水沢羽田町門下地区は、奥州市役所の東南東約7kmのところ
奥州市役所北東側の信号から東へ進みます、約800mの「一関・国道4号線⇒」の標識に従って信号を右(南)へ、水沢バイパスです
約400mの「花園町」信号を左(東南東)へ、約1.2kmで信号を右(南)へ、国道4号水沢東バイパスですが
すぐ先の「⇐大船渡・住田・国道397号線」の標識に従って信号を左(東)へ北上川を「新小谷木橋」で渡ります
約2.6kmで東北新幹線の高架の手前を右(東南東)へ入って高架を潜ります
約200mで鍵の手に曲がって南東へ向かいます
約2.4kmで道路左手に千養寺(黒田助千手観音)が南向きにあります
前のバス停のある広場脇に車を止めさせて頂きました
「奥羽19番・江刺6番 黒田助千手観音」の標柱です
鳥居が有ります
説明版です
天台宗黒田山千養寺
由来
当寺は、慈覚大師の開基である。
嘉祥3年(850)慈覚大師が当地方を遊化の際、神示を得て丈7尺(2.1m)余の千手観音の立像を刻み、一庵を建立して樹淵山千養寺と号し同年6月15日千手観音を安置した。
この千手観音は、地方稀に見るものでその彫刻の妙と年代に古きは、目をみはるものがある。
天仁元年(1108)藤原清衡が9尺(2.7m)四面の本堂を再建し、代々国主祈願所として歳月を重ねたが、慶長7年(1602)住僧の示寂によって長い間無住となった。
その後、延宝5年(1677)5月羽州(山形県)羽黒山正穏院覚翁源正が来住し、当寺を再興し仙台・仙岳院の末寺とした。
同7年(1679)伊達綱村公が祈願のため3間(5.4m)四面の本堂を建立し、更に客殿・庫裡・鐘楼堂などの修繕を行なった。
宝永5年(1708)5月19日より正徳2年9月22日に至るまで綱村公の命によって諸事祈願のため、普門品33万巻を読誦し、伊達家のためには100座の護摩修行を行なったといわれている。
現在は中尊寺の末寺であって奥州霊場33ヶ所第19番札所として名高く昔は春・夏・秋・冬を通じて参拝人の絶えることがなかった。
祭典は、春・秋・二期、3月17日、9月17日である。
天然記念物(水沢市指定) かや(榧)1本
かやの自生地は、気仙郡が北限とされているが、当地方としては貴重なもので、樹齢は500年と推定される。
有形文化財(水沢市指定) 梵鐘
平成2年3月
目的の姥杉は境内南西端に立っています
鳥居下(東側)から
説明書きが幹に取り付けられています
羽田地区名木巨木
樹名 ウバスギ
根本周 6m30cm
樹高 24m
推定樹齢 250年
所有者 千手観音
平成元年3月 羽田公民館選定
*目通り幹囲は5.1mの巨木だそうです
北東側から
東向きに境内社が並びます
本堂です
東側には鐘楼です
説明版に有った市指定有形文化財の梵鐘です
説明書きです
水沢市文化財指定
指定番号 第7号
指定年月日 昭和32年3月30日
1、名称 梵鐘
1、所在地 水沢羽田町字門下
1、所有者 千養寺
1、管理者 千養・・郎
水沢市教育委員会
供出を逃れた梵鐘
この鐘は寛政7年(1795)に羽田町田茂山で鋳造されました。
直径63.5cm、高さ1.15m、重さ109.3kgあります。
第二次世界大戦末期に、軍需品の原材料として供出の命令が出されましたが,名鐘を失うのを忍びず、地域住民の手により、観音様の西隅に隠され危機をのりこえた鐘です。
戦前の鐘として貴重なもので、昭和32年(1957)に水沢市の指定有形文化財にされています。
本堂東側にはヒイラギの古木です
南側から見上げました
幹に取り付けられている説明書きです
羽田地区名木巨木
樹名 ヒイラギ
根本周 2m70cm
樹高 9m
推定樹齢 200年
所有者 千手観音
平成元年3月 羽田公民館選定
長く成りそうなので続きとさせて頂きます、次回は向かい側(南側)のカヤ(市指定)を見てみましょう
*9月29日に投稿漏れに気が付いたので、日時を修正して投稿させて頂きました<m(__)m>
2024・9・11・08・10
