浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

差別構造

2024-07-15 10:04:18 | 社会

「存在の否定」「自覚なき差別」、漫画「ゴールデンカムイ」のヒットで関心高まる一方… 今も続くアイヌ差別の実態

 TBS「報道特集」である。こういう番組が、テレビからほとんど消えているが故に、テレビの社会的価値はほとんどない。数少ない番組、この「報道特集」はネットで見ている。

 さて、ウルトラ右翼の政党・統一教会党=自由民主党議員の杉田某らが率先して行っているアイヌに対する差別的な言動とそれにさらされるアイヌの人びとについての番組である。

 差別はいけない、これは誰もが否定できない倫理である。しかしにもかかわらず、世の中には、平然と差別的な言動を行う者があとを絶たない。アイヌは先住民族として北海道を中心に存在していたこと、明治政府が強引に蝦夷地を「北海道」と命名して、アイヌを「臣民」に組み入れたこと、「臣民」としたにもかかわらず明治政府はアイヌ民族を「旧土人」として差別し、アイヌ民族の自由な大地を奪ったこと、これは歴史上明らかなことである。近代における差別は、大日本帝国政府が先導したといってもよいだろう。

 わたしは、差別というものは様々な場で日々生起し、しかしその多くは消えていく、と考えている。しかしそれら個々の差別的現象のなかから、社会的な差別としてひろくひろがっていくものがある。社会的差別となるものは、公的権力が何らかのお墨付きを与えること、それが大きな契機となる。そのような差別として、被差別部落に対する差別、在日コリアンに対する差別、女性差別(某都知事候補は「おんな子ども」ということばをつかっていた)、障害者差別、アイヌ差別・・・・・などがある。なかには、すでに公的権力自身が差別せず、お墨付きを与えなくなった差別もあるが、社会の中には残り続ける。それはなぜかというと、個々の社会的差別はそれぞれが分離独立しているのではなく、構造として存在しているからである。

 社会的事象をみていると、公然と差別する人は、社会的差別の内ひとつだけをとりあげて差別しているのではない。複数の差別的言動をおこなう。そしてかれらは、差別的な言動をあたかも愉しむように行動している。

 かれらの差別的言動は、公的権力の何らかの政策と連動しながら行われているのであって、公的権力を掌握しているウルトラ右翼政党=自由民主党の国会議員の言動も、十分に公的権力の所業といえるのである。同時に、そうした議員を議員たらしめる選挙民も、その差別構造の担い手といってもよいだろう。

 差別構造をどのように克服していくか、わたしにその策があるわけではないが、最低の条件として、公的権力あるいは公的権力に関わる者が、いっさいの差別的言動を行わないことが必要であると思う。それが第一歩だと思う。

 

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