『Journalism』一月号が届いた。朝日新聞社が発行する雑誌である。
そのなかに、首相あいさつ文の「ノリ付着」報道がウソであったことをきちんとした取材で明らかにした宮崎園子さんの文があった。その文中に宮崎さんのジャーナリズムはかくあるべきだという主張があった。当たり前の内容だから引用はしないが、そういう考えを持つ記者は少なくなっている。
宮崎さんはもと朝日新聞記者、ここで書いた内容を朝日新聞紙上に特集として載せたら、朝日新聞の格が上がるだろうと思う。私が朝日新聞を購読しないのは、社全体の方向性が権力との融和にあると判断しているからだ。宮崎さんの文を引用しておく。その通りだと思うからである。
「メディアの多様化とともに、マスメディア不信が言われて久しい。権力側との一体化ぶり、あるいは「中立」「客観」を振りかざした結果の「傍観者」ぶりに起因するところが多いのではないか。」
さて宮崎さんは、首相が読んだあいさつ文を情報公開請求により直接見た。「ノリ付着」により読み飛ばしたということがあり得ないことだと確信し、それを書いた。
ノリ付着が原因で読み飛ばしたという記事を発したのは、共同通信。その共同記者はウラをとったのか。それとも官僚の「弁護発言」をそのまま書いたのか。
共同通信、最近は地に堕ちたものだ。昔は斎藤茂男がいた。その他にも問題意識が鮮明で取材力がある記者がいた。最近共同は悪いことで話題になる。
さて宮崎さんの前に、中国新聞の記者があいさつ文の現物を見たそうだ。写真も撮ったそうだ。しかし中国新聞社は記事を載せなかった。なぜ?
ジャーナリストは宮崎さん、共同の記者や中国新聞の書かれたはずのその記事を公にしなかったデスク(?)はジャーナリスト失格である。
新聞も含めたメディアは、朴正煕政権下の韓国メディアの状況に似てきている。つまり独裁政権下のメディアである。