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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

何を書くか

2018-01-03 09:42:47 | その他
 様々な歴史的事実の中から何を選びだすか。選び出される事実は個別的なものではあるが、同時に普遍性をもったものである。個別性と普遍性をもった歴史的事実を選び出す、といってもその歴史的事実はさらに現代性をもたなければならない。私たちは現代に生きているのだから、その現代と過去の歴史的事実の間に直接的ではないけれども、また明示的ではないけれども、なんらかのつながりを意識する。言い換えれば、現代に生きている者が、過去の歴史的事実のなかから何を選び出すか、それは即、その者が現代をどうみているかを示すものとなる。

 今日の『中日新聞』(東海本社)の社説を読んで驚いた。はっきり言って、俗物が書いた、と思った。こういう人間が東海本社の紙面をつくっているのかと、情けなく思った。

 『東京新聞』の社説も読んだ。そのテーマはさいたま市の「大宮盆栽村」のことだ。地方の個別的な事例ではあるが、それがみごとに普遍性をもち、さらに私たちが生きる現代とを結んでいる。この書き手は、現代という時代をきちんと真正面に見据えてジャーナリズムの精神で書き上げている。

 東海本社版の社説と、下記に紹介する『東京新聞』社説とを比較してみよう。東海本社の社説の愚劣さが分かろうというものだ。


ニッポンの大問題 職人精神を磨きたい 2018年1月3日

 ちまたに「人生百年時代」の標語があふれます。健康でいられても、先々の暮らし向きは濃い霧の中。誇り高き長寿社会のかたちを探らねばなりません。

 全国に知られるさいたま市の「大宮盆栽村」。一九二三年に関東大震災に見舞われた東京の盆栽職人たちが移り住んだ一帯です。

 そこで厳しい修業を積んだ名匠を訪ねました。七十一歳の川辺武夫さん。三十歳で地元の自動車整備工場のトップから転じ、四十年余。異色の経歴の持ち主です。

◆こだわりの職人技

 曲がりくねった白骨のような幹と枝が、縄文時代の火えん(かえん)土器を彷彿(ほうふつ)させる東北真柏(しんぱく)。加賀一位の突き出した幹と枝は、ヘラジカの角を連想させて凜々(りり)しい。

 三陸地方の高山地帯で目の当たりにした真柏は、断崖絶壁にしがみつくように生えていた。千年の歳月を超え、過酷な環境に耐え抜いている雄姿に、体の芯から震えを覚えたと言います。

 旧来の盆栽の基本樹形は必要ではない。畏れ多い自然の造形美をありのままに表現する。それが川辺さん流の盆栽哲学です。

 修業時代に抱いた疑問が発端でした。たくさんの幹や枝葉を切り、針金を巻いて曲げ、植え替えて角度を変える。過度に改作される盆栽たちの悲鳴が聞こえたと言う。その鋭い感受性が新境地を切り開いたのです。

 盆栽用語に「忌み枝」がある。樹形の美しさを損ね、日当たりや風通しを妨げる枝のこと。マニュアルに従えば剪定(せんてい)する。

 「樹(き)がいのちのバランスを取るために伸ばした枝を、なぜ切るのか。大切なのは人間の身勝手な美意識ではなく、樹の健康です」

 大胆で型破りな作風には、自然に対する敬愛の念が薫ります。その“未完の構え”は、欧州人の心を捉えた。十九世紀のジャポニスムのように。スペイン、ドイツ、フランス…。招請が相次ぎます。

◆見えぬ力の大切さ

 古くから職人技は、親方から弟子へと継承されてきました。もっとも、知識や技能は言葉だけで伝え切れるものではありません。

 マニュアルを暗記しても、すぐに泳いだり、自転車に乗ったりできないのと同じです。マニュアル化が可能な目に見える技術を「形式知」と呼ぶのに対し、目に見えない技術を「暗黙知」と呼ぶ。ハンガリーの科学哲学者マイケル・ポランニー氏が提唱しました。

