登米町小島西針田地区は、登米市役所の南東約8km、登米市役所米山総合支所の方北東約6kmのところ
登米市役所米山総合支所前から県道15号線を東へ道成りに約7km進みます
県道230号線との交差点の南西側に愛宕神社が東向きに鎮座します
用水路脇の境内入口に
車を止めさせて頂きました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/6f/fdc0742e56800f2e0cfdefcbede5677d.jpg)
鳥居です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/6e/d050fe7ee865f3b08f42550ed9db570a.jpg)
説明版です
愛宕神社
〔所在地〕登米町針田
〔創建〕 元亀年間(1570~1573)葛西晴信勧請(葛西氏17代)
〔祭神〕 火産霊命(火之迦具土神)
〔祭日〕 陰暦4月24日・9月24日
〔由緒〕 本社は、もと東針田現在の三峯社地に
愛宕神社は今から444年前の元亀2年(1571)頃に、葛西17代晴信公が東針田の山腹に勧請しましたが、18年後の天正17年(1589)豊臣秀吉の小田原への参陣命令に従わなかった葛西氏は滅ぼされます。
よって寺地城下一帯は無人状態となって荒廃し、愛宕神社も朽ち果てておりました。
15年後の慶長9年(1604)今から411年前、荒れ果てた地に登米伊達氏初代宗直公が水沢より移封となり、地域氏子により再興。
明治13年(今から135年前)現在地、西針田子持杉の上、数壇山の景勝地に遷宮し、明治16年旧4月、京都嵯峨の愛宕本宮から分霊を勧請しています。その後、大正9年4月12日山火事により焼失し地区氏子の絶大なる賛助により再建。同10年旧4月落成となり、昭和45年屋根を赤瓦葺きとし、昭和60年には社務所の新築が行われました。
子持杉(子持杉観音)と数壇山の由来
数壇山の麓に、元文5年(1740)に植えられたと伝えられている杉の大木が並んでいます。
一本の親杉に枝葉が繁茂し植元より西方向に一列に12本生えていました。
しかし現在は6本となり生息しています。このような事から「子持杉」と呼ばれるようになったと伝えられています。
子持杉の傍らに2尺四方(60cm)のお堂があり「子持杉観音」として祭られ、子宝に恵まれない人達は、この「子持杉観音」に願をかければ、成就すると言われ厚く信仰されてきました、観音堂も平成25年東西針田総代並びに氏子より多大なる浄財を賜り、大修復を行い、同年10月落成となりました。
又、数壇山は天正18年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置きによる、葛西一族滅亡の首級(死骸)及び兵具類を山の上に埋め、数多くの塚を築いたのでこれを数壇と言います。
昭和30年代頃まで、数か所の塚(土盛り)が確認されており、畑や林などから矢じりや錆びた刀等が沢山出てきたと言われております。
平成26年12月 針田愛宕神社総代
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9d/5876f0c508fc93447a3fd875e6e57fc8.jpg)
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鳥居の北側に目的の子持杉です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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鳥居脇に標柱が有ります、杉の文字がコンクリトの束石に埋まっています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
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東側からこの6本(1本は切株状態)全てが子持杉と呼ばれているようです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
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急な石段を上りましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
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登り切った境内を見ました、拝殿はまだ先です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ase.gif)
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拝殿です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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本殿です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
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2023年4月4日午後4時50分訪問です
登米市役所米山総合支所前から県道15号線を東へ道成りに約7km進みます
県道230号線との交差点の南西側に愛宕神社が東向きに鎮座します
用水路脇の境内入口に
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鳥居です
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説明版です
愛宕神社
〔所在地〕登米町針田
〔創建〕 元亀年間(1570~1573)葛西晴信勧請(葛西氏17代)
〔祭神〕 火産霊命(火之迦具土神)
〔祭日〕 陰暦4月24日・9月24日
〔由緒〕 本社は、もと東針田現在の三峯社地に
愛宕神社は今から444年前の元亀2年(1571)頃に、葛西17代晴信公が東針田の山腹に勧請しましたが、18年後の天正17年(1589)豊臣秀吉の小田原への参陣命令に従わなかった葛西氏は滅ぼされます。
よって寺地城下一帯は無人状態となって荒廃し、愛宕神社も朽ち果てておりました。
15年後の慶長9年(1604)今から411年前、荒れ果てた地に登米伊達氏初代宗直公が水沢より移封となり、地域氏子により再興。
明治13年(今から135年前)現在地、西針田子持杉の上、数壇山の景勝地に遷宮し、明治16年旧4月、京都嵯峨の愛宕本宮から分霊を勧請しています。その後、大正9年4月12日山火事により焼失し地区氏子の絶大なる賛助により再建。同10年旧4月落成となり、昭和45年屋根を赤瓦葺きとし、昭和60年には社務所の新築が行われました。
子持杉(子持杉観音)と数壇山の由来
数壇山の麓に、元文5年(1740)に植えられたと伝えられている杉の大木が並んでいます。
一本の親杉に枝葉が繁茂し植元より西方向に一列に12本生えていました。
しかし現在は6本となり生息しています。このような事から「子持杉」と呼ばれるようになったと伝えられています。
子持杉の傍らに2尺四方(60cm)のお堂があり「子持杉観音」として祭られ、子宝に恵まれない人達は、この「子持杉観音」に願をかければ、成就すると言われ厚く信仰されてきました、観音堂も平成25年東西針田総代並びに氏子より多大なる浄財を賜り、大修復を行い、同年10月落成となりました。
又、数壇山は天正18年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置きによる、葛西一族滅亡の首級(死骸)及び兵具類を山の上に埋め、数多くの塚を築いたのでこれを数壇と言います。
昭和30年代頃まで、数か所の塚(土盛り)が確認されており、畑や林などから矢じりや錆びた刀等が沢山出てきたと言われております。
平成26年12月 針田愛宕神社総代
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鳥居の北側に目的の子持杉です
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鳥居脇に標柱が有ります、杉の文字がコンクリトの束石に埋まっています
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東側からこの6本(1本は切株状態)全てが子持杉と呼ばれているようです
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急な石段を上りましょう
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登り切った境内を見ました、拝殿はまだ先です
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拝殿です
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本殿です
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では、次へ行きましょう
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2023年4月4日午後4時50分訪問です
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