまいました。
 それかれというもの、人々はこの松を、「びわかけの松」と呼ぶようになったそうです。
      清瀬市

 石段を上がりましょう

 お地蔵様と琵琶懸の松の由来の地の石碑ですが、マツはみあたりませんでした

 薬師堂です

 説明版です
  市指定有形文化財
    円福寺 薬師如来坐像   85.5cm
        日光菩薩立像  129.5cm
        月光菩薩立像  132.5cm
         (寄木造)
         所在地 清瀬市野塩3丁目48番地
         指定日 昭和56年10月1日
 薬師如来坐像は、光背を含めると2mをこえ、日光・月光菩薩を脇侍に優美な三尊形式をとります。
 左手に薬壺をのせ、病苦をいやし苦悩を除く12の誓願をたて、十二神将を眷属として配しています。
 寛保3年(1743ー江戸時代中期)の薬師如来由来記によると三尊は仏師定朝(平安時代後期の人)の作とされていますが、定かではありません。
 開基匂坂氏衰退後、本尊・脇侍は損傷はなはだしくなり、幾度かの修繕を経て、現在のお姿になられたものと思われます。
 台座、脇侍の部分に初めの技法がのこり、造像当寺の姿を偲ぶことが出来ます。
    平成28年3月31日    清瀬市教育委員会

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山梨県上野原市、鶴島「靏嶋神明社のイチョウ2本」です!!

2024-02-02 18:00:56 | 巨樹・大木
 鶴島地区は、上野原市役所の南南東約3kmのところ、桂川の南側です
 
 国道20号線の「上野原市役所前」信号を、東南東(東京方面)へ進みます

 約800mの「新町2丁目」信号を右(南西)へ、県道35号線駅通りです、中央高速を越えると下り坂になります

 約1kmで「上野原インター入口」信号を過ぎて更に下って行きます、約600mでJR中央線を越えると桂川橋を渡ります

 対岸に渡って約700m坂道を上り返して、「鶴島のムクノキ」への入り口を過ぎて約600m

 道路の先に、イチョウの木が見えて来ました

 
 目的の「靏嶋神明社のイチョウ2本」が県道沿いに見えました

 車は手前右側の神明社境内入口に止めさせて頂きました

 北側から見上げました、2本イチョウの間に参道石段が有ります、右側のイチョウの目通り幹囲は5.1m、左側は4.2mの巨木だそうです。

 南東側から見ました

 右側のイチョウの前に「神明社」の社號標です

 2本のイチョウの間の参道石段を上がると正面に鳥居です、鳥居の額には「神明宮」に文字が見えました

 左手には神楽殿です

 手水舎です

 更に石段の上に社殿を見上げました

 振り返って、すっかりシルエットのイチョウを見ました

 境内西端のトチノキ目通り幹囲3m(目測)の大木です。

 *境内には説明版等は見当たりませんでした

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山梨県上野原市、鶴島「鶴島のムクノキ」(県指定)です!!

2024-02-01 17:51:45 | 巨樹・大木
 能登半島地震から1か月がたちました、230名を超える犠牲者の方々にご冥福を祈ると共に、まだまだインフラの復旧が進まない中でも頑張っている方々にお見舞い申し上げます<m(__)m>

 鶴島地区は、上野原市役所の南南東約3kmのところ、桂川の南側です
 
 国道20号線の「上野原市役所前」信号を、東南東(東京方面)へ進みます

 約800mの「新町2丁目」信号を右(南西)へ、県道35号線駅通りです、中央高速を越えると下り坂になります

 約1kmで「上野原インター入口」信号を過ぎて更に下って行きます、約600mでJR中央線を越えると桂川橋を渡ります

 対岸に渡って約700m坂道を上り返して、上野原消防団島田分団の屯所の手前を鋭角に右(西)へ入ります

 道成りに約200mで左(南南西)へ、坂道を登ると間も無く左手に

 目的のムクノキが見えました

 駐車場が無いので、道路に車を止めて撮影させて頂きました

 天然記念物標柱は、掲示板の陰になってしまいっています

 説明版です
   山梨県指定天然記念物
     鶴島のムクノキ
       指定  昭和41年5月30日
       所在地 上野原町鶴島1461
       所有者(管理者) 島田財産区
     説明 樹齢 約700年
     高さ    23.4m
     目通り    6.3m
     露出根回り 22.2m
 別名ムクエノキとも呼ばれ、ニレ科に属する落葉高木で県下最大の巨樹である。
 たびたびの落雷で大きな空洞があり、大人3人ぐらいが入れるほどの大きなものである。
 地上5mぐらいのところに瘤状の突起物が沢山できているので奇異な感を与え、地域の住民はこれを「猿の腰掛」と呼んでいる。
 根本にはムクノキ特有の板状根が何本も露出して放射状に大蛇のごとくうねり、いっそう不気味感を与える。
 毎年10月ごろになると1cmぐらいの丸くて黒い実がなり、甘いので地域の子どもたちがよく食べたという。
 またムクドリがこの実を好むことからムクノキと呼ぶという。
   平成8年3月   山梨県教育委員会・上野原町教育委員会

 *「北都留郡上野原町」は、平成17年(2005)2月13日に南側の「南都瑠郡秋山村」と合併して「上野原市」となりました。


 西側から、道路側の根は削られています、

 ちょっと強面の仏像は手が6本あるようです

 南西側から見ました、幹にも大きな穴が開いています

 車が来ない内に次へ行きましょう
 
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