城端地区は、南砺市役所の南南東約5km、南砺市役所城端市民センターのあるところです
南砺市役所城端市民センターの南東約500mに北向き参道で東新田神明宮が鎮座します
南砺市役所城端市民センター東側の国道304号線を南へ、直ぐの信号を左(東)へ
約200m右手に神明宮の社叢が見えました
参道入口です、参道を入った直ぐの一ノ鳥居のそばに2本の大きなスギが見えています
参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
説明版です
東新田神明社
祭神 天照皇大神
鎮座 勧請年月等不詳
所在地 南砺市城端2318番地
敷地 1373坪
[由来]
東新田町は慶安3年(1650)に理休村より独立し、城端町へ付属した。
神社は勧請年代不詳だが、それ以前に現在地にあった。
現在の社殿は嘉永2年(1849)に再建、現在の物置の場所までの社叢に5m(目通り)以上の杉の大木が数本あり、古い社殿があったと思われる。
東新田町は江戸時代には五箇山往来の城端の入り口であり、明治から昭和までは絹織物工場が軒を連ねた。
参道が300mほどあるが、昭和30年に町営住宅が出来て県道により(南町より蓑谷までの)分断された。
東新田町では平成12年(2000)に神社で開町350年祭を祝った。
[付属社]
稲荷社 社殿は大正13年(1923)新築。
鳥居脇の杉です
鳥居前北西側から
南側から
奥側の一本が目的のスギです
西側から、目通り幹囲5.3mとされる巨木です
南側から
参道を進んで振り返って見ました
ニノ鳥居です
参道を南に進みます
手水舎です
石灯籠が倒れています、こちらにも2024年1月1日の能登半島地震の被害のようです
拝殿です
本殿覆い屋です
西側にも鳥居を備えた社です、説明版では「付属社」とされている稲荷社です
稲荷社本殿覆い屋です
では、次へ行きましょう
南砺市役所城端市民センターの南東約500mに北向き参道で東新田神明宮が鎮座します
南砺市役所城端市民センター東側の国道304号線を南へ、直ぐの信号を左(東)へ
約200m右手に神明宮の社叢が見えました
参道入口です、参道を入った直ぐの一ノ鳥居のそばに2本の大きなスギが見えています
参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました
説明版です
東新田神明社
祭神 天照皇大神
鎮座 勧請年月等不詳
所在地 南砺市城端2318番地
敷地 1373坪
[由来]
東新田町は慶安3年(1650)に理休村より独立し、城端町へ付属した。
神社は勧請年代不詳だが、それ以前に現在地にあった。
現在の社殿は嘉永2年(1849)に再建、現在の物置の場所までの社叢に5m(目通り)以上の杉の大木が数本あり、古い社殿があったと思われる。
東新田町は江戸時代には五箇山往来の城端の入り口であり、明治から昭和までは絹織物工場が軒を連ねた。
参道が300mほどあるが、昭和30年に町営住宅が出来て県道により(南町より蓑谷までの)分断された。
東新田町では平成12年(2000)に神社で開町350年祭を祝った。
[付属社]
稲荷社 社殿は大正13年(1923)新築。
鳥居脇の杉です
鳥居前北西側から
南側から
奥側の一本が目的のスギです
西側から、目通り幹囲5.3mとされる巨木です
南側から
参道を進んで振り返って見ました
ニノ鳥居です
参道を南に進みます
手水舎です
石灯籠が倒れています、こちらにも2024年1月1日の能登半島地震の被害のようです
拝殿です
本殿覆い屋です
西側にも鳥居を備えた社です、説明版では「付属社」とされている稲荷社です
稲荷社本殿覆い屋です
では、次へ行きましょう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます