浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『世界』11月号

2022-10-15 07:57:43 | 社会

『世界』11月号の特集、「戦後民主主義に賭ける」は、「終活」を始めている年代の人たちに向けたものなのだろうか。しかし、その特集は、この世から去って行く世代に、今、そしてこれから考えなければならないことを示しているから、そして書いている人はそれより若い世代であるから、今後に開かれているといえるだろう。

のっけから、在日コリアンの辛淑玉さんの「この社会には民主主義を支える根っこが決定的に未成熟なのではないか」ということばが飛び込む。そうなのだと、私も同感する。私たちは、そうした「根っこ」をつくりだすことに失敗したのだ。

酒井隆史は、丸山真男を引き、「民主主義の状況化」を語る。「状況化」とは、「制度が融解したもの」だと、丸山は指摘している。

すでに亡くなった近世史学者の佐々木潤之介は、幕末を「世直し状況」と表した。まさに幕藩体制という制度が「融解」しつつある状況を、民衆が作りだしていた。「状況化」というこのことばに、私は大きなヒントを得た。そうなのだ、民衆の運動とは、「状況化」をつくりだすことなのだ、と。

酒井は、もちろんこれだけではなく、いくつかの重要な視点を提供している。現在は果たして民主主義の世の中なのか。私も、小選挙区制という制度が機能する現在社会は、制度としての民主主義はない!と考えている。その点で、小選挙区制を導入した者たちへの、憎悪にも似た気持ちを抱き続けている。とりわけ、当時の日本社会党に対して。

酒井は書く。「現行の制度化されたデモクラシーが、民衆の自己統治という意味でのデモクラシーとは無縁なものであること、デモクラシーの根幹をなす自由な意見の表明、公開された情報をふまえた討議、そして合意形成の過程とはほとんど関係ないということ」。

三宅芳夫は、「戦後思想の胎動と誕生 1930-1948」として、多くの思想家や文学者の名を挙げてテーマに沿って位置づけていく。なるほどそこに掲げられた人名は、私が若い頃から読み進めてきた者だ。戦時下に生きた彼らこそが、1945年以後の「戦後民主主義」の時代に登場し、さまざまな問題提起をした。私たちの世代は、それらを吸収しながら「戦後」を生きてきた。しかし「それら」は、其との世代には見向きもされなかった。「戦後民主主義」が、無数の知的遺産に基礎をおいていること、その基礎がなくなっていることを感じる。

神子島健は、「小田実 難死から「殺すな」へ 加害認識という提起」という文で、小田実を振り返る。私にとって小田は、同じ行動をしたということから、親近感がある。小田がなくなったとき、吉川勇一さんから頼まれて、短い文を送ったことがある。小田の思想はふり返り、現在に生かすべき内容を持つと、私も思う。

私は高校生の時から『世界』を購読し続けている。そのなかで、編集長であった吉野源三郎に敬意を抱き続けているし、彼の『同時代のこと』(岩波新書、『世界』に書いたものをまとめたもの)はいつでも読むことができる位置に置いている。

『世界』こそが、「戦後民主主義に賭ける」ことを一貫して続けてきた言論誌であると思う。 

 

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