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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

新自由主義に基づく財政の本質

2017-03-28 21:47:55 | その他
 新自由主義にもとづく財政の本質は、集めた税金を、本来は支出しなくてもいいようなところ、大企業とか、首長と仲がよい人とか、そういうところに垂れ流すということにある。新自由主義の財政の本質は、財政の私物化である。それは森友学園の問題でも、愛媛県今治市の例でも明らかになっているし、多かれ少なかれ、どこの自治体も同じようなカネのつかいかたをしている。

 ほとんどの住民は、地方自治体の財政支出の中身なんかほとんど関心を持たないし、それは議員も同様だ。議員にとっては、票につながる地元にカネをもってくることだけが仕事だと思っているから、大きなカネが大企業とか首長の個人的なつながりがあるところに支出されていることなんか調べもしない。

 だから、要するに税金は、今までも私物化されてきているのだ。私物化が過剰になるとどうなるかというと、それは千葉県銚子市のようになる。それは遅かれ早かれ他の自治体でも経験することである。

https://dot.asahi.com/wa/2017032600017.html

http://ameblo.jp/et-eo/entry-12253416399.html

ジャーナリストの矜持

2017-03-28 21:34:24 | その他
 城山三郎の『鼠』を読んでいるが、そこで次のような指摘を読んだ。

 城山は、長谷川如是閑に会いに、彼の自宅へ行った。そこで如是閑は、

 「社の方針として、時の高官に会うことはいけないこととされた。親しく接した者はやめさせたほどだ。個人的に会って懇意になったり憎悪したりしてはいけないからだ」(文春文庫、191頁)と語った。

 これが『大阪朝日』がもっていた、ジャーナリストとしてのモラルである。

 今はどうだろう、『朝日』にしても、その他の社でも、安倍らと懇ろになっている記者がたくさんいる。

 メディアへの信用がなくなっている所以である。