ずっと前にサイパン島の玉砕について調べて書いたことがあった。12月7日、それについて話す機会に恵まれた。ちょうど対米英戦争開始70年であるから、ちょうどよい。
しかし書いたのはもう10年以上前。書いた原稿は残っているが、詳細はあまり覚えていない。話すときには、書いていないことも頭に入っていないと、うまく話すことは出来ない。そこで、その後に購入した本も含めて、読み直している。
書くときには読んでいなかった本も何冊か買ってあった。その一冊がこれ。
小田実の小説でもっとも好きなものは、『アボジを踏む』だ。この『玉砕』は読んでいなかった。しかし、この小説はすばらしい。「玉砕」の場にいることを余儀なくされた日本人や朝鮮人が、米軍との死闘を繰り広げる。その戦闘には思想やイデオロギーは入ってこない。ただ殺し、殺されるしかない。その緊張した現場を、書いたのだ。
アッツ島玉砕の現場にいた日本文学研究者であるドナルド・キーン氏との対談の中で、「みんながそれぞれ自分たちの原理をもっていたんだけども、結局生きるか死ぬかの戦いになってしまう、これはやっぱり戦争の一番根本だと思うんです。生きるか死ぬか、つまり殺しあいのなかに自分の生命が入ってくる。」と小田は語る。
もちろん、そこに至る日本のある意味で独特の事情というものがあって、それはきちんと書いてある。その独特の事情とは、日本兵の死ぬためだけの「バンザイ突撃」の背景、軍隊の中の朝鮮人の置かれた状況など、それらは忘れてはいない。
だが、玉砕それ自体を描くだけでは、何かが足りない、その何かを小田は「愛」だとしている。どういうことか、それは本書を読んでもらうしかないが、私は「愛」=希望だと思う。
しかし書いたのはもう10年以上前。書いた原稿は残っているが、詳細はあまり覚えていない。話すときには、書いていないことも頭に入っていないと、うまく話すことは出来ない。そこで、その後に購入した本も含めて、読み直している。
書くときには読んでいなかった本も何冊か買ってあった。その一冊がこれ。
小田実の小説でもっとも好きなものは、『アボジを踏む』だ。この『玉砕』は読んでいなかった。しかし、この小説はすばらしい。「玉砕」の場にいることを余儀なくされた日本人や朝鮮人が、米軍との死闘を繰り広げる。その戦闘には思想やイデオロギーは入ってこない。ただ殺し、殺されるしかない。その緊張した現場を、書いたのだ。
アッツ島玉砕の現場にいた日本文学研究者であるドナルド・キーン氏との対談の中で、「みんながそれぞれ自分たちの原理をもっていたんだけども、結局生きるか死ぬかの戦いになってしまう、これはやっぱり戦争の一番根本だと思うんです。生きるか死ぬか、つまり殺しあいのなかに自分の生命が入ってくる。」と小田は語る。
もちろん、そこに至る日本のある意味で独特の事情というものがあって、それはきちんと書いてある。その独特の事情とは、日本兵の死ぬためだけの「バンザイ突撃」の背景、軍隊の中の朝鮮人の置かれた状況など、それらは忘れてはいない。
だが、玉砕それ自体を描くだけでは、何かが足りない、その何かを小田は「愛」だとしている。どういうことか、それは本書を読んでもらうしかないが、私は「愛」=希望だと思う。