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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

さすが日本、誇るべき日本?

2022-01-12 21:51:36 | 政治

 アメリカの対日政策の本質が明らかになっている。「しんぶん赤旗」の記事。それについての、解説を貼り付けさせていただきます

 「右翼」の方々、これでも怒らないのですか?

12日付1面「米兵出国前PCR 日本だけ除外」の記事について

 12日付1面に「米兵出国前PCR 日本だけ除外」と題する記事を掲載していますが、記事で紹介した「しんぶん赤旗」入手の米軍資料(12月3日時点のもの)は、米軍横田基地からの米兵の移動に関するものであり、米本土から日本に対する米兵の移動にさいしての出国前PCR検査の免除の根拠にはならないものでした。この点はおわびして訂正します。

 他方、米軍資料は、横田基地から韓国・烏山空軍基地、シアトルやワシントン(米国)、ディエゴガルシア(英領)など、日本以外の外国への移動にさいしては、出発72時間前のPCR検査を義務づけていることを明らかにしています。

 米本土から日本に対する米兵の移動にさいして、米軍が出国前PCR検査を、昨年9月3日から12月25日までの期間、免除をしていたことは、すでに日本政府が明らかにしていたことです(12月24日の林芳正外相の記者会見および27日の松野博一官房長官の記者会見)。

 この事実と、本紙が入手した米軍資料が明らかにした事実をあわせるならば、昨年12月3日時点で、次のような事態であったことが明らかになります。

 ――米本土から日本に対する米軍の移動にさいして、出国前PCR検査は行われていなかった。日本国内の米軍基地間の移動――横田基地から嘉手納・岩国両基地への移動にさいしても、移動前のPCR検査は行われていなかった

 ――逆に、日本から米本土に戻るさいにはPCR検査が義務づけられていた

 ――日本から、韓国の基地、英領ディエゴガルシアなど、他国に米兵が移動するさいにもPCR検査が義務づけられていた。

 日本から米本土に戻る際にも、韓国など外国に移動する際にも、PCR検査を義務づけているのに、米本土から日本に来るときだけはPCR検査が免除される。

 こうした異常な形で、出国前のPCR検査が「日本だけ除外」されていたことが、米軍資料から浮き彫りになったといえます。(なお、米軍資料は1月10日付で同じものが更新されています)

 


『世界』2月号

2022-01-12 08:07:45 | 読書

 昨日『世界』2月号が届いた。特集は二つであるが、私はいつも「メディア批評」から読みはじめる。いつも通りに、鋭い指摘が並ぶが、テレビを見ていない私にとっては「そうだったのか」というだけだ。

 もちろん新聞への言及がある。辺野古新基地の建設断念を明言したのは『東京新聞』だけだとのこと。『朝日』や『毎日』は、『読売』や自民党・公明党政権の方針に徐々に引きずられているということでもある。そういう新聞にカネを出そうとは思わない。「メディア批評」は、「日米安保条約は日本の安全保障上、本当に不可欠な存在なのか。同条約が沖縄差別を引き起こしているのではないか。本土メディアの人権意識が問われる」と書いている。

 同感である。アメリカという国家が、誕生以来、一貫して独善的な外交政策を展開してきたことを学んだ私としては、自国のことしか考えないアメリカと「同盟」していることに危惧を持つ。

 今、アメリカは中国の「人権」を非難しているが、つい最近までアフガンその他でのイスラム教徒の過激派によるテロに苦しみ、中国に対してイスラム教徒の過激派取り締まりを要求していた。その過激派を産み出す地域は「新疆ウイグル自治区」であった。中国による「新疆ウイグル自治区」抑圧は、アメリカが求めていたことでもある。また、中国の「人権」を非難するアメリカは、中東で、多くの一般住民を殺してきた。アフガン撤退時でも誤爆によりNPOの人々を殺したばかりである。外国の民間人の生命を奪うアメリカが、他国の人権状況を批判できるのか。 

 そういう米国の利益を最大限引き出そうと日本の政治家がアメリカCIAと手を組んで、表向きは「愛国者」「ナショナリスト」の顔をしながら暗躍してきた戦後の歴史をみると、暗澹たる気持ちになる。

 さて「世界の潮」に、「ドストエフスキー生誕200年」の記事があった。知らなかったが、1917年の革命後、ドストエフスキーは冷遇されていたそうだ。レーニンは彼の作品を酷評していたとのこと。1960年代まで、ドストエフスキーの作品は「発禁状態」にあったそうだ。

 今では、「罪と罰」が学校で必修とされているという。よいことだ。ドストエフスキーは読むべきである。みずからの生き方に大きな影響を与えること、間違いナシである。大学一年生の時、ドストエフスキーを読みあさった。その感想を日記につけながら。

 ドストエフスキー生誕200年、時間があったらもういちど読み直そうと思っている。ただ、私が読んだのは米川正夫訳。本当は、ドストエフスキーの作品は笑いがあるのだと、亡くなった米原万里さんが書いていた。他のひとの翻訳で読もうと思っている。