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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『東京新聞』の社説

2013-05-25 23:44:06 | 日記
 今日はじゃがいもの収穫など農作業を行っていたので、書く意欲がない。ちょうど『中日新聞』(『東京新聞』)の2本の社説がよいので、それを紹介する。


敵基地攻撃能力 軍拡の口実与えるだけ  2013年5月25日

 自衛隊も敵の領土にある基地を攻撃できる能力を持つべし、との議論が自民党内で進んでいる。ミサイル開発を進める北朝鮮を念頭に置いたのだろうが、軍備増強の口実を与え、逆効果ではないか。

 自衛隊は日本に武力攻撃があった場合、自衛のために必要最小限の武力を行使することができる。

 ミサイル攻撃を防ぐ手段がない場合、発射基地を攻撃することは自衛の範囲だが、他国を攻撃する兵器を平素から持つことは、憲法の趣旨に反する。

 これが自衛隊をめぐる日本政府の立場であり、国民にも広く受け入れられてきた考え方だろう。

 こうした原則を根本から変える動きが自民党内で出てきた。

 安全保障調査会と国防部会の提言案に敵のミサイル発射基地などを攻撃する「策源地攻撃能力の保有」の検討開始が盛り込まれたのだ。速やかに結論を出し、政府が年内に定める新しい「防衛計画の大綱」に反映させるという。

 背景には、北朝鮮によるミサイルの脅威が現実のものとなってきた、との危機感があるようだ。

 日本ではミサイル防衛システムの配備が進んでいるが、多数のミサイルが同時に飛来した場合、すべてを迎撃するのは困難で、日本を守るには敵の基地を攻撃するしかない、という理屈だろう。

 敵の基地攻撃能力を持つには戦闘機の航続距離を延ばして空対地ミサイルを装備する、巡航ミサイルを配備することが想定される。

 国民の生命と財産を守るのは政府の責務だが、敵の基地を攻撃するための武器を平素から持つことが憲法の趣旨を逸脱するのは明白だ。厳しい財政状況を考えても、多額の経費を要する攻撃的兵器の導入は非現実的である。

 自国民を守るために攻撃能力を持つのだと主張しても、それが地域の不安定要因となり、軍拡競争を促す「安全保障のジレンマ」に陥らせては、本末転倒だ。

 北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、拉致事件を解決するには「対話と圧力」路線を粘り強く進めるしかあるまい。関係国と協調して外交努力を尽くすことが重要なのは、軍備増強、海洋支配拡大の動きを強める中国に対しても同様だ。

 安倍晋三首相は「集団的自衛権の行使」容認や憲法九条改正による国防軍創設を目指す。敵基地攻撃能力の保有検討もその一環なのだろうが、前のめりになることが問題解決を促すとは限らないと、肝に銘じておくべきである。


自民党の憲法草案は、世界の歴史が獲得してきたものを放棄してしまうというまったく大胆な恐るべき内容である。「敵」の基地を攻撃できるようにしたい、というのもその一つ。安倍とその周辺にいる人々は、戦争をしたいんだろうな。もちろんその相手はアジア。「日本的帝国意識」を感じざるを得ない。日本が先に攻撃する、ということは、憲法はその段階で消失する。攻撃したあとは、当然戦争になる。そのあとはアメリカ軍に依存するのか。ここにも欧米に対する甘えがある。


 軍事拡大にはカネをつかうが、国民のためにはカネをつかいたくないという安倍政権の姿勢が、この二つの社説で明確になる。生活保護の受給者はおそらく減っていくだろう。不正受給も少しはいるだろうが、生活保護受給者は、肩身の狭い思いをしながら生きている。生活保護世帯の実態をきちんと見ることが必要であって、生活保護問題について2チャンネルなどで激しい言葉を投げつけていた人々は、自分の兄弟や親戚が生活保護を受けざるを得なくなったとき、支援はするのだろうか。親戚などに知られたくないから生活保護を申請しないという人々は、とても多いという。

生活保護法案 「貧困」から救えるのか  2013年5月25日

 命を守る制度のはずだ。政府の生活保護法改正案が閣議決定され国会に審議が移った。保護費抑制や不正受給対策に力点を置いた改正だが、保護を必要としている人を制度から締め出さないか。

 北九州市で二〇〇六年、生活に困窮した男性が生活保護の申請を拒まれ餓死した。

 当時、保護費を抑制するため、行政の窓口で相談に訪れた人に申請をさせず追い返す「水際作戦」が、各地で問題となっていた。

 会計検査院の調査によると、行政が受け付けた相談件数に対する申請件数の割合は、〇四年度の全国平均で30・6%だ。約七割の相談が申請に至っていない。北九州市は15・8%と最低だった。

 保護が不必要なケースは見極めが要るが、生活保護法改正案は門前払いを拡大させる懸念がある。

 まず窓口での申請を厳格化することである。申請の際、資産や収入の状況を示す書類の提出が義務付けられる。保護費は税金だから困窮の状況を示すのは当然だ。

 だが、提出を義務付けるとその不備を理由に申請を受け付けない事態が増えかねない。現行は、口頭での申請でも可能とされている。日弁連は「違法な『水際作戦』を合法化する」と批判している。

 書類提出で申請者自身が保護の必要性を申請時に証明することを求められる。路上生活者や家庭内暴力から逃げてきた人にとっては、証明書類の準備は難しい。

 次に、保護を受けようとする人の親族に、場合によっては扶養できない理由や収入などの報告を求めることだ。親族の資産を調べられ、職場に照会が行くかもしれないとなると、迷惑がかかると申請をあきらめる人が出る。

 親族の支援は必要だが、関係が良好とは限らない。子育て家庭など家計に余裕がないだろう。少子化で親族も減る。親族に厳しく扶養を求めることは国の福祉政策の責任転嫁ではないか。生活保護は、集めた税金を困窮者に再分配する支え合いの制度だ。私たちがいつこの制度に助けられるかもしれないことを忘れたくない。

 改正案では、受給中に働いて得た賃金の一部を積み立て、保護から脱却した際にもらえる給付金制度を創設する。自立への後押しになるが、保護への入り口を絞っては、効果は限定的になる。

 不正受給は許されないが、その対策や保護費抑制を進めるあまり、困窮者が制度からはじき出され餓死するとしたら本末転倒だ。