ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県大町市、重要文化財若一王子神社です!!

2018-06-05 12:19:48 | 文化財・寺社
若一王子神社は、大町市役所の北約1,5kmのところ

国道147号線一中東信号の東へ一方通行の通りを北東へ入ったところ

神社の鳥居が有り、すぐ目の前に三重の塔がみえます

境内西隅に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

千国街道(東側)参道入り口の大きな看板です

赤鳥居から拝殿です

手水舎です

県宝の三重の塔です

説明版です
  別表神社
   重文 若一王子神社
  祭神
    伊弉冉尊 仁品王 妹耶姫 若一王子
  由緒沿革
    北アルプス山麓に広がる大町市に鎮座する本神社は、垂仁
   天皇の御代にこの地の守りとなった仁品王が伊弉冉尊を奉斎
   したのにはじまり、後にこの地を治めた仁科氏によって、祖
   先神である仁品王とその后妹那姫合祠され、嘉祥2年(84
   9)に創建されたと伝えられています。降って鎌倉時代初期
   に、仁科盛遠宿禰が熊野権現(熊野那智大社)の第五殿に祀
   る「若一王子」を勧進してより、若一王子の宮と称されるよ
   うになりました。
    現在の本殿は、戦国時代末期の弘治2年(1556)に仁
   科盛康によって造営され、天正10年(1582)に仁科氏
   が滅びてより、松本城主の崇敬篤く江戸初期の承応3年(1
   654)に水野出羽守源忠職が仁科の里66郷をして、宮大
   工金原周防により社殿の大改修がなされ、地方色豊かな地域
   の大社としての風格を備え、重要文化財の指定をうけており
   ます。
    境内には宝永3年(1706)に建立された観音堂(市文
   化財)と、宝永8年(1711)に建立された三重の塔(県
   宝)が渾然一体となって立、神仏習合の姿を当時そのままに
   残しております。
    昭和6年に県社に昇格、昭和51年に別表神社に加列され
   、名実共に仁科の里の大社として歴史と伝統と今に伝えてい
   ます。
  例祭    7月17日
  例祭奉祝祭 7月第4日曜日
          流鏑馬神事(県無形民俗文化財)
          舞台行事

境内西側には境内社の大町護国神社です

こちらは八坂神社です

社殿の東側には市指定文化財の観音堂です



本殿です

説明版です
  重要文化財 若一王子神社本殿
    附 棟札一枚(承応3年)
    指定 昭和30年2月10日文部省告示
    解体修理 昭和11年  屋根葺替 平成6年
   この本殿は、一間社・隅木入春日造で、軒は二軒、繁垂木、屋根を
  桧皮で噴き、棟は箱棟とする。前面に広い浜床を設け、階段上には擬
  宝珠高欄をともなった縁を三方に廻らす。角柱の向拝柱、丸柱の軸柱
  は太めで、各柱上の斗供や木鼻も大ぶりに出来ており、象鼻・挙鼻蟇
  股・屋根上の破風に付けられた鬼面や、それに続く大きい雲形の鯖な
  どの装飾、向拝上部の手のこんだ組物、彩色装飾を多用しているなど
  類例の少ない特色ある建物である。
   本殿の建築については、室町時代末期の弘治2年(1556)に
  仁科盛康によって建立された旨を記した江戸時代の棟札写があるが
  現本殿は江戸時代初期の承応3年(1654)11月に、地元大町村
  の宮大工金原周防により、1333エをもって大修理を施したことを
  記した棟札からして、このとき弘治の社殿をほとんど解体修理したと
  みてよい。その際に江戸時代の作風が多分に取り込まれたと思われる。
   昭和10年12月から約一ヶ年をかけて、再び解体修理が行われた
  とき、本殿の地下1mの所から、礎石と見られる自然石14箇が発見
  された。この礎石は弘治2年建立当時のものと推定され、昭和10年の
  修理に於ては、この古い礎石を表面に出し、その上に改修建築を行っ
  た。
   宮大工金原氏は代々周防を称し、古格にのっとった神明造の技を伝
  承した家柄で、この本殿を造ったのは4代定兼である。かれの手に依
  る建築としては、他に仁科神明宮本殿(国宝 寛永13年)が知られ
  る。
    平成11年7月
                 大町市教育委員会

本殿の鬼面の説明です、鬼面も「あ」「ん」の表情が有るようです

では、次へ行きっましょう
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長野県大町市、仏崎観音寺の松は枯れてしまっています!!

2018-06-05 06:40:31 | 巨樹・大木
仏崎地区は、大町市役所の西約3kmのところ

高瀬川の右岸、蓮華大橋の南詰の西側に有ります

観音寺の南側に庫裏があり駐車スペースが有ります

佛崎山観音寺入口です

庫裏の前の道路脇に手水舎です

東側の山門です

本堂です

交通観世菩薩の祠です

本堂前から境内を見ましたが、それらしい松が見当たりません

境内の清掃をされていた方にお聞きしましたら

「東側道路の先にあるが、枯れてしまっている」との事でした


参道を戻ります

真っ赤に枯れてしまったアカマツです

説明版があります
  大町市指定天然記念物 第27号
    仏崎観音寺のアカマツ
      平成4年5月19日指定
   アカマツはマツ科マツ属の常緑高木で、全国に広く
  分布しています。古くから人との関わりが深く、建築 
  材や薪炭、根からは松根油など利用範囲の広い有用樹
  として、繰り返し伐採されてきました。そのため大木
  として今に残るものが大変少ない樹木の一種です。
   このようななかにあって、仏崎観音寺のアカマツは
  、観音堂とともに地元の人々の熱意によって守られて
  きました。元は2本の独立幹であったものが、生長す
  るに伴って融合した「和合木」で、地元では「夫婦松
  」との別称で親しまれています。
   樹高20m、目通り周囲4,2mと、大町地方では
  まれにみる大樹です。
    平成6年3月   大町市教育委員会

この木も松くい虫にやられてしまったようで、残念です

では、次へ行きましょう
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