 大事なのは、この「暗黙知」です。親方の全身からにじみ出る経験や勘のようなもの。弟子はその所作を盗み、鍛錬を繰り返すしか身につける術(すべ)はありません。

 どういう仕事であれ、一人前になるまでには一万時間の修業を要するという。マニュアルを意識しなくても、自然と身体が反応してこその職人技です。

 真の職人は、利益や勝敗や時間を度外視し、納得のいく仕上がりを見るまで努力を惜しまない。その過程で、マニュアルを超えて独自の理念や哲学も芽生え、それに根ざした頑固一徹の職人かたぎも育まれます。

 それは自己を律する規範であり、また誇りであり、その積み重ねが人生の物語を紡いでいく。

 しかし、そうした人間の尊厳の淵源(えんげん)ともいえる「暗黙知」や職人かたぎを、不合理なもの、非効率なものとして切り捨ててきたのが、資本主義文化の歴史でしょう。

 市場競争のグローバル化や、少子高齢化がもたらした人手不足を背景に、技術は生産性の向上に傾斜するばかり。人工知能(AI)やロボットといった高度に知的な機械はマニュアルを覚え、人間に取って代わってきています。

 「形式知」の作業領域である限り、会計士や弁護士、医師などの知的職業といえども侵食され得るのです。日本の労働者の約49%が就いている職業は、二十年後までに自動化される可能性があるという衝撃的な推計さえ出ている。

 さらに、長寿化が福祉を圧迫します。ならば、人生の終末まで働く社会を目指す。それが「人生百年時代」構想です。けれども、生産性ばかりに価値を置くような社会では、生存競争だけに終始する人生になりかねません。

◆私欲超え感じること

 米国の社会学者リチャード・セネット氏は、労働は自然の一部として、職人精神の復権を唱えている。「仕事をそれ自体のために立派にやり遂げたいという願望」のことです(『クラフツマン 作ることは考えることである』)。

 二〇〇七年生まれの日本の子供の50%は、百七年以上生きると予想されている。生産と消費の論理でなく、働く喜び、誇りを社会の真ん中に据え直すべきでしょう。

 川辺さんは「よく見て感じ、私欲を捨てこだわる」と言い、マニュアルを超えて感性を磨く。職人精神に未来を感じるのです。


 東海本社の社説は、「明治維新150年と静岡」というテーマである。そこで並べられた事実は、すでに手垢にまみれたものでしかない。「静岡の明治維新」を何の問題意識もなく書く場合にはこういう事実を並べるだろう。この社説を書いた俗物にとって大切なのは、産業らしい。最後の文はこうなっている。

 大正、昭和を経て平成の世も間もなく終わります。静岡県は若者の人口が減り、自動車や楽器に続く新しい産業は見えてきません。年の初めに、不毛の荒野から県土を切り開いた先人たちに思いをはせてみてはいかがでしょう。

 そもそもこの俗物には、「自動車や楽器に続く新しい産業」が見えていない、ということ自体恐ろしい。記者として見るべきものを見ていないということだ、たとえば、浜松ホトニクスの光産業などは見えないのか。

 それに『東京新聞』社説は事実を記しながら、言外に考えさせる「暗黙知」を持つ。東海本社のそれにはまったくなく、上から目線の事実、「僕って静岡のこと、こんなに知っているんだよ」という内容でしかない。

 おそらくこれを書いた俗物は、『中日新聞』東海本社の「論説委員」として根拠なきプライドをもって生きているのだろう。私は、この俗物に、もっと自らを磨きなさいとご忠告申し上げる。

 ついでに名古屋本社の社説も掲げておこう。現代をきちんと見つめつつ、名古屋の個別的な事例をもとに普遍性にまで高めている。東海本社のレベルの低さを再度認識することができるだろう。


ピンポン外交の地から 年のはじめに考える

 今年は日中平和友好条約締結から四十年の節目です。日中の新たな扉を開いたピンポン外交の地から、隣国との絆を確かなものにする道を考えましょう。

 一九七一年に名古屋を舞台に展開された「ピンポン外交」は「小さな白球が地球を動かした」とまで言われる大きな出来事です。

 当時の日本卓球協会会長だった後藤●二(こうじ)・愛知工業大学長が困難を乗り越え、名古屋へ中国卓球チームを招きました。その努力が米中関係の緊張緩和につながり、七二年には日中の国交も正常化しました。

