浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

沖縄の首長選挙

2022-01-24 08:14:01 | 政治

 名護市長選、南城市長選、いずれも自民党・公明党推薦の候補が勝利したとのこと。残念な結果である。

 国民の税金を大胆につかって、札束で選挙民の頬を撫でる。市民の正当な要求は無視し、辺野古米軍基地の建設など、県民・市民の反対の意思はいっさい考慮せずに突き進み、「反対してもムダだ」という諦観をつくりだす。

 カネと横暴な権力に、選挙民は崩されていく。その結果としてこの選挙結果がある。

 沖縄でさえ、このような結果になるのだから、支配層はこの手法を使って、あらゆる選挙で同じ手法をつかってくるだろう。といっても、今までも札束攻勢は、選挙で使われる常套手段である。もちろん政治権力を掌握している支配層がそれをやる。とりわけ、彼らは税金をつかってそれをやるのだ。業界団体はそのカネに群がる者たちだ。カネをもらえるなら、何でも来い、なのだ。倫理や正義、平和などは蹴散らされる。

 いわゆる野党(ゆ党ではない!)はそんなにカネがあるわけではない。札束攻勢を展開することはできない。

 私は、辺野古の新基地建設は、これも利権のためだと思っている。アメリカ軍は、辺野古新基地の建設についてはあまり評価していないようだ。完成しても(軟弱地盤で完成しないが)使い勝手がよくないからだ。ではなぜ強引にすすめるのか。利権に群がる者たちと官僚たちの合作としてあるからだ。

 日本の政治は、利権政治として貫徹している。なんらかのかたちで、国民の多くは利権とつながっている。利権を拒否しない。

 かくて日本は、沈没していく。しばしば紹介するが、開高健の小説「パニック」に描かれたネズミのように、海にむかって集団自殺していくのである。このネズミたち、将来のことなど考えずに、現存する「今」だけが重要で、腹一杯メシを食べ、子孫を増やし、その島で生きていけなくなるまで「今」を享楽する。そして「今」は継続しなくなる。

 それがおそらく、近代日本の人間たちのありようなのだろう。

 

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