勝常寺は、湯川村役場の西約2kmのところ
県道331号線沿いの常勝小学校の西側に在ります
小学校の南側に駐車場が用意されています
駐車場の案内板です
南から参道の道を進むと大きな欅があります
もう直です
入り口右側には池の中島に神社があります
本堂へは、左側の参道を行くようです
国宝の石柱です
山門の仁王門です
説明版です
勝常寺の概観
勝常寺は大同2年(807)、あるいは弘仁元年(810)南都六宗の一つである
法相宗を学んだ徳一上人の開基と伝えられている。
創建当寺の建物は現存していない。
薬師堂は、会津中央薬師堂と呼ばれ、応永5年(1398)の再建で和様、唐様式
の手法を加えた堂である。これ以外の建物は近世以後のものである。
仏像は創建当時の仏像12躯など三十余躯あり、平安初期の仏像が一時院に十二躯
も保存されているのは珍しい事である。
国宝
薬師如来座像 (1躯)
日光菩薩立像 (1躯)
月光菩薩立像 (1躯)
国指定重要文化財
薬師堂(元講堂) (1棟)
十一面観音菩薩立像 (1躯)
地蔵菩薩立像 (1躯)
聖観音菩薩立像 (1躯)
四天王立像 (4躯)
地蔵菩薩立像(雨降り地蔵) (1躯)
天部像立像((伝虚空蔵菩薩) (1躯)
村指定文化財
徳一菩薩座像 (1躯)
絹本着色両界曼荼羅図 (1幅)
絹本着色真言八祖像掛軸 (8幅)
絹本着色十二天画像掛軸 (12幅)
不動明王立像 (1躯)
十二神将立像 (12躯)
拝観時間 午前9時~午後4時
拝観期間 4月1日~11月中旬
休館日毎週火曜日
昭和60年9月4日
国重要文化財収蔵庫修理落慶記念として設置した物を、国宝指定を記念して書替え
たものである。
湯川村教育委員会
手水舎ですが水道の蛇口が並びます
国指定重要文化財の薬師堂です
鰐口です
宝物殿です、拝観には予約が必要の様です
嘗ての伽藍の説明版です
勝常寺は大同2年(807)伝教大師の論敵として有名な法相宗の碩学徳一上人によって
開かれた東北を代表する古刹である。創建当初の寺院名は詳でないが中世以降常勝寺と称し
ている。
創建された当時は七堂伽藍が備わり、盛時には多くの付属建物が立ち並んで12の坊舎と
百余ヵ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられているが、現在残されている建物は元
講堂(薬師堂)を除く外は近世以降の建物であり、本坊(客殿)庫裏、中門等で仏像も三十
余躯ある。
このうち3躯は国宝指定を受け、更には薬師堂と9躯は国重要文化財の指定を受けている。
講堂は応永5年(1398)の再建で会津中央薬師堂と呼ばれている。
仏像は何れも今から約1170余年前、勝常寺が創建された当時から伝えられたもので、
これだけ多くの平安初期の仏像が一か所に保存されているのは我が国では珍しいことである。
創建時の主要建物の位置は伝承、焼け土、道路等に拠り大体は想像できる。講堂を起点と
して南に向って大体等間隔に金堂・中門・南大門の位置が一直線上に立ち並んでいたことが
想定できるし、三重の塔跡は中門のそと東側にある講堂の近くにあったはずの経蔵・鐘楼・
僧坊等の位置は明瞭でない。
本坊は現本坊の区画内に南向きに建てられていたらしい、中門の前の路を通り本坊へ達し
たと考えられる。東大寺に似た伽藍配置であったらしい。
では、次へ行きましょう
県道331号線沿いの常勝小学校の西側に在ります
小学校の南側に駐車場が用意されています
駐車場の案内板です
南から参道の道を進むと大きな欅があります
もう直です
入り口右側には池の中島に神社があります
本堂へは、左側の参道を行くようです
国宝の石柱です
山門の仁王門です
説明版です
勝常寺の概観
勝常寺は大同2年(807)、あるいは弘仁元年(810)南都六宗の一つである
法相宗を学んだ徳一上人の開基と伝えられている。
創建当寺の建物は現存していない。
薬師堂は、会津中央薬師堂と呼ばれ、応永5年(1398)の再建で和様、唐様式
の手法を加えた堂である。これ以外の建物は近世以後のものである。
仏像は創建当時の仏像12躯など三十余躯あり、平安初期の仏像が一時院に十二躯
も保存されているのは珍しい事である。
国宝
薬師如来座像 (1躯)
日光菩薩立像 (1躯)
月光菩薩立像 (1躯)
国指定重要文化財
薬師堂(元講堂) (1棟)
十一面観音菩薩立像 (1躯)
地蔵菩薩立像 (1躯)
聖観音菩薩立像 (1躯)
四天王立像 (4躯)
地蔵菩薩立像(雨降り地蔵) (1躯)
天部像立像((伝虚空蔵菩薩) (1躯)
村指定文化財
徳一菩薩座像 (1躯)
絹本着色両界曼荼羅図 (1幅)
絹本着色真言八祖像掛軸 (8幅)
絹本着色十二天画像掛軸 (12幅)
不動明王立像 (1躯)
十二神将立像 (12躯)
拝観時間 午前9時~午後4時
拝観期間 4月1日~11月中旬
休館日毎週火曜日
昭和60年9月4日
国重要文化財収蔵庫修理落慶記念として設置した物を、国宝指定を記念して書替え
たものである。
湯川村教育委員会
手水舎ですが水道の蛇口が並びます
国指定重要文化財の薬師堂です
鰐口です
宝物殿です、拝観には予約が必要の様です
嘗ての伽藍の説明版です
勝常寺は大同2年(807)伝教大師の論敵として有名な法相宗の碩学徳一上人によって
開かれた東北を代表する古刹である。創建当初の寺院名は詳でないが中世以降常勝寺と称し
ている。
創建された当時は七堂伽藍が備わり、盛時には多くの付属建物が立ち並んで12の坊舎と
百余ヵ寺の子院を有する一大寺院であったと伝えられているが、現在残されている建物は元
講堂(薬師堂)を除く外は近世以降の建物であり、本坊(客殿)庫裏、中門等で仏像も三十
余躯ある。
このうち3躯は国宝指定を受け、更には薬師堂と9躯は国重要文化財の指定を受けている。
講堂は応永5年(1398)の再建で会津中央薬師堂と呼ばれている。
仏像は何れも今から約1170余年前、勝常寺が創建された当時から伝えられたもので、
これだけ多くの平安初期の仏像が一か所に保存されているのは我が国では珍しいことである。
創建時の主要建物の位置は伝承、焼け土、道路等に拠り大体は想像できる。講堂を起点と
して南に向って大体等間隔に金堂・中門・南大門の位置が一直線上に立ち並んでいたことが
想定できるし、三重の塔跡は中門のそと東側にある講堂の近くにあったはずの経蔵・鐘楼・
僧坊等の位置は明瞭でない。
本坊は現本坊の区画内に南向きに建てられていたらしい、中門の前の路を通り本坊へ達し
たと考えられる。東大寺に似た伽藍配置であったらしい。
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