 ようやく改善の兆しが見られる日中関係ですが、歴史を振り返ると、その原点はピンポン外交にあるともいえます。中部地方に暮らす私たちは平和友好条約四十年の節目に、その重みをもう一度かみしめ、隣国と平和共存できる未来像を考えてみたいものです。

地方同士の「雨天の友」

 中部六県で中国の省と友好関係を結んでいるのは愛知県と江蘇省、岐阜県と江西省、三重県と河南省、長野県と河北省、福井県と浙江省、滋賀県と湖南省です。市町村レベルまで含めると友好関係は四十八を数える層の厚さです。

 二〇〇八年の胡錦濤国家主席訪日の後、中国首脳の公式訪問は途絶えています。日本政府の尖閣国有化などに中国が強く反発した一二年以降は「政冷経涼」と言われるほど関係は冷えこみました。

 そうした冬の時代に、地方政府や民間の交流が日中関係を下支えしてきたことを高く評価したいと思います。国のトップ同士がそっぽを向き、公的な交流が次々とストップする中、自主的に交流を進めるのは勇気のいることです。

 愛知県の大村秀章知事は昨年十一月下旬、江蘇省を訪問して呉政隆省長と会談し、青少年交流の重要性で意見の一致をみました。

 若者が交流を引き継いでいく重要性は言うまでもありません。ただ、愛知県と江蘇省のトップ交流が重みを持つのは、日中関係がまだ悪かった一六年に大村知事が訪中して当時の石泰峰省長と会談し、両国関係を改善する追い風にと地方レベルの交流を推進する必要性で合意したことです。

 「雨天の友」という言葉があります。逆境の時に支持したり本人のことを思って厳しい忠言をしてくれる友人のことです。愛知県と江蘇省の絆の確かさは、どしゃぶりの日中関係の中でより強くなり、国と国のパイプの機能不全を補ったと言えます。

 残念ながら、名古屋市と江蘇省都・南京市の公の交流は一二年から止まったままです。河村たかし市長の「南京大虐殺はなかったのではないか」との発言がきっかけです。市長の信念かもしれませんが、歴史認識に違いのある敏感な問題で、一方的な見解を公にしたのは、配慮が足らなかったと批判されても仕方がありません。

日中支える石ころに

 とはいえ、民間交流の熱意が衰えていないことに心強さを感じます。今月六日から八日まで名古屋市で開かれる「中国春節(旧正月)祭」は十二年目を迎えます。中部地方に暮らす中国人らが実行委員会を引き継いできた日本最大の春節祭です。昨年は十四万人が訪れ、本場の中国料理や舞踊、雑伎などを楽しみました。

 留学生を支援する「名古屋-南京促友会」が毎年末に開いている日中友好ボウリング大会は今年で二十回目を迎えます。会顧問の韓金龍さん(56)は「民間交流は続けていくことに意味があります。節目の今年は娘の韓謐(ひつ)(28)に責任者を引き継ぎ、末永く友好の種をまいていきたい」と言います。

 南京出身の韓さんは現在の名古屋市と南京市の関係に心を痛め、平和友好条約四十年の今年、両市の留学経験者を中心に民間の友好訪問団の相互交流を実現しようと準備に取りかかりました。

 韓さんは「平たんな道を作るにも、その基礎には大小さまざまな砂利が必要です。私は日中をつなぐ道を支える石ころの役目を果たしたい」と話します。

「知中」から始めよう

 末永く、地道に-。政治の風向きがおかしくなっても、このような思いで民間交流を支える人たちがたいまつを引き継いでいけば、日中関係の未来は揺らぎません。

 愛知大と南京大が昨年末に共催した中国語スピーチコンテストで津田塾大四年、斎藤沙也加さんは「すべての人が親日派、親中派になるべきだと言いたいのではなく、相手国を好きかどうか考える前に相手国を知るべきだと思います」と述べ、隣国の人々や国情を理解する重要性を訴えました。

 「嫌中」も「親中」も感情的で視野の狭い見方です。冷静に「知中」の視点で交流しようという若者の主張を頼もしく感じます。再び扉を押し開く現代の「ピンポン外交」になるかもしれません。

※●は金へんに甲
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