奥州市役所北東側の信号から東へ進みます、約800mの「一関・国道4号線⇒」の標識に従って信号を右(南)へ、水沢バイパスです
約400mの「花園町」信号を左(東南東)へ、約1.2kmで信号を右(南)へ、国道4号水沢東バイパスですが
すぐ先の「⇐大船渡・住田・国道397号線」の標識に従って信号を左(東)へ北上川を「新小谷木橋」で渡ります
約2.6kmで東北新幹線の高架の手前を右(東南東)へ入って高架を潜ります
約200mで鍵の手に曲がって南東へ向かいます
約2.4kmで道路左手に千養寺(黒田助千手観音)が南向きにあります
前のバス停のある広場脇に車を止めさせて頂きました
「奥羽19番・江刺6番 黒田助千手観音」の標柱です
鳥居が有ります
説明版です
天台宗黒田山千養寺
由来
当寺は、慈覚大師の開基である。
嘉祥3年(850)慈覚大師が当地方を遊化の際、神示を得て丈7尺(2.1m)余の千手観音の立像を刻み、一庵を建立して樹淵山千養寺と号し同年6月15日千手観音を安置した。
この千手観音は、地方稀に見るものでその彫刻の妙と年代に古きは、目をみはるものがある。
天仁元年(1108)藤原清衡が9尺(2.7m)四面の本堂を再建し、代々国主祈願所として歳月を重ねたが、慶長7年(1602)住僧の示寂によって長い間無住となった。
その後、延宝5年(1677)5月羽州(山形県)羽黒山正穏院覚翁源正が来住し、当寺を再興し仙台・仙岳院の末寺とした。
同7年(1679)伊達綱村公が祈願のため3間(5.4m)四面の本堂を建立し、更に客殿・庫裡・鐘楼堂などの修繕を行なった。
宝永5年(1708)5月19日より正徳2年9月22日に至るまで綱村公の命によって諸事祈願のため、普門品33万巻を読誦し、伊達家のためには100座の護摩修行を行なったといわれている。
現在は中尊寺の末寺であって奥州霊場33ヶ所第19番札所として名高く昔は春・夏・秋・冬を通じて参拝人の絶えることがなかった。
祭典は、春・秋・二期、3月17日、9月17日である。
天然記念物(水沢市指定) かや(榧)1本
かやの自生地は、気仙郡が北限とされているが、当地方としては貴重なもので、樹齢は500年と推定される。
有形文化財(水沢市指定) 梵鐘
平成2年3月
目的の姥杉は境内南西端に立っています
鳥居下(東側)から
説明書きが幹に取り付けられています
羽田地区名木巨木
樹名 ウバスギ
根本周 6m30cm
樹高 24m
推定樹齢 250年
所有者 千手観音
平成元年3月 羽田公民館選定
*目通り幹囲は5.1mの巨木だそうです
北東側から
東向きに境内社が並びます
本堂です
東側には鐘楼です
説明版に有った市指定有形文化財の梵鐘です
説明書きです
水沢市文化財指定
指定番号 第7号
指定年月日 昭和32年3月30日
1、名称 梵鐘
1、所在地 水沢羽田町字門下
1、所有者 千養寺
1、管理者 千養・・郎
水沢市教育委員会
供出を逃れた梵鐘
この鐘は寛政7年(1795)に羽田町田茂山で鋳造されました。
直径63.5cm、高さ1.15m、重さ109.3kgあります。
第二次世界大戦末期に、軍需品の原材料として供出の命令が出されましたが,名鐘を失うのを忍びず、地域住民の手により、観音様の西隅に隠され危機をのりこえた鐘です。
戦前の鐘として貴重なもので、昭和32年(1957)に水沢市の指定有形文化財にされています。
本堂東側にはヒイラギの古木です
南側から見上げました
幹に取り付けられている説明書きです
羽田地区名木巨木
樹名 ヒイラギ
根本周 2m70cm
樹高 9m
推定樹齢 200年
所有者 千手観音
平成元年3月 羽田公民館選定
長く成りそうなので続きとさせて頂きます、次回は向かい側(南側)のカヤ(市指定)を見てみましょう
*9月29日に投稿漏れに気が付いたので、日時を修正して投稿させて頂きました<m(__)m>
2024・9・11・08・